2011年12月5日月曜日

各ゼミを「表現ゼミ」として統一したい

 現代朗読協会では「朗読ゼミ」というものが活動の中心になっています。
 参加者はまず、現代朗読協会の正会員になると同時に「ゼミ生」というものになっていただきます。ゼミ生になるとどのゼミ、講座、ワークショップにも自由に出られるようになります。ただし、外部講師をお願いしているアレクサンダー・テクニーク講座やヨガ講座などは別枠ですが、正会員の特別割引がたいていあります。
 いずれにしても、ゼミはカルチャーセンターや専門学校のような「教育と金銭との等価交換」の場ではありません。ゼミ費は現代朗読協会という「共有の学びの場」を持続させるための経費としていただいてます。

 最初は朗読ゼミしかなかったんですが、その後「テキスト表現ゼミ」ができ、「ビデオゼミ」ができました。
 ところである人から、
「水城さんの私塾を作ってはどうか」
 という提案がありました。朗読にかぎらず、表現のこと、世の中全般のこと、思想のこと、コミュニケーションのこと、私たちのありようそのもののことなどをお互いにかんがえる場で、私はそこにエデュケーターというよりコメンテーターとして参加するようなイメージでしょうか。
 そういわれたとき、ふと、「ゼミがあるじゃないか」と思ったのでした。
 わざわざ私塾を作らなくても、すでにゼミはそのような内容に近づいています。もちろん朗読ゼミでは朗読表現のことをメインにやってますが、実は半分くらいは「気づき報告」という名のもとでさまざまな意見交換をする場になっているのです。そしてその時間が私たちにとって大切な時間になっています。気づき報告の時間がないゼミなどほとんど意味がないくらい重要になっているのです。
 それに「私塾」なんていうとなんだか私の私有物みたいでなんとなくはばかられます。
 そこで、いまある各ゼミを「表現ゼミ」として統一しようかなと思ったのです。

 表現のなかにはもちろん朗読があり、テキストがあり、場合によっては音楽や美術やダンスがあってもいいかもしれません。私以外にも講師を呼ぶとおもしろいかもしれません。
 朗読という表現に限定しているととても狭苦しい感じがしていたのは事実です。げろきょの活動は朗読を越えてどんどん越境しています。ジャンルの枠でかんがえるよりも、「表現」というものの本質についてかんがえる場になれば、それは朗読にも物書きにも演奏にも応用できるでしょう。
 いまやっている「朗読ゼミ」「テキスト表現ゼミ」「ビデオゼミ」という枠を取りはらって「表現ゼミ」とすることで、朗読をやりたい人は朗読を、小説を書きたい人は小説をそれぞれ持ってきてもらえばいいですし、常にビデオチャットの窓口を開いておくことで遠隔参加もいつでも可能にしておきます。
 げんについ先ほど、マダガスカルで仕事をしている人から「ゼミに参加したい」というメールをいただきました。そういう人も参加できます。
 もっとも、中心にすえるのはやはり「ことばとからだ」ということになるでしょう。このことは朗読ゼミでもテキスト表現ゼミでももともと共通していたことです。私たちの表現が「ことばとからだ」から出発するということだけは押さえておきたいのです。

 いかがでしょうね、皆さん。そしてゼミ生の皆さん。
 これはまだあくまで「試案」ですが。