2011年12月20日火曜日

「エネミー・イメージ」を払拭して先入観なく人と接する

エネミー・イメージ(enemy image)とは、ある人に対する敵対的な先入観(image)のことです。これがあると、その人との関係がぎくしゃくしたものになります。ときにはその人に会うことに恐れや嫌悪を抱いたり、ついには顔を見るのも怖くなります。
 ポイントは、このエネミー・イメージがこちら(主体)の側に勝手に形作られ、それが「思い込み」となっている場合が多い、ということです。敵だと思う必要のない人にまで敵対的先入観を持ってしまうことが多いのです。それで不必要なディスコミュニケーションがしばしば起こります。
 例をあげましょう。
 最近引っ越してきたマンションの隣の部屋の住人が、まったく挨拶にも来ない。廊下ですれちがってこちらから声をかけても、ろくに返事もなく、顔を合わせない。こういったとき、こちら側は往々にして、彼に対して敵対的イメージを持ってしまいます。そうなると、隣人のなすことことごとくが憎らしく感じるようになります。
公共スペースであるはずの廊下に平気で何日もゴミを放置してあるのを見たとき、こちら側は怒りを覚えます。そのことを注意してやろうと機会をうかがいます。
 ある日、出かけようとしている彼に偶然出くわしたので、文句をいってやります。
「あなたね、ここはみんなが通る廊下なのよ。いつまでもゴミを放置しておかないで片付けてくださらない? できればいますぐ」
 相手もムッとした顔になります。場合によっては罵倒されるかもしれません。
「うるせえよ、ばばぁ。そんなに気になるなら、あんたが片付けりゃいいじゃん」
 こうなると売り言葉に買い言葉です。
「なんであなたのゴミをあたしが片付けなきゃならないのよ」
「おれは気になんねえんだよ。気になったあんたが片付けりゃいいだろ」
 あとはもう延々と暴力的な言葉の応酬です。ふたりの関係は破滅です。
 少しおおげさに書きましたが、こういったことは私たちのなかでしょっちゅう起こっています。家族の間、友人との関係、職場、地域社会、気づかないほどささいなエネミー・イメージが生まれては消えていってます。が、それらの積み重ねが、ある人に対する特定の先入観を形成していくのです。
 これを避ける方法があります。なにか起こったときに、相手に怒りを向ける前に、自分のなかにある怒りをまず見るのです。自分がどのように怒っているのか。そして存分にその怒りをあばれさせてやります。ただし自分のなかで。
 そのあとでゆっくりと、その怒りがどこから来たものなのか観察します。上記の例だと、隣人が廊下にゴミを何日も放置してある、という事実がまずあります。そのことでこちらは怒りを覚えたわけです。
 次に、その怒りは自分のどういうニーズ(望み・必要性)の不足から来たのか探します。怒りも悲しみも喜びも、すべてあるニーズの不足もしくは充足からやってきます。この場合だと、公共のルールを守ってほしいという規律性のニーズかもしれませんし、挨拶もしないゴミも片付けないということで隣人から尊重されていないと感じているせいかもしれません。あるいは隣人とちゃんと理解しあってつながりたいのに、ろくにコミュニケーションを取れないことでイライラしているのかもしれません。つまりつながりのニーズが満たされていないということになります。
 自分のなかにどういうニーズがあるのかわかると、感情の原因もわかります。自分がなぜこんなに怒っているのか、自分で共感を持つことができます。そのとき、人はみなちょっと落ち着くのです。
 落ち着いたら次にやるのは、相手のニーズを推測することです。彼はこちらと戦うためにここに引っ越してきたのでしょうか。もちろん違います。彼には彼なりの理由があって、そのような態度を取ったり、ゴミを放置したりしているのです。そのニーズを推し量るのは難しいことですが、とにかくやってみます。
 彼はなにか事情があってとても不機嫌なのかもしれません。あるいは人に挨拶するのが怖いのかもしれません。対人恐怖症で、だから挨拶にも来ないし、返事もろくにしないのかもしれません。ゴミを外に放置するのは、じつはすでに部屋のなかがゴミであふれ返ってるのかもしれませんし、逆に異常な潔癖性でゴミを部屋のなかに置きたくない、ゴミ置き場に持っていくこともできないのかもしれません。ひょっとしてゴミを廊下に置きっぱなしにすることでなんらかの切ないメッセージを発信しているのかもしれません。
 というような推測は、あくまで推測なので、あたっていなくてもいっこうにかまいません。相手のニーズを推測することで、相手もまたこちらと変わらない人間であり、実はつながりを求めているのかもしれないと思いやってみるだけで、相手に対するエネミー・イメージが消えていきます。
 この推測する行為を「相手に共感(エンパシー)をあたえる」といいます。
 自分に共感を与え、相手に共感を与えることで、敵対的イメージではなく、共感関係になるための土台を作ります。
 エネミー・イメージが払拭されたとき、こちらから相手にかけられる言葉が変わります。
「なにか不都合があってゴミを置き場まで運べないのだとしたら、よかったらわたしが持っていきましょうか?」
 相手はどう答えるでしょうか。ひょっとしたらまた暴力的な返事が返ってくるかもしれません。そうしたらまたフィーリングとニーズの作業を繰り返します。
 うまくいけば、相手と少しずつつながりが生まれるかもしれません。そのつながりの質を高めていくこともできるかもしれません。それができるかどうかは、相手の態度ではなく、こちら側の態度や考え方によるのです。まずはエネミー・イメージという先入観を捨てることができるかどうかです。