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2020年4月10日金曜日

春野亭日乗 4月9日(木)感染リスク、非常事態宣言

もうすっかり散ってしまったけれど、国立駅前の大学通りの桜並木のようすを見るためにキックボードに乗ってほんのちょっぴり散歩に出るほかほとんど家から一歩も出ない何日かを送っている。
新型コロナウイルスに対する非常事態宣言が出たということもあるが、そもそも感染リスクは私の場合、高い。

末期ガンによるかなり極端な免疫低下があって、もしいま感染したら重症化はまぬがれないだろう。
重症と診断されても空きベッドがないという状況が現実化しはじめていて、そのばあい、人工呼吸器が使えないことによる死が待っている可能性が少なくない。

日本の場合、罹患者がどのくらいいるのか、そもそも検査体勢が貧弱なので統計予測がまったくできていない。
先進国のなかでは極端にICUのベッド数が少ないという事実もあって、もし重症患者がいちどきにやってきても受け入れられない(それを医療崩壊という)現実がある。
すこし前なら私も重症化したとしてもICUで治療を受けられたかもしれないが、いまはどうなんだろう。

日々感染者数が増加しつづけているのを見ると、空きベッドがすべて埋まってしまっていて、現実に軽症患者(といっても人工呼吸が必要ないという程度の「軽症」)が自宅や国が借り上げたビジネスホテルにどんどん吐きだされているようだ。
政治的な思惑や立場を抜きにして、まちがいなく日本のコロナ対策は極端に後手に回っていることは明らかだ。
患者側の目から見ればそれは危機的な体感覚として迫っている。
つまり、いま感染するわけにはいかない。

出かけたときにちょっと注意深くしているとわかることだが、私たちはいろいろな場所やものに無意識に触りつづけている。
そしてその手でまた自分の身体や顔、口、目、鼻、耳などを頻繁に触る。
これを完全にシャットアウトするのは、ほぼ不可能といってもいいくらいだ。
きちんとトイレで手洗いをしたとしても、その手で蛇口に触る、ペーパーに触る、ドアノブに触る、カバンを持つ。
カバンはそもそも床や、他人が座ったり触ったりしている椅子や机に置いている。
ケータイ電話を置くのは、他人が触ったりケータイを置いたりしていたテーブルの上だ。

食事をしても、買物をしても、他人が触ったものを自分が触らないようにはできない。
宅急便が届けられたときも、その荷物、サインのペン、伝票、対面での至近距離の呼気交換、配達人が触ったドア、足跡、さまざまな感染リスクが一瞬にして生まれる。

完全に感染リスクをゼロにするのは不可能といっていいだろう。
せめてマスク、手洗いの励行、がんばって使い捨ての手袋、手指の消毒薬の携行をこころがけくらいだ。
それ以上に現実的な対策といえば、健康管理をしっかりとやって、免疫力の低下をまぬかない生活をこころがけるくらいだが、そもそも持病で免疫低下がデフォルトになっている私のような人間はどうすればいいんだろう。

対面での講座やレッスンはすべてオンラインに切りかえた。
インターネットがあってほんとによかったと思う。
いや、ほんとに。

逆に、オンラインでできることはなんだろうとかんがえてみると、まだまだいろいろなことができることもわかってきて、楽しい面がないわけではない。
試してみたいことがいくつか出てきた。
いくつか機材が必要になったが、それもネットで注文して、宅配便で玄関まで届けてもらえる。
流通にかかわるリスキーな仕事をしてくれているみなさんに、心から感謝する。

このようにずっと引きこもっているとはいえ、実際にはかなりアクティブな生活をしている。
現代朗読ゼミはオンラインに移行してこれまで以上に活発に開催している。
しばらく休止していた野々宮卯妙による「読解」ゼミも再開した。
文章講座であるひよめき塾はこれまでどおり開催している。
共感手帳術の講座も新規参加者もふくめて継続的に開催している。

これらに加えて、私が執筆した『マインドフル練習帳』を使ったマインドフルの練習会を週に3〜4回のペースでスタートした。
1回の時間が約30分と短いのだが、リピーターも新規参加者も熱心に参加してくれていて、とてもやりがいがあるし、楽しい。

このようにオンラインのミーティングシステムを使ったイベントや勉強会をとてもアクティブに継続していて、毎日けっこう忙しかったりする。


ところで、この文章はひさしぶりに近所の行きつけの喫茶店で書いている。
何日ぶりだろうか。
不特定多数の客が出入りする店は、感染リスクが高いことはいうまでもないが、店もできるだけの対策を打っているようだし、私もそれなりの対策をこころがけて来ている。

どういう案配なのか、ここに来て、いつもの席にすわって、ラップトップをひらいて文章を書きはじめると、集中がもどってきて、さくさくと書きすすむ。
ここ何日かの不安からものを書くことにもまったく集中できずにいたのだが、それがもどってきた。
ちょっとしたことで執筆への集中がもどってくる。

執筆に集中するにはなにが必要なんだろうと、いまいちど洗いなおしてみたい。
そしてやはり文筆家であるところの私自身の仕事を、きちんと系統立てて積みあげておきたいと思っている。
そのなかには小説もふくまれている。

2020年3月31日火曜日

ラストメッセージ(6)キックボードで半世紀前にタイムスリップ

(English at the bottom)

〔末期ガンをサーフするⅢ〕

数日前にボイスパフォーマーの徳久ウイリアムくんとMariの3人でお昼ご飯を食べに行こうということになって、近所の店まで歩いて行った。
距離にして300メートルもないくらいの、ごく近所のイタリアンレストランだった。
そんな近距離にも関わらず、このところ痛み止めの薬の効きめが悪くなっていた私にとっては、歩いて行くにはかなり遠く感じられる距離だった。

杖をついて、というより杖に体重を預けてぶらさがるようにしてよろよろと歩く。
かなりのお年寄りの姿だ。

ひさしぶりに会った徳久くんも、私の急な変化にびっくりしたようだった。
私も情けない思いがある。
そのとき思いついたのが、キックボードだった。
このあたりでも子どもがよくキックボードを蹴りながらすいすいと移動している姿を見かける。
私も子どものころはそれでよく遊んでいた。

10年くらい前にキックボードがはやったことがあって、大人もずいぶん乗っている姿を見かけたものだが、最近はすたれたのかめったに見ない。
それでもネットで検索してみると、大人用のキックボードはいまでもいろいろ売られているようだ。

徳久くんとMariも「キックボードはいいんじゃない?」という意見になって、ご飯のあと時間があったのでさっそく3人で自転車屋に行ってみることになった。

府中の自転車屋には置いてなく、立川の自転車屋には子ども用のもの1種類しかなかったが、試乗できた。

キックボードに乗るのはたぶん、50年(半世紀)ぶりくらいだが、乗った瞬間に身体がおぼえている感覚が一瞬にしてよみがえってきた。
思いだしたというより、私の身体が半世紀前にタイムスリップしたような感覚だった。
なんの不自由もなくすいすいと乗れる。
もともとそう難しい乗り物ではないけれど、この乗り物を扱うための運動神経系が瞬時に活性化する感じは、びっくりしつつも気持ちいいものだった。

この店では購入せず、家に帰ってからネットであれこれ検索して、イギリス製の「フレンジースクーター」を通信販売で注文した。

それが今日の午後、届いた。
組み立てて乗ってみると、これこれ、この感じ。
すいすいと乗れて気持ちがいい。

そのままちょうど薬を処方してもらう必要があった近所の病院まで乗っていく。
杖をついてよたよたと5分くらいかかって行っていたのだが、今日はあっというまに30秒くらいで到着してしまった。
これなら、病院にかぎらず、近所のコンビニや本屋や喫茶店などにも気楽に出かけられる(新型コロナウイルスには気をつけなければならないが)。
そして薬は医療用麻薬のオキシコンチンを15ミリグラムから20ミリグラムに増量して処方してもらった。

痛みがなくなり、移動も気楽になって、快適な時間が増えるといいのだが。


A few days ago, voice performer Tokuhisa William, Mari and I went out for lunch and walked to a nearby restaurant.
It was a very close Italian restaurant, less than 300 meters away.
Despite the short distance, for me, the effectiveness of my painkillers has been getting worse, so it was a pretty long distance to walk.

I staggered with my cane, or rather with my weight on it.
I look quite old.

Tokuhisa, whom I hadn't seen for a long time, seemed surprised at my sudden change.
I also feel sorry.
Then he thought of a kickboard.
Then I thought of a kickboard.
I often see children moving smoothly by kicking a board around here.
I used to play with it when I was a child.

There was a Kickboard fad about 10 years ago, and I saw a lot of adults on it, but it's rare to see it go out of fashion these days.
Still, a search on the Internet shows that there are still plenty of adult scooters available.

Tokuhisa and Mari agreed, "How about a kickboard?" and as we had time after dinner, the 3 of us decided to go to the bicycle shop.

Bicycle shops in Fuchu didn't sell them, and those in Tachikawa had only one type for children, but I was able to test drive it.

It's probably the first time I’ve been on a kickboard in 50 years (half-century), but the moment I get on it, the feeling that my body remembers comes back in an instant.
It was more like my body slipped half a century ago.
I can ride smoothly without any inconvenience.
It's not exactly a difficult ride, but the feeling that the motor nervous system is instantly activated to handle it was amazing and refreshing.

I didn't buy it at this store, but after I got home, I searched this and that on the Internet and ordered "French scooter" made in England by mail order.

It arrived this afternoon.
When I put it together and got on, it was like this, this, this.
It feels good to ride smoothly.

Just like that, I go to the nearby hospital where I needed to get prescribed medicine.
It took me about 5 minutes to wobble with my cane, but today I arrived in about 30 seconds.
With this, you can easily go not only to the hospital, but also to nearby convenience stores, bookstores and coffee shops (We have to be careful of new coronaviruses.).
The drug was prescribed with an increased dose of the medical drug oxycontin, from 15 to 20 milligrams.

I hope the pain will go away, I'll be able to travel more easily, and I'll have more comfortable time.

2020年3月15日日曜日

ラストメッセージ(5)花粉症消滅の不思議

(English at the bottom)

〔末期ガンをサーフする3〕

1月の終わりから2月にかけて、ちょっと鼻がぐずぐずしたり、目がかゆくなったりと、何度か「あれっ?」と思う瞬間があって、あらかじめ用意してあった抗アレルギー薬(アレグラ)を飲んだこともあるのだが、以来、今日にいたるまで本格的な症状はまったくといっていいほど出ていない。

先日、カルメン・マキさんが遊びに来てくれたとき、彼女も長年の花粉症に悩まされている人だったので、今年の症状の話になったのだが、彼女は早々とひどい症状に悩まされているという。
今年は出かける機会が少なかったので、花粉症について人と情報交換する機会が少なかったり、そもそも外で花粉を浴びる機会が少ないということもあって、症状が出にくいのかと思っていたのだが、花粉そのものは大量に飛んでいるらしい。
なぜか症状が出ない。
花粉症がなくなったとしか思えない。

私の場合、30年近く悩まされてきた覚えがある。
さまざまな対症療法や予防法をためしてきたが、どれも失敗に終わった。
それでもここ10年くらいは、アレグラという抗アレルギー薬が比較的体質にあっているようで(眠気も出ない)、初期症状のうちに飲むことで症状を軽微に抑えることができていて、助かっていた。
そのかわり、アレグラを手放せなかった。
ひどいときは日に2錠以上飲まないと抑えられなかったし、最悪のときはそれでも抑えきれないこともあった。

それなのに、今年はほぼ出ていない。
ガン末期の痛みに対処するために飲んでいる医療用麻薬のおかげだろうか。
そんな話は聞いたことがないけれど。

ほかに、いろいろな人から「これはガンにいい」といってさまざまな飲み物や薬が送られてきて、ひととおり試しているのだが、そのうちのどれかが効いているのかもしれない。
あまりにいろいろあるので、どれが効いているのかさっぱりわからないけど。

いずれにしても、花粉症もなく、ガン末期というわりには体力もあって、痛みのコントロールさえうまくできればさまざまなことが支障なくできていることはありがたい。
花粉症がないことが例年よりも快適なくらいだ。

私に会いに来てくれた友人たちはほぼ例外なく、
「思ったより元気で安心した」
という。
放射線治療中も体力を維持するための努力をつづけていたしね。
とにかく体重を落とさないことに留意して、カロリーの高いものとたんぱく質をがんばってとっていた。
脂濃いものが体質的に平気なのも幸いだった。

「グレタさんに怒られる」といいながら、ステーキや揚げ物などの脂濃いものや、アイスクリームなどの乳製品や菓子類をせっせと食べていた。
なにが身体にいいとか、健康的だとかより、まずは体重を落とさないこと。
おかげで昨日は東京から北陸の実家まで、500キロ近くをひとりで、ほぼトイレ休憩をのぞいてノンストップで、とくにいつも以上の疲れもなく運転できた。

体力があって、痛みがコントロールできれば、自分のやりたいことができる。
その結果がどう出るかはわからないが、いまこの瞬間が気分よく、充実して生きていられるという事実が、私にはなにより大切なことなのだ。


From the end of January to February, I felt a little itchy, and there were a few moments when I thought, "Huh?" and I took an anti-allergic drug (Allegra) that I had prepared beforehand. But to this day, I have hardly had any serious symptoms.

When Carmen Maki came to visit the other day, she was also suffering from hay fever for many years, so we talked about her symptoms this year, but she said she was suffering from severe symptoms soon.
I didn't have many opportunities to go out this year, so I didn't have many opportunities to exchange information with people about hay fever, and I didn't have many opportunities to be exposed to pollen in the first place, so I thought it was difficult for the symptoms to appear, but the pollen itself seems to be flying in large quantities.
For some reason, I don't have any symptoms.
I can only think that hay fever is gone.

For me, it's been almost 30 years.
We have tried various symptomatic treatments and preventive measures, but all have failed.
Even so, for the past 10 years or so, Allegra, an antiallergic drug, seems to be relatively in my constitution (not get sleepy), and I have been able to control the symptoms to a slight degree by taking it during the initial symptoms, and it has been very helpful.
Instead, he couldn't let go of Allegra.
In the worst case, I had to take more than two pills a day to control it, and in the worst case, I still couldn't control it.

However, it has hardly been released this year.
Maybe it's because of the medical drugs he takes to cope with the pain of terminal cancer.
I've never heard of such a story.

Other people have sent me various drinks and medicines saying "This is good for cancer." and I've tried them all, but one of them may be working.
There are so many that I have no idea which one is working.

In any case, she doesn't have hay fever, and despite being in the final stages of cancer, she has a lot of physical strength, so if she can control her pain well, I'm glad she can do many things without any problems.
The absence of hay fever is more comfortable than usual.

My friends who came to see me almost without exception,
"I am relieved that he is healthier than I thought."
he said.
I will continue my efforts to maintain my physical strength during radiation therapy.
I tried to eat high-calorie foods and protein, keeping in mind that I wouldn't lose weight.
It was also fortunate that fatty foods were not bad for him.

He said, "Greta gets mad at me." but he was busy eating fatty foods such as steaks and fried foods, and dairy products and sweets such as ice cream.
First of all, don't lose weight, rather than trying to figure out what's good for you or what's healthy.
Thanks to this, I was able to drive by myself from Tokyo to my parents' house in Hokuriku, which was about 500 kilometers away, almost nonstop, except for a rest room, and I didn't feel any more tired than usual.

If you have strength and can control the pain, you can do what you want.
I don't know how it will turn out, but the fact that this is the moment when I can feel good and live a fulfilling life is more important to me than anything else.

2020年3月13日金曜日

ラストメッセージ(4)ガンと闘うな、痛みと仲良くなれ

(English at the bottom)

〔末期ガンをサーフする3〕

ステージⅣの食道ガンが見つかって10か月がたとうとしている。
先日は市役所に出すための介護保険の申請書を書いたが、病名を「末期ガン」と記入した。
「末期」である。
このあとはない、ということだ。

担当医とも当初から「根治をめざさない」という方針で同意し、そういう方向で治療をすすめてきた。
治療といっても、ガン根治が目的ではなく、日常生活ができるかぎり快適にすごせるようにするための治療である。

私のニーズは「生きのびる」ことではなく、「ガンを根治する」ことでもなく、「できるだけ生活のクオリティを落とすことなく毎日を快適にすごし、日々の時間をじっくりと味わいながら、やりたいことを心おきなくやりつくすこと」である。
「死ぬときまでできるだけ生き生きと生きること」である。
そのことは複数いる担当医も合意してくれている。

合意に至る前の、セカンドオピニオンをもらった医師のなかには、従来のような暴力的で強圧的な「あんた、のんきなこといってると死ぬよ。なんとしてでも生きぬく、その意欲を示してもらわないと、医者もそれに応えられないんだよ」と迫った者もいる。
その医師の熱意はありがたかったし、ある意味では職業倫理の深いすばらしい医師なのかもしれなかったが、いまの私には同意できない。

私はガンと闘わないことを選択した。
ガンと闘うことを選択するというのは、まずは抗ガン剤、そして放射線治療、摘出手術、さらに重ねて抗ガン剤という標準治療といわれる手順=ベルトコンベアに乗ることだ。
私はそれを選ばなかった。
近代的な専門病院や専門医は、そんな患者の意志を最大限尊重してくれることもわかった。

根治を目的としなくなったとき、治療が目的の消化器外科や化学療法科や放射線科といった病院の治療部門は、やることがなくなる。
ガンがどの程度進行しているのか、お願いすれば検査くらいはしてくれるかもしれないが、そもそも治療をしないので一見かなり冷たい対応となる。
しかし、こちらにはまだ気がかりがあって、快適に日常生活をいとなむには、たとえば痛みの問題があったり、食事や排泄に支障があればそれに対処したかったりする。

私の場合、食道にガンがあって、それがしだいに肥大して食道をふさいでいった。
食べたり飲んだりしたものが食道を通りぬけにくくなってきたのだ。
そのため、抗ガン剤による治療はおこなわず、また摘出手術もしなかったが、放射線照射治療はおこなった。
医師が食道閉塞には効果的だろうという判断をしたからで、私もそれに同意した。

食道のガン部位への放射線照射治療は全部で30回おこなった。
その結果、ガン部位はかなり縮小して、飲食にはほとんど支障がないほどまでに回復した。
これはありがたかった。
なにもしなければ食道はやがて完全にふさがり、水も通らなくなっただろう。
胃瘻をおこなうか、ステントを入れて強制的に通り道を確保するしかない。
あとは栄養失調で死にいたる。

食道への放射線治療はうまくいったが、今度は腰と下腹部への痛みが出てきた。
腹部大動脈の脇にあるリンパ節に転移があって、そちらが増大化・肥大化しているらしいが、痛みはそれが原因かどうかよくわからないという。
たしかに、腰とか下腹部はリンパ節から離れているような気がする。
医者も首をひねっている。
が、効果があるかもしれないということで、腹部への放射線照射治療を10回だけおこなうことになった。

現在、その治療が終わって10日ほどたつのだが、目立って効果が出たようには感じない。
つまり、痛みは相変わらずあるし、むしろ強まっているような気もする。
(ゆっくりとでもいいので効果が現れてくれるとうれしいのだが)

やれることは全部やったので(放射線治療はおなじ箇所には二度とできない)、あとは対症療法で毎日が快適にすごせるように工夫するのみ。

もっかのところ、最大の問題は痛みだ。
痛みがあると集中力もなくなるし、そもそもやる気がいちじるしくそがれる。
なにもやる気になれない。
ご飯もおいしくないし、ただじっとしているだけでもしんどい。

幸い、近年の医療は緩和ケアが進んでいて、さまざまなペイン・コントロールの方法や薬が出ている。
私は医療用麻薬のオキシコンチンを処方してもらって、最初は5ミリグラムを日に2回飲んでいたが、昨日から10ミリに増量した。

麻薬というとなんとなく聞こえが悪いのだが、痛みは緩和されるし、思ったほど副作用は強くない。
それほど眠くもならない。
集中力はそがれないし、感覚も鈍くならない。
鈍くなるのは痛みだけで、その他の感覚はいつもどおりというか、むしろ鋭敏になるくらいに思える。

完全な健康体とおなじ快適さとまではいえないが、ある程度快適な状態で私はやりたいことができる。

さて、ペイン・コントロールがある程度できて、ほかにはとくにやるべきことがないという状況のいま、私はなにをやりたいのか。
なにができるのか、そしてそれは本当にやりたいことなのかどうか、残り時間がどのくらいなのかわからないが、あまり多くはないかもしれない時間を使ってやるだけの価値が自分にとってあることなのかどうか。
私の生命が欲している本当のニーズはなんなのか。

これから私はそのことについて、自分の存在そのもの——とくに身体——とじっくり対話を重ねてみようと思っている。
いったい私自身はどんなことを望んでいるというのか、身体はどんなふうに答えてくれるのだろうか。

それを実行した結果、私にはどんなことが起こるのだろうか。
ガンは変化するのだろうか。


It has been 10 months since stage IV esophageal cancer was found.
Recently I wrote an application for nursing care insurance to submit to the city office. The name of the disease was as "terminal cancer".
“Terminal stage".
There is no more.

From the beginning, the doctor in charge agreed to the policy of "have no cure" and recommended treatment in that direction.
The goal of treatment is not to cure cancer, but to make the quality of  life as comfortable as possible.

My need is "To spend every day comfortably without deteriorating the quality of life as much as possible, and to do what you want to do without minding, while enjoying the time of each day.” Is not "survive" or "eradicate cancer".
“The act of living as vividly as possible until one's death".
Several doctors agreed.

One of the doctors who received a second opinion before reaching an agreement urged them to "You're going to die if you take it easy. You can survive by any means, and if you don't show your willingness, the doctor won't be able to respond." as violent and coercive as before.
The doctor's enthusiasm was appreciated, and in a way, he might be a great doctor with a deep professional ethics, but I cannot agree with him now.

I chose NOT to fight against cancer.
The choice to fight cancer is to go on a conveyor belt, a standard treatment regimen known as anticancer drugs, followed by radiation therapy, surgery to remove the cancer, and then finally anticancer drugs.
I didn't choose that.
It was also found that modern specialized hospitals and medical specialists respect the will of such patients as much as possible.

When curative intent ceases to exist, hospital treatment departments such as gastroenterology, chemotherapy, and radiology will have nothing to do.
They may be able to test how advanced the cancer is, if you ask them, but since they don't treat it in the first place, it's pretty cold.
However, I am still concerned, and in order to enjoy my daily life comfortably, I want to deal with problems such as pain, or problems with eating and excrement.


In my case, I had cancer of the esophagus which gradually enlarged and blocked it.
It became harder for food and drink to pass through the esophagus.
Therefore, the patient was not treated with anticancer drugs and did not undergo surgery, but was treated with irradiation.
The doctor decided it would be effective for esophageal obstruction, and I agreed.

A total of 30 radiation treatments were performed at the cancer site in the esophagus.
As a result, the area of the cancer has shrunk to the point where it hardly interferes with eating and drinking.
If nothing had been done, the esophagus would soon have become completely blocked and no longer able to pass water.
Gastrostomy or stenting to force access is the only option.
The rest die from malnutrition.

Radiation therapy to the esophagus was successful, but she now has pain in her lower back and lower abdomen.
The lymph nodes on the side of the abdominal aorta appear to be enlarged and enlarged, but it is not clear whether this is the cause of the pain.
Indeed, the lower back and lower abdomen seem to be separated from the lymph nodes.
The doctor is also twisting his neck.
But the potential benefit led to 10 doses of radiation to the abdomen.

Now, about 10 days have passed since the treatment was completed, but I don't feel it has been noticeably effective.
In other words, the pain is still there, and it seems to be getting stronger.
(I would be happy if the effect appeared slowly.)

I did everything I could (Radiation therapy can never be done in the same place again.), so all I have to do now is to use symptomatic treatment to make my life comfortable.

The biggest problem is pain.
When I'm in pain, I lose my concentration and motivation.
I don't feel like doing anything.
The food is not delicious, and just sitting still is tiring.

Fortunately, palliative care has advanced in recent years, and a variety of pain control methods and drugs are available.
I was prescribed oxycontin, a medical drug, and at first I took 5 milligrams twice a day, but from yesterday I increased it to 10 milligrams.

Drugs don't sound good, but they relieve pain and have fewer side effects than you might think.
I'm not that sleepy.
I can't lose my concentration, nor can I lose my sense.
It is only the pain that dulls it, and the rest of the sensation seems to be the same or more acute.

If it's quite as comfortable as a perfectly healthy body, what do I want to do in some comfort.

Now that I have some pain control and nothing else to do, what do I want to do?
I don't know what I can do, and I don't know if it's really what I want to do, or how much time I have left, but I don't know if it's worth it for me to spend time that may not be too much.
What is the real need of my life?

From now on, I'm going to talk about it with my very being, especially my body.
How will my body respond to what I want?

What will happen to me as a result of that?
How does cancer change?

2020年3月8日日曜日

ラストメッセージ(3)命の祭は解脱(げだつ)の対極にある

(English at the bottom)

〔末期ガンをサーフする3〕

多くの人がいまの時代や社会情勢に不安や生きづらさを覚えている。
それを解消するためのさまざまな講座やワークショップ、合宿が多く開催されていて、どれも人気だ。
そういうイベントにやってくる人はなにをもとめているのだろうか。

私の経験では、多くの人が「心の平安」「動じない強さ」「怒りや不安のコントロール」といったことを求めているような気がする。

私が末期ガンを告げられ、余命をかぎられたなかで平然とすごしている(ように見える)のを見て、多くの人が、
「どうしたらそんなふうに落ち着いていられるんですか」
と訊いてくる。

いやいや、そんなことはありません。
それはそういうふうに見えるだけです。
たしかに表面的には取り乱しているようには見えないし、死を前にして決然とした覚悟で落ち着いているように見えるかもしれない。
が、私の内側では「お祭り」が開催されている。

人にはさまざまなニーズがあり、生きているとそれは刻一刻と変化し、現れては消え、また消えては現れる。
ニーズは自分の努力や人のたすけによって満たされることもあれば、どうにも満たされないこともある。
しかし、さまざまなニーズが現れたり消えたり、存在を主張したり、そのあげくに「おれはここにいるぞ」とばかりに大声を出したり踊ったりしてみせているのが、生命の自然な現象であろうと思う。

それがあまりに騒々しい、わずわらしい、苦しいと感じて、静まりたい、落ち着きたい、解脱したいと、人はしばしば願いすぎることがある。
その願いが強すぎると、平安や解脱を求めてある種の宗教に走ったり、スピリチュアルな癒やしを求める儀式にはまったりする。

それはそれで自然な願いであろう。
私も自分のかぎられた命の時間を思うとき、できるだけ平安に、平穏に、静かにすごしたいと願うこともあるし、その気持ちはよくわかる。
一方で非暴力コミュニケーションで自分自身に共感してみて、さまざまなニーズがやかましく自己主張をくりかえしているのを見ると、まあそれもいとおしく、自然なことなのだろうとも思う。

私の命は日々刻々とニーズカーニバルをやっている。
それは解脱とは対極にある騒々しくにぎやかな世界で、ときに疲れてしまうこともあるが、それが私の命の現象なのだからしかたがない。
ならば私もその山車に乗って踊ってみよう。

私のニーズたちは満たされれば「お祝いしようぜ!」といって盛大に騒ぎたてるし、満たされなければ「嘆きたい!」といって盛大に残念がる。
いずれにしても祭だ。
それが私の命の現象であり、生きているということだ。

ニーズが満たされるか満たされないかは、究極のところどちらでもいい。
解脱とかくそくらえ(汚いことばで失礼!)。
私は死ぬまで祭と付き合い、それを楽しむのだ。


Many people feel insecure and difficult to live in the present age and social situation.
Various courses, workshops and training camps are held to solve this problem, and all of them are popular.
What do people who come to such events want?

In my experience, a lot of people want "peace of mind" "unshaken strength" and "Controlling anger and anxiety".

When I was told that I had terminal cancer and I was living with my life expectancy cut, many people saw that (look like)
"How can you be so calm?"
he asked.

No, not at all.
It just looks that way.
On the surface, he doesn't seem distraught, and he may seem composed in the face of death.
But inside of me, "festival" is being held.

People have various needs, and when they are alive, they change from moment to moment, and appear, disappear, and appear.
Needs may or may not be satisfied by your efforts and help.
However, I think it is a natural phenomenon of life that various needs appear and disappear, claim their existence, and then shout and dance as if to say, "I'm here.".

People often wish it too loud, too quiet, too painful, too quiet, too calm, too liberated.
If their wishes are too strong, they may choose to go to a certain religion in search of peace and liberation, or they may settle for a ritual of spiritual healing.

That would be a natural wish.
When I think of my limited time for life, I sometimes wish to live as peacefully, peacefully and quietly as possible, and I understand that feeling.
On the other hand, if you empathize with yourself through nonviolent communication and see the various needs clamoring and repeating themselves, I think it's kind of lovely and natural.

My life is doing Needs Carnival day by day.
It is a noisy, bustling world opposite to gedatsu, and I sometimes get tired of it, but I have no choice because it is a phenomenon of my life.
Then I'll try dancing on the float.

If my needs are met, I make a big fuss, saying, "Let's celebrate!" If not, I make a big fuss, saying, "I want to cry!".
Anyway, it's a festival.
That is the phenomenon of my life and that I am alive.

Ultimately, it doesn't matter whether your needs are met or not.
Gedatsu and shite (Excuse me for my dirty words!).
I'm going to spend the rest of my life with the festival and enjoy it.

2020年3月3日火曜日

ラストメッセージ(2)現代社会を生きる私に必要なもの

〔末期ガンをサーフする3〕

人が生きていくために必要なものやコトはたくさんあるけれど、ここでは末期ガン患者である私が個人的に切実に必要で大切であると判別したことを書いておきたい。
自分の生の限界が数か月後だと明らかになったとき、人はなにを大切に思うだろうか、という話だ。

いうまでもないけれど、モノなどどうでもいい。
モノや財産など、いくら持っていても、最後の日々はちっとも豊かにならないし、ましてや墓場に持っていけるものでもない。
と、かっこよくいいきりたいものだが、そうもいかない。
いま書いたのはタテマエである。

実際には最低限のモノがないと、寒いし、ひもじいし、不便だし、不安だし、おそろしい。
末期ガン患者である私のもっかの必要は、ガンの痛みを抑えることで、それは切実なものである。

「痛みは身体の声で、なにか必要があって生まれているものです。痛みによりそい、敵視せず、その声をよく聞きましょう」
などという美しい言質を聞くことがあるが、耐えきれない痛みにさいなまれる当事者にとってはきれいごとにすぎない。

経験すると、痛みは生の質そのものをいちじるしく浸食することを思い知る。
いまいっているのは、一時的な痛みではない。
たとえ激痛であろうと、一時的な痛みならそれは耐えられる(こともある)。
激痛でなくても、じわじわと継続するいつ終わるとも知れぬ痛みは、生きていることにいやけをささせる。
痛みを消すか、自分を消すか、どちらかを選びたくなる。

まだ生きていたければ、痛みをなんとかしようということになる。
さいわい、医療は進歩していて、さまざまなペインコントロールの方法が提供されている。
私の場合、いくつかの薬を使っている。
なかには麻薬もある。
もちろん医療用ではあるが。

薬を処方してもらい、それを購入するには、お金がいる。
健康保険が使えるといっても、3割は負担しなければならない。
そもそも健康保険料だってけっして安くはない。
高額医療の還付を受けようとしたとき、健康保険料の未納があるとできないといわれた。
数万円の還付を受けるために、数十万円の未納金を完済しなければならないという現実があった。

お金は最低限のモノのひとつといわざるをえない。
ゆっくり休むための家や寝具や空調や、食べ物や水道や電気やガスや電話線なども必要で、それらにはいちいちお金がかかる。
ところが、切実にこういうものが必要な者にかぎって病気であったり、高齢であったりと、生産手段を持たずに収入が途絶している。

というようなことをいいたくてこれを書きはじめたのではなかった。
モノは最小限必要だけれど、その上でさらに大事なこともいくつかあって、それがないと心安らかに最後のときを迎えることは難しいだろう、という話をしようと思っていたのだった。

ひとり静かにすごせる場所。
学びと成長の時間。
安心と信頼を持てるつながりのある仲間。
自分が自分自身であること。
あるレベルの質がある生活。
表現すること。

こういったことを実現するために私に役立っていることは……
共感的コミュニケーション(NVC)。
マインドフルネス。
ピアノを弾くこと。
ものを書くこと。
インターネット。
武術。

2020年3月2日月曜日

ラストメッセージ(1)古井由吉を知っていますか?

〔末期ガンをサーフする3〕

筒井康隆先生の「偽文士日記」で知ったのだが、息子さんの筒井伸輔さんがこの二月に食道ガンで亡くなったそうだ。
大変気の毒なことだ。
筒井先生には私は小説家デビューのときに思いがけず恩を受けたことがあって、その後商業エンタテインメント小説の世界で大成できなかったことを申し訳なく感じている唯一の方だ。
もっとも、先生のほうでは私のことは覚えておられないだろうと思うが。

息子の伸輔さんのことは、エッセイなどで子どもの時分のエピソードが時々書かれていて、名前を存じあげていた。
去年の四月に食道ガンが見つかり、すでにステージⅣということで摘出手術もおこなわず、抗ガン剤や放射線治療を受けておられたそうだ。
私のステージⅣの食道ガンも五月に見つかっているので、ほぼおなじような状況だろうと思う。

ただ、私は三月になるいまも元気に活動しており、放射線治療は受けているが、抗ガン剤による治療はパスしている。
食事もふつうにとれている。
もちろん私も伸輔さんのように容態急変することもあるかもしれないが、まだほぼふつうに生活を送れていることはラッキーだと思う。

純文学作家の古井由吉さんの訃報もあった。
こちらは八十二歳、肝細胞ガンだった。
白状すれば、なぜか私は古井由吉の小説をほとんど読んでこなかった。
日本の文学小説を系統的に読んでいたのは中学生くらいのときで、そのころはリアルタイムで作品を発表していた現役の作家の小説が遠かった。
その後、日本の作家の作品をリアルタイムで追いかけはじめたのは、SF作家ばかりで、純文学といえば安部公房くらいだった。
安部公房も初期作品はSFの扱いをされていたように思う。

亡くなったと聞いたとき、その作品をほとんど知らないことにちょっと残念な気持ちがあったのだが、高橋源一郎がツイッターでつぶやいているのを読んで、ちょっと腑に落ちるものがあった。
高橋源一郎はたしか、
「亡くなったと聞いて残念だけれど、悲しくはない。なぜならいつでも読めるし、本のなかで古井さんに会えるからだ」
というようなことをつぶやいていた。

なるほど、そうだよな。
とくに作家という人種はそのような面がたしかにある。
ほんとうは作家でなくても、だれもがなにかを書きのこしたり、ビデオ映像が残っていたり、演奏や絵や造形や、手作り品が残っているとき、亡くなったあとでもそれを見ればいつでもその人に会えるような気がするものだ。
ただ、ふつうの人は意図してそういうものを自分の「分身/遺影」として残したりしない。
すればいいと思うけどね。

というようなことをつらつらかんがえていたら、私自身も「分身/遺影」としての作品を意図的に残していないことに気づいた。
もちろんたくさんの本をこれまで出してきたし、音楽やオーディオブックやライブ映像もネットでたくさん見ることができる。
私が亡くなったとき、結果的にそれらは私の「分身/遺影」として見られることもあるかもしれないが、私の意志でそのように出したものではない。

現在、私の意志のもと、いままさに生きている自分のメッセージとして伝えておくとしたら、どんなことばや音や映像になるだろうか。
これを書いておけば、だれかがまた私に会いたいと思ったとき、ここに来てこのメッセージを読めばふたたび会うことができる、そんなメッセージとはどんなものなのだろうか。
がぜん興味がわいてきた。

「ラストメッセージ」と題して、これからしばらく、さまざまなテーマについて私なりのことばで書きのこしてみたい。
文章だけでなく音や映像も用いるかもしれないし、あとどのくらい闊達でいられるかわからないけれど。

2020年2月27日木曜日

大きなニーズ「ひとくぎり(あるいはけじめ)」が満たされた3日間

NVCのニーズリストには見かけないかもしれないが、私にとっては大事なニーズのひとつに「ひとくぎりのニーズ」というものがある。
「けじめのニーズ」といいかえてもいい。

なにごとかをやりかけていて、それが中途半端ではなくきちんと最後までやり終え、けじめがつくこと。

まだけじめがつかなくて中途半端になっているなにかがあると、気になる。
心のどこかに引っかかって、気持ちわるい。
そういう経験はないだろうか。
とくに私の場合、末期ガンが見つかり、自分の命が終わりに近づくのを体感するにつれ、このニーズは大きな存在を持ってきた。

そこで昨年2019年はさまざまなことを計画し、みなさんに協力してもらって実現にこぎつけたり、自分でもがんばって終わらせたりして、多くのことに「ひとくぎり」をつけた。
とても満たされた気持ちでいまを迎えているが、まだいくつかひとくぎりがついていないものもある。

そのひとつが、音読療法の活動だった。
音読療法は私と仲間たちが2011年に体系化し、啓蒙普及と社会貢献活動をおこなってきたものだ。
現在、その活動の中心は音読療法士と音読トレーナーがになっている。
私はその育成に力をいれてきたが、なかなか思うように仲間が増えてくれないのが悩みだった。

それでも各地でこつこつと活動をつづけたり、あたらしい音読の場をひらくことに挑戦するトレーナーもすこしずつ増えてきていた。
音読療法士も増えた(といってもまだふたりだが)。

音読トレーナーを養成するための講座は2泊3日の合宿でおこなわれる。
かなりハードな内容とスケジュールなので、体調に不安がある私は昨年末の講座をもって自分が関われる最後だろうと思っていた。
ところが、思いがけず東海地方から参加したいという希望があり、この2月にも開催することになった。
私は講座を受け持つ自信がまったくなかったが、音読療法士の野々宮卯妙にメイン講師をやってもらえるということで、開催が実現した。

おこなってみると、音読療法士による育成講座ができること、参加者それぞれが意欲をもって自分の仕事や生活の場で音読療法を活用してくれるであろうこと、また音読トレーナーがさらに上の資格である音読療法士をめざそうとしてくれていること、などがわかり、私はかなり勇気づけられ、そして安心したのだった。

今後、たとえ私がいなくなったとしても、音読療法の活動が継続し、メンバーが育っていくことが想像できたことが、私の「ひとくぎり」のニーズを満たしてくれたといえる。
この「ひとくぎり」には、より正確にいえば、ただ区切りがついたということだけでなく、「私の手を離れて自律的に存在しつづけてくれる」ということも含まれている。
私がこの世からいなくなったとしても、仲間が活動をつづけ、音読療法が人々の生活の役に立ちつづけていくかぎり、私の存在の痕跡がそこにあると(いまは)思える。

2020年2月26日水曜日

満たされようが満たされまいがニーズを知ることが生きる質を変える

共感手帳術の目的のひとつが「マインドフルネス」だが、それを実現するためのかんがえかたのひとつに、
「過去の失敗や後悔、あるいはまだ起きていない未来への希望や不安から、いまの自分のニーズを理解する」
というものがある。

いまこの瞬間に集中しようとしても、過去の体験や記憶が邪魔したり、まだ起こってもいないことの妄想がノイズとなって去ってくれないことがある。
「雑念」などと呼ばれることもある。
これらは自分がきちんと向かい合えていない「満たされていないニーズや感情」のしわざだ。
ノイズとなっている記憶や妄想を書きだし、それらの奥にある自分のニーズを明確にできたとき、ノイズはニーズという生命活動の源泉に変化する。

過去や未来はあいかわらず現在を浸食しようとやってくるけれど、いったんニーズを明確化できたノイズはすばやく処理することができる。
無数のノイズをそうやってつぎつぎと処理してしまうこと、書きだしてしまうこと、そして自分の活動の源泉をたくわえ、日々活力をもって行動すること、これが共感手帳術の醍醐味だ。

マインドフルネスというと、私もそうだったが、「いまここ」に集中することによって「刹那的」になり、過去の反省も未来の計画もなにも放りだしてしまわなければならないと思ってしまうことがあるが、実際にはちがう。
ヒトは他の動物とちがって、過去の自分のおこないや、未来にたいする希望や計画から、現在の自分を省みることができる唯一の生き物といってもいいだろう。

現在の「生」のクオリティは、この「省みる」ことの質に左右される。
まさに「省みる」ことの質が個々に問われるのだ。

オンラインチームツールSlackを使ってNVCの練習を習慣化するためのツール共感手帳術を使う仲間たちの交流の場のためのオンラインミーティングです。どなたも自由にご参加ください。3月4日(水)20時から約1時間。

2020年2月21日金曜日

体調不良だけどマインドフルネスとNVCについて伝えたいことがある

夜は起きていられなくて10時になると薬を飲んでベッドにはいってしまう。
しばらくぐずぐずしているが、遅くても11時には眠りにつく。
薬がきれて2時か3時に痛みで目がさめる。
薬を飲んでもう1度眠りにつく。
しばらくぐずぐずするが、たいていはなんとか眠れる。

案外熟睡はできているのかもしれないと思う。
が、朝方5時すぎか6時ごろには、ふたたび痛みで目がさめて、薬を飲んだら、もう眠れない。
起きてしまうしかないが、薬が効いてくるまで痛みですぐには動けない。
ベッドに腰かけたまましばらくじっとしているか、がんばって着替えて椅子にすわってしばらんぼんやりしているか、着替えたにもかかわらずまたベッドに横になってすこしうとうとするか。

1時間くらいすると薬が効いてきて、なんとか動けるようになる。
といっても、痛みが完全に消えることはなくて、腹部には疼痛が常駐している。
薬がきれたときはこの疼痛は脂汗が出るほどに強いが、薬が効いていればなんとか活動できるくらいにはなる。

歩くのに支障があるので、昨日はステッキを登山用品店で買ってきた。
これがあるとだいぶ楽だ。
5年くらい前までは膝の故障で杖を常用していたので、使い方は慣れている。
杖がないと100メートル歩くのにもつらい。
病院に行くのに、駅前のバス停から乗るのだが、そこまでの300メートルがつらい。
杖を買ってすこし楽になった。

薬を使ってでも、放射線治療を追加してでも、この痛みをなんとか抑えようとするのは、自分自身にたいする暴力かもしれないとは思うけれど、やりたいことがあるのでしかたがない。
痛みにはちょっと脇にどいていてもらって、集中力をもってやりたいこと、書きたいこと、作りたいものがある。
この時間がもうすこし必要だし、痛みももうすこしコントロールできるといいんだけど(なかなか医者の処方がうまくいかない)。

今夜は共感手帳術の仲間たちとのオンラインミーティングだ。
私の状態を心配してくれる人もいるけれど、1時間と限定された枠だし、オンラインなので、なんとかやれるだろう。
そして、今日あつかいたいテーマがある。

「いまここ」にいるために、ヒトが動物とは違う特徴でもある「過去からいまを省みること」と「未来からいまを省みること」ができることによって「いま」の質を高める方法について、NVCの手法を取り入れながら、みなさんと一緒に考えてみたい。
これは私自身にとっても大切なテーマなのだ。
命のパワーをめいっぱい使うために。

(ここ数日、放射線治療の影響と痛みでものを書く集中力がまったくなかったのに、今日はこれをここまで書けたのは、大きなお祝い)

2020年2月17日月曜日

自分の痛みは人にはわからないし人の痛みも私にはわからない

食道ガンの転移による腰痛と腹痛がひどくなって、だんだんできることが限られてきた。
まず運動ができない。
これは困る。

かるい運動もやりにくい。
たとえばウォーキング。
みじかい距離でも、歩くのが大変だ。
痛み止めがあるていど効いていると、しばらくは歩きはじめられるのだが、やがて腰痛と腹痛におそわれ、立ちどまらざるをえなくなる。
身体をまげて、痛みをしばらくやりすごす。

身体をのばした状態でいることができないのだ。
なので簡単なストレッチのようなものや、武術の稽古もできない。
私がやっている韓氏意拳という武術は、稽古の中心が「站椿(たんとう)」というほとんど動かない型稽古なのだが、それでも身体を起こしていられないとできない。

身体を曲げた体勢なら活動にはあまり支障ない。
座った状態なら、執筆作業もピアノ演奏も運転も、これまでと変わりなくできる。
ただ、痛みが強くなると集中力ははっきりと減退する。

ようするに痛みさえなければいろいろなことがうまくいくのだ。
ところが、なぜか痛みはがまんすべき、多少の痛みは無視できるだろう、薬はなるべく飲まないほうがいい、という価値観に心底支配されていることに気づく。
医者で薬を処方されても、痛みががまんできなくなるまで飲むことをためらう。
薬は悪だ、痛みががまんできないのは自分が弱いからだ、という心理が無意識に強く働いているらしい(なんらかの教育のたまものだろう)。

人からすすめられた民間療法もいくつかためしてみたけれど、痛みをともなうもの、あるいは痛みがあるとできないものは、できないし、無理にやるとダメージが大きい。

「痛みは身体の声」という意見があって、それはそれである程度の健康状態では正しいし、きちんとそれを見なければ、付き合わなければという思いも強くあるのだが、進行性の悪性腫瘍に侵されている身としてはべつの対応も必要になると割り切ることが、いまの自分を大切にすることになる。
私のこの痛みは、人からどのようにいわれたところで、その人にはけっしてわからないものなのだ。

ついでにいえば、肉体的・物理的な痛みのほかに、心理的痛みにもあてはめられることが多い。
こころの痛みは無視したり無理することなく、それときちんと向きあう必要があるが、その対処法は一筋縄ではいかない。
きちんと見れば原因=ニーズがクリアになる痛みは対処できるし、また対処をだれかに手伝ってもらうこともできる。
しかし、深い痛み、原因がよくわからない強い痛み(トラウマなど)は、うかつに手を出すとダメージが大きくなることがある。

悪性腫瘍のようにうかつに治療しようとすると、かえって全体のバランスをくずしたり、いちじるしくそこなってしまう。
治癒がむずかしい病巣は、乱暴にそれ本体を取りのぞいたり引っかきまわしたりするのではなく、そこから生まれる痛みそのものに対処することがまずは必要だろう。
そのための方策はさまざまにある。

2020年2月14日金曜日

だれかから大事にされること、そう感じること

ご本人にいうと「恥ずかしいから」と絶対に許可してくれないから、勝手に無断で書くことにする(写真もアップする)。

山形の韓氏意拳教練の高橋透先生から革細工の手作りポシェットをいただいた。
もちろん、
「ありがとうございます!」
なのだが、そんなことばを超えてあふれてくるものがあって、ちょっと胸がいっぱいになってしまった。

「さしあげたいものがある」
といわれて透先生と落ち合ったとき、私には、
「なにかいただいたとして、末期ガンの身としては長く使えないかもしれないから申し訳ないことになるかもしれない」
というもやもやした気持ちがちょっとあった。

革のポシェットをいただいたとき、
「これは使えば使うほどいい感じになってくるんですよ」
と、ご自分が使っておられるブックカバーを見せてくれた。
なるほど、手になじんで革に表情が出てきている。
革製品にはたしかにそういうところがある。

「すぐには死ねませんよ」
といわれて、私はなんともいえない気持ちになったのだ。
透先生は私の命ができれば長くつづくことを願いながらこれを作ってくれたのかもしれない。
私のなかには自分の命をさっぱりとあきらめるようなあっさりした気分が(たぶん自己防衛的に)生まれていたが、ポシェットをいただいて、しかられ、また励まされた気持ちになった。

そんなふうに私のことを思ってくれる人がいる。
この半年、そういう人がたくさんいることを知った。
健康回復をねがって食品や器具や本をくれた人たち、自分ができるケアをしてくれる人たち、思いやりをもって世話をしてくれている身近な人、ただ祈ってくれる人……
なかにはこわくて声もかけられない、私が書いたものを読むこともできない、近づくこともできない人もいるかもしれない。

私のことを大事に思ってくれる人がいて、それはたぶん私がこの世からいなくなったとしても変わらず私を思うに違いない。
私が生きていようが、いなくなろうが、その思いは(すくなくともしばらくは)消えない。
私の存在をこえてだれかの思いがあるということだ。
そうかんがえると、死という一種の境界線が影を薄くしていくような気になる。

いまこの瞬間、私がこのような時間をすごせていることを、本当にありがたく幸せだと感じている。
これを書いている私の横には、昨日透先生からいただいたばかりの革のポシェットがある。

2020年2月12日水曜日

最も個人的なことが、最もクリエイティブ(アカデミー賞ボン・ジュノ監督)

先日、第92回アカデミー賞が発表され、韓国映画の「パラサイト」が作品賞を受賞して大きな話題となっている。

受賞時のボン・ジュノ監督のことばが印象的だった。
会場に来ていたマーティン・スコセッシ監督のことばを引用して、
「最も個人的なことが、最もクリエイティブなことだ」
という「パラサイト」製作のこころがけを語ったのだ。
それを聴いて、私はちょっとおどろくと同時に、うれしくなった。

マーティン・スコセッシは今期のアカデミー賞では「アイリッシュマン」が受賞候補にあがっていた。
これにかぎらず、これまで数多くの賞を取っているし、私も「タクシードライバー」以来のファンだ。
たしかに、スコセッシの映画には「個人的」なところがある。

彼のそのことばは知らなかったが、私も日ごろ似たようなことを、表現の仲間たちに伝えている。
小説塾である「ひよめき塾」でもしょっちゅういっている。

個人的な体験、個人的な身体から出てきたことばしか、普遍性を持つことはできない。

これは小説でも音楽でも朗読でも、すべての表現がそうであると私は思っている。
「パラサイト」は未見なので、近いうちにかならず機会を作って観てみたい。

2020年2月8日土曜日

人にとっての幸せとはなにか

抽象的な問いであり、答えも人それぞれであり、また抽象的な答えになりがちだが、私なりに明確にしておきたい。

「幸せでない」と感じるのは、生命の危機、さまざまな社会的不安にさいなまれているときだろう。
人はまず、自分やまわりの人々が安全であり、また安心して生きていられることを望む。

自分や人々が過不足なく生きていく安全があり、安心できる環境にいるとき、人は幸せを感じるのかもしれない。
現代社会において、だれかから攻撃される心配もなく、経済的余裕もあり、健康で、やりがいのある仕事を持ち、だれに遠慮することなく自分の楽しみを追求する時間を持てる、そんな人は幸せなのかもしれない。

しかし、たとえば私のように死期の迫る末期ガンを抱え、日々痛みと対処する必要に迫られるような健康に問題がある人間は、幸せではないのだろうか。
思ったような仕事につけず、経済的にも苦しい生活を送っている人は、幸せではないのだろうか。
友だちも少なく、孤独な毎日をすごしているような人は、幸せではないのだろうか。

そういう人のなかにも、幸せな人はいるのではないか。
げんに私がそうであるように。

人には自分がこうありたいという望み(ロンギング)や、大切にしていること(ニーズ)がある。
それが満たされると安心できる。

たとえば、職場で自分の能力を発揮し、会社の経営に貢献することで、自分も安定した生活を送れたり、同僚と信頼しあえる関係を築くことで豊かなつながりのある人生を送れていると、幸せを感じるかもしれない。
しかし、それが満たされていないと不幸なのだろうか。

私はニーズが満たされている/満たされていないは、人の幸せとは関係がないとかんがえている(感じている)。
幸福感と関係があるのは、満たされていようがいまいが、そのニーズを自分が明確に把握しているかどうかだ。

上の例でいえば、まだ自分の能力が発揮できず、充分に貢献できていないとしても、自分には「能力を発揮して貢献したい」というニーズがある、それが明確になっていて、自分がいきいきと闊達な状態であるかどうかが重要だ。
ニーズが満たされていなくても、そのニーズを満たすために自分がどれだけいきいきと行動したり計画を立てたりできるかどうか。
ニーズを満たすためにどれだけ狙いすましたハンターのようになれるかどうか。
その状態こそが、人の幸せを左右するのではないだろうか。

私は末期ガンを抱え、日々痛みと闘っていて、そのこと自体は厳しいが、満たしたいニーズがあり、それを満たすために取れるあらゆる手段について虎視眈々と狙っている。
そのプロセスを日々味わい、楽しんでいる。
これが私にとって幸福な日々といわずしてなにをかいわんや、なのだ。

2020年2月6日木曜日

余命宣告がパワーになるという事実

古い情報だが、消化器外科の専門医や診療放射線科の医師の予告によれば、私の余命はあと2、3か月程度らしい。
去年の7月から8月にかけていくつかの病院で検査を受け、それぞれの医師からそのようにいわれている。
いまもその所見は変わらず、らしい。

もちろん医師たちも「あくまで可能性」と念を押していて、それより早く亡くなってしまう人もいれば、生きのびる人もいる。
つまり、はっきりとはわからない。
が、だれしも、「あと1年生きるのは厳しいですよ」といわれれば、ある種の感慨を持つだろう。

人は観念的動物なので、死というものをリアルな体感覚ではなく、想像や思考のなかにある観念的な概念としてとらえている。
たとえば「みんな死ぬ」ということは、全員がわかっている。
そのことを否定する人はいるかもしれないが、事実としてその人も死ぬ。

観念的概念というのは、石とか建築物とおなじで、固定されて動かない「モノ」のようなものだ。
しかし、死はモノではなく、たえず変化し動きつづける生命現象のひとつである。
鳥や空や風や森や海のように動きつづけ、変化しつづける現象だ。
もちろん、私たち人間もその現象の部分だ。
人という現象のなかに、死という現象も含まれている。

すべての人が、自分も死ぬとわかっているけれど、ではいつ死ぬのかということについては漠然としか「体感」していない。
いや、ほぼ「体感していない」といってもいいかもしれない。
私自身がそうだったから。

自分もいつかは死ぬ、でもいまじゃない。
明日死ぬかもしれない、でもいまじゃない。
来年は死んでるかもしれない、でも今日じゃない。
そうやってずるずると毎日を生きている。

医師から「来年のいまごろまでというのは厳しいかもしれません」といわれたとき、私のなかではじめて「死」というものが概念ではなく、実際に起こりうる現象としてじわじわと体感しはじめた。
もっと具体的にいえば、いまこの瞬間自分が生きているという実感とその現象が、リアルな体感覚して立ちあがってきたのだ。

死という現象を目視し感じたときに、生の現象がリアルにくっきりと立ちあがってくる。
そんな経験を、いまもしつづけている。

生という現象を——自分という現象を生きている私。
いまなにを感じ、なにが動いているのか。
楽しみも苦しみもさまざまに織りなしていくこの時間を、私はどうありたいのか。

いま私は、ガンが見つかる以前の時間より、おそらく数十倍の濃度の時間のなかを生きている。

2020年1月28日火曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(27))

■私のたどりついた場所

まずは呼吸法から。
音読療法にもほぼおなじプロセスのものが流用されているが、ここでは健康法というより自分自身の流動的な身体変化を観察するためにおこなわれている。
現代朗読協会の立ちあげ時からともに学びつづけている野々宮がリードして、参加者たちと呼吸法をやってくれている。
皆が春野亭のリビングのフロアに輪になって立ち、大きく息を吐いたり吸ったりしているのを見ながら、私はわきのテーブルにすわって気がついたことがあれば口をはさんだり、ラップトップに向かってテキストを入力したりしている。

身体の変化を観察するのは、表現するための自分の身体に繊細な感受性を向け、注意深くありつづけるための練習としてだ。
このかんがえかたと方法にたどりつくのに、何年かかかった。
多くの参加者の協力をもらいながらここにたどりついた。

今日も都区内や都外の遠方から、あるいは近隣から、何人かの参加者が国立の私の現在の活動拠点である春野亭まで来てくれている。
みんなが表現のための練習や実践をしているかたわらで、私は自分のペースでこれを書いている。

自分のいる場所があり、受け入れてくれる人たちがいて、やりたいことがある。
なんて幸せなことなんだろうと思う。

私が書くものはブログやコメントや雑文ばかりではない。
小説家なので——20代後半から職業的にやってきた——小説や詩などのまとまったテキストも書く。
長いものもあれば短いものもある。
かつては長いストーリーを書いて商業出版社から出版し、書籍流通ルートに乗せてメシの種にしていたこともある。
いまはそれはしない。
いつのころからか、だれかに朗読してもらうためのテキストを書くことが多くなってきた。
またそれが楽しみにもなった。

私が書いたものをだれかが朗読する。
テキストという静的な記号群が、音声という空間と時間に関わる表現に変化する。
音声は生身の肉体から発せられ、そこには朗読者という生命存在がある。
私は朗読者のかたわらに行き、おなじ空間/時間軸のなかで表現行為にかかわる。
ときに演出で、ときに音楽演奏で。

私たち生きている存在は、モノではなく、たえず変化し移り変わりゆくいわば現象である。
私はいまこの瞬間、自分自身という現象を見、その現象に付きあう。
あなたという現象を見、その現象と交流する。

現象はいずれ消えゆくものであるけれど、いまこの瞬間、たしかにそれはここにあらわれている。
人の生きる目的はいろいろとはいえ——人によってはそれが明確だったり希薄だったりする——生きる過程そのものを味わうこともできる。

そのときが来るまで自分という現象を味わい、表現しつづけたい。
(おわり)


2020年1月27日月曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(26))

痛みとの闘いになってきている。
腰痛のほかの、下腹部痛にも悩まされている。
痛み止め薬を飲む間隔がしだいにみじかくなっている。
日に2回から3回、そしてここ1週間は4回かそれ以上になってきた。

ホスピスの面談に行ったときに、医師にそれが気になることを相談してみた。
医師のこたえは明瞭だった。

「最近は痛みをコントロールするためのさまざまな薬や方法があるので、痛みをがまんする必要はない」
「副作用があるものもあるが、その対処法も確立されている」
「日本人はがまん強い人が多く、薬などで痛みを抑えることに倫理的な罪悪感を持っている人が多い」

たしかに私にもそういうところがある。
痛みをついがまんしてしまう。
薬を飲むことをなるべく引きのばそうとする。
その心理的背景として、薬を頻繁に飲むときかなくなるのではないか、副作用があるのではない、がまんできるならできるだけがまんしたほうがいいのではないか、というものがある。
医師はさらにいう。

「ガン治療をおこなわないという選択をしたのなら、ガンが進行して痛みが増大するしたとき、痛みをがまんして生活や気持ちに支障が出るのはつまらない」
「痛みの原因を知るためにあらたに検査をして病原を見つけたとしても、治療したり手術するのはもはや意味がない」
「それよりできるだけ快適にすごせることを心がけるべき」
「麻薬ということばがいけないと思うのだが、医療麻薬にもさまざまな種類や方法があるので、余命を自分らしくすごすためにうまく使えばいいし、そのための相談にはいくらでも応じる。通常の治療ではなく末期医療のかんがえかたがある」

いろいろ感じることもあり、かんがえたいことも多いが、医師のことばは示唆に富む部分が多かった。
なので、いまは痛みをがまんすることをやめ、時間をあまり気にせずに薬を飲むことにしている。
とはいえ、飲んでも効きにくくなってきていることもたしかだ。

■書くこと、演奏すること、人とかかわること、そして統合

現代朗読協会の立ちあげ(特定非営利活動法人としての許認可)が2006年。
旗揚げ公演をはじめとして、世田谷文学館との共同事業を区内の小中学校での朗読公演としておこなったり、区内外の学校や福祉施設でのワークショップやボランティア活動など、双方向の社会交流活動を意識的に多くおこなってきた。
それは現在もつづいているが、とくに2011年の東日本大震災をきっかけとして社会活動としての朗読・音読ワークをたくさんおこなうようになった。

その年には現代朗読協会の活動の成果のひとつとして『音読群読エチュード』を書籍化したほか、スピンアウト組織として音読療法協会を立ちあげることになった。
これは現在も活発に活動している。
とくに音読トレーナーや音読療法士の育成に力をいれていて、有資格者が各地で社会貢献活動や独自の音読療法の活動を展開している。

私個人としては、現代朗読の演出や公演プロデュースなどに力をいれてきたことはもちろんだが、暗闇での音楽演奏をふくむ「音楽瞑想」「ディープリスニング」などのコンサートや、その延長線上にある「沈黙の朗読」ライブをほぼ途切れることなく継続的におこなってきた。
そのことで私独自のオリジナルな表現の形や方法が作られてきたという実感がある。

多くのオーディエンスを集められるような、大ホールでおこなえるような一般的で商業的な内容ではないが、静かに深く自分自身と共演者と観客のみなさんとつながり、響きあってくることができたと思っている。

書くこと、演奏すること、人とかかわること、個人的な表現、グループ表現、さまざまな活動をしていると、人からはよく、
「水城さんはなにが本業なんですか」
と訊かれることがある。
そう訊かれていつもこたえに詰まってしまうのは、私のなかではそのような問いは存在しないからだ。
問いも答えも存在しない。
なにが本業ということはない。
そもそも「業」という意識もない。

私はただ私を生きている。
その生きかたが大きくぶれたり、迷ったりしたことは何度もあるが、いまはない。
すべてが統合され、ひとつの流れとなっている。

どんなふうに統合されているのか、それを知ってもらいたくて、このテキストを長々と書いてきた。
つぎの項がこのテキストの最後になる。
もうすこしだけお付き合いいただきたい。

2020年1月24日金曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(25))

多摩総合医療センターで看護相談というのを受け、今後どのようにするのがいいのか、いくつかの提案をもらった。

医療センターは治療のための病院なので、治療をしない、という選択をした患者に対してはやれることがなくなる。
と書くと非常に冷たいようだが、病院の機能がそのようになっている西洋医学の医療としては、当然のことなのだろう。
しかし、治療をしない選択をしても、病状は進行するし、苦痛もあるので、それに対処するための機能をそなえた施設がある。

緩和医療とかホスピスと呼ばれている。
とくにホスピスは在宅で対処できなくなった患者が入院する施設で、待機患者が多い。
そのため、看護相談ではいまのうちから早めに患者として登録しておいたほうがいいとアドバイスされた。

ホスピスだけでなく、訪問医療や訪問看護をおこなっている近所の医療施設ともつながっておいたほうがいいといわれた。
介護保険の申請もしておくといい、とも。

「終わり」に向かって急にものごとが動きはじめた観が、私にしてみればある。
病院にしてみればよくあることなのだろうが。

実際の生活は、痛み止めの薬が手放せなくなったほかは、とくに支障がない。
疲れやすくなったとか、強度のある運動ができないとか、人ごみのなかへは出かけにくくなったとかあるが、まだ自分のペースで活動はできている。

■オーディオブック、朗読研究会、現代朗読協会

ケータイ電話向けのテキストコンテンツを製作・配信する会社としてスタートしたアイ文庫は、まもなくラジオ番組の製作・配信会社へと方向転換した。
しかしそれだけでは充分な収益はなかったので、ほかにも収益確保の道を模索しつづけていた。

そのひとつが、オーディオブックの製作だった。
どっちみちラジオ番組を収録しているんだから、朗読本を収録してネットコンテンツとして配信・販売してはどうか、ということだった。

高橋恵子さんをメインパーソナリティとしてスタートしたラジオ番組だったが、そのうち独自番組も作るようになった。
が、出演者にギャランティーが払えるほどの収益はなかった(というよりほとんど持ち出しだった)ので、高橋さんに声優やナレーターの新人や卵を紹介してもらって、勉強や経験のためにノーギャラでもいいという人たちに出演協力してもらった。

番組は音楽だけでなく朗読のコーナーも好きなように作った。
新人や卵のなかには相当読める者も何人かいて、そういう人に声をかけてオーディオブックの収録にも協力してもらった。

最初はみじかい小説やエッセイを、やがて長編小説にも挑戦するようになっていった。
いずれも著作権の切れた古いテキストばかりだったが、たとえば夏目漱石の作品などはなかなか読みごたえ・聴きごたえのあるオーディオブックになった。

「文鳥」「変な音」「坊っちゃん」「夢十夜」「吾輩は猫である」といった漱石作品を皮切りに、芥川龍之介や太宰治らの作品を次々と収録していった。
これを「アイ文庫オーディオブック」としてブランド化し、たんなる「耳で聴く本」ではなく、朗読者の表現クオリティを追求した「朗読作品」としてリリースする、また編集や音楽もオリジナルを用いて高いクオリティを確保することを心がけた。

ちょうどそのころ——2005年ごろ——アメリカからアップル社の iPod と iTunes music store という「黒船」が日本に上陸し、大騒ぎになっていた。
その影響のひとつとして、オーディオブックを製作する会社が次々と生まれていたのだが、アイ文庫はどこよりも表現クオリティを重視していて、独自の存在感を持っていたと思う。

そういった表現クオリティを確保し、さらに磨きをかけるためには、朗読者の独自育成にも関わりを持たざるをえなかった。
まずはナレーターや声優の卵たちに声をかけ、朗読の研究と実践のための定期的な勉強会を立ちあげることになった。
これが2006年に現NPO法人「現代朗読協会」が生まれるきっかけとなった。

2020年1月18日土曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(24))

風邪が抜けて、咳も多少の空咳を残してほとんどなくなった。
ほぼ2か月以上、ほとんど運動らしい運動ができなかった状態から、ようやくすこしずつ運動できるようになってきた。
変な息切れもなく——もちろん運動すれば息は切れるのだが——身体に負荷をかけられるようになった。

ひさしぶりに武術(韓氏意拳)の稽古で蹲起(ドンチー)という形体訓練を参加者といっしょに100回、断続的にではあるがやってみた。
チャイニーズスクワットとも呼ばれている、スクワットに似た動きだ(実際には違う)。
案外苦しくなくできてしまったが、翌日が大変だった。
しっかり足腰に効いてきて、立ち座りや階段の上り降りが大変だった。

負荷のかかる運動で身体に影響がのこるというのは、悪い感じじゃない。
身体の正常な反応だ。
ガンというある種異常なものを抱えているなかで、正常反応を見ることができるというのは、悪くない感じがある。

また運動ができなくなるような事態におちいらないように生活に気をつけて、武術の稽古や運動や歩くことを心がけていくことにする。
やれるところまでやってみる。

■テキストコンテンツから音声コンテンツ、ラジオ番組製作へ

私にコンタクトしてきたのは東京のある特殊印刷の会社の若い社長で、印刷会社のほかにネットサービス系の子会社を稼働させていた。
その会社で私のテキストコンテンツの配信を、商業的な仕組みとともにやってみようということになった。
メールマガジンに広告を掲載し、それを読者に直接届けようというのだ。

いまでこそめずらしくないが、当時はまだあまりそういうことをやっているサービスはなかった。
とくにケータイコンテンツでは皆無にひとしかった。

その事業に可能性をおぼえた私は、福井から東京に仕事場を移すことにして、2000年だったと思うが世田谷区にワンルームの部屋を借りた。
東京に住むのは初めてのことだった。

企画が進むなかで、ケータイコンテンツ配信のための会社を独自に立ちあげることになって、アイ文庫有限会社が作られた。
しかし、会社もでき、仕事場も東京に移したというのに、この事業はたちまち行き詰まることになった。
ケータイコンテンツが爆発的に普及していくのと比例して、コンテンツに埋めこまれる商業広告が嫌われるようになっていったのだ。
ケータイ事業は独自広告から、公式サイトでの課金方式へと急速にシフトしていった。

かなり混乱した経緯のなか、アイ文庫はなんとか事業をつづけるべく、テキストコンテンツから音声コンテンツへと製作体制が変化していった。

1995年の阪神淡路大震災を機に全国にたくさん設立された第三セクター方式のコミュニティFMがあり、そこでの番組製作の声がかかった。
フリーアナウンサーの高橋恵子さんがメインキャスターとなって、完パケ方式の番組作りをすることになったのだ。

最初は世田谷FMで番組を作り、それを数局の地方局に配信するという方式だった。
収録も世田谷FMのスタジオを借り、トークと音楽をMDに録音し、それを持ちかえってパソコンでジングルやCMを入れたり、音量や時間調整をして番組に仕上げ、ふたたびMDに書きだして局にもどす、という製作方式だった。
その過程で録音機材など、収録や番組製作に必要な機材をすこしずつそろえていった。

最初は私が借りたワンルームマンションの一室で、やがて一軒家を借りてその一室で、とてもスタジオともいえないような劣悪な音響環境のなかで番組製作をはじめたのだが、それがなかなか楽しかったのだ。
そしてなにより楽しかったのは、若いナレーターや声優の卵たちに集まってもらって、番組製作に協力してもらう体制ができていったことだった。

2020年1月10日金曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(23))

年末に受けた骨シンチグラムの検査結果を聞きに、病院に行ってきた。
骨には転移していなかった。
まずはよかった。
すると、しつこく長引いている腰痛の原因は、あらためてなんだろうということになる。
こちらは依然として不明。

腰痛に加えて下腹部に尿意に似た疼痛がある。
排尿しても消えないので、膀胱炎のようなものではなさそうだ。
が、腰痛と同様、痛み止め薬を飲むと消える。
こちらも原因不明。
もうすこし経過を観察することにする。

いずれにしても抗ガン剤も放射線照射も治療はおこなわないということを医師に告げ、確認しておく。
病巣は確実に進行していくので、今後なにか病状に変化があれば、その時点であらためて相談するということで。

とりあえず、訪問看護とホスピスをいくつか、つながりを作っておくことにした。
そのための紹介状やデータ、治療指示書は担当医が書いてくれるとのこと。

■ネット配信、パソコンからケータイへ

まぐまぐというメールマガジン配信サービスを使って、私は無料の自作エンタテインメント小説やエッセイ、執筆日記のようなものの配信をスタートさせた。
まぐまぐはまだスタートしたばかりで、メルマガもまだ多くはなかった。
そのおかげで、配信がスタートすると私のメルマガは多くの人が配信登録してくれて、すぐに数百人から千人以上の読者数へと増えていった。

読者からのリアクションも直接私に届いた。
活字出版でも読者からの手紙が届くことがあったが、あくまで出版社経由であり、数もすくなかった。
メルマガ読者の場合は、メールマガジンを読んですぐに読者は作者に直接メールを送ることができたので、非常に敷居が低かった。

毎日とどく読者からのメールのなかから、めぼしいものを選んで、私はそれに返事を書いた。
直接メール返信するのではなく、メールマガジン上に「読者からのお手紙」として公開返信を掲載したのだ。
するとそれを見て、公開されることを前提に「ファンレター」を送ってくれる人が急増した。

メールマガジンの読者コーナーは、私と読者との交流の場となり、本編の小説より人気が出るほどになった。

そうやって読者との直接の交流をつづけるうちに、気づいたことがある。
メルマガに直接メールを送ってきてくれるファンのほとんどが女性であり、また小説の読者としてはかなり若い層であることだった。
またその多くが、携帯電話でメルマガを読み、携帯電話から直接メール返信してくるということだった。

そのころ、携帯電話が爆発的に普及しはじめていて、いまでこそあたりまえになっているが、ひとり一台の電話を持つ時代になりかけていた。
i-modeというネットワークサービスをDoCoMoがはじめ、他社も似たようなサービスで追随していた。
携帯電話ユーザーの若い層は、ケータイで文章を読んだり、メールを書いたり、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、ということがごくあたりまえになりつつあった。
世の趨勢はパソコンからケータイへとなだれを打って変わっていたのだ。

そんなとき、東京のある会社の社長から直接私に一通のメールがとどいた。
そのメールが私の人生の後半を大きく変えることになった。