2019年8月21日水曜日

YouTube:福井県立病院ピアノコンサートの抜粋

2019年8月14日。
福井県立病院のエントランスホールにておこなわれた水城ゆうのボランティア・ピアノコンサートの模様を、一部抜粋でお送りします。

曲目は「浜辺の歌」「スカボロフェア」「虹の彼方へ」「海」「我は海の子」「蛍の光」です。

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YouTube:朗読WS@名古屋天白でのレクチャーの一部

2019年8月18日、名古屋天白〈アロマファン〉にてほぼ毎月開催している現代朗読ワークショップから、参加者の質問に演出の水城ゆうが答える形でおこなったレクチャーの一部を、抜粋してお送りします。

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2019年8月18日日曜日

ピアノ七十二候:立秋/蒙霧升降(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
立秋の末候(39候)「蒙霧升降(ふかききりまとう)」をイメージして演奏しています。

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約5日おきに新曲が配信されます。
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2019年8月15日木曜日

福井県立病院ピアノコンサート 8月14日(水)午後

2019年8月14日。
3か月に1回のペースでの開催が恒例となっている福井県立病院のエントランスホールでのピアノコンサート、今回で何回めだろう。
食道がんの治療予定では、最初の抗がん剤治療のための入院を経て、日程どおり演奏できるかどうかきわどい感じだったが、抗がん剤治療をパスして入院もなくなったため、予定どおり行くことができた。

行ってみたら、前回につづいて今回もファンだというおじさんが立派なフラワーアレンジメントを作ってくれていて、恐縮する(もちろんうれしい)。
Facebookでいつもコメントをくれたりやりとりしている笠川さんが、予告どおり来てくれた。
手作りのかごに、私の好物のへしこやらミニトマトやらをいれてプレゼントしてくれる(うれしい)。
毎回欠かさず聴きに来てくれる遠縁の長谷川さんも、夏休み中のお孫さんを連れて来てくれた。
あとでわかったのだが、長谷川さんと笠川さんは家が近所で、お互いに知り合いだった。

高校時代の1級上の知り合いが来てくれた。
高校のときはほとんど交流がなかったのだが、京都で学生生活をはじめたとき、まったくの偶然で百万遍あたりで出会い、それから学生時代は交流がつづいた。
会うのは何十年ぶりだろう。
なつかしい知り合いの近況を知ることができた。

妹の友人で、いまも東京で声楽の活動をつづけている玲ちゃんが来てくれた。
聞けば立川に住んでいるということで、玲ちゃんも私が国立に住んでいることを知らなかったらしく、びっくりしていた。
東京でまた会えるだろう。

Facebookではつながっている県立大学の山川先生もわざわざ来てくれた。
以前からマインドフルネスやNVCのことでつながりがあり、1度お会いしましょうと約束していたのだ。
パソコン通信時代の知り合いのベストくんも、たぶん30年ぶりくらいに再開。
こちらのピアノコンサートに私をつないでくれた同級生のたつみくんも、仕事の合間に来てくれた。

なんだか知り合いがたくさん来て、コンサート前が忙しかったが、時間が来たので演奏をはじめることにした。

いつもながら、広々とした吹き抜けのエントランスホールは音響がすばらしく、開放的な空間で、ピアノの前に椅子をならべてあってそこで聴いてくれる人がメインリスナーではあるが、とおりすがりに足をとめて聴いてくれる人や、吹き抜けの二階のほうから顔をのぞかせて聴いてくれる人たちもいて、ホールやライブハウスとはまったくちがう雰囲気だ。
私はここで演奏できるのが本当にうれしい。
そして、ほかの病院でもボランティア演奏をしたことはあるし、私ではなくだれか演奏者が演奏しているところを見たこともあるけれど、こちら福井県立病院ほどのよい雰囲気があるところはほかにはない。
事務局の人たちの気遣いと努力によるところも大きいのではないかと思う。

ところで、今回はがん告知を受けてはじめてのピアノコンサートだった。
日々の時間の流れもそうだが、演奏時もたしかに時間の流れや自分とまわりへの気づきや、音にたいする感覚がちがっていて、とぎすまされた感じがあった。
だからといってもちろん思いどおりに演奏できたというわけではない。
しかし、いまここに自分自身がいて、音楽をかなで、それを聴き、また聴いてくれる人たちとおなじ時間をすごしているというライブ感覚が、これまでとはだいぶ違っていたように思う。
ありがたいことだ。

がんであろうがなかろうが、すべての人間はかぎられた命を生きている。
そのことに以前は「頭では」「理屈では」わかっていたが、身体感覚として腑に落ちたのはこの1か月のことだ。

演奏が終わってから地元の新聞社の若い女性記者から取材を受けたのだが、そんな話をついつい熱弁をふるってしまって、説教臭くなってしまったのではないかとちょっと心配している。
彼女もまた、私とおなじ高校出身で、学生時代は朗読サークルをみずからやっていたと聴いて、うれしくなり、つい調子に乗ってしまったかもしれない。
ごめんね。

2019年8月14日水曜日

春野亭日乗 8月10日(土)シルクニット、ゼミ、うららさん、お茶タイム、映像収録

真綿から紡いだ絹糸を使ったシルクニット、リストウォーマーのつぎは細めの襟巻きを編んでみたのだが、いちおう完成した。
白い糸が足りなかったので、別の色でつないでみた。いびつなツートン。
編んでいるときは「変だ」と大不評だったけど、私は悪くないんじゃないかと思っていて、仕上がってみると実際そう悪くない感じだと思う。
手触りが柔らかくてすごく暖かいので、真冬でも使えそう。

午前中は現代朗読ゼミ。
いつもより参加者が多めで、レクチャーで基本の確認と、群読による基礎トレーニングがしっかりできた。
前回参加してくれたNVC仲間のあきちゃんが、今回もリピート参加。
わざわざ私のケアのために演奏するライアーを持ってきてくれた(重いのにいつもありがとう)。
元ゼミ生のてんちゃんも来てくれた。
国立に移ってからは初参加になるのかな。
やはり初参加のはっぱさん、NVC仲間で、先月のキノ・キュッヘのオープンマイクにも来てくれた。
ゼミ生のユウキとかなえさんも。

はっぱさんが最後に朗読してくれたとき、身体が柔らかく使えるようになっていて、押しつけがましくない動きのある、いつまでも聴いていたいような感じだった。

終了後、みんなで昼食に出る。
現代朗読協会のNPO法人を立ちあげるときに手伝ってくれたうららさんが、1歳になったばかりの娘を連れて遊びに来てくれたので、〈いたりあ小僧〉で合流。
ものおじしない子どもで、すぐに私になじんでくれた。

〈マロニエ〉でホールのケーキを買って帰って、春野亭でお茶。
合間に、残ってもらっていたゼミ生ユウキと、あるライブ企画を進めるためのサンプル映像を、ピアノといっしょに収録。
なかなかいい感じになってきた。
企画はぜひとも実現したい。

夕方、あきちゃんにライアー演奏で癒やしてもらう。
お腹の上に乗せて演奏してもらうと、音が身体の内側で鳴っているような不思議な感じがして、震動が心地よいのだ。

シルクニットは襟巻きのつぎに、ヘアバンドを編みはじめてみる。
これだと糸が少なくても作れる。途中で違う糸を足す必要がない。
輪針のゴム編みで編みすすめる。
大きさがよくわからないが、とりあえず40センチの輪針でゆるめに編んでみる。
ゴム編みなので、ある程度の融通はきくだろう。

2019年8月13日火曜日

ピアノ七十二候:立秋/寒蝉鳴(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
立秋の次候(38候)「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」をイメージして演奏しています。

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2019年8月11日日曜日

ロング・アート・パフォーマンス(ラストステージ)を生きる

大学をドロップアウトし、ジャズバーでバーテンダーのアルバイトをしたり、バンドマンとして生計を立てはじめた二十代はじめのころ、京都に住んでいたということもあったのかもしれない、現代アートシーンがおもしろく、美術雑誌を熟読したり、展覧会やギャラリーの展示にも熱心に通ったりしていた。
その傾向は、京都を引きあげて故郷の福井にもどってからもつづき、地方ではあるがかなり盛んだった現代アートと関わりを持ちつづけていた。

1980年代の初頭からなかごろにかけてのことだった。

そのころ、北陸の美術館や現代アートギャラリーで盛んにおこなわれていたのは、美術家によるアートパフォーマンスで、それはとくにニューヨークを中心に注目を浴びていたローリー・アンダーソンやナム・ジュン・パイク、そしてなによりドイツのヨーゼフ・ボイスらの影響を色濃く受けていた。
ナム・ジュン・パイクと活動をともにしていたビデオアーティストの山本圭吾氏が福井出身だったりして、そのあたりのパフォーマーに親近感をおぼえていたし、私も即興ピアノ演奏で美術家や役者やフリージャズのミージシャンらとことあるごとに共演をするようになっていた。

とはいえ、じつのところ、アーティストによるパフォーマンスがそもそもなにを意味するのか、どんなねらいがあるのかについては、よくわかっていなかった。
ただ楽しかったのはたしかだ。

今年の春先にドイツに旅行する機会があった。
いくつかの都市を回ったのだが、現代美術館やギャラリーもいくつか訪れた。
ベルリンのハンブルク駅現代美術館に行ったとき、たまたまヨーゼフ・ボイスの回顧展をやっていた。

ベルリンに限らず、ドイツはどこもそうなのだが、公共施設はどこも人があふれていなくて(駅や交通機関も含む)、ゆったりとすごすことができる。
この美術館もそうで、じっくりと見ることができた。
作品のキャプションはドイツ語と英語で書かれていて、英語は読むことができる。

ボイスの存在でもっとも大きなものは、彫刻の意味を問いなおしたことだろう。
彫刻といえば古来から現代にいたるまで、石や金属や木材やコンクリートや、なにかしら固形の材料をもちいて形(sculpture)を表現することだと、なんとなく思っていた。ボイスはそこに鋭く切りこむ。
まず、材料は固形のものである必要があるのか?
そもそも固定された「物体」である必要はあるのか?

流動的な、あるいは変化する「現象」そのものを彫刻としてとらえることはおかしなことなのか?
我々そのもの――つまり生きて動いて変化しつづけているbodyを表現するのに、そもそも固形物で時間をとめようとすることに無理があるのではないのか?

かくして生まれたパフォーミングアートは、彫刻からスタートしている。
ボイスのまとまった仕事をベルリンで見たとき、生きて動いている存在というか現象である私自身の生命そのものは、いったいなんなのかを鋭く突きつけられたように感じた。
私自身をふくむ生命現象そのものを、アートとどこで線引きできるのか。
そもそもそんな線引きそのものが社会的な都合によって作られた勝手なジャッジではないのか。

ボイスの芸術をつきつめていくと、われわれ自身の存在そのものに行きあたるのだ。
ボイスの問いはそのまんま、自分自身の存在へと向けられる。
いまここにこうして生きている私自身、これはなんなのか。
なんのためにこうして存在しているのか。

私はこの5月末に食道がんが見つかり、余命1年未満と告知されている。
観念的にいえば、あるいは社会通念的にいえば、それはショッキングなことなのかもしれない。
しかし、いま、この瞬間、ここにこうして(これを書いているいま)私が生きて存在していることは、まぎれもない事実で、それについては(これを読んでいるあなたもふくむ)ほかのみなさんとなにも変わりない。

ボイスの問いをここに援用すれば、生きていることそのものがアートであり、すべての行為が表現といえる。
私がこうやって書いている文章も表現ならば、文章を書いているこの行為そのものも表現である。
私がいまテーブルの上に置いたラップトップにむかってキーボードを打っている行為と姿そのものがパフォーマンスであるというのは、ヨーゼフ・ボイスが黒板にチョークで線を引きコヨーテの鳴き声を発したこととなんら変わるものではない。

私は自分のパフォーマンスそのものを楽しみ、まわりの環境や人々との呼応を感じ、瞬間瞬間を味わっていける。
それが生きていくということであり、その時間的累積によって自分がどこにたどりつくかというのは結果でしかない。

いまこの瞬間も、過去の累積によってここにたどりついているわけで、それを残念だと思うか満足だと思うかは利己的なジャッジであり我想にすぎない。
自分という現象から乖離した思考でしかなく、それはもはや私自身とは関係のない観念だ。

私は私を生きる。
それがいつまでなのか、いつ終わりが来るのか、みじかいのか長いのか、それは結果でしかなく、私はいまこの瞬間の私を生き、そして表現する。
もちろんそこには私なりの美意識があり、生きることそのものを「美への昇華としてのアート」という表現したいという望みはある。
それはたしかに、ある。

2019年8月9日金曜日

春野亭日乗 8月8日(木)ウォーキング、温泉、雲をながめる、シルクニット

午前6時起床。
空にはもう秋を思わせるうろこ雲が出ている。そういえばすでに立秋だ。

気温が上がらないうちにウォーキングに出かける。といっても、すでに30度近くある。歩けばすぐに汗をかくが、国立駅前の大学通りは、東側歩道が日陰になっていて、まだ歩きやすい。
うろこ雲もすぐに消えてしまった。
帰りがけに高倉町珈琲店に寄って、モーニング。

帰宅して、痛み止めを飲む。

理子ちゃんが引っ越し準備のためにレンタカーを借りていて、返すまでに時間があるといって温泉に誘ってくれた。
野々宮と3人で国立湯楽の里に行く。
ここは露天風呂が広く、そして湯温がかなりぬるくて、ゆっくりできた。ひさしぶりに雲を飽くまでながめた。

帰りがけに隣のホームセンターに寄って、メダカの水槽用にミナミヌマエビ5匹と水苔取りを買う。

シルクニット(棒針編み)のリストウォーマーが完成。
このままあんなさんに送ろうかと思ったけれど、つぎはかぎ針編みで細めの襟巻きを違う糸で編んでみたいので、それが完成してからどちらが気にいるか見てもらうことにした。

私の体調について韓氏意拳の内田秀樹先生から丁寧なお見舞いをいただく。
内田先生は私が最初に韓氏意拳を習った指導者で、おかげでこんにちまで丸六年以上にわたって稽古をつづけることができた。
いまは駒井先生のお世話になっているが、内田先生にも感謝がたえない。

シルクをかぎ針を使って細めの襟巻きを編みはじめてみたが、やはりぼわぼわしすぎてうまくない。
かなり太くて太さもまちまちのシルクの糸は、やはり棒針編みのほうがいいようだ。
かなり太い棒針に変えて、襟巻きを編みはじめてみる。
棒針は10ミリ、目数は11目の幅で。

しばらく使っていないコンデンサーマイク、AKGのC1000Sを、オカリナ牧師の久保木さんに送ることにした。

夜、鶏の手羽元をグリルで調理して食べる。
けっこうな肉のかたまりをがっつりと食べたが、まだこの程度のものは食べられる。痛み止めが効いているせいかもしれないが。

2019年8月8日木曜日

春野亭日乗 8月7日(水)1日入院、シルクニットのリストウォーマー、冷やし中華

結局、入院は1日のみ。
入院というより、病院泊というべきか。

がん病棟で一夜すごすという、えがたい経験をさせてもらった。
同室の患者さんはみなさん、抗がん剤の治療中と思われるが、そのうちのふたりは副作用があるらしくて、夜なか中嘔吐したり下痢したり、看護師さんが来て点滴を追加したりと、苦しそうだった。
消灯は午後9時で、私も10時前には早々に寝てしまったのだが、夜中になんども眼がさめて、朝も午前5時には覚醒してしまった。

カフェルームのほうに行って、夜明けの湾岸風景をながめる。
羽田空港に着陸する飛行機がひっきりなしに眼前を横切っていく。
左のほうの埠頭には「A-LINE」という、奄美大島を結ぶフェリーが停泊しているのが見える。

午前9時に医師団の回診。
「白い巨塔」で見た大名行列のようなのがぞろぞろ来て、びっくりした。
担当のC医師が、あとであらためてひとりで来てくれたので、標準治療も含めて抗がん剤治療はしないという意志を伝える。
放射線治療を今月中にスタートするために、あらためてお盆明けの診察の予約を作ってくれた。

退院手続きまでの待ち時間に、あんなさんから送られた絹の糸で編物。
襟巻きにしようと編みはじめたのだが、ちょっとイメージが違ったので、急遽変更してリストウォーマーにしてみた。いまの季節、いらないかもしれないけど、寒くなってきたらきっととっても暖かい。
片方を仕上げて、もう片方に取りかかる。

10時前に退院手続きを終えて病院を出る。
11時、国立帰着。
急に冷やし中華を食べたくなったので、近所の日高屋に行き、餃子付き定食で食べる。
食欲はがっつりあるけれど、あまりの暑さに全身がだるい。
胸(食道)の痛みは痛み止めのおかげでほとんど感じられない。

やたらと眠い。
昼寝もしたが、まだ眠くて、夜も早々に寝てしまう。

2019年8月7日水曜日

どんでん返しにつぐどんでん返しで振り出しにもどる(がん治療について)

昨日8月6日、治療入院のためにがん研有明病院に来た。
今日7日から治験の治療がはじまることになっていて、そのための入院手続きやら予備の検査やら診察のために来た。

午前中に入院手続きをして、病院着やタオル類などをレンタルし、病室に案内してもらって、荷物を置いた。
血液検査を終えて病室にいたら、治験コーディネーターのTさんが来た。

聞けば、治験のための検体をアメリカに送ってあったのだが、治験のための条件を検体が満たしていないことがわかったのだという。
専門的なことはわからないが、がん組織の密度が治験に必要な条件に足りないという。
がん組織は密集しているものもあれば、疎なものもある。
私の場合はとくに、食道がんの部位が食道粘膜の奥に隠れていて採りにくいというのもあったかもしれないらしい。

それはともかく、今後の選択肢としては、いくつか決まってきた。
担当のC先生も来て、話をしてくれた。
ひとつは内視鏡による検体の再採取をおこなって、もう一度治験を申請する。
つぎに、治験ではなく標準治療に切りかえる。

治験の最申請の場合、これまで時間がかかったようにまた日数がかかるので、治療がスタートするのがさらに数週間遅くなる、担当医としてはあまりおすすめしない、とのこと。
標準治療をすすめられ、治療スケジュールや副作用についてもくわしく教えてもらった。
病院としてはすでに明日から治療できる準備ができているとのこと。
朝まで決めて返事してくれて、ということだったので、昨日はそのまま病院に泊まって、ひと晩かんがえた。

今日になって、やはり抗がん剤の治療は受けないことに決め、それを担当医に伝えた。
「まだお若いし体力もあるのでもったいない気は正直します」
といいながらも、こちらの意志を尊重してくれた。
抗がん剤治療はおこなわないが、食道閉塞が数ヶ月内に目に見えているので、なんらかの処置は必要とのことで、放射線治療をおこなうことになった。
こちらも副作用がないわけではないが、入院する必要はない。

結局、一番最初に食道がんのステージⅣと告知されたときに、自分で決めた「抗がん剤の治療はしない」という方針どおりにもどってきたことになる。
あとは放射線で患部を焼きながら、抗がん剤にかわる方法として自分自身の免疫力と体力を維持・増強し、みずからがんと付き合っていくということになる。

いまはかなりすっきりした気分で、いまここにあるまだ元気な自分の身体を大事にあつかおうと思っている。

ピアノ七十二候:立秋/涼風至(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
立秋の初候(37候)「涼風至(すずかぜいたる)」をイメージして演奏しています。

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蚕から作った真綿で紡いだ絹糸をもらったので編んでいる

共感手帳術講座に参加してくれている牧あんなさんが、蚕から取った絹の糸玉を持っていて、よかったら編んでくれないかといったので、ちょっと驚きつつ喜んでしまった。
あんなさんはここ10年来、養蚕をやっている年配のご夫婦を手伝っていて、蚕や桑を育てるところから、糸を取るところ、糸を紡ぐところ、染める工程までやってきたというのだ。
写真を見せてもらったら、うつくしい光沢のある絹の糸玉で、すぐに送ってもらった。

着物の生地を織るような細い糸を取る工程ではなく、繭からまず真綿を作り、それを染めてから紡いだ、太さに変化がある毛糸のような太めの糸玉になっている。
草木染めでさまざまな色になった糸玉がたくさん送られてきた。
もう見ているだけでうれしくなる。

一度でいいから、自分でつむいだ糸を使ってなにか編んでみたいと思っていた。
毛糸なので、刈った羊毛をつむぐことをかんがえていたのだが、絹を使うことは想像していなかった。

蚕という蛾の幼虫がさなぎになるときに出す繊維を、人が利用して糸にする。
みつばちもそうだが、虫と人の太古からの関わりから生まれたものだ。
それを人の手がつむぎ、染め、そして編みあげていく。
そういうことに自分が直接触れられることが、なんて幸せなことだろうと思う。

実際に編みはじめてみると、絹糸のうつくしさと強靱さにびっくりする。
独特の光沢がある。
人間の髪の毛よりもずっと細い繊維にも、キューティクルのようなものがあって、つるっとしているようでいて独特の触覚がある。
そして強い。

人の手で真綿からつむがれた糸は、太さに波があって、均一な目にそろえることができない。
それがまた楽しい。
まさに手作業が生む「もの」の生きいきしたうつくしさと楽しさがある。

2019年8月5日月曜日

春野亭日乗 8月4日(日)旧ゼミ生(オンラインで)と新規参加者の現代朗読ゼミ

午前中から現代朗読ゼミを開催。
昨日のアレクサンダー&NVCワークショップから参加していたあきちゃんが、春野亭に残っていて、時間があると聞いたので、朗読ゼミにも参加してはどうかと提案してみた。

現代朗読はNVCの実践としてやっている側面もあるけれど、NVCの仲間で参加してくれた人はそう多くない。
あきちゃんが参加して、そしていろいろと気づいてくれたようで、うれしいな。
声を出すこと、呼吸や姿勢や身体の連動、自分自身のいきいきした存在を観察すること、なにかを読むこと、なにかを読んでいる自分を受け取ること、なにかを読んでいる自分が受け取っていることを観察すること。

「自分の元気なところが、まだあったんだ!って思えました。またやってみたいです」
といってくれた。

元ゼミ生の豆豆子さんもオンラインで参加してくれた。
朗読のような身体表現の稽古をオンライン参加でやるのはむずかしい面もあるけれど、今後は私自身の体調のこともあるし、オンラインでもできる方法を模索していきたいと思う。
そういう意味でも、豆豆子さんが参加してくれたのはありがたいし、あらためてつながりを持とうとしてくれたことにとってもうれしく、感謝。

豆豆子さんは最近、NVCの合宿に参加したそうだが、かつて「げろきょ」と略称していた現代朗読協会の活動がNVCのめざしている世界を実現していたことにあらためて気づき、また私に会いたくなったといってくれたのは、しみじみとうれしいことだった。

ゼミ終了後、蕎麦屋〈かない〉に行って、昼食。
そのあとまた春野亭にもどり、ゼミ生ユウキが差し入れてくれたチーズケーキを、コーヒーといっしょにいただく。
今日のようにあらたな参加者がいると、新ゼミ生と思っていたユウキがいつの間にかすばらしい成長をとげていることに気づき、びっくりする。
このまままっすぐに伸びていってほしい、と思う。

2019年8月4日日曜日

YouTube:ピアノ演奏「ダニーボーイあるいはロンドンデリーの歌」

アイルランド民謡「ダニーボーイ」あるいは「ロンドンデリーの歌」
ピアノ演奏とアレンジ 水城ゆう

国立・春野亭にて、2019年8月4日収録。

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2019年8月3日土曜日

YouTube:ピアノ演奏「蛍の光」

スコットランド民謡「蛍の光」
ピアノ演奏とアレンジ 水城ゆう

国立・春野亭にて、2019年8月3日収録。

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春野亭日乗 8月2日(金)朝散歩、モーニング、絹糸もらえる! 入院日決まる

まだ暑くならないうちに、朝散歩。大学通りと一橋大学構内をぐるっと。
構内でピアノ七十二候用の動画を撮影する。
日が照っているところはすでに充分暑く、今日も厳しい暑さになることは予想できる(というか、予想を超えた暑さ)。
35度超えとか、あたりまえのように予報されてるけど、異常事態だからね、これ。私の子どもの頃は、30度超えだってそうそう頻繁にはなかった。夏休みの間に何度かしかなかった。ましてや35度なんて。

大学通りの〈高倉町珈琲店〉でモーニング。
初めて入ったけど、なかなかいい感じの店。

共感手帳術講座の番外編で、参加者のあんなさんと個人セッション。
そのなかで最高にわくわくした話が出てきて、私のほうが興奮してしまう。
あんなさんはここ10年来、養蚕の仕事に関わっていて、蚕から絹糸をとったり、真綿を作ったり、それから糸をつむいだり、草木染めしたりしてきているらしい。
写真を送ってもらったら、それがすばらしいのなんのって。
まさに私がやりたいと思っていたけれど、自分では手が出せないとあきらめていたこと。
が、そんな風に紡がれた糸を使って編物ができるといいなあと漠然と思っていた。
自分で紡いで染めた絹糸をあんなさんが送ってくれるという。
こんなわくわくすることはない。
待ち遠しい。

留守にしている理子ちゃんちに、クマ(猫)の世話に行く。
がん研有明病院から電話。入院が5日(月)に決まった。その他の情報はなし。治療内容はまだ不明。5日中にはわかるとのこと。

久保木さんのオカリナのためのピアノ伴奏「赤とんぼ」を演奏入力。
なかなかむずかしい。
ついでに伴奏ではなく普通の演奏も。
録音したのをそのまま動画に貼りつけてYouTubeで配信したら、さっそく聴いてくれた人からリアクションがあって、うれしい。
「赤とんぼ」の演奏はこちらからどうぞ。

ピアノ七十二候:大暑/大雨時行(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
大暑の末候(36候)「大雨時行(たいうときどきふる)」をイメージして演奏しています。

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2019年8月2日金曜日

YouTube:ピアノ演奏「赤とんぼ」

山田耕筰の曲「赤とんぼ」
ピアノ演奏とアレンジ 水城ゆう

国立・春野亭にて、2019年8月2日収録。

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2019年8月1日木曜日

春野亭日乗 7月31日(水)共感サポートを受ける、共感手帳術講座2回め

NVCトレーナーの認定アセスメントプロセスにはいっている仲間のはからいで、アセッサーであるマウイのトレーナーのジムが私と個人セッションの時間を持ってくれることになった。
せーじさんが通訳サポートではいってくれた。
ありがたい時間だった。
末期がんのために残り時間が限られてきている私のために、ただ共感的に話を聞いてくれたふたり。
いまどちらに向かえるのか、どちらに向かいたいのか、大きな気づきと勇気をもらうことができた。

忘れていた大切なことを思いだすこともできた。
罪悪感やあせり、苦しさを、美しさに変換しアートとして表現していくこと。
それが私の命が欲していること。

ジムもありがたかったし、せーじさんがそこにいてくれたことがこれほど心強いと思ったのは、自分でも意外だった。
NVCのコミュニティのパワーを感じることができた。
そして私のかたわらにそれがあることを確認して、うれしくなった。

エコアンダリアの白と生成りのツートンの糸で編んでいたぺたんこショルダーが完成。
最初のほうで目を間違えているので、これは人にあげられないな。なんに使おう。
失敗作だけど、気がすんだ。

お昼ご飯に鶏セセリと野菜の炒め物を作る。
ご飯のおかずっぽく甘辛く仕上げるつもりが、甘さが足りなかった。
が、まあまあおいしくできた。
鶏肉に火が通りすぎず、ぷりぷりの食感に仕上がったのが満足。

夜は共感手帳術講座の2回めをオンラインで。
頭のなかの気がかり(ノイズ)やTODOをニーズに、ニーズを満たすための戦略や行動をリクエストに変換していく手帳術をみなさんに伝えるのは楽しい。
来週予定していた3回めのフォロー講座が、入院予定とかぶりそうなので、みなさんと相談して日程変更する。

(末期がん(余命1年未満)と告げられてから今日で20日)