今日はテキスト表現ゼミの日です。少人数で「文章で自分を表現すること」について、あーでもないこーでもないと研究します。
現代朗読協会は基本的に朗読という行為を中心に表現を勉強したり、社会活動をする場なんですが、表現には朗読も音楽も芝居もダンスも、あるいは絵画や文学も、共通する原理のようなものがあるのではないか、と私は考えています。いわば表現の統一理論のようなものです。
もともと人の「自分を表現したい」「自分のことを人に伝えたい」「だれかとつながりたい」という気持ちは生まれつきのもので、この世に生まれて生きている以上、消えることはないものです。人から見られたくない、孤独になりたい、と引きこもっている人ですら、その行動は表現欲求の裏返しというか、形を変えたもの、社会適応に失敗したものだと考えられます。
なにも表現者と名乗らなくても、人はいろいろな形で自分を表現しています。料理をする、編物をする、営業する、飲み会に行く、メールを送る。とくにいまはテキストを書く機会が大変増えています。テキストで自分を表現することの、とても原理的な仕組みを深く考えながら、自分の内側を探索する場が、テキスト表現ゼミなのです。