2017年6月25日日曜日

たんぱく質を取れレシピ(とれれしぴ)

糖質をカットするダイエットがはやっているが、私もだいぶ前からなるべく糖質を取らないように留意していた。
といっても、ご飯や麺類は好きで、まったく食べないわけではなく、とくに外でご飯を食べるときにはそもそも糖質を摂らないのは無理。
ゆるい糖質カットだが、その分、たんぱく質は積極的に摂りたい。

筋トレをやっている人は良質のたんぱく質を摂るために、鶏肉の脂身のすくない部位をよく食べるという。
私は鶏肉といえばもも肉が大好きなのだが、むね肉を使った簡単料理をやってみたので、紹介したい。
それにしても、むね肉って安いのね。

【材料】二人分
・鶏のむね肉……1枚
・玉ねぎ……小1個
・鷹の爪……1本
・にんにく……1かけ
・オリーブ油、塩、こしょう、粒マスタード

鶏のむね肉は食べやすい大きさにスライスしておく。
玉ねぎも月型にスライス。
鷹の爪は種を抜いておく。

フライパンににんにくのみじん切りと鷹の爪、オリーブ油(大さじ1)を入れ、弱火にかける。
にんにくが香り立ってきたら、鶏肉と玉ねぎを入れ、塩・こしょうをして火を強め、鶏肉に火が通るまで炒める。
最後に粒マスタード(大さじ1)を加えてまぜあわせたら、完成。
皿に盛りつけて、あればイタリアンパセリなどを散らしたら、なおよし。

このパターンで手抜きパターンの応用編もご紹介。
粒マスタードの代わりにマヨネーズを使う。
鷹の爪とにんにくは省略。
フライパンにオリーブ油をいれて、鶏肉と玉ねぎを炒めて、塩・こしょう。
最後にマヨネーズをからめて、おしまい。
これもけっこういける。
マヨラーの方はお試しを。

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2017年6月24日土曜日

紙本の『共感的コミュニケーション2017』在庫入荷

安いし、かさばらないし、スマホにいれていつでも持ち歩いて読めるし、Kindle本のほうがいいよってコトあるごとに強調しているのに、それでも紙の本のほうがいいという人が一定数いるので、ちょこちょこと発注しては在庫をいくらか手元に置くようにしている。

どうやって作ってるの、とよく聞かれるのでちょっと書いておくと、以前はBCCKSというePubから紙本まで一貫して作れるサービスを使っていたんだけど(いまも使ってるけど)、紙本だけより経済的な「製本直送.com」というサービスを使っている。
InDesignで版下を作って、それをPDF入稿するので、だれにでもおすすめできるわけではないけれど、とにかく1冊から発注できる。

カバーは別の印刷所に、こちらはイラレデータで入稿して発注。
けっこう手間がかかるのだが、一度作ってしまえば追加発注は楽。

というわけで、入荷しているので、紙本が必要な方はこちらからどうぞ。
カード決済も使えて、購入もやりやすくなっているはずです。

2017年6月23日金曜日

共感サロンがめざすところ

ちょっと乱暴ないいかたかもしれないが、共感的コミュニケーション(NVC)は「使ってなんぼ」だと思っている。
NVCを習得してなにをしたいのか、NVCを身につけることでどんな世界を実現したいのか。
NVCを学ぶことそれ自体が目的では、もちろん、ない。

習ったら使ってみる。
最初は下手くそでも、とにかくトライしてみる。
使ってみることで、習うこと以上のことが見えてくる。
すると、習うよりはるかに多くの上達が生まれてくる。
そしたらまたあらためて、学びの場に参加してみる。
全然ちがう風景がそこにあるはずだ。

なんのために共感的コミュニケーションを身につけるのか。
そこがはっきりしていて、とにかくそれをトライしてみる人は、上達が早い。

家族との関係を改善したいのか、職場の人間関係をよくしたいのか、夫婦のつながりを取りもどしたいのか。
社会に貢献したいのか、対立を解消したいのか、いきいきとした自分の人生を生きたいのか。

私の場合も目的がある。
おそれなくいきいきと、自分らしくのびやかに表現すること。
自分の人生を大切に生きること。
同時に他人の時間もおなじくらい大切にすること。

共感的コミュニケーションは強力なスキルだが、それだけでは足りない部分も(私には)ある。
それをおぎなうために共感サロンという場をひらいている。

共感サロンでは共感的コミュニケーションの学びにくわえて、自分自身のことを知ること、とくに身体とあたまが分離してしまっている現代人である我々の、生きものとしての「統合」をはかること。
いまこの瞬間の生命現象にいつもつながっていて、いきいきとほがらかに、そして力強くふるまうこと。

これらを、声を出したり、なにかを書いたり、対話したりすることをきっかけに、各人が探求していく。
これが共感サロンのめざしているところだ。
瞬間瞬間移りかわり、変化している状況と自分自身の身体をどれだけ注目し、知り、そこから生まれてこようとしているすばらしいものを妨げないようにできるか。

学びの場であり、実践の場でもある。
そういうことを深めていきたいと思っている。

7月開催:水城ゆう共感サロン(7.1)
オンラインまたはくにたち会場への直接参加、どちらでもどうぞ。著者によるアットホームな共感的コミュニケーション(NVC)の勉強会です。7月の開催は7月1(土)18時/3(月)11時、いずれも約2時間。

2017年6月22日木曜日

7月25日:国立・韓氏意拳養生功講習会

国立での駒井雅和中級教練による韓氏意拳・養生功の韓氏意拳学会公認講習会、2017年7月のお知らせです。

◎日時 2017年7月25日(火) 19:30〜21:00(ショートクラス)
◎参加費 2,500円(講習会費、会場費、講師交通費を含む)
◎場所 国立駅から徒歩5分の会場
◎持物 動きやすい服装・筆記用具・メモ

参加予約はこちら「韓氏意拳学会公式フォーム」から。
もしくは水城ゆうウェブサイトのコンタクトフォームから。

もうすぐ15周年の語人(ストーリーテラー)サヤ佳

私が活動拠点をくにたち春野亭に移してから初めてとなるレッスンに、語人(ストーリーテラー)の小林サヤ佳ちゃんがお母さんの希依子さんと豊田市からやってきた。
ふたりが最初に私のところにやってきたのは、じつに15年前のことだった。
サヤ佳ちゃんはそのとき、中学3年生で14歳だった。
知的障害を乗りこえて二人三脚で語りの活動をはじめたばかりだった。

母の希依子さんは、サヤ佳ちゃんが語りで自立して生きていってほしいと、いろいろな人のもとを訪れてサヤ佳ちゃんにレッスンを受けさせていたのだった。
私はそのとき、世田谷の豪徳寺に活動拠点があったのだが、わざわざそこまで「ご指導をお願いします」とやってきたのだった。

以来、気がついたら15年、サヤ佳ちゃんの成長を見守り、サポートをつづけさせてもらったことは、私にとっても大きな喜びだ。
その間、私の「指導」は一貫して「よけいなことはしない、成長の邪魔をしない、ただただまっすぐにのびのびと語ってもらう」という方針だった。

本来、人というのはそういうもので、障害があろうがなかろうが、成長するためには「邪魔されないこと」「のびのびと練習できること」「ジャッジされないこと」が必要で、それが保証されたとき、本来その人が備えている能力の可能性を最大限に伸ばすことができる。
それは大人であってもおなじだ。

音楽や文学、朗読などの世界で指導をもとめられることが多かったし、いまでもそうだが、もし私が「指導」するとしたら、「なにもしない」「邪魔しない」ことに尽きる。
私ができるのは、その人がのびやかに、安心して楽しく表現できる環境をととのえることだ。

とはいえ、私も表現する人間なので、私とともになにかをいっしょに作る・共演する、という立場になった場合、当然相手にお願いしたいことも出てくる。
サヤ佳ちゃんを私の共演者としてあつかったとき、彼女にもっとこうなってもらいたい、ここでこうやってほしい、こんなふうな表現がほしい、ということが出てくる。
それはもちろん、彼女になにかを「足してほしい」といっているわけではなくて、本来彼女が持っているものをより発揮してもらいたいだけなのだが、そうするためにはそうするための訓練がやはり必要になる。

この15年間、お母さんの庇護のもと、ひたすらまっすぐ伸びつづけてきたサヤ佳ちゃんだけど、ここから先はそろそろ表現者としてさらに魅力を増す別次元のレベルへと進んでいってもらいたいし、それができる人だと私は確信している。
これまでもすばらしい語り手だったが、これからはさらに朗読や身体表現も加わって、本当に楽しみな表現者へとさらに大きく成長していくだろうと、私は思っている。

2017年6月21日水曜日

「感謝する」とはどういうことか

よく「生きていることに感謝しなさい」「感謝しながらいただきなさい」「感謝が大事」などといわれる。
なぜか命令形でいわれることが多くて、私などは反射的に反発反応が生まれてしまうのだが、ちょっと待て、じぶん。
感謝するとはどういうことなのか、あらためてかんがえてみたい。

共感的なアプローチでかんがえてみる。
これはマーシャル・ローゼンバーグのことばだが、
「人は二種類のことしかいっていない。「ありがとう」と「お願い」だ」
というのがある。

解説すれば、「ありがとう」をいうのは「ニーズが満たされたとき」で、「お願い」をいうのは「ニーズが満たされていないとき」だ。
ニーズには「満たされている」か「満たされていない」かふたつの状態があって、そのどちらの状態にあるかによって人の言動が変わってくる。

だれかが怒っていたり、悲しんでいたり、苦しがっていたり、寂しがっているとき、その人のニーズは満たされていない状態にあって、その人の言動は「お願い」ととらえることができる。
聞いてもらいたかったり、なんらかの助けを必要としているのかもしれない。

その逆の場合は「ありがとう」ととらえることができる。
これがマーシャルのいっていたことだ。

すると「感謝」つまり「ありがとう」を表現するのは、ニーズが満たされたときの言動ということになる。

私は「感謝する」のはだれかに強制されたり、なんらかの手順のなかで決められたとおり行なうのではなく、自然に自分のなかから湧きでてくる表現だろうと思っている。
私のなんらかのニーズが満たされたとき、ありがとうが自然に出てくるのだ。

人になにかをしてもらって、そのことで自分のなんらかのニーズが満たされたとき、自分のニーズが満たされたことを相手に伝えるのが「感謝する」という言動だろう。
相手とより共感的につながりを深めたければ、自分のなんのニーズが満たされたのか、具体的に相手に伝えればいいだろう。

「あなたが手伝ってくれてたすかりました。サポートや尊重、つながりのニーズが満たされ、私はうれしいのです。ありがとう」

よりつながりの質を高めるのに役立つ伝えかただ。
これを自分自身にむけてやるとき、それは「お祝い」となる。

水城ゼミ・共感サロンメンバー向けの共感的コミュニケーションの勉強会です。6月の開催は23(金)19時/24(土)16時、いずれも約2時間。

2017年6月20日火曜日

「私にはあなたのニーズを知りたいニーズがある」という暴力

とかく親密な関係にあるふたりの間で起こりがちなことだが、共感的につながりたいと思うあまり、お互いのニーズを知りたい、確認したいという気持ちが高まり、ときにそれが切迫してしまうことがある。

ちょっとした行き違いがあったり、対立が起こったりしたとき、共感的コミュニケーションを学んだ自分としては、相手を責めるのではなく、共感したいとかんがえる。
暴力的な世界から、共感と思いやりの世界に移行したいと思っている。
なので、相手がなにを大切にしているのか、いまこの瞬間の相手のニーズはなんなのか、共感を向けて知ろうとする。

また同時に、自分のニーズは相手とつながりたい、相手に共感したい、相手のニーズを知りたいことだと思っている。
自分のニーズを理解し、そこにつながり、相手に共感していく。
これは共感的コミュニケーション(NVC)のセオリー通りであり、どこもまちがっていないように見える。
だから、相手に、
「あなたのニーズは○○なのかな? 私はあなたのニーズを知りたいというニーズがある」
と迫ってしまう。

しかし、ちょっと待ってほしい。
そのときあなたは、対立が起こったその時点から時間が経過しているいまこの瞬間にいたって、相手のニーズがすでに変化しているかもしれないことに気づいているだろうか。

あなたが共感しようと相手に迫ったとき、すでに相手は、だれかから共感を受けたり自分のニーズを伝えたりする余裕や気持ちがなかったりするかもしれない。
相手はただ、自分をそっとしといてもらいたい、自分のスペースと自分なりのペースを必要としているだけかもしれない。
そういう相手に「ニーズを教えてほしい」と迫るのは、これは共感ではなくすでに「強要」となっていることに、あなたは気づいていない。

「強要」とか「要求」「命令」というのは、相手に選択肢をあたえないという意味でまさに「暴力」といっていい。
銃を突きつけて、こうしろ、さもないと撃つぞ、といっているようなものだ。
共感とはつねに、相手の側にも選択肢があるものだ。

あなたは相手のニーズを知りたい、教えてもらいたい、しかし相手はそれを教えたくないかもしれないし、すでに話をする余裕すらないのかもしれない。
こちらに答えてもいいし、答えなくてもいい、また、なにか別のことをしてもいい、と相手が選択することをこちらが尊重している必要がある。
あなたのニーズはそのとき満たされないかもしれないけれど、ニーズが消えるわけではない。
自分のニーズを相手に伝えた上で、相手が自分のニーズにしたがって選択することを尊重したい。
それが、お互いのニーズをともに尊重する共感的コミュニケーションの原理である。

自分とつながるテキストライティングWS(7.1)
いまの時代こそ表現の根本である「ことば」が重要であり、私たちは自分自身を語ることばを獲得する必要があります。それを模索するワークショップを7月1日(土)に国立およびオンラインで6時間にわたって、じっくりとおこないます。

2017年6月19日月曜日

実効性が高い身体的共感練習

韓氏意拳という武術に取り組むようになってもっとも強烈にショックを受けたことがある。
それは、いかに自分が自分の身体のことを「知っているつもり」「コントロールできているつもり」であるか、ということだ。

子どものころから自分の身体を含む「生き物」に関心があって、さまざまな興味や好奇心で探求しつづけてきた。
生き物をたくさん飼ったりしたのもそのせいだし、中学生のころにはヨガにはまって自分なりに修行じみたことをやったりした。
おかげで、息こらえで4分以上息を止めていられるようになった(いまはどうだろう?)。

ピアノを弾いてきたので、その過程で身体、腕、手、指のコントロールの鍛錬をつづけてきた。
ハノン練習曲集やチェルニー練習曲集はそのための挑戦のためにやったし、しだいにできるようになっていくのも苦しいながらに楽しい面もあったのは確かだった。

一方、武術はいうまでもなく、自分の生死を賭する場面を想定した稽古をおこなう。
その際、「つもり」はそのまま「隙《すき》」につながる。
その隙は敵に差しこまれて、こちらの「負け」つまり「死」となる。

稽古を重ねるうちに、自分の隙よりも相手の隙のほうが先に見えてくる。
自分ができていること、できていないことがすこしわかってくると、それができていない相手のことがよく見えるのだ。
囲碁の勝負の世界で「岡目八目《おかめはちもく》」ということばがあるが、自分のことより人のことのほうがよく見える、ということだ。

自分の隙もわかるようになってくると、愕然《がくぜん》とする。
自分の身体がどれほど見えていなかったか、身体がいかにバラバラになっているか、いかに身体へのまとまりや注目がうわずって足まで降りていないか、そしていかに思考ばかり先行して体認ができていないか。

武術においてもっとも隙が大きくなるのは、観念が先行するときだ。
こうすればああなるはずだ、という思考や型、形、やりかたをすこしでもなぞろうとしたとき、こちらは「死に体《たい》」となる。
観念は感覚を奪う。
生きた体「活体《かったい》」でいるためには、観念の世界をはなれ、思考を手ばなし、感覚体でいつづける必要がある。

これを別のことばでマインドフルネスとか「気づきのある状態」ということもできる(一般的イメージよりずっと濃い世界だが)。
このとき、まぎれようもなく、自分の「ニーズ」が浮き彫りになる。

共感的コミュニケーション(NVC)では「ニーズ」につながることを大事にするが、武術の世界ではそれはわざわざつながるものではなく、極限状況においていやがおうもなく浮き彫りになってくるものだ。
極限状況を想定した稽古において、それはおのずと浮かびあがってくる。
実感としてはニーズが「発生」してくる、といってもいいかもしれない。
ニーズは韓氏意拳の「意」に似ていると私はとらえている。

ニーズ=意が発生すると、いやがおうもなく身体はそれに応じようとする。
かんがえる間もなくそちらに向かって動く。
タイムラグはとても短い。

これらの稽古は困難をともなうが、有効性が高い。
自分とつながること、相手とつながること、こういったコミュニケーションの世界においても、観念にとらわれないために身体感覚はとても重要で、有効だと実感している。
身体をともなわない共感練習は実効性が低いといわざるをえない。

7月開催:水城ゆう共感サロン(7.1)
オンラインまたはくにたち会場への直接参加、どちらでもどうぞ。著者によるアットホームな共感的コミュニケーション(NVC)の勉強会です。7月の開催は7月1(土)18時/3(月)11時、いずれも約2時間。

2017年6月18日日曜日

人の感情の影響を受けないために

毎月、実家に帰るたびに開催している「実家音読カフェ」を、今回も実施した。
このところ、毎回参加者が増えつづけていて、「これ以上増えたらどうしよう」と心配していたのだが、杞憂だった。
今回の参加者は4人と、落ち着いてやることができた。

そこで出た話題。
老人ホームに読み聞かせのボランティアに行っていたんだけど、行くたびにこちらの気持ちが落ちこんでしまって、だんだん耐えられなくなってやめてしまった、ということをいう人がふたりいた。
みなさん、きちんとこちらの朗読をきちんと聞いてくれるんだけど、その前後の交流のなかで、認知症が進んでいる人のぼんやりしたようすや、起伏の激しい感情をしめす人を見ていると、こちらまでその影響を受けてしまって、動揺するというのだ。

人間にはもともと、相手の感情や動作、姿勢を、無意識に写し取ってしまう心の働きがある。
社会的な動物として必要があってそういう働きを持っているのだが、ときにそれはやっかいなことを引きおこすことがある。

そんなときはどうすればいいか。
その場を離れる、逃げる、というのもひとつの方法だが、せっかくボランティア活動に来ていてみなさんのお役に立ちたいと思っているのだから、落ちこんだり動揺することなく、自分は自分としていきいきとふるまっていたい。
こんなとき、共感的コミュニケーションが役に立つ。

共感的コミュニケーションでは、相手の感情やふるまいに注意を向けるが、それはそのさらに奥にあるニーズを知るためであって、目的はあくまでニーズにつながることだ。
なので、相手がどのようなふるまいや感情表現をしていても、こちらはその影響を受けないようにする。
相手の言動や感情は、相手のニーズが満たされたり満たされなかったりしているために現れてきているもので、こちらとはなんの関係もない。
もしこちらが相手とつながりたければ、言動や感情レベルではなく、ニーズレベルでつながるようにする。
つまり、相手がなにを大切にしているか、どんなことを必要としているのか、そのことに注意や好奇心を向けていくのだ。

そのとき、こちらはこちらのままでよく、相手の言動や感情に振り回されることなく、ただ相手に好奇心を向けていくだけだ。
こちらがつながろうとしている態度が相手に伝われば、相手は落ち着いたり、言動や感情に変化が起きたりするかもしれないし、もしそうなって双方のあいだにつながりが生まれたら、こちらもきっとうれしくなるだろう。
おたがいに自分のニーズに気づきつづけ、よりいきいきと交流することをめざすのが、共感的コミュニケーションだ。

今回の参加者がせっかくのボランティアをやめてしまったと聞き、その理由を知ったとき、私はとても驚いてしまったのだ。
なぜなら、私も高齢者を相手の活動のチャンスをたくさん持っているけれど、落ちこんだり動揺するどころか、むしろこちらのほうが元気になり、あたたかく幸せな気持ちで会場をあとにすることがほとんどだからだ。
相手が高齢者だろうが子どもだろうが、本来、いっしょにやるワークはそういうものだろうと思っていたので、びっくりしたのだ。
だから、上記のような話をさせていただいた。

もちろん共感的コミュニケーションを身につけるにはそれなりの理解と練習が必要だ。
しかし、ボランティアワークでみなさんの役に立ちたいと思っている人には、自分がいきいきと活動をつづけていくためにも、共感的コミュニケーションを身につけてほしいと思うのだ。

ボイスセラピー講座@国立(6.24)
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。6月24日(土)10時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

2017年6月17日土曜日

自分の内側と外側に分けて文章を書く練習

月に一回開催しているテキストライティング・ワークショップでは、参加者の顔ぶれに応じて内容が変化していきますが、今回はちょっとおもしろいワークができたので、記録として書きとどめておきます。

なにごとか起こったことやストーリーを人に伝えたいとき、なにをどのように書けばいいのか、という問題に直面します。
たいていの人は思いついたところから、あるいはインパクトのありそうな場面から、もしくは状況説明から書きはじめたりします。
その選択はなんとなくあいまいで、ある程度書いてみてから確認したり、推敲したり、書き直したりします。
明確さをもって書きはじめる人は、よほど書きなれている人でないかぎり、あまりいないのではないでしょうか。

このとき、文章を読んでもらう「読み手」が、どのように受け取るのかをちょっとかんがえておく必要があります。

読み手はその文章がどの視点から書かれているのかを無意識に受け取り、その視点からできごとなりストーリーなり場面なりを脳内で構築しながら読んでいきます。
書き手の視点で書かれていれば書き手が見たり聞いたりしたことを自分の経験として擬似的に体験しながら読みすすめます。
フィクションだったらそれはたいてい主人公の視点だったりします。

では、読み手の視点とはどのようなものか。
読み手の視点には、そのベクトルがふたつあることを理解しておくと、文章を書くための明確さに役に立ちます。

ひとつは自分から外側を見て、ものごとがどのように起こっているのかという「観察」。
もうひとつは、そのものごとが起こったときに自分がそれをどのように受け取り、どのような反応や変化が起こっているかという「観察」。

いずれにしても観察が重要で、そこには客観性が求められます。

どちらを先に書くのかによっても、文章の印象はかなり変わります。
またどちらを重視して伝えたいのかという書き手の意図も関わってきます。
いずれにしても、視点のベクトルを意識して、それぞれ分けて書く必要があります。

こうして書かれた文章はとても明確で、輪郭がはっきりしていて、読み手にも受け取りやすいものになります。
そのことはワークショップで実際にやってみて、はっきりわかることでした。

今回のワークショップでも、書いている文章がそのプロセスを経てみるみるクオリティの高いものに変化していきました。
そのことは本当にびっくりであり、また案内する私にとっても喜びでした。
あまりに効果的だったので、この方法はまた機会があれば試してみたいと思っています。

次回7月のテキストライティング・ワークショップは1日(土)の開催です。
詳細とお申し込みはこちらから。

2017年6月13日火曜日

ひさしぶりの朗読ゼミでわくわくした


ほぼ1年ぶりとなる現代朗読ゼミをくにたち春野亭でおこなった。
参加者は私もいれて4人と少人数だったのだが、現代朗読に初めて触れる人もいたので、基本的な考え方から基礎トレーニングの入口あたりまで、ざっくりとではあるが楽しくやらせていただいた。

朗読という表現行為にはアプローチの方法がふたとおりある。
ひとつはテキストの内容や作者の思いなどを伝える「伝達」に主眼を置いたもの。
もうひとつは、テキストを読んでいる自分自身に注目し、自分の生命現象を伝えようという「表現」に主眼を置いたもの。

どちらがいいという話ではないが、現代朗読においては後者のアプローチをとっており、そちらに興味がある方においでいただきたいと思っている。

そんな話(ひさしぶりにした)のあと、身体や呼吸に注目して、いまこの瞬間の自分自身の生命活動をとらえる練習。
そして、「何かを読んでいる自分の状態を緻密に観察する」練習。
といっても、これはそう簡単にだれでもできることではない。

やってみればわかるが、我々現代人は本当に自分の身体が見えなくなっている。
いやそんなことはない、ちゃんと見えている、という人は、たいてい、見えている気がする、見える感じがする程度のもので、表現行為に使えるクォリティの感受がある方はまれだ。

このバーチャルな「感じ」はマインドフルネスや自己共感の質も落とすことがある。
現代朗読の練習は、朗読という簡単な行為を通じて自分を緻密に見るトレーニングでもある。
朗読表現に興味がない人にも有効なのだ。
朗読に興味がある人には、ここからさらに自分自身の生命活動に直結した表現行為へと進んでいくスリルがある。

私自身にもやりたいことがある。
群読と音楽を融合させたコンテンポラリー・リーディング「ウェルバ・アクトゥス」に再挑戦したい。
まだだれも見たことのないようなライブパフォーマンスを作ってみたい。
そのためにはもう少し仲間がほしい。
それは特別なパフォーマーじゃなくてもよく、ごく普通の、ただし自分の存在の可能性にチャレンジしてみたいと思っている人が望ましい。

うれしいことに、昨日の初参加の人は私の考えかたややり方に共感してくれ、さっそくゼミ生の仲間になってくれた。
ここからふたたび始まる。

6月開催:現代朗読ゼミ(6.17)
約1年間のお休みをいただいていた現代朗読ゼミが、内容と方向性をあらたにリニューアルオープンしました。6月の開催は17(土)/22(木)/25(日)/29(木)、いずれも10時半から約2時間。

2017年6月12日月曜日

イベントもりもり週末、です

昨日から月例の北陸実家帰省中。
昨日は福井の母の施設に寄ったあと、同志社大学のみなさんの集いに出て、演奏と講演をやらせていただきました。
今日は実家での音読カフェを終えたところです。

実家滞在からは木曜日に東京に戻りますが、その日は下北沢〈かまいキッチン〉の共感カフェ。
今回の担当は野々宮卯妙です。

金曜日・16日のお昼は、国立古本カフェ〈門〉で「もけごはん付き共感カフェ」です。
どなたも気軽においでください。

その夜は国立春野亭またはオンラインで共感サロンです。
基本的にサロンメンバー専用の勉強会ですが、サロンメンバーがまだ少ないので、メンバー以外の方も歓迎です。
興味のある方はサロンメンバー参加を前提にしたお試し参加でお願いします。
直接おいでいただくも、オンラインで参加いただくも、ご都合のよい方法でどうぞ。

これは翌土曜日・17日の16時からも開催します。

その17日の午前10時半からは現代朗読ゼミを開催します。
朗読という敷居の低い、しかし奥の深い表現行為を通じて、自分自身を知る・つながることを稽古したり、あたらしい表現への挑戦を試みたりします。
単発体験参加歓迎です。

その夜は19時から身体文章塾です。
今回のお題は「耳」です。
単発体験参加歓迎。

日曜日・18日の午後は烏山区民センターで世田谷韓氏意拳初級講習会があります。

盛りだくさんな週末となっています。
チャンスがある方、どこかでお会いできるとうれしいです。

2017年6月9日金曜日

個人セッションを受けた方がブログに紹介してくれた

グループセッションのほかに、個人的に音楽レッスンや個人セッションをお受けしているが、昨日は音読療法と共感的コミュニケーションについての個人セッションをおこなった。
受けてくれたのはみかこさんという方で、以前、音読カフェに参加してくれたことがあって、そこから興味を持っていただいたそうだ。

対人援助職についておられるそうで、お仕事にも活かせる共感的コミュニケーションについてお伝えした。
さっそく自分のブログにそのことを紹介してくれた。
ありがとう。
みかこさんのブログ記事はこちら

ご夫婦で音楽活動もされていて、みかこさんの夫のブログもまた素敵なんだな。
ちなみに、私が日本語ネイティブで書いた、より読みやすい本があって、それはこちら。



アマゾンKindleで電子書籍としても出てます。

2017年6月8日木曜日

健康のためと思って作ってあげた野菜ジュースを飲んでくれない

家族の健康を願わない人はいません。
共感サロンで聞いた話です。
ある女性の方が家族の健康のために野菜ジュースをせっせと作っていて、小学生の息子にも飲んでもらいたいと思っています。
ところが、息子は飲んでくれる日もあるけれど、飲んでくれない日もあったりします。

先日も「いらない」といわれたけれど、飲んでもらいたくて「ここに置いておくね」とテーブルの上に置いておきました。
結局、息子さんは飲んでくれたんですが、なんとなくもやもやが残ってしまった、という話でした。

彼女は息子の健康を大切にしていて、彼がすこやかに育つこと、健康であることで、自分の安心のニーズが満たされます。
また彼のすこやかな成長に貢献したい、母として役に立ちたい、というニーズもあります。
なので「野菜ジュースを飲んでほしい」と思うわけです。

ここで大切なのは、息子が野菜ジュースを飲んでくれる、というのは彼の健康に貢献する「手段」のひとつにすぎない、ということです。
彼が健康であるためには、すこやかに成長するためには、野菜ジュースを飲むことが必須条件ではありません。
しかし、いまその手段に執着して、彼に「野菜ジュースを飲んでほしい」と迫っている態度をしてしまっているとき、それは彼にとって「強要」と感じてしまうでしょう。

彼もまた、自分の健康は大切だし、できればお母さんのリクエストにこたえたい(だからテーブルに置かれたジュースをしぶしぶながらでも飲んだのでしょう)のですが、強要されてはすなおにそれを受け入れにくくなります。

もう一度お母さんのニーズにつながりなおしてみると、
「自分は息子の健康に貢献したい、だから健康に貢献できると思っている野菜ジュースを喜んで作っている」
ということに気づきます。
つまり、自分のニーズを満たす喜びをもって野菜ジュースを作っているわけです。

野菜ジュースが息子に拒否されたとしたらそれは残念なことではあるけれど、きっと息子にもなんらかのニーズがあったのでしょう。
また、もし受け入れられたとしては、それはさらにうれしいこととなります。

ということは、とても簡単な解決策として、野菜ジュースを作る前に息子に、いまそれを飲む気があるかどうか確認してみればいいのです。
つまり、息子のニーズも尊重できるかどうか、です。
息子が、自分のニーズが尊重されていると感じたら、きっとお母さんのニーズも尊重したり、目を向けたりできるでしょう。
飲みたくなければそういってくれるし、飲みたいときには「お母さんは自分の健康を気遣ってくれてるんだな」ということに気づくかもしれません。

「お母さん、いま野菜ジュースを作ろうと思ってるんだけど、いま飲む気ある?」
「いいよ」
この確認のあとに野菜ジュースを作るのは、なんと心楽しいことでしょうね。

6月開催:水城ゆう共感サロン(6.10)
共感的コミュニケーションの勉強会をあらたに〈共感サロン〉としてリニューアルオープンします。6月の開催は10(土)18時/6月16(金)19時/17(土)16時/23(金)19時/24(土)16時、いずれも約2時間。

2017年6月7日水曜日

美を追求したい、その美とはなにか

人の普遍的なニーズになかに「美のニーズ」というものがある。
だれしも「美」をもとめる気持ちがある、ときにはそれは強い必要性となってその人の行動や、人生すら決定することもある。

これまであまり深く美のニーズについてかんがえたことはなかったかもしれない。
かんがえたとしても、せいぜい、
「最近太ってしまった。すこし痩せなきゃ。これは美のニーズがあるからだな」
とか、
「バッハが好きなのは、整然と構築された音の世界に美を見るからだな、きっと」
という程度のものだった。

しかし最近気づいたのは、自分の生き方というか人生そのものにも、美のニーズがあるということだ。

すっきりした部屋に住みたい、とか、贅肉を落としたい、とか、持ち物を少なくしたい、とか、姿勢をよくしたい、とか、規則正しい生活をしたい、とか、ミスタッチなくピアノを弾きたい、とか、嘘いつわりなく毎日をすごしたい、とか、人間関係を大切にしたい、とか、きりがないけれど、かなり多くの願望が美のニーズに接続しているような気がする。
というより、美のニーズからは多くの枝分かれがあって、その先にもそれぞれ細かな美のニーズがたくさん葉を広げているような感じ。

とくにこの歳になり、残り時間を気にするようになってくると、それらのニーズがいちいち立ちあがってくる。
しかし、自分がこれまですごしてきた人生の時間は後戻りできないし、すでにやらかしてしまったことは消去することはできない。

いや、本当に消せないのだろうか。
記憶を消すことはできないというけれど、そもそもそれは記憶にすぎず、脳内イメージといっていい。
つまりそれは、いまこの瞬間には存在していないもので、私の脳内にイメージとしてこびりついているものにすぎない。
捏造されてすらいるかもしれない。

自分が過去にしでかしたことをくよくよして前に進めないでいるより、いまこの瞬間の美のニーズにつながって、いまどうありたいのか、どうしたいのかをクリアにして進んでいきたい。
たしかに過去はそんな私の背中にずるずるとしがみついて私を引きもどそうとするだろう。
それはそれで向かいあう必要がある。
それらと縁を切るためには、いまなにができるのか、ということだ。
それだって美のニーズから生まれている。

そうかんがえたとき、さて私はこれから、なにをするのだろう。
どんなものを作るのだろう。
なにをいったり、演奏したり、表現したりするのだろう。
あるいはなにを「しない」のだろう。

自分とつながるテキストライティングWS(6.10)
いまの時代こそ表現の根本である「ことば」が重要であり、私たちは自分自身を語ることばを獲得する必要があります。それを模索するワークショップを6月10日(土)に国立で6時間にわたって、じっくりとおこないます。

2017年6月6日火曜日

7月11日:国立・韓氏意拳初級講習会

国立での駒井雅和中級教練による韓氏意拳の会員向け初級講習会、2017年7月のお知らせです。

◎日時 2017年7月11日(火) 14:00〜16:30
◎参加費 3,500円(講習会費、会場費、講師交通費を含む)
◎場所 国立駅から徒歩5分の会場
◎持物 動きやすい服装・筆記用具・メモ

参加予約はこちらから。

もしくは直接私・水城まで、あるいは現代朗読協会コンタクトフォームからお知らせください。 

2017年6月4日日曜日

朗読のなにがすごいのか

私自身は朗読しないくせに、ずっと前から「朗読はいいよ」「朗読にはまだだれも知らない可能性があるんだよ」といいつづけてきたのは、ちゃんとわけがある。

私が朗読というものに真正面から出会ったのはまだ20代なかばのころで、ピアノの教師をしたり、地元のラジオ番組の制作にかかわったりしていた。
そのとき、ラジオ番組で知り合ったナレーターと意気投合して、朗読とピアノでライブセッションをやることになった。
榊原忠美というその人はプロのナレーターではあったけれど、自分の本職は役者だと思っていて、朗読も本の内容を伝える伝達的なことよりも、くっきりとステージ表現の延長線上にとらえていた。

というようなことはいまから思えばわかることだが、朗読を自分を表現するための行為ととらえている人はあまり多くない。
その証拠に、私とセッションしても、まるでこちらの音を聴いていなかったり、ひどいときには「声が負けるので音を小さくしてもらえませんか」と、伴奏者に徹するように要求されることがある。
つまり、本の内容を「伝達」することに主眼が置かれているし、あえていえば本の内容を正しく美しく伝達している自分自身を見てもらいたいという一種の「イメージ」があるのだ。
まあそれだって、聴く人には伝わってしまうわけだが。

私たちは生まれたときからずっと「ことば」を使う練習をしつづけてきた。
事情がある人は別として、たいていは本があればそれを声に出して読みあげ、人に伝えることができる。
つまり、ほとんどの人が朗読者としてすでに十分に訓練を積んでいるといっていい。
しかし、表現行為として自覚的にそれを行なっている人はどのくらいいるだろうか。

いざ朗読を表現行為ととらえてそこに向かってみたとき、多くの人は愕然とするだろう。
実際にそういう姿を私はたくさん見てきた。

自分はいったいこれをどう読めばいいのか。
どう読みたがっているのか。
これを読むことでなにが伝わるのか。
自分自身を朗読で表現するときどういうことなのか。
朗読する自分になにが起こっているのか。
どうすれば魅力的な朗読ができるのか。
どうすれば朗読で自分自身を伝えることができるのか。

これらの問いをあくことなく立てつづけてきたのが、現代朗読である。
ごく普通のサラリーマンや主婦や、現役を引退された高齢の方や、若い学生や、役者や音楽家や絵描きや詩人が、朗読という表現行為試みてみたとき、表現者としてのむきだしの自分自身に向き合うことになる。
なにしろ普段なにげなくだれもがおこなっていることを、あらためて表現行為ととらえて立ち向かってみたとき、自分自身の多くの問題や可能性がめらめらと洗いだされてくるのだ。

だれもがいますぐ始められて、しかし困難にぶつかり、自分自身の問題解決を迫られ、表現と自分の世界の深遠さを垣間見て震えあがる、それが朗読という表現行為の持つ仕掛けなのだ。
ここを一度通過してみることで、表現者はもとより、表現を日常的におこなっていない人も、まだ見たこともない自分自身を知ることになるだろう。

だから私は、だれにでも、朗読をやってみることをしつこくすすめているのだ。

6月開催:現代朗読ゼミ(6.8)
約1年間のお休みをいただいていた現代朗読ゼミが、内容と方向性をあらたにリニューアルオープンしました。6月の開催は8(木)/17(土)/22(木)/25(日)/29(木)、いずれも10時半から約2時間。

2017年6月1日木曜日

ハイテク生活はどこまでイケるのか

PC-8801ノーマークからのデジタルハイテク生活36年のロートル水城です。
この間のテクノロジーとデジタル機器の進展には驚くばかりでしたが、ここに来てさらに目をみはるようなことが立てつづけに起こっています。
しかもこの手元で。

今年2017年のIT業界のトピックは、なんといっても、人工知能(AI)の目覚ましい進化ではないでしょうか。
将棋のプロ棋士を軽々と凌駕したかと思えば、あと何年もかかるといわれていた囲碁までをも席巻しています。

また「おばか知能」の代名詞でもあった「機械翻訳」も、ディープラーニングによる人工知能みずからが驚異的なスピードで学習・成長していくことで、みるみる実用レベルになってきています。
たぶん来年くらいには、
「昔は膨大な時間を使ってわざわざ外国語を習ってたらしいよ」
みたいなことになると思われます。

私は小説を書く人間なので、自分の書いた日本語の小説が世界の人に読んでもらえないことがけっこう大きな痛みでしたが、ここにいたって希望が出てきました。
私の書いたものがちゃんと読める英語やドイツ語やフランス語やスペイン語に翻訳されるなど、それこそクリックひとつであっという間に実現することでしょう。

音声認識も相当なものです。
iPhoneに向かって普通にしゃべれば、たちまちそれはテキストデータに変換されます。
つまり口述筆記です。
私はキーボードを打って文章を書くことに慣れていますが、そのうちキーボードなどとという面倒なインターフェースはなくなってしまうかもしれません。
いまのうちから口述でテキストを書く練習をしておこうと思っています。

テキストデータに変換された「口述」つまり「私のことば」は、たちどころに諸外国語に変換されて、世界中から検索できるようになります。
おもしろいお話を書くので、アニメとか映画の原作に使ってね。

車も自動運転にもうすぐなります。
これもやがて、
「昔はニンゲンが自分で運転してたらしいよ。あぶねー。アクセルとブレーキを踏みまちがえたらどうするんだ」
みたいな話になるかもしれません。

もちろんいいことばかりではありません。
そのような世界がやってきたとき、私たち生身の人間はいったいなにを問われるのか、ということです。
向き合うべきことがたくさん出てくるでしょう。
だから私は、ハイテク機器の使いこなしはもちろん、自分自身のからだのことももっともっと知りたいと、日々稽古を重ねているのです。

6月開催:身体文章塾(6.4)
このたび水城ゼミの一環として「朗読ゼミ」や「共感サロン」とも連携することになりました。6月の開催は4(日)/17(土)/25(日)、いずれも19時より約1時間半程度です。

2017年5月31日水曜日

ベーシックメンバー用のコンテンツ準備中

先日から怒涛の勢いでオンラインNVC講座をがんばっている献ちゃんと、それをサポートしている野々宮、そしてのぞみさんを連れて、車で献ちゃんおすすめの小平市の中国麺屋〈なにや〉に行ってきました。
すばらしいね、ここ。
おいしかったな。

今日は、明日からのオープンに備えて、閲覧し放題サービス用の私のコンテンツの整理をしています。
電子書籍をピックアップしてみたんだけど、こんなにありますよ〜。
まだまだ追加する予定です。
とりあえず、明日公開分。

共感的コミュニケーション2017
マインドフル練習帳1
マインドフル練習帳2
マインドフル練習帳3
マインドフル練習帳4

【短編集】
子どものころの七つの話
祈る人1 彼女が神様だった頃
祈る人2 今朝の蜜蜂は羽音低く飛ぶ
祈る人3 アンリ・マティスの七枚の音
祈る人4 青い空、白い雲
祈る人 5舞踏病の女

【ハウツー/ノンフィクション】
仕事をやめたいと思ったときに――共感ハンドブック Vol.1
ジャズの聴き方 JAZZ BIBLE
現代朗読考
デジタル出版で生きて行く
オーディオブックの真実

【長編小説】
ストリーム
桟橋
秘密

月額1,000円ですべてのコンテンツを閲覧し放題の「ベーシックメンバー」は、こちらからどうぞ。 

こんなふうに使おう、水城ゼミ

いよいよ明日・6月1日から水城ゼミがスタートします。
といっても、いつでも途中入りできますが。

まずスタートするのは、ベーシックサービスです。
これは私・水城ゆうが製作したコンテンツすべてが、月額1,000円で読み放題、見放題、聞き放題になるという、定額サービスです。
まずこちらを登録して「様子見」してから、ゆっくりと各ゼミに進んでいくことをおすすめします。

ベーシックの様子見もためらうという方は、まず無料メールマガジンを登録してみてください。
そちらでは水城ゼミでどんなことがおこなわれているのか知ることができますし、オリジナルの読み物も流す予定なので、楽しんでいただけます。
無料メールマガジンの登録はこちらから。

さて、水城ゼミにはみっつの柱があります。
「共感サロン」
「身体文章塾」
「現代朗読ゼミ」

共感サロンは、これまでおこなってきた共感カフェの延長線上にあって、共感的コミュニケーションに興味がある方におすすめです。
そしてある程度固定されたメンバーで継続的に学んでいくことで、理解を深め、本当に「使える」ようになりたいという人におすすめです。

月に6回の参加機会を作っていますが、もちろんすべてに出る必要はありません。
都合のつくところだけ、そして都合のつく時間に参加してください。
今月はこの日の1時間しか参加できない、というようなことでもかまいません。
だれがサロンメンバーなのかみんながわかっていることで、安心・安全の場を作りたいというねらいがあります。

今月は1回しか出られなかったので参加費が損する、無駄になる、というような考えが生まれてしまう人は、私に相談してみてください。
なにかいい方法がないかいっしょに検討してみてもいいですし、そもそもそのような考えがなぜ出てくるのか共感してみるのもいいでしょう。

表現に興味がある人は、身体文章塾か現代朗読ゼミがおすすめです。
文章塾は静的表現、つまりリアルタイムではない間接的な表現を扱います。
しかし、ここでも自分自身とのつながりや、身体感覚がとても大切なのです。

朗読ゼミは動的表現、つまりリアルタイムに時間軸にそっておこなわれる表現をあつかいます。
音楽やダンスや演劇も動的表現です。
朗読というだれにでもできる動的表現は、しかしあまり表現行為としてはとらえられることがなく、まして現代アートとしてアプローチする人はまずいません。
しかし、まぎれもなく朗読は表現行為ですし、現代アートとしての大きな可能性を持っています。

いずれにしても、表現は自分自身とのつながりや身体性が重要なことはたしかで、どちらも身体トレーニングや身体観察の練習をともないます。
このトレーニングは日常生活における人のありようを大きく変える可能性もあります。
現に私自身は身体トレーニングをおこなうようになってから、文章表現も音楽演奏も変わっただけでなく、日常の見え方や、生きている感じそのものが大きく変わったと実感しています。

まずほかではやっていないユニークなトレーニングや考え方が、水城ゼミにはあると自負しています。
このようなことに興味がある方は、まずは体験参加してみられることをおすすめします。
みなさん、お待ちしてますよ!

水城ゼミについては、こちらから。

水城ゼミの各スケジュールは、こちら

2017年5月30日火曜日

音読療法の仲間と活躍の場の広がり

金曜日の夜から土曜日にかけて、音読トレーナー養成講座とボイスセラピー講座をおこないました。
音読トレーナー養成講座は、2泊3日の合宿形式で開催する予定だったのが、キャンセルが出たり、参加者の都合で、前半の1泊2日の部分のみをおこないました。
後半は後日あらためて、ということになりました。
ボイスセラピー講座のほうは無事に終了しました。

このところ、急速に音読療法の活躍のチャンスが広がってきているように感じています。
以前からそれは予想していて、しきりにみなさんに呼びかけたりしていたんですが、私の説得力が不足なのか、なかなか音読療法に関心を持ってもらうことがむずかしいなと感じていました。
ところが、最近、世の中の流れが徐々に変わり、音読療法のニーズが高まってきたように感じます。

ひとつには、相変わらず都市部に集中していく人と経済のながれのなかで、地方における高齢化社会の進展の問題があります。
同時に、都市生活や極度な経済至上主義の社会に失望したり疲れたりした人々が、若い人も含めて逆に地方を見直そうという動きもあります。

今回の講座でも、参加者のひとりは、近く両親が住む離島へと移住する計画をすすめている人でした。
パーマカルチャーやエネルギーシフト、トランジション・タウンといったことに興味を持っていて、田舎でそれを試してみたいと同時に、地域社会に貢献的にかかわる手段として音読療法が最適だと感じて、音読トレーナー資格を取りに来てくれたのです。

たしかに、音読トレーナーになれば、いま地方でもっとも求められている「介護予防」などの事業に協力する余地があるし、また自分でも音読カフェなど地域コミュニティのつながりや活性化に貢献できる「手段」を持つことができます。
実際に音読トレーナーのひとりで北海道の弟子屈町に住んでいる藤原直美は、地元の人材バンクからの派遣で介護予防や高齢者介護施設での音読ケアワークにたずさわっているし、自分でも音読カフェを開催しようとしています。
地元の人たちととても密接につながり、貢献し、自分自身もまたやりがいを見出していきいきと活動しているようすを知らせてもらって、私も大変うれしいのです。

もちろん、都市部でも活躍の余地はたくさんあります。
音読カフェだって、自宅や公共施設や、カフェ営業の一画をお借りして開催することは楽しいだろうと思います。
私も自分でくにたち春野亭で毎月開催しています。

今回なによりうれしかったのは、ボイスセラピー講座の受講者や音読トレーナー資格をめざす人たちが、おたがいにつながり、仲間となって、音読療法の普及に協力しあってくれるだろうという姿を見ることができたことです。
オーガナイザーの私としても、できるかぎりのサポートや協力を惜しまずにしていきたいと思います。

近く、今回やり残した音読トレーナー養成講座の後半を開催しますし、来月・6月24日(土)にはボイスセラピー講座があります。
また、参加者のタイミングが合えば、近いうちにまた音読トレーナー養成講座を開催したいとも思っています。

くにたち春野亭での音読カフェは6月5日(月)夜の開催です。
まずは音読療法をちょっと知りたい、体験してみたいという方は、こちらへの参加をおすすめします。

6月5日:音読療法協会の音読カフェ(6.5)
ボイスセラピーの手法を用いつつ、お茶を飲んだり共感的に対話しながら進める心身調整健康法を実践する場を、音読療法協会主催で開いています。6月の開催は5日(月)19時半からです。

YouTube:われらが身体文章塾のホープ・知念満二氏に聞きました

水城ゼミのひとつ「身体文章塾」に昨年2016年から参加して、驚愕の作品群を嵐のように送り出しつづけている沖縄在住の書き手・知念満二氏が東京にやってきたのをつかまえて、インタビューをおこないました。

書くことや音楽をプロデュースすることなど、びっくりするようなエピソードとともにお話をうかがいました。

映像はこちら

知念氏が参加している身体文章塾に興味がある方は、こちらをご覧ください。

6月18日:世田谷・韓氏意拳初級講習会

世田谷での韓氏意拳の初級講習会、2017年5月のお知らせです。

◆講師 内田秀樹師

◆日程 6月18日(日)
13:00~15:30 (初級教程・体験可)
16:00~18:30 (初級教程・会員限定)

◆会場 烏山区民センター
◆会場 京王線 千歳烏山駅北口徒歩1分

◆定員 10名
◆会費 1コマ 3500円 / 2コマ 6500円
◆持物 動き易い服装、筆記用具

※お申し込みはこちら

2017年5月29日月曜日

日々のニーズをさがす気楽な練習方法

先週木曜日は毎月恒例の下北沢〈かまいキッチン〉での共感カフェでした。
だいたいにおいて共感カフェの参加者は女性が多いんですが、男性がふたり参加されていて、うれしかったです。
そして昨日は、だいたいにおいて男性は「バカである」傾向が強い、ということを苦笑しながらも確認しあったのでした。

なにが「バカ」なのかというと、たとえば妻から、
「今日は仕事が大変でとっても疲れたのに、これからご飯を作らなきゃならないなんて」
という愚痴めいたことを聞かされたとき、だいたいは即座に、
「だったらやらなくてもいいよ」
とか、
「休めばいいじゃん」
などと、提案したりアドバイスしたりしてしまうのです。
しかし、妻はただたんに聞いてもらいたい、自分の大変さを理解してもらいたいだけだったりします。
アドバイスがほしいわけではないので、夫がそのような反応をするとたいていはムカッとしてしまうのです。

相手のニーズに目を向けるかわりに、手段に頭が向いてしまう。
それが「バカ」であるゆえんです。
それはまあ、夫側にもニーズがあって、おそらくは妻の役に立ちたいとか、妻が楽になることによって自分が安心したいのでしょう。

そんな話から、日常生活のなかでいつも自分や相手のニーズを推測したり、つながったりする練習をするのがむずかしい、という話になりました。
そこで、ごく簡単に、いつでもできるニーズを見つける練習方法を提案してみました。

ひとつは、財布に一枚や二枚ははいっているだろうレシートを使う方法。
今回もひとりの方にレシートを出してもらい、一番上にプリントされている品名を教えてもらいました。
それは「トイレットペーパー」でした。

さて、トイレットペーパーを買った「そのニーズ」はなんでしょう、ということです。
清潔のニーズでしょうか、快適さのニーズでしょうか、安心・安全のニーズでしょうか、ゆとりのニーズでしょうか。

このように、レシートを見て、それをなんのニーズで自分が買ったのか、見てみる練習ができます。

また手帳の「TODO」リストもニーズを見る練習になります。
「午前8時までに燃えるゴミを出す」
という「やらなきゃならない」ことが書いてあったとしたら、それはなんのニーズを満たすためにやろうとしているのか、見てみます。
清潔のニーズでしょうか、快適さのニーズでしょうか、秩序のニーズでしょうか。

人のあらゆる言動には、すべて、ニーズがあります。
ニーズがあって行動したり、なにか表現したりしているのです。
その言動はすべて、自分のニーズを満たすための手段としておこなっていることなのです。
ここを明らかにすることによって、自分の言動に客観的理解が生まれ、また明確さや力強さが生まれます。
なんとなく「やらなきゃ」と思ってやっていることと、ニーズにつながって「やりたい」と思ってやっていることとでは、まったく言動の質が違ってくるのです。

昨日の共感カフェでは、初めてお会いする人が多かったんですが、そういう人に私なりの共感的コミュニケーションを伝えるのはわくわくします。
と同時に、一度来てくれた人がまた来てくれて、できれば継続的に学びを深めていってくれることも喜ばしいと思っています。
そのために、共感サロンというシステムを用意しました。

継続的な学びのなかで、共感的コミュニケーションの理解とスキルのクオリティを高めていきたい、お互いに学びあいたい、仲間とともに高めあいたい、という思いがある方は、ぜひ私の共感サロンに参加してみてください。
深く学び、それを自分の仕事や生活に生かしていく方法を、いっしょに考えてみましょう。

6月開催:水城ゆう共感サロン
共感的コミュニケーションの勉強会をあらたに〈共感サロン〉としてリニューアルオープンします。6月の開催は5(月)11時/10(土)18時/6月16(金)19時/17(土)16時/23(金)19時/24(土)16時、いずれも約2時間。

2017年5月25日木曜日

6月22日:国立・韓氏意拳養生功講習会

国立での駒井雅和中級教練による韓氏意拳・養生功の韓氏意拳学会公認講習会、2017年6月のお知らせです。

◎日時 2017年6月22日(木) 19:30〜21:00(ショートクラス)
◎参加費 2,500円(講習会費、会場費、講師交通費を含む)
◎場所 国立駅から徒歩5分の会場
◎持物 動きやすい服装・筆記用具・メモ

参加予約はこちら「韓氏意拳学会公式フォーム」から。
もしくはこちらのフォームから。

2017年5月24日水曜日

発表します・その5:プレミアムメンバーについて

これが最後の発表となります。

水城ゆうの有料コンテンツおよび定期開催イベントのすべてにアクセスできるのが「プレミアムメンバー」です。
提供するものは大きく分けて「ベーシックメンバー」と「水城ゼミ」があります。

「ベーシックメンバー」は、水城ゆうがこれまでに発刊したすべてのコンテンツ(音声・音楽・動画を含む)、およびこれから配信するすべての有料メルマガとコンテンツを、自由に読んだり見たり聞いたりできるサービスです。

「水城ゼミ」は現在、3本の柱があります。
「共感サロン」「身体文章塾」「朗読ゼミ」です。

これらすべてを月額1万円で利用できるのが「プレミアムメンバー」です。

参加申し込みはこちらから。

水城ゼミ全体のスケジュールはこちらのカレンダーから確認できます。

発表します・その4:共感サロンについて

私・水城ゆうは2012年ごろから共感的コミュニケーションの勉強会「共感カフェ」を接触的におこなってきました。
心がけたのは、とにかく多くの方に共感的コミュニケーション/NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)について知っていただいて、いっしょに練習できる仲間を増やすために、学びの場をオープンにすることでした。

だれでも出入りできる街のカフェ、私自身の活動拠点(羽根木の家やくにたち春野亭)、個人宅や公共スペース、企業や任意団体など、私自身も学びの場作りをしましたし、そのような場を作ってくれる方に呼ばれればどこへでもうかがってきました。
それはいまもつづいていますが。

オープンスタイルで場作りをしてきたことで、多くの人と出会い、また仲間も増えました。
さまざまな事例にも出会い、それらは私の本『共感的コミュニケーション2017』などに結実しています。
これまで参加してくれた方々には心から感謝します。

最近は共感的コミュニケーションを学ぶ場もずいぶん増えてきました。
なかには私の共感カフェで育っていった方や、インスパイアされて自分もやってみようとはじめた方もいて、うれしいかぎりです。
なので、私の「多くの方に知っていただくという」という役割はそろそろ終わりにしてもいいのではないかと思います。

いま私が向かいたいのは、すでにいる仲間や、あらたに来られる方も含めて、「継続的な学び」を通して学びのクオリティを高めていきたい、という方向です。
共感的コミュニケーションを理解するだけでなく、身につけ、実践的に使えるようになり、また自分自身も共感的世界を生きるようになっていける人たちが、学びのクオリティを追求できる場を作りたい、と思っています。

とくに「自分につながる」こと、「マインドフル」に気づきつづけていること、いつも「活体」でいきいきとあること、などを追求していきたいと思っています。
それは私自身の学びの場でもあります。

そこでこのたび、共感カフェから一歩踏みこんで、「水城ゆう共感サロン」として、クローズドなメンバー制によるスタイルをとることにしました。

クローズドメンバーにすることによって、継続的に学ぶことによる深まりと同時に、メンバー同士のつながりや、学びの安心・安全も確保できます。
メンバー同士が信頼しあって練習しあえることをめざします。
興味のある方はぜひ参加してみてください。

以下、募集要項をお読みください。

◎名称
水城ゆう共感サロン

◎内容
月に6回のサロンを開催します。
サロンは共感的コミュニケーションの継続的な学びの場として開催されます。
平日3回、土日3回、それぞれ約2時間程度を予定しています。
サロンメンバーはそのすべてに自由に参加できます。

◎その他の特典
サロンメンバーは、水城ゆうの有料メルマガとコンテンツ(電子書籍、音楽、講座ビデオ、映像など)のすべてを読み放題、聴き放題、見放題となるベーシックメンバーの権利も、同時に有します。
また、月に1回、水城との個人セッションを無償で受けることができます。
ベーシックメンバーの詳細はこちら

◎参加方法
くにたち春野亭に直接来ていただくか、zoomというネット会議システムを使ってのオンライン参加が可能です。
オンラインはパソコンのほか、スマートフォンやタブレット端末など各種OSにも対応しています。

◎参加費 月額6,000円
クレジットカード、PayPal、銀行振込、現金での直接決済から都合のよい方法をお選びください。

◎参加申し込みはこちらから。

◎その他、お問い合わせも上記フォームからどうぞ。
身体文章塾、朗読ゼミも合わせてご利用ください。
身体文章塾の詳細はこちら
朗読ゼミの詳細はこちら

これらすべてに参加できるプレミアムメンバー(月額1万円)もあります。
プレミアムメンバーの詳細と特典はこちらをご覧ください。

◎2017年6月の開催予定
 6月5(月)11時/10(土)18時/16(金)19時
 17(土)16時/23(金)19時/24(土)16時
 いずれも約2時間
 5日と10日はサロンメンバー以外も参加できるオープン枠です。

水城ゼミ全体のスケジュールはこちらのカレンダーから確認できます。

発表します・その3:身体文章塾について

毎月3回のペースで定期開催しているインターネット時代を見据えた文章塾です。
あつかうテキストは小説、エッセイ、詩、ブログ記事、その他なんでもありですが、基本はテキストで自分自身を伝えるための「テキスト表現」についてみんなでかんがえ、学ぶ場です。
とくにオリジナリティを重視していて、いかに自分らしいテキスト表現を獲得するかを目的のひとつに据えています。
そのために身体性とむすびついたことば、文章をさがすこと、生身の感触がある文体をどうやって見つけるか、さまざまな試みをつづけています。

毎回「お題」が出され、それにそって書いた短文をあつかいますが、それとは別に独自に書いたものがあればそれも扱います。
ユニークな作品は機関誌『HiYoMeKi』に収録され、一般に配信・公開されます。

案内役は小説家でピアニストの水城ゆうです。
アマゾン検索でたくさんの著書が出てきますので、参考にしてみてください。

◎名称
身体文章塾

◎内容
月に3回開催します。
開催は日曜日の夜、もしくは土曜日の夜になります。
塾メンバーはそのすべてに自由に参加できます。
機関誌『HiYoMeKi』を発刊するほか、他流試合としてさまざまなコンテストに挑戦することもあります。

◎その他の特典
塾メンバーは、水城ゆうの有料メルマガとコンテンツ(電子書籍、音楽、講座ビデオ、映像など)のすべてを読み放題、聴き放題、見放題となるベーシックメンバーの権利も、同時に有します。
また、月に1回、水城との個人セッションを無償で受けることができます。
ベーシックメンバーの詳細はこちら

◎参加方法
くにたち春野亭に直接来ていただくか、zoomというネット会議システムを使ってのオンライン参加が可能です。
オンラインはパソコンのほか、スマートフォンやタブレット端末など各種OSにも対応しています。

◎参加費 月額6,000円
クレジットカード、PayPal、銀行振込、現金での直接決済から都合のよい方法をお選びください。

◎参加申し込みはこちらから。

◎その他、お問い合わせも上記フォームからどうぞ。
共感サロン、朗読ゼミも合わせてご利用ください。
共感サロンの詳細はこちら
朗読ゼミの詳細はこちら

これらすべてに参加できるプレミアムメンバー(月額1万円)もあります。
プレミアムメンバーの詳細と特典はこちらをご覧ください。

◎2017年6月の開催予定
 2017年5月7(日)/21(日)/28(日)
 いずれも19時より約2時間程度

水城ゼミ全体のスケジュールはこちらのカレンダーから確認できます。

発表します・その2:現代朗読ゼミについて

水城ゆうの現代朗読ゼミ、再起動します。
ただし、いろいろなことを微妙に軌道修整し、向かう先もすこし変わっています。

2006年に現代朗読協会を立ちあげ、以来、インディペンデントな表現集団として数多くの実験と実践を積み重ねてきました。
多くの実績を残しながら、協会の「維持」に向かってしまった結果、自分自身の表現ニーズをおろそかにしてしまったという反省が、いまあります。
いまあらたに、「だれも試みたことのないステージ表現」「まだだれも見たことのないあらたな表現」をめざして、再スタートします。

現代朗読協会時代にようやくたどりついた「あらたな朗読表現の地平」は、ゴールではなく、スタート地点だったのです。
そこから再スタートです。

そのために、参加メンバーには各自がもともと持っている能力の最大限を引きだしてもらう必要があるし、またともに成長していただきたいと思っています。

私の持論ですが、オリジナルで斬新な表現をするには、自分自身になにか付け加えるのではなく、本来持っている自分自身の能力を発揮するだけでいいのです。
本来、すべての人は独自性を持っている、オリジナルな単体です。

「本能を発揮する」
これは、
「本来能力を発揮することを邪魔しない」
といいかえることができます。

参加メンバーがその稽古をするための道すじを用意しています。
それはまた、私自身の道すじでもあります。
ともに、あらたに、未開の表現世界に歩みを進める仲間を、ここに求めます。

◎名称
水城ゆう現代朗読ゼミ

◎内容
月に6回開催します。
平日3回、土日3回、それぞれ約2時間程度を予定しています。
年に数回のステージ公演をおこないます。
また、ネットコンテンツ(オーディオブックや映像作品)の製作もおこないます。

◎その他の特典
塾メンバーは、水城ゆうの有料メルマガとコンテンツ(電子書籍、音楽、講座ビデオ、映像など)のすべてを読み放題、聴き放題、見放題となるベーシックメンバーの権利も、同時に有します。
サロンメンバーはそのすべてに自由に参加できます。ベーシックメンバーの詳細はこちら

◎参加方法
くにたち春野亭に直接来ていただきます。

◎参加費 月額6,000円
クレジットカード、PayPal、銀行振込、現金での直接決済から都合のよい方法をお選びください。

◎参加申し込みはこちらから。

◎その他、お問い合わせも上記フォームからどうぞ。
共感サロン、身体文章塾も合わせてご利用ください。
共感サロンの詳細はこちら
身体文章塾の詳細はこちら

これらすべてに参加できるプレミアムメンバー(月額1万円)もあります。
プレミアムメンバーの詳細と特典はこちらをご覧ください。

◎2017年6月の開催予定
 6月3(土)/8(木)/17(土)/22(木)/25(日)/29(木)
 いずれも午前10半から約2時間

水城ゼミ全体のスケジュールはこちらのカレンダーから確認できます。

つづけて発表する前に

あと三つか四つくらい発表することがあるんですが、その前にちょっとひとこと。
なんでこのようなことに踏みきったのか、について理解してもらえればありがたいのです。

私はこの十数年、いわば自分を「オープンソース化」する実験をつづけてきました。
ブログ、音楽、映像などのコンテンツ、ライブや講座などの活動、ワークショップなども、可能なかぎりフリーでどなたも参加できるように心がけてきました。
場の維持費用など、参加費をいただくこともありましたが、できるだけだれでも参加しやすいようにドネーション制にしたり、安価に設定したりしてきたのです。

自分をオープンソースにする目的は、やはりまず知ってもらいたい、ということがありました。
できるだけ多くの人に知ってもらいたい、利用してもらいたい、自分の存在を貢献に使いたい、ということでした。

おかげでたくさんの人がやってきました。
そしてまた、去っていきました。
いまだにつながってくれている人もいますが、基本的に知ってもらったら、よりクオリティの高いトレーニングができる場へと進んでいくのが普通です。
当然、私のなかでも、自分の場のクオリティをさらにあげていきたいという欲求が高まってきました。

なので、オープンにしていた活動を、いったんクローズドな場に移行してみようと決心したのです。
多くの人に知られたり、気安く参加してもらえるチャンスは減りますが、ある程度固定されたメンバーで継続的に学んでいくことで、学びのクオリティは劇的に向上すると思います。
また、メンバー同士のつながりが生まれたり、そのことが創造性を生んだりするかもしれません。
なにより、どこのだれともわからない者がそこにいない、という安心・安全のニーズも満たされます。

ここからはじまる場に、私は自分のすべてをつぎ込んでみようと思っています。
長年獲得してきたものをこのまま墓場まで持っていくつもりはありません。
全部渡してからおさらばしたいのです。
また同時に、いまこの瞬間もまだ創造性が高まっている実感もあります。
この場からあらたにまたなにかが生まれるかもしれません。
それを自分自身もわくわくしながら待っているのです。

発表します・その1:定額読み放題(ベーシック)サービス

いまからいくつかのお知らせを怒涛のように発表します。
みなさん、お付き合いのほどをよろしくお願いします。
そしてなにかご不明の点や気づいたことなどあれば、どうぞお知らせください。
迅速に対応するつもりです。

発表第一弾は、「定額読み放題(ベーシック)サービス」についてです。
これに申し込んでいただくと、月額1,000円で、私がこれまでに発刊したすべてのコンテンツ(音声・音楽・動画を含む)、およびこれから配信するすべての有料メルマガとコンテンツを、自由に読んだり見たり聞いたりできる、というサービスです。
以下のものがすべて読み放題・聞き放題・見放題となります。

・有料メルマガ
・Kindleなど有料デジタルコンテンツ
・動画(有料講座を含む)
・音楽やオーディオブック

これらのコンテンツはフェイスブックの秘密のページからアクセスできるようになります。
決済方法もクレジットカード、PayPal、銀行振込、現金での直接決済まで用意してますので、ご都合のよい方法をお使いください。

ベーシックメンバーの詳細と申し込みはこちらから。

2017年5月21日日曜日

私はどこから来て、いまどこにいるのか

十数年の現代朗読協会の活動のなかで、私が一貫しておこなってきたことがあります。
それは、
「こうしなさい/それはだめ」
という物言いをするかわりに、
「あなたはどうしたいの?」
という問いを常に表現者に向けつづけてきたことです。
それは自分自身にたいしてもおなじでした。

私は現代朗読の活動を「習いごと」にしたくなかったのです。
習いごとというのは、先生がいて、その先生のいうとおりに稽古します。
先生がお手本となり、そこからはずれたことは「だめ」。
先生が直接「ダメ出し」をすることもあれば、長年習っているお弟子さんがそうすることもあります。
慣れてくると、自分自身でそうすることすらあります。
一定の型や方法があって、そこから逸脱することは許されません。

私はその方法では、表現者ひとりひとりが実は無限に持っているはずの可能性をのばすのは難しい、と感じていました。
さいわい、私自身は朗読家ではないので、お手本を示すことはできません。
しかし、「こうしろ、ああしろ」というのは簡単です。
そうではなくて、常に「あなたはどうしたいのか」という問いを向けていきます。

やってみるとわかりますが、なにかを表現しようとするとき、「自分はどうしたいのか」に向かい合うのはとても頼りなく、心細いものです。
自分がどうしたいのかは、実際にやってみるまでわからないからです。
かすかに見える兆候/兆しのようなものを頼りに、とにかくやってみる、すると初めて、自分がどうしたかったのかがわかります。

先生に「こうしなさい」「こうしてはだめ」といわれているほうが、よほど楽です。
なにもかんがえずに、感じずに、そのとおりにすればいいのですから。
自分の行為の「根拠」は先生が示してくれます。
表現の根拠は自分の外部にあるのです。
私の方法だと、表現の根拠は、自分自身の内側にあります。
自分が示してくれる根拠はごくわずかな声であり、よほど自分自身をよく観察し、自分自身につながっていないと聞こえてこないのです。

現代朗読では音声表現だけではなくさまざまなボディワークや古典的な健康法、武術などから、自分自身を観察し、身体の声を聞く方法を試したり、取りいれたりしてきました。
その結果、朗読を表現としておこなうために有効なトレーニング方法をある程度確立できたのではないかと思っています。
この方法はまだまだ発展の余地があり、もっと先があるように思っていますが、現時点でもかなり有効であることがわかっています。
また、これは朗読表現だけでなく、ほかのさまざまな表現にも応用できますし、また日常生活のなかでもとても役立つと感じています。
私だけでなく、いっしょにトレーニングをした多くの人がそれを感じてくれたようです。

すべての人が表現者であり、また意図的に表現に取りくむことで日常生活のなかでも大きな気づきが起こるようになります。
私はこのことを推奨しているのです。
なぜなら、私自身がそれで気づくことが多く、毎日いきいきとすごし、人生を心底味わいつくすことができるようになったからです。
そのことを自分のものとして囲いこまずに、全部伝えつくしてからこの世をおさらばしたいのです。

YouTube:福井県立病院ボランティアコンサート2017.5の抜粋

2017年5月16日。
3か月に1回程度のペースで水城ゆうがおこなっている福井県立病院エントランスホールでのソロピアノコンサートの抜粋映像をお送りします。

映像はこちら

2017年5月20日土曜日

私がほんとうにやりたかったこと

世田谷の古民家〈羽根木の家〉という活動拠点がなくなり、活動が終息してしまった現代朗読協会ですが、一時はそれはそれでやむなし、しかたないかな、と思っていたのです。
あきらめるというより、割り切った感じで、自分では気持ちに区切りをつけたつもりでいました。

ところが、正直に自分に向かい合ってみると、なんとなく釈然としないというか、もやもやしたものが残っている。
そこに向かいあうのもなんとなく避けてきていましたが、先日のひと区切りの年齢である誕生日を迎えたことや、かつての仲間の表現活動の話を聞いたことがきっかけで、あらためてもやもやに向かいあってみることにしました。

こんなとき、共感的コミュニケーションをやっていてよかったと思えるのです。
自分のもやもやにきちんと向かいあい、ニーズにつながり、自分自身と深くつながります。
見えてきたのは、やはり私は若いころから一貫して表現の世界の住人であったということでした。
またその住まいもなんでもいいわけではなく、私独自の一定の形を持っているのです。

私の住まいは、小説などのテキストをふくむ「ことば」の世界、そしてそれを音声化したもの(朗読やオーディオブック)、またその音声化の過程そのものであるライブパフォーマンスの世界、そしてライブのなかに立ち働く人間の存在(身体)そのもの。
年齢を重ねるとともにこの順番で表現活動も広がってきたわけですが、そこへ幼少から楽しんできた音楽演奏の世界がクロスして、私独自の住まいを作ったと感じています。

小説家としての私からテキストが、そこから朗読、そして身体表現の世界へ羽ばたいていく。
そこへふたたび私自身がライブパフォーマーとして音楽演奏で参加する。
このステージ表現そのものが私の最終作品であるといっていいでしょう。

現代朗読協会がなくなったことがさびしいのではなく、そのようなステージ表現の世界から離れていることがさびしいのです。
そのことがはっきりわかったとき、私のもやもやは消えました。
ならば、ふたたび私がやりたいのは、現代朗読協会を作ることではなく、あらたな表現ステージに興味を持ってくれる人たちを集め、作品を書き、稽古し、演出し、そしてまたステージを作ることです。

こういうことに興味がある人がいるかどうかはわかりませんが、私はだれかがすでにやっているような表現には興味はないのです。
まだだれもやったことのないようなステージを作りたいのです。
そして、私自身をふくめて、自分も知らなかった自分に出会うスリルに興味がある人といっしょにしかやりたくないのです。

すでにいくつか作ってきた実績はあって、その片鱗はお見せすることも可能です。
でも、いまから思えば、それらはまだほんの卵にすぎなかったのです。
ほんとにやりたいことは、これから先にあるのです。

2017年5月19日金曜日

8月23日:水城ゆうピアノコンサート@福井県立病院

ご好評をいただいている福井県立病院でのボランティア・ピアノコンサートのお知らせです。
どなたもよくご存知の日本の唱歌や童謡など、懐かしいメロディーを中心に、水城のオリジナル曲もまじえ、自由なアレンジでお送りする予定です。
どなたも自由にお聴きいただけます。

◎日時 2017年8月23日(水)13:30〜14:30
◎場所 福井県立病院受付ロビー(エントランスホール)
    福井市四ツ井2-8-1
◎料金 無料

福井は私のふるさとですが、活動拠点を東京に移して以来、福井で演奏する機会はあまりありません。
今回も貴重な機会を大切にしつつ、みなさんとのトークを交えた気軽で楽しいコンサートにしたいと思っています。

ちなみに水城ゆう最新CDはこちらから聴けます。
ダウンロードしなくても全曲試聴できます。

2017年5月18日木曜日

濃密な今週末(テキスト、親密な関係、共感)

今週末の土日はテキストライティング関係の勉強会と共感的コミュニケーション関係の勉強会が、それぞれ2コマずつあります。
いずれも私のなかでは密接な関係でつながっているものですが、外からは一見、関係がないように見えるかもしれません。

私は若いときからずっとものを書いてきた人間であり、三十代、四十代にはそのことをいわゆる「メシのタネ」にしていた時期もありました。
しかし、長編小説を書きはじめたごく初期のころをのぞいて、ずっと書くことは苦しく、お金を得る手段であり、そのためには編集者や出版社に気にいってもらわなければならず、そのためには多くの読者を獲得して名声を得る必要がありました。
つまり、競争と評価の世界にどっぷりつかっていたわけです。
そんなことのために小説を書きはじめたわけではないのに、です。

それが十年くらい前に共感的コミュニケーション/NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)に出会い、自分の原点にもどることができました。

NVCの創始者のマーシャル・ローゼンバーグはいっています。
「遊び以外のことはするな」

これはけっして極端なものいいではなく、本当にそうなのです。
そもそも私も、遊びとして小説を書きはじめたのです。
そのときが一番楽しかったし、のびのびしていたし、能力をもっとも発揮できたのです。
いま、そこにもどってくることができたのです。

また同時に、逆のこともいえます。
共感的コミュニケーションを学んだり、練習したり、シェアしたりする過程で、書くことを楽しめむことができていてどれほど役に立ったか、と感じています。

共感的コミュニケーションはひとりでも練習できますが、その際にもっとも有効な手段のひとつが、書くことです。
自分につながるためのプロセスにそって、折々、ノートに書きつけてみる。
なにか気がかりなことがあれば、それを書きだして、自分のニーズをさがしてみる。
対立したり、共感したい相手のニーズを推測するために、それを書きだしてみる。

書くことはとても役に立つのです。
私が共感的コミュニケーションを身につけるのにもっとも役にたったことは、書くことだったかもしれません。
本も書きましたしね(現在進行中)。

今週末の土曜日・20日には「自分につながるテキストライティング・ワークショップ」を開催します。
その夜には「親密な関係における共感的コミュニケーション」の勉強会を開催します。

翌日曜日・21日には国立・春野亭での共感カフェを開催します。
その夜は「身体文章塾」です。

書くこと、テキストで伝えること、表現すること、そして共感的コミュニケーションに興味がある方は、ぜひご参加ください。

2017年5月14日日曜日

サーファーとしての共感コミュニケーター

人生を海にたとえてみます。
荒れているときもあれば、静かなときもあります。
どちらのほうがいいですか?

と訊くと、多くの人が「静かな海のほうがいい」とこたえるかもしれません。
人生が平静で、安定していて、波風立たず、いつも落ち着いて安心していられることを多くの人は望むかもしれません。
でも、あなたがもしサーファーだったらどうでしょう?

サーファーのあなたが海に出てみたら、まったく波がなく、鏡のように静かだったとしたら、かなりがっかりしませんか?
サーファーのあなたにとって、波が十分にあって、適度に荒れていることが望ましいのです。
より腕のあるサーファーだったら、海が荒れれば荒れるほどわくわくするかもしれません。
荒波を乗りこなす喜びと挑戦がそこにあるからです。

自分の力で自分の人生を波風のないものにすることはできません。
人生はそもそも、予測のつかないものです。
静かなときもあれば、荒れたときもあります。
それはすべての人に平等です。
だったら、サーファーとして荒波を乗りこなす方法を身につけたほうが楽しくないですか?

共感的コミュニケーション/NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)は、いわば人生という荒波を楽しむサーファーになるための方法です。
生きていると、どんなに平静を保とうとしても、さまざまなことが起こります。
だれかと対立したり、理不尽な事件に遭遇したり、また自分自身のなかにもさまざまな感情が湧きおこって揺さぶられます。
ときにそれは見上げるばかりの大波として私たちの前にそびえ立ちます。
さて、どうしたものでしょう。

そこから逃げたり、固まったりするのではなく、サーフボードの上に立ちあがって、波に乗るのです。
サーフボードは「共感的コミュニケーション」という名前がついています。

静かな海も、荒海も、ともに自分の人生にはちがいありません。
いずれにしても、しっかりと向き合い、いまこの瞬間の自分自身のいきいきした生命を味わいつくしたいのです。

国立での共感カフェ(5.21)
5月21日(日)16時から、おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートを水城ゆうがおこなう茶話&勉強会を開催します。

2017年5月12日金曜日

6月5日:国立・韓氏意拳初級講習会

国立での駒井雅和中級教練による韓氏意拳の会員向け初級講習会、2017年6月のお知らせです。

◎日時 2017年6月5日(月) 14:00〜16:30
◎参加費 3,500円(講習会費、会場費、講師交通費を含む)
◎場所 国立駅から徒歩5分の会場
◎持物 動きやすい服装・筆記用具・メモ

参加予約はこちらから。

もしくは直接私・水城まで、あるいは現代朗読協会コンタクトフォームからお知らせください。 

聞かれる、見ていてもらう、理解してもらう

友人や同僚から、突然、
「もう仕事やめたい」
「最近しんどい」
「人間関係が最悪」
「がんばってるのにむくわれない」
などと、愚痴をこぼされたことはないでしょうか。
あるいはメールやメッセージをもらったり。

そんなとき、私たちはつい、なぐさめたり、気晴らしに付き合ったり、あるいはアドバイスしようとします。
つまり、なんとか相手の役にたとうと自分なりにがんばってしまうのです。
しかし、相手にしてみれば、本当はそんなことを望んでいないのです。

相手がなにを必要としているのかは、その愚痴の内容ではなく、愚痴を「あなたに」いってくるまさにその態度に示されています。
あなたは愚痴の内容を聞くのではなく、まさに「聞いてほしい」という相手の態度そのものを受け取る必要があります。

なにかつらいことや苦しいこと、悲しいこと、むかつくことがあったとき、私たち人間はそれをだれかに聞いてもらいたいと思います。
解決策を相手にもとめているのではなく、まずはただ全部聞いてもらいたいのです。

人間にはだれかに「聞いてもらいたい」とか、自分がやっていること/がんばっている姿をだれかに「見ていてもらいたい」、そして自分をだれかにわかってもらいたい/わかってもらいたい、というニーズがあります。
それが満たされていないと、孤独をおぼえ、またなんとかして伝えたい/わかってもらいたいと、切迫感に襲われます。
満たされていると、たとえつらい状況のただなかであったとしても、落ち着き、また活力がわいてきます。
そして問題解決へと向かっていくことができます。

判断も分析もアドバイスもなく、まずはただ聞いてあげること。
そして相手がどんな気持ちで、どのようなことを大切にしているのか、ただそこを受け取る。
相手にはあなたが完全に聞いてくれたことがなにもいわなくても伝わりますし、ときにはそのことを伝えてもいいでしょう。
そのあとで、なにか必要なことがあるか、あるいはアドバイスがほしいかどうか、あらためて聞いてみればいいのです。

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(5.20)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会を国立駅徒歩5分の会場でおこないます。

2017年5月11日木曜日

沈黙の朗読と音楽瞑想のコンサート、ふたたび

昨年末に明大前の〈キッド・アイラック・アート・ホール〉が閉館になり、ある程度定期的に継続開催していた「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演が中断していました。
年明けに大阪と名古屋でそれぞれ開催できたのはありがたいことでしたが、東京では開催場所が見つからないままでした。

この公演にはいくつか条件があるのです。

 アコースティック(電子ではない)ピアノがあること(できればグランド)
 完全暗転にできること
 外部音を(ある程度)遮断できること

これらの点で名古屋〈ナディアパーク〉のスタジオ公演はほぼ完璧に条件を満たしていて、気持ちよくやらせていただいたのです。

先日、東松原に住む友人から、近所にピアノスタジオがオープンしたという情報をもらいました。
さっそく見学に行ってきました。
〈メイズ〉というピアノスタジオで、使える部屋が5部屋あります。

一番広い部屋にまだ作られていた時代の1967年製で、ドイツのデュッセルドルフにあるドイツ・ラインオペラ劇場で使われていたスタインウェイが置いてあり、そしてその部屋は完全防音のスタジオ仕様なのです。
椅子をならべれば、20人くらいはゆったりと、詰めれば25人くらいはお客さんをいれられるでしょう。
「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演としては朗読者が動くので20人までかな。
防火設備と非常口の明かりが常時ついているけれど、これは目隠しすれば完全暗転にもできそうです。

使用料金がやや高めなんですが、設備とピアノのクオリティをかんがえるとまあやむをえません。
その分、ある程度お客さんをいれたいな。

ここでのコンサートは7月くらいをかんがえています。
うまくいけば、ある程度定期的に開催したいところです。

このコンサートは私にとって重要な意味を持っています。
まずオリジナル作品を書くこと、それから朗読と共演すること、そして音楽瞑想としてソロインプロヴァイズをおこなうこと。

2017年5月10日水曜日

田舎に移住する方あるいは在住の方におすすめ

5月7日(日)は国立・春野亭で音読カフェをおこないました。
ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。

音読カフェは音読療法の音読ケアワークを使って、日頃の心身の健康を促進したり活力を向上させたり、あるいは介護予防をおこなうもので、ワークだけでなくお茶を飲みながら健康や生活の気がかりについて気軽に聞き合うことができる場です。
もっとも、今回参加のみなさんは介護予防というには若い年齢の方ばかりでしたが。

若い方にも音読療法は役に立ちます。
自分自身以外にも、音読療法を使ってほかの人の役に立つこともできます。

参加者のなかに、近々、四国のほうに移住する計画のある知人がいました。
私も北陸の田舎に実家があるのでわかるのですが、地方はどこも急速な高齢化の波にもまれています。
住民の平均年齢があがっていく「だけ」なら問題はないのです。
問題は、高齢化した方々が、要介護者となり、地域の医療や介護の財政をいちじるしく圧迫していることです。

しかし、逆の見方をすれば、ここに仕事や雇用のチャンスが増えているともいえます。
若い人やまだ元気な人が介護職についたり、介護予防の仕事にたずさわったりする余地が急増しているのです。

四国に移住するという知人は、いろいろ調べて、地域おこし協力隊などの人材受け入れ制度があることを知ったといいます。
住まいも驚くほど安く提供されていたり、便宜がはかられているようです。
田舎はとにかく、若い人に移住してもらいたいのです。

もちろん、都市部で大企業の正社員としてもらえるような安定的収入が得られるわけではありません。
しかし、自然いっぱいの環境のなかで、静かに、のんびりと、自分のペースで人間らしい生活を送りたい、あるいは子育てしたい、という人には検討してもいい話ではないでしょうか。

地域おこし協力隊に応募してもいいし、農業や林業に関わってもいいでしょう。
自分で挑戦してみるのもいいでしょう。
元手はほとんどいりません。
そして、介護職や介護予防の仕事に関わるのもいいと思います。
地域への貢献であり、なにより住民に必要とされていることです。
田舎で社会貢献しながら、人々とのおだやかなつながりのなかで野菜を作ったり、ミツバチを飼ったり、山菜を積んだり、ときには都会の友人たちの訪問を受けたり。

介護の資格や、介護予防ワークに使える音読療法の資格(音読トレーナー)を取得するのも、地域の予算措置を利用する手があります。
たとえば、どの自治体にも「ふるさと人材育成事業」があり、人材育成のための予算が確保されていますが、それを利用して資格取得のための講習費、交通費、滞在費をまかなうことができるでしょう。

興味のある方は一度行政に相談してみるといいと思います。
その際、もし必要な書類や実績などの資料があれば、音読療法協会がサポートできます。
こちらにも気軽にご相談ください。

音読トレーナー養成講座合宿(5.26-28)
介護予防に最適な音読療法ワークを指導する「音読トレーナー」の資格を取得する2泊3日の合宿形式の講座を5月26日(金)夜から28日(日)の三日間にわたって、JR国立駅徒歩5分の会場で開催します。

2017年5月9日火曜日

祈る人シリーズ第5集『舞踏病の女』の「はじめに」

先日、私の短編小説集『祈る人』シリーズの第5集である『舞踏病の女』が電子ブックKindleからリリースされました。
そのまえがきとして書いた「はじめに」の部分を、紹介させていただきます。

ちなみに、この本のダウンロード価格は300円です。
Kindle unlimited(読み放題)にも登録しています。
こちらからどうぞ。

『祈る人5 舞踏病の女』の「はじめに」

 世田谷から国立へと活動の拠点を移して一年がたとうとしています。さまざまなことが大きく変わりました。
 世田谷で長年おこなってきた現代朗読協会という表現団体の活動が終息した、ということが大きいことのひとつとしてあります。しかし、朗読にかかわる表現活動を停止したわけではありません。団体運営からは手を引きましたが、音楽を筆頭とする自分の音声表現にたいする熱意はなにも変わりません。変わらないばかりか、ますます熱く燃えあがるような気がしています。
 私の音声表現の活動には特徴があります。私は小説家であり、ピアニストでもあるので、ことばと音楽をミックスさせた表現がしっくりくるのです。
 この活動がどこからはじまったのかははっきりしています。二十代なかばから関わっていたラジオ番組の制作と、その出演者とはじめたライブパフォーマンスです。
 ラジオでは、私がスクリプト(原稿)を書き、それを俳優が朗読する、そしてディレクターが音楽をつける、というスタイルの番組を作っていました。その俳優(名古屋の怪優・榊原忠美氏)と朗読と即興ピアノ演奏によるライブパフォーマンスを、番組制作と平行してはじめたのも、二十代なかばのことでした。
 以来三十五年、このスタイルはいまにいたるまでずっと継続し、表現方法やクオリティも進化=深化しつづけてきたと自負しています。
 この『祈る人』シリーズではそういったラジオ番組や朗読パフォーマンスのために書いたスクリプトを中心に収録してきましたが、この第五集ではいよいよ近年の、朗読パフォーマンスのためだけに書きおろした作品が登場してきます。とくに、いま私が自分の活動のなかでもっとも重要だと位置づけている「沈黙の朗読」のために書きおろした作品群は、思いいれの深いものです。
 どうぞゆっくりお読みください。そしてもしよければ、声に出していただいたり、また朗読会などで使っていただけるとうれしいのです。そのときはじめて、私の作品は完成したといえるのですから。

   二〇一七年五月 東京国立にて  著者しるす

2017年5月8日月曜日

ニーズを満たす手段をあせらない

すべての人の言動はニーズにもとずいています。
ニーズとは「いま必要なこと」「大切にしていること」「価値観」などをひとまとめにしていますが、そこには社会的なニーズ、生活のためのニーズ、個人的なニーズなど、さまざまな側面があります。
しかし、いずれのニーズもレイヤー構造になっていて、さらにふかく掘りさげていけば、私たちの存在そのものや生命活動にかかわる根源的なニーズにたどりつくこともあります。

つまりニーズというのは、私たちの命そのものであるといってもよく、命があるからこそニーズがあるともいえるのです。
ニーズがいきいきしているとき、私たちの言動や感情の発露もいきいきします。
ニーズにうまくつながることができず、ぼんやりしているとき、言動や感情の動きも不明瞭になります。

ニーズがはっきりしていると、それを満たすための行動――すなわち手段の行使――にただちに移ることができます。
なにをしたいのか、どうふるまいたいのか、明確になります。

注意したいのは、ニーズがはっきりしていても、手段の行使を急ぎすぎたりこだわりすぎたりすると、ものごとがうまくいかなくなることがあるということです。
手段の行使をあせると、言動がニーズから切りはなされてしまうことがあります。
手段を行使する前は、ニーズに深くつながっておく必要があるのです。

例として、お腹をすかせた虎をあげてみましょう。
虎はながらく獲物にありついていなくて、飢え死にの危機に直面しています。
つまり、生命維持のニーズがあるのです。
彼のニーズは満たされていません。
しかし、満たされていないニーズが「いきいきしていない」といえるでしょうか。

そんなことはありません。
彼のニーズは実にいきいきとしています。
満たされていなくても、ニーズはいきいきとしていて、彼はまさにそのニーズにつながっています。
そのニーズのおかげで、彼の行動は明確になっています。
つまり、自分の能力を最大限に発揮して、獲物をとらえる、という手段をまっとうしたいのです。

このようにニーズが明確になっていてそれにつながっているとき、たとえそれがまだ満たされていなくても、私たちはいきいきとした状態になります。
ニーズを満たすための手段を狙いすましている状態といってもいいでしょう。
この状態になる前に安易に手段に出てしまうと、そこには甘さが出ます。
獲物を十分に狙いすまさないで狩りの行動に出てしまったときの虎のようになってしまいます。

本当のところ、ニーズは満たせていないときのほうが、私たちはいきいきとしているのです。
自分の満たせていないニーズをどうやって満たそうか、お腹をすかせた虎のように狙いすましています。
もちろん、自分のニーズを明確に理解し、それに深くつながっていなければそうはなりませんが。

満たされていないニーズを味わい、よりそい、そのいきいきさを楽しめるようになれれば、人生の風景はかなり変わることはまちがいありません。

5月開催:水城ゆうのオンライン共感カフェ(5.8)
自宅や好きな場所にいながらにして気軽に参加できる、ネットミーティングシステム(zoom)を利用した共感的コミュニケーションの60分勉強会、5月の開催は8(月)11時・20時/19(金)20時/22(月)20時です。

2017年5月7日日曜日

子どもの日、でした

2017年5月5日、子どもの日は、午前中に講座をひとつやり(参加者ふたり)、午後に梅丘まで留守中の友人の猫の世話に行ったほかは、ずっとひとりで国立の家で静かにすごしました。
そしてフェイスブックやツイッターやメールでたくさんのメッセージをいただきました。
誕生日だったからです。

私が生まれたのは1957年ですから、ちょうど60年めでした。
割引とかいろいろ特典がもらえるようになるのかな。

60歳になるから、というわけではないんでしょうが、ここ一年は激動といってもいいかもしれません。

16年以上暮らしていた世田谷から国立へ居を移しました。

現代朗読協会の活動が終息しました(現代朗読そのものが終わったわけではありません)。

共感カフェの活動が急速に広がりました。

母が脳内出血で入院し、その後認知症がいちじるしく進行し、病院から介護施設に移ることになりました。

それにともなって、北陸の実家への帰省のタイミングが流動的になり、車での移動にスイッチしました。

明大前の〈キッド・アイラック・アート・ホール〉が2016年いっぱいで閉館となり、定期開催してきた「沈黙[朗読X音楽]瞑想」の公演が開催しにくくなりました(現在私の演奏活動の場はとても少なくなっています)。

個人的におこなっていた音楽レッスンやボイスコーチングの個人セッションを、ギフト制に切り替えました(後払い/いつでもいくらでもお互いに贈り物として交換しましょう)。

激流のなかでありながら、自分自身でもせめて梶棒を握っておこうと、方向性を決める作業をずっとつづけています。
自分につながり、自分のニーズを見極め、自分の限られた命の時間をどのようにすごしたいのか、向かい合っています。
いくつかクリアになってきていることがあります。

時間というのはすべての人に平等にあるわけではないけれど、現時点で生きてここにいる人にとっては平等にあたえられているといえます。
その一瞬一瞬の積み重ねが人生となっていくわけです。
また、一瞬一瞬の積み重ねも永遠につづくわけではなく、どこかで終わりが来ます。
いつそれが来るのかはだれにもわかりませんし、私もわかりませんが、何年かはあるかもしれないという「仮定」は立てられます。
あくまで仮定ですが。

現役80年とか、人生100年などといわれるほど、高齢化が進んでいますから、ひょっとして私も80歳くらいまでは元気で仕事ができるかもしれません。
あと20年ですね!
20年あれば相当なことができるでしょう。
しかし、ただ漫然とすごしていては、20年もあっという間にすぎさり、まとまったことがなにもできなかった、というようなこともありえます。

20年というのはちょっと長すぎて、計画を立てにくいし、可能性としては低いと思っています。
より高い可能性として、あと5年か10年くらいは元気に活動できるかもしれません。

現実的にいって、健康や体力維持をしっかり心がけたとしても、いまのペースでばりばりと集中して仕事ができるのは、5年というところでしょうか。
これが私の最終ステージです。

私の人生の最後の区切りの何年かで、私はなにをやりたいのか。
どんなふうにラストステージの日々をすごせれば、最後に笑顔でおさらばできるのか。
そんなことをかんがえている今日このごろであり、60回めの子どもの日でありました。

2017年5月6日土曜日

「いま」がかけがえのない財産

連休の連続講座二日めは「音楽瞑想ワークで自分とつながる」でした。
音楽瞑想といういうと、なにか特殊なワークのように聞こえるかもしれませんが、内容はマインドフル瞑想の一種です。
音楽=音、つまり聴覚を中心とした体感覚に注目することで、「いまここ」の自分自身とまわりのことに気づきつづけ、言語思考から自由になる体験と練習をします。

もともとは2004年ごろから地下スタジオを真っ暗闇にしてはじめた「ディープリスニング」と称するライブでした。
その後、そのような聴覚瞑想をアメリカのポーリン・オリヴェロスというアコーディオン奏者が「ソニック・メディテーション」と称してワークをおこなっていることを知り、著書も読んだんですが、私がおこなっている、あるいはめざしている方向ととてもよく似たものだったので、親近感を覚えたものです。

音楽瞑想は誘導瞑想の一種で、ただしことばは使いません。
音楽という音響――メロディやハーモニーやリズム――の変化によって喚起される身体的イメージによって、感覚体としての自分を体験してもらおうというものです。

座禅などの瞑想はある程度の熟練が必要ですし、呼吸や鐘の音などによるマインドフルネスの練習はともすれば「やっているつもり」になりがちな面があると、私自身は自分の経験によって感じていました。
そうでない方ももちろんいるとは思いますが。
しかし、音楽によって誘導されるイメージ瞑想は、だれでも比較的容易に感覚体としての自分を体験できます。
またその体験は、日常生活のなかでも生かすことができます(私がそうです)。

いつでも思考や判断を手放し、「いまここ」に気づきつづける感覚体に自分をシフトできる経験は、ごちゃごちゃした現代社会の日常においてとても有効でパワフルなものです。
そもそも私たちは、いまこの瞬間を生きています。
過去はもうここにはなく、あるのは実体のない「記憶」だけです。
記憶もひょっとして捏造された部分があるかもしれませんし、そのような不確かなものを反芻することで私たちは自分がいま発揮できる能力や可能性をいちじるしくそいでいます。

いまこの瞬間の、ひとしく流れている時間、それだけがすべての人に共通のかけがえのないものであり、そこをどう生きるか、この瞬間に気づきつづけるクオリティをどう確保できるかが、人生の時間の豊かさを決めます。
過去も未来も、いまここにはないのです。
私は持っていないのです。
私が持っているのは、いまこの瞬間、まさに手のひらをすり抜けつづけている刹那刹那です。

この刹那に接続するクオリティをあげる練習として、音楽瞑想も有効な方法のひとつだとかんがえています。
今後もグループセッションでも個人セッションでも提供していきますので、興味がある方は気軽に私にお知らせください。

◎ギフト制によるレッスン/個人セッション
対面でもオンラインでも、レッスンや個人セッションを「後払い/いくらでもギフトで」という方式でおこなっています。メールでもメッセージでも気軽にどうぞ。お待ちしてます。興味のある方はこちらの詳細ページ をご覧ください。

2017年5月4日木曜日

静かな一日

五月にはいったとたん、国立の春野亭はしずかになりました。
だれも来ない、だれも滞在していない家で、私ひとり一日中すごしてます。

そういう日はまず早寝して、日の出とともに起きたい。
いま、国立あたりの日の出の時間は、午前5時を切ってます。
5時前に起きるのはちょっと大変。
夜の9時か、遅くても10時には就寝してないとつらい。
まあ、5時起きは目標ですが。

起きたらまずコーヒーの儀。
つづいて生き物がかりの儀。水をやったり餌をやったり。
それからコンピューターをあけて、ネットにつないで、メッセージチェックしたあと、メールマガジンの発行とか。
これは仕事というか、仕事の助走のような感じ。

一連のルーティンを集中して片付けてしまったら、武術の稽古。
その日の身体の感じに応じて、形体訓練か站椿功か養生功のどれか、あるいは全部。
このあと、仕事の本体に向かいます。
これが午前8時くらいかな。
身体もあたたまって、ここから数時間がもっとも集中のクオリティがあがる時間です。

これが終わったら、あとはもうおまけのようなものです。
人と会ったり、ネットで映画を見たり、本を読んだり、音楽を聞いたり、ご飯を作ったり、ワークをやったり、外出したり。

人が来てにぎやかなのも楽しいけれど、こういう静かな日々もいいなあ。
そして季節は寒くもなく、(まだ)暑くもなく。
花粉症もそろそろ終わりだし。

昨日から5日間、午前中の3時間だけ、連続講座をやっています。
それぞれ参加者もすくなめなので、じっくりと静かなワークをご一緒しましょう。

連休に自分とつながる五日間連続講座(5.3-7)
不安定で行き詰った時代を乗りきるために自分とつながり、見失わず、安定しながら、あなた本来の活力を発揮することをめざすためのヒントを探すための講座です。単発参加も可。

2017年5月3日水曜日

ギフトとしての個人レッスンにシフトしたい

ちょっとやりかたを変えてみようと思いたちました。

私は共感カフェや講座などのグループセッションのほかに、個人レッスンや個人セッションをおこなっています。
内容もさまざまです。

ピアノやボーカルのレッスン、共感セッション、ボイスコーチング、朗読などの表現のディレクション、テキストライティングや自力出版のサポート、マインドフルネスや瞑想のセッションなど、私がこれまで研究したりみなさんと経験を積みかさねてきたことの知見やスキルを、個人的にシェアできることがたくさんあります。

しかし、これまでの悩みのひとつに、これら内容も所用時間も深さもまちまちなこれらのレッスンにたいして、一律に時間割りで「いくら」というふうに料金設定することが難しいということがありました。
難しいだけでなく、「やりたくない」という気持ちがあったのです。

自分のニーズを見てみると、そこには公平さや気楽さがあるようです。
また、みなさんのお役に立ちたい、自分の命を使いつくしたい、というニーズもあります。

共感的コミュニケーション(NVC)の重要なかんがえ方のなかに、「ギフト」というものがあります。
だれかになにかしてあげたい、役に立ちたい、貢献したい、という気持ちがあるとき、それをみずから自然に湧きでる「よろこび」をもっておこなうことができるかどうか、ということです。
つまり、贈り物としてそれをおこなえるかどうかです。

それは贈り物であり、経済価値にもとづく「等価交換」ではないので、見返りやお返しや対価がなくてもいいのです。
ただよろこびから、あるいは遊びのようにおこなえるかどうかが大事です。
「お返し」を期待したとき、それはもう贈り物としての純粋さはありません。

贈られるほうも、自然に贈り返したくなるかもしれません。
自然によろこびをもって贈りかえしたくなればそうすればいいし、そうならなければ無理に贈りかえさなくていいのです。

私がおこなっている個人レッスンや個人セッションは、受けたい方のニーズはさまざまだし、私のほうにも提供できたりサポートするのにさまざまな形があります。
そのつど内容や時間もまちまちなので、たとえば「1時間いくら」みたいな一定額の提示をしにくいのです。
こういうとき、ギフトのかんがえ方がしっくりきます。

レッスンを受けた人は、もし代金を払いたいとか、贈りかえしたいという気持ちが起きたら、
「つごうのいいときでいいので後払いで」
「ギフトとして心地良い額をいくらでも」
ということにしましょう。

とはいえ、額が決まっていないと払いにくい、という人がいることもまた事実です。
もしそういう方がいたら「基準額」をお知らせしましょう。
でも、できればそんなものはないほうがいいですね。

私のレッスンを受ける方は、おたがいに贈り物を贈りあう感じで、近所の人同士が夕方のおかずを交換するみたいな気楽さでつながりあえたらな、と思います。
内容も気楽なものもあれば、重厚なものや時間のかかるものもあるかもしれません。
枠を決めないのがいいのです。

そのための決済方法としてうってつけのシステムがあります。
Bandcampという音楽を配信しているサイトですが、こちらの決済方法は、曲やアルバムの定額とは別にいくらでも好きな額を設定して払える、というシステムになっています。
ひょっとしてこちらを使ってみるのもひとつの手でしょうか。

メッセージやメールなどで気軽に呼びかけてみてください。
リアルでもオンラインでも、お互いに都合のよい時間と方法を相談して、気楽につながり、おたがいに贈りあいましょう。

2017年5月2日火曜日

五月は無慈悲な老いの女王

いよいよ五月ですね。
これから真夏までが私の一番好きな季節です。
心身ともにもっとも元気になるような気もします。

さて、自分の整理もかねて、五月のイベントをまとめてみます。
すごく盛りだくさんですよ。
どうぞお付き合いのほど、よろしくお願いします。

まずは連休のなかばの三日・憲法記念日からスタートする「自分とつながる五日間連続講座」があります。
いずれも午前10時から13時くらいまでの、3時間程度の所用時間です。

1日めの5月3日(水/憲法記念日)は「共感断食で自分とつながる」、オンライン参加可です。
2日めの5月4日(木/みどりの日)は「音楽瞑想ワークで自分とつながる」。
3日めの5月5日(金/こどもの日)は「朗読と身体表現で自分とつながる」。
4日めの5月6日(土)は「共感的コミュニケーションで自分とつながる」、オンライン参加可です。
5日めの5月7日(日)は「自分とつながるテキストライティング」、オンライン参加可です。
詳細と参加申し込みはこちらからどうぞ。

連続講座最終日の5月7日午後は、国立にて音読療法協会の音読カフェを開催します。
詳細と参加申し込みはこちらから。

おなじ日の夜は、月3回開催する身体文章塾をやります。
詳細と参加申し込みはこちらから。

そのあと、翌5月8日(月)からは、共感的コミュニケーション関連のイベントがつづきます。
この午前11時からと夜20時からの2回、オンラインでの共感カフェがあります。
詳細と参加申し込みはこちらから。

11日(木)午後は東松原での寿美ちゃんち共感カフェです。
詳細と参加申し込みはこちらから。

翌12日(金)夜は下北沢ステイハッピーでの共感カフェです。
詳細と参加申し込みはこちらから。

そのつぎの週の18日(木)午後は下北沢かまいキッチンでの共感カフェです。
詳細と参加申し込みはこちらから。

その週末には国立での勉強会がつづきます。
まず土曜日20日の夜は「親密な関係における共感的コミュニケーション」の勉強会です。
詳細と参加申し込みはこちらから。

翌日曜日の夕方は共感カフェをやります。
詳細と参加申し込みはこちらから。

最後の週には国立の古本ブックカフェ〈門〉にてもけごはん付き共感カフェをおこないます。
詳細と参加申し込みはこちらから。

共感的コミュニケーション関係は以上です。
以下、冗長になるので省略しますが、「自分とつながるテキストライティング」のワークショップが20日(土)の日中に、福井市の福井県立病院では16日(火)午後に初夏の無料ピアノコンサートを、26日から28日までは音読トレーナー養成合宿を、その間の27日にはボイスセラピー講座を開催します。

ほかに韓氏意拳の初級講習会を国立と世田谷で、また国立では初開催となる韓氏意拳養生功の講習会もあります。

ほんとうに盛りだくさんですが、私自身は体調を整えてひとつひとつ丁寧にのぞみたいと思います。
いずれかの機会にみなさんとお会いできるのを楽しみにしています。

2017年5月1日月曜日

私は本当に音読療法が気にいっている

先日は国立で音読カフェを開催しました。
といっても、参加者はおひとりだけで、しかも男性でした。

国立でも音読カフェを開催しようと思いたち、しかしそうそう人は集まらないだろうなという印象はあったんですが、少人数でも、たとえおひとりでもいらしてくれたらやろうと決めていました。
そう決めて北陸の実家のほうではじめた音読カフェは、最初は二人、三人からはじまって、先日は七人の方が参加してくれました。
とにかく、ひとりでも音読療法について伝えることができたら、私はうれしいのです。

先日も(仮にOさんとしておきます)Oさんに音読療法についてお伝えしながら、いっしょに呼吸法や音読エチュードをやっていたんですが、私自身も楽しいんですよね。
このようにだれかに呼吸法や音読エチュードをお伝えしながらいっしょにやるのは、いったいこれで何回めなんだろうと思いました。
2011年の震災後に被災地を回って音読療法を確立する前からやっていたわけですから、たぶん何百回ではすまないくらい繰り返しやりつづけてきました。
それなのに、やるたびにあらたな気持ちになりますし、昨日もそうでした。

おなじことを繰り返しやるんですが、毎回ちがった感じがします。
それは自分自身がそのつどちがっているということもありますし、またいっしょにやる方も違います。
おなじ方とやったとしても、その方もまた変化しています。

あるいは人数が変わったり、場所が変わったり、時間や季節が変わったりと、おなじことを繰り返しやる意味は、きっと、そこから変化を見ることができるからなんでしょう。
だから飽きることがないのです。

この「いつも新鮮」であること、そこに発見があることが、私の心身をリフレッシュし整えてくれます。
私はこれをつづけることで、自分自身の「介護予防」になっていると感じています。
また、これをいっしょにやってくれることで、多くの人の介護予防に貢献できると確信しています。

昨日はOさんおひとりでしたが、音読療法に興味を持っていただき、また実際にいっしょに体験していただいていきいきさを感じてもらえたのが、大変うれしかったのです。
さまざまな健康法やメンタルケアの方法、セラピーやヒーリングが広まっていますが、音読療法もまたすぐれた方法のひとつで、私にしてみればとくに簡便で現代生活のなかで有効性を発揮できるものではないかと思っています。
多くの人に知ってもらうことに苦労しているのが正直なところですが、私は本当に音読療法が気にいっていて、有効だと感じています。
ひとりでも多くの方に知っていただければ、こんなにうれしいことはありません。

5月7日:音読療法協会の音読カフェ(5.7)
ボイスセラピーの手法を用いつつ、お茶を飲んだり共感的に対話しながら進める心身調整健康法を実践する場を、音読療法協会主催で開いています。5月の開催は7日(日)15時から約2時間です。

2017年4月30日日曜日

新刊:『祈る人5 舞踏病の女』(Kindle)発刊しました

新刊 短編作品集『祈る人5 舞踏病の女』が、電子ブック・Kindleから発刊されました。

水城ゆうがラジオ番組のために書きおろしたスクリプトや、朗読パフォーマンスのためのテキストなど、ここ十年来書きついできた短編作品集ですが、この第5弾はここ数年の比較的あたらしい作品が収録されています。
また冒頭の「はじめに」は、あらたに書きおろしました。

全テキストは水城ゆうに著作権が帰属しますが、朗読(音読)についての著作使用権は開放します。
朗読会、朗読ライブ、朗読教室、その他音声表現活動などで自由にお使いください。

ダウンロード価格300円です。
Kindle unlimited(読み放題)にも登録しています。
こちらからどうぞ(画像をクリックしてもジャンプします)。