2011年9月30日金曜日

音読ケアワーカーの育成プログラムがスタートします

音読ケアのケアワーカーを育てるための勉強会がスタートします。昨日はまず、その準備会のようなものをおこないました。
そのなかに、ひとり、臨床心理士が参加しました。この分野の専門家が参加しているというのはなにかと安心です。というのも、私は学位とか資格といったものにこれまでまったく無縁で、現代朗読も音読ケアも経験と観察と思考のみでまとめてきたからです。
今回も私がまとめたレジュメを見て、臨床心理士が「こんなにしっかりしているとは思わなかった」と太鼓判を押してくれたので、ひと安心です。もっとも、ケアワーカーが習得すべき内容は非常に多く、また実践も数多くこなしてもらわないければならないので、生半可な気持ちでは参加できないと思います。
およそ一年間かけてこのコースを習得してもらうことになりますが、修了後はケアワーカーとして独自に音読ケアの活動をおこなっていけるようになるはずです。それほど水漏れのないプログラムを作ってみました。私の30年近くの経験をすべて盛りこんだ内容なのです。
多くの方々の心身の健康に音読ケアがお役に立てれば、と思っています。
音読ケアに興味がある方は、どうぞ気軽にお問い合わせください。

2011年9月29日木曜日

次世代作家養成塾:習作&講評「ほうじ茶」三木義一

 ひさしぶりに次世代作家養成塾で毎日配信しているメールマガジンから、冒頭部分を紹介します。

「文体」とはなんでしょうか。
 私たちがある文章を読むとき、そこにたしかに書き手の体臭のようなものを感じることがあります。だれが書いた文章なのか、はっきりと手触りを感じることがあります。
 村上春樹の小説には、村上春樹の感じがあります。
 それを「文体」と読んでいるわけですが、では、具体的に文章のどこをどう感じることによって、文体を認識しているのでしょうか。

 三木義一の作品を見てみます。
 冒頭。
「枯れ枝を沸かしたような液体から、瞬くように微粒子が舞い上がっている」
 ここから彼の文体を感じることができるでしょうか。できるとすると、どの部分でしょうか。
 比喩表現が二か所、使われています。「枯れ枝を沸かしたような」と「瞬くように」ですね。
 こうやってあらためて見ると、比喩表現は読者に文体らしきものを感じさせるのに有効な手段であるように思われます。
 ほかにはないでしょうか。
「舞い上がっている」
 現在形で文章を終えています。「舞い上がっていた」ではなく「舞い上がっている」。この時制の使い方も、わずかに文体らしきものを生れさせているように思えます。
 三木義一は意識してかどうかわかりませんが、この作品全体を現在形で語っています。そして、最後の最後だけ過去形にしています。「おかわりを頼んだ」。この時制の用法も、文体らしきものを浮かび上がらせる効果があるかもしれません。
 ほかにも「文体」のための要素はいくつかありそうです。かなり多いかもしれませんし、逆に意外に少ないかもしれません。
 もしあるとすると、自分の文体がどのような要素で特徴づけられているか、客観的に読み直してみるとおもしろいかもしれません。

(以下、略。本文全体は養成塾のメールマガジンで掲載しています)

※次世代作家養成塾の無料メールマガジン『ひよめき通信(H2)』が毎週日曜日に発行されています。登録は「nextwriting-subscribe@yahoogroups.jp」に空メールを送るだけ。
※オンライン版「次世代作家養成塾」の詳細については、こちらをご覧ください。一か月間の無料お試し期間があります。
※養成塾の電子マガジン『HiYoMeKi』が創刊されました。無料です。ダウンロードはこちらから。

音読ケアワーカーの育成プログラム勉強会

今日から勉強会がスタートします。
なんの勉強会かというと「音読ケア」の「ケアワーカー」を育成するためのプログラム(カリキュラム)の勉強会です。
311以後、直接被災していない人でも、知り合いが被災したり、毎日大量の映像や情報に接したり、あるいは原発事故が収束していなかったりと、強い不安をかかえて心身の不調を訴える人が多くいます。そういう人たちに対して「音読ケア」が大変有効であることを確認していました。
先日は直接被災地を回って音読ケアをおこなってきましたが、そこでもやはり心身の調子を整えたり、取り戻したりするのに音読ケアが有効であることがわかりました。
音読ケアは、その理論と方法を正しく理解し、一定の経験を積めば、だれでもできると考えています。私は音読ケアのケアワーカー(実際におこなう人)を育てようと思っています。
幸い、何人かが学びたいと手をあげてくれました。それで、今日から勉強会を始めるわけです。
世の中には音楽療法をはじめとするさまざまな心理療法がありますが、音読ケアはそれらと通じる部分がありつつ、あたらしいアプローチの補完医療となるでしょう。ケアワーカーが育っていくことで、みなさんの生活の質を高めることのお役に立てればと思っています。

2011年9月28日水曜日

現代朗読協会・東北被災地ツアー報告(12)

1時間ちょっとくらいのイベントで、高齢の方が多かったにもかかわらず、みなさん最後まで熱心に付き合ってくれました。そして、最後はたくさんの笑顔を見せていただきました。
 終わったあと、何人もの方から握手を求められたり、抱きかかえんばかりにされたりしながら、別れを惜しみました。
最初は騒いでいた男の子はひなたくんという名前で、途中ですっかりなじんでしまい、とくに照井数男とは友だちになったらしくてふたりでじゃれあっていましたが、これでお別れだよという際にはなんだかものすごく悲しそうで、ちょっと怒っているような顔になったり、見た目もかわいそうなくらいがっくりと肩を落として去っていくのでした。

 機材と荷物を撤収。
 全員車に乗りこんで、仮設住宅地をあとにしました。
 と、車に向かってひなたくんが走ってきて、道ばたで手を振ってくれるではありませんか。よほど名残惜しかったんでしょう。私たちもいろいろな思いを抱えながら、被災地をあとにしたのでした。

帰りの道中のことは割愛します。
 帰路ではいろいろなことをかんがえました。
 すでに書きましたが、被災地ではまだまだ支援を必要としていること。その支援の形も、時間と状況に応じて変わりつつあること。
 物質的支援だけでなく、これからは被災地との「つながりの質」が必要になってくるのではないかと思っています。私たちはささやかなイベントをおこなっただけですが、そのなかでもとくにコミュニケーションの大切さを感じました。良質のコミュニケーションを取りながら、物資にしても精神的支援にしてもおこなっていく必要があるのではないかと思います。できればその両方があるといいですね。
 たとえば、物資を運んでいくにしても、皆さんに集まってもらい、そこでなにかコミュニケーションを取りながらいっしょになにかを楽しんだり、ケアワークをおこなったりしつつ、必要な物資を持って帰っていただく、というような方法です。
 現代朗読協会では、今後もできればこのような活動をつづけていきたいと思っています。そのためには皆さんの支援も必要です。そのことをお願いしておきたいと思います。
 そして、今回のツアーを全面的に援助してくれ、また道中と現場でもサポートしてくれた三谷産業株式会社とその松嶋さん、都平さんに、深く感謝したいと思います。

 最後に、今回の被災地支援ツアーに、カンパやその他さまざまな形でご協力いただいた方々の名前をあげさせていただきます(敬称略)。

 三谷産業株式会社
 松嶋忠之
 都平祐浩
 伊藤香代子
 嶋田尚子
 唐ひづる
 船渡川広匡
 鎌田絽未
 佐藤麻奈
 田中智
 矢澤亜希子
 現代朗読協会ゼミ生のみなさん

◎被災地支援ツアーメンバー
 野々宮卯妙
 唐ひづる
 伊藤さやか
 山田みぞれ
 照井数男
 水城ゆう

(おわり)

現代朗読協会・東北被災地ツアー報告(11)

石巻水産高校の第二グラウンドに作られた仮設住宅地へ。
 石巻には数百の仮設住宅地がいまだに存在していますが、ここはそのなかでも大きなほうだそうです。写真のような5家族もしくは10家族が入れるユニットが、40棟くらいならんでいるでしょうか。
 書き忘れていましたが、昨夜、南三陸町から石巻のホテルに行く途中で、ここに寄って、この日のイベントのチラシをみんなで手分けしてポスティングしておいたのでした。

 集会所は体育館ほど広くはありませんが、柔道の道場くらいの広々とした建物です。
 行ったらすでに玄関があいていて、窓もあけはなって空気が入れ替えられていました。
 ここにはピアノがありません。さっそく演奏機材を運びこみ、セッティング。ついでにホワイトボードも見つかったので、それを使うことにしました。
 席は座布団と椅子の両方を用意しました。
 三谷産業の都平さんがふたたび仮設住宅を回って、お客さん集めをしてくれました。三谷産業はすでにここに何度か物資を届けに来ていて、顔を覚えてくれている人も多かったようです。
 やってきたのは、やはりご高齢の方が多かったのですが、5歳くらいの男の子とお母さんもいました。ほとんどが女性でしたが、途中から男性も数名参加してくれました。

頃合いを見計らって、まずは簡単に私が挨拶してから、昨日は上演を見送った「Kenji」という朗読プログラムを始めました。
 この模様は、近く編集して、YouTubeで公開する予定です。宮澤賢治の作品をコラージュした、もともと30分近くある朗読なんですが、少しだけはしょって見ていただきました。
 みなさん、とても熱心に見てくれて、最初は騒いでいた子どもも途中から座って見てくれました。やはり、おなじ東北出身の宮澤賢治の作品ということもあったのかもしれません。
「Kenji」のあとは、呼吸と声出しのワーク。現代朗読協会では「音読ケア」と呼んでいるワークの一部を、少しアレンジしてやってみました。お年寄りたちはこんなふうにみんなでいっしょになにかやることに慣れているのかもしれません。とてもいいノリで、楽しくやってくれています。そして気持ちよさそうです。こちらもやりがいがありました。
 声出しでは『吾輩は猫である』の冒頭部分を使って、東北弁のイントネーションで読んでみたり。ここではもちろん、青森出身の唐ひづるが大活躍したことはいうまでもありません。
 また、「この道はいつか来た道」という歌の歌詞を、まずみんなで声を合わせて朗読してから、そのあとでいっしょに歌う、というようなこともしました。歌は、歌詞を朗読するのと歌うのとではまた違った味わいがあり、両方ともやってみると思いがけず新鮮なんですね。そのことを皆さんも楽しんでくれたようでした。

 最後は伊藤さやかに歌ってもらって、昨日も歌った「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん」を一緒に歌いました。みなさん、呼吸法と声出しをやったあとだからか、大変元気な声で歌っていました。
(つづく)

現代朗読協会・東北被災地ツアー報告(10)

市役所から会場である仮設住宅のある地区へと車で移動。
 街なかから郊外へと出ると、とたんに津波の傷跡が目立つようになってきます。車のなかから写真を撮りながら移動していったのですが、げろきょのみんなもなんとなく口数が少なくなってしまいました。
 すっかりサラ地になってしまった住宅地のあいだに、まだ片付けられていない家や建物が散在しています。聞けば、瓦礫の置き場所がもう満杯で、あらたな瓦礫置き場が決まるまで片付けようにも片付けられない物件が多くあるということです。
 写真にあるように、郊外型の本屋さんは、震災から半年以上たつのに手つかずで、壊れたまま営業できていません。この先、この本屋さんは営業できるようになるのでしょうか。
住宅の被害はさまざまで、一階部分はかなり壊れているけれど、二階部分はほとんど無傷で、二階に住んでいるような家もあれば、二階まで被害が及んでとても住める状態にないものがそのまま残っていたりもします。震災から半年以上たっていることをかんがえると、その被害の大きさと深さを思わざるをえません。
また、家をなおすにも、資金がある人はいいでしょうが、資金に余裕のない人は難しいと思われます。罹災証明書の発行も遅れていたり、認定基準が難しかったり、さまざまな条件でつらい思いをしている人も多いようです。
 支援の手はまだまだ必要なのです。
 そして、支援は継続的な物資の支援のほかにも、今度はしだいに精神面の支援も必要になってきています。なかなか生活や環境が改善しないこのような状況が長くつづけば、身体ばかりでなく心も疲弊していくであろうことは容易に想像がつくことです。
 では、実際にどんな支援が必要なのでしょうか。それについては、充分にしっかりとかんがえていきたいものです。

 三谷産業の支援も、当初は食糧や食器などの消費材、生活物資が優先的でした。そしてそれは大変喜ばれました。とくに揃いの食器類は、一家がそろっておなじ食器で食事ができるのがうれしい、といって、ただお腹を満たすだけではない食事の楽しみを取りもどすこともできたのではないでしょうか。
 こういった物資面の支援は引きつづき必要ですが、さらにメンタルケアなどの精神的な支援、娯楽やコミュニケーション面での支援などが、今後はさらに必要になっていくと思います。その点で、現代朗読協会がおこなうような公演(=娯楽)とワーク(=コミュニケーションとメンタルケア)を組み合わせた活動はお役に立てるかもしれません。これに物資支援も組み合わせれば、かなり立体的で柔軟な支援活動を実現できそうな気がします。
 これについては、今後、三谷産業のみならず、さまざまな団体や個人へも協力をあおいでいきたいものです。
(つづく)

現代朗読協会・東北被災地ツアー報告(9)

翌26日。月曜日。
 石巻は雲が少しあるけれど晴れていい天気になりました。ホテルから見た石巻市内の様子をバチリ。
 昨夜も歩いてみて気づいたのですが、一見石巻市内は店も補修されて再開しているところが多く、活気もあって、かなり復興が進んでいるように思えるのです。しかし、よく見ると、表通りから一歩はいったところは、傷んだ家がそのままになってだれも住んでいなかったり、さら地になっていたりと、まだまだ津波の傷跡が残っています。表通りの家も、下屋が壊れているのがそのままになっていたりします。
 まだまだ復興なかばなのです。

ホテルで朝食。
 従業員のお兄さんに聞いてみたところ、このホテルも40センチくらい浸水があったとのことです。表側のほうはかなりやられたということでした。いまはすっかりきれいになっていましたが。
 ホテルのあたりは海岸よりやや高くなっているので、甚大な被害はまぬがれたそうです。

この日は水産高校のグラウンドの敷地を利用して作られた仮設住宅の集会所でイベントをやることになっていました。
 まずは市役所に行き、集会所の鍵を借りるということで、車で移動。
 市役所は津波の被害を受け、現在は〈エスタ〉というショッピングモールのなかにはいっています。
 市役所の前には仮面ライダーV3の像が立っています。
 市役所の前、駅前、駅前商店街、そして漫画ストリートと、このような像やペイントがたくさんあります。とくに「サイボーグ009」関係の像は豊富で、全員が揃っているようです。我々ならず記念撮影をする人がいました。
 石ノ森萬画館も海の近い河口のほうにありますが、これは津波の被害をまぬがれたのでしょうか。見たところ、流されることもなくしっかり建っているようでした。しかし、そのそばを渡る橋は、橋桁がひしゃげて折れ曲がり、まだ補修が終わっていませんでした。
(つづく)

現代朗読協会・東北被災地ツアー報告(8)

宿泊は三谷産業がとってくれた石巻グランドホテル。
 行ってみると、びっくりするくらい立派なホテルでした。より安価なホテルもいくつかあるらしいんですが、長期滞在者でどこもいっぱいで、ここしかとれなかったとのこと。そして全員、シングルをとっていただいてました。
 私たちはうれしいですが、なんだか申し訳ないような気分に。
 荷解きしたあと、夕食のために全員で駅前までぶらぶらと歩いていきました。
 石巻は漫画で町おこしをしているらしく、あちこちに漫画のキャラクターが立っています。とくに石ノ森章太郎の生誕地が隣町である登米市で、それにちなんで「サイボーグ009」や「仮面ライダー」が目につきます。

日曜日ということもあってか、駅前の食堂や居酒屋はどこもにぎわっていて、活気がありました。
 ようやく〈庄屋〉に8人分の席を見つけて入りました。
 こうなると、夕食というより、宴会というか懇親会のような雰囲気に。料理は宮城県だけあって、牛タンはもちろん、海の幸が豊富です。そして、ビール、焼酎、日本酒。
 堪能させていただきました。
三谷産業の松嶋さんは、執行取締役という重役にもかかわらず大変きさくな人で、おやじギャグを連発させてげろきょ女性陣をめろめろにしていました。都平さんも、学生時代ミュージカルをやっていたり、演劇が好きだということもあって、伊藤さやかとそちら方面の話に花を咲かせたりして、みんなで大盛り上がり。
 ここの店の人がまたおもしろく、なかでも井上時光さんというおじさん店員はノリがすばらしくよく、地酒の「墨迺江」をおごってくれたりしました。

 そんなこんなで、すっかり満足したげろきょメンバーは、ホテルにもどり、それぞれの部屋に帰って翌日にそなえ早めに休んだのでした。
(つづく)

現代朗読協会・東北被災地ツアー報告(7)

まず来てくれたのは、若いお兄さん。ニコニコして、こちらが話しかけるとなんでもきさくに答えてくれました。
 聞いてみると、仮設住宅におばあさんとふたり暮らしということで、一日中家にいてテレビばかり見てすごしているとのことでした。仕事はしていないのです。
 どんな番組が好きなのかと聞いてみると、お笑い番組が好きで、とくに「笑点」がお気に入りとのことです。それなら、朗読も多少は興味を持ってくれるかな、と思いました。
 87歳だという、びっくりするくらい元気なおばあさんが来てくれました。このおばあさんは本当に話し好きで、そして歌好きで、私たちのイベントはすっかりこのおばあさん中心に進めることになりました。こちらから一方的に用意してきた出し物やワークをやるのではなく、おばあさんの話を聞きながら、歌ったり朗読したり、といった具合に進めていきました。
 おばあさんは老人クラブで歌っているという替え歌を何曲か歌ってくれました。お座敷小唄の替え歌で、ボケ防止の歌だという、全部で5番くらいまである歌を、なにも見ずに完璧に歌ってくれたり、演歌の替え歌を歌ってくれたり。私たちのほうが楽しませてもらったほどです。
 ほかにも他県から応援に駆けつけていた役所の人も来てくれました。私がピアノを弾いて、何曲かいっしょに皆さんと歌いました。選曲をいろいろ考えてきたんですが、世代を越えて共通に歌えるのは、坂本九の「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん、夜の星を」などがもっともふさわしかったようです。被災地では多く「ふるさと」が歌われているようですが。
 私たちの朗読も聞いてもらいました。朗読プログラム「Kenji」は長いので、短い「一年生たちとひよめ」を聞いてもらいました。

仮設住宅に暮らしている人たちにはコミュニケーションのニーズがあるようで、話したがるし、なにかいっしょにやれることがあるととても喜んでもらえるのでした。
 話には津波のときの様子が出てきて、まだまだ話し足りないようでした。こちらも聞くこと、共感することに徹して接することを心がけました。
終わってから、おばあさんはとても楽しかった、ありがたかった、とみんなと何度も手を取りあってくれました。青年も相変わらずニコニコと楽しそうでしたし、役所の人たちもいっしょに歌に参加してくれたりと、私たちもいろいろと学んだり気づいたりすることが多かったです。
 こういう活動の場へ皆さんにもっと来てもらうための工夫についても、あとから三谷産業のおふたりといろいろと話し合ったりもしました。
 終わったのは午後4時半くらい。日がかげりはじめたなかを撤収し、志津川小学校の体育館をあとにしたのでした。
(つづく)

現代朗読協会・東北被災地ツアー報告(6)

慰問ボランティアについて、受け入れ側の対応が大変だろうと思われることについては、私たちについても同じことのようでした。
 松嶋さんが役場で待ち合わせしているはずの担当者になかなか連絡がつかず、結局別の人に会場の鍵を借りて行くことになったようです。
 会場は志津川小学校の体育館。
 行ってみると、しーんと静まり返っていて、人っこひとりいません。
 小学校は高台にあって無事だったんですが、そこへ通じる道の途中までは、津波の被害がくっきりと残っていました。「ここまでは被害にあった」というラインをはっきりと引くことができるのです。隣り合った家なのに、坂の下のほうにある家は被害にあっていて、上のほうの家はまったくの無傷、という状態を見ることができました。
 小学校の屋外プールと広々としたグラウンドがあり、その敷地の外側に仮設住宅がならんでいます。が、そこにもほとんど人の気配がありません。皆さん、復興祭のほうに行ってしまっているんでしょうか。
校門の前に野生の栗の木があって、イガがいくつも落ちています。いくつか実も拾いましたが、ほとんどはだれかが取ってしまったか、鳥や獣に食べられてしまったんでしょう。というほどに、小学校は山に近接していて、裏山はけっこう深い山です。狸や狐が住んでいそうです。
 校舎の外に立派なへちまが何株も植わっていて、青々とした巨大へちまがたわわに実っています。

役場の人が体育館の鍵を持ってきてくれたので、ともかく機材を搬入して、準備をすることになりました。
 体育館は小学校にしてはびっくりするほど大きくて立派で、真新しい感じです。あまりに広いので、ステージの前のほうに椅子を集めてならべ、そちらでこじんまりとやることにしました。
 ステージの上には、これも立派なグランドピアノがあるので、それを使うことにしました。

 私たちが準備をするあいだ、三谷産業の都平さんが人集めに行ってくれました。仮設住宅にビラを持っていって、声をかけてくれたのです。
 翌日もそうでしたが、都平さんも松嶋さんも本当に労力を惜しまずによく動く人で、私たちも助かりましたが、見習いたいものだと思ったものです。
 しかし、なかなか人が集まらず、時間になっても数人しか来ないので、急遽、客席をステージの上にあげてしまうことにしました。ピアノのまわりに集まってもらって、そこでさらにこじんまりとやろうということになりました。
 準備してきたプログラムも捨てて、コミュニケーションを取りながら臨機応変にやることにしました。
(つづく)

現代朗読協会・東北被災地ツアー報告(5)

臨時庁舎は災害対策本部にもなっていて、休日にもかかわらず車が頻繁に出入りしています。警察車両も出入りしています。
 松嶋さんが戻ってくるのを待つあいだ、私たちは脇の広場でおこなわれている復興市の様子を見に行くことにしました。
 広場では仮設のステージが作られ、屋台がたくさん出て、大変にぎわっています。広場のまわりには車がたくさん並んでいて、なかには遠方の県のナンバーもあります。また、宿泊用のテントもいくつか並んでいて、連休を利用して泊まりがけで来ている人もいるのでしょう。
広場に行ってみると、たくさんの天幕が並んでいて、地元の産品や食べ物を売っています。これは地元の人たちが出しているものでしょうか。町が壊滅して、町で商売ができなくなっている人にとっては、ここでものを売ったりできるのはありがたいでしょう。お客さんもたくさん来ていて、地元の人ばかりではなさそうです。遠方から来たような人もたくさん見受けられました。
広場の端には仮設ステージができていて、かなりの大音量で音楽が流れています。
 ステージの上には女性歌手がひとりいて、カラオケに合わせて歌っています。私は知らない人でしたが、東京から来たプロの歌手のようでした。しかし、バンドはいなくて、ひとりで歌っています。
 聴いている人も何人かいましたが、できあいのカラオケに合わせて歌っているのは、いくら生身の歌手がやっているとはいえ、なんとなくお仕着せの商業的なショーみたいで、ちょっと変な感じをおぼえました。

 このツアーの前、こういったボランティアの芸能慰問活動について、私はいくらか声を聞いていました。
 そのひとつに、東京から無料コンサートとか無料ライブとかいって来るのはありがたいけど、もうそんなに来てもらわなくてもいいんだよね、という意見がありました。たしかに考えてみれば、東京から芸能活動として慰問に行く人はそれが一回きりのチャンスかもしれませんが、受け入れ側にしてみればそういう人が次々と来れば何度も対応しなければならないわけです。なかには自分の好みではない音楽もあるでしょう。
 だから、私たちも、行くにあたってどんなことをすればいいのか、なにをすれば喜んでもらえたりお役に立てるのか、かなり悩みました。しかし、結論は出ないまま、いくつかの演目やワークを用意して、来てしまいました。
 ただ、これだけは考えていた、ということがあります。ショー的に一方的になにかを演じたり歌ったりして終わり、というようなことだけはやらないでおこう、ということです。とにかく、なんらかの形でコミュニケーションを取りたい、つながりを持ちたい、ということが、私の頭のなかにはありました。
 広場の仮設ステージでカラオケに合わせて歌っている女性を見ながら、私はこの思いを強くしていきました。
(つづく)

涼しさとともに気持ちと身体を引き締めていこう

「今日のみずきさん」の更新がしばらくとどこおりました。
「木を植えた人」の朗読会や特別ワークショップ、そして東北の被災地ツアーに行っていたからです。三谷産業株式会社に全面的にバックアップしてもらって現代朗読協会のメンバーと行ってきた東北ツアーの模様は、私のブログに詳しいレポートを連載中ですので、興味のある方は読んでみてください。
このツアーの前くらいから、東京でも急に秋が深まった感が強まり、すっかり肌寒くなりました。
今日はひさしぶりにウォーキングを兼ねて羽根木から明大前まで歩いて、カフェでこれを書いているんですが、暑くないのでせっせと歩くのも楽しくなりました。
明大前にはまだ大学生たちはあまりいなくて、高校生がたくさん歩いています。女子高校生たちは長袖のベストを着ています。男子もブレザーを羽織っている生徒が多い。
秋になると同時に、私もいろいろとやりたいことがあるので、気持ちを切り替えていきたいと思います。暑さのせいでややだらけてしまった身体も、ちょいと引き締めていきますかね。

2011年9月27日火曜日

現代朗読協会・東北被災地ツアー報告(4)

漁港へとつづく扇状地に残っているのは、わずかばかりの鉄筋コンクリートのビルばかりです。
 スーパーマーケット、役場、病院、そういった施設だと見えましたが、いずれも3階から5階建てくらいのもので、東京のように大きなビルはありません。そしてその上階部分まで津波が押し寄せてきたことが明らかです。
 そして平地はすっかり建物がなくなっています。

この2番目の写真には、3階建てのマンションの屋上に車が押しあげられ、そのままになっています。つまり、ここまで車がぷかぷかと運ばれてきて、取り残されたというわけです。水位がここまであったということでしょう。
 手前には多くの住宅が建っていたはずですが、二階建ての屋根をはるかに超える水位ですべて押し流されてしまっています。
 すっかりなにもなくなっている平地ですが、それでもところどころ、人々が集団で組織的に瓦礫の後始末をしている光景がありました。ボランティアの人たちが来て作業をしているようでした。組織だった動きのようでした。
 そういえば23日から25日にかけては連休でした。連休を利用して各地からボランティアに来られた方は多いようでした。
 というのも、このあと私たちは臨時の役場のほうに行ったのですが、その脇の広場では復興フェスティバルがおこなわれていて、地元の人だけではなく各地からやってきた人々で大変にぎわっていました。

南三陸町は役場も津波で使えなくなってしまったので、仮設の役場を高台に開設してありました。
 高台というよりも、山間部といったほうがいいくらいの場所です。南三陸町は海に山が迫っている地形で、町があった扇状地からすぐに山にはいっていきます。その山間部のなだらかな場所に、もともと水産加工会社がいくつかと、住宅がいくらかあります。その空き地に臨時の役場を仮設したようです。
 三谷産業の松嶋さんがここで担当者と待ち合わせをしているということで、臨時庁舎に行っている間、私たちは車で待機です。
(つづく)

現代朗読協会・東北被災地ツアー報告(3)

広がる田園風景は、稲刈りがすんでいるところとすんでいないところが半々くらいでしょうか。
 私は北陸の米所の生まれですが、北陸は早場米がメインで、この時期には稲刈りはほとんど終わってしまっています。東北は稲刈りの時期が遅いようです。
 稲刈りが終わったあとに田んぼのなかに立ててある稲藁の束のことを、唐ひづるは「こなきじじい」と呼んでいるそうです。たしかにそのように見えないことはありません。これも地域によって形がいろいろです。
 唐ひづるは青森県の出身で、今回のメンバーのなかではただひとり、東北出身です。そういうわけで、彼女にはイベントでいろいろと活躍してもらいました。

宮城県にはいってから、早めの昼食を取ることになりました。11時すぎ、サービスエリアに入って、食堂で昼食。
 ここのメニューに「油麩丼」というものがあったので、私はそれを注文してみました。唐ひづるによれば、東北には油で揚げた油麩というものがあるのだそうです。それを親子丼のような玉子とじにしたものです。
 食べてみると、肉のはいってないすき焼きをご飯にぶっかけたようなもので、まあ悪くはない味です。
 一同8人でなごやかに昼食。

ふたたび東北道で北上。
 仙台をすぎてすぐに一般道へと降り、今度は南三陸町へと向かいます。
 ここまでは内陸を通るルートが多かったので、内陸から海へと向かう形です。海べりはほとんど通ってこなかったので、津波の被害にあった地域はまだ見ていませんでした。
 かなりの田舎道で、コンビニ一軒、ありません。食堂のようなものもほとんどなく、サービスエリアで早めの昼食を取ったのはこういう意味だったのか、というのもわかりました。
 そしていよいよ最初の目的地である南三陸町へと入っていきました。
 山道を抜けて扇状地へと出ていくと、川にそった道の両側に津波の被害を受けた地域がいきなり現れました。
 瓦礫があちこちに山と積まれていて、住宅があっただろう場所はほとんどさら地になっています。コンクリート枠の土台だけが残っています。
 津波が押し寄せてきて、家が根こそぎ流されていく南三陸町の高台から撮った映像を見たことがありますが、人々の驚きと悲鳴が耳によみがえってきました。
(つづく)

現代朗読協会・東北被災地ツアー報告(2)

待ち合わせは午前7時だったので、時間までに山田みぞれ、伊藤さやか、照井数男の3人がやってきて、メンバー全員が揃いました。三谷産業のおふたりと挨拶を交わして、さっそくワゴン車に全員が乗りこみました。
 ワゴン車には、各自の荷物のほかには、三谷産業が運ぶ支援物資、唐ひづるが持ってきた差し入れ物資のほか、楽器類。今回は二カ所でイベントをやる予定でしたが、一カ所は確実にピアノがない、ということでキーボードを持っていくことにしたのです。
 最初はいつも使っているモニタースピーカーとミキサーを持って行こうかと思ったんですが、重いし、かさばるし、それだけで電源も三つも必要なので、機材変更しました。KORGのミニシンセサイザーを音源と外付けmidiコントローラーにして、MacBookAirをもうひとつの音源に。スピーカーは思い切ってBOSSの大音量対応のiPhone用のものをあらたに購入しました。
ミキサーはかさばるので、ヘッドホンをいくつもつないで何人もで聴くためのたこ足分配器を、ミキサーのように使って代用。これだとまったくかさばりません。また、キーボードはどうしても電源が必要ですが、スピーカーはバッテリーを内蔵しているので不要です。
 このような最小限ライブ機材を工夫して、持っていきました。なので、車のなかも余裕があります。不謹慎かもしれませんが、なかばピクニック気分で楽しく出発。いや、それでよかったと思います。ほがらかな気持ちで訪れた私たちを、現地の人たちも結果的にはほがらかに迎え入れてくれましたし、それがとてもよい時間を持てるベースになったとも思います。

北戸田駅前でお互いのケータイ番号を交換したり、朝食にサンドイッチを買ったりして、車に乗りこみました。サンドイッチの具が「底上げ」してあって、「詐欺だ!」と騒いだりしているなか、ツアー車は外環道から高速に乗って、川口から東北自動車道へ。
 交通は順調に流れています。そして空はますます明るくなって日がのぼってきました。
 寝不足の人もいたらしく、さっそくうとうとする者、数名。もちろん三谷産業のおふたりは運転席と助手席で頼もしく車を運んでくれています。

 埼玉県からあっという間に栃木県に入り、9時すぎくらいに最初の休憩ということで、那須高原サービスエリアでストップ。
 写真はそこで撮ったスナップですが、一番右側にハゲじーさんがまるでメンバーのひとりのように写りこんでいるのがおかしかったです。
 そしてツアー車は栃木県からさらに福島県、宮城県へと向かって北上していきました。
(つづく)

現代朗読協会・東北被災地ツアー報告(1)

いろいろないきさつはあったんですが、そこはごっそりはぶくことにします。
 金沢と東京に本社がある三谷産業株式会社の執行取締役・松嶋さんから、「支援するから被災地でボランティア活動をやりませんか」という話が来たのは夏の初めのことでした。もちろんふたつ返事で「やります!」と答えました。
 その後、支援ボランティア活動のための助成金があるというので、申請してみました。何人行くかによって費用も変わりますが、交通費と宿泊費はかなりかかります。仮にげろきょ(現代朗読協会)メンバーが5人で行くとなると、往復の交通費だけで15万以上。飲食代は各自がなんとかするにしても、宿泊費もかかりますし、その他の経費もあります。助成金がおりれば助かると思ったのです。
 が、結果的に助成金は認められませんでした。「より緊急性の高いものから」という理由で、私たちの活動にはおりなかったのです。
 これは被災地ツアーは中止かな、とあきらめかけていたところ、なんと三谷産業から「交通費と宿泊費も持ちますよ」という話が来たのです。これにはびっくり。
 じつは三谷産業は東日本大震災直後からすぐに動きはじめていて、これまで何度か現地に物資を運んで支給したり、活発に支援活動を展開しているのです。が、被災地の人といっしょになにかやるような交流型のイベントはまだやったことがありませんでした。
 現代朗読協会で協力できることがあるというのは、私たちにとってもうれしいことでした。

私たちになにがやれるか考えてみました。
 げろきょは発足以来、学校や養護施設、老人ホームなどで公演やワークショップをやってきました。また、震災以後は「音読ケア」という心身ケアワークをやっています。これらの経験からプログラムを用意することにしました。
 小中学校でおこなってきた宮澤賢治作品をコラージュした朗読プログラム「Kenji」や、新美南吉の「一年生たちとひよめ」、そして音読ケアのワークをいくつか。
 一緒に行ってくれる人を募集したところ、ゼミ生から野々宮卯妙、照井数男、唐ひづる、山田みぞれの4人が、そして私といっしょにOeufs(うふ)というユニットで音楽活動をやっている歌手の伊藤さやかが、計6人で行くことになりました。伊藤さやかが加わったことで、歌もいっしょに歌えるねということになりました。

2011年9月25日、日曜日。
 午前5時に羽根木の家を出発、ということで、三谷産業の松嶋さんと都平(とひら)さんがレントした10人乗りのワゴン車で来てくれました。
 松嶋さんは前日に金沢から東京入りして、都平さんといっしょに早朝から来てくれたのです。
 羽根木の家では私と野々宮と唐の3人が乗りこんで、5人で北戸田駅に向かいました。北戸田駅で埼玉組と合流することになっていたからです。山田みぞれは埼玉ではなく江戸川区ですが。
 夜明けの空が美しく、天気は幸い、よさそうです。
 北戸田駅には予定より20分ほど早く、6時40分に到着しました。
(つづく)

「木を植えた人」の特別ワークショップ、基礎講座の2回め

9月24日、土曜日。
「木を植えた人」の朗読会に続いて、この日もバラさんと杪ちゃんに来てもらって特別ワークショップを羽根木の家で開催しました。
10時から。
参加者が少なくて心配していたんですが、結局ゼミ生や基礎講座の参加者を中心に10人くらい来てくれました。
まずは三人でトーク。「木を植えた人」のこれまでの経緯や、この三人でやってきたことなど、裏話を披露しました。そのあと、杪ちゃんとバラさんに発声法や朗読の距離感、表現ベクトルなどのワークをやってもらいました。みんなで身体を動かしたり、声を出したり。いつもげろきょでやっている方法とは違っていて、しかし本質的な部分は共通しているので、皆さんにも参考になったのではないでしょうかか。私も楽しくやらせていただきました。
午後1時すぎ、終了。

終了後、ピピカレーに行き昼食。
午後2時から現代朗読基礎講座があるので、私だけひと足先に戻りました。
基礎講座はこの日が今期の2回めでした。ひとりひとり、それぞれの作品を読んでもらって、個別にアドバイスすると同時に、「評価を手放す聴き方」のエチュードをやったりしました。この「評価を手放す」ことによって、表現者はとたんに生き生きしてくるし、朗読を聴くことも楽しくなるのです。これは朗読に限らないことですが。

朗読会「木を植えた人」が終了

9月23日、金曜日。秋分の日。
夜に朗読会「木を植えた人」を羽根木の家で開催するので、朝から準備。
昼すぎ、貴重なげろきょ男性メンバーのふなっちとかっしーが来て、ずっと放置してあった粗大ゴミの始末やら、庭の掃除をしてくれました。ものすごーく助かりました。

午後3時すぎにバラさんと杪ちゃんがやってきました。バラさんは名古屋から。杪ちゃんは福井から。
ちょっと休んでから、さっそく会場のセッティング。照明のセッティングが大変。ここでもふなっちとかっしーが大変がんばってくれました。照明は室内だけでなく、庭のほうにもいくつかセッティング。庭の木々が最後にライトアップされる趣向。
私は楽器のセッティング。

午後7時半、開場。お客さんが20人以上来てくれました。時間ぎりぎりになる人もいましたが、幸い、開演前には予約の人がひとりを除いて全員入ることができて、落ち着いて始めることができました。
まず、私のキーボード演奏からスタート。そしてバラさんが登場。「木を植えた人」の朗読が始まりました。これまでもそうでしたが、始まると朗読者と聴衆、会場の空気がぴしっと一体化して、緊張になかにもゆったりした時間が流れていきます。本当にすばらしい朗読です。
朗読の最後には、ふたたび私も演奏で参加。庭がライトアップされ、視覚効果もすばらしく、暖かい拍手をいただいて終演。

終演後はその場で打ち上げというか、交流会。飲み食いしながら談笑。
解散したのは11時すぎでした。翌日は朝から特別ワークショップがあるので、すぐに休んでもらいました。

朗読会「木を植えた人」と特別ワークショップ、そして東北被災地ツアーとつづいて、日記がとどこおってしまいました。順次、報告していきます。

9月22日、木曜日。
夜、阿佐ヶ谷の地区センターまで田中智さんのヨガ講座に行ってきました。
田中智さんは古典ヨガの専門家で、22日はレッスンではなく講義が中心でした。つまり、古典ヨガの教典を踏まえたヨガの思想や考え方、原理などを教わったのです。
参加者は実際にヨガを教えている女性が数人と、ほかには私を含めて一般の人が数人。こじんまりとした講座でしたが、大変興味深い内容でした。ますますヨガに興味がわいてきました。

9時に終わったので、その足で中野に向かいました。毎月〈スイートレイン〉でやっている板倉克行さんのライブが、台風で一日ずれたのでした。
行ってみると、すでに2ステージが終わっていて、いつもの野々宮と照井がすでに来ていました。izaさんもいます。日程変更のせいか、台風直後でしかも雨降りだったせいか、お客さんは珍しく少なめです。それでも3ステージめには私も参加させてもらって、朗読とフリージャズのセッションをやりました。
私はちゃっかりピアニカを持っていったのでした。

古典ヨガの講座、中野スイートレインでのフリージャズセッション

朗読会「木を植えた人」と特別ワークショップ、そして東北被災地ツアーとつづいて、日記がとどこおってしまいました。順次、報告していきます。

9月22日、木曜日。
夜、阿佐ヶ谷の地区センターまで田中智さんのヨガ講座に行ってきました。
田中智さんは古典ヨガの専門家で、22日はレッスンではなく講義が中心でした。つまり、古典ヨガの教典を踏まえたヨガの思想や考え方、原理などを教わったのです。
参加者は実際にヨガを教えている女性が数人と、ほかには私を含めて一般の人が数人。こじんまりとした講座でしたが、大変興味深い内容でした。ますますヨガに興味がわいてきました。

9時に終わったので、その足で中野に向かいました。毎月〈スイートレイン〉でやっている板倉克行さんのライブが、台風で一日ずれたのでした。
行ってみると、すでに2ステージが終わっていて、いつもの野々宮と照井がすでに来ていました。izaさんもいます。日程変更のせいか、台風直後でしかも雨降りだったせいか、お客さんは珍しく少なめです。それでも3ステージめには私も参加させてもらって、朗読とフリージャズのセッションをやりました。
私はちゃっかりピアニカを持っていったのでした。

2011年9月22日木曜日

朝ゼミ部活編、表現の話、台風すぎても雨

午前中は現代朗読ゼミの朝ゼミ部活編でした。毎月第四木曜日は部活と称して、普段はあまりやらない技術的なことにスポットをあてて自主的にゼミをやってもらうことになっています。
が、今日は部長のまりもちゃんが珍しく休みだったのと、台風その他の影響で欠席者が多かったので、先週やった「なめとこ山の熊」のイントネーションのおさらいを自主的にやってもらいました。

ピピカレーに行き、ランチ。岩崎さとこが合流。
羽根木の家にもどり、さとこと演劇や朗読、表現についての話をひさしぶりにたっぷりしました。彼女が30日に恵比寿のAMUという場所で短い朗読をするというので、キーボードを持ちこんで共演することになったのです。その打ち合わせも兼ねて、ということで。

MacBook Air にインストールした MainStage(Logic Pro) の音源がいくつか原因不明のままロードできなくなってしまったので、丸ごとインストールをやりなおしました。時間がかかりましたが、東北ツアーに持っていくので必要なのでした。

台風一過、さわやかな晴天かと思いきや、午後になってけっこうまとまった感じで雨が降り出しました。いまも降っています。
今夜はこれから阿佐ヶ谷まで行って、田中智さんのヨガ講座を受講する予定です。出かける時間までに雨があがるといいんですが。
明日の夜は羽根木の家で朗読会「木を植えた人」をやります。午後はその準備。

台風一過、実りの秋がやってきた

台風一過。台風一家じゃないですよ。
雨と風が秋を運んできます。
羽根木の家の荒れ庭に彼岸花が一輪、突然咲きました。これは不思議な花で、茎だけが突然シュッと伸びてきて、てっぺんに花群がいきなり咲きます。葉っぱはありません。茎と花だけです。
花が枯れると、ようやく葉っぱが地表にへばりつくように出てきて、冬の間もありますが、春になるとこれも枯れます。そして秋になるまでなにも生えてこないのです。
種はなく、地下根で増えるので、群生している姿をよく見かけます。でも、羽根木の家の庭に咲いたものは単独です。ひとりきり、ぽつんと咲いています。
お仲間はどこにいるんでしょう。彼女はどこから来たんでしょう。
謎です。
彼岸花が終わると、金木犀が香りはじめ、文化祭や体育祭のことを思いだす季節になります。抜けるような青い空、稲藁のにおい、日の光で輝くススキの穂。
秋はずっと苦手な季節だと思っていましたが、こうやってみると彩り豊かで、多様で、実りが多い季節なんですね。
考えてみれば、私自身も人生の秋のまっただ中にいるのでした。収穫の秋だといいですね。

2011年9月21日水曜日

台風直撃のなか、テキスト表現ゼミと東北ツアーの稽古

午前中からテキスト表現ゼミでした。
雨のなか、ミキティはカッパを着て、バイクでやってきました。今日が初参加の乃理さんは遠路はるばるのお越し。ふたり欠席。唐さんが臨時参加。あとは卯妙さん。
今日は、小説とはなにか、とか、「描写」「行動」「説明」という文章の種別についてのごく基本的な話をしました。かなり文章を書きなれている人でも、案外こういった基本的なことを知らないのです。学校では習いませんからね。

午後1時からは、げろきょ東北ツアーの演目の稽古。東北ツアーというのは、25日に南三陸町、26日に石巻市へボランティアに行くものです。
参加者は伊藤さやか、野々宮卯妙、唐ひづる、照井数男、山田みぞれ、そして私の6名。音読ワークや歌をいっしょに歌ったりしますが、ほかに朗読プログラムの「Kenji」や「一年生たちとひよめ」をやる予定です。今日はその稽古。
みぞれちゃんは初参加ですが、問題なし。楽しみながら稽古に参加してくれました。
行き先が被災地だから、とか、大変な目にあった人たちだから、なんてことはかんがえずに、とにかく自分たちが生き生きと楽しみながら、いっしょに元気になったり、日々の生活に役立てられるようなことを伝えられたらと思っています。

台風による風雨が急速に強まってきたので、予定より2時間近く早めに切りあげて、解散することにした。
あとでわかったことだが、それでも途中で足止めを食ってしまったり、路線変更を余儀なくさせられたり、傘を壊してしまった者が出たらしい。今回の台風は、思ったより足が早く、そして思ったより強力だった。
 明後日の朗読公演「木を植えた人」と重ならなくてよかった。

台風、木を植えた人、東北ツアー

台風が来ています。
名古屋が大変なことになってますね。名古屋には知り合い、友人が多いので、心配です。
その台風も、今日は次第に速度をあげ、東海から関東に向かってくるようです。油断できません。みなさん、気をつけましょう。とくに出かける人は。
私はスケジュールが詰まってきています。今日は午前中から朗読ゼミ。これは通常スケジュールですが、午後は東北ツアーの稽古です。
東北ツアーというのは、25日・日曜日に宮城県の南三陸町を、26日に石巻市を訪問して、朗読公演と音読ワークをボランティアでおこなってくる行程のことです。現代朗読協会メンバー6人が石川県の三谷産業という会社にバックアップしてもらって、車で行きます。ご協力いただく三谷産業の皆さんには感謝です。
三谷産業は震災直後から現地入りして活発に復興活動のサポートをおこなっている会社で、私たちも微力ながら協力させていただくことになったのです。
その前に23日・秋分の日は榊原忠美の朗読会「木を植えた人」を羽根木の家でおこないます。全国各地でこれまでに300回近くつづけてきた朗読会です。これには私もピアノ演奏で参加します。
翌24日は榊原忠美に加え、長年コンビを組んで朗読会を開催してきた杪谷氏と私の三人で、特別ワークショップ「演劇の声、朗読の身体」を開催します。
石巻から帰ってくるまで気が抜けません。

2011年9月20日火曜日

広縁の整頓、草むしり、体験講座、ヨガ講座

明治公園で脱原発5万人集会が開催されていました。私は行けなかったけれど、気持ちはしっかりとそちらに向かっていました。
行けないかわりに、昨日は朗読体験講座をやりました。
その前に、23日の朗読公演「木を植えた人」のために、羽根木の家の整頓と掃除。
知らないあいだにいろいろとモノが増えてしまった広縁と、外の草むしりと、物置の整理。使わないものは思いきってゴミに出すことにしました。広縁はすっきりしてきれいになり、物置小屋は粗大ごみに出すものを分類。草むしりはとても一度では終わりそうになかったので、そこそこにして終了。

午後1時から朗読体験講座。
いつものことですが、初めてげろきょにやってくる人は、朗読表現に対するさまざまな思いこみがあって、それを大きくひっくり返されるのです。それをおもしろいと受け入れられるか拒絶するかで、その人の今後の表現活動が大きく左右されるでしょう。もちろんそのまま変わらない生き方もありですし、自由でこだわりのないこちら側の世界に来るのもありです。
終わってからは、ゼミ生も何人かいたので、ビール会。なおさんの仕事を手伝ったりしながら、性格の話で盛り上がりました。

今日は台風接近のせいで名古屋が大変なことになっているニュースがはいってきました。
名古屋には妹もいるし、たくさん知り合いがいるので、気がかりです。
夜は田中智さんが講師のヨガ講座を開催。今回も自分の身体とこころにゆっくりと向き合う、味わい深い時間でした。今夜も深く眠れることでしょう。

英語再学習のためのノート

「英語力の錆落とし」の話のさらにつづき。
英語を再学習するためのノートを作ろうと思いました。で、新しいノートをひとつおろそうと思ったんですが、ふと思い直したのです。英語専用のノートを作ると、「さあ勉強しよう」と思わないとそのノートを開きません。気分が変わっていいかもしれませんが、そういう時間をわざわざ作らなければなりません。できれば、いろいろとやることがある合間の、隙間時間を極力利用して勉強したいのです。
なので、英語用のノートを作るのはやめにしました。いつも使っている手帳を、そのまま英語ノートにも使うことにしたのです。それだと、いつものメモや、備忘録を読み返すときに、いやでも英語も眼にはいってきます。
覚えたい英単語や熟語、構文など、なんでもかんでもそこに書きつけておきます。で、覚えたものは片っ端から線を引いて消していきます。
いつまでも覚えられなくて線が引けないものは、またあたらしい最新のページに書きうつして、日常のなかですぐに眼にはいるようにしておきます。
こういう方式でやることにしました。すでに初めて三日たちますが、ノートはあまり埋まりません。そろそろ物量作戦を発動させる必要がありそうです。

2011年9月19日月曜日

即興演奏「雨の雫」永倉秀恵、坂野嘉彦・水城ゆう

2011年8月に下北沢〈Com.Cafe 音倉〉にて開催された水城ゆう猫スケッチ展「猫のうた」の最終日イベントとしておこなわれた音楽ライブ。
約3年間のブランクを経て、現在本格復帰準備中の歌手・永倉秀恵のプレ復帰ライブとなりましたが、たまたま名古屋から上京していた現代音楽作曲家でありクラリネット奏者の坂野嘉彦さんと即興セッションをすることになりました。
簡単なモチーフだけ存在する「雨の雫」という曲を、ほぼ即興、そして完全に初回顔合わせというメンバーでおこなったセッションです。


英語力の錆落しをするぞ、のつづき

昨日の「英語力の錆落とし」の話のつづきです。
英語を使うときに、私のなかにはなんとなく、何十年もやってるんだからほんとは使えるはず、という根拠のない思いこみがあるようです。でも使えないのは、なにかほんのちょっとしたコツがあって、それさえつかめればペラペラ使えるようになる、みたいな。
まずその思いこみを捨てることにしました。何十年もやっているといっても、ちゃんと勉強したのは学生時代の数年間にすぎません。それも試験勉強のときに一気にガッと。いまいくらかでも英語がわかるのは、そのときの貯金を食いつぶしているにすぎません。
まず、いまやるのは、貯金がどのくらいあるのかを総ざらいしてみること。たとえば、必須単語を点検して、どのくらいちゃんと覚えているのか、どのくらいうろ覚えなのか、すっかり忘れているのはどのくらいなのかを、きちんと洗いだすので。
文法もそうです。それからヒアリング。ライティング。この順番で貯金の残高確認をやろうと思っています。きっとかなり少ないと思うのです。
優先順位はこの順番です。単語、文法、ヒアリング、ライティング。それをはっきりさせておかないと、なにもかも欲張って途中でいやになってしまいそうな気がします。
つづく、かな?

2011年9月18日日曜日

石村みか主演・扇田拓也演出「空のハモニカ」を観てきた

下北沢「劇」小劇場に、演劇ユニットてがみ座第五回公演「空のハモニカ」を観てきた。
扇田拓也くんが演出で、石村みかさんが主役の金子みすゞを演じている。
連日の盛況で今日も満席と聞いていたし、2時間を超える上演時間なので、少しおっくうな気持ちもあったのだが、見終わってみたらそんな気持ちは吹きとんでいた。
演出がすばらしい、石村みかがすばらしい、ほかの役者も、舞台装置もすばらしい。私がこれまで観たストレートプレイのなかでベストにあげられる出来だった。

これの前にはザ・スズナリで少年王者館の公演を観て、小劇場公演っぽくぎゅうぎゅうに詰めこまれ、ほとんど身動きできずに、膝の悪い私はおおいに難儀したのだが、今日は比較的席をゆったり取ってくれていて、楽に観られたのもよかった。お客さんに高齢者が多かったが、それに配慮したのかもしれない。

それにしても、扇田くんの演出は本当にすみずみまで行き届いていて、繊細で、しかもアイディアがいっぱいだった。シンプルな装置だったが、それを効果的に使い、役者が行き交うとともに時制が行き交い、複雑ではあるが、けっして難解というわけでもない。
セリフまわしにも、「そのセリフをそのようにいわせるんだ」という意外性をたくさん含ませて、たぶん多くの観客は気づかないのかもしれないが、アンビバレントな表現がステージに厚みを与えていた。
そして石村みかの身体性のすごさ。
小劇場演劇の完成の極地を見せられたように思う。
演劇をやっている人はこれに対抗するのは大変だろうなあ。こちらは朗読であり、また「作り込むステージ」とは対局にある「偶有性のステージ」の方向性で心底よかったと思った。

幼児並みの英語力にカツを入れるぞ

NVC(Nonviolent Communication / 非暴力コミュニケーション)を学びはじめて以来、外国人と接する機会が増えました。公認国際トレーナーのほとんどが英語圏の人だからです。
英語圏といっても、母国語は英語ではない人もいます。フランス語であったり、スペイン語であったり、日本語であったり。でも、NVCのワークショップはほとんどが英語でおこなわれます。
日本で開催されるときは通訳がついて、英語がわからない人でも不自由なく参加できるようになっていますが、それでも講師と直接話したいときは英語を使うことになります。
11月にホルヘ・ルビオという公認トレーナーが来日し、NVCのワークショップを開催するのですが、私は彼とどうしても直接、じっくりと話してみたいと思っています。そこで、錆びついた英語力にもう一度カツを入れなおそうと決意しているところです。
中学校、高等学校、大学(中退しましたが)と長年英語をならい、試験も受け(英検2級を若いころに取りました)、大人になってからも時々はペーパーバックなどをパラパラやることがあります。しかし、実際に英語圏の人とコミュニケーションを取ろうとすると、幼児並みです。これをなんとかしたいと思っているわけです。

2011年9月17日土曜日

みっちり詰まった一日/音読ケアワークグループ発足か?

いやー、今日もおもしろかったです。充実して、マインドフルで、余計なことをかんがえる時間はまったくありませんでした。

午前9時前に、インターネットが普及するはるか前のパソコン通信時代からの友人である米田さんが山口県の岩国からいらして、ひさしぶりに旧交を温めました。20年以上の付き合いで、しかし最近はネットを通じてしかやりとりしていなかったので、実際に会うのは10年以上ぶりです。
楽しかったです。
米田さんにはそのまま残ってもらい、げろきょの活動を見学してもらいました。

午前10時からライブワークショップの今期4回め。欠席者がふたりいましたが、いよいよ最終ライブに向けての後半に突入。今日は「音についての感受性」と「身体と言葉の関係性」のワークをみっちりやりました。
朗読は音声表現です。言語・テキストを伝える以前に、それは音声・音響として人に伝わります。朗読者が音の性質にたいして鋭敏な感受性を持っていることが望ましいことはいうまでもありません。今日は二和音の間隔の変化にともなって変わる身体的イメージのワークをやりました。また、ハミングを使った響和の感覚わーく。そして、身体を動かしながら読むことによる身体と言葉の関係を知るワーク。「立つ/座る」という動作についても、基本を確認しました。
みぞれちゃんが、始める前はなんだか停滞した気分で沈んでいたけれど、やってみたらやっぱり楽しくて気分が晴れ晴れした、といってくれたのがうれしかったですね。

昼はみんなで東松原の〈アイキッチン〉へ。
語りのサヤ佳ちゃんが早めに到着したので、いっしょに移動。米田さんも。
次の予定がある米田さんと一足先に羽根木の家にもどり、荷物をまとめて、お別れ。
みんなが帰ってきてから、サヤ佳ちゃんの語りの新作をいくつか聞かせてもらいました。しばらくぶりに聞きましたが、サヤ佳ちゃんの語りはさらに芯がしっかりして表情も豊かになり、その成長ぶりがうれしかったです。

サヤ佳ちゃんが帰ってから、みんなも解散。ひとり残った絽未さんと、11月3日の演目についての打ち合わせ。
彼女には「コンテンポラリー」な演目をやってもらいたくて、いろいろとアイディアを出しました。実現できるかどうかわからないけれど、とにかくテキストを読みこんでもらって、次回、実際にやってみようということになりました。楽しみです。

夜はテキスト表現ゼミ。ふなっちが団子の差し入れを持ってきてくれました。
今回もあーでもない、こーでもないと、楽しく頭を付き合わせてお勉強。このゼミは4月からスタートしてまだ半年もたっていないというのに、みんなの成長ぶりときたら眼をみはるほどです。とくにふなっちが、こんなことをいってました。
「前に書いた100枚くらいの小説を読み返してみたら、全然だめで、まったく使えるところがなかった。びっくりするほどだった」
そういうことに気づけるようになったというそのことが、成長を証明しているわけですが、たった1年足らずでそれほどまでになったというのがすごいですね。
最後に少し時間があったので、「テキスト・クロッキー」をみんなでやってみました。いろいろな気づきが生まれておもしろかったです。

解散前に、絽未さんと彩子さんが「音読ケア」に興味があるというので、近いうちに音読ケアのワークグループを立ちあげることになりました。これはずっとやりたいと思っていたことなので、これも今日のうれしいできごとです。

311以降の意識の変化が現代朗読の人気となっている?

現代朗読協会ではゼミや講座の見学をいつでも歓迎していますが、それとは別に「体験講座」というものも毎月一回開催しています。
明後日の9月19日(敬老の日)にもあるんですが、その準備をしていて発見したことがあります。
この講座に参加した方のかなりの割合で、そのまま別のワークショップに参加したり、ゼミ生になるケースがこのところ急に増えてきたのです。
その傾向は今年になってからのような気がします。
なにが原因なのか、はっきりしたことはわかりませんが、311以降、時代の空気がはっきりと変わったことと無関係ではないような気がします。
あれだけの災害がいつまたやってくるかわからない、そして原発事故はまだ収束せずに現在進行形である、私たちはこれからも汚染された国土と、いつ来るかわからない自然災害と向かい合いながら生きていくことになる、ということがはっきりしたいま、多くの人が「生きる」という自分自身の問題ときちんと向かい合おうとしはじめているようです。
そういった人たちが、なにか形式的なものや企まれ作りあげられたものではない、自分自身をありのままに表現する「現代朗読」に魅力を感じておられるのかもしれません。
だとしたらうれしいことです。

明後日の体験講座の詳細と申込はこちら

2011年9月16日金曜日

10月のミニコンサート@下北沢・音倉のお知らせ

下北沢のライブカフェ〈Com.Cafe 音倉〉で毎月一回第二水曜日の午後1時から、ランチタイムコンサートをおこなっています。
ピアノと朗読、ときには歌も加わる30分程度のミニコンサートです。下北沢でのお昼ご飯やコーヒータイムに気軽にお立ち寄りください。

◎日時 2011年10月12日(水)13:00~13:30
◎場所 下北沢ライブカフェ〈Com.Cafe 音倉〉
世田谷区北沢2-26-23 EL・NIU B1F/下北沢駅よりゆっくり歩いて3分
◎料金 無料
飲食代のみ、それ以外のライブチャージなどはありません。予約も不要です。

演奏の後はお茶でも飲みながらおしゃべりしましょう。
みなさんのおいでをお待ちしてます。

敬老の日の始まり

来週月曜日は「敬老の日」ですね。
ハッピーマンデーとかいう制度で今年は9月19日になるようですが、かつては敬老の日は9月15日に固定されてました。
この始まりがおもしろいんです。元々は兵庫県多可郡野間谷村の助役が「としよりの日」を提唱したのが始まりだそうです。稲刈りも終わり、ひと息つくこの時期に、敬老会を開いていました。それが兵庫県全体に広まり、さらに国民の祝日として制定されることになったというのです。
その大元の9月15日は、いまは「老人の日」となっています。
敬老の日には現代朗読協会の「朗読体験講座」を開催します。
午後1時から2時間、コンパクトに「現代朗読」を体験することができます。お年寄りも、そうでない方も、気軽にご参加ください。まだ年寄りというには若すぎる、と自分では思っている私が講師を勤めさせていただきます。

2011年9月15日木曜日

次世代作家養成塾の無料メールマガジンが発刊されます

次世代作家養成塾への参加は基本的に有償ですが、これまで当ブログにてある程度どのような内容のことをやっているのか紹介してきました。
これを無料メールマガジンに集約することにしました。
これまで同様、養成塾の内容や、テキストライティングについての私の考え方のエッセンスなどを、週に一回程度のペースで配信していく予定です。
どなたも気楽に配信登録してください。

配信登録は簡単です。
次のメールアドレスに、メールマガジンを受信したいメールアドレスから空メールを送るだけです。
「nextwriting-subscribe@yahoogroups.jp」
タイトルも本文もいりません。
送信すると、間もなく自動返信メールが届きますので、そこに書かれた指示にしたがって登録処理を終了させてください。

初回の発行は次の日曜日を予定しています。

次世代作家養成塾ではなぜ字数制限をするのか

塾生からご意見をいただきました。

「(1000字という制限の)中でキャラクターやその他の事を100%までとはいかなくても50%でも40%でも表現しようとすると、文字数が足りなくなり、どこを削るか、という悲しいが、仕方のない気持ちになってしまいます。文字数が増えると、先生の負担が増えますが、もし宜しければ、SSの範囲内でもう少し、拡張しても良いんじゃないでしょうか?」

このご意見は多くの方の気持ちを代表していると思います。
私はこれまでも小説道場的なサイトを運営したり、カルチャーセンターで小説講座をやったりしてきましたが、まだ未熟な書き手の多くが字数制限をされると、
「これじゃ書きたいことがなにも書けない」
といいます。だから、その気持ちはよくわかるのです。

なぜ字数制限をするのでしょう。かんがえてみましょう。
私が楽をしたいから? 字数制限がないと負担が増えるから?
たしかにそういう側面がないことはありませんが、字数制限をする理由はそれではありません。
この方の意見のなかで、注目したい箇所がいくつかあります。
「(1000字という制限の)中でキャラクターやその他の事を100%までとはいかなくても50%でも40%でも表現しようとすると」
キャラクターやその他のことを100パーセント表現する、というのはどういうことなんでしょうか。
テキスト表現において、なにかを100パーセント表現することは可能なのでしょうか。
テキスト表現という非常に限定されて、制限の多い表現方法において、なにかを100パーセント表現しきる、というのは不可能である、という認識からまずスタートしてほしいと思います。テキスト表現にかぎらず、すべての表現がそうなんですよ。
テキスト表現においては、限定された表現方法のなかでなにを選んで書くのか、あるいはなにを捨てるのか、そういった思いきった態度や手法を身につけていくことが必要です。その手法の「キレ」をみがくために、字数制限をするのです。
表現を切りつめる「キレ」のない文章は、だらだらとぬるいものです。音楽でいえば、リズムも悪い、ピッチもゆるい、音色も悪い、キレのないバイオリン演奏を聞いているようなものです。ダンスでいえば、贅肉の多い身体でキレの悪い動きを見ているようなものです。

たくさん書けば多くのひとが表現できる、というのは幻想です。
よい作品は、たった500字で世界を作ります。たった1000字で自分自身の存在と感触を表現します。
これができるようにならないと、3000字とか、100ページとか、長いものを書いても、よい作品にはなりません。
500字のよいものが書ければ、1000ページのよいものも書けるのです。その逆はありません。
大きな世界の一部をたった500字で切りとってみせること。うまくやれれば、読者はその500字を読んで、その作品が含まれている大きな世界も感じることができるでしょう。つまり、たった500字でも世界を書ける、ということなのです。
みなさんは500字で世界を書いてみたくありませんか?

(以下、略。本文全体は養成塾のメールマガジンで掲載しています)

※オンライン版「次世代作家養成塾」の詳細については、こちらをご覧ください。

釜石の防災教育のすばらしさと、対照的な原発推進

ラジオで、七年前から釜石の小学生と中学生に防災を教えていた群馬大学の先生が話をしていました(お名前は聞き漏らしました)。
そもそもこれをやり始めたのは、百年に一度くらいの割合で津波が来ているのに、行政まかせの、防災しかない。そこで、まずは子供を教育していくというので始めたのだけれど、学校で防災に使える時間が限られていることがあるので、たとえば算数の時間なら、津波が来て何分で逃げられるか、とか、体育では泳ぎ方とか、そんなこともしてもらった。
この中で、倫理観、つまり「一人では逃げてはいけない」ということにとらわれている子供たちに、「まずは自分が逃げる」と教えた。自分が率先して逃げることで、ほかの人が同調するのだから。それと、ハザードマップを信じてはいけない、どんな津波がくるか、わからない。
で、実際の地震の時、釜石の子供は津波警報が出る前にみんな走ってたそうです。中学生は 隣の小学校に「逃げるぞー」と叫んだ。そして第一避難場所からもっと安全な場所へと移動をした。すると、幼稚園の先生も子供もついてきて、途中の崖崩れのところでは中学生は小さい子供の手をひいて、しっかり安全なところまで逃げた、という、すごい話でした。
これを聞いて私は、教育のすばらしさと、一方でいまだに原発の稼働だの新設だの、命を無視した経済の話しかしていない大人たちが大勢いることにの悲しみを、同時におぼえたのでした。

2011年9月14日水曜日

形式(フォーム)から自由になろう

朝10時半からテキスト表現ゼミ。
水曜午前のテキストゼミは、基本、参加者は三人だけなのだが、今日はそれにかっしーと、最近ゼミ生になったまゆみさんが加わって、五人。
先週土曜日のテキストゼミもそうだったが、このところ「ふなっち化」するゼミ生が続出している。つまり、無意識領域からの信号をキャッチして、辻褄や論理性を度外視したストーリーとイメージをそのまま言語化したおもしろい作品が次々と出てきている、ということだ。
たとえばみぞれちゃんは、宇宙人に仕込まれた特殊チップの耳あかから、悪事が次々とばれるのではないかと怖れる少女を描いた作品。かっしーも、二十年来飼っていた水槽のプレコが死んだことに着想を得たプレコの焦点話で、従来作品のハードルをついに越えてきた。
初参加のまゆみさんの感想によれば、相当高度なことをやっているように見えるらしいが、 みんなにその自覚はない。常に表現の本質と原点に立ちもどっているだけだ。

早めに終わって、そのままみんなで下北沢の〈Com.Cafe 音倉〉へ。ランチタイムコンサートへと無理矢理私がみんなを誘ったのだ。みんな、いいやつだ。
私のソロピアノ演奏では、オリジナル曲や唱歌、スタンダードナンバーなど、四曲ほど演奏した。それと、野々宮卯妙との朗読セッションで「眠らない人」をやった。
曲はみんなフォームが決まっている曲で、つまり、小節、コード進行、リズムなど、決められたものをそれほど逸脱しないように演奏する。世の中にある音楽はほとんどそういうフォームがあるものなのだが、これがどうも窮屈に感じはじめているらしい。フォームのない朗読セッションにはいったとたん、自由でのびのびと楽しくなった。
かんがえてみれば、フォームがある曲だって、インプロビゼーションの部分はフォームにとらわれず自由にやればいいのだ。朗読セッションのように、ソロプレイでもフォームにとらわれることなく自由にやれないかどうか、そこが今後の課題だと思った。
幸い、ランチタイムコンサートは毎月第二水曜日の予定。来月はなにか成果が出せるといい。

羽根木の家にもどり、伊藤さやかと東北ツアーの曲目の打ち合わせ。
そのあと、これからの音楽のありかた、行く末、私たちの生き方、ありよう、NVCの話など、とめどなく夜10時まで話して、ようやくさっき解散したところ。いろいろなことを考えて整理できた。さやかには感謝。

長編小説『BODY』を電子ブック発売

ケータイ公式サイト「どこでも読書」で連載された長編恋愛小説というか、青春小説です。
青春小説というと、男の子の話、という印象がなんとなくありますが、これは女の子たちの話です。
読者交流を通して入念な取材のもとに書かれました。
連載中にはサイトでランキングのトップを走りつづけていました。
こちらから立ち読み&購入できます。

現代の若い男女のリアルな群像劇です。
身を持ちくずしていく者、生きる道を迷いながらも見つけていく者、それに関わる大人たち、音楽、表現。
あらためて読み返してみて、新鮮な想いがあります。生きることに迷いを持っている若い人たちに読んでもらいたいです。
小説技法的な仕掛けもあります。作者の取材風景が挿入されたり、作者自身が小説に出てきたりもします。
書いている当時はそれほどの考えもなかったんですが、あらためて読み返してみると、記念碑的な作品となっているように思います。

まずは立ち読みでどうぞ。
ご購入いただく場合の価格は300円です。


次世代作家養成塾:習作&講評「よろめく」唐ひづる

文章は整えられれば整えられるほど、個性を失っていきます。
子どもの書いた作文を読んでみてください。字をおぼえたばかりの子どもは、思いついた言葉を自由にならべて、意表をつくような文章を作ります。それが小学校にあがり、教科書をあたえられ、作文の宿題をあたえられるようになると、整っていき、そしてどんどん個性をうしなっていきます。
私たちはテキストで自分を表現しようとしている以上、もう一度あの個性を取りもどしたいのです。とはいえ、幼児のように書くわけにはいきません。読者がいるわけですから。
いや、幼児のように書いてもいいのかな?
ひょっとして、幼児のように書いてもいいのかもしれません。自由に、思いつくまま、ストーリーの辻褄も考えず、脈絡もなく書いたものは、読者を楽しませることはできないのか。
そうではないのかもしれません。
その重要なヒントが、この唐ひづるの作品に隠されています。

(以下、講評つづきと作品本体は養成塾のメールマガジンで掲載しています)

※オンライン版「次世代作家養成塾」の詳細については、こちらをご覧ください。一か月間の無料お試し期間があります。
※養成塾の電子マガジン『HiYoMeKi』が創刊されました。無料です。ダウンロードはこちらから。

十五夜と十六夜(いざよい)

一昨日12日が旧暦の8月15日ということで、いわゆる中秋の名月。十五夜。ツイッターのタイムラインも、夜は月の話題で埋め尽くされました。
私も見ましたが、すばらしい満月でした。
そして昨日。空を見てみると、昨日より月の出は30分くらい遅く、低い場所でしたが、やはりすばらしい満月。ツイッターではもうだれも話題にしていないのがかわいそうなほど、きれいでした。
でも、昨日の月にもちゃんと名前がついていて、「十六夜」と書いて「いざよい」と読むんですね。
古典文学に『十六夜日記』というのがあります。藤原為家の側室であった阿仏尼によって書かれた紀行日記です。もともとタイトルなどついていなかったんですが、この日記が10月16日から始まっていることから、後世、このタイトルになったそうです。
「惜しからぬ身ひとつは、やすく思ひ捨つれども、子を思ふ心の闇はなほ忍びかたく、道をかへりみる恨みはやらむかたなく、さてもなほ東の亀の鏡に写さば、曇らぬ影もや現はるゝと、せめておもひあまりて、よろづのはゞかりを忘れ、身をやうなきものになし果てゝ、ゆくりもなく、いさよふ月にさそはれ出でなむとぞ思ひなりぬる」
という冒頭の一文はどこかで読んだ気がします。教科書に載っていたのでしょうか。

2011年9月13日火曜日

私のもの書きツール

毎日、大量に文章を書きますが、効率よく書くために、これまでさまざまな試行錯誤を重ねてきました。
たとえば、私は「かな入力」でタイピングしています。
これをいうと、たいていの人は驚きます。しかし、かな入力がローマ字入力より速いことはまちがいありません。なにしろ、キータッチ数がだいぶ少なくてすみますからね。もっとも、ローマ字入力はキーボードの三列とスペースキー、エンターキーくらいですむのに比べ、かな入力は四列が必要になってきます。シフトキーの操作も頻繁です。タッチタイピングのためにはローマ字入力のほうが習得が早いでしょう。
私はコンピューターを使うようになった二十代前半のころから、集中的にかな入力の練習をして習得しました。もともとピアノ弾きということもあって、キーボード操作は慣れていましたしね。
このように、入力方法からはじまって、ワープロ、パソコン、キーボードの種類、ソフトの種類など、ありとあらゆる方法を試してきました。現在もその途中といってもいいかもしれませんが、ある程度落ち着いていることも事実です。そんなに右往左往しなくなりました。
そこで、現在の私のものを書くときのツールについて、ご紹介しておきます。

1. 機材

最初のコンピューターであるPC-8801から始まって、PC歴は二十五年に渡ります。後半はずっとWindowsマシンを使ってましたが、五年前からすべてマッキントッシュに乗り換えました。
乗り換えた瞬間から深い後悔の念にとらえられました。なぜもっと早くマックにしなかったんだろうか、と。
マックは日本語入力においてWindowsマシンに劣る、という思いこみがずっとありました。が、そんなことはありません。ソフトも豊富にあります。なにより、ウイルスの心配をしなくていいのがストレスレスです。
また、最近のOSにはタイムマシンという夢のような機能がついています。すでにこれに何度救われたことやらわかりません。ファイルをなんらかの理由で紛失したり、損傷したりしても、一時間おきにさかのぼって復元することができるのです。
このタイムマシンを使えば、本体を買い替えても環境をそっくりそのまま移しかえるのも簡単です。
現在はメインマシンに MacBook Pro の15インチを使っています。フラッシュストレージで強化してあります。サブマシンとして MacBook Air の11インチも使っています。

2. もの書きソフト

Windows時代から私はWORDなどのワープロソフトは使いません。鈍重だからです。プログラムを作るときに使うエディターを使います。
Windows時代にはWZエディターで「決まり」だったんですが、残念ながらマックでは使えません。現在はJeditほメインに、たまに iText Express を使います。
長文を集中して書きたいようなときには、OmmWriterというソフトをつかいます。いまもそれで書いています。これは立ちあげると、フル画面になり、画面は雪景色のような白い平原の風景になり、静かなアンビエント系の音楽が流れます。書くことだけに集中できるように作りになっています。余分なものはなにもありません。とても気にいっています。キャプチャー画像はその画面です。

3. その他

書いた文章はブログに掲載することが多いのですが、MarsEditorというブログ専用のソフトを使います。これだといちいちブラウザを立ちあげて、ブログの管理画面にはいる必要がありません。ケータイメールでブログを投稿するのに近い感覚で投稿できます。
私はたくさんのブログを管理しているので、こういうツールは便利なのです。
ほかに、たくさん文章を書くのはメールですが、メーラーはOS標準のMailを使っています。いまのところ、これでとくに不便は感じていません。
ブログに掲載するための画像の処理も、標準のiPhotoを使っています。たまにPhotoShopを使うこともありますが、ほとんどはiPhotoですませています。
電子ブックを作るときには、InDesignを立ちあげます。重いソフトですが、縦書きで字数と割り付けができるので、これで一度原稿を書いてみようかと思っているんですが、まだ試してみてはいません。

次世代作家養成塾:習作&講評「前を向いて」神崎乃理

「評価を手放す」という話を、私はくりかえしくりかえしします。
 今日もします。
 本当はとてもシンプルで、そうややこしい話ではないんですが、私たちの頭のなかがそれを受け付けないようにややこしい構造に教育されてしまっていて、しかもそのことになかなか気づけないというところに問題があるのです。
 自分を「わかってもらいたい」という動機で文章を書くのも、結局は「評価」をもとめているからです。
 冷たいいいかたに聞こえるかもしれませんが(実はそうではありませんよ)、自分以外の人間に自分を「わかってもらう」というのは、事実上不可能です。そもそも、なにをもって「わかった」とするのか、その点も問題です。
 文章で自分を人に伝える、というのは、「わかってもらう」ためではありません。なにを伝えるのかというと、自分という存在そのものの感触を伝えるのです。
 私はここにいます。私はこんな手触りです。私はこんな匂いです。私はこんなものが好きです。私はこんなことが嫌いです。私はこんな痛みを感じています。私はこんな快感を覚えています。
 そのような抽象的な事象を、あたかも読んだ人が経験したかのように伝えることができるのが、小説や詩という創作装置です。うまくやれば、それ以上のことを伝えることができます。
 でも、それは結果でしかありません。「これを伝えたい」と思って書いても、けっして「これ」は人に伝わらないでしょう。その証拠に、メールやブログでものすごく気をつけて、あらゆることに配慮してなにかを書いても、必ず読んで不快になる人はいます。思いもよらないレスポンスをもらって困惑した体験は、だれにでもあるでしょう。
 だからこそ、評価を手放すのです。自分の外側にある予測不可能な価値観をいちいち気にしていたら、「私」を表現することなどできません。「私」をうまく表現できたとき、そこにはひとつの「世界」が生まれます。テキストで表現された「私」から生まれた世界です。その「世界」には普遍性があります。

 さて、今日は神崎乃理の作品を取りあげます。たぶん、初講評ですね。
 おばあちゃんに対する愛、適切に対処できなかった深い後悔、そしてお母さんの愛情に満ちた言葉で救われる気持ちなど、よくあらわれている作品ですね。

(以下、講評つづきと作品本体は養成塾のメールマガジンで掲載しています)

※オンライン版「次世代作家養成塾」の詳細については、こちらをご覧ください。一か月間の無料お試し期間があります。
※養成塾の電子マガジン『HiYoMeKi』が創刊されました。無料です。ダウンロードはこちらから。

いまこそ古来の知恵を学びなおしたい

気がつけば九月もなかばにさしかかってきました。
九月の後半はなぜかイベントが目白押しです。
明日は下北沢・音倉でランチタイムコンサート。
19日の敬老の日は現代朗読協会の朗読体験講座。
翌20日は田中智さんによるヨガ講座。
23日は羽根木の家で「木を植えた人」の朗読公演。
24日はその特別ワークショップ。
翌25日から26日にかけては、東北の被災地、南三陸町と石巻をめぐって、朗読公演とワークショップのボランティアに出かけます。
こういうときは気もそぞろになりがちなのですが、こういうときこそ逆にきちんとそのときそのときの自分に眼を向け、見失わないように丁寧にあゆみたいものです。
つまり、マインドフルにすごすということです。
マインドフルネスの考え方はこのところずいぶんいろいろなところでいわれていて、耳にする人も多いのではないでしょうか。しかし、この考え方はもう何千年も昔からあったものです。たとえばヨガや仏教、とくに禅にはその思想がありました。古代の人は、人間が大脳を発達せて、知恵がついてしまったことで、逆に見失ってしまうものがたくさんあることを、身体で知っていたんでしょうね。
いまこそ古来の知恵をきちんと学びなおしたいものです。

2011年9月12日月曜日

短編集『祈る人』を電子ブック発売

水城ゆうの短編集です。
雑誌連載のもの、ラジオ番組の原稿として書かれたもの、コンサートプログラムなどの小冊子に書かれたもの、そしてサウンドスケッチのシリーズ……いずれも愛着の深い作品ばかりです。
世界の様相のほんの一瞬、一部分を切りとります。
こちらから立ち読み&購入できます。

朗読するのに適しているみじかい作品がたくさん収録されています。
実際、この作品群からピックアップした「祈る人」という朗読公演をおこなったこともあります。
読書として楽しんでもらいたいのはもちろんですが、朗読原稿としてもたくさん利用してもらえるとうれしいです。
朗読にあたってはとくに使用許諾を取る必要はありません。自由に使ってください。

まずは立ち読みでどうぞ。
ご購入いただく場合の価格は500円です。


次世代作家養成塾:習作&講評「よろめくるまほろば」石川月海

ある塾生から、このようなメッセージをいただきました。

------------
「萎縮して書いてるのか」について考えたんですが、そんな意識はなかったけど、
確かに、今回「こんなの書いてて意味ないかも…」とか、バーッと書いてて「これ全部不要かも」と思っていました。
ぜんぶ不要かもしれない、くだらない文章をボスに読ませるのが忍びないと思いつつ、またえいやっと送信します。
------------

歌いたくないときは歌わなくていいのです。
描きたくないときは描かなくていいのです。
踊りたくないときは踊らなくていいのです。
読みたくないときは読まなくていいのです。
書きたくないときは書かなくていいのです。
ある人が、自分の内側から生まれる「〜したい」という喜びをともなった表現欲求にしたがってなにかを表現したとき、それを受け取る人にはプレゼントとして届きます。そこには利害関係はありません。
ある人が「〜しなければ」という義務感や、「これを読んだときに不快にならないだろうか」「退屈しないだろうか」「変な人間に思われないだろうか」「こんなの(他人にとって)意味ないかも」といった「外部評価」を気にしながらおそるおそるおこなった表現は、プレゼントとして届くことはありません。読む人のなかには無意識に「読んでやる」という「義務」を受け取る立場が生まれたり、「評価してやる」という立場が生まれ、そこには上下関係や利害関係が生まれます。
締切りもおなじです。
締切りがないと書けない、という人がいますが、それは外的要因を自分を依存させているのです。締切りがあろうがなかろうが、喜びをもって書きたいと全身が思っているときだけ書いてください。
それ以外には書かなくていいです。私もそのようなものは読みたくありません。
締切りに合わせて無理に作品を送らなくてもいいのです。

さて、今日は石川月海の作品を取りあげます。
一読して、すばらしいなあと感じました。なにがすばらしいのか。
ここには石川月海という人がいる。彼女の存在がそのまま文章に埋めこまれている。文体から彼女の存在、手触り、息づかいが立ちあらわれてくる。

(以下、講評つづきと作品本体は養成塾のメールマガジンで掲載しています)

※オンライン版「次世代作家養成塾」の詳細については、こちらをご覧ください。一か月間の無料お試し期間があります。
※養成塾の電子マガジン『HiYoMeKi』が創刊されました。無料です。ダウンロードはこちらから。

初めてピアノを弾く人のように弾いてみる

また下北沢の〈Com.Cafe 音倉〉でランチタイムコンサートをやります。
あ、もうあさってだ。
毎月第二水曜日の午後1時から、ピアノと朗読のミニコンサートをやることになったのです。その最初があさって14日です。
オリジナル曲、童謡や唱歌などをアレンジした演奏、そして朗読を交え、映像も使ってピアノ演奏をおとどけしようと思っています。歌のゲストも招きたいですね。あさってはまだ歌のゲストは呼んでませんが。
私が弾くのですから、テクニックをひけらかすような、びっくりするような演奏はありません。指が動かないことはありませんが(と強がりをいってみる)、ひとつひとつの音を大切にするような演奏をしてみたいんです。
ひとつの音があり、その音が次にどんな音を望んでいるのか、それを探っていくような演奏をしてみたい。まるで初めてピアノの音を聞き、初めて鍵盤に触った人のように弾いてみたい。そんなことを思っています。
ミュージックチャージは無用です。
下北沢散歩のついでにお立ちよりください。

2011年9月11日日曜日

南三陸町と石巻に現代朗読協会が行きます

金沢の三谷産業という会社が全面的にバックアップしてくれて、今月25日と26日に南三陸町と石巻に現代朗読協会のメンバーでボランティア活動に行くことになりました。
いまだ避難所生活をしている人たちや、近隣の子ども、お年寄りらを相手に、朗読公演と音読ワークショップをおこなうのです。
震災後、ずっと現代朗読協会がおこなってきた音読ワークショップ(音読ケア)は、心身に不調を感じている人や不安神経症、軽度の欝症状などに大変効果があり、明らかに多くの人に症状の改善が見られました。それが少しでも被災地の人たちにも役立てられればと思っています。

三谷産業の方が用意してくれた車で25日の早朝に出発し、初日は志津川小学校の体育館で、26日は石巻の渡波住宅用地仮設住宅集会所で、それぞれ活動してきます。
こちらから行くのは6名。ワゴン車に楽器も積んでいきます。
ゼミ生が私費で旅費をカンパしてくれたりして、みんなからも支えてもらってます。とてもうれしい。
活動資金が足りないので、さらにカンパ歓迎です。