2017年5月21日日曜日

私はどこから来て、いまどこにいるのか

十数年の現代朗読協会の活動のなかで、私が一貫しておこなってきたことがあります。
それは、
「こうしなさい/それはだめ」
という物言いをするかわりに、
「あなたはどうしたいの?」
という問いを常に表現者に向けつづけてきたことです。
それは自分自身にたいしてもおなじでした。

私は現代朗読の活動を「習いごと」にしたくなかったのです。
習いごとというのは、先生がいて、その先生のいうとおりに稽古します。
先生がお手本となり、そこからはずれたことは「だめ」。
先生が直接「ダメ出し」をすることもあれば、長年習っているお弟子さんがそうすることもあります。
慣れてくると、自分自身でそうすることすらあります。
一定の型や方法があって、そこから逸脱することは許されません。

私はその方法では、表現者ひとりひとりが実は無限に持っているはずの可能性をのばすのは難しい、と感じていました。
さいわい、私自身は朗読家ではないので、お手本を示すことはできません。
しかし、「こうしろ、ああしろ」というのは簡単です。
そうではなくて、常に「あなたはどうしたいのか」という問いを向けていきます。

やってみるとわかりますが、なにかを表現しようとするとき、「自分はどうしたいのか」に向かい合うのはとても頼りなく、心細いものです。
自分がどうしたいのかは、実際にやってみるまでわからないからです。
かすかに見える兆候/兆しのようなものを頼りに、とにかくやってみる、すると初めて、自分がどうしたかったのかがわかります。

先生に「こうしなさい」「こうしてはだめ」といわれているほうが、よほど楽です。
なにもかんがえずに、感じずに、そのとおりにすればいいのですから。
自分の行為の「根拠」は先生が示してくれます。
表現の根拠は自分の外部にあるのです。
私の方法だと、表現の根拠は、自分自身の内側にあります。
自分が示してくれる根拠はごくわずかな声であり、よほど自分自身をよく観察し、自分自身につながっていないと聞こえてこないのです。

現代朗読では音声表現だけではなくさまざまなボディワークや古典的な健康法、武術などから、自分自身を観察し、身体の声を聞く方法を試したり、取りいれたりしてきました。
その結果、朗読を表現としておこなうために有効なトレーニング方法をある程度確立できたのではないかと思っています。
この方法はまだまだ発展の余地があり、もっと先があるように思っていますが、現時点でもかなり有効であることがわかっています。
また、これは朗読表現だけでなく、ほかのさまざまな表現にも応用できますし、また日常生活のなかでもとても役立つと感じています。
私だけでなく、いっしょにトレーニングをした多くの人がそれを感じてくれたようです。

すべての人が表現者であり、また意図的に表現に取りくむことで日常生活のなかでも大きな気づきが起こるようになります。
私はこのことを推奨しているのです。
なぜなら、私自身がそれで気づくことが多く、毎日いきいきとすごし、人生を心底味わいつくすことができるようになったからです。
そのことを自分のものとして囲いこまずに、全部伝えつくしてからこの世をおさらばしたいのです。

YouTube:福井県立病院ボランティアコンサート2017.5の抜粋

2017年5月16日。
3か月に1回程度のペースで水城ゆうがおこなっている福井県立病院エントランスホールでのソロピアノコンサートの抜粋映像をお送りします。

映像はこちら

2017年5月20日土曜日

私がほんとうにやりたかったこと

世田谷の古民家〈羽根木の家〉という活動拠点がなくなり、活動が終息してしまった現代朗読協会ですが、一時はそれはそれでやむなし、しかたないかな、と思っていたのです。
あきらめるというより、割り切った感じで、自分では気持ちに区切りをつけたつもりでいました。

ところが、正直に自分に向かい合ってみると、なんとなく釈然としないというか、もやもやしたものが残っている。
そこに向かいあうのもなんとなく避けてきていましたが、先日のひと区切りの年齢である誕生日を迎えたことや、かつての仲間の表現活動の話を聞いたことがきっかけで、あらためてもやもやに向かいあってみることにしました。

こんなとき、共感的コミュニケーションをやっていてよかったと思えるのです。
自分のもやもやにきちんと向かいあい、ニーズにつながり、自分自身と深くつながります。
見えてきたのは、やはり私は若いころから一貫して表現の世界の住人であったということでした。
またその住まいもなんでもいいわけではなく、私独自の一定の形を持っているのです。

私の住まいは、小説などのテキストをふくむ「ことば」の世界、そしてそれを音声化したもの(朗読やオーディオブック)、またその音声化の過程そのものであるライブパフォーマンスの世界、そしてライブのなかに立ち働く人間の存在(身体)そのもの。
年齢を重ねるとともにこの順番で表現活動も広がってきたわけですが、そこへ幼少から楽しんできた音楽演奏の世界がクロスして、私独自の住まいを作ったと感じています。

小説家としての私からテキストが、そこから朗読、そして身体表現の世界へ羽ばたいていく。
そこへふたたび私自身がライブパフォーマーとして音楽演奏で参加する。
このステージ表現そのものが私の最終作品であるといっていいでしょう。

現代朗読協会がなくなったことがさびしいのではなく、そのようなステージ表現の世界から離れていることがさびしいのです。
そのことがはっきりわかったとき、私のもやもやは消えました。
ならば、ふたたび私がやりたいのは、現代朗読協会を作ることではなく、あらたな表現ステージに興味を持ってくれる人たちを集め、作品を書き、稽古し、演出し、そしてまたステージを作ることです。

こういうことに興味がある人がいるかどうかはわかりませんが、私はだれかがすでにやっているような表現には興味はないのです。
まだだれもやったことのないようなステージを作りたいのです。
そして、私自身をふくめて、自分も知らなかった自分に出会うスリルに興味がある人といっしょにしかやりたくないのです。

すでにいくつか作ってきた実績はあって、その片鱗はお見せすることも可能です。
でも、いまから思えば、それらはまだほんの卵にすぎなかったのです。
ほんとにやりたいことは、これから先にあるのです。

2017年5月19日金曜日

8月23日:水城ゆうピアノコンサート@福井県立病院

ご好評をいただいている福井県立病院でのボランティア・ピアノコンサートのお知らせです。
どなたもよくご存知の日本の唱歌や童謡など、懐かしいメロディーを中心に、水城のオリジナル曲もまじえ、自由なアレンジでお送りする予定です。
どなたも自由にお聴きいただけます。

◎日時 2017年8月23日(水)13:30〜14:30
◎場所 福井県立病院受付ロビー(エントランスホール)
    福井市四ツ井2-8-1
◎料金 無料

福井は私のふるさとですが、活動拠点を東京に移して以来、福井で演奏する機会はあまりありません。
今回も貴重な機会を大切にしつつ、みなさんとのトークを交えた気軽で楽しいコンサートにしたいと思っています。

ちなみに水城ゆう最新CDはこちらから聴けます。
ダウンロードしなくても全曲試聴できます。

2017年5月18日木曜日

濃密な今週末(テキスト、親密な関係、共感)

今週末の土日はテキストライティング関係の勉強会と共感的コミュニケーション関係の勉強会が、それぞれ2コマずつあります。
いずれも私のなかでは密接な関係でつながっているものですが、外からは一見、関係がないように見えるかもしれません。

私は若いときからずっとものを書いてきた人間であり、三十代、四十代にはそのことをいわゆる「メシのタネ」にしていた時期もありました。
しかし、長編小説を書きはじめたごく初期のころをのぞいて、ずっと書くことは苦しく、お金を得る手段であり、そのためには編集者や出版社に気にいってもらわなければならず、そのためには多くの読者を獲得して名声を得る必要がありました。
つまり、競争と評価の世界にどっぷりつかっていたわけです。
そんなことのために小説を書きはじめたわけではないのに、です。

それが十年くらい前に共感的コミュニケーション/NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)に出会い、自分の原点にもどることができました。

NVCの創始者のマーシャル・ローゼンバーグはいっています。
「遊び以外のことはするな」

これはけっして極端なものいいではなく、本当にそうなのです。
そもそも私も、遊びとして小説を書きはじめたのです。
そのときが一番楽しかったし、のびのびしていたし、能力をもっとも発揮できたのです。
いま、そこにもどってくることができたのです。

また同時に、逆のこともいえます。
共感的コミュニケーションを学んだり、練習したり、シェアしたりする過程で、書くことを楽しめむことができていてどれほど役に立ったか、と感じています。

共感的コミュニケーションはひとりでも練習できますが、その際にもっとも有効な手段のひとつが、書くことです。
自分につながるためのプロセスにそって、折々、ノートに書きつけてみる。
なにか気がかりなことがあれば、それを書きだして、自分のニーズをさがしてみる。
対立したり、共感したい相手のニーズを推測するために、それを書きだしてみる。

書くことはとても役に立つのです。
私が共感的コミュニケーションを身につけるのにもっとも役にたったことは、書くことだったかもしれません。
本も書きましたしね(現在進行中)。

今週末の土曜日・20日には「自分につながるテキストライティング・ワークショップ」を開催します。
その夜には「親密な関係における共感的コミュニケーション」の勉強会を開催します。

翌日曜日・21日には国立・春野亭での共感カフェを開催します。
その夜は「身体文章塾」です。

書くこと、テキストで伝えること、表現すること、そして共感的コミュニケーションに興味がある方は、ぜひご参加ください。

2017年5月14日日曜日

サーファーとしての共感コミュニケーター

人生を海にたとえてみます。
荒れているときもあれば、静かなときもあります。
どちらのほうがいいですか?

と訊くと、多くの人が「静かな海のほうがいい」とこたえるかもしれません。
人生が平静で、安定していて、波風立たず、いつも落ち着いて安心していられることを多くの人は望むかもしれません。
でも、あなたがもしサーファーだったらどうでしょう?

サーファーのあなたが海に出てみたら、まったく波がなく、鏡のように静かだったとしたら、かなりがっかりしませんか?
サーファーのあなたにとって、波が十分にあって、適度に荒れていることが望ましいのです。
より腕のあるサーファーだったら、海が荒れれば荒れるほどわくわくするかもしれません。
荒波を乗りこなす喜びと挑戦がそこにあるからです。

自分の力で自分の人生を波風のないものにすることはできません。
人生はそもそも、予測のつかないものです。
静かなときもあれば、荒れたときもあります。
それはすべての人に平等です。
だったら、サーファーとして荒波を乗りこなす方法を身につけたほうが楽しくないですか?

共感的コミュニケーション/NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)は、いわば人生という荒波を楽しむサーファーになるための方法です。
生きていると、どんなに平静を保とうとしても、さまざまなことが起こります。
だれかと対立したり、理不尽な事件に遭遇したり、また自分自身のなかにもさまざまな感情が湧きおこって揺さぶられます。
ときにそれは見上げるばかりの大波として私たちの前にそびえ立ちます。
さて、どうしたものでしょう。

そこから逃げたり、固まったりするのではなく、サーフボードの上に立ちあがって、波に乗るのです。
サーフボードは「共感的コミュニケーション」という名前がついています。

静かな海も、荒海も、ともに自分の人生にはちがいありません。
いずれにしても、しっかりと向き合い、いまこの瞬間の自分自身のいきいきした生命を味わいつくしたいのです。

国立での共感カフェ(5.21)
5月21日(日)16時から、おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートを水城ゆうがおこなう茶話&勉強会を開催します。

2017年5月12日金曜日

6月5日:国立・韓氏意拳初級講習会

国立での駒井雅和中級教練による韓氏意拳の会員向け初級講習会、2017年6月のお知らせです。

◎日時 2017年6月5日(月) 14:00〜16:30
◎参加費 3,500円(講習会費、会場費、講師交通費を含む)
◎場所 国立駅から徒歩5分の会場
◎持物 動きやすい服装・筆記用具・メモ

参加予約はこちらから。

もしくは直接私・水城まで、あるいは現代朗読協会コンタクトフォームからお知らせください。 

聞かれる、見ていてもらう、理解してもらう

友人や同僚から、突然、
「もう仕事やめたい」
「最近しんどい」
「人間関係が最悪」
「がんばってるのにむくわれない」
などと、愚痴をこぼされたことはないでしょうか。
あるいはメールやメッセージをもらったり。

そんなとき、私たちはつい、なぐさめたり、気晴らしに付き合ったり、あるいはアドバイスしようとします。
つまり、なんとか相手の役にたとうと自分なりにがんばってしまうのです。
しかし、相手にしてみれば、本当はそんなことを望んでいないのです。

相手がなにを必要としているのかは、その愚痴の内容ではなく、愚痴を「あなたに」いってくるまさにその態度に示されています。
あなたは愚痴の内容を聞くのではなく、まさに「聞いてほしい」という相手の態度そのものを受け取る必要があります。

なにかつらいことや苦しいこと、悲しいこと、むかつくことがあったとき、私たち人間はそれをだれかに聞いてもらいたいと思います。
解決策を相手にもとめているのではなく、まずはただ全部聞いてもらいたいのです。

人間にはだれかに「聞いてもらいたい」とか、自分がやっていること/がんばっている姿をだれかに「見ていてもらいたい」、そして自分をだれかにわかってもらいたい/わかってもらいたい、というニーズがあります。
それが満たされていないと、孤独をおぼえ、またなんとかして伝えたい/わかってもらいたいと、切迫感に襲われます。
満たされていると、たとえつらい状況のただなかであったとしても、落ち着き、また活力がわいてきます。
そして問題解決へと向かっていくことができます。

判断も分析もアドバイスもなく、まずはただ聞いてあげること。
そして相手がどんな気持ちで、どのようなことを大切にしているのか、ただそこを受け取る。
相手にはあなたが完全に聞いてくれたことがなにもいわなくても伝わりますし、ときにはそのことを伝えてもいいでしょう。
そのあとで、なにか必要なことがあるか、あるいはアドバイスがほしいかどうか、あらためて聞いてみればいいのです。

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(5.20)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会を国立駅徒歩5分の会場でおこないます。

2017年5月11日木曜日

沈黙の朗読と音楽瞑想のコンサート、ふたたび

昨年末に明大前の〈キッド・アイラック・アート・ホール〉が閉館になり、ある程度定期的に継続開催していた「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演が中断していました。
年明けに大阪と名古屋でそれぞれ開催できたのはありがたいことでしたが、東京では開催場所が見つからないままでした。

この公演にはいくつか条件があるのです。

 アコースティック(電子ではない)ピアノがあること(できればグランド)
 完全暗転にできること
 外部音を(ある程度)遮断できること

これらの点で名古屋〈ナディアパーク〉のスタジオ公演はほぼ完璧に条件を満たしていて、気持ちよくやらせていただいたのです。

先日、東松原に住む友人から、近所にピアノスタジオがオープンしたという情報をもらいました。
さっそく見学に行ってきました。
〈メイズ〉というピアノスタジオで、使える部屋が5部屋あります。

一番広い部屋にまだ作られていた時代の1967年製で、ドイツのデュッセルドルフにあるドイツ・ラインオペラ劇場で使われていたスタインウェイが置いてあり、そしてその部屋は完全防音のスタジオ仕様なのです。
椅子をならべれば、20人くらいはゆったりと、詰めれば25人くらいはお客さんをいれられるでしょう。
「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演としては朗読者が動くので20人までかな。
防火設備と非常口の明かりが常時ついているけれど、これは目隠しすれば完全暗転にもできそうです。

使用料金がやや高めなんですが、設備とピアノのクオリティをかんがえるとまあやむをえません。
その分、ある程度お客さんをいれたいな。

ここでのコンサートは7月くらいをかんがえています。
うまくいけば、ある程度定期的に開催したいところです。

このコンサートは私にとって重要な意味を持っています。
まずオリジナル作品を書くこと、それから朗読と共演すること、そして音楽瞑想としてソロインプロヴァイズをおこなうこと。

2017年5月10日水曜日

田舎に移住する方あるいは在住の方におすすめ

5月7日(日)は国立・春野亭で音読カフェをおこないました。
ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。

音読カフェは音読療法の音読ケアワークを使って、日頃の心身の健康を促進したり活力を向上させたり、あるいは介護予防をおこなうもので、ワークだけでなくお茶を飲みながら健康や生活の気がかりについて気軽に聞き合うことができる場です。
もっとも、今回参加のみなさんは介護予防というには若い年齢の方ばかりでしたが。

若い方にも音読療法は役に立ちます。
自分自身以外にも、音読療法を使ってほかの人の役に立つこともできます。

参加者のなかに、近々、四国のほうに移住する計画のある知人がいました。
私も北陸の田舎に実家があるのでわかるのですが、地方はどこも急速な高齢化の波にもまれています。
住民の平均年齢があがっていく「だけ」なら問題はないのです。
問題は、高齢化した方々が、要介護者となり、地域の医療や介護の財政をいちじるしく圧迫していることです。

しかし、逆の見方をすれば、ここに仕事や雇用のチャンスが増えているともいえます。
若い人やまだ元気な人が介護職についたり、介護予防の仕事にたずさわったりする余地が急増しているのです。

四国に移住するという知人は、いろいろ調べて、地域おこし協力隊などの人材受け入れ制度があることを知ったといいます。
住まいも驚くほど安く提供されていたり、便宜がはかられているようです。
田舎はとにかく、若い人に移住してもらいたいのです。

もちろん、都市部で大企業の正社員としてもらえるような安定的収入が得られるわけではありません。
しかし、自然いっぱいの環境のなかで、静かに、のんびりと、自分のペースで人間らしい生活を送りたい、あるいは子育てしたい、という人には検討してもいい話ではないでしょうか。

地域おこし協力隊に応募してもいいし、農業や林業に関わってもいいでしょう。
自分で挑戦してみるのもいいでしょう。
元手はほとんどいりません。
そして、介護職や介護予防の仕事に関わるのもいいと思います。
地域への貢献であり、なにより住民に必要とされていることです。
田舎で社会貢献しながら、人々とのおだやかなつながりのなかで野菜を作ったり、ミツバチを飼ったり、山菜を積んだり、ときには都会の友人たちの訪問を受けたり。

介護の資格や、介護予防ワークに使える音読療法の資格(音読トレーナー)を取得するのも、地域の予算措置を利用する手があります。
たとえば、どの自治体にも「ふるさと人材育成事業」があり、人材育成のための予算が確保されていますが、それを利用して資格取得のための講習費、交通費、滞在費をまかなうことができるでしょう。

興味のある方は一度行政に相談してみるといいと思います。
その際、もし必要な書類や実績などの資料があれば、音読療法協会がサポートできます。
こちらにも気軽にご相談ください。

音読トレーナー養成講座合宿(5.26-28)
介護予防に最適な音読療法ワークを指導する「音読トレーナー」の資格を取得する2泊3日の合宿形式の講座を5月26日(金)夜から28日(日)の三日間にわたって、JR国立駅徒歩5分の会場で開催します。

2017年5月9日火曜日

祈る人シリーズ第5集『舞踏病の女』の「はじめに」

先日、私の短編小説集『祈る人』シリーズの第5集である『舞踏病の女』が電子ブックKindleからリリースされました。
そのまえがきとして書いた「はじめに」の部分を、紹介させていただきます。

ちなみに、この本のダウンロード価格は300円です。
Kindle unlimited(読み放題)にも登録しています。
こちらからどうぞ。

『祈る人5 舞踏病の女』の「はじめに」

 世田谷から国立へと活動の拠点を移して一年がたとうとしています。さまざまなことが大きく変わりました。
 世田谷で長年おこなってきた現代朗読協会という表現団体の活動が終息した、ということが大きいことのひとつとしてあります。しかし、朗読にかかわる表現活動を停止したわけではありません。団体運営からは手を引きましたが、音楽を筆頭とする自分の音声表現にたいする熱意はなにも変わりません。変わらないばかりか、ますます熱く燃えあがるような気がしています。
 私の音声表現の活動には特徴があります。私は小説家であり、ピアニストでもあるので、ことばと音楽をミックスさせた表現がしっくりくるのです。
 この活動がどこからはじまったのかははっきりしています。二十代なかばから関わっていたラジオ番組の制作と、その出演者とはじめたライブパフォーマンスです。
 ラジオでは、私がスクリプト(原稿)を書き、それを俳優が朗読する、そしてディレクターが音楽をつける、というスタイルの番組を作っていました。その俳優(名古屋の怪優・榊原忠美氏)と朗読と即興ピアノ演奏によるライブパフォーマンスを、番組制作と平行してはじめたのも、二十代なかばのことでした。
 以来三十五年、このスタイルはいまにいたるまでずっと継続し、表現方法やクオリティも進化=深化しつづけてきたと自負しています。
 この『祈る人』シリーズではそういったラジオ番組や朗読パフォーマンスのために書いたスクリプトを中心に収録してきましたが、この第五集ではいよいよ近年の、朗読パフォーマンスのためだけに書きおろした作品が登場してきます。とくに、いま私が自分の活動のなかでもっとも重要だと位置づけている「沈黙の朗読」のために書きおろした作品群は、思いいれの深いものです。
 どうぞゆっくりお読みください。そしてもしよければ、声に出していただいたり、また朗読会などで使っていただけるとうれしいのです。そのときはじめて、私の作品は完成したといえるのですから。

   二〇一七年五月 東京国立にて  著者しるす

2017年5月8日月曜日

ニーズを満たす手段をあせらない

すべての人の言動はニーズにもとずいています。
ニーズとは「いま必要なこと」「大切にしていること」「価値観」などをひとまとめにしていますが、そこには社会的なニーズ、生活のためのニーズ、個人的なニーズなど、さまざまな側面があります。
しかし、いずれのニーズもレイヤー構造になっていて、さらにふかく掘りさげていけば、私たちの存在そのものや生命活動にかかわる根源的なニーズにたどりつくこともあります。

つまりニーズというのは、私たちの命そのものであるといってもよく、命があるからこそニーズがあるともいえるのです。
ニーズがいきいきしているとき、私たちの言動や感情の発露もいきいきします。
ニーズにうまくつながることができず、ぼんやりしているとき、言動や感情の動きも不明瞭になります。

ニーズがはっきりしていると、それを満たすための行動――すなわち手段の行使――にただちに移ることができます。
なにをしたいのか、どうふるまいたいのか、明確になります。

注意したいのは、ニーズがはっきりしていても、手段の行使を急ぎすぎたりこだわりすぎたりすると、ものごとがうまくいかなくなることがあるということです。
手段の行使をあせると、言動がニーズから切りはなされてしまうことがあります。
手段を行使する前は、ニーズに深くつながっておく必要があるのです。

例として、お腹をすかせた虎をあげてみましょう。
虎はながらく獲物にありついていなくて、飢え死にの危機に直面しています。
つまり、生命維持のニーズがあるのです。
彼のニーズは満たされていません。
しかし、満たされていないニーズが「いきいきしていない」といえるでしょうか。

そんなことはありません。
彼のニーズは実にいきいきとしています。
満たされていなくても、ニーズはいきいきとしていて、彼はまさにそのニーズにつながっています。
そのニーズのおかげで、彼の行動は明確になっています。
つまり、自分の能力を最大限に発揮して、獲物をとらえる、という手段をまっとうしたいのです。

このようにニーズが明確になっていてそれにつながっているとき、たとえそれがまだ満たされていなくても、私たちはいきいきとした状態になります。
ニーズを満たすための手段を狙いすましている状態といってもいいでしょう。
この状態になる前に安易に手段に出てしまうと、そこには甘さが出ます。
獲物を十分に狙いすまさないで狩りの行動に出てしまったときの虎のようになってしまいます。

本当のところ、ニーズは満たせていないときのほうが、私たちはいきいきとしているのです。
自分の満たせていないニーズをどうやって満たそうか、お腹をすかせた虎のように狙いすましています。
もちろん、自分のニーズを明確に理解し、それに深くつながっていなければそうはなりませんが。

満たされていないニーズを味わい、よりそい、そのいきいきさを楽しめるようになれれば、人生の風景はかなり変わることはまちがいありません。

5月開催:水城ゆうのオンライン共感カフェ(5.8)
自宅や好きな場所にいながらにして気軽に参加できる、ネットミーティングシステム(zoom)を利用した共感的コミュニケーションの60分勉強会、5月の開催は8(月)11時・20時/19(金)20時/22(月)20時です。

2017年5月7日日曜日

子どもの日、でした

2017年5月5日、子どもの日は、午前中に講座をひとつやり(参加者ふたり)、午後に梅丘まで留守中の友人の猫の世話に行ったほかは、ずっとひとりで国立の家で静かにすごしました。
そしてフェイスブックやツイッターやメールでたくさんのメッセージをいただきました。
誕生日だったからです。

私が生まれたのは1957年ですから、ちょうど60年めでした。
割引とかいろいろ特典がもらえるようになるのかな。

60歳になるから、というわけではないんでしょうが、ここ一年は激動といってもいいかもしれません。

16年以上暮らしていた世田谷から国立へ居を移しました。

現代朗読協会の活動が終息しました(現代朗読そのものが終わったわけではありません)。

共感カフェの活動が急速に広がりました。

母が脳内出血で入院し、その後認知症がいちじるしく進行し、病院から介護施設に移ることになりました。

それにともなって、北陸の実家への帰省のタイミングが流動的になり、車での移動にスイッチしました。

明大前の〈キッド・アイラック・アート・ホール〉が2016年いっぱいで閉館となり、定期開催してきた「沈黙[朗読X音楽]瞑想」の公演が開催しにくくなりました(現在私の演奏活動の場はとても少なくなっています)。

個人的におこなっていた音楽レッスンやボイスコーチングの個人セッションを、ギフト制に切り替えました(後払い/いつでもいくらでもお互いに贈り物として交換しましょう)。

激流のなかでありながら、自分自身でもせめて梶棒を握っておこうと、方向性を決める作業をずっとつづけています。
自分につながり、自分のニーズを見極め、自分の限られた命の時間をどのようにすごしたいのか、向かい合っています。
いくつかクリアになってきていることがあります。

時間というのはすべての人に平等にあるわけではないけれど、現時点で生きてここにいる人にとっては平等にあたえられているといえます。
その一瞬一瞬の積み重ねが人生となっていくわけです。
また、一瞬一瞬の積み重ねも永遠につづくわけではなく、どこかで終わりが来ます。
いつそれが来るのかはだれにもわかりませんし、私もわかりませんが、何年かはあるかもしれないという「仮定」は立てられます。
あくまで仮定ですが。

現役80年とか、人生100年などといわれるほど、高齢化が進んでいますから、ひょっとして私も80歳くらいまでは元気で仕事ができるかもしれません。
あと20年ですね!
20年あれば相当なことができるでしょう。
しかし、ただ漫然とすごしていては、20年もあっという間にすぎさり、まとまったことがなにもできなかった、というようなこともありえます。

20年というのはちょっと長すぎて、計画を立てにくいし、可能性としては低いと思っています。
より高い可能性として、あと5年か10年くらいは元気に活動できるかもしれません。

現実的にいって、健康や体力維持をしっかり心がけたとしても、いまのペースでばりばりと集中して仕事ができるのは、5年というところでしょうか。
これが私の最終ステージです。

私の人生の最後の区切りの何年かで、私はなにをやりたいのか。
どんなふうにラストステージの日々をすごせれば、最後に笑顔でおさらばできるのか。
そんなことをかんがえている今日このごろであり、60回めの子どもの日でありました。

2017年5月6日土曜日

「いま」がかけがえのない財産

連休の連続講座二日めは「音楽瞑想ワークで自分とつながる」でした。
音楽瞑想といういうと、なにか特殊なワークのように聞こえるかもしれませんが、内容はマインドフル瞑想の一種です。
音楽=音、つまり聴覚を中心とした体感覚に注目することで、「いまここ」の自分自身とまわりのことに気づきつづけ、言語思考から自由になる体験と練習をします。

もともとは2004年ごろから地下スタジオを真っ暗闇にしてはじめた「ディープリスニング」と称するライブでした。
その後、そのような聴覚瞑想をアメリカのポーリン・オリヴェロスというアコーディオン奏者が「ソニック・メディテーション」と称してワークをおこなっていることを知り、著書も読んだんですが、私がおこなっている、あるいはめざしている方向ととてもよく似たものだったので、親近感を覚えたものです。

音楽瞑想は誘導瞑想の一種で、ただしことばは使いません。
音楽という音響――メロディやハーモニーやリズム――の変化によって喚起される身体的イメージによって、感覚体としての自分を体験してもらおうというものです。

座禅などの瞑想はある程度の熟練が必要ですし、呼吸や鐘の音などによるマインドフルネスの練習はともすれば「やっているつもり」になりがちな面があると、私自身は自分の経験によって感じていました。
そうでない方ももちろんいるとは思いますが。
しかし、音楽によって誘導されるイメージ瞑想は、だれでも比較的容易に感覚体としての自分を体験できます。
またその体験は、日常生活のなかでも生かすことができます(私がそうです)。

いつでも思考や判断を手放し、「いまここ」に気づきつづける感覚体に自分をシフトできる経験は、ごちゃごちゃした現代社会の日常においてとても有効でパワフルなものです。
そもそも私たちは、いまこの瞬間を生きています。
過去はもうここにはなく、あるのは実体のない「記憶」だけです。
記憶もひょっとして捏造された部分があるかもしれませんし、そのような不確かなものを反芻することで私たちは自分がいま発揮できる能力や可能性をいちじるしくそいでいます。

いまこの瞬間の、ひとしく流れている時間、それだけがすべての人に共通のかけがえのないものであり、そこをどう生きるか、この瞬間に気づきつづけるクオリティをどう確保できるかが、人生の時間の豊かさを決めます。
過去も未来も、いまここにはないのです。
私は持っていないのです。
私が持っているのは、いまこの瞬間、まさに手のひらをすり抜けつづけている刹那刹那です。

この刹那に接続するクオリティをあげる練習として、音楽瞑想も有効な方法のひとつだとかんがえています。
今後もグループセッションでも個人セッションでも提供していきますので、興味がある方は気軽に私にお知らせください。

◎ギフト制によるレッスン/個人セッション
対面でもオンラインでも、レッスンや個人セッションを「後払い/いくらでもギフトで」という方式でおこなっています。メールでもメッセージでも気軽にどうぞ。お待ちしてます。興味のある方はこちらの詳細ページ をご覧ください。

2017年5月4日木曜日

静かな一日

五月にはいったとたん、国立の春野亭はしずかになりました。
だれも来ない、だれも滞在していない家で、私ひとり一日中すごしてます。

そういう日はまず早寝して、日の出とともに起きたい。
いま、国立あたりの日の出の時間は、午前5時を切ってます。
5時前に起きるのはちょっと大変。
夜の9時か、遅くても10時には就寝してないとつらい。
まあ、5時起きは目標ですが。

起きたらまずコーヒーの儀。
つづいて生き物がかりの儀。水をやったり餌をやったり。
それからコンピューターをあけて、ネットにつないで、メッセージチェックしたあと、メールマガジンの発行とか。
これは仕事というか、仕事の助走のような感じ。

一連のルーティンを集中して片付けてしまったら、武術の稽古。
その日の身体の感じに応じて、形体訓練か站椿功か養生功のどれか、あるいは全部。
このあと、仕事の本体に向かいます。
これが午前8時くらいかな。
身体もあたたまって、ここから数時間がもっとも集中のクオリティがあがる時間です。

これが終わったら、あとはもうおまけのようなものです。
人と会ったり、ネットで映画を見たり、本を読んだり、音楽を聞いたり、ご飯を作ったり、ワークをやったり、外出したり。

人が来てにぎやかなのも楽しいけれど、こういう静かな日々もいいなあ。
そして季節は寒くもなく、(まだ)暑くもなく。
花粉症もそろそろ終わりだし。

昨日から5日間、午前中の3時間だけ、連続講座をやっています。
それぞれ参加者もすくなめなので、じっくりと静かなワークをご一緒しましょう。

連休に自分とつながる五日間連続講座(5.3-7)
不安定で行き詰った時代を乗りきるために自分とつながり、見失わず、安定しながら、あなた本来の活力を発揮することをめざすためのヒントを探すための講座です。単発参加も可。

2017年5月3日水曜日

ギフトとしての個人レッスンにシフトしたい

ちょっとやりかたを変えてみようと思いたちました。

私は共感カフェや講座などのグループセッションのほかに、個人レッスンや個人セッションをおこなっています。
内容もさまざまです。

ピアノやボーカルのレッスン、共感セッション、ボイスコーチング、朗読などの表現のディレクション、テキストライティングや自力出版のサポート、マインドフルネスや瞑想のセッションなど、私がこれまで研究したりみなさんと経験を積みかさねてきたことの知見やスキルを、個人的にシェアできることがたくさんあります。

しかし、これまでの悩みのひとつに、これら内容も所用時間も深さもまちまちなこれらのレッスンにたいして、一律に時間割りで「いくら」というふうに料金設定することが難しいということがありました。
難しいだけでなく、「やりたくない」という気持ちがあったのです。

自分のニーズを見てみると、そこには公平さや気楽さがあるようです。
また、みなさんのお役に立ちたい、自分の命を使いつくしたい、というニーズもあります。

共感的コミュニケーション(NVC)の重要なかんがえ方のなかに、「ギフト」というものがあります。
だれかになにかしてあげたい、役に立ちたい、貢献したい、という気持ちがあるとき、それをみずから自然に湧きでる「よろこび」をもっておこなうことができるかどうか、ということです。
つまり、贈り物としてそれをおこなえるかどうかです。

それは贈り物であり、経済価値にもとづく「等価交換」ではないので、見返りやお返しや対価がなくてもいいのです。
ただよろこびから、あるいは遊びのようにおこなえるかどうかが大事です。
「お返し」を期待したとき、それはもう贈り物としての純粋さはありません。

贈られるほうも、自然に贈り返したくなるかもしれません。
自然によろこびをもって贈りかえしたくなればそうすればいいし、そうならなければ無理に贈りかえさなくていいのです。

私がおこなっている個人レッスンや個人セッションは、受けたい方のニーズはさまざまだし、私のほうにも提供できたりサポートするのにさまざまな形があります。
そのつど内容や時間もまちまちなので、たとえば「1時間いくら」みたいな一定額の提示をしにくいのです。
こういうとき、ギフトのかんがえ方がしっくりきます。

レッスンを受けた人は、もし代金を払いたいとか、贈りかえしたいという気持ちが起きたら、
「つごうのいいときでいいので後払いで」
「ギフトとして心地良い額をいくらでも」
ということにしましょう。

とはいえ、額が決まっていないと払いにくい、という人がいることもまた事実です。
もしそういう方がいたら「基準額」をお知らせしましょう。
でも、できればそんなものはないほうがいいですね。

私のレッスンを受ける方は、おたがいに贈り物を贈りあう感じで、近所の人同士が夕方のおかずを交換するみたいな気楽さでつながりあえたらな、と思います。
内容も気楽なものもあれば、重厚なものや時間のかかるものもあるかもしれません。
枠を決めないのがいいのです。

そのための決済方法としてうってつけのシステムがあります。
Bandcampという音楽を配信しているサイトですが、こちらの決済方法は、曲やアルバムの定額とは別にいくらでも好きな額を設定して払える、というシステムになっています。
ひょっとしてこちらを使ってみるのもひとつの手でしょうか。

メッセージやメールなどで気軽に呼びかけてみてください。
リアルでもオンラインでも、お互いに都合のよい時間と方法を相談して、気楽につながり、おたがいに贈りあいましょう。

2017年5月2日火曜日

五月は無慈悲な老いの女王

いよいよ五月ですね。
これから真夏までが私の一番好きな季節です。
心身ともにもっとも元気になるような気もします。

さて、自分の整理もかねて、五月のイベントをまとめてみます。
すごく盛りだくさんですよ。
どうぞお付き合いのほど、よろしくお願いします。

まずは連休のなかばの三日・憲法記念日からスタートする「自分とつながる五日間連続講座」があります。
いずれも午前10時から13時くらいまでの、3時間程度の所用時間です。

1日めの5月3日(水/憲法記念日)は「共感断食で自分とつながる」、オンライン参加可です。
2日めの5月4日(木/みどりの日)は「音楽瞑想ワークで自分とつながる」。
3日めの5月5日(金/こどもの日)は「朗読と身体表現で自分とつながる」。
4日めの5月6日(土)は「共感的コミュニケーションで自分とつながる」、オンライン参加可です。
5日めの5月7日(日)は「自分とつながるテキストライティング」、オンライン参加可です。
詳細と参加申し込みはこちらからどうぞ。

連続講座最終日の5月7日午後は、国立にて音読療法協会の音読カフェを開催します。
詳細と参加申し込みはこちらから。

おなじ日の夜は、月3回開催する身体文章塾をやります。
詳細と参加申し込みはこちらから。

そのあと、翌5月8日(月)からは、共感的コミュニケーション関連のイベントがつづきます。
この午前11時からと夜20時からの2回、オンラインでの共感カフェがあります。
詳細と参加申し込みはこちらから。

11日(木)午後は東松原での寿美ちゃんち共感カフェです。
詳細と参加申し込みはこちらから。

翌12日(金)夜は下北沢ステイハッピーでの共感カフェです。
詳細と参加申し込みはこちらから。

そのつぎの週の18日(木)午後は下北沢かまいキッチンでの共感カフェです。
詳細と参加申し込みはこちらから。

その週末には国立での勉強会がつづきます。
まず土曜日20日の夜は「親密な関係における共感的コミュニケーション」の勉強会です。
詳細と参加申し込みはこちらから。

翌日曜日の夕方は共感カフェをやります。
詳細と参加申し込みはこちらから。

最後の週には国立の古本ブックカフェ〈門〉にてもけごはん付き共感カフェをおこないます。
詳細と参加申し込みはこちらから。

共感的コミュニケーション関係は以上です。
以下、冗長になるので省略しますが、「自分とつながるテキストライティング」のワークショップが20日(土)の日中に、福井市の福井県立病院では16日(火)午後に初夏の無料ピアノコンサートを、26日から28日までは音読トレーナー養成合宿を、その間の27日にはボイスセラピー講座を開催します。

ほかに韓氏意拳の初級講習会を国立と世田谷で、また国立では初開催となる韓氏意拳養生功の講習会もあります。

ほんとうに盛りだくさんですが、私自身は体調を整えてひとつひとつ丁寧にのぞみたいと思います。
いずれかの機会にみなさんとお会いできるのを楽しみにしています。

2017年5月1日月曜日

私は本当に音読療法が気にいっている

先日は国立で音読カフェを開催しました。
といっても、参加者はおひとりだけで、しかも男性でした。

国立でも音読カフェを開催しようと思いたち、しかしそうそう人は集まらないだろうなという印象はあったんですが、少人数でも、たとえおひとりでもいらしてくれたらやろうと決めていました。
そう決めて北陸の実家のほうではじめた音読カフェは、最初は二人、三人からはじまって、先日は七人の方が参加してくれました。
とにかく、ひとりでも音読療法について伝えることができたら、私はうれしいのです。

先日も(仮にOさんとしておきます)Oさんに音読療法についてお伝えしながら、いっしょに呼吸法や音読エチュードをやっていたんですが、私自身も楽しいんですよね。
このようにだれかに呼吸法や音読エチュードをお伝えしながらいっしょにやるのは、いったいこれで何回めなんだろうと思いました。
2011年の震災後に被災地を回って音読療法を確立する前からやっていたわけですから、たぶん何百回ではすまないくらい繰り返しやりつづけてきました。
それなのに、やるたびにあらたな気持ちになりますし、昨日もそうでした。

おなじことを繰り返しやるんですが、毎回ちがった感じがします。
それは自分自身がそのつどちがっているということもありますし、またいっしょにやる方も違います。
おなじ方とやったとしても、その方もまた変化しています。

あるいは人数が変わったり、場所が変わったり、時間や季節が変わったりと、おなじことを繰り返しやる意味は、きっと、そこから変化を見ることができるからなんでしょう。
だから飽きることがないのです。

この「いつも新鮮」であること、そこに発見があることが、私の心身をリフレッシュし整えてくれます。
私はこれをつづけることで、自分自身の「介護予防」になっていると感じています。
また、これをいっしょにやってくれることで、多くの人の介護予防に貢献できると確信しています。

昨日はOさんおひとりでしたが、音読療法に興味を持っていただき、また実際にいっしょに体験していただいていきいきさを感じてもらえたのが、大変うれしかったのです。
さまざまな健康法やメンタルケアの方法、セラピーやヒーリングが広まっていますが、音読療法もまたすぐれた方法のひとつで、私にしてみればとくに簡便で現代生活のなかで有効性を発揮できるものではないかと思っています。
多くの人に知ってもらうことに苦労しているのが正直なところですが、私は本当に音読療法が気にいっていて、有効だと感じています。
ひとりでも多くの方に知っていただければ、こんなにうれしいことはありません。

5月7日:音読療法協会の音読カフェ(5.7)
ボイスセラピーの手法を用いつつ、お茶を飲んだり共感的に対話しながら進める心身調整健康法を実践する場を、音読療法協会主催で開いています。5月の開催は7日(日)15時から約2時間です。