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2018年9月24日月曜日

名古屋〜豊田〜半田(新美南吉記念館)

先週の金曜日・21日の午後に東京を出て、名古屋、豊田、半田とめぐって、昨日・23日の深夜にもどってきた。

メインの目的は語人・サヤ佳ちゃんと新美南吉記念館での語りの会をやることだったが、そのついでに11月の語りコンサートの打ち合わせやら練習もかねて、前日入りすることになった。
さらについでに、もう一日早めに行って、バラさんこと榊原忠美氏の朗読公演「外科室」の稽古を見学して、みなさんと打ち上げしたきた。

私が2009年に名古屋市芸術創造センターで「Kenji」を、2010年に愛知県芸術劇場で「Ginga」をやったときのメンバーが、いまだに活動をつづけていて、バラさんらと朗読公演を展開したりしている。
「外科室」はそのときの仲間の北村ふみさんも出演していたり、ナオスケさんや深澤さんや劇団クセックACTが関わっていたりと、私にも縁が深い。

名古屋市のマンションの一室でおこなっていた稽古に行ってみると、コギソさんも来ていたりして、稽古後に円頓寺商店街のスペイン酒場で打ち上げしたのが楽しかった。

この夜はバラさん宅に泊めていただいて、夜も朝もご家族とちょっと交流させてもらったのも楽しかった。

土曜日は個人セッションのために午前中から出かけた。
夕方からは豊田のサヤ佳ちゃんのアトリエに行って、打ち合わせと稽古。
新美南吉記念館にはピアノがないので、東京からデジタルピアノを運んでいったのだが、アトリエにも持ちこんで、語りと合わせた。
サヤ佳ちゃんの語りがさらにすばらしく、声と全身がこちらの演奏と響き合って、感じ入った。

この日は刈谷のホテルをとってもらっていたので、そちら泊。
ゆっくりさせてもらった。

日曜日は半田市の新美南吉記念館へ。
刈谷からは近く、楽器もすんなり搬入できると思っていたのだが、ところがどっこい、この日は三連休のなか日。
しかも記念館のまわりではこの季節に咲きほこっている彼岸花にちなんだお祭りが開催されていて、大渋滞。
また記念館も通常の入口や搬入口が閉鎖されていて、入館するだけでもひと騒ぎだった。
さいわい、記念館のかたが親切で、走りまわって案内してくれたので、なんとか無事に搬入できた。

サヤ佳ちゃんの語りイベントは午後1時半からスタート。
先日の天白の現代朗読ワークショップに参加してくれたようこさんも駆けつけてくれたりした。

演目は「張紅輪」と「木の祭」。
いずれも新美南吉のものに、私はピアノ演奏で参加。
「木の祭」は美しい切り絵のスライドも映写されて、演奏もやりがいがあった。

予定されたイベントを全部終え、休憩しながらゆっくりと東京にもどった。
途中、横浜あたりで30キロくらいの渋滞があったが、厚木から圏央道へとうまくすりぬけることができて、日付が変わるころに無事に国立に帰着できた。

今回お会いしたみなさん、そしてサヤ佳ちゃん(とおかあさんの希依子さん)、充実した楽しい時間をたくさんすごさせていただきました。
心からありがとう。
またお会いしましょう。

2018年9月21日金曜日

音読療法ダブルヘッダー

埼玉県小川町まで行って、福祉委員の皆さんが主催の「ふれあいいきいきサロン」で音読療法の紹介とワークをやってきた。

10時スタートということだったので、国立を午前8時に車で出発。
最初は下道をのんびり走っていこうかと思っていたのだが、朝の時間帯、意外に時間がかかりそうだったのと、このところの長距離移動で疲れぎみだったのとで、高速道路に日和ることにした。
高速を降りると、小川町はヒガンバナがたくさん咲いていて、秋の里山の風景が楽しかった。

今回私を呼んでくれたのは、朗読でも最近共演することが多い小川町在住の狩野亜矢子さん。
参加者はご高齢の方が多かったが、みなさんお元気で、音読療法に高い関心を寄せていただいたのがうれしかった。

事後に亜矢子さんからいただいたメールの一部を紹介したい。

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本日は、遠くまでおいでいただきありがとうございました。
人数が集まるかどうか少し不安でしたが意外と人数が集まり、分からないながらも皆さま「音読」に興味があるのだなあと思いました。
自己紹介についても、想像以上に目的意識をお持ちの方が多かったのは驚きでした。
さらに、音読の効果から呼吸法、実際のワークへと移るにつれ、皆さまの目が生き生きとしてくるのが分かって、やっぱり音読療法はすごいなあと実感することしきりでした。
話の段階では眠そうにしていたかたが、呼吸法のワークが終わったあとに目が大きくなっていたのが印象的で、思わず笑ってしまったほどです。
単純なようで奥の深い音読療法。ご高齢の方のみならず、もっと若い方や小さな子どもたちもともにワークをして、皆が生き生きと日々を暮らせるようになるといいなあと感じました。
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とてもありがたく、うれしい感想だ。

午後は練馬富士見台の高齢者介護施設に移動して、いきいき音読ケアをおこなった。
今回はトレーナーの参加はなかったが、富士見台に住むキャリアコンサルタントのクマさんこと大間さん(共感男塾の共催者)がサポートに来てくれた。
クマさん、ありがとう。

今回、取りあげたテキストは、唱歌「里の秋」の歌詞だったのだが、よく読むと反戦のメッセージであることがわかった。
歌自体もあまりなじみはなかったけれど、歌詞の内容も知らなかった。
まだまだすばらしい歌があるんだろうなと、再発掘したくなっている。

それにしても、このところイベントつづき、長距離移動つづき、また個人セッションなどがつづいて、さすがに疲れぎみなのと、自分の仕事にまったく時間をさけていないので、ちょっとフラストレーションがたまっている。
明日も出かけたり書類作業をしたり、国立春野亭での韓氏意拳講習会で一日が埋まっているし、明後日はもう名古屋、豊田、半田方面に移動して、日曜深夜までもどれない。
合間になんとか工夫して自分の個人的表現に向かえるといいんだけど。

10月14日:ボイスセラピー講座@国立
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。10月14日(日)10時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

語人・サヤ佳のおはなし会を新美南吉記念館でやります

語人・サヤ佳ちゃんとは11月25日(日)に豊田産業文化センターで「語りの会2018」をおこなうが、そのとき特別ゲストとして新美南吉記念館の学芸員の遠藤光嗣さんをお迎えしてお話を聞くことになっている。

その新美南吉記念館で、今週の日曜日・9月23日にお話会をやることになっている。
私は東京から楽器を車に積んで、記念館のある半田市まで行く予定だ。

お話会は14時からで、45分くらいの短い時間だが、新美南吉の「張紅倫」を「木の祭」をサヤ佳ちゃんが語るほか、私もピアノ演奏で参加する。
お近くの方はぜひおいでいただきたい。
参加無料。
案内ページはこちら

2018年9月20日木曜日

秋の採蜜は見送りか

町田のあした農場に行って、日本みつばちの巣箱の内検をしてきた。
台風やら猛暑やら大雨やら、天候不順がつづいたので、巣箱自体の物理的な損傷が気がかりだったが、農場の渡辺さんが囲いや覆いをしてくれたので、大丈夫だった。

農場の康子さんに作業を手伝ってもらって、巣箱のなかを確認してみた。
ふだんは下の掃除窓からスマホを突っ込んで、動画を撮ってなかのようすを見るのだが、今回は巣箱をひっくり返して直接見ることにした。

巣箱2はかなり勢いがあって、なかを見るまでもなく、どんどん花粉を運びこんでいる(動画はこちら)。
動画を見ると、だいぶ巣が下まで降りてきている(動画はこちら)。
が、秋の採蜜は見送りかなあ。
十分に蓄えて冬を越したい。

巣箱3は相変わらず瀕死状態。
だけど、花粉を運びこんでいるようすがわずかに見られる。
ということは、育児はしている?
巣箱をひっくり返してみたところ、かなり怖い状態だが、巣脾はちゃんとできあがってきているので、あとは女王蜂がちゃんといて、産卵・育児が進んでいるのかどうか、だ。

今日は人手と準備が足りなかったのだが、次回は女王蜂がいるかどうかの確認を試みてみたい。
こちらの巣箱もなんとか勢いを盛り返してくれるといいんだけど。

北杜市での共感朗読カフェ(Verba-Actus)は心から楽しかった

昨日は山梨県北杜市にあるゼミ生の桂さんの山荘で、共感朗読カフェ(Verba Actus)を開催してきた。

うっかりしていたのだが、三連休の最終日ということで、参加者が少なかった上に、直前のキャンセルもあったりして、結局私をいれて三人という少数精鋭での、というとかっこいいけれど、なんでもありのゆったりした学びと気づきの時間を持つことができて、私は楽しかった。
気持ちのいい山荘と自然に囲まれた静かな環境のなかでの、それぞれのニーズにつながったゆっくりした学びの時間。
来れなかった人は残念だね、という気持ちに自然になってしまう。

本当にリラックスできる空間で、それにくわえてお互いに安心できる関係性を作っていくのが共感的コミュニケーションの特徴。
日頃いろいろある人も、ここに来て自分につながり、また日常の気がかりや問題を解決する糸口を見つけたり、解決のヒントに気づいたりできる。

そして昨日はあまりやらなかったけれど、自分につながり、マインドフルに気づきつづけ、そのなかで自分自身の生命現象を表現してみることを試みたとき、どんなことが起こるのかに注目する稽古なのだ。

ピアノがあるので、昨日は音楽の基本中の基本の部分をちょっと解説させてもらった。
音楽による情動とはなんによってもたらされるのか。
それは曖昧な事象ではなく、ましてやスピリチュアルな現象でもなく、人間の生理と物理現象による因果関係の明確なことで起こってくるのだ、という解説。

自己共感のために有効な身体を観ることもすこしやったかな。

そのあと、来月の開催日程を決めて解散。
来月は9月17日(水)の午後1時からとなった。
みなさん、ご参加いただきたい。

北杜から東京にもどるとき、三連休最終日のせいで大槻ジャンクションから大渋滞につかまってしまっての国立にもどるのらえらく時間がかかった。
雨も降ったりして。
しかし、一日満たされたニーズを味わえたので、そんな時間もただつらいだけではなかった。

10月17日:共感朗読カフェ(Verba Actus)@山梨県北杜市
Verba Actus とは、共感的コミュニケーションをベースに表現行為を自分自身のなかで統合し、全体性を探求する場です。稽古は朗読する、声を発する、声と身体のつながりを見る、などが中心となります。

2018年9月17日月曜日

水色文庫新作「ボトム・クオークの湯川結合で見えてきたタイムトラベルの可能性」登録しました

水色文庫の新作「ボトム・クオークの湯川結合で見えてきたタイムトラベルの可能性」を登録しました。

このテキストは2018年9月16日に開催した身体文章塾のお題「素粒子」にそって書いた作品です。
身体文章塾の詳細についてはこちらをご覧ください。

2018年9月14日金曜日

玉子かけご飯の作り方

最初、どこで見たんだろう。
ツイッターか、だれかのブログか、とにかくネットで見て、試してみたら、超絶おいしかったので、以後、私の玉子かけご飯はすべてこのやりかたで作っている。
このやりかた以外の玉子かけご飯は食べたくない、くらいの勢いだ。

【材料】一人分
・玉子……1個
・ご飯……お茶碗1杯
・醤油……適宜

まず、あつあつのご飯を用意する。
ふつうの白米のご飯が望ましい。
玄米とか五分づきとかでもいいけれど、玉子の味を邪魔するので白米がよろしい。

玉子はお好みのものを。
平飼い有精卵など、高級玉子など、お好きなものを。
おいしい玉子はおいしく、それなりのものはそれなりに、しかしいずれにしても、玉子の味が際立つ作り方なのだ。

玉子を割り、白身と黄身を分ける。
私は玉子をふたつに割ったら、黄身を殻のなかに残しながら、白身だけをご飯の上にかけてしまう。
殻に残した黄身は脇に置いておく。

白身をかけたご飯を、箸でもスプーンでも泡だて器でもなんでもいいので、激しくかきまぜる。
素早く、白身が泡立つくらい、かきまぜる。

白身が泡立ってふわっとした感じになったら、その真ん中に黄身をそっと置く。
その上から醤油をお好みの分量垂らす。
これで完成。
あとは、黄身を崩しながら、いただく。

これがもっともおいしい玉子かけご飯の作り方である。
いや、ほんと。

2018年9月13日木曜日

自分の喜びから人になにかをしてあげる

自己共感がしっかりできていて自分自身のニーズから行動している人と、自分のニーズを置きざりにしてなにかをしてしまっている人とでは、起きることがまったく違ってくる。

たとえば、家族に料理を作ってあげるとする。
家族が喜んでくれたり、あるいは料理を作る余裕がなかったり疲れたりしている家族をいたわることを思ったら、それは自分自身の喜びである、「料理を作らなければ」ではなく、「料理を作ってあげたい」というみずからのニーズから料理を作るとき、あなたは生きいきとしている。
そのことは家族に伝わっている。
いや、ほんとに伝わるのだ。
人は無意識にさまざまな微細な情報を受け取っているものだ。

そうではなく、家族が疲れている、自分が料理を作らないと家族が飢えてしまう、自分も作りたい気分ではないけれど自分が作らなきゃだれが作ると思って、がんばって作る。
そんなとき、たしかに料理は完成するかもしれないし、家族もそのことを喜んでくれるかもしれないが、あなたの「自分につながっていない感じ」は家族にも伝わっている。

前者と後者のちがい。
あなたが前者のとき、家族は自然に「ありがとう」という気持ちになることが多い。
後者のとき、家族は「申し訳ない」という気持ちになることが多い。

これは相手が家族にかぎらない。
対人援助職といわれるような仕事の人たちがいる。
看護師、医師、教師、マッサージ師、介護士、ほかにもたくさんある。
そういった人たちが自己共感のないまま、仕事だからと義務的に相手になにかをおこなうとき、たとえそれが相手を助けることであっても、相手は「申し訳ない」という気持ちになってしまう。

そもそもあなたはなぜその仕事についたのだろう、ということだ。
人を助けたくて、役に立ちたくて、サポートしたくて、そしてそれが自分の喜びであり生きる道だと思ったから、その仕事についたのではないだろうか。
あなたの行動の原点であるそのニーズにもう一度立ちかえり、喜びをもって仕事をするとき、相手はきっと「申し訳ない」ではなく「ありがとう」という気持ちになってくれるだろう。

私たちは人になにかをしてあげるとき、「申し訳ない」ではなく「ありがとう」がほしい生き物なのだ。

9月15日:共感音読カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会です。

2018年9月12日水曜日

雪囲いの準備と家の路地の秋の花たち

福井の実家に帰省中だが、いまのうちから雪囲いの準備を進めておこうと、あれこれ動いている。
いくらなんでも早い、と思われるかもしれないが、この前の冬は何十年ぶりかの豪雪で、ひどい目にあったのだ。
今シーズンはどうなるかわからないが、もしそうなったときの弱点が露呈したので、すくなくともそこはつぶしておきたい、と。

とくに母屋の下屋と離れの屋根がクロスしている縁側の隅っこの三角地帯に、屋根からずり落ちてきた雪がたまりにたまって、にっちもさっちもいかなくなった。
長らく縁側は雪に閉ざされ、出口のないカマクラ状態になってしまった。

まずは池に井戸水がちゃんと流れるようにする。
冬場も暖かい井戸水が池に流れれば、雪をどんどんそこに放りこめばよい。
つぎに、魔の三角地帯に雪がたまらないようにするために、雪囲いを工夫して落ちてきた雪を池へと誘導する。
そのために、角材やら波板やら、それを固定するためのパネルやらを買ってきた。

てなことをやっていたときに、離れの裏の路地に秋の花がいろいろ咲いているのを見つけた。
ヒルガオ(これは鉢植えの隅っこに生えていた)以外は名前もよくわからないのだが、可憐だ。

イボ、取れた

右手の薬指と小指の先っちょにできて、ピアノを弾くにも編み物するにもコンピューターのキーを打つにも不自由していたイボが、やっと取れた。

医者が「指を使う仕事だから」と気を使って塗り薬で除去する方法を試してくれたのだが、うまくいかず、結局、液体窒素で焼き切る方法になった。
痛かったが、その後、真っ黒に変質して、1週間くらいでぽろっと取れた。
根が残っていないことを祈りたい。

しかし、再発しないためにはどうすればいいんだろう。
けっこうしょっちゅう手先のいろんなところにイボが発生するんだよね。

体脂肪率20パーセント超の隠れ肥満から17パーセントを切るまでにやったこと

20代のころは50キロ台だった体重が、小説家だのラジオ製作だのピアノ弾きだの朗読演出だの、あまり身体を動かさない仕事をつづけていたせいか、60キロを突破していた。
それでも水泳を中心に運動をこころがけていたおかげで、60キロ・プラスマイナス1キロくらいで安定的にキープできていた。

が、2011年の東日本大震災をきっかけに1、2か月であれよあれよと増え、気がついたら65キロ近くになっていた。
これがきっかけだということははっきりしている。
ストレスであり、また当時住んでいた羽根木の家に大勢の人が出入りして、そのたびにいっしょにご飯を食べたりしていたので、歯止めがかからなくなったのだ。

これはまずいと絞りにかかったのだが、なかなか減らない。
それでも62キロくらいまでは落としたのだが、体脂肪は20パーセントを超えたまま下がらない。
はっきりいって隠れ肥満だ。
いや、隠れていない、腹まわりに脂肪がたっぷりとついて、いわゆる中年体型になってしまった。

たしかに年齢も年齢なのでと、一時はちょっとあきらめかけていたのだが、いややはりと気を持ちなおして、減量というより体脂肪を落とすことに挑戦しはじめた。

体脂肪を落とすには、運動と基礎代謝をあげることが効果的だ。
運動はもちろんエネルギー消費であり、食事で足りないエネルギーは脂肪燃焼でおぎなう。
つまり、摂食カロリー以上に運動しなければならないということだ。

基礎代謝はとくに運動しなくても生きているだけで消費されるエネルギーで、その代謝量は筋肉量に左右される。
つまり、筋肉を増やせば、基礎代謝は大きくなるのだ。

ということで、エネルギー消費のための運動ではなく、筋トレを心がけることにした。

ひとつ問題があって、いくら筋トレをしても、食事量が少ないと体重も増えない代わりに筋肉も増えないのだ。
とくにタンパク質の摂取は必須だ。
そこで、プロテインで補ってやることにした。
これだと、食事量を増やさなくても大丈夫。
体脂肪が増える心配なく、筋トレで筋肉量を増やすことができる。

そんなことを数か月つづけてみたら、数値が変わってきた。
いま、体重は59キロで、体脂肪は17パーセントまで落ちている。
もうすこしがんばって、体脂肪を15パーセント以下に落としたい。
なおかつ、体重は65キロくらいまで増やしてもいいような気がしている。

ある程度パワーのある身体にして、やってみたいスポーツがあるのだ。

2018年9月10日月曜日

朗読と共感のコラボWS@天白アロマファン、9月の会終了

9月9日・日曜日は、早朝に東京・国立を車で出て、名古屋・天白区の古民家スペース〈アロマファン〉に移動。
秋分の日に近づいてきて、午前5時だとまだ真っ暗だが、しだいに明けていくなか、府中国立インターから乗って、中央道、圏央道、東名高速を経由して名古屋に向かう。

名古屋にはいったらどしゃ降り。
いつもの駐車場からアロマファンまで10分くらい歩くので、どうしようかと思っていたら、駐車場についた瞬間に雨あがる。
せっかく出した折り畳み傘も使わずじまいで、アロマファンに到着。

午前は現代朗読の部。
参加者はふたりだけ。
初参加の私より年上の方は、これまで声の表現をいろいろとやってきて、朗読公演や朗読教室にもいくつか参加したことがあるという。

じつをいうと、こういうかたが一番てごわい(笑)。
なぜなら、「朗読を習い」に来られるとか、朗読についてある一定の固定イメージや理想型をお持ちのかたが(経験上)多いからだ。
「教える」とか「やりかた」とかいったものとは真反対にある現代朗読のセオリーは、なかなかそういったかたには受け入れてもらえず、ともすれば反発されたり、ときには怒って帰ってしまうような人もいる。

が、今回はとても頭の柔らかいかたで、現代朗読のかんがえかたもしっかりと受け止め理解していただいて、ありがたかった。
そしていっしょに稽古をしたとき、正直に自分のわからないところ、気づいたところ、弱点と感じるところなどお話ししていただけた。
「また参加したい」とおっしゃっていただいて、私もとてもうれしかった。

午後は共感カフェ。
こちらも今回は参加者すくなめだったが、その分、個々の疑問や気になっていることなどについてみんなでしっかりと取り組めたのはよかった。
いつもそうだが、おたがいにつながりが生まれて、最後にはフェイスブックのアカウントを教えあったりするのだった。

水野生惠さんが世話人をやってくれているこの天白アロマファンでの集まりは、ほぼ毎月一回のペースで開催しているが、来月・10月は都合によりお休みとなる。
11月11日にまた開催するので、お近くの方は気楽にご参加を。

11月11日:朗読と共感のコラボWS@名古屋天白アロマファン
朗読と共感的コミュニケーションを両方体験し、実践を深めることができるワークショップを、午前と午後にそれぞれ、名古屋市天白区の古民家スペース〈アロマファン〉で開催します。

自己共感のパワーで請求書の怖れを軽減する(笑)

日常的に練習して、共感的コミュニケーションを身につける方法を、私はいろいろ実践したり提案している。
共感手帳術もそのひとつだが、レシートを使う方法もある。

なにか買い物してレシートをもらったとき、それをとっておいて、あとで共感練習に使うことができる。
たとえば、ドラッグストアのレシートに、

 ハッカ油 1,155円

とあったとする。
それはいったい、なんのニーズで買ったのだろう、ということだ。

人のすべての行動には、ニーズがある。
私がハッカ油を買ったのは、なんらかのニーズがあってのことだ。
それはなんだろう。

ハッカ油ですっきりしたかった、虫よけにも使える、健康にもいいらしい……
清潔のニーズ、健康のニーズ、快適さのニーズ、あるいは好奇心や楽しみのニーズ。
レシート1枚で自分のニーズを調べ、自分自身に共感する練習ができる。

毎月やってくる請求書がある。
たとえばスマホ代金の請求書。
ばかにならない金額が記されている。
それを見るたびに、がっくりと落ちこむ。
できれば払いたくないと思う。
実際に支払いを引きのばしてしまう。
そのあげく、期日をすぎて延滞金を支払うはめになってしまう。

多額の代金を請求されるスマホにも、ニーズがある。
だれかとのつながりを満たすために必要だった通話。
未知のことを調べるために使ったネット検索。
仕事や約束ごとの要件を片付けるために必要だった連絡。
魅力的なイベントなどの情報を発信するために有効なSNS。

多くのニーズを満たすためにスマホを利用している。
ありがたく使えたスマホをお祝いしながら、料金を期日までに払うことができるかどうか。

毎月毎月、請求書を見るたびにがっくりと落ちこんで支払いを引きのばしているのと、自分が満たしたニーズにつながって喜んで期日内に支払っているのと、どちらが心地よい世界だろうか。
自分自身に共感して、どちらを選択したいのか、ゆっくり感じてみたい。
(といっても、必ずしも私自身がそのようにできているとはいえません(笑))

9月15日:共感音読カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会です。

2018年9月7日金曜日

音読トレーナーは音読カフェを開催できます

音読療法協会が推進する音読療法には、音読トレーナーという資格がある。
音読療法(ボイスセラピー)を使って参加者の健康促進や病気予防、免疫効果、こころと身体の活力の向上などに寄与するための音読ケアワークをファシリテートするための資格で、音読トレーナー養成講座を受講しいくらか実践を積んでもらった人たちに与えられる。

音読トレーナーになるとどんなことができるのか。

音読療法はさまざまな場面で貢献しているが、音読トレーナーとして活躍できるのはつぎのような場面がある。

・老人ホームなど、介護施設でのケアワーク
・介護予防教室など、自治体や地域のコミュニティでのワーク
・音読療法協会が主催する音読カフェや介護予防講座、親子音読教室などでのサポート
・みずから主催する音読カフェ

とくに主体性をもっておこなえるのが、音読カフェだ。
私・水城も実家でおこなったり、国立・春野亭が開催したりしているが、どなたにも気楽に来場してもらって、お茶を飲みながら音読セラピーを体験してもらう機会だ。

音読トレーナーにはこのような音読カフェを、自分で気軽に開催してくれるようにリクエストしている。
自宅のリビングで開催するもよし、近所のカフェなどを借りるもよし、公共施設の会議室などを押さえるもよし。
参加費も自由に設定し、内容も各トレーナーの持ち味を生かしたオリジナリティを重視したものをお願いしている。

国立・春野亭でしばらく開催していなかったのだが、音読トレーナーもすこしずつ増えてきたり、音読トレーナーをめざしたい、音読療法に興味がある、という人も出てきたりしているので、また再開することをかんがえている。
近いうちに日程を案内するので、どうぞ気軽にご参加いただきたい。

その前に、音読療法の全体像を知り、体験するためのボイスセラピー講座があるので、興味がある方はそちらにも参加していただくことをおすすめする。

9月8日:ボイスセラピー講座@国立
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。9月8日(土)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

2018年9月5日水曜日

テキスト表現は自己共感力をたかめる

先月の身体文章塾は参加人数が多い回があって、多様な人たちが参加してくれたのが楽しかった。
常連の参加者にも刺激になったようだ。

オンラインでの常連の知念さん(沖縄)や奥田くん(小金井市)をはじめとして、岐阜や長野からのオンラインでの参加者、国立・春野亭の現場にはゼミ生の良輔くんが来てくれたほか、元ゼミ生でいまは大阪在住の照井数男くんも遊びに来てくれたりした。
野々宮卯妙も参加したし、私も作品を提出したので、多彩な顔ぶれと作品が集まってにぎやかだった。

身体文章塾では小説やエッセイを書く参加者が多いが、それにかぎらずなにかを書くという行為は自分自身を丁寧にとらえる必要がある。
というより、自分自身をどれだけ丁寧にとらえることができるかが、テキストのクオリティを左右する。
自分への注目が雑だと、テキストのクオリティはそのようなものになる。

やっかいなのは、自分を雑にあつかっていても、クオリティの高いテキストは書けるということだ。
テクニックを駆使し、外部情報や論理を展開して、質の高い読み物を書くことはできる。
が、そこには「自分はあらわれていない」。

身体文章塾の目的は「テキストで自分自身を表現し人に伝える」ことだ。
書かれたテキストに自分があらわれていることをめざす。
これをことばで——まさにいま私がこうやって書いているようなことだが——説明するのは大変難しく、やっかいだ。

前提として、まず「自分自身に気づきつづけている」ということが必要となる。
いいかえれば、自己共感が大切だということだ。
自己共感、すなわち自分自身に注目し気づきつづけていることができるかどうかは、書かれた文章から読みとることができる。
通常、なにかを読む人は、そこになにが書かれているか、どんなお話なのかに注目してしまうが、私はそれがどう書かれているのか、そこには書き手のどのような身体が映し出されているのかに注目する。

じつはそのことが文章の表現クオリティを大きく左右するのだ。
そのように私は現在、確信している。

なにかを書くことは、自分自身に気づくことであり、また自分を知ることでもあり、それを表現するという自分を発揮することへのチャレンジでもある。
現代ではさまざまな表現手段があるが、ことばを用い、それを書いて伝えるという、古く不自由な手段に挑戦することは、とても興味ふかい方法だと感じている。

9月22日:共感文章講座@国立春野亭(もしくはオンライン)
メールやLINE、SNSでのテキストコミュニケーションにおいて、共感的コミュニケーション(NVC)の方法をもちいてお互いに尊重をもってつながりあう文章表現を練習するための講座です。

2018年9月4日火曜日

趣味の編み物、趣味の人生

編み物をはじめたのはほんの数年前で、まだ全然初心者感覚だが、数少ない趣味のひとつとして楽しんでいる。

子どものころから好きでつづけていた小説やもの書きは仕事になってしまったし、音楽もそうだ。
自分の好きなことを仕事にすると、楽しいことばかりではない(とくに経済社会のなかでその営みをつづけていこうとすると)。
だからいまは、料理や編み物が、経済活動とは関係のない趣味として、貴重な楽しみになっている。

とはいえ、仕事にしてしまったものも、かんがえかたと取り組みかたをシフトすれば、趣味にもどすこともできる。
ようするに、お金をかせぐことを目的にせずに、自分の好きなようにやればいいのだ。
その結果、お金がはいってくるかどうかは別問題。

趣味としてやっていることだって、それでお金をもうけてはいけないという法はない。
ただそれが目的化するととたんにつまんなくなる、というだけの話だ。

話を編み物にもどす。

母が編み物名人で、子どものころからその姿を見てきた。
毛糸をさばくのを手伝ったりもした。
だから編み物は私にとってとても身近なものだったが、自分でやってみようとはなかなか思わなかった。

数年前、ふと思いついて、かぎ針のセットと書籍を買い、はじめてみた。
私が編み物をやっていると、出入りする人たちが興味をしめして、会話がはずんだ。
なかには編み物の得意な人もいて、教えてもらったりした。
みんなで競争するようにずんずん編んだこともある。

しばらくかなり熱中していたが、肘を痛めたり(編み物のせいかどうかはわからない)、引っ越ししたり、棒針編みに浮気したり、いろいろあって、しばらく下火になっていた。
最近また復活したのだが、夏だったせいで毛糸ではなく、エコアンダリアという化繊の糸を使って帽子を編んでみた。
ネットにも動画が出ていたし、本も持っていた。
糸も数年前に買ったものがまだあった。

編んでみるとなかなか楽しく、どんどん編めてしまう。
帽子には何度か挑戦して、そのつどうまくいかなくて挫折していたのだが、今回はうまくいった。
いくつか編んで、人にあげたりした。

それを見ていたゼミ生のゆきこさんが、チャリティに出してはどうかと「リレー・フォー・ライフ・ジャパン」というイベントを紹介してくれた。
自分の趣味がだれかの役に立つなんて、こんなにうれしいことはない。
喜んで参加することにした。

趣味は広がっていく。
ついでに動画コンテンツも作ってみようかな、と思いたった。
どうせ編んでいるなら、それを撮影して、編集してYouTubeで配信してみようかな、と。
だれかが見てくれて、またつながるかもしれない。

動画コンテンツの編集も、思いきって Final Cut Pro からアドビの Promiere Pro に乗りかえてみた。
さすが、番組制作や映画作家の多くが使っているだけあって、すごいソフトだ。
編集も楽しいなあ。

というわけで、あたらしくチャンネルを作って何本か配信してみたので、編み物に興味がある人は見てみてほしい。
チャンネル登録もしてくれるとうれしい。
いまのところ編み物の自分なりのノウハウを見せている動画だが、そのうちぼちぼちと共感的コミュニケーションやマインドフルネスのことなど、私なりにつぶやいていこうと思っている。
編み物しながら、文字通り声でつぶやくのだ。

「おじいちゃんといっしょにかぎ針を楽しもう」というコンセプトの「じじ編み(Granpa Crochet)」チャンネルはこちら

2018年9月3日月曜日

人類最古の道具を使って自分を伝える

昨夜は今月最初の身体文章塾を開催した。
今月から渡辺さんがあらたにメンバーに加わってくれた。
というわけで、キャプチャー画面のようなまったく色気のない絵ヅラ。
でも、楽しい。

昨日は渡辺さんのリクエストもあって、ちょっとしたテキストエチュードを最後にやってみた。
常連の参加だけだとエチュードをやるのを忘れてしまうんだけど、エチュードも楽しいのだ。

昨日は描写のエチュード。
描写のみを使って感情表現する練習。
なにかを描写するというのは、だれが、どんな心理や身体性をそれを見ていて、どんなことばやセンテンスを選ぶかによって、書き手が表現される、ということ。

ことばという人類最古の道具のひとつを使って自分を表現するという不自由さにおもしろさがあるということを、あらためて確認したのであった。

9月16日:身体文章塾
テキストで自分自身を伝えるために、自身の身体性とむすびついたことばや文体についてのさまざまな試みをおこなっています。9月の開催は16(日)/23(日)、いずれも19時より約1時間半程度です。

水色文庫新作「ビッグウェーブ・サーファー」登録しました

水色文庫の新作「ビッグウェーブ・サーファー」を登録しました。

このテキストは2018年8月26日に開催した身体文章塾のお題「単身赴任」にそって書いた作品です。
身体文章塾の詳細についてはこちらをご覧ください。