2018年4月28日土曜日

TV番組:映画作家 想田和弘 アメリカを“観察”する

フジテレビで放送された番組だが、YouTubeで全編視聴できる。
制作・著作はフジテレビではなく、日本電波ニュース社となっている。

想田和弘氏の作品を初めて見たのは、名古屋の小さな劇場だった。
私の盟友で名古屋の劇団〈クセック〉の俳優であり朗読家であり、また年間300本も観るという映画フリークの榊原忠美氏と約束があって会っていた。
どんな用事で会っていたのかは忘れたが、榊原氏が仕事で数時間抜ける必要があり、私はその間の時間を持て余しそうになっていた。
すると榊原氏が「映画でも観てな」といって、どこぞの小さな映画館に私を放り込んで行ったのだ。

以前にも何度かそういうことがあり、そのたびに私は、自分では決して観ないような、無名の、そして超おもしろい映画を観ることになって、その日も榊原氏を信頼し安心て映画館の暗闇に身をひたしたのだった。

観たのは(観せられたのは)「精神」という奇妙な映画だった。
あるちいさな精神病院を舞台にしたドキュメンタリー映画なのだが、ナレーションも字幕も、音楽すら一切ないのだ。
ただただ、カメラが回り、そこでおこなわれていること、話している人が映しだされていくのみ。

それが想田氏の「観察映画」という手法だと知るのはあとのことだ。
衝撃的で、かなり長い映画だったと思うが、私はスクリーンに釘づけになったまま最後まで観続け、終わったあとにはすぐに立てないほどのショックを受けていた。
なるほど、バラさん(榊原氏)はこれを見せたかったのか。

YouTubeで公開されたテレビ番組は、そんな想田氏の最新作の映画作りの過程と日常を追っている。
今回も観察映画であるが、手法が違っている。
興味深い。
そしてニューヨークで生活している想田氏の日常も興味深い。

彼の発言はツイッターでも大量に読むことでできるが、やはり映画こそメインの表現媒体だろう。
しかし、映画監督という感じではない。
まさにこの番組タイトルにあるように「映画作家」なのだ。

作家という極私的視点からただただ「観察」するという姿勢のなかで、なにか普遍的なものを表現し訴えようとする。
映画を見てなにを感じるか、どんな問題意識を持つかは、見る側である観客に完全にゆだねられている。
これはあたらしい手法だ。
そして現代にあって有効な表現方法となっている。

いま、想田和弘氏の最新作「港町」が全国(いや世界?)で封切られている。
このテレビ番組で取材されているのは、「港町」のつぎにあたる作品のようだ。
どちらも観るのが楽しみだ。

YouTubeで観ることができるテレビ番組「映画作家 想田和弘 アメリカを“観察”する」は、こちら

2018年4月27日金曜日

音読セラピーの場を広げていく

明日からボイスセラピー講座と音読トレーナー養成講座が国立春野亭で開催される。
ほぼ一年ぶりの開催だ。
もっと頻繁に開催して、音読トレーナーの育成をどんどんやっていきたいのだが、いかんせん参加者が集まらなくては開催できない。
しかし今回は、不思議なことに男性ばかりの参加者が集まった(女性を排除しているわけではありません)。

音読トレーナーの育成をすすめたい理由はいくつかある。
ひとつには介護予防教室や、高齢者向けの健康法、予防法のケアワークとして音読療法から提案がたくさんあるのだが、提案するにしてもその受け皿となる音読トレーナーがいないのでは後がつづかない。

提案のひとつに病院での音読ケアがある。
大きな病院だと精神科病棟、小児病棟、リハビリ病棟などがあり、それぞれ音読ケアで有効なサポートができる。
実際、そのための具体的な打ち合わせをすすめている病院もある。
実現したときにはご報告するが、そのように病院に提案していくにしても音読トレーナーが必要になってくる。

音読トレーナーが自分自身の裁量で開催できるものに、音読カフェがある。
これは私も実家のリビングで開いたり、国立の春野亭で開いたり、昨夜も池尻大橋の〈アカシデカフェ〉で開催したばかりだ。
このような音読カフェを音読トレーナーは自分のエリアや環境でどんどん開いてくれればいいと思っているし、それを推奨している。
その実現には音読療法協会と私が全面的に相談に乗る準備がある。

明日からは3日間連続の講座だ。
ちょっと緊張しつつも楽しみである。

4月28日:ボイスセラピー講座@国立
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。4月28日(土)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

4月28・29・30日:音読トレーナー養成講座
介護予防や健康促進ワークに最適な音読ワークをファシリテートできる「音読トレーナー」の資格を取得するための2泊3日の合宿形式講座を4月28日(土)午後から30日(月/振替休日)の三日間にわたって、JR国立駅徒歩5分の会場で開催します。

2018年4月26日木曜日

映画:シング・ストリート 未来へのうた

2016年公開の映画。
製作国はアイルランド、米国、英国とクレジットされている。
監督はジョン・カーニー。

だれが作ったとか、どういう内容の映画なのかとか、まったく知らないまま、なにも意識せずに見はじめた。
ある若者が謎の美女を気を引くためにバンドを結成するという、音楽映画なのだなとだけわかっていた。

見はじめると、そのとおりのきっかけの映画であり、血気盛んなアイルランドの高校生が、血気盛んなままつたない音楽をはじめ、でこぼこメンバーでバンドをはじめて、ミュージックビデオを作りはじめる、という内容だ。
とくにびっくりするような内容でもストーリーでも映像でもない気がしたが、なんとなく引きこまれていった。
そしてこれが大当たりだったのだ。

映画の舞台設定は1985年のダブリン。
そういえばそのころは日本でもMTVがはやったが、主人公もそんなビデオを作りたいと思う。

主人公の兄がまたいい感じのキャラクターで、引きこもりの負け犬みたいな扱いを受けているのだが、実はなかなかに芯のある男だ。
主人公にとっては兄が音楽もふくめてあらゆることの師匠役となっている。
複雑な役柄を演じたジャック・レイナーという役者は、この兄役でアイルランド映画&テレビ賞の最優秀助演男優賞を受けている。

最初はつたないバンドなのだが、主人公の少年が日常で遭遇するさまざまな事件やエピソードのなかで成長していき、それとともにバンドも音楽も成長していく。
そこのところがこの映画のメッセージだ。
気がついたら、曲作りに没頭する少年に、そして音楽作りや映像作りに熱中する少年たちの姿に心を打たれていた。

曲がまたいいんだ。
80年代のロックというか、ビジュアル系といってもいいサウンドだけど、独特のスピリッツがある。
監督は心底、音楽を愛し、理解している人だとわかる。

ヒロインも美しいしね。
最初はフェイクのモデルとかいいはってけばい化粧で登場するんだけど、素顔の彼女の美しさにははっとさせられる。

あとになってわかったことだが、私はこの監督の作品をすでに見ているのだった。
「はじまりのうた」という映画で、こっちもけっこう感動してレビューをすでに書いていた。


こちらはキーラ・ナイトレイという有名女優を主人公に据えた映画で、こちらもよかったのだが、そのあとに作られたというこの「シング・ストリート」は、ほとんど無名の俳優たちをキャストしたところがチャレンジングだと思う。
いいなあ、ジョン・カーニー。
気にいったぜ。

2018年4月25日水曜日

春はぎっくり腰の季節なのか?

知り合いが何人か、つづけてぎっくり腰をわずらったのでおどろいている。
じつは私も過去に一度だけ、ぎっくり腰をやったことがある。
あの独特の痛みと、しばらくつづく不快な感じは、よくおぼえているし、また二度とあれにはなりたくないと思う。

私がぎっくり腰になったのは、忘れもしないちょうど30歳になったばかりのことだった。
私はその前年の29歳のときに徳間書店から長編小説を出版して、小説家デビューしたばかりだった。
最初に出た小説を読んだ他社のノベルス担当者からつぎつぎと小説の注文がやってきて、いよいよ専業で小説を書こうと決めた時期だった。

専業小説家ともなれば、当然ながら、一日中デスクワークということになる。
当時は原稿用紙に手書きで書くのと、ワードプロセッサに移行するのとちょうど中間の時期だったが、いずれにしても机にむかって座りっぱなしであることにはちがいない。
運動不足は避けられない。

そこで私は、新聞広告の通信販売かなにかで見つけた、自宅にもおける多機能のトレーニングマシンを購入することにしたのだ。

ある日、宅配業者が段ボールで梱包されたそのトレーニングマシンを届けにきた。
玄関の上がり框に置かれたそれを、私は室内のスペースに運ぼうとした。
段ボールをかかえ、それを持ちあげようとした、そのときだ。

ぐきっ。
いやな感じの音がして、私はそれっきり動けなくなってしまった。
これが生まれて初めての(そしていまのところ最後の)ぎっくり腰だった。

結局、届いたトレーニングマシンの梱包は一度も開かれなかった。
ほしいという友人がいたので、そのままゆずってしまった。
そのかわり、私は痛みが引くと、近所のプールにかよいはじめた。

たぶん水泳が私の身体に合ったのだろう、腰の筋肉を無理なく強化するのにきいて、以来一度もぎっくり腰を経験することなく現在60歳にいたっている。

いまは水泳はほとんどしないが、かわりに軽い筋トレ、站椿という中国武術の稽古、そして呼吸法がぎっくり腰予防にきいていると感じる。
とくに呼吸法はだれにでも無理なく、毎日つづけられる「運動」なので、おすすめだ。
私がやっている呼吸法に興味がある方は、音読カフェかボイスセラピー講座に参加することをおすすめする。

駒場の住宅街の一角の、隠れ家のようなステキ空間「アカシデカフェ」にて、月1回の音読カフェを開催します。声をだす楽しさ、よろこびを味わいつつ、コアマッスルを鍛え、免疫力をあげていくレッスンです。毎月第4木曜日の19〜21時。

呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。4月28日(土)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

各務原〈カフェ花寧香〉での手帳術のちらし

5月17日(木)午後に岐阜県各務原市の〈カフェ花寧香〉で、マインドフル手帳術のワークショップを白狼澪さんが主催してくれます。
そのちらしを彼女が作ってくれました。
カフェ花寧香(はなねこ)で毎月開催しているマルシェや、ご近所に、配ってくれているらしいです。
うれしいなあ、ありがとう。

お近くの方、来てくださいね。
岐阜といっても、名古屋もすぐ近くで、中京圏の方にはおすすめします。
また、ちょっと遠いという方にはオンライン参加もできますので、気軽にご参加ください。
開催時間は、休憩をはさんで、午後3時から夜8時までです。

マインドフル手帳術ワークショップの詳細はこちらをどうぞ。

音読トレーナーになるとできること

音読トレーナー養成講座の開催日程が近づいている。
音読療法を必要としている多くの人に伝えるためにも、専門知識と経験を積んだ音読トレーナーがもっと育ってくれることを願っている。

音読トレーナーの仕事は社会貢献であり、やりがいがあることだと思うが、なにより自立したスキルであり、自分自身が自主性をもって楽しくいきいきとやれるところがいい。

私自身は音読トレーナーではないが、いちおう音読療法協会のオーガナイザーとして音読トレーナーと同等の仕事をさせてもらうことがある。
いくつか楽しい仕事があるのだが、なかでももっとも楽しいと思えることのひとつは、音読カフェの開催だ。

音読カフェというのは、音読療法を用いて参加者の心身の健康向上や病気予防、介護予防に寄与すると同時に、飲食しながら楽しく気軽に語りあう場だ。
安心と安全、つながりを作るために、共感的コミュニケーションを場づくりのベースとしている。
つまり、音読カフェを進行する音読トレーナーは、音読療法を用いたワークを提供しつつ、みなさんの安心とつながりをサポートする「共感的な聞き役」にもなっているのだ。

場を進行しながら、参加のみなさんがみるみるいきいきとしたり、安心して日頃気になっていることを話したり、ちょっとしたコミュニティが育っていくのを見るのは、本当に楽しくやりがいのあることだ。

私は北陸の実家のリビングを使って、月の一回の帰省のたびにご近所さんに声をかけて開催しているが、毎回楽しみだ。
そしてまた、毎回の常連さんも楽しみにしてくれていて、欠かさず参加してくれる。
地方の過疎の町に、貴重なコミュニティが生まれているように思う。

本当は毎週でも開催したいのだ。
音読トレーナーが自宅などでやる場合、毎週のように開催することも可能だろう。
介護予防やコミュニティの場として大変効果的であることはまちがいない。
また、仕事として持続的に音読トレーナーの活動をささえるための収入源にもなるだろう。

ほかにも音読トレーナーは行政などと組んで介護予防教室を開いたり、介護施設でリハビリ活動をおこなったりと、さまざまな活動機会がある。
みずから企画して積極的に動けば、仕事の場を広げていくことも可能だろうし、音読療法協会はそんな活動を全面的にサポートしている。
なによりそれは社会貢献活動であり、また自立的な仕事として自分の裁量でおこなえることが魅力ではないだろうか。

呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。4月28日(土)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

介護予防や健康促進ワークに最適な音読ワークをファシリテートできる「音読トレーナー」の資格を取得するための2泊3日の合宿形式講座を4月28日(土)午後から30日(月/振替休日)の三日間にわたって、JR国立駅徒歩5分の会場で開催します。

2018年4月24日火曜日

スマホやタブレットだけでは足りない理由

私が最初にコンピューターを購入したのは24歳のときだった。
NECのPC-8801という機種を、ドットインパクトプリンターや8インチフロッピーディスクドライブとともに買って、セット全部で100万円以上した記憶がある。
そのとき私は京都でバンドマンをやっていて、けっこう稼ぎがあったのだ。

なんのために買ったのかはっきりとは覚えていないのだが、たぶん、まずは音楽製作に使ってみたかったんだろう。
そのあと、ワードプロセッサとして使いたくて、カセットテープでデータが売られていた一太郎を、これも当時何万円もしたものを買ったおぼえがある。

1981年のことで、振り返ってみればいまから37年も前のことになる。

以来、数々のパーソナルコンピューター、ワープロ専用機、ラップトップ、パームや電子手帳を使ってきた。
現在はMacBookProとiPadとiPhoneに落ち着いている(これも将来どうなるかわからないが)。

スマートホンやタブレットしか持っていない人も多くなってきた。
どちらも性能はパソコン並みかそれ以上のものがあり、アプリを駆使すればパソコン以上に利便性がある。
なんに使うのか目的がはっきりしている場合、これほど軽量コンパクトで機動性がある端末はない。
ラップトップがいくら軽くなったといっても、スマホやタブレットにはおよばない。

私も外出時にはスマホとタブレット——ときにはiPhoneをポケットに突っ込んだだけの手ぶらで出かけることもある。
それでも連絡や調べもの、ブラウジングやちょっとしたメモ書きにはなんの支障もない。
なにより常時ネットにつながっているのが機動力を発揮する。

しかし、かといってパソコンを手放すかというと、そうはいかない。
ちょっとした仕事ができそうな時間があるときは、重いけれどもリュックサックにMacBookProを突っこんで出かける。
スマホやタブレットは便利に使っているけれど、いざ仕事するというときには家にいるときとシームレスな環境でやりたい。
私の場合は、執筆、ネット、ブログやウェブサイトの手入れ、音楽や映像や電子書籍の編集といったことだ。
それにくわえて、思いついたアイディアに取りかかってみることも。

やることが決まっていて、その目的にそった作業をするだけならスマホやタブレットで十分なのだが、思いつきに柔軟に対応するにはコンピューターが必要になる。
コンピューターはいわば、なんでもこなせるなんでもマシンだから。
予測できない知的生産性を重視する者にとっては、なくてはならないツールとして手放すことができない。

2018年4月23日月曜日

日本みつばち分封群の捕獲に成功!

町田のあした農場で飼っている日本みつばちが分封した。

昨日、渡辺さんから分封がはじまっていると連絡をいただいた。
午後の遅い時間だったので夜越しするだろうと思っていたら、案の定今朝になっても蜂球が動かないという。
おもむろに車で駆けつけたら、上の椎の木(樫だったかな)のかなり上のほうの枝に蜂球を作っている。
かなり高い枝だったが、前の2度の分封群ほどは高くなかったので、捕獲を試みることにした。

長い竿というか鉄パイプの先に虫取り網をくくりつけて、脚立の上にあがる。
伸ばしてみると、網は蜂球に十分届く長さだ。
慎重に蜂球の下側からすくいあげるようにしたら、うまいぐあいにどっさりと網のなかに落ちてきた。
そのあと待ち受けにしていた巣箱に移すのにちょっと手間取ったが、渡辺さんにサポートしてもらって、なんとか群の半分くらいは捕獲できた。

女王蜂がはいっているかどうかが賭けだったが、どうやらはいっていたらしく、しばらくすると枝にいた群も巣箱のなかに移っていった。
あらためて夕方に行ってみると、あたらしい巣箱に落ち着いたようで、巣門に仲間を呼ぶ蜂がお尻を突きだしてフェロモンを撒いていた。

雨のかからないテントの下に移したが、このまま居着いてくれるとうれしい。
分封が起こったもとの巣箱を内検してみると、まだかなりの勢いがあって、あと1、2度は分封しそうだ。
渡辺さんの群はすでに2度分封しているが、勢いからいってもう1、2度分封しても不思議はない感じだ。

この先、分封が起こったとき、同様にかなり高い枝に集合する可能性が大きいが、今日の方法を使えぱ相当高いところでも捕獲を試みることができそうなので、チャレンジしてみたい。

いずれにしても、あした農場というすばらしい環境で、農薬の心配もなくすくすくと育っているみつばちたちを見るのは、この上ない幸せだ。
すべての大地がこのように安全で幸せなものになればいいのに、と思う。

【RadioGiraffe】Vol.4 佐渡教会牧師でNVCの伝道者でもある三村修氏に聞く

日本キリスト教団佐渡教会の牧師であるみむぅこと三村修さんに、NVCとの出会いや現在の活動、そして平和活動である佐渡ピースキャンプのことなどを、じっくりとうかがいました。
聞き手は水城ゆう。

映像はこちら

NVCジャパンネットワークの公式ウェブサイトはこちら

2018年4月21日土曜日

春バテ?

最近よく、「春バテ」ということばを聞く。
「夏バテ」というのはなじみがあるが、「春バテ」は今年になって初めて聞いた。
みなさんはよく聞くのだろうか。
すくなくとも私は耳慣れないことばだった。

春バテというのは、この季節特有の寒暖差や環境の変化などによるストレスの増大が原因で、体調をくずしたり、精神面が不安定になったり、やる気が出なくなったりする現象らしい。
個人的には花粉症や、黄砂などもまじった埃っぽい空気なども、それに追い打ちをかけるような気がする。

ようするに、自律神経の乱れが増大し、神経系の不安定、体調の不安定、免疫力の低下を招く状態だろうと推測できる。
自律神経の乱れによって、睡眠障害や摂食障害、消化器系の不調などが起こることも、当然予想できる。

昔の人は春先にアクや苦味の強い山菜を食べたが、ひょっとしてそれは一種の薬膳であり、デトックス効果があるのかもしれない。
われわれ現代人も、現代生活なりにこの季節はなんらかの対処法をこころがけたほうがいいだろう。

自律神経の乱れを整えるには、昔の人がよく知っていたように、呼吸法がまずは手っ取り早い効果が期待できる。
自律神経を整える呼吸法を含む音読療法には、表現療法や認知行動療法につながる効果的なスキルが組みこまれていて、おすすめしたい。
なにより私自身がこれに助けられているし、ガンなどのさまざまな病気の予防や介護予防として自分もおこなっている。

これを必要としている人や興味を持ってくれた人は、音読療法協会がおこなっている音読カフェやボイスセラピー講座を、まずは体験してみてほしい。

駒場の住宅街の一角の、隠れ家のようなステキ空間「アカシデカフェ」にて、月1回の音読カフェを開催します。声をだす楽しさ、よろこびを味わいつつ、コアマッスルを鍛え、免疫力をあげていくレッスンです。毎月第4木曜日の19〜21時。

YouTube:うふTube2 Vol.2「蛍の光」

Oeufs(うふ)による歌とトークによる番組「うふTube2」の第2弾です。
今回取り上げたのは、唱歌「蛍の光」です。
トークとともにお楽しみください。

 曲  :蛍の光
 作詞 :稲垣千頴
 原曲 :スコットランド民謡

 うた :伊藤はるか
 ピアノ:水城ゆう(アレンジも)

映像はこちら

こちらの番組は音声のみのラジオ番組としても聴けます。
PCやスマホ、タブレットから、直接こちらのURLで聴けるほか、「Himalaya」という専用アプリでも便利に聴けます。
こちらから。

専用アプリで聴く場合は、アプリ内で「うふ」と検索してみてください。
無料です。

2018年4月20日金曜日

作家はアマチュアの頂点

先日、NHKラジオを聴いていたら、いとうせいこうが自著の『「国境なき医師団」を見に行く』について話をしていた。
いわゆるルポルタージュだが、彼が強調していたのは、ジャーナリストの視点ではなく、あくまで作家の視点でこの本を書いたということだった。

彼が引き合いに出していたのは、開高健のベトナム戦争のルポルタージュだった。
私も愛読していた。
開高健のルポルタージュは、ベトナム戦争ものの他に、より多くの読者を魅了した『オーパ!』という釣り紀行があった。
これも私は大好きで、ほとんど読んでいて、いまだに時々読み返したりすることがあるほどだ。

いとうせいこうがいっているように、おなじものごとについてルポルタージュを書いたとしたら、ジャーナリストとライターと作家とでは、まるで違った視点が現れる。
ジャーナリストやライターは出来事の本質や問題点をあぶり出そうとし、それをあやまらずに人々に伝えようとするのに対し、作家の視点は時に問題の本質をそれ、現場の人間のキャラクターや小道具や自分の心情など、ディテールに向けられる。

開高健の『オーパ!』でも、たとえばモンゴルで満点の星空を仰ぎながら、初老に差しかかった冴えない作家としての自分自身を嘆くようなシーンが出てくる。
釣りとは全く関係がないといえばその通りなのだが、読者はそこのところに共感を覚えたりする(私はぐっときた)。
また極私的なその視点が、逆に問題の本質を違った角度からあぶり出すこともある。

ジャーナリストやライターになるにはそれなりの資質や技術や姿勢が必要となるが、作家はひょっとしてアマチュアの書き手の頂点のような位置づけといってもいいかもしれない。
自分自身のオリジナルな物の見方や感じ方をきわめ、それを正直に無防備に書き尽くすことで、逆に普遍性を持ったり多くの人々に共感を与えたりする。
逆に言えば、すべての人が作家になれるということかもしれない。

私が主催している身体文章塾などでも常々言っていることだが、すべての人が優れた表現者になる資質をもともと持っているし、すべての人が優れた作品を書けるポテンシャルを持っていると思う。
すべての人が作家になれるのだ。
これは断言していい。

テキストで自分自身を伝えるために、自身の身体性とむすびついたことばや文体についてのさまざまな試みをおこなっています。4月の開催は22(日)19時から約1時間半程度です。

2018年4月19日木曜日

睡眠時間6時間になってきた

Sleep Cycle という睡眠記録アプリを目覚まし時計代わりに使っている。
目覚まし時計としても便利なのだが、ほかにもいろいろ機能がある。
たとえば、睡眠の深さを波形表示で記録してくれる。

たぶん、振動を見ているんだろうと思うが、布団の下や近くに置いておくだけで、睡眠の深さを計測してくれる。
あまり動かないときは波形が深くなり、睡眠も深い、もぞもぞと寝返りを打ったり動きがあるときは波形が浅くなり、睡眠も浅いというわけだ。

これを見ているといろいろおもしろいことに気がつく。
一般にいわれているように、REM睡眠とノンREM睡眠のリズムは本当に90分くらいのサイクルで繰り返されているようだ。
眠りはじめのときが一番深く、サイクルを繰り返しながら徐々に浅くなっていく。
最後は完全に目が覚めてしまう。

完全に目がさめるのが、最近は眠りはじめから約6時間になってきている。
よく歳をとると睡眠時間が短くなるといわれるが、私の場合、どうやら本当らしい。
ただし、6時間睡眠だと昼間にかならず眠くなるので、ほんの10分だけタイマーをかけて昼寝する。
それであとは夜まですっきり。

夜の10時か11時くらいに就寝して、朝の4時か5時には起きて、プライムタイム。
ゆっくりお茶入れて、集中して仕事して、しっかり朝食とって、雑事もすませて、運動する。
午前中はこんな感じですごしたい。

ところで、夜型人間は朝型人間より10パーセントも短命らしいね。

2018年4月17日火曜日

iPadにすばやくPencilでメモする方法

iPadとApplePencilの組み合わせで、手書きメモやお絵かきなど楽しく使っているが、これは知らなかった。

iPadに手書きでメモを取ろうとするとき、これまでは、iPadのホームボタンを押して指紋認証と同時にホーム画面を表示させ、メモやノートアプリなどを起動して新規画面を追加し、そこにPencilで書きこむ、という手順だった。
あらためて書いてみるとわかるが、けっこうな手間で、手順が多い。

最近知った方法。
iPadの電源オン/オフスイッチを押し、待ち受け画面にする。
Pencilで画面を二度タップする。
これだけ。

自動的にメモが立ちあがり、すぐにメモが書ける新規ページにすでになっている。
そこに必要なことを書きつければ、メモに蓄積されるし、クラウドで同期もされる。
追加されたメモはあとで整理できるし、MacBookやiPhoneからも閲覧できる。
これからちょくちょく使うことになるだろう。

あたらしい企画やら依頼やらたくさん(嬉)

昨日は国立春野亭での韓氏意拳養生功講習会を、駒井先生をお迎えしておこなった。
月に一回の講習会だが、昨日は参加者が全員女性だった。
女性でも参加しやすい武術の稽古なのだが、稽古がすすんでいけばそれなりに厳しい世界へも進入することができる、奥行きのある体系だ。
私はもう五年やっているが、飽きるということがない。

それ以外に、今日はあたらしいコラボ企画や提案を思いついたり、そのことについて人と相談できた日だった。
数年前から共感カフェに参加してくれているひさこさんと、彼女が専門としているハンドマッサージとアロマテラピーを私の共感イベントとコラボできないかと思いたって、訊いてみたところ、可能性が広がって楽しくなってきている。

個人セッションの依頼があいかわらずつづいている。
基本的に国立においでいただいたり、オンラインで話を聞いたりすることが多いのだが、なかには自宅から離れることができない事情があるかたもいるので、そういうときは私から出向くことになる。
ここ数日、そんな依頼が複数つづいている。
必要とされている場におもむくのはうれしいことだ。

ほかにもまだ形がはっきりしていない企画や、はっきりして告知するばかりという企画が進行中だ。
若い人との協力関係や遠方の人とのやりとりもあって、わくわくするのはいいが、またスケジュールが窮屈になって集中できなくなってしまうおそれもある。
きちんと整理してクリアにしていきたい。
こんなときこそマインドフル手帳術——あらため共感手帳術か。

なかでも一番大きな新企画が5月22日夜に国立市の公民館で開催する朗読と音楽のコンサートだ。
私たち現代朗読協会が表現としておこなっている朗読のアプローチについてもっと知ってもらいたいのと、そもそも朗読と音楽をさまざまな人に楽しんでいただきたいという願いで、無料開催するものだ(公民館はそもそも有料イベントができないらしいが)。
みなさん、ぜひおいでいただきたい。
詳細は近日発表します。

2018年4月15日日曜日

2年前のブログ記事を読み直して驚いた

フェイスブックのタイムラインに、時々何年か前の自分のトピックが勝手に発掘されて表示されることがある。
先日は自分が2年前に書いた共感的コミュニケーションについての覚書というか記事が再掲載されてきた。

読んでみると、内容もその書き方――語り口――も、いまとはだいぶちがう。
私のように日常的に大量の文章を書いている人間でも、二年でその語り口はけっこう変化するものなのだなあと、ちょっとびっくりした。

読んでみると、いまとはちがうのは、明らかに自分とは違うかんがえにたいする軽いいきどおりがふくまれていたり、いらだちが見え隠れしている。
まだまだ自分とのつながりが薄かったんだなあ、と思う。

じゃあ、いまはどうなんだ、と自分を問うてみれば、それははっきりわからない。
二年後にこの文章を読みかえすと「まだまだ」と思うかもしれない。
いやたぶんそう思うだろう。

なにかを書いて残すというのは、現時点での自分自身のかんがえであり、それを表現することにベストを尽くすしかないわけだ。
数年後の自分の成長や変化を見据えて先取りして書くなんてことは、もちろんできない。
いまこの瞬間の自分から出てくるものを、正直に、ありのまま差し出すしかない。
それとて、本当にきちんとやろうとすると、けっこう大変なのだ。
だから、きちんとやりたいという自分のニーズは理解しつつも、楽しんでのびのびとやれたらと思うのだ。

その点、作家はライターやジャーナリストとちがって気楽なところがあるといえる。
作家でよかったな、と思う。

2018年4月14日土曜日

人から頼られるということ

ここ数年、つづいていた定期開催の共感カフェをいくつか閉じはじめているが、それと反比例するように個人セッションの依頼が増えてきた。

10年くらい前にマーシャル・ローゼンバーグのNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)というものを知り、学び、練習し、自分でも気づいたことを書くようになった。
この「書く」という行為は、その過程でNVCにたいする理解を深める役にたった。
なにごとかを書いてみようとするとわかるが、なんとなく理解していたり、体験したりしていることを、そのまま人に伝えるためには書けない。
人に伝え、理解してもらうためには、そのことにたいする理解と体験を整理し、クリアなストーリーにしておく必要がある。

もともと書くことが仕事だった私は、さらに書くことで人に伝えたくて、自分自身の体験の場を広げていった。
多くの事例を知るとともに、私自身の共感練習にもなったと思う。
共感的コミュニケーションは知り、学ぶだけでなく、実際に練習し、実生活のなかで試み、身につけていく必要がある。

その過程で、ひと前で話せるような一般的な事例だけでなく、非常にプライベートで扱いがデリケートだったり難しかったりする問題について、相談されることが増えてきた。
個人的で精神的な問題な、内密にしたい対人関係の問題など、オープンな場では話せないような問題を抱えている人が、私を頼ってくれるようになってきた。

とてもありがたいことだが、そこには緊張もある。
その人にとっては重大な人生の問題を、私が共感し聞くことで、その人自身がなんらかの解決策に気づいたり、自分自身につながるお手伝いをするわけだ。
いいかげんな態度で接することはできない。
かといって、身を乗り出して相手にプレッシャーを感じさせるようなことでもいけない。
私はただ私自身でありつづけ、厳しくその場にいつづけることで、安全で安心な共感の流れを作ることをこころがける。

韓氏意拳という武術から学んでいることだが、自分の能力を最大に発揮するためには力んでもだめだし、かといってだらけたり、ばらけたりしていてもだめだ。
すみずみまでゆきわたり、充満した気づきが必要だ。
おなじことが、対人共感においてもいえる。

本当に自分の能力をまんべんなく発揮できる機会をいただいて、緊張すると同時にありがたいと思っている。
いかんなく自分を発揮して、結果的にそれがだれかの役に立つことが、私の最大のニーズのひとつといっていい。

ギフト制によるレッスン/個人セッション
対面でもオンラインでも、レッスンや個人セッション(ボイスコーチング)をおこなっています。メールでもメッセージでも気軽にどうぞ。お待ちしてます。興味のある方はこちらの詳細ページをご覧ください。

2018年4月13日金曜日

今日は実家音読カフェ

北陸の実家のリビングで近所のかたに声をかけて、毎月一回、音読カフェを開催している。
今日はその日。
毎回、常連のかたがほとんどで、私と同年齢から80歳のかたまで比較的高齢。
高齢ではあるけれど、それなりにお元気なかたばかりなので、音読ではちょっと追いこんでみる。

前回、夏目漱石の『永日小品』から「火事」という短編を全編、みんなできっちり音読し通して楽しかったので、今回は宮沢賢治をやってみる。
前回の「火事」では、小説家の私ならではの視点から作品解説をちょっとやってみたところ、大変好評だったので、今回も作品解説をやってみようかな。

音読療法では、音読トレーナーたちに自宅カフェの開催をおすすめしているが、それぞれ自分の持ち味を生かした内容にすればいいと思う。
私なら小説家の視点から文学作品の作品解説を、料理が得意な人はなに一品出したり、朗読やお芝居が得意な人はちょっとした表現発表をしたり、紙芝居やミニゲームをしたり。
いろいろ楽しくする工夫ができるだろう。

今月末はボイスセラピー講座と音読トレーナー養成講座を開催するので、興味があるかたはご参加ください。
音読セラピー仲間をもっと増やしたいと思っている。

4月28日:ボイスセラピー講座@国立
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。4月28日(土)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

4月28・29・30日:音読トレーナー養成講座
介護予防や健康促進ワークに最適な音読ワークをファシリテートできる「音読トレーナー」の資格を取得するための2泊3日の合宿形式講座を4月28日(土)午後から30日(月/振替休日)の三日間にわたって、JR国立駅徒歩5分の会場で開催します。

自分のからだのことで最近気づいたこと

ずいぶん前から一日二食生活に落ち着いている。
もう十年以上つづいているんじゃないだろうか。
一日三食とらなきゃというのは、現代人にすりこまれた強迫観念で、産業革命以降に作られた社会習慣だ、日本も江戸時代以前は一日二食だった、というような話を読んだり聞いたりして、たしかに運動量もそんなにない現代人は一日二食か、ひょっとして一食でもいいんじゃないかと感じていた。
そしてたしかに、一日二食でまったく不都合はなかった。
不都合がなかったばかりか、体重は増えもせず、減りもせず、ぴったり安定していて、これでいいのだと思っていた。

しかし、ここしばらく、なんとなく違和感をおぼえている。
その違和感は武術をはじめたここ五年くらいに生じてきたようだ。

体重は安定しているのに、運動したりトレーニングして当然つくと思っていた筋肉が、いっこうにつかないのだ。
まあ年齢もあるし、筋肉がつきにくいのはしかたがないなと思ったりしていたのだが、それにしてもおかしい。
私としては、体脂肪を落として筋肉量を増やしたいのだ。
その結果、体重が多少増えるかもしれない。

ごく最近気づいたのは、運動したりトレーニングして筋肉量を増やそうとしても、それに見合っただけのインカム(タンパク質摂取)がないので、増えないのかもしれない、ということだ。
年寄りによくある、筋肉量が落ちていく感じのやせかたになってしまっている。
もっとも、運動量が少ないので、体重の減少を脂肪量の増加でおぎなっている。

ようするに、食べる量が少ないのだ!

しかし、食べる量を増やすと、体重が増えてしまう。
いやいや、筋肉で体重が増える分にはかまわない。
脂肪を増やさずに筋肉量を増やすには、食べる量を確保しつつ、より運動負荷を増やせばいいのだ。
ということに、最近気づいた。

そんなにたくさん食べられない、というときには、プロテインなどという便利なものもある。
タンパク質の摂取量を増やせばいいのだろう。
運動負荷も増やしつつ。

というわけで、運動量と運動負荷を増やしつつ、タンパク質の摂取量を増やしていったら、どんなふうな変化があらわれるか、ちょっとやってみようと思っている。
なにか変化が見えたらまた報告する。

2018年4月12日木曜日

手帳で共感練習、文章で自分につながる

マインドフル手帳術ワークショップと共感文章講座をつづけて開催した。
手帳術はつぎの日曜日・15日に名古屋天白の〈アロマファン〉でも開催するし、本格的な講座が5月末にスタートするので、興味があるかたはそちらもどうぞ。
近日告知スタートします(5月27日から4週連続で)。

マインドフル手帳術のワークショップは3年くらい前から断続的にやっていて、活動拠点を国立春野亭に移してからは今年になって再開したものだ。
あらためてやってみたところ、参加のみなさんからはとても喜んでもらえたり、あるいは内容についての気づきをいただいたりして、私自身もさらに充実した方向で体系化できるのではないかという手応えを感じている。
しっかりと体系化した上で、あらためてワークショップというより講座の形でみなさんにお伝えできればとかんがえているところだ。

体系化ということでは、共感文章術もそうだ。
テキストコミュニケーションにおいてマーシャル・ローゼンバーグのNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)のかんがえかたを導入したとき、どのようなことができるのか、その可能性を明らかにするための体系化をやってみたいと思っている。
すでに何度かワークショップをおこない、参加のみなさんの協力をいただいて知見が蓄積しているし、なにより私自身の長年の作家活動やネット活動の経験の蓄積もたっぷりとある。

もっとも、経験を積んでいるからといってそのことを体系化できるかどうかはべつの話となる。

ともあれ、マインドフル手帳術で共感的コミュニケーションを実用レベルで身につけ、本当の意味で身体化したり、自己共感を習慣化できることを、それを必要とする人に知ってもらいたいと思う。
また、共感文章術でテキストコミュニケーションにおいてトラブルを回避したり、あるいは対立を解消したり、自分自身を伝えることをおそれなくなったり、といったことを身につけてもらえればありがたい。
そのような世界が自分のまわりにあると、私自身楽しいし、みなさんといきいきとつながることができるだろうと思うからだ。

2018年4月11日水曜日

映画:アトミック・ブロンド

2017年公開の合衆国映画。
監督はデヴィッド・リーチで、キアヌ・リーブスの「ジョン・ウィック」の制作に関わったりもしているスタントマン出身。
主演はシャーリーズ・セロン。

いわずと知れた美人でスタイリッシュな女優だが、近年はなぜか非常に癖の強い配役が多く、またそれが印象強い。
とくに「マッドマックス 怒りのデス・ロード」で演じたフュリオサ大隊長役は強烈な印象で、メインキャストであるはずのマッドマックスを完全に食っていた。
そして大ヒットした。

この大ヒットが、セロンの影響力を高めたらしい。
セロンは自身は出演していないキアヌ・リーブス主演の「ジョン・ウィック」が気にいっていて、その監督であるデヴィッド・リーチを「アトミック・ブロンド」の監督に指名したという。

私としては「ミニミニ大作戦」の繊細な錠前破り役や、「プロメテウス」での悪役が印象に強いが、「ダーク・プレイス」での複雑な陰影を持つ汚れ役もよかった。

「アトミック・ブロンド」についていえば、鍛え抜かれたセロンのアクションや姿態を存分に発揮された作品だとは思うが、ストーリーが複雑で、ストレートな楽しみはそがれているように感じた。
舞台設定が1989年の壁崩壊直前のベルリンを中心としていることもあって、現代史を踏まえたエピソードが織り交ぜられていて興味深い部分もあるが、スパイ合戦を描いていて敵と味方が入り混じるややこしさがある。

とにかく、美しいセロンが痛めつけられるシーンが多く、それは意図的なのだろうと思うし、観客サービスの一種なのだろうが、痛いシーンが苦手な人にはつらい映画かもしれない。
エンタテインメント映画としては、やや手放しでは楽しめない部分がいなめないだう。

2018年4月10日火曜日

なにごとかを体系化するということ

武術にせよ、療法にせよ、勉強法にせよ、世の中には多くの人がそれを稽古したり身につけたりするために体系化されたものがたくさんある。
体系化をした人がいるということだ。
たとえば私も、音読療法というものを体系化している。

音読という手法が健康法や予防法として、あるいは介護予防法として有効だとわかったとき、それがなぜ有効なのか裏付けを取り、まただれもが理解したり身につけたり応用できるように体系化して明確にしておく。
体系化の作業はじつはなかなか骨の折れることで、かなりの経験や知識、現場の実績が必要になってくる。
すくなくとも音読療法に関してはそのようなことが必要だった。

なにごとかの体系化はなかなか骨の折れる作業だけれど、私はやりがいのあることだと感じている。
自分の経験や知見を、普遍性のある形で体系化し、それを必要とする人に伝わるように残しておく。
私が作ったある体系は、私の成功体験を形にしたものだといいかえてもいい。

武術における「型」や「式」なども、そういえる。
先人の成功体験が体系として残っているのだ。
ある体系をまなび、身につけるというのは、先人の成功体験をふたたび自分が体験するということでもある。

いま私が体系化することに情熱を感じているのは、「マインドフル手帳術」と「共感文章術」だ。
手帳術はたくさんあるけれど、マインドフルネスと共感的コミュニケーションに私独自の体験や他者の知恵を盛りこんでオリジナルの体系にしたものは、まだないはずだ。
どのような人でも毎日をクリアにし、自分自身といきいきとつながり、また共感的に自分とまわりの人々と接するためのスキルを身につけるのに、とても効果的な体系だと思う。

また、共感スキルをテキストコミュニケーションに応用する共感文章術は、テキストでの交流の場面が劇的に増加しているネット時代の私たちにとって、人間関係を円滑にし、自分自身を的確に伝えるために有効で、かつ必要なスキルだと思う。

これらを近いうちに、コンテンツ(本と講座)として、これまで以上にきっちりと体系化したものをお届けしたいし、できるのではないかと思っている。

2018年4月8日日曜日

韓氏意拳の高橋透先生に治療してもらった

体調はいたって好調なのだが、さすがに寄る年波には勝てないという感じなのか、左肩が痛くなって腕があがらなくなったり(原因は頚椎管狭窄)、昔複雑骨折した右膝の具合がよくなかったり(右腓骨骨折は完治した)、いまは数年前から断続的に悪化したり回復したりを繰り返している左肘の故障が悪化してきていた。

いやしかし、本当は加齢が原因なのではない。
自分の身体の使い方や癖の無自覚が原因なのだ、ということが、透先生の治療を受けてはっきりわかった。

肘の故障は、まず左からはじまって、あまりに悪化してほとんどものも持てなくなったとき、しかたなく近所の病院の整形外科に行った。
まあでも、やることは予想していたとおり、レントゲンを撮って(もちろんそれで治るわけではない)、電磁波をあてて患部を温めて、湿布薬を大量に処方してもらって終わり。
何度か行って改善しないので、ステロイド注射を打たれた。

これは痛かった。
が、よく効いた。
左肘の痛みは数日で消えた。
しかし、故障の原因を取りのぞいているわけではなく、あくまで対症療法なので、しばらくしたら再発した。
あたりまえだ。

山形で治療院をやりながら韓氏意拳も教えておられる高橋透先生が、昭島のK-STUDIOでしばしば治療会をやっておられて、今回行ってみることにした。
以前、透先生に紹介されて、新橋の清水治療室に何度か行き、膝を診てもらったことがある。
頭蓋仙骨療法というのだろうか、西洋医学信奉者から見れば「怪しい」ということになるのだろうが、韓氏意拳も6年めとなる私としてはその考え方もすこしわかるし、エビデンスもある。
西洋医学的対症療法のようなはっきりした「手ごたえ」はないけれど、たしかになにかが変わり、また長期的な効果があるような気がする。

今回は左肘の故障を診てもらったのだが、肝心の左肘はほとんど、というかまったく触らない。
頚椎や股関節、肩関節、背中などに触れながら、ちょっとだけ動かしたり、調整したりする。

治療を受ける前はけっこうな痛みで、ものをつかんだり腕をあげるのにも苦痛だったのが、治療後ははっきりと変化している。
左肘だけでなく、身体全体が調整された感じがする。

治療の過程で透先生から教えてもらったのは、私の肘の故障はおそらく、肩甲骨の固定や左肩を無意識にあげて固めてしまう癖から生じているだろう、ということ。
いわれてみれば、たしかにそんな癖がある。
韓氏意拳の稽古でも、肩があがってしまうことをしばしば指摘される。
これは精神的なこと、たとえば自分では自覚していない緊張があることなどから来ている癖かもしれない。

癖をすぐにやめることは難しいが、自分にそのような癖があると認知していることは、癖の改善にとても役立つ。
そこを注意深く見ていって、この肘の故障がどのように改善されるのか、あるいは改善されないのか、明日からじっくり付き合ってみようと思っている。

映画:リピーテッド(Before I Go To Sleep)

2014年公開のイギリス、合衆国、フランス、スウェーデン合作の映画。
スウェーデン、なぜ?

監督はローワン・ジョフィという人で、私はまったく知らない。
原作小説があって、S・J・ワトソンの『わたしが眠りにつく前に』の原題「Before I Go To Sleep」がそのまま映画のタイトルになっている(日本語タイトルは別につけられた)。映画に先んじて世界的ベストセラーになっている。

なぜこの映画を観ようと思ったかというと、制作総指揮がリドリー・スコットなのと、主演がニコール・キッドマンだったからだ。
ニコール・キッドマンといえばオーストラリア出身の押しも押されもせぬ人気女優といってもいいだろう。
「めぐりあう時間たち」「アイズ・ワイズ・シャット」「オーストラリア」「私が愛したヘミングウェイ」など、アカデミー受賞も多い。
個人的には実験的な映画「ドッグヴィル」と「ザ・インタープリター」が印象深い。

「リピーテッド」では記憶障害を持つ女性を演じている。
一日の記憶を眠りにつくまでしか保持できない。
翌朝目がさめると記憶はまっさらになっていて、20代前半までの若いころの記憶しかなくなってしまうという障害だ。
その障害にいたった事件が、映画のストーリーと深くかかわっている。

映画の最初では記憶がまっさらで目覚めた主人公が、見知らぬ男といっしょに寝ていて、男は「自分は夫で、毎日記憶がまっさらになってしまいきみの世話を何年もつづけている」という。
いささか混乱する話だが、事情がしだいに明らかになっていくとともに、謎がつぎつぎと出てくる。
映画全体を覆う暗いトーンが、サスペンス色を濃厚にしている。

まったく笑える場面のない、シリアスな、暗い映画で、楽しめるかというとなかなかそうはいいきれないが、ストーリーは凝っていてよくできている。
しだいに明らかになっていく謎も、やっぱりそうか的な面はあるものの、展開と人物配置が丁寧にされていて、引きこまれる。

2018年4月7日土曜日

みつばち分封捕獲失敗、朗読ゼミ、手帳術WS、個人セッション

今日(4月7日)は長い一日だった。
午前10時から国立公民館で、来月の地下ホール使用のための利用調整会に出ようと準備していたら、あした農場の渡辺さんから電話がかかってきて、日本みつばちの分封がはじまったという。
よりにもよって予定が立てこんでいる土曜日にそれが起こるとは。
昨日か明日だったらよかったのに。

などといっても自然相手のことなのでどうすることもできない。
とりあえず車を飛ばして駆けつける。
公民館へは野々宮に行ってもらうことにした。

来月の地下ホール使用というのは、5月22日の夜にこちらで朗読と音楽のリサイタルをやろうということになったからだ。
なんと無料リサイタルだ。
こちらについてはあらためて告知させていただく。

あした農場に行ってみたら、分封群はすでに蜂球を作っていた。
しかも、はるか樹上20メートルはあろうかという高所の枝の又のところ。
とてもじゃないが届かない。
長い竿につけた網でも届かない。

分封は近いうちにもう一群にも起こるはずだし、こちらの群もあと何度か分封する可能性はある。
今回はあきらめるとして、今後どのような対処策があるのか、あらかじめ調べて準備しておこうということになった。

国立にもどり、すでに始まっていた現代朗読ゼミに合流する。
奈良から音読トレーナーの菊地朋美が参加してくれた。
いつものように身体に注目しながら、ともちゃんが気になっているという呼吸についてのエチュードをいくつか試みてみた。
参加者それぞれにあらたな気づきがあったようだった。

国立のラーメン屋〈くぬぎ〉にみんなで行ってみる。
有名な店らしいが、私はこれまで行くチャンスがなかった。
今日は行けてよかった。
魚介だしの濃厚なラーメンだった。

午後はマインドフル手帳術のワークショップを開催。
リアル参加の人たちにオンライン参加もひとり加わって、ちょいにぎやかに。
今日は全員が共感的コミュニケーション(NVC)をある程度知っている人だったので、そちらの説明は必要なく、さくさくと進行した。
おかげで、丁寧さに欠けている部分や、NVCを知らない人にどのように伝えるか、どういうふうにワークを組み立てるかのヒントがたくさんもらえて、私にとってもありがたい時間だった。

終了後は個人セッションをひとり。
いまやれていることとこれからやりたいことのギャップにどのように対処するのか、共感コーチングをおこなったが、内容とは別に、ひさしぶりに私を頼って話を聞いてもらいたいといってきてくれたことが、私にはとてもありがたくうれしい。

今日もお祝いたくさんの一日であった。
みなさんに感謝。

定期開催共感カフェ、ふたつめ終了

今月にはいってから定期開催している共感カフェをいくつか、世話人の方々にお願いして閉じさせてもらっているが、その2つめとなる東松原の寿美ちゃんち共感カフェが先日終わった。
2年近く続いただろうか、星寿美さんを世話人として、毎月開催してきた。

寿美ちゃんとは東松原の小春食堂でたまたま出会ったのが始まりだった。
小春食堂でも何度か共感カフェを開催したが、その後寿美ちゃんの自宅のリビングに移動した形になった。
こじんまりとした居心地のいい空間で、参加者はしだいに気心の知れた関係になっていったように思う。

最終となった先日も、スタート当初から来ているみきちゃんや、最近続けてきてくれるようになった何人かが集まって、いきいきとした会になった。
初めて参加する人もいたけれども、寿美ちゃんちカフェは初めてだったが私の他の共感カフェには何度か参加していてくれる人で、まったくの初心者というわけではない。

寿美ちゃんのLINEでやりとりしている人とのちょっとしたすれ違いのエピソードから始まって、家族との関係でシビアな問題を抱えている人にみんなで共感する濃密な時間が続いた。

武蔵小杉の会もそうだったが、このように少人数で毎月繰り返し同じメンバーで学びを深めていくような会は、知らず知らずのうちに皆が共感力を身に付け、それを実践的に使えるようになっていく。
そんなようすを見るのは、案内人の私としてもとてもお祝いに満ちた時間となった。
私がこの場に通っていた意味、この場に貢献できた成果、そんなことを自分自身と参加の皆さんとともにお祝いしていた。

グループワークとして皆さんに共感的コミニケーションをシェアしたり、共感しあったりする場を作っていくのは縮小するけれども、私自身はまだまだ自分の能力を生かし切りたいという望みがある。
できれば、より切実に共感を必要としている人に向かいあったり、役に立っていければいいと思っている。
またより多くの人に共感的コミニケーションを広く伝えるために、もっと著作を頑張ったり、コンテンツ制作を充実させていきたい。

いずれにしても、私の能力を必要とししている人には喜んでサポートしていきたいと思っているので、これまで以上に気楽にお声掛けいただきたい。
皆さんからのご連絡をいつでもお待ちしております。

4月21日:共感音読カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会、4月の開催は21(土)14時/23(月)11時、いずれも約3時間です。

2018年4月6日金曜日

【RadioGiraffe】vol.3 名古屋・京都など出張ワークの西東万里に聴く

NVCジャパンネットワークのコアメンバーであり、自身も講師として呼ばれてNVCの学びの場に出かけることが多い西東万里に、4月なかごろの京都と名古屋でのワークと、ゴールデンウィークの渥美半島でのリトリートについて、話を聞きました。
どちらもおすすめの魅力的なワークです。
ちなみに、西東万里は野々宮卯妙という別名で朗読家としての活動や、音読療法士としての社会貢献の仕事もおこなっています。

映像はこちら

NVCジャパンネットワークの公式ウェブサイトはこちら

個人セッション「お金がないけど相談したい」に喜ぶ

とても大事な、シビアで深刻な問題をかかえたかたたちから、個人セッションの申し込みがつづいている。
プライバシーのために内容の詳細については書けないけれど、いまの私の共感的能力がだれかの役に立てるかもしれないというシチュエーションは、私にとってもありがたく、しかし緊張もある場面だ。

パートナーとの問題、職場での同僚や上司との関係、親子関係の問題などなど。
時間を区切られた切迫した問題について緊急に話を聞くこともある。

先日も緊急の問題について話を聞く必要があって、しかしその日にかぎって私には予定がつづいていて、お互いに取れる時間がお昼休みしかなかった。
移動とお昼ご飯に使う予定の1時間を、お昼ご飯はあきらめて移動しながら話を聞くことにした。

待ち合わせの場所にやってきた人は、私のために手作りのお弁当を持ってきてくれた。
これはうれしかったな。
私にたいする深い気遣いを感じてありがたかった。
そして話ができたことで、「落ち着いた」といってもらえて、私の貢献やサポートのニーズも満たされた。

なかにはサポートしきれないうちにセッションを打ち切ってしまう人もいる。
たいていその理由は、「仕事をやめたので経済的余裕がなくなった」というようなものだ。
それを聞くと私はとても悲しくなる。

「お金がないから相談できない」
ではなくて、
「お金がないけど相談したい」
といってもらえると、どれほどうれしいことか。
実際にそのようにいってもらえる人もいるし、喜んで私も話を聞く。
もしセッション・フィーを払えないことに気がかりが残ったとしたら、後日ゆとりができたときに払ってくれればいいし、お金以外にも私のニーズに貢献できることはいくらでもある。
相談してくれればうれしいのだ。
いや、本当に。

◎水城ゆうの個人セッションの申し込みはこちらから。


【追記】
フェイスブックでコメントをいただき、それにたいして私が返信した内容を追記しておきます。

コメント「“お金以外にも私のニーズに貢献できることはいくらでもある”
とは、たとえばどんな事だろう…?」
水城の返信「たとえば、私は自分の活動やコンテンツを人に知ってもらうのにとても苦労しています。私の活動やコンテンツをシェアしたり知り合いに伝えてくれたりするだけで、すごく助かるよね。そんなこと、たくさんあるのよ〜」

2018年4月5日木曜日

共感的コミュニケーションを身につける確実で効果的な方法


かねてから共感カフェの参加者には伝えていることだが、共感的コミニケーションを確実に身につけたければ、毎日、手帳やノートにその日の出来事や気がかりのあることなどを、自分の気持ちとニーズをセットにした形で書き留めてみる、振り返ってみるといい。
つまり、書くことで自分の気持ちやニーズを言語化し、クリアにする練習ができるのだ(もちろんそのことで抜け落ちることもあるのだが、それはまた別の話だ)。
私自身もそのような方法を練習し、共感を身につけてきた経緯があって、この方法が効果的であることを体感している。

マインドフル手帳術では自分の気がかりややらなければならないと思っていること、やりたいことなどを全て書き出し、それらをニーズごとに分類することで、自分の人生や日常をすっきりとさせることを試みる。
その過程で自分のニーズにつながる練習が効果的にできる。

共感文章講座では、自分が書いたもの、あるいは書こうとしているものにどのような感情とニーズのセットがあるのか、それをまず明快にしてから、書き直しをしてみる。
そのようなアプローチのワークをすることで、自分の文章が驚くほど変化し、またオリジナリティーを持ちはじめることに誰もが驚く。
なにより主催の私が毎回、みなさんの変化にびっくりしている。

いずれにしても、文章を書くこと、テキストで自分自身に共感すること、これらは非常に有効であり、練習方法としてはかなり強力だということを実感している。
共感的コミュニケーションの学習を始めてみたけれど、なかなか自分につながることができないというかたや、長年練習をしているけれども実践につながりにくいと感じているかたは、ぜひテキストを使った共感練習ができるこれらの方法を試してみてほしい。
今週末はつづけてふたつのワークをおこなう予定だ。

国立駅徒歩5分の会場で、午前11時からランチタイムをはさんで午後4時まで、共感的コミュニケーションの「自己共感」スキルをもちいた画期的な「マインドフル手帳術」の実践ワークショップをおこないます。ひさしぶりの開催となります。

4月8日(日)午前11時から約5時間、共感文章講座を開催します。水城ゆう( mizuki-u.com )が長年つちかってきた文章術、指導法に加えて、共感的コミュニケーションにもとづいた共感のプロセスも取りいれたユニークな方法を練習します。オンライン参加も可。

2018年4月4日水曜日

ソファにふんぞりかえったまま音声入力で執筆

原因はよくわからないのだが、左肘の故障が悪化してきたので、再び音声入力による執筆モードにスイッチングしている。
この記事も音声入力で書いている。
ただし、前に紹介した方法と少しちがうやりかたでやっている。

前に紹介したのは、Remote Mouse というアプリを使ってiOSからWi-Fi経由でMacBookに入力する方法だったが、今は直接iOS(iPad)に音声入力で執筆している。
これだと、ソファーにふんぞりかえったままでも執筆できる。

執筆用に使うソフトは何でもよいのだが、例えばEvernoteを立ちあげておく。
日本語入力モードにし、スペースバーの左側にあるマイクマークを押して音声入力をスタートする。
あとはどんどん音声で入力していけばよい。
腕を使うことがないので、故障した左肘を痛めることもない。
ずっと背もたれに背をあずけたまま楽に作業できる。

Evernoteの場合クラウドベースで同期されるので、原稿はMacBookにも自動的に転送される。
Evernoteでなくても、アップル純正のメモや、MicrosoftのoneNoteでも、クラウドベースで同期されるアプリであれば何でも良い。

2018年4月3日火曜日

定期開催共感カフェ、ひとつ終了

今月から私が主催で定期開催をおこなっている共感カフェのいくつかを、継続しないことにして、手放していくことに決めた。
昨日はその一つである武蔵小杉での「こすぎの大学おしゃべり部」の共感カフェの、定期開催最終日だった。

こちらの共感カフェは今回で14回目を数え、1年強つづいたことになる。
世話人の高橋さんは、その前の横浜共感カフェの時代からの付き合いで、かれこれ3年以上になるのではないだろうか。
武蔵小杉では高橋さんのご自宅を開放していただき、そこの小部屋に少人数が集まって、毎月内容の濃い勉強会がつづいていた。

リピーターが多く、なかでもゆきえさんは休んだのがインフルエンザにかかったそのときたった1回という熱心さだった。
毎回同じメンバーで勉強会をつづけていくと、しだいに学習内容が濃くなっていき、レベルも上がっていくことがはっきりと感じられる。
これは私にとっても大変大きなお祝いになっているのだが、気がついたり武蔵小杉の常連の皆さんがとても高い共感力を身に付けていてびっくりした。
長らく共感的コミニケーションの場に関わっているけれども、これほど高い共感力を持ったメンバーというのはそうそういるものではない。

武蔵小杉の共感カフェを筆頭として、定期開催を続けてきた場を手放すことについて、私はほとんどなんの心配もない。
すでに皆さんは共感的コミニケーションについて十分学んでいるし、練習も実践もかなり積んできている。
さらにお互いに練習や実践を積んでいけばいいだけだし、新しいメンバーが来たときには私がいなくても、共感的コミニケーションの考え方を伝えたりシェアしたりできるだろうと思う。

共感的コミニケーション(NVC)についての勉強会は日本各地にたくさん生まれつつあるし、また日本人トレーナーも誕生している。
教えられる人はたくさんいるのだ。

教えられる、ということと、実際に共感できる、ということとは、別のことである。
本当に必要なのは実際に共感されたり、共感したりというリアルな体験だろうと私は思っている。

今後私は個人セッションなどでそのような場を作っていきたいと思っている。
また作家であるという職業的利点を生かし、著書などでより精細な事例や考え方を広く提示していくつもりだ。

このあと東松原の寿美ちゃんち共感カフェ、下北沢のかまいキッチン、ステイハッピー、国立の門でのもけご飯付き共感カフェと、順次閉じていく予定だが、もちろんその場がなくなるわけではない。
それぞれの場で育った共感の芽が、私がいなくても育っていってくれることを願っているし、必要がいればいつでもサポートに駆けつける準備があることもお約束しておきたい。

最後のチャンスのどれかにおいでいただけるとうれしい。
どこかでみなさんにお会いすることを楽しみにしている。

4月5日:寿美ちゃんち共感カフェ@東松原
東松原在住で自宅をイベントに開いている星寿美さんが主催する共感カフェの定期開催最終回です。おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートをおこなうおはなし会です。午後2時から約2時間。

新生Oeufs(うふ)のラジオ(Podcast/音声)配信、スタートしました

私・水城と伊藤はるかによる童謡唱歌ユニットの新生Oeufs(うふ)のYouTube番組
うふTube」が先週スタートしましたが、音声のみのラジオ番組(Posdcast)としても配信がはじまっています。

PCやスマホ、タブレットから直接リンクをたどって聴くこともできますが、スマホやタブレットの場合は「Himalaya」というオーディオブックやPodcastを聴くための音声アプリをおすすめします。
だれでも無料でインストールできます。
番組聴取も無料です。

専用アプリで聴く場合は、アプリ内で「うふ」と検索してみてください。
PCやスマホなど直接リンクで聴く場合はこちらから。

2018年4月2日月曜日

【RadioGiraffe】vol.2 大阪のNVC仲間・廣田瑞貴に聴く(Wみずき)

大阪在住で東京にも仕事の拠点を持っている廣田瑞貴さん。
聞き役の水城ゆうとはNVC仲間であり、また現代朗読の仲間であります。
今回は大阪でNVCの勉強会がはじまり、広がっていき、東京の仲間ともつながっていった話や、瑞貴さんみずからアメリカ・カルフォルニアでのLP(リーダーシップ・プログラム)に参加した話など、NVCにまつわる話をたっぷりと聴きました。

映像はこちら

2018年4月1日日曜日

縁側、ととのいました(洋間だけど)

昨日は月に1回、月末に開催している「共感編み物カフェ」を国立・春野亭でおこなった。
最初、だれも参加者がいないな、まあいいや、私ひとりでも編み物やって楽しもうと思っていたのだが、あれよあれよと人が来てくれて、そこそこにぎやかになった。
各務原の澪ちゃんがオンラインで参加してくれたり。

編み物カフェなのに、私以外にだれも編み物していない。
でもまあ、それもいいのだ。
各自がそれぞれ好きなことをやったり、やらなかったり、お茶を飲んだりご飯を食べたり。
とにかく自分自身の居心地がいいことがもっとも重要。

そこではどんな話も共感的に聴いてもらえる。
だれもがジャッジされたり責められたりすることはない。

私はOpal毛糸を使って、靴下に初挑戦。
棒針編みがまだ上手にできないので、かぎ針の編み図を探して、それで編んでみた。
まだ完成していないが、サイズが大きすぎるかなあ。
まあ、ともかく、編みすすめて、完成させてみよう。

そのあいだも参加のみなさんは、それぞれお互いに話したり、自己紹介したり、最近のトピックを披露したり、悩みごとを聞いたり。
持ちよったお菓子を食べながらお茶やコーヒーをいただいたり、ご飯を食べたり。

午後3時から8時まで、ゆるーく開催して、いちおう8時に閉会とした。
春野亭はまったく近代的な一軒家で、みんなが集まる部屋も洋風のリビングルーム、それぞれがテーブルに向かって椅子に座るというスタイルだったのだが、雰囲気はまったく「昭和の縁側」の感じといってくれた人がいて、うれしかった。
私がめざしているのは、まさにそんな雰囲気だから。

縁側ではだれもが各自、思いおもいのことをやっている。
手仕事したり、遊んだり、おしゃべりしたり、飲み食いしたり。
そして「そこにいる」、つまり今風のことばにすれば「マインドフルネス」があり、そしてお互いの話をただ共感的に聴きあうつながりがある。
そのつながりは決して「熱」のあるものではなく、ゆるやかだが、安心できる安定的なものである。

ここでは私が世話役となって縁側作りをしているが、これは共感的コミュニケーションを学んだ人ならだれでもできることだ。
そのような場がどんどん増え、広がっていくといいと思う。

4月30日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあう場。まるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地となる予定です。編み物ができない人ややりたくない人も歓迎。午後3時から8時まで、出入り自由。

YouTube:うふTube2 Vol.1「春が来た」

しばらくお休みしていた童謡唱歌の音楽ユニット〈Oeufs(うふ)〉ですが、このたび新メンバー・伊藤はるかを迎えて新生Oeufs(うふ)としてリスタートしました。
Oeufs(うふ)による歌とトークによる番組「うふTube」も「うふTube2」という第2期をスタートします。
その第1弾です。

今回取り上げたのは、童謡「春が来た」です。
トークとともにお楽しみください。

 曲  :春が来た
 作詞 :高野辰之
 作曲 :岡野貞一

 うた :伊藤はるか
 ピアノ:水城ゆう(アレンジも)

映像はこちら