2019年10月23日水曜日

ピアノ七十二候:霜降/霜始降(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
霜降の初候(52候)「霜始降(しもはじめてふる)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年10月22日火曜日

新刊『事象の地平線 末期ガンをサーフする』(Kindle)

新刊『事象の地平線 末期ガンをサーフする』が、アマゾンの電子書籍・Kindleで配信スタートしました。

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2019年5月末に食道ガンが見つかり、精密検査の結果、遠隔転移のある末期(ステージⅣ)であることがわかった。
その後、さまざまな経緯で標準的治療法である抗ガン剤の治療は受けないことにし、放射線の照射治療を選択することになった。
照射は全30回にのぼるが、本書ではその過程をほぼ同時進行でたどるとともに、治療選択にいたる過程や思い、現在から今後にわたってどのように生きていこうとかんがえているのか、可能なかぎり正直に、誠実に書きつづった記録である。
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ダウンロード価格300円です。
Kindle unlimited(読み放題/無料)にも登録しています。
こちらからどうぞ(画像をクリックしてもジャンプします)。

近日、紙本も頒布予定です。

治療終了3日めで体調が劇的に変わった

(写真は近所の廃屋。なぜだか美しさを感じる)

先週の金曜日に放射線照射治療全30回が終わり、今日は照射しない日の4日め。
昨日くらいから食欲がもどってきている。
嘔吐感はまったくなく、ふつうに空腹感がやってきて、ふつうの分量のご飯を食べられる。
ふつうに食べられるということがどれほどありがたいことか、よくわかった。

お通じがよくなった。
照射治療のあいだはずっと、腸がきちんと動いていない感じがあり、ガスがたまったり、お通じも不規則だったり、気持ち悪かった。
それが正常にもどってきた。
不快な臭気も減った気がする。

臭気といえば、匂いに敏感なのは相変わらずだ。
以前は気にならなかったわずかな匂いに気づくことが多い。
臭覚以外の感覚も、ひょっとして鋭敏になっているのかもしれない。

コーヒーが飲めるようになった。
といっても、以前のようにガブガブ飲みたいわけではないが、たまに飲みたくなる。
治療中は飲みたくなって飲んでも、途中で気持ちわるくなって飲めなくなってしまったのだが、そんなことはなくなった。
ひょっとしてアルコール類もそうかもしれないと思って、昨日、ワインをひと口飲んでみた。
おいしかったけれど、アルコールはあまり身体にあわない感じがした。
飲まなくても困らないかな、と思う。

治療期間中に書きついでいたブログの原稿をまとめて『事象の地平線 末期ガンをサーフする』という本に整えてみた。
まずは電子版を先ほどアマゾンKindleのダイレクトパブリッシングに配信登録申請したところだ。
これは紙本にも刷る予定。
こうやって私の生みだしたものがまたひとつ世に出るのは、うれしいかぎりだ。

今日は何年ぶりになるだろうか、中学一年生のときに担任だった加藤恵美子先生を訪問することになっている。
来月の福井県立病院の私のコンサートで、私のピアノ演奏だけでなく、なにやらオーディエンスを巻きこんでやってみたいことがあるらしく、そのお話を聞きに行く。
それだけでなく、ひさしぶりにお会いするのが楽しみだ。

相変わらずたくさんの方から、体調をよくするための方法とか材料とか、食べ物とか、アドバイスが届きつづけていて、それはとてもありがたいことではあるけれど、とても全部は試せない。
いまこの瞬間の自分自身の声に耳を傾け、いまを大事に生きることでとてもいそがしい、ということをお断りしておきたい。

昨夜から降りつづいた雨もあがって、晴れ間が出てきた。
さわやかな秋の空が見えている。

2019年10月21日月曜日

私は私の生命現象をまっとうすることに集中する(末期ガンをサーフする(30))

10月18日、金曜日。午前10時。
最終回・30回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

9月2日にスタートした照射治療も、これでようやく終わり。
1日も遅刻することなく通った自分をまずねぎらおう。
技師や受付の人たちからも「おつかれさまでした」と挨拶してもらった。

抗ガン剤治療ほどではないとはいえ(たぶん)、思ったよりきつくて、途中でめげそうになった。
この最終週はとくに、病院に向かう足が重かった。
食欲の低下と倦怠感がつらかった。
後半は寝たり起きたりの時間が多い日々となった。

しかし、気がついてみると、食事のときのつかえ感はほとんどなくなっている。
放射線で荒れた粘膜がひりひりすることはあるが、食べ物がつかえて苦しいということはまずない。
痛みもほとんどなく、毎日、日に数回は飲んでいた痛み止めの薬も、いまは飲んでいない。

倦怠感は夜になると強まり、疲労感となってなにもできなくなることが多いが、日中はほぼこれまでどおり活動できている。
これがいつまでつづくのかわからないが、この状態で日々の活動ができていることがありがたく、なにより幸せだ。

ガンになってよかった、というと強がりのように聞こえるかもしれないが、心からそう思うときがある。
それは、いまこの瞬間を大切に、いとおしく感じながら、わがことに集中できるときだ。
また、朝目覚めて自分が生きて存在していることを確認するときだ。
もしガンになっていなかったら、いまも毎日、漫然と起きて、「やらねばならない」ことを義務感と脅迫感と罪悪感からせきたてられるようにこなしていただろう。

もちろん、ガンにならなくても、日々を大切に、マインドフルにすごしている人はたくさんいると思う。
私はだめだった。
思った以上に愚かで、鈍感な人間なのだった。

さて、このあとはどうなるか?
放射線によって食道ガンがどの程度縮小したのかは、一か月後のCT検査と内視鏡検査の結果を見なければわからない。
完全になくなるということはないだろう。
通常は30パーセントくらいまで縮小すれば治療は成功だという話だ。

その後、残ったガンがふたたび肥大化していくのか、転移が進むのか、あるいはしばらくは動かないのか、さらに縮小していくのかはわからない。
いずれにしても、放射線治療はもう受けることはできない。
ガンがふたたび肥大化していく、あるいはリンパ節への転移が進んであちこちにガン組織が増える、放射線による副作用として別のあらたなガンが生まれるなど、いろいろな可能性はある。
または身体の働きによってガンがしばらく沈静化することもまったくないわけではない。

いまの活力をもって動ける状態がどのくらいのつづくのか、私にどのくらいの時間が残されているのかはわからないが、いまこの瞬間、私の意識と身体は明瞭で活発であることはたしかだ。
これがすべてだと思う。
いまのこの瞬間に私をどう生かすのか、そのことをしっかりと味わうことができるのか。

この瞬間瞬間に同時にいろいろなことはやれないが、やりたいことはたくさんある。
そのつど、やりたいことのひとつにフォーカスして、全身的にマインドフルにそれに取りくむこと。
できれば私の生きている証がそこにあり、できればいくらかでもあなたとあなたの生きている世界に貢献し、できればよろこびをもってあなたと交流すること。
これが私の望みのすべてだ。
私の望みは私の生命現象であり、私は私の生命現象をまっとうすることに集中したいのだ。
(おわり)

2019年10月20日日曜日

春野亭日乗 10月19日(土)新曲8曲完成、英語と日本語の朗読、ひよめき塾

木・金と海津賢くんとの音楽製作三昧で、結局4曲仕上がった。
前回の2日間の分も合わせると、通算8曲。
立派なアルバムになる。
この音楽ユニットは「Voice Of Water」という名前だ。
一見ばらばらな曲が、通して聴いてみるとなんとなく統一感があるからおもしろい。

今日の午前中は現代朗読ゼミ。
基礎トレーニングのあと、参加のみなさんがさまざまなニーズがあったので、それぞれの読みを聴かせてもらう。
とくにおもしろかったのが、日本語で朗読するときと英語で朗読するときの違いについての検証だった。

日本語と英語では身体の使い方が違う、とはよくいわれていることだ。
英語だけでなく、他言語でもおそらく違うし、日本語でも方言と共通語では違う。
そのとおりなのだが、より基本的なこととして、そもそも身体が「ある」かどうかが問題だ。

日本語にしても英語にしても、なにかを読むときに、自分の身体がちゃんとそこにある(ことを把握している)かどうかによって、表れてくるもののクオリティはまるで変わる。
そんなことを実際に検証しながら、練習したのが楽しかった。

それにしても、みなさん、遠方からだったり、忙しいスケジュールの合間だったり、わざわざ来てくれてありがたい。

午後はすこし休んだり、ピアノの演奏収録をしたりしてすごす。

夜はひよめき塾。
今回はオンライン参加者が多く、春野亭に直接来たのはふたり。
みっちり9時までやって(私が参加したのは前半だけ)、そのあとはFacebookからSlackへの移行作業などをおこなった。

2019年10月19日土曜日

音楽製作三昧で命の表現(末期ガンをサーフする(29))

10月17日、木曜日。午前10時。
29回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

毎週木曜日は診療放射線科の担当医師の診察がある。
今回で治療中の診察は最後となる。
体調の波とか、粘膜の荒れとか、食欲不振については、想定の範囲内ということで、治療は順調とみていいでしょうといわれる。

放射線治療は短期的ではなく長期的な副作用があらわれることが多いので(血液ガンなど別のガンが発症するなど)、一度受けるとしばらく受けられないと聞いていた。
そのことを確認すると、
「いや、今回の治療は照射量が多かったので、しばらく受けられないというより、二度と受けられないと思っておいてください」
といわれた。
なるほど、そういうことか。

この日は治療後、作曲家でアレクサンダーテクニークの教師である海津賢くんが国立の家に来てくれて、いっしょに音楽製作をやることになっていた。
この作業は数週間前に一度やっていて、そのときは二日間で四曲のオリジナル曲をふたりで作った。

私が末期ガンをわずらっていると知ったときに、賢くんが、
「なにかやりたいことない? よかったらサポートするよ」
といってくれ、それならというので、いっしょに好きなように音楽を作ることになったのだ。
いまあらたにオリジナル曲を作るにあたっては、やってみたいことや曲のイメージがたくさんあって、プロの作曲家でデジタル音楽のハンドリングにもたけている賢くんにサポートしてもらえるのは、願ったりかなったりだった。

昼前に賢くんが機材を積んだ自分の車でやってきた。
私もひととおりの製作機材は持っているが、とくに音源関係は賢くんが比較にならないくらいの膨大でクオリティの高いものを持っている。

私がキーボードに向かい、思いついたままのフレーズを演奏する。
それを賢くんが音楽製作ソフトのトラックにならべ、音源やイフェクトを割り当てたり、さまざまな操作をする。
ときには彼もキーボードを持ち、リズムの打ち込みとかやる。
まさに二人三脚でどんどん曲を仕上げていく。

設計図も楽譜もない。
曲ができていくにつれ、それがまたインスピレーションを呼び、つぎの展開が生まれたり、予想もしなかったフレーズや音ができあがっていく。

これほど創造的で楽しい時間はない。
音楽という形で私の生命の表現が生まれ、私の生きている証が形になっていく。
これができる活力が維持できていて本当によかったと思う。
生きながらえることにリソースを注ぎこむより、いまこの瞬間の自分自身の生命を感じ表現しきること。
そのためにいまここに私は生きている。

2019年10月18日金曜日

春野亭日乗 10月17日(木)Voice Of Water 音楽製作の1日

昨日(16日・水曜日)は八王子でのNVCダンスフロア合宿を終えたブリジットとルードが春野亭に宿泊して、今朝はのぞみさんが用意してくれた朝ご飯をいっしょにいただく。
ブリジットとルードはそのあと、尾道に向かって出発。
国立駅まで見送りに行った。
ひょっとしてふたりにじかに会えるのはこれが最後なのかなあというかんがえが浮かんで、涙が出てきてしまう。

国立駅からそのまま歩いて多摩総合医療センターへ。
今日を入れてあと3回。
けっこうがんばったなあ。
それももうすぐ終わり。

病院からもどってしばらくしたら、海津賢くんが前回に引きつづき、いっしょに音楽製作するために、たくさんの機材を持って来てくれた。
車で運んできて、駐車場に預け、泊まりがけでいっしょに作ってくれる。
ほんとにありがたい。

まずは腹ごしらえということで、今日は調子もまずまずなので、去年の暮れだか今年のはじめだかに駅前に新回転した〈花笠家〉という横浜家系ラーメンの店に行ってみる。
こってり豚骨ラーメンだが、私にはかなりどんぴしゃの好み。
もっと早く来ればよかった。
体重減少阻止に使えそう。

春野亭にもどり、機材をセッティングしてから、音楽製作に取りかかる。
賢くんと私のユニット〈Voice Of Water〉の通算5曲めとなる曲。
まずはミニマルミュージック風のピアノパターンの演奏からスタートして、つぎつぎとアイディアがわいてくる。
途中、転調して、曲の雰囲気が変わり、どこにたどりつくかわからないわくわくどきどき感のまま、インスピレーションのおもむくまま音を重ねていく。
すごいなー、こんな創造的な時間はめったにない。
時間を忘れて集中していたが、たった1時間くらいで1曲が仕上がってしまった。

休憩をはさんで2曲め、通算6曲めに取りかかる。
休憩中に5拍子のリズムセクションパターンが浮かんできたので、それをまず作る。
自分のなかでは「オスマン帝国」というキーワードがなぜか降ってきていて、沙漠の遠くから巨大な山車のようなものがゆっくりと近づいてくるイメージ。
きらびやかに飾られていて、それに乗っている人々も華やかに着飾っている。
そういうものが近づいてきて、また遠ざかっていく、というイメージ。
とても奇妙な曲になったけれど、楽しかった。

いずれの曲も「聴いたことない」ものになった。
今回はインストのみで、朗読は重ねていないけれど、重ねるかどうかは実際にあとでやってみないとわからない。
このアルバムにはインストの曲もあってもいいかな、とも思う。

夜は(賢くんは)飲みながら、ネットでいろいろな音楽を検索しては、聴いたり話したり、音楽談義で盛りあがった。

ピアノ七十二候:寒露/蟋蟀在戸(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
寒露の末候(51候)「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年10月16日水曜日

すべてをいまに集約し逆らわずサーフしていく(末期ガンをサーフする(28))

10月16日、水曜日。午前10時。
28回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

たまらん坂健康バロメーターによれば、今日の体調は十のうち八といったところ。まずまずか。
台風が去ったあと、急に寒くなった。
暖房がほしいくらいだ。
数日前からキンモクセイが香っている。

「あと三回ですね」
と、すっかり顔なじみになった技師がいう。
「お変わりありませんか?」
いつもそのように声をかけてくれる。
仕事だろうとは思うが、気遣いを感じてうれしい。

これより先は技師同伴なしでははいれない放射線管理区域へと、厳重な自動ドアをくぐってはいっていく。
奥には広々とした部屋があって、カーテンで仕切られた着替えのスペースがふたつと、寝台がひとつ、ほかにはさまざまな機器類が置かれている。

ロッカーキーやスマホをカゴに入れ、靴をスリッパにはきかえて、細長い寝台のところに行く。
技師がふたり、介助してくれる。
寝台に横になる。
先に上半身だけ着替えていて、簡素な病院着だが、横になるとその前を技師がひらく。
私は両手を万歳のかっこうで上にあげ、設置してあるハンドルを握る。

私の胸の皮膚に描かれたマークを基準に、技師がふたりがかりで身体の位置を照射のために合わせる。
ミリ単位の微妙な位置合わせで、ときどき専門用語が飛びかう。
92・4という、なんの単位かわからないいつも同じ数字が聞こえる。

真上に巨大な円盤のような機器がまわってきて、真上と斜め上の二か所で位置合わせがおこなわれたあと、技師ふたりは部屋を出ていく。
しばらくするとブザー音が聞こえ、たぶんX線照射が何秒間かつづく。
斜め横からと真上から、二度照射されたあと、円盤がぐるりとベッドの下へと回りこんでいく。

技師がひとりもどってきて、なにやらガシャンガシャンとベッドの土台あたりを操作して、出ていく。
またブザー音。
もう一度技師がもどってきて、円盤の角度を変えてもう一度。
都合四回のみじかい照射が終わると、お疲れ様。

受付で翌日の治療の予約をして、あとは支払いをすませて病院を出る。
ほとんど午前十時からの予約で、私が家を出るのは午前九時すぎ。
治療が終わって家に帰ってくるのは、遅くても午前十一時前。
一時間半から二時間弱の所要時間だ。
これを三十回おこなうわけだが、所要時間も短く、通院ですむので、負担はかなり少ない。
体調の変化はもちろんあるが、日常の生活や活動に大きな影響がないことがありがたい。
このことが私にとってとても大切であり、また幸せなことでもある。
いまを生きる。

ただ、体調の変化は治療が進むにつれてやや大きくなっていて、とくに夜の活動はきつくなってきた。
武術も夜の講習会には参加するのがむずかしくなってきている。
サーフィンもまた行きたいのだが、寒くなってきているし、体力の消耗をかんがえると、今後の体調の変化を見て判断する必要がありそうだ。

とはいっても、一度はやってみたいと思っていたサーフィンを何度かできたことは幸せなことだ。
もちろん、またやれるといいなと願ってはいるが、今後の状況はわからない。
すべてをいま現在に集約して受け入れ、逆らわずサーフしていきたい。

2019年10月15日火曜日

食べられるものを食べられるときに食べて体調維持(末期ガンをサーフする(27))

10月15日、火曜日。午前10時。
27回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

今週が照射治療の最終週となる。
体育の日がはさまって三連休だったので、すこし間があいた。
その間に、各地に大きな被害をもたらした巨大台風十九号が来襲したりしたが、私の住んでいる国立市はほとんど被害がなく、私自身もゆっくり身体を休めることができた。

ガン治療のうち、抗ガン剤は点滴による投薬治療で、ガン組織をピンポイントで攻撃することはむずかしく、ガンではない正常組織も相当なダメージを受ける。
私はこちらを選択しなかった(すべての人におすすめするものではない)。

一方、放射線治療はガン部位を集中的に高エネルギーの放射線(X線)で攻撃する。
とはいえ、ガン部位のまわりにも正常組織があって、まったくそれを避けて照射することは不可能だ。
私の場合、食道ガンなので、ガン部位のまわりにある肺や心臓、脊椎、胃、横隔膜などにも影響がある。
遠隔転移があるので、そちらまで照射範囲が広がっており、そのために小腸、肝臓、腎臓、膵臓といったさまざまな内臓や膜組織にも影響がある。

放射線を照射することによって、ようするに悪性細胞を「焼く」わけだが、正常細胞も巻きぞえを食う。
当然、予測できない体調の不調に見舞われる。
私も起きていられないくらいの倦怠感や食欲不振、嘔吐感、胸焼け感に見舞われた(現在もつづいている)。

もっとも、幸いなことに、横になる時間は増えたとはいえ、ずっと調子が悪いわけではなく、日常生活や活動には大きな支障はない。
こうやってものを書いたり、人に会ったり、講座を開催したり、ピアノを弾いたりすることは、以前とそう変わりなくやれる。

以前と変わったことといえば、朝から日中にかけては比較的元気なのだが、夕方から夜になると顕著に体力が落ちてきて、以前のようには活動できなくなる。
ネットで映画を観たり、音楽を聴いたりする分には支障はないが、生産的な活動はまったくできないし、人に会ったり、出かけたり、運動したりといったことはまったくできない。

  *

この「末期ガンをサーフする」を最初のほうにさかのぼって読みかえしていたら、いまと大きく違うことがあって、びっくりした。
それは、日に三回以上かならず飲んでいた痛み止めの薬を、いまはまったく必要としなくなったということだ。
市販薬でもあるロキソニンがよく効いて助かっていたのだが、毎日二〜三回はかならず飲んでいた。
胸や胃のあたりに疼痛があり、食事はもちろん、なにかするにもその痛みのせいで集中がむずかしくなるからだ。

気がついたらいまは痛み止めを飲んでいない。
照射治療によって痛みを生むガン部位が縮小したのだろうか。
そうであったらありがたい。

食事のときの食べ物のつかえ感もほとんどなくなってきた。
そのかわり、粘膜が痛んでいるのだろうか(ただれたようになると医者にはいわれていた)飲みこむときにヒリヒリする強い痛みが出ることがある。
しかしこれは常時ある痛みではないので、痛み止めは必要ない。

食事関係でいえば、アルコール類はまったく飲めなくなった。
飲みたくても飲めない、という感じだ。
そもそも飲みたくなくなっている、というのもある。
それは、あれほど毎日何杯も飲んでいたコーヒーについてもいえる。
いまはもっぱら、普通のお茶や紅茶を飲んでいる。

食欲がないので、たとえ人からこれが身体にいい、病気にきく、といろいろすすめられても、そもそも飲める・食べられるかどうかが問題だ。
油断するとどんどん体重が減ってしまうので、とにかく食べられるもの、食べたいものを、食べられるときにどんどん食べておくという戦略になる。
アイスクリームとかゼリーとか、ケーキとか和菓子とか、あるいはこんなに食欲不振なのに不思議なのだが油物・揚げ物が全然平気なので、そういうものを食べる。

またこれも不思議なことに、運動(といっても歩く程度だが)のあとや寝る前にプロテインを飲んでおくと、疲れがたまらないような気がする。
かなりてきめんに効くように思う。

たしかに医者からは、高たんぱく高カロリー食をつとめてとるようにといわれている。

自然現象としての生命観・死生観を体認から得る(末期ガンをサーフする(26))

10月11日、金曜日。午前11時半。
26回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

今日から照射治療の最後のクール——残り五回となるので、照射プログラムを作りなおすための撮影をするのだという。
私の場合、食道ガン本体から胃の下部——大動脈の脇のリンパ節に遠隔転移があって、昨日まではそこを含む広範囲に照射をおこなっていたのだが、遠隔リンパ節の周辺は胃や腸、血管、腰椎、その他さまざまな器官が集まっているので、最後はその部位をはずした照射プログラムになるらしい。

照射治療前にやや時間をかけてX線撮影がおこなわれた。
その後、いつものように——しかし角度や時間は変わっている?——照射治療。

体育の日を含む連休があるので、次回の照射治療は火曜日となり、また残りは四回となった。
やはり治療の影響で体調がくずれぎみだったので、いったんこれで治療が終わるのはほっとする。
ただ、治療の効果がどの程度だったのか、ガンは縮小したのか、あるいは効果がなかったのか、それがわかるのは一か月くらいあとの検査による。

  *

二〇一三年からはじめた武術・韓氏意拳の具体的な内容については、日本の代表である武術家の光岡英稔氏をはじめとする著述や対談があったり、武術雑誌やネットでもたくさん紹介されているので、私から説明することはしない。
ここで書いておきたいのは、私が韓氏意拳の稽古をするようになって教わった——あるいは気づいた、私たち現代人がおちいっている、いびつともいえる身体観の特徴であり、本来の自然な動物の一員としての人のありようについてのあらためての気づきについてだ。

あくまで私個人の気づきであり、かんがえなので、韓氏意拳の本質そのものをひょっとしてはずしているかもしれないが、私が「そうとらえた」ことによって世界のあらたな見方を得たことは事実なので、それについてすこしだけ触れておきたいと思うのだ。

私たちは巨大化した物質文明社会のなかで、いわば絶えざる生命の危機を守られながら安心して生きている。
発達した政治や経済のシステムも、私たちの持続的な生活をささえている。
それがいい悪いということではなく、げんにそのような社会を生きている。

そのために、私たちがつい忘れてしまうことがある。
それは、私たち人間も、本来は自然界の存在であり、野生動物となんら変わらない生命現象のもとに生きている、ということだ。

いくら物質文明に守られていたとしても、どんな人もいつかはかならず寿命がつきるときが来る。
医学や科学が発達したおかげで、怪我や病気をしても治療ができる(こともある)し、平均的な寿命も昔にくらべれば格段にのびている。
子どもの死亡率もとても低くなっている。
だからときどき勘違いしてしまう。
私たち人間は病気や寿命や不慮の事故をある程度コントロールできる、と。

自分の病気や寿命を、まるでモノであるかのように概念化したイメージでとらえている。
機械が壊れたら修理してもらえばいいというふうに、病気になれば薬を飲めばいい、医者に治してもらえばいい、さまざまな治療法があってそれを適切に用いれば、自分も修理可能だ、くらいに(無意識かもしれないが)思っている。

もちろん文明はそういったことを可能にした面もたくさんある。
しかし、そのことによって本来の、本質的な私たちの生命現象というものは、概念化することもできないし、コントロールもできないものであるという謙虚さを、私たちは忘れてしまっている。
非文明の少数民族や、さまざまな民族の古来からの教えを見ればわかるように、自然現象にたいする謙虚さを持つことが、自然の一部である自分の生命への敬意にもつながっている。

病気は病気として、怪我は怪我として、文明的に対処できるものはすればいいが(げんにそういう社会に生きているわけだし)、生命現象というものの本質を忘れて対処法ばかり肥大化するのは、自分自身をないがしろにしてしまうのではないかと思うのだ。

私は自分の病気を受け入れたい。
文明社会的にその病気に対処する方法はいくつかあるが、自分が病を得、生命現象の進行に変化がもたらされたことは、壮大な自然現象の流れのなかで起こったことであるという認識を持っていたい。
その上で、生きるとはどういうことなのか、死とはなんなのか、自分がこの世に存在し、またこの世から存在しなくなるとはどういうことなのか、概念ではなく身体的な生命現象として向きあっていきたい、と思っている。

その体感覚を探求する方法として、武術における「体認」という稽古が、私には大きく役立っている。

2019年10月14日月曜日

韓氏意拳に出会いあらたな身体観・自然観を得る(末期ガンをサーフする(25))

10月10日、木曜日。午前10時。
25回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

今日は放射線治療科と外科のそれぞれの担当医の診察があると言うので早めに行って、採血を済ませておく。

採血後、いつもの放射線治療を受けて、その後診療放射線科の担当医の診察を受ける。
おおむね順調であること、ただし食欲が落ち気味であること、食事がちゃんと取れないと体重がジリ貧になっていくこと、時々軽い嘔吐感があって食事が取りにくくなること、全体的に倦怠感が強まる日があること、などを伝える。
放射線治療の副作用としてはよくあることで、特に大きな問題はなさそう、まずまず順調に行っているのではないかという見立てだった。

明日は治療計画を見直すためにX線の写真を取り直してプログラムを組みなおすとの事、それで少し時間がかかるかもしれないと言われた。

  *

ステージⅣの食道ガンを告知されて、取りみだすことなくこれからのことや、日々のすごしかたを落ち着いてかんがえられているのは、ここ20年来取りくんできているさまざまことが役に立っているからだ。
マインドフルネス、音楽瞑想、現代朗読や沈黙の朗読、非暴力コミュニケーション。
そしてとりわけ、これらのなかでももっともパワフルなものが、韓氏意拳という武術に出会ったことだと断言できる。

現代朗読の研究と実践から、朗読をふくむすべての表現は身体性と深く関わりがあると確信するようになった。
私は朗読はしないが(演出のみ)、ピアノを弾くし、小説も書く。
表現行為と身体性の関わりについて興味を持つにつれて、ヨガやアレクサンダーテクニーク、いくつかのスポーツなど、さまざまなボディワークにもチャレンジしてみた。
その過程で、身体にたいしてかなり特殊なアプローチをする武術があることを知った。

音声表現仲間でボイスパフォーマンスの徳久ウイリアムくんと、現代朗読とのコラボワークをおこなったとき、たまたま彼が、
「この本、おもしろいですよ」
といって、持っていた本を見せてくれた。
尹雄大著『FLOW―韓氏意拳の哲学』という書物で、すこし読ませてもらったが、いったいなにが書かれているのか、そのときはさっぱり理解できなかった。
仮にも文筆を仕事にしてきた人間だ、かなり難解な内容であっても、なにかの本を読んでよく理解できないということはまずない。
しかし、その本はちがった。
そのせいで、韓氏意拳という武術について、頭のすみに引っかかっていたのだろう。

ある日、こちらも気になってフォローしていた古武術研究家の甲野善紀氏のツイッターに、韓氏意拳についての言及があり、またその体験講習会があることも紹介されていた。
中野の区民センターでおこなわれていた体験講習会に出かけてみることにした。
2013年の初夏のことだ。

初めての体験講習は、書物と同様、なにがなんだかさっぱりわからないうちに終わってしまった印象がある。
が、そのあまりのわからなさに、ここにはなにかあると直感した私は、つづけて参加することにして、日本韓氏意拳学会にも入会を申しこんだ(なぜか韓氏意拳は学会になっている)。

それから足かけ7年、このやや特殊な武術が私にもたらしてくれた身体観や自然観は、観念的なものではなく、自分の身体を使った稽古を通して深く得られたもので、末期ガンという病についての自分の姿勢にも大きく影響している。

春野亭日乗 10月13日(日)朗読ゼミ、群読、映画「移動都市」

午前中は朗読ゼミ。
台風が昨夜、首都圏・関東地方を通過して、あちこちに大きな被害が出た。
電車などの交通機関も止まっているなか、ようやく動きはじめた中央線でゼミ生ユウキががんばって国立まで来てくれた。

NVCの合宿に参加するために、台風を避けて前日に北海道から飛んできていたトシちゃんも、臨時に参加。
遅れて動きはじめた青梅線で、リヒトくんも駆けつけてくれた。

群読の練習。
初めて現代朗読を体験するトシちゃんに、体認朗読を伝える。
演劇や武術なざ、さまざまな身体表現、身体ワークを経験しているだけあって、すぐに理解してくれたのには驚いた。
自分の身体、自分自身から離れないままに朗読することの楽しさを、みんなで味わってもらえたと思う。

次回の朗読ゼミは今週土曜日・19日の午前。
詳細はこちら

ゼミ後、みんなでお昼ご飯を食べに行く。
ハンバーグを食べたあと、ユウキが昨日テレビで見たといって、セブンイレブンのおすすめのソフトクリームを私に買ってくれた。
なんかうれしい。
春野亭にもどってからさっそくいただく。

その後、八王子でのNVCダンスフロア合宿に参加するみんなが理子ちゃんの車で出発して、私はひとりになった。
今日一日、すばらしい秋晴れだった。
キンモクセイも香りはじめた。
夕焼けが美しい。
ちらっと光って見えるのは木星?

夜はレンタルで映画「移動都市/モータル・エンジン」を観る。
独特の世界観で、さすがピーター・ジャクソンが関わっているだけある。
途中まで観て早めに寝てしまおうと思っていたのに、つい最後まで観てしまった。

2019年10月13日日曜日

春野亭日乗 10月12日(土)台風19号通過

午前中から断続的に強い雨が降りつづく。
刻々と台風が近づいてくる情報があるが、風はそれほどでもない。

今日は放射線治療が休みなので、なんとなくほっとしていたが、台風接近による気圧や天候の変化のせいか、体調が非常に悪い。
倦怠感があって、ずっと起きていられない。
食欲もなく、食べようとしても軽い嘔吐感で少ししか食べられない。
治療はあと4回を残すのみとなっているので、終わればこの不調もましになるのではないかと思いたい。

そんななか、がんばって午前中から昼にかけてオンラインで個人セッションを2件。
ほかにもやること、やりたいことがたくさんあるのだが、体調がついていかないのがもどかしく、悲しい。
計画していたことも、いまさらという気分になって、あきらめの気持ちがわいてきてしまう。

昨日は、明日からのNVCダンスフロア合宿に参加するために早めに上京したトシちゃんやトコさん、春野さんらと、楽しく宴会していたのに。
トシちゃんからはなおみ〜ぬもいっしょに選んでくれた北海道みやげをたくさんもらって、心使いをうれしく味わった。

午後遅くから夜になって、風も強まってきた。
ニュースを見ていると、あちこちで被害が出始めている。
春野亭は雨戸を全部閉め切って、1階は光もはいらない真っ暗な状態。
避難指示やら警告やら、スマホがうるさく鳴って、そのたびにびっくりする。
しかし、このあたりは停電することもなく、氾濫水位に達している多摩川からも遠い。

三鷹ののぞみさんや理子ちゃんと情報をやりとりしていると、どうやら台風の目が彼女らの直上を通過する可能性があるとわかった。
進路予想をにらんでいると、星空こそ見えなかったが、台風の目がほぼ真上を通過したらしいことがわかって、ちょっと興味深かった。

私が子どものころ——といってもほとんど記憶にはないが——伊勢湾台風が生家の直上を通過して、その話を大人たちから何度も聞いたことがある。
そのときは九頭竜川が決壊して、生家も床上浸水してかなりの被害をこうむったらしい。

午後9時をすぎて台風が通過していくと、嘘のように静かになった。

ピアノ七十二候:寒露/菊花開(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
寒露の次候(50候)「菊花開(きくのはなひらく)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年10月12日土曜日

YouTube:沈黙の朗読コンサート@名古屋の抜粋

2019年9月20日、名古屋栄のナディアパーク内音楽スタジオにて、「沈黙の朗読」コンサートを開催。

その模様をごくかいつまんで抜粋でお送りします。
全編映像も近くUPする予定です。

 テキスト 水城ゆう
 朗読   野々宮卯妙
 ピアノ  水城ゆう

映像はこちら
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春野亭日乗 10月10日(木)忙しい末期ガン患者の1日

メインマシンであるMacBook Pro 13インチのクリーンインストールを敢行。
数か月前に突然動かなくなり、とても困ってしまったのだが、代替機を用意し修理に出し、ロジックボードの交換をした。
アップルストアではなく民間の修理業者に頼んでみたのだが、なかなか対応がよく、修理も早く終わったので助かった。

先日、MacOSの最新版「Catalina」がリリースされたばかりなので、それに合わせてマインのなかをまっさらにすることにした。
いちおうTimeMachineにバックアップは取ってあるが、ストレージのフォーマットとOSのインストール後もバックアップから書きもどすことはせず、アプリはいちいちあらたにダウンロードしてインストールしなおした。

テキスト、画像、音楽プロジェクトファイルなどの重要なデータは、ほぼすべてクラウドに預けてあるので、ネットがつながりさえすればすぐに作業再開できる。
クラウドにあげるには重すぎる動画などの大きなデータは、モバイルハードディスクに詰めてある。

再インストールにもっとも時間がかかるのは、Logic Proというアップル純正の音楽製作ソフト。
サンプリングされた膨大な音源データがあって、それだけで40ギガ以上ある。
これをダウンロードするだけで半日がかりになった。

ほかにもこの日は忙しかった。
Macの再インストールを仕掛けておいて、まずは病院へ。
診察があるというので、ひさしぶりの採血。
いつもの放射線照射治療。
診療放射線科の担当医の診察。
消化器外科の担当医の診察。

本当は4月か5月には提出していなければならなかったNPO法人現代朗読協会の事業報告書などの書類を作る。
この提出が遅れると、督促が厳しく来て、それにこたえられないと罰金を食らう。
さらに提出が遅れると、認可を取り消されることもある。

駅前に出かけて、8月の入院費やら、国民健康保険やら住民税やら、交通違反切符の払い込みやら(泣)、アイ文庫関係の通帳記入やら、忙しく回ってくる。
サーフィンより疲れる。

まだまだ雑用が残っていて、高額医療費の還付金申請やら、部屋の掃除やら、名古屋のイベントの告知作りやら。
突発的にはいってくる個人セッションの依頼もある。
なかなかメインの執筆と音楽製作と動画編集まで行き着けない。
とても末期ガン患者の生活とは思えないが、これだけの活動をしていられるのはありがたいことなんだろう。
もうすこし落ち着いた毎日になるといいな〜とは思うけど。

2019年10月11日金曜日

偶有性の海でなにひとつ(病気すら)コントロールできないことを実感する(末期ガンをサーフする(24))

10月9日、水曜日。午前10時。
24回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

治療後、非暴力コミュニケーション(NVC)の仲間で音読トレーナーのりひとくんと、湘南の海までサーフィンに行く約束をしていた。
りひとくんはサーフィン初体験、私もまだ4回めという初心者同士で、鵠沼海岸のサーフショップの入門スクールを予約してあった。

車を出して、国立から中央道に乗って八王子まで。
圏央道に乗り換え、南下。
鵠沼海岸は国立から見るとほぼ真南に位置している。
車で1時間ちょっと。

途中、厚木のサービスエリアで早めのランチ休憩。
体重減少阻止! ということで、豚骨ラーメンをしっかりいただく。

入門スクールは私とりひとくんのほかに、これも初体験だという若めの中年(変ないいかただけど)男性がひとり、そして母娘らしいふたり連れの女性(こちらは数回経験ずみのようだ)の計5人。
インストラクターは、私にはおなじみになったモトさん。

みんなでボードをかかえて、えっちらおっちらとビーチまで歩く。
波はおだやかだが、ときたま大きめ(といっても胸くらい?)のものがつづけて打ちよせてきて、巻き波となる。
慣れていないとボードごと持っていかれて、なかなか沖へ出られない。
そのあたり、私はだいぶ慣れたのと、もともと子どものころから海遊びが好きだったこと、そして学生時代からヨットをやっていたのとで、あまり苦労はない。

波と風、空、雲、砂、鳥、人々。
どれひとつ取っても、一瞬だにとどまっているものはない。
すべてが変化しつづけ、海にはいればその巨大なエネルギーの流れのなかになにひとつコントロールできるものなどないことを体感する。
波に乗るというのは、自分やボードをコントロールすることではなく、自然エネルギーにのなかで翻弄されながらも自分がかろうじて存在できる隙間をさぐり、見極め、遊ばせてもらうということだ。

最初はどうやってコントロールしようか、どうやればうまく乗れるのか、テクニックはどうやって身につけるのか、などとかんがえて、家で練習したりして、そうやって海に行くのだが、はいってみると一瞬にしてそんな準備はなんの役にも立たないことを悟る。
無限の偶有性の満ちた自然条件のなかで、ただただ自分がどうやれば存在を許してもらえるのか、謙虚にならざるをえない。

そこに存在する自分の生命もまた、とてもちっぽけなものではあるけれど、コントロールなどできない自然の一部であることに気づく。

本来なら普段の生活でもそれがあたりまえのことなのだが、人類が長年かけて築きあげてきた巨大物質文明の環境に囲まれて(守られて)いるせいで、まったく忘れてしまっているだけのことだ。

病気になれば薬でなんとかできると思っているし、薬でどうしようもない病も病院に行って医者にかかればなんとかなると信じている。
病気になって調子が悪くなるのは、機械がどこか故障して不具合が起こるようなもので、その不具合を見つけて修理したり交換したり油をさせば元にもどると思っている。

ちっぽけな存在ではあるけれど、人間という自然現象は、そんな単純なものではない。
そのことを全身で教わり、実感したのは、韓氏意拳という武術に出会ったからだった。

私が韓氏意拳という中国伝統武術の流れをくむ武術の会に入門したのは、2013年の春のことだった。

2019年10月9日水曜日

朗読でマインドフルネスからフロー状態へ(末期ガンをサーフする(23))

10月8日、火曜日。午前10時。
23回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。
たまらん坂の体調計測器によれば、今日の体調は10のうち5くらい。
あまり快調とはいえない。

  *

ティク・ナット・ハンの本に出会い、その後彼のさまざまな活動やことばを知るにつれ、ますますマインドフルにいまこの瞬間を生きることの大切さを感じるようになった。
呼吸を観察することからはじまって、自分の身体を観察する——刻一刻と変化する身体のようすを見届ける——練習やワークをつづけると同時に、朗読表現においてもマインドフルネスを取りいれるようになっていった。

朗読という行為は、目の前に書かれている文字列を声に出して読みあげる、ただそれだけのことだが、そこには思考がはいりこむ余地がたくさんある。
ことばやストーリーの意味、作者の意図、作品の書かれた背景、イントネーションや発声などテクニカルなこと、聴き手によく思われるための企て、自分を誇示するための演出効果など、かんがえだしたらキリがない。

現代朗読ではその「かんがえたらキリがない」朗読行為に、マインドフルネスを持ちこむ。
さまざまな思考を捨て、ただただ自分の声と身体を観察し、その変化とともにいつづける練習をする。
目の前にあるテキストは、ただ文字列として読みあげるためだけにある。
歩くときに歩道がただ歩くための道すじとして自分の前にあるのとおなじだ。

やってみるとわかるのだが、「テキストを読みあげる」という単純行為のなかで自分自身の身体に注目し、その変化を見逃さず、「いまここ」にいつづけるのは、かなり忙しく大変だ。
最初はまったく自分の身体に注意が向かず、そもそもそういう感受性すらなく、余計な思考ばかりがつぎつぎと生まれてまったく集中できない。

それでも練習をつづけ、身体観察する感受性がすこしずつ育っていくと、しだいに思考が頭のなかから追いだされていき、脳と神経系は自分の変化をとらえるために観察に忙しくなる。
それはまさに「いまここ」の生きた自分を感じつづけている瞬間だ。

マインドフルの練習が進んでくると、観察は自分の身体状況だけでなく、自分がまわりの環境から受け取っているさまざまな情報にも気づくようになってくる。
音、空気、建物、いっしょにいる人たちのようすや動き……
うまく集中できると、自分のなかを膨大な情報が流れ、変化していくようすを、客観的に観察できるようになる。
これはまさに「フロー」と呼ばれる状態である。
自分とまわりのことに気づきつづけていると同時に、自分がおこなっていることにも完全に集中し、能力を最大限に発揮できる状態。

このフロー状態にはいるための練習として、朗読という行為が非常に有効であることに私も、現代朗読のメンバーも気づくことになった。

2019年10月8日火曜日

春野亭日乗 10月6日(日)ゼミ、春野亭片付け、餃子パーティー、ひよめき塾

午前中は現代朗読ゼミ。
今日の体認朗読のエチュードでは、足首と身体全体の関係性に注目してみる。
朗読という「運動」の密度をたかめるための着目点について、このところさまざまな試みをおこなっている。
ほかに、読むスピードと、表現の密度、身体への注目密度の関係についての試みも。
みっちーが電気回路の本を持ってきて、それを使っていろいろ試してみたのがおもしろかった。

ゼミ修了後は春野亭の家まわりの片付けで、助っ人をお願いしたら何人か駆けつけてくれた。
元ゼミ生のシマムラやひよめき塾の下村さん、つきみん、ゼミから引きつづき残ってくれたユウキとみっちーら。
伸び放題の雑木や雑草を伐採して、切り分けて、ゴミに出せるようにする作業で、ヤブ蚊も出てけっこう大変な作業を、みんなで手分けしてガンガン片付けてくれた。
ずっと懸案だったのが片付いてとても助かったし、安心した。

みんなが働いているあいだに、餃子のネタを仕込む。
作業が終わってから、みんなで手分けしてネタを餃子の皮に包み、ホットプレートで片っ端から焼いては食べていく。
今日がちょうど誕生日ののぞみさんも加わって、野々宮が焼いたおいしいアップルケーキをいただいたりしてお祝いしながらパーティー。

夜はひよめき塾。
今回から進行方法をすこし変えて、私が講評するのはサイコロで選んだ3作品のみになった。
それでも1時間くらいかかって、濃い内容だったので、疲れが来た。
もちろん疲れ以上にみなさんの作品を読むのは楽しいしうれしいのだが。
今回9作品が集まったので、残りの作品については参加のみなさんでお互いに感想を交換してもらうことになった。

このひよめき塾をふくめ、私がやっている共感手帳術や共感文章講座など、いくつかのものをひとつのコミュニティとして集約していくことをかんがえている。

現在、過去、未来、マインドフルネス(末期ガンをサーフする(22))

きゅうに涼しくなった。
日本列島の南海上ではまた大きな台風が発生し、近づいてきているらしい。
昨日は現代朗読ゼミをやり、午後は国立の家のまわりの掃除をみんなに手伝ってもらい、餃子パーティーをやり、夜はひよめき塾という小説家のミーティングをおこなった。
どれも私にとって大切な、命の時間といえる。
かけがえのない時間をすごすことができた私自身と集まってくれたみなさんに心から感謝。

10月7日、月曜日。午前10時。
22回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

  *

過去形とか未来形を持たない言語体系というのは、実際にある。
本にもなっているが、南米の非文明化種族のひとつであるピダハンなどはそうだ。
言語体系には現在形しかない。

過去や未来をあらわすことばを持たない人たちは、過去や未来という概念をそもそも持たない。
過去にとらわれることなく、また未来を憂えることもない。

私は日本に生まれて、日本語を母語として育ったので——それとて正確には北陸の一地方の方言というべきか——、過去や未来という概念がある。
過去という概念が記憶を作り、未来形がありもしない想像を生む。
それが悪いといっているのではない。
そういう言語体系のもとに生まれ育ち、そのような概念化された時間と空間を生きているという事実があるといっている。

たしか2004年ごろだったと思う——なぜ覚えているかというと、ちょうど現代朗読という表現体系を研究・実践しはじめたころだったからだ——なにげなくラジオを聴いていたら「マインドフルネス」ということばが流れてきた。
ティク・ナット・ハンというベトナム出身の平和活動仏僧の本を紹介していたのだった。

私たちは本来、いまこの瞬間を生きているはずなのに、過去にとらわれ、未来を憂えることで、本来のいきいきした生・生活を見失ってしまっている、マインドフルネスの実践によって自分本来の人生を取りもどそう、というようなことが書かれているらしく、そのためには呼吸に注目するという簡単な方法が有効だといっていた。
なんとなく表現活動にとって重要なキーワードのような気がして、私はすぐに本を取りよせて読んでみた。

ちょっとしたショックを受けた。
呼吸に注目することで、いまこの瞬間の自分自身のからだや心のありさまに気づき、またまわりのことにも気づくことができる。
この移り変わりゆく一瞬一瞬の「いま」という時間に注目しつづけることこそ、いまを生きることであり、真の自分を生きるということにほかならない。
過去も未来もいまこの瞬間にはない、人が作り出した「思考」であり、「概念」であり、それが「苦」のもとになっているのだ、という。

昔体験した幸福なできごとを思い出して思い出にふける、嫌な体験を思いだして身をよじる、まだ起こってもいない事故や事件や災害を想像して不安にかられる、これらはすべて、いまこの瞬間には存在しない、頭のなかだけのできごとで、思考や概念でしかない。
もちろん、なにか悪いこと起こることを想定してそれを予防したり、起こっても被害が最小限に食いとめられるように準備しておくことは大事なことだ。
人類はそうやって繁栄してきたのだ。
しかし、その思考も過大になると肥大化した予防策が生まれ、ひいては巨大な物質文明を築きあげることになる(実際いまのこの世界はそうやってできてしまった)。

私たちは、いまこの瞬間にしか生きてはいない、このことを身体感覚としてしっかりつかんでおくことは、非常に大切であると同時に、私たち文明化した人間にとっては困難なことでもある。
つねになにか思考し(いまここにいない)、過去を振り返り(いまここにいない)、未来を想像し(いまここにいない)、ここではないどこかべつの場所に思いをはせている(いまここにいない)。

かれこれ15年くらい、マインドフルネスのことをよくかんがえ、ときには練習したり、実践したり、ワークショップを開催したり、また書籍に書いたりしてきた。
そのことが、末期ガンによる余命を告げられたとき、私にとって非常に重要なバックボーンとなっていることに気づいたのだった。

ピアノ七十二候:寒露/鴻雁来(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
寒露の初候(49候)「鴻雁来(こうがんきたる)」をイメージして演奏しています。

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約5日おきに新曲が配信されます。
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2019年10月7日月曜日

春野亭日乗 10月5日(土)体調低下、やりくりしながら仕事、攻めてるサイゼ

朝から調子悪し。
軽い嘔吐感で食欲全滅、倦怠感で階段の上り下りもしんどい。
横になるとすぐにうとうとしてしまう。

オンラインの個人セッションがひとりあったが、短めに終わらせてもらう。
そのあと近所のルネサンス(ジム)にお風呂だけ入りに行く。
急に暑くなってきて、ますますしんどい。

なみこさんが来て、いつものケアをしてくれる。
またうとうとしてしまう。
海津賢くんが来て、2階のリビングでNVCとアレクサンダーテクニークのコラボワークがはじまる。
参加者が多くてにぎやか。
下の部屋でちょっとがんばって「ピアノ七十二候」の演奏入力をする。「寒露」の3回分。

なみこさんの子どもたちを遊ばせるために下の部屋を開放。
自分は大学通りの〈高倉町珈琲店〉に行って、お茶とソフトクリーム。
ラップトップを持っていって、涼しい場所でゆるゆると仕事していたら、だいぶ具合がよくなった。
1時間ちょっとくらいいてから、家にもどる。

賢くんたちのワークショップが終わってから、参加していたみっちーもいっしょに、夕食に駅前のサイゼリアに行く。
サイゼリアは増税のタイミングで価格の引きさげをやっていて、お客でいっぱい。
攻めてるな〜。

2019年10月6日日曜日

調子が悪くなると思考が優位になる(末期ガンをサーフする(21))

10月4日、金曜日。午前10時。
21回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

たまらん坂で調子をはかる。
完調を10とすると4くらいか、あまり調子はよくない。
照射治療のあと、担当医の診察を受ける。
順調に進んでいるとのこと。
治療がどの程度うまくいったかの評価は、終了後1か月くらいしないとわからないらしい。

ともあれ、現時点ではガン部位は確実に縮小している感じがあるし、痛みもすくない。
食事のつかえもほとんどなく、食道の炎症も気になるほどではない。
体調があがったりさがったりはあるけれど、日常生活はガンが見つかる前と大きく変わることなくおこなえている。
とくに私にとって大切なのは、ものを書いたりピアノを弾いたり、人と会ったり、講座やワークショップでともに学んだり伝えたりすること。

楽しみとして編物や料理をしたり、サーフィンをしたり、といったこともできている。
武術の稽古がこれまでと同様、思うようにはできにくくなっていることが、唯一の気がかりだ。

私はここ7年くらい、韓氏意拳という武術に取りくんできたのだが、夜の講習会は体調が落ちていて参加がむずかしいことが増えてきた。

武術の稽古にかぎらず、この先どうなるのだろうと思うことがいくつかある。
料理も食欲があるときにはできているが、食欲がまったくないときにはそれどころではない。
食べものの嗜好も変化してきたし、食べられないものも出てきた。
20代のはじめにバーテンダーのアルバイトをしていたくらい親しんでいたお酒も、まったく飲めなくなってしまった。
飲みたくないわけではなく、飲めない。

そんなふうに、ついこの先のことをかんがえてしまう。
放射線治療が今月中には終わる。
ガンがどのくらい縮小するのかわからないが、完治するのはそもそも難しいと医師からはいわれている。
完治しないガンはその後どうなるのか?
ふたたび肥大化していくのか。
放射線治療は1度受けるとしばらくは受けることができない。

放射線の副作用のひとつとして、別のガンがあらたに生まれる可能性もある。
転移している部位のガンはどうなるだろう。

これらのことはすべて私の「思考」だ。
私たちは言語を持ち、記憶や想像力があり、また文字を持つことで記録もできる。
これらが自分の世界観を規定している。

私たちの言語には現在、過去、未来という概念があり、それにとらわれている。
そこから苦しみや執着が生まれる。
みずから生みだしている苦しみや執着を手放すことはできないだろうか。

2019年10月5日土曜日

春野亭日乗 10月4日(金)絶不調で寝込む、映画の話で元気になる、共感手帳術講座

午前中は多摩総合医療センターに行って、放射線治療の21回めを受けてくる。
歩いていったのだが、あまり調子がよくない感じ。
完調を10とすると4くらいか。

治療から帰ってきてから、午後になってかなり調子が悪くなっり、寝込んでしまった。
倦怠感と軽い嘔吐感があって、なにもできない、食欲もない。
このところ天候がめまぐるしく変わって、暑くなったり寒くなったり、晴れたり降ったりするせいかもしれない。

1時間くらい寝たおかげで、夜はすこし元気になって、共感手帳術講座の2回めをなんとか無事にやれた。
手帳術講座の前に、NVC基礎講座の家開きで来ていたみっちーと映画や本の話をして、それが元気を取りもどす助けにだいぶなった。
みっちー、ありがとう。

写真はこれなら食べられると、ののに作ってもらった鶏玉子とじそば。
ごちそうさま。

オンライン講座類——共感手帳術、共感文章塾、ひよめき塾など——をさらに整理すべく、オンラインコミュニティ方式に移行できないか検討をはじめている。
Slackを使うことをかんがえているところ。
もうすこし調べてみたい。

2019年10月4日金曜日

YouTube:自分のほんとの声とはなにか

現代朗読ゼミのひとコマ。
時々受ける質問ですが、
「自分のほんとの声を知るにはどうしたらいいですか?」
「ほんとの声で読みたい。朗読してもなんとなく嘘くさく感じる」

人はその状況や身体性に応じてさまざまな声を発します。
どれも自分の声でもあり、また嘘くさい社会的に作られた発声であるともいえます。
身体状況と声が一致している、真の自分らしい発声とはどういうことなのか、それを現代朗読では観察し、練習します。

映像はこちら
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放射線治療と体調の変化を観察する・その2(末期ガンをサーフする(20b))

放射線治療にはX線を使う。
医療用の撮影に使う線量の100倍以上のエネルギーを照射して、ガン細胞を——いってみれば——焼き殺す。
ガン細胞だけピンポイントでやっつけられればこんなにいいことはないのだが、そう都合よくはいかない。
放射線はガン細胞にも正常細胞にもひとしくダメージをあたえる。

全身に作用する抗ガン剤治療とはちがって、放射線治療は基本的にガン組織がある部位だけを狙う治療法だが、上記のように正常細胞もこわれる。
また、局所的治療といっても、高エネルギーの放射線を照射するので、全身にも影響がおよばないはずはない。
照射された部分の組織が壊れるのでそれを回復しようと全身が働くだろうし、部分的に組織が壊れることによって全体のバランスが崩れることもあるだろう。

人によって副作用はまちまちだが、私の場合、倦怠感が出る。
食欲不振もある。
人によっては嘔吐感がひどくてものを食べられなくなったり、実際に嘔吐してしまったり、倦怠感で起きられなくなるほど強い副作用が出る場合もあるらしいが、私はそこまでではない。
それでも倦怠感が出て、日常生活に支障が出たり、体重が減ったりする。

ここ1か月、自分の体調を観察してきた結果、倦怠感が強まるのは週のなかばくらいから、そして1日のうちでは午後から夜にかけて、ということがわかってきた。
とくに1日のなかでの体調の変化があって、それとうまく付き合えば活動もこれまでと変わりなくできるのではないかというめどがついてきた。

食事については治療がはじまってからいろいろと変化があった。

飲めなくなったもの、お酒類。
飲みたくなくなったもの、コーヒー。
食べにくいもの、パン、パサパサしたケーキやクッキー、繊維質の多い野菜やくだもの、かたい玄米。
食べやすいもの、汁物、アイスクリームやミルフィーユなど柔らかいケーキ、柔らかいくだもの、ご飯、納豆、豆腐、玉子料理、麺類。
食べたいもの、高カロリー高たんぱく質のもの、揚げ物。

運動はできるだけしたいし、とくに筋肉を作るような運動は積極的にしたいが、夜の運動はむずかしくなってきた。
サーフィンは日中の運動だし、全身をくまなく使うので、できるだけやりたいのだが、いかんせん遠くまで出かけなきゃならないし、時間がかかる。

こんなことを工夫しながら、どこまで活力を維持して活動をつづけていけるか、大きなチャレンジだと思っている。

2019年10月3日木曜日

ピアノ七十二候:秋分/水始涸(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
秋分の末候(48候)「水始涸(みずはじめてかるる)」をイメージして演奏しています。

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2019年10月2日水曜日

放射線治療と体調の変化を観察する・その1(末期ガンをサーフする(20a))

8月中に放射線治療のための予備検査と治療プログラムが作られ、9月2日・月曜日からいよいよ放射線治療がスタートした。
この「末期ガンをサーフする」のその(1)に、時勢はもどる。

今日は10月2日、水曜日。
治療開始からちょうど1か月がたち、治療も予定回数の3分の2となる20回めだった。

平日は毎日、治療がある。
よほど調子が悪くないかぎり、病院まで歩いていく。
距離にして1・5キロ強、徒歩で20分ちょっと。
途中、国立市と国分寺市の境界に国分寺崖線という、かつて多摩川が作った河岸段丘の崖があって、そこを〈たまらん坂〉というみじかい坂がのぼっている。
名称の説はいろいろあるのだが、昔の荷かつぎの人がその坂をのぼるとき、あまりにきついので「たまらん、たまらん」とぼやいたのが坂の名前になったというのがもっとも有力だ。
いまは亡き忌野清志郎がこのあたりに住んでいて、この坂を歌った曲があることで有名だ。

といっても、いうほどたいした坂ではない。
たかだか100メートルか200メートル程度のだらだらした坂で、自転車でのぼるにはちょっときついかもしれないが、歩く分にはまったく平気だ。
平気なのだが、体調がわるいときつく感じることもある。

毎日、ほぼおなじ時間にこの坂をのぼって病院に行くので、その日の体調がかなり正確にわかる。
完調を10点とすると、今日は9点だった。
昨日は8点だった。
一昨日の月曜日は10点だった。
先々週のもっとも低調だったときは、2点か3点くらいだった。

昨日は8点とまずまずだったのに、午後になってだんだん調子がわるくなってきた。
夜は毎週火曜日の韓氏意拳の稽古に行くつもりだっが、結局行けなかった。

1か月、治療と体調の関係をつぶさに観察していて、気づいたことがある。
体調のあがったりさがったりすることはもちろんあるのだが、それとは別に1日のうちにも体調の波がある。
朝から昼にかけて、たいてい調子はいい。
午後から夕方にかけて徐々に落ちていって、夜になるとなにもしたくなくなってしまうことが多い。
食欲も落ちて、夕食をとれなかったりする。

べつに病気でなくても体調の波はそんな感じだろうと思う。
これまでそうだった。
若いころにはそんなことには気づきもしなかったし、もし気づいたとしても無視して体力まかせにご飯を食べたり仕事をしたり遊んだりしていた。
年齢を重ねるとそれなりに体調の変化に気づくようになってきた。
病気になるとそのセンサーは何倍にも鋭敏になる。

1日の波、週の波、それを見据えながら、自分の行動や食事を洗いなおしてみることにした。
(この項つづく)

発見から3か月、放射線治療が決まる(末期ガンをサーフする(19))

昨日は調子よかったけれど、今日は若干、低調。
たまらん坂を歩いてのぼると、かなり正確に体調がわかる。
体調が乱高下するのも当然だよな、と思う。
通常のX線撮影の100倍以上もの線量を毎日被爆しているわけだから。
照射部位は焼けただれているに近いようなものかもしれない。
人によっては嘔吐感で食事も取れなくなるらしいが、私の場合はそこまで副作用は出ていない。

10月1日、火曜日。午前10時。
19回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

  *

抗ガン剤治療とちがって放射線治療の場合は通院ですむ。
副作用の問題もそうだが、入院しなくてすむというのは大きな利点だった。

放射線で治療するという方針が決まったら、話は明快だった。
お盆休みをはさんで、放射線治療のための検査を受け、治療プログラムを作る。
治療のためのプログラムや装置の準備があるらしく、スタートするまでにある程度の日数が必要だということだったが、方針が決まったからには一刻を争うという日程でもなくなった。

お盆休みにちょうど福井県立病院でピアノコンサートをおこなう予定がはいっていた。
これは年に4回、ここ6、7年ずっとつづいているコンサートで、毎回かならず聴きに来てくれる人がいたり、病院側も暖かく歓迎してくれていたり、また私自身にとってもとても大切な演奏機会なのだった。

もし抗ガン剤治療がはじまるとしたら、この日程がつぶれるかもしれないということが、私には気がかりだった。
人にいわせれば、
「命にかかわるガンの治療のほうがピアノコンサートなどより大事に決まってる」
ということかもしれないが、私にはそうではない。
たとえ命をながらえたとしても、自分の命を表現する力や機会がそこなわれてしまったとしたら、その意味は変わってきてしまうのだ。

私は予定どおり、福井の実家に帰省し、予定どおりピアノコンサートをおこなうことができた。
演奏は完全に満足できるものではなかったが、私なりにベストをつくすことができた。
また、聴きに来てくれた人たちや病院の関係者、取材に来た地元の新聞社の若い記者らと、またとない交流の機会を得ることができた。
かけがえのない時間をすごすことができて、自分の命が喜んでいるのを感じていた。

お盆明けの8月19日にふたたびがん研有明病院に行き、放射線治療科の医師の診察を受けた。
相談の結果、有明病院まで毎日通院するのは大変だろうということで、同内容の治療を受けることができる多摩総合医療センターに再紹介してもらって、転院することになった。
こちらだと歩いていける距離で、毎日の通院もさほど負担ではない。

その週のうちに多摩センターに行き、最初の担当医だった消化器外科のI先生と会い、放射線治療科への引き継ぎをしてもらった。
I先生は私にセカンドオピニオンをすすめてくれた人だが、結局またこちらにもどってきた、結局のところ、最初から私が希望していた「抗ガン剤治療ではなく放射線治療を」という内容に帰ってくることになったわけだ。

さらに翌週、8月28日に、放射線治療計画を作るためのCT検査を受けた。
最初に食道ガンが見つかってから、ちょうど3か月が経過していた。

2019年10月1日火曜日

YouTube:オカリナのためのピアノ伴奏を作る過程を記録した動画その2

鹿児島のオカリナ牧師こと久保木聡さんと、オカリナとピアノによる唱歌などの名曲集を製作中ですが、前回の唱歌「紅葉」につづいて、今回は水城のオリジナル曲「ヒガンバナ」ピアノ伴奏を録音する過程を、そのまま動画にしてみました。

「ヒガンバナ」
 作曲:水城ゆう

映像はこちら
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偶有性の「いま」を生ききるための選択(末期ガンをサーフする(18))

週末は調子がやや低迷していた。
金曜日に照射治療を受けたあと、その足で湘南に向かい、サーフィンをやってきた。
海は偶有性に満ちていて、あらかじめなにかを予測したり、準備したり、コントロールすることが難しい。

サーフィンといっても、自分でできることはほんのすこし。
あとは巨大な水のエネルギーに任せ、逆らわず、遊ばせてもらうだけ。
そのためには神経系をひらき、全身を開放する必要がある。
これってガン治療にかなり効果的なんじゃないか。
なんてことを個人的には感じているのだが、どうなんだろう。

エビデンスがあるのかないのか知らないが、自分の身体が喜んでいることは確かで、いまのこの時間を自分が喜ぶことに使ってマインドフルにすごすということ自体がうれしくありがたいことだろう。
こういう時間を持てる自分の境遇に感謝。

土日は全身を使った余韻でやや疲れが残り、思いがけない筋肉が発熱したような感じがあったりして、元気いっぱいというわけにはいかなかった。
回復をはかるために寝たり起きたりしていた。
それでも出かけたり、人が来たりと、そこそこいそがしくすごしてはいたけれど。

9月30日、月曜日。午前10時。
18回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

うちから歩いて病院まで行く途中に〈たまらん坂〉という清志郎の歌で有名なみじかい坂がある。
たいした坂でもないけれど、そこをのぼっていくと体調がてきめんにわかる。
調子が悪いときは、そんな坂でも息切れしてしんどい。
調子がいいときはへっちゃらだ。

今日はまずまず、へっちゃらの部類だった。
週末の疲れはだいぶ回復した。

  *

8月7日、水曜日。
病院でひと晩すごして、朝食のあと、担当医の見回りがやってきた。
医師が数人と看護師が何人か、テレビドラマで見たように「行例」みたいな感じでやってきて、ちょっとびっくりした。

ともあれ、担当医に、
「抗がん剤治療は受けないことにします」
と告げる。
「そうですか。ではあとであらためて今後の治療方針を相談しましょう」
ということで、いったん去っていった。

待機していると、午前中の遅い時間に担当医がふたたびひとりでやってきて、別室に招かれた。
せまい相談用の部屋で、冷房が効きすぎていて寒かった。

抗がん剤治療を受けたくないという私の意志を尊重してくれた上で、もう一度治験を申請してみるという提案もあったが、それも断る。
「まだ若いのにもったいない気もしますが」
と前置きした上で、
「放射線治療を組んでみましょう。その選択も充分にありえますから」
といってくれた。
私もそれを受け入れることにした。
それはすでに決めていたことだった。
最後にまた「もったいないですね」といわれたが、私には気にならなかった。
私にとってなにが「もったいない」ことなのか、すでにはっきりとわかっていたからだ。