ページ

2018年6月20日水曜日

OS(オペレーティングシステム)としての共感的コミュニケーション

標題のことばは私のまわりでよく聞く文言で、私もそれにはとてもしっくりくる。

私たちは社会的動物なので、人と関わって生きていく必要がある。
また、人間という動物の特性で、自分のなかに「他者性」を持っている。
自分を取り巻く「他者」と自分のなかにある「他者性」、そのいずれともうまく付き合っていけないと、けっこうつらいことになる。

それら他者たちと付き合う方法やかんがえかたはさまざまあるが、これは自分の時間——人生をどのように生きていくかという、基本的なオペレーティングシステムといっていい。
コンピューター用語だが「OS」と略されることが多い。

私がいまこれを入力しているのはコンピューターはラップトップのMacBookだが、これには「MacOS High Sierra」というオペレーティングシステムが動いている。
Windowsマシンを使っている人なら「Windows10」などが動いていることだろう。
また、スマートフォンのiPhoneやiPadなら「iOS」が、アンドロイド端末なら「アンドロイドOS」が動いている。
これらを基本ソフトということもある。
各アプリケーションはこの基本OSの上で動いている。

インターネットを閲覧するためのブラウザソフト、文章を入力するためのテキストエディタやWORD、表計算ソフト、メールソフト、写真を整理したり動画を編集したりするソフト、そういった便利なアプリケーションはすべて基本OSの機能を利用して動いている。

私たちがだれかと会話したり、仕事したり、表現したりするとき、そしてそれらの行為をアプリケーションを実行しているとかんがえたとき、基本OSはなにが動いているだろうか。

私はこの10年くらい、さまざまなことをするときに基本OSとして自分のなかに共感的コミュニケーション(NVC)を走らせておくことが多い。
もちろん、基本OSにはさまざまな種類があって、そのつど、自主的に選択することができる。

共感的コミュニケーションはNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)ともいうけれど、逆に暴力コミュニケーションをOSとして走らせておくこともできる。
あるいは哲学的なかんがえかた——実存主義だったり、構造主義だったり——を自分のOSとして走らせている人もいるだろう。
心理学的なかんがえかた——アドラー心理学だったりカール・ロジャースだったり——を基本OSにしている人もいるだろう。

さまざまなスピリチュアルなものや、宗教的なものをよりどころ——つまりそれが基本OS——にしている人もいる。

選択肢はさまざまだ。
さまざまだが、私自身は表現活動をおこなったり、自分を知ったり、だれかとつながるときに、基本OSとして共感的コミュニケーションを採用すると、いろいろなことがうまくいくことが多いと感じていて、採用頻度が多くなっている。


基本OS上で動くアプリケーションにあてはまるのは、私たちの日々の行為だ。
だれかと会話したり、仕事したり、表現したり、通勤したり旅をしたり、買い物に行ったり、といった個々の行為。
これらの行為をおこなう(アプリケーションを動かすにあたって)、そのときどんなOSが基本ソフトとして走っているかによって、アプリケーションの挙動や結果が変わる。

たとえばだれかと会話するとき、基本OSに暴力的コミュニケーションを採用しているのと、共感的コミュニケーションを採用しているのとでは、まるでちがったことが起こる。
子どもと接するとき、教育的保護者OSを採用しているのと共感的コミュニケーションを採用しているのとでは、まったくちがったことが起こる。

なにかをおこなうにあたって、どんな基本OSを採用するかということがどれほど重要であるか、よくわかる。

問題がひとつある。
コンピューターとちがって、私たちはヒトという生命体だということだ。
つまり、ハードウェアが生身であり、それはつねに変化しつづけているということだ。

コンピューターのハードウェアは機械であり、そうそう変化しない。
しかし、人間のハードウェアである身体は一瞬一瞬変化しつづけ、流動的だ。
身体はその状況や時間、環境によってさまざまに変化する。
基本OSもその変化に応じられる柔軟なものでなければならないし、また基本OSが変化に柔軟に対応できるようなインターフェースをみがいておく必要もある。

コンピューターにもこの部分がある。
I/O(Input/Output)と呼ばれる部分だ。
いくらOSが優秀でも、アプリケーションの機能がすばらしくても、またハードウェア性能がハイスペックでも、I/Oが適切に働いていなければコンピューターは性能を発揮できない。
人間も共感的コミュニケーションをすばらしく学んでいて知識や経験が豊富であったしても、自分自身の刻一刻の変化を適切に観察し応じることができなければ、うまく働かないだろう。

共感的コミュニケーションを学ぶにあたっては、その方法やめざすところを知ると同時に、自分自身のこともしっかりと観察する練習が必要だ。
その方法には、マインドフルネス瞑想や呼吸法、ヨガなどボディワーク、武術を利用する方法など、さまざまあるが、もっとも簡便でだれもが気軽にそして効果的に用いる方法として私が提供しているのは、音読療法というものだ。


6月30日:ボイスセラピー講座@国立
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。6月30日(土)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

2018年6月18日月曜日

YouTube:朗読とピアノ「水仙」窪田涼子と水城雄

猿川西瓜氏の短編「水仙」を、大阪在住のナレーター・窪田涼子が朗読し、水城がピアノの即興演奏で共演しました。
2018年3月に収録した映像ですが、編集がのびのびになっていたものをあらためて公開します。

 朗読 :窪田涼子
 ピアノ:水城 雄

映像はこちら

鈴鹿で勉強会ふたつをサポートした

2018年6月13日、水曜日。
福井から鈴鹿市に移動して、午後と夜の2コマ、勉強会のサポートをしてきた。

世話人の恵理子さんとは、最初はオンラインでの共感カフェで知り合い、その後、昨年のガイアエデュケーションの一般公開講座の講師で鈴鹿を訪れたときに、初めてリアルにお会いできた。
そのときに、公開講座とは別に、彼女が世話人となって共感カフェを主催してくれて、鈴鹿の人たちを中心にみなさんとつながることができた。

今年もガイアエデュケーションの一般公開講座があるのだが、それは来月だ。
その前に、読み聞かせのボランティアをやっている人たちを中心に音読講座をやってもらえないか、という話をいただき、よろこんで応じることになったのだ。
午後はその音読講座。
ついでに(といってはナンだが)夜は会場を移して、共感的コミュニケーションの勉強会を少人数でお願いしたい、ということになり、こちらも喜んでサポートさせてもらった。

いずれにしても、恵理子さんが全部セッティングしてくれて、まことにありがたかった。
あらためて、ありがとう、恵理子さん。

午後は箕田公民館という、田んぼの真ん中にある新しい施設の和室で、音読講座。
参加者は8人で、内おひとりが男性。
本の内容やストーリーに引っ張られてついおろそかになってしまいがちな自分自身の身体に気づきつづけながら読むということはどういうことなのか、全身が呼吸や発声、ことばを発することに参加し、いきいきとした身体性で音読するとき、どんなことが起こるのか。

さまざまなワークを実際にやってみながら、自分自身につながり、全身で表現することの検証をやってみた。
好奇心いっぱいのみなさんが、いきいきとワークをやっているのを見るのは、こちらも楽しいことだった。

夜はショッピングタウンのなかにある喫茶店の一室に場所を移して、共感カフェを開催。
もともと少人数でじっくりやってみたいという恵理子さんの要望があったので、途中から参加した人も含めて6人というメンバーで、個別の気がかりを取りあげたり、実際の問題をお互いにじっくりと聞き合ったり、という丁寧でゆったりした時間を持つことができた。

そのあと私はさらに、東京国立まで車で移動する、というハードスケジュールだったのだが、鈴鹿のみなさんと交流できたおかげで身体もこころも元気で、無事に帰りつくことができた。

来月も鈴鹿にお邪魔することになっている。
7月15日(日)午後は鈴鹿カルチャーステーションでガイアエデュケーションの一般公開講座があるのだが、その前日の14日の午後には、子ども共感教室や保護者も対象にした共感的コミュニケーションの勉強会もやることになっている。
みなさん、またお会いしましょう。


7月8日:朗読と共感のコラボWS@名古屋天白アロマファン
朗読と共感的コミュニケーションを両方体験し、実践を深めることができるワークショップを、午前と午後にそれぞれ、名古屋市天白区の古民家スペース〈アロマファン〉で開催します。

2018年6月17日日曜日

しつけと称する虐待

「しつけ」ということばや行為がいやでいやでしかたがない。
私のニーズはもちろん、子どもたちが守られ、安全にはぐくまれること、それによって私の安心があるということ。

幼い子どもが犠牲になった不幸な事件があるたび、「しつけ」ということばが親から出てくる。

事件でなくても、子どもが公衆の場で騒いだり、行儀がわるかったりすると、
「親のしつけがなってない」
「どういうしつけをしてるんだ」
と親が責められる風潮がある。

学校からも、
「家庭でのしつけをしっかりお願いします」
なんてことをいわれたりする(余計なお世話だ、学校の都合を押しつけないで)。

「しつけ」ということばや考え方を根本から見直してほしいと思う。
しつけというのは犬や動物に使うことであって、人間(たとえ子どもであっても)に使うものではない。

犬や猫などのペットは、たしかに、人間社会のなかで都合よくふるまうことを学ばせることによって、皆にかわいがられ、結果的に彼らも安心できたり、生存のニーズを満たせたりする。
人間の子どももそうだろうか。
社会的に都合よくふるまうことで、安心できたり生存のニーズを満たせるようになるのだろうか。

たしかにそういう側面はあるかもしれない。
しかし、自分の子どもにそうなってほしいと思う親はいるだろうか。

すくなくとも私は、自分の息子に、社会に都合よくふるまえるような人間になるのではなく、自分でかんがえ、自分の選択で行動し、自立し、また自発的に他者をたすけたり社会の役に立てるような人間になってくれることを望む。
自分自身もそうでありたいと思う。
社会の都合で「しつけ」られたりするのはまっぴらごめんだ(体制には逆らうよ)。

子どもに自発的で自立的な行動を身につけてもらいたかったら、「しつけ」ではなく「共感」によって、自分につながりみずからかんがえて行動する力を育てることが、大人のできるサポートなのだろうと思う。


◎このような記事はメールマガジンでも配信しています。
不定期ですが、水城が考察するさまざまな記事がお手元メールボックスに届きます。
登録はこちらから。無料です。

2018年6月16日土曜日

YouTube:朗読「貯金しても使わない人」勝木雪子

中国の作家、林志明氏の短編集『天使在人間』(鄧晶音・訳/河出書房)から短編を朗読するシリーズ、第3弾です。
「貯金しても使わない人」を、現代朗読のゼミ生・勝木雪子が朗読しました。

ハンセン病を扱った小説集である本書は、サブタイトルに「中国ハンセン病回復者の綴る17の短編小説」とあります。
ハンセン病について、そしてこの本についてすこしでも多くの人に知ってもらいたい、という思いがこめられた朗読です。

 朗読 :勝木雪子
 ピアノ:水城 雄

映像はこちら

命令形という暴力

とくに親しかったり、年齢が下だったりすると、つい使ってしまう命令形。
「早くしなさい」
「約束守れよ」

相手に選択権をあたえない文型だ。
「早くしなさい」は、「早くしないとひどい目にあわせるよ」といっているにひとしい。
いわれた相手には「早くする」以外の選択肢はない。
それに従わなければ、罰が待っている。

ナイフを突きつけられて、「いうとおりにしないと刺すよ」といわれているのと、基本的におなじ文型である。
まちがいなく暴力である。
ことばの暴力も物理的な暴力も区別はないのだ。
おなじことなのだ。

私たちはつい、子どもにそんな暴力をふるってしまう。
自分より下だと思っているからだろうか。
子どもは自分の所有物だから好きにしていいと思っているからだろうか。
まさか、という人がいるかもしれないが、実際には無意識でそんなふうに感じているかもしれない。

子どもでなくても、だれかに命令形を使ってしまうとき、それはすべて暴力といっていいだろう。
暴力の定義は、物理的にせよことばにせよ、相手に選択肢をあたえないことだ。

「あなたが早くしてくれるとお父さんはうれしいな」
と自分の気持ちやニーズを伝え、「お願い」することはできる。
そのとき、相手にも選択肢はある。
そのお願いをきいてもいいし、きかなくてもいい。
いずれにしても、自分のニーズがある。

お願いをきいてあげたいかもしれないし、お願いされてもきくことができない別のニーズがあるかもしれない。
子どもであろうがなかろうが、すべての人がニーズを尊重され、選択肢をゆるされるのが、共感的な世界だ。

ただし、いくつか例外はあって、命令形を使ってしまうこちら側になんらかの痛みがあるとき、緊急避難のとき、ある程度の暴力が親密さの確認になるとき、などだ。
これについては項をあらためて書くことにする。


心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会です。6月の開催は16(土)14時/18(月)11時、それぞれ約3時間です。

2018年6月15日金曜日

イベント情報リークいくつか

あたらしいイベントの企画がいくつか進行中で、ちょっとリークする。

ひとつは「共感男塾」の番外編で、「ノンバイオレント・クッキング(NVC)」という企画。
音読トレーナー(仮)の山縣理人くん(みっちー)はベジタリアン(ビーガン)をめざしていて、日々ビーガン・クッキングの研究に余念がない。
家畜を含む動物を食さない方向で、非暴力に生きていきたいらしい。

私も料理は好きなので、彼といっしょに、非暴力クッキングを楽しみながら、共感的コミュニケーションも学べるイベントをやろうという話になった。
そして、それはまず、男性に呼びかけてみたいな、と。

先日おこなった共感男塾が好評で、次回の開催も決まったのだが、その番外編としてノンバイオレント・クッキングをやってみようかということになった。
まずは男性に呼びかけて参加者を募集。
ただし、初めての試みなので、国立春野亭での開催として、定員は6名限定。
もし一定期日までに定員に達しなければ、女性にも参加を呼びかけてもいいかな、という段取り。

7月22日正午クッキングスタートで、13時くらいから食事をしながら共感的コミュニケーションについて学びあいの時間をもうける、というイベント企画だ。
興味ある人、いますか?

ふたつめは、山梨県北杜市で音読カフェを開催するという企画。
7月の出張ワークは、8日に名古屋天白〈アロマファン〉での朗読と共感のコラボワーク、14日の鈴鹿での子ども共感教室と共感カフェ、15日のガイアエデュケーション一般公開講座の講師などあるが、それに加えて12日に北杜市の個人宅で音読カフェをおこなうことが決まりそうだ。

ほかにも7月29日には半田市の新美南吉記念館で、語人サヤ佳ちゃんとなにかやることが決まっている。

そしてこれはリークというより正式に決まったばかりなので告知するが、7月6日夜には渋谷の総合文化センター大和田で、オーストラリア在住のダンサーでNVCつながりの矢澤美穂さんと朗読の野々宮卯妙との3人で、動きと声と音楽の瞑想ワークショップ「Music Movement Meditation Workshop」を開催する。

いずれも興味を持っていただけたら幸いだ。

2018年6月12日火曜日

成長の季節、学びのとき

梅雨にはいって、植物がわさわさと成長している。
庭や田畑では雑草とのたたかいがはじまっているだろうが、友人からいただいた豆苗の切り株はずんずん伸びるし、友人が残していった玄関先の花は今年もまたもうすぐ咲きそうだ。
最近ときどき見かけるめずらしい種類の白い紫陽花も、満開になっている。

明日は鈴鹿経由で東京にもどる。
土曜日・16日の午前中は現代朗読ゼミ、午後は共感音読カフェ。
日曜日・17日は、変則的だが午前11時から身体文章塾。
月曜日・18日は午前11時から共感音読カフェ。

身体文章塾に定期的に参加したいという人が加わってくれた。
自動的にゼミ生となる(参加費は身体文章塾の月額費だけだが)。
ゼミ生は共感音読カフェも現代朗読ゼミも参加費免除なので、ずんずん学んでほしいし、私もいっしょに成長したいのだ。

この歳になっても、やればやるほど自分に足りないところが見えてくる。
そしてもっともっとやれるようになって、やりたいことをやりたいと思う。
参加してくれる人がいて、互いに刺激しあって、ともに学び成長できるということ、こんなにうれしいことはない。
いまの自分の境遇に感謝する。

これがいつまでつづくかはわからない。
命もかぎりあることだし。

共感!男塾、開催しました(好評につき次回決定)

2018年6月8日の夜、世田谷の代田区民センターで「共感男塾——共感的コミュニケーションで世界を味方につける」を開催した。
参加資格は男性もしくは「自分は男だと思っていてそこに問題を感じている人」。

共感的コミュニケーション(NVC)の勉強会は、参加したことがある方ならわかると思うが、女性の参加者が多い。
私の勉強会でも女性のみ、という回がしばしばあるくらいだ。
しかし、うれしいことに、ここ数年は男性の参加者もすこしずつ増え、ときには半分くらい男性ということもあるようになってきた。

そんな場で、しかし、なんとなく居心地が悪いような顔つきの男性がいることがある。
女性のいる場で発言に気をつかったり、自分の存在そのもの(ごつい身体や声、男性的しぐさなど)に肩身の狭い思いをしている男性がいるのだ。
実際、場に男性がいることに嫌悪感をあらわにする人もいたり、あとでそのことに共感を必要とする方が出てきたりすることもある。

そこで、異性を気にせず、男性性で肩身の狭い思いをすることなく、安心して発言し学びあえる場を作ってみようと思いたち、「共感男塾」を開催することにしたのだ。

もちろん、共感の世界では性差は関係ないとされる。
性差どころか、LGBTといわれるさまざまなマイノリティの人たちの多様性をも大切にしつつ、そういったものを越えてお互いに共感しあい、違いを尊重し、共存できる世界が、共感的コミュニケーションのめざすところだ。
男女差ばかりではなく、年齢差、人種差、職業的立場や社会的地位、障害のあるなし、こういったものをすべて越えて、人と人としてのつながりを大切にするのが、共感的コミュニケーションのめざす世界なのだ。

とはいえ、現実の場面ではいろいろ気になったり、引っかかったり、うまくいかなかったり、痛みがあったりする。
そういうことを遠慮なく話したり検証してみようというのが「共感男塾」のねらいである。

参加してくれた方々の感想には、
「安心して気遣いなく話ができた」
「さっそくすぐに実践的に使えるたくさんの気づきがあった」
など、こちらの貢献のニーズが満たされるものもあって、うれしかった。
またやってほしい、という声もあったので、いっしょに世話人をやってくれたくまさんこと大間哲さんと相談して、さっそく次回の日程と会場を押さえた。
今回参加できなかった人も、タイミングがあえば参加してみてほしい。

リピート参加も歓迎。
すこしずつ違うアプローチで自己共感や学びを深めていっていただけたらと願っている。

7月20日:共感男塾@世田谷
男性(もしくは男性と自認している人)限定の共感的コミュニケーションの勉強会を、7月20日(金)19時半から千歳烏山駅徒歩2分の会場で開催します。案内人は水城ゆうと、くまさんこと大間哲のふたり。男性ならではの共感の悩みに挑みます。

2018年6月11日月曜日

音楽:ケティル・ビョルンスタ「The Sea」「The River」

ちょっと時間があるときなど、Apple Music でランダムに音楽を聴くことがある。
知っているアーティストや曲を狙って聴くのではなく、知らない曲をあらたにリリースされた作品を中心にランダムに流してくれる「ニュー・ミュージック・ミックス」というサービスがあって、リストは私の視聴履歴に左右されるらしいのだが、いずれにしても私が聴きそうだとアルゴリズムが判断した新曲を連続で流してくれる。

だいたいは聴き流しているのだが、時々「おっ」と思うような曲にたどりつくことがある。
今日は Anneli Drecker という人が歌っている「Mayflowe, New York」という曲に出くわした。
歌もいいのだが、伴奏のピアノが私の身体にはいってきた。
だれだろう。

クレジットにはケティル・ビョルンスタとある。
知らない人だ。
うかつなことに、ケティル・ビョルンスタを知らなかったのだ、私は。

調べてみると、ECMからたくさん作品をリリースしている。
そして彼はピアニストというだけでなく、たくさん小説を出版している作家でもあるのだった。
そのこともあって、がぜん興味がわいてきた。
残念ながら、日本語に翻訳されている小説はない。
1952年生まれというから、私より5歳上だ。

すこし古いアルバムだが(1995年)、彼の代表作といわれる「The Sea」を聴いてみることにした。
つづけて「The River」も聴いてみた。

どうやらビョルンスタは「水」をテーマにした表現を多くおこなっているらしい。
なんとなく親近感を覚える。
どちらのアルバムも、どこか映画音楽のような、情景やストーリーが浮かぶようなものだ。
「The Sea」のほうはディストーションのかかったギターサウンドなどもからみ、ちょっとハードな、前衛的な面もあるけれど、「The River」とともに通じるのは、けっして奇をてらったり、テクニックをろうしたりはしていない、ということだ。
むしろ実直で、口数の少ないサウンドといっていい。

聴いていて、これはジャズなのだろうか、と思う。
ビョルンスタは北欧ジャズのコンポーザーでありピアニストとして分類されているようだが、一般的な意味ではジャズではないよな。
それは一聴すればだれでもそう思うだろう。
クラシックのような曲想であり、現代音楽のようでもあり、映画音楽のようでもある。
が、即興性もある。

「これは」というアーティストに出会ったとき、その人がたくさん作品を残しているとなんだかほっとするのだが、ビョルンスタも幸いにたくさんのアルバムがある。
これからじっくり聴きこんでみよう。
その前に、 Anneli Drecker が歌っている「Mayflowe, New York」のはいっているアルバム「A Suite of Poems」をまず聴きこんでみることにしよう。

神宮前、新代田から福井へ、そして鈴鹿へ

先週金曜日の夕方、神宮前のラルテで髪を切ってもらって(担当は新人の森川くん)、夜は新代田に移動して共感男塾を開催して(楽しかったな)、いまは福井の実家に帰省中。
こちらも梅雨入りしたようで、気温はそう高くないが、湿気がすごい。
動くとすぐに汗ダラダラになる。

明後日・13日は午前中から鈴鹿に移動。
13時から鈴鹿市の箕田公民館というところで音読講座。
読み聞かせのボランティアをやっているお母さんたちを中心に、朗読や音読についていっしょにやってみたり、研究したりしてみる予定。

夜はおなじ場所で共感カフェを開催。
どちらも、どなたでも自由に参加できるとのことで、興味がある方は私に直接声をかけていただきたい。
世話人をやってくれている恵理子さんにつなぎます。
ただし、夜の共感カフェは参加枠があと2名だそうだ。
昼はもうすこし余裕があるらしい。

2018年6月9日土曜日

陽春の奥日光・湯ノ湖

まなびジャパン(Manabi JAPAN)で、
「ドローンが捉えた日本の風景 vol.3  陽春の奥日光・湯ノ湖」
が公開されています。

音楽を私・水城雄が担当しています。
ぜひご覧(お聴き)ください。

視聴はこちらから。

2018年6月7日木曜日

東京=中京=北陸、移動ルート

以前は東京と北陸の実家を飛行機で行ったり来たりしていたが、一昨年末から車での移動に切り替えた。
移動途中の名古屋や岐阜で私を必要としてくれる人たちがいて、立ち寄って勉強会の案内をするようになったからだ。

とくに名古屋天白の〈アロマファン〉の水野生惠さんと、岐阜各務原の〈カフェ花寧香〉の白狼澪さんにはお世話になっている。
アロマファンは一種のコミュニティのようになっていて、常連さんも増えてきたし、初めておいでになる方もそこが安心で、くつろげて、深い(本来の意味の)スピリチュアリティを体験できる場であることがすぐにわかるだろう。

カフェ花寧香は澪さんが苦労して皆が集える場に整えてきていて、これからアロマファンのようなコミュニティになっていくのではないかと思う。
すでに毎月マルシェを開催していて、毎回にぎわっているようだが、共感的なつながりの場としてのコミュニティとしても、私は希望を感じている。

東京の国立市から中央自動車道に乗り、名古屋や岐阜に立ちよる。
三重県鈴鹿市も、名古屋からちょっと足をのばせばすぐだ。
北陸へはあたらしく開通した東海北陸道を北上するか、北陸自動車道を経由。

今週末の土曜日・6月9日には、カフェ花寧香で共感的コミュニケーションの勉強会を開催する。
テーマは「親密な関係」。
私が羽根木の家時代からずっと追求してきたテーマで、夫婦などのパートナー、親子や兄弟といった、ごく親しい間柄においてしばしば困難な局面を迎えることのある関係性を、どのように扱い、つながりを深め大切にしあえるかを学び、練習するための勉強会だ。
興味のある方はぜひおいでいただきたい。

岐阜各務原は岐阜県はもちろん、愛知県、三重県、滋賀県あたりからもアクセスのいい場所で、会場には駐車場もあるので車で来られるのもいいだろう。
駅からも近い。

この6月はたまたまアロマファンでのイベントはないのだが、代わりに鈴鹿市で矢田恵理子さんが勉強会をお世話してくれる。
13日の午後に読み聞かせの活動をしているみなさんを対象にした音読講座を、夜は共感的コミュニケーションの勉強会を開催する。
興味のある方は私まで直接お知らせいただきたい。
恵理子さんに直接おつなぎできるかと思う。

最近、富山から共感手帳術講座に参加してくれている方と、富山でも勉強会を開催できるといいねという話になっていて、そうなるとまたルートが変更になるかもしれない。
そういうのを企画するのもなかなか楽しい。


6月9日:親密な関係における共感勉強会@各務原〈カフェ花寧香〉
共感的なコミュニケーション(NVC)は親密な関係ほどやっかいな面があります。親子、親友、兄弟、そして恋人や夫婦。岐阜各務原では初開催となる勉強会、豊富な経験を生かした水城雄がご案内します。

2018年6月6日水曜日

映画:キングコング: 髑髏島の巨神

2017年公開の合衆国映画。
監督はジョーダン・ヴォート=ロバーツという人。知らない。

キングコングの映画はたくさん作られていて、最初に映画に登場したのは1933年。
日本のゴジラと対決する映画もある。
こちらは1962年。
この「髑髏島の巨神」は最新のキングコング映画ということになる。

サミュエル・L・ジャクソンがごりごりに頭のかたい、しかしやり手の軍人を演じていて、コングと軍人チームが対決する。
対決の構造はほかにも用意されていて、地中に住むやはり巨大生物のスカル・クローラー。

こういったドンパチシーンや、怪獣同士のバトルシーンは、相変わらずのハリウッド映画なのだが、映像自体はすばらしい。
とくに嵐に守られた島の風景、島民たちの姿、彼らが神殿としている朽ちた軍艦など、美術がいい。
こういった映像美術は「ジュラシック・パーク」や「アバター」「ロード・オブ・ザ・リング」などのCG映像の流れを汲んでいるものだ。

CGというとロボットや宇宙船やキャラクターのアクションを思いうかべることが多いが、世界設定というかその映画の世界観を作りあげる仕事において、いまや絶大な力を持っている。
ストーリーはともかくとして、映像を楽しめる娯楽映画としておすすめしておこう。


6月17日:身体文章塾
テキストで自分自身を伝えるために、自身の身体性とむすびついたことばや文体についてのさまざまな試みをおこなっています。6月の開催は17(日)11時からと24(日)19時から約1時間半程度です。

世田谷野毛の楽ちん堂共感カフェ

野毛の〈楽ちん堂カフェ〉での共感的コミュニケーションの勉強会を小浜華子さんがセッティングしてくれたので、案内人として出かけてきた。

こちらには初めてお邪魔する。
多摩川がすぐ近くの、とてもオープンな雰囲気のカフェで、飲み物の大部分はセルフサービスで作ったり取ったりして、お代も自主申告、あるいは代金箱に自分で入れる方式。
また、ツケ伝票というノートが置いてあって、お金の持ち合わせがない人はそこに記入しておいて、次回来たときに清算する。

名物はレモンカレーで、シロップを作るために浸けこんだレモンの果肉を、カレーに混ぜこんである。
チャツネを加える方式があるが、あれに似ているかもしれない。
レモンの香りが新鮮な感じだ。
常連さんは「大盛り」をためらうことなく注文していた。

参加者は私もいれて8人。
小浜さんの自主保育仲間が中心ということもあって、自由できさくな雰囲気の女性ばかりだ。
私の知り合いでは、以前現代朗読のゼミ生でしばらく海外に移住していたFさんが、ひさしぶりに顔を見せてくれたり、今年になって私や野々宮とのぞみさんの勉強会に顔を出すようになったOさんが参加してくれた。

とくにカリキュラムはない共感カフェだが、初めて共感的コミュニケーション(NVC)を体験するという方が多かったので、その基本的な考え方や意図、これが人間関係にどのように役にたつかといった簡単なレクチャーからスタートした。
そのあと、自由な問題提起や質疑応答。

やはり子どもとの関係についての質問が多く、なかには自分がそうとは知らずに暴力的な言動で子どもをコントロールしようとしていたことにあらためて気づいて、軽くショックを受ける人もいたようだ。
しかし、それはよろこばしいことなのだ。
まずは自分がなにをやっているのか、そしてそれはどういうことを大切にしているのか(どんなニーズがあるのか)に気づくところから、関係性の質を変えるきっかけが生まれる。

あと、パートナーなど家族との関係、自分自身のことについて、さまざまな質問や意見交換がおこなわれたのだが、自分たちの生き方について正直で本質的な話を、怖れなく安心して話せる場になっているということが、私には大きな喜びだった。
世話人の小浜さんのおかげによるところが大きい。

この会は来月も開くことが決まっている。
日時はあらためて告知されるが、今回集まってくれた人のみならず、共感的コミュニケーションに興味を持っている人、共感的なつながりを必要としている人にも参加してもらえればと思っている。


共感的なコミュニケーション(NVC)は親密な関係ほどやっかいな面があります。親子、親友、兄弟、そして恋人や夫婦。岐阜各務原では初開催となる勉強会、豊富な経験を生かした水城雄がご案内します。

2018年6月5日火曜日

参加対象を絞りこんだ共感勉強会ふたつ

共感的コミュニケーション(NVC)を学ぶためにはいろいろな方法や機会がある。
まずはNVCジャパンネットワーク(nvc-japan.net)の「学ぶ」や「集う」に集まっている講座や勉強会情報を探してみるのがよい。

私もここに情報を出している。
そのほかに、自分のウェブサイトにも、私がおこなっているイベントを日付順に一覧できるページを作っているので、こちらも参照してみてほしい。
⇒ https://www.mizuki-u.com/event

このなかの近日開催のもので、参加対象者を限定したイベントがあって、切口としてはユニークではないかと思うので、必要としている人に届くことを願って紹介しておきたい。

ひとつは「共感男塾——共感的コミュニケーションで世界を味方につける」という勉強会で、世田谷の新代田(下北沢の隣駅)で6月8日(金)の19時半から開かれる。
私と、くまさんこと大間哲さんの、おじさんふたりがご案内する会で、参加者を男性(自分を男性だと判じている方を含む)に限定している。

共感的コミュニケーションの勉強会は、傾向としておおむね女性の参加者が多いことがほとんどなのだが、このところうれしいことに男性の参加者もすこしずつ増えてきている。
ところが、女性に無防備な自分を開示することに抵抗があったり、遠慮や配慮が働いてしまって、深い学びにつながりにくい人もいる。
そういう人にも安心して参加できるようにしたい、という思いがある。
また、男性であるがゆえにつらい思いをしているケースもあるので、その点にもスポットをあててみたいという気持ちがある。

男性のみなさん、どうぞ気軽にご参加いただきたい。

6月8日:共感男塾@世田谷
男性(もしくは男性と自認している人)限定の共感的コミュニケーションの勉強会を、6月8日(金)19時半から下北沢駅徒歩7分の会場で開催します。案内人は水城ゆうと、くまさんこと大間哲のふたり。男性ならではの共感の悩みに挑みます。


その翌日の6月9日(土)は、岐阜県の各務原市で「親密な関係における共感勉強会」を12時から〈カフェ花寧香〉で開催する。
世話人は花寧香のオーナーの白狼澪さん。
「親密な関係」の問題は何年か前から私がずっと扱いつづけてきたテーマで、勉強会も数多く開いてきたが、今回はひさしぶりとなる。
そして各務原では初開催となる。

親密な関係とは、恋人同士、夫婦などパートナー、親子や兄弟など、とても親しい間柄のことで、ともすれば共感しあうことに困難を感じることが多い。
ここに切りこんでいき、関係の質をより高めていくことを試みる勉強会だ。
必要としている方々に届くことを願っている。

6月9日:親密な関係における共感勉強会@各務原〈カフェ花寧香〉
共感的なコミュニケーション(NVC)は親密な関係ほどやっかいな面があります。親子、親友、兄弟、そして恋人や夫婦。岐阜各務原では初開催となる勉強会、豊富な経験を生かした水城雄がご案内します。

2018年6月4日月曜日

手帳術(エンパシーノート)講座と身体文章塾

昨日は午後に共感手帳術(エンパシーノート)講座、夜に身体文章塾を開催した。
手帳術のほうはベーシック編のフォロー回で、午後2時から約3時間おこなった。
先週みっちりおこなった共感手帳術の基礎を踏まえて、それぞれの参加者に一週間やってもらって、それを受けての疑問点やうまくいったこと、うまくいかなかったことなどを聞いてフォローする回だった。
が、それ以上に、使い方についていろんなアイディアが出てきて、それを発展させておもしろいワークができた。

たとえば、ルーティンとして毎日やることを「フロー化」することで、非常にすっきりと効率的にニーズにつながった行動ができるようになる。
これはある程度チーム手帳術のジーノが前からやっているらしく、彼がさらに共感ベースに緻密にしてくれた。
みんなで日常のルーティンをフロー化してみると、いろいろ見えてくるものがあっておもしろかった。
また、ルーティンのひとつひとつにもニーズがあり、またそれらをひとまとめにした「フロー」にもニーズがある。

次回からはいよいよアドバンス編にはいっていく。
これは自分の将来設計や、どんな人生を送りたいか、どのように人間になりたいか、どのような世界を見たいか、といったことを、夢物語ではなくニーズレベルで明確にし、その実現の戦略を長期・短期にわたって具体的に練り、明日のスケジュールに落としこんでいくという実践をやる回だ。
私もいっしょにやってみようと思っていて、楽しみなのだ。

夜の身体文章塾もふくめて、どちらも遠方からわざわざ来られた方がいらした(富山と宇都宮)。
身体文章塾では現代社会におけるテキスト表現の「はずせないこと」やコツ、そして身体と文章の重要な関係性とその結びかたについてのレクチャーもまじえながら、エチュードもおこなってみた。
参加してくれた皆さんには感謝。


6月20日〜:オンライン共感手帳術講座(全6回)
もやもやのない「いまここ」に集中できる自分であるための「エンパシーノート」の活用法を学び、自分に共感する習慣を身につける練習をします。ベーシック編、アドバンス編、それぞれ3日間の計6回講座です。

6月17日:身体文章塾
テキストで自分自身を伝えるために、自身の身体性とむすびついたことばや文体についてのさまざまな試みをおこなっています。6月の開催は17(日)11時からと24(日)19時から約1時間半程度です。

2018年6月2日土曜日

ゼミはひさしぶりの人と初参加の人たちで基礎をしっかり

午前中は6月最初の現代朗読ゼミだった。
珪子さんがひょっこり顔を出してくれてうれしかった。
羽根木の家でゼミをやっていたとき以来だから、たぶん2年ぶり以上。
まったくお変わりなくお元気なようすで(家ではいろいろあったらしいが)、相変わらず表現にたいする意欲と好奇心を持ちつづけておられる。

ほかには初めて現代朗読を体験するという人がふたり。
そのうちのひとりは音読トレーナーのなおみさんなのだが、けっこう長い付き合いなので、ゼミに初参加と聞くと意外な気持ちがした。
なおみさんはドイツ在住で、1年に1度の帰国の際にはかならず顔を出してくれて、うれしいかぎりだ。

ゼミのあと、みんなで昼食に行ったときも、ドイツでのようすをいろいろ聞かせてもらった。

初体験とひさしぶりの人のために、現代朗読の基礎的な考え方とトレーニングをまずしっかりとやった。
そのあとでみなさんそれぞれが、自分の朗読表現をあれこれ試してみる。
現代朗読では、表現の根拠は外側からあたえられたものではなく、テキストでもなく、変化しつづける自分という現象にあるとする。
そこを注意深く観察しとらえることが稽古の中心となる。

今月のゼミはあと2回ある。
6月16(土)と30(土)、いずれも午前中に開催。

6月16日:現代朗読ゼミ
朗読や群読などの身体表現を用いていまこの瞬間の自分自身をのびやかに表現するための研究の場・現代朗読ゼミ、終了後は気楽なカフェタイムも。6月の開催は16(土)/30(土)、いずれも10時半から約2時間。

2018年6月1日金曜日

Twitterのほうもよろ。

ちょっとめんどくさいと思うこともあるけれど、SNSはそれぞれが特徴があったり、集っている人の傾向がちがっていたりして、いくつかを掛け持ちしている。
ブログ、フェイスブック、ツイッター、インスタグラム、メールマガジンなど。
ひとつに書けば全部に流れる設定もできるが、そういうことをしている人のダブルポストを読んだとき、ちょっと「チッ」という気分になるので、なるべくおなじ内容のものでもそれぞれですこしずつ違った感じにしようと思っている。
手間がかかるんだけどね。

メイン媒体はブログとメールマガジンだ。
こちらにはがっつりと書く。
こちらに書いたものを、あとでまとめて、リライトし、本にしたりもする。
『共感的コミュニケーション2017/2018』はそのようにしてできた本だ。
今年の末には2019もリリースする予定だ。

イベントのお知らせやちょっとした雑記はフェイスブックとツイッターに流すことが多いが、それぞれテイストがちがう。
フェイスブックは知り合いが多く、コミュニティらしい空気感があるけれど、身内っぽいともいえる。

知り合いの書きこみもフォローしないとこちらのことも読んでもらえないような気がすることもある。
ツイッターはドライな感じがして、書きっぱなしにしても気楽だが、まったく知らない奴から頭ごなしに突っ込まれたりすることもある。
暴言を吐いたり、対立的なやりとりを延々とつづけているやつもいて、ちょっと殺伐としている。

最近はインスタグラムを使うこともある。
こちらは写真だけ流すとか気楽さは一番だが、なんのためにやっているのかよくわからなくなることがある。
比較的若い年代の人たちは、グーグルなどの検索エンジンよりも、インスタのタグ検索のほうを多用しているらしく、彼らに届かせたい情報があるときはこれも有効なのかもしれない。

フェイスブックでつながっていても私がツイッターもやっていることを知らない人がいるようなので、ツイッターのほうも気が向いたらフォローしてみてください。
アカウントは「@YuuMizuki」です。

春を待つ那須高原と茶臼岳

まなびジャパン(Manabi JAPAN)で、
「ドローンが捉えた日本の風景 vol.2  春を待つ那須高原と茶臼岳」
が公開されています。

音楽を私・水城雄が担当しています。
ぜひご覧(お聴き)ください。
視聴はこちらから。