2019年11月13日水曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(8))

北陸の実家に帰省している。
晩秋の、最後のスコンと晴れあがった日で、こういう日は経験的にあと何日もないだろうと思う。
数日前は雷が鳴って、雨が激しく降った。
普通、この時期の雷は、このあたりでは「雪起こし」といって、雪が降る前兆とされている。
が、雪は降らなかった。
気温もまだ暖かい。

今日は福井県立病院に行って長年定期的に開催してきたピアノコンサートで演奏してくる。
今月はこのコンサートと、今週末に語人・小林佐椰伽ちゃんのイベントでの語りのサポート演奏と、月末のパープルリボンコンサートがある。
これらは私の食道ガンが見つかる前から決まっていた。
ガンが見つかったとき、治療や体調の変化が読めなくて、11月のこれらのイベントに常態で参加できるのかどうかわからなかった。
なので、みなさんにはあらかじめ、健康状態が読めないこと、ひょっとして演奏ができなくなることもありうることなどを伝えた。
すべてのみなさんがそのことを理解し、受け入れてくれて、暖かく私の体調維持を祈り、はげましてくれた。

そしていま、11月になって、まだピアノが以前と同様に——ひょっとしてより前へと進みながら——演奏できそうなことがわかって、大変ありがたく、うれしく感じている。
オーストラリア在住のNVC仲間である矢澤実穂さんからは、共演する機会を作りたいと急遽帰国して、ダンスと朗読とピアノによる公演を渋谷でおこなうことにもなった。
こちらも体調が許すイベントとなるだろう。

化学療法による抗ガン剤治療を受けず、放射線照射治療を選択したことが(私にとっては)大きい。
ガンが見つかって以降も、検査や治療のための通院に時間を取られたほかは、それまでとほぼ変わりなく活動をつづけられている。
書くこと、演奏すること、みなさんと交流して伝えたり、いっしょにワークしたり、演出したり、出演したり、映像を撮ったり、編集したり、音楽を作ったり。

予想がはずれたこともある。
放射線治療の副作用が意外に大きかった。
治療中は食欲不振や体重減少、倦怠感が強く、武術の稽古をふくむ運動はほぼできなかった。
治療が終わってからは、おそらく免疫力の低下によるものだと思うが、かるい肺炎にかかって苦しかった。
それはいまもつづいているが、幸いなことに回復途上にあって、まだ完調とまではいかないが、もうしばらくすれば元にもどるのではないかと予想している。

この秋の季節、空気、太陽、雲、風景を楽しみ、コンサートで演奏し、みなさんと交流すること。
一日一日、一瞬一瞬が尊く、輝きに満ちている。
これをあなたにどれだけ伝えることができるか、私はいまそのことに関心を注いでいる

■ろくでもない学生時代

長くなってきたので、このへん——京都で下宿をはじめたころ——の話はざっくりとはしょる。
1年間浪人生活を送ったが、受験勉強はまったくせず、再受験すらまじめに取り組まなかった。
というのは、受験日に京都には珍しくかなりの積雪があり、歩いて行ける受験会場まで行くのがおっくうだったからだ。

再受験におっくうだった理由がもうひとつある。
さすがに2年めの受験では、親に泣いて頼まれたということもあって志望校一本に絞ることはせず、国立大の前に私大をいくつか受けていた。
そのなかで同志社大学の商学部に合格していて(たぶん受験科目に理系の数学があったからだ)、それで安心してしまったというのがある。

私の最大の関心は、親元を離れて京都に住みつづけられるかどうかだった。
当時付き合っていた彼女が京都に住んでいたこともある。

そんなわけで、私は同志社大学生となり、京都に住みつづけ、学校にはまったく行かずにいろいろなアルバイトをしながらライブハウスをめぐったり、琵琶湖までヨットを乗りに行ったり(貸しヨット屋でアルバイトもしていた)、女の子と遊んだり……ようするに遊び暮らしていた。
いまからかんがえても、ろくでもない学生であった。

そんななかで、その後の私の人生を大きく決定づける仕事(アルバイト)に出会うことになる。
いまの私はその仕事の経験からはじまったといっていい。

2019年11月12日火曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(7))

■小説を原稿用紙に書き移す

そのころ——高校生のころ——からなんとなく、鑑賞者の立場から「作り手」側の視点を意識するようになっていったと思う。
音楽にしても小説にしても、
「これはどのように作られているのか」
ということに興味を持つようになっていったのだ。

最初に興味を持ったのは音楽だった。
ブラスバンド部に一時的にでも所属していた経験が、吹奏楽団や交響楽団の全体のサウンドがどのような「パート」の組み合わせでできているのかに興味を向けることになったのかもしれない。
ベートーベンやチャイコフスキーの交響曲や、ビバルディの弦楽曲のスコア(総譜)の縮刷版を買ってきて、レコードを聴きながらそれを読むことがおもしろかった。
多くの楽器やパートが複雑にからみあって壮大な、あるいは繊細なサウンドを織りあげている、その作曲家の技に魅了された。

小説もそうで、「どのように書かれているか」に興味が向かった。
あるとき、まるごと1本、小説を原稿用紙に書きうつしてみようと思った。
といっても、長編小説だと大変なので、短編小説だ。
たしか、小松左京のとても文学的な短編シリーズの「日本女シリーズ」の一篇だったように記憶している。
それを頭から丸ごと、原稿用紙に、改行、字下げ、ルビ、句読点をふくめ、そっくりそのまま書きうつしてみた。

原稿用紙にして80枚とか100枚とか、そんな分量だったと思う。
ちょっと色っぽいシーンもあったりして、楽しんで書きうつした。
この経験はのちに自分が小説を書くようになって、大変役のたった。

■大学受験に失敗する

畑正憲やコンラート・ローレンツの随筆、日高敏高、今西錦司らの動物の本に強い影響を受けた私は、進学進路を京大の理学部動物学科しかないと決めていた。
子どものころから小動物が好きだったし、熱帯や亜熱帯でのフィールドワークにぜひ行ってみたい、自分もそんな研究をしてみたいと思っていた。
高校の進学コースも理系だったので、理学部を受験するのは不自然ではなかった。

大学受験をするもうひとつの——というより最大の目的は、親から離れてひとり暮らしをしたい、ということだった。
私の両親はよく子どもをかわいがってくれて、いまとなっては私も感謝をしているが、とにかく過干渉だった。
教育熱心で、しかしそれは小学校くらいまでは許せるが、中高生になり独立心が生まれてくると、親の過干渉はうっとおしさしかなかった。

高校生くらいになると徹底的に反抗し、親がしろといったことは自分がやりたいことであったとしても意地でもやらない、してはならないということをわざとやる、というような態度を取った。
受験も京大一本ですべりめもなし、本人は絶対受かるつもりでいた。

しかし、結果はあえなく不合格。
数学で大きなミスをやらかし、合格点に足りなかったのだった。

浪人することになったのだが、とにかく親元を離れたかった私はへりくつをつけて京都にある駿河台予備校に通うことになった。
親も「勉強してくれるなら」とあきらめたのだろう、その選択をしぶしぶ受け入れた。

予備校にも入学試験があり、それも失敗するかとドキドキだったが、なんとかパスして、京都に下宿することになった。
駿河台予備校はそのころ、出町柳の近くにあった。
予備校の斡旋でいくつか下宿先を探して、東山二条・岡崎にある学生下宿に決まった。

とにかく親から離れるのがうれしくて、また田舎から出てきた若輩者には誘惑が山ほどあり、受験勉強どころではない生活が4月からうきうきとはじまったのだった。

■京都で下宿生活

私が下宿した東山二条・岡崎という立地は、かなり魅力的・誘惑的だった。
近くに平安神宮、東山動物園、京都市立美術館、京都会館などが集まっている。
二条通りを西に歩いて鴨川を渡れば、商業的メインストリートといってもいい河原町通りがすぐだ。
河原町を南に下れば、三条、四条と繁華街に出られるし、北に上がれば京都御所や同志社大学のわきを通って下鴨神社がある。

二条より一本北側の丸太町通りもいろいろな店があって、とくにライブハウスが魅力的だった。
4月に下宿生活がスタートして何日めかの夜、私は生まれて初めて、ジャズのライブハウスというものに行ってみた。

明日は福井県立病院ピアノコンサート

2012年10月から3か月おきにつづけてきたこのピアノコンサートも、満7年となった。
今回が最後となるかもしれない、というつもりで準備してきたが、体調はまずまず。
先月末から空咳と微熱があって、最初は風邪をひいたのかと思っていたが、診察を受けたら軽い肺炎とのことで、明日のコンサートに支障が出ないか懸念していた。
幸い回復しつつあって、熱もなく、残っていた咳はだいぶおさまってきている。
ただ、肺炎の影響なのかどうかわからないが、腰痛が出ていて、痛み止めを飲まないとかなりきつい。
まあ、痛み止めはよく効いているけど。

福井県立病院でのピアノコンサートは明日で28回めとなるはずだ。
コンサートホールやイベントホールではなく、病院のエントランスホールという開かれた空間での演奏だ。
ピアノの前にオーディエンス用の椅子がならべられているが、そのまわりはいつもの病院の空間。
受付があり、自動チェックイン機や精算機があり、案内所があり、待合所があり、長いエスカレーターは上の階へとつづいている。

エントランスは吹き抜きになっていて、上の階からも演奏を聴くことができる。
上の階にはレストランや休憩スペースがあり。
大きな病院で、病床数は正確には知らないが1000床くらいあると聞いている。

ピアノ演奏がはじまると、用意されたオーディエンス用の椅子にすわって聴く人もいれば、通りがかりに立ちどまって聴いてくれる人もいる。
受付の事務のみなさんも聴いてくれているだろうし、上の階から顔を出して聴いている人もいる。
最初から最後までずっと聴いている人もいれば、ちょっとだけ立ちよってすぐに去っていくような人もいる。
このようなオープンな空間で演奏する機会は、そう多くない。
私もそういった人々のようすを感じながら、それに応じて演奏も変化していく。

この数年は毎回かならず、わざわざ聴きに来てくれる人も増えてきた。
コンサートの日程を病院に電話で確かめて、その日に足を運んでくれるのだ。
知り合いもいれば、まったく交流のなかった人もいる。
最近はFacebookなどでコンサートの日以外にも交流している人もいる。
明日はどんな人が来てくれるだろうか。
楽しみなのだ。

明日は私の中学校のときの先生がご夫婦で来てくれることになっている。
私の活動を知った先生が、それならぜひ参加のみなさんも一緒に歌をうたう機会を作ってはどうか、と発案してくれた。
明日はみなさんもよく知っている歌の歌詞をプリントしたものを配って、みんなで歌えるようにしてくれるという。

3か月後は来年の2月になる。
そのとき私の体調はどうなんだろう。
また演奏できるのかどうかまったくわからないけれど、できればまた行って、みなさんの前で演奏できるといいなとは思っている。
そのためにどのように毎日を大切にすごすことができるか、自分自身に問いながらすごしていきたい。

ピアノ七十二候:立冬/地始凍(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
立冬の次候(56候)「地始凍(ちはじめてこおる)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年11月11日月曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(6))

■繰り返し聴く、繰り返し読む

結果的には、ピアノレッスンとブラスバンド部をやめたことで私は好き勝手に音楽を楽しむ自由を手にいれたといえるかもしれない。
中学、高校と、私は弾きたい曲の楽譜を買ってきては我流で練習し、難しい部分はすっとばしたり、勝手に簡素にアレンジしたりして演奏を楽しんでいた。

その間に父のオーディオ機材もグレードアップして、家の居間には立派なステレオセットがやってきた。
レコードを聴くことはもちろん、FMラジオの高音質な放送を聴けるようにもなった。
また、これは高校になってからかもしれないが、カセットデッキが導入され、レコードやラジオ放送を録音して何度も繰り返して聴けるようになった。

これは私にとって大きなことだった。
音楽にしても本にしても、気にいったものを何度も繰り返し聴いたり読んだりする。
子どものころはだれもが、気にいった絵本を親にねだって何度も読んでもらったりするものだが、その繰り返しが学生時代までつづいていたのは、私の大きな影響を残したと思う。

本も乱読といってもいいくらいたくさんむさぼり読んだが、たくさんの本を読むと同時に何冊かの気にいったものを繰り返し読みつづけてもいた。
SFではロバート・ハインラインが気にいって、ほとんど読破すると同時に、とくに気にいった話は何度もリピートした。
アシモフの『銀河帝国の興亡』(ファウンデーションの話)も気にいっていた。
日本の作家でも小松左京や半村良の小説をリピートした。

高校生くらいになるとだいぶ難解なものにも手を出すようになって、安部公房の小説も繰り返して読んだ。
両親の本棚にならんでいた文学全集も端から順に読んだ。
とくに海外の翻訳ものは大好きで、一時はヘルマン・ヘッセにどはまりしていた。

小説だけでなく、旅行ものや動物もののノンフィクションもたくさん読んだ。
日本では畑正憲の一連の作品、海外ではコンラート・ローレンツの『ソロモンの指輪』など、あげだしたらキリがない。

■ジャズを発見する

高校生になってしばらくしてから、NHKFMに「ジャズフラッシュ」という週一の番組を発見した。
ジャズという音楽との出会いだった。
田舎にはもちろん、ジャズ喫茶などないし、あったとしても高校生の身分ではそんなところに出入りもできない。

生演奏というものにもほとんど接したことがなかったくらいだ。
中学生のとき、市民会館にNHK交響楽団がやってきたことがあって、そのときはじめて生のオーケストラの音を聴いた。
レコードで聴くのとまったく違う音色におどろいたり、楽団員のズボンや上着の裾がてかてかとすり切れて光っているのを見たりした。

ジャズは衝撃的で、それまで私が接してきたどの音楽とも違っていた。
最初は王道どおり、ビバップやモダンジャズの演奏をエアチェックしながら必死に追いかけていたが、曲名も演奏者もたくさんありすぎてとても覚えきれない。
ジャズという音楽の全貌を一度に全部把握しようとしたのが無茶だった。

途方に暮れていたある日、おなじジャズ番組からそれまでとまったく違う感じのサウンドが流れてきて、耳を奪われた。
それはウェザーリポートというグループで、いまでいうフュージョン、当時は電気ジャズだのクロスオーバーといわれていたサウンドだった。
「これがおなじジャズ?」

びっくりした私は、さっそくウェザーリポートを追いかけはじめた。
自分でも耳コピしてピアノでまねしてみたりした。
しかし、いかんせん複雑なバンド音楽をピアノ一台でコピーすることは難しい。
それならと、ピアノソロの演奏を探してコピーしてみた。
マル・ウォルドロンなどの大変暗い曲をコピーした記憶がある。

それが私のジャズ演奏のまねごとの最初だった。
それからはいろんなスタイルの演奏をまねしてピアノで練習したが、すべて我流だった。
学校にもジャズを聴く同級生はひとりもいなかった。

じつは小説の書き方も、ちょうどおなじころに私は「まねごと」をしていたのだった。

YouTube:現代朗読ゼミの冒頭の座学から

2019年11月9日。
現代朗読ゼミの最初に、初参加の人がいたこともあって、すこし座学をおこないました。
その抜粋ですが、ここではこんな話をしています。

表現のわかりやすさ/わかりにくさについての話。
表現の場における非言語的情報交換の想像以上の豊かさについて。
現代朗読がめざす(練習する)豊かな世界について。
自分の内側の情報と外側の情報を統合するフロー状態を練習する。

現代朗読ゼミの参加申し込み・問い合わせはこちら

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2019年11月10日日曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(5))

■せせこましい年功序列がいやになる

当時の中学校——いまから50年近く前のことだ——というのは、とくに田舎はそうだったと思うのだが、年功序列式の先輩・後輩関係がやかましかった。
生まれたのがほんの1年しか違わないのに——人によっては数日しか違わないということもある——学年が1年違うだけで先輩・後輩とうるさく、形式的な礼儀を重んじることを強要された。
それが私には嫌でいやでしかたがなかった。

ブラスバンド部も例外ではなかった。
ひとりでは作れない大きなサウンドを、自分もその一部になってみんなで作るのは楽しかったが、音楽とは関係のないところで儀礼的なことをうるさく強要され、また教師からも強圧的な態度で接せられるのが、本当に不快だった。

先にも書いたように、私はそのころ、学校活動とはべつに読書に夢中になっていた。
とくに同級生や先輩など、学校というせまい世界での人づきあいの必要性を、まったく感じていなかった。
友だちは何人かいたけれど、べつにいなくても不自由はないと思っていた。

ブラスバンド部での活動がすぐに嫌になってしまった。
音楽だって、ピアノレッスンはやめたけれど、家にはピアノがあって——学校にもあった——好きな曲を好きなように弾くことができた。
強要されて不自由なパートを四角く演奏する活動をつづける必要性を、まったく感じなくなってしまった。

学年が変わるのを待たずに、私は退部届けを部長に出した。
つよく慰留されたが、私の気持ちはもうすっかりブラスバンドから離れてしまっていた。

■音楽の先生と英語の先生にかわいがられた

当時の私は反抗心がかなり芽生えていたようで、先輩・後輩関係だけでなく、教師にたいしても一種の「権力者」だという認識があって、とくに理不尽に強権的だと感じる教師にはかなり反抗的な態度をとっていたようだ。
最近になって当時の学校関係者から聞いたことだが、いまだに私のことを忌み嫌っている教師や同級生がいるらしい。

それはそうかもしれない、と思う。
読書好きのおかげだったといまでは思われるが、当時の私はとくに勉強などしなくてもかなりいい成績だった。
授業中は反抗的な態度を取ることがあり、試験勉強もろくにしないのに、成績だけはいいというのは、秩序を重んじる教師にとってはかなり扱いづらい存在だったろうと思う。

しかし、私のことをおもしろがっている教師もいた。
たとえば、音楽の先生もそのひとりだった。
とても優しい先生だったので、反抗的な私にたいしても強権的な態度を取れなかっただけかもしれないが、ピアノが弾ける私を合唱部のピアノ伴奏をやってみないかと誘ってくれた。

合唱部は全員が女性徒で、べつに女性合唱部というわけではなかったが、「男が女といっしょに合唱なんて」という変な風潮が当時の田舎町にはあって、男子生徒はひとりも参加していなかった。
そこに私ひとり、ただしピアノ伴奏者として参加することになった。

これはなかなか楽しかった。
おなじ集団表現でも、私はひとり、別枠といっていいポジションにいて、そのポジションが居心地よかったのだ。
私の伴奏も部員や指導の先生に好評で、歓迎されたのもよかった。
そしてなにより、変な先輩・後輩という序列があまりなかった。

その先生は何年か前に、自宅で転んで怪我をして入院したことがきっかけで認知症をわずらい、急に弱って亡くなってしまった。

音楽の先生以外に、私を1年生のときだけ受け持ってくれた英語の先生がいた。
とても気概があり、教師でありながら平等や反権力の意識が強く、過激な言動にびっくりさせられることもあったし、私も厳しくしかられることが多かった。
しかし、彼女の論理は私には納得できるもので、しかられたとしても理不尽を感じることはなかった。

その先生とはいまだに付き合いがつづいていて、もうかなり高齢だけれどいまだに市民運動に積極的に参加されていたりして、たまに私がたずねていくと歓待してくれて話がはずむ。

2019年11月9日土曜日

オーディオブックの演出、移動は延期

ゼミ生の矢澤ちゃんからもらった果実のドリンクジェル、おいしい。
ありがとう。

昨日は矢澤ちゃんの朗読を聴かせてもらって、すこし演出と修正。
作品がたまったので、後日オーディオブックとして収録する予定。
あたらしいオーディオインターフェースも来たので、収録体制は万全、のはず。

今日はこれから朗読ゼミ。
ゼミ後、北陸に向かおうかと思っていたけど、咳と腰痛がまだだいぶ残っているのと、午後から夜にかけて体調が低下する傾向が気になるのとで、延期。
午後はゆっくりしよう。


いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(4))

■長引く肺炎のなか朗読レッスン

昨日は朗読の個人レッスンをおこなった。
このところ、軽度の肺炎にかかっていて、それが長引いている。

肺炎というのは、かかったことがある人にはよくわかると思うが、けっこうやっかいだ。
最初は空咳が出たり微熱があったりして、風邪をひきかけているのかと思った。
が、風邪のように気管支の炎症ではなく、咳はもっと奥のほうから痰《たん》も痛みもなく起こる。
息苦しさがあって、大きく息を吸いこむと、むせかえるように咳が出る。
だから大きく息を吸えない。

運動するとすぐに息切れする。
ゆっくり歩く分にはいいのだが、急ぎ足で歩いたりすると息切れして苦しくなる。
階段の上り下りもゆっくりしかできない。
ましてや駆けたり、筋トレしたりなんてことはできない。

そんな状態が十日近くつづいていて、なるべく安静にして回復をはかっているのだが、なかなかよくならず、長引いている。
出かけることを控えているが、個人レッスンなら人が来てくれるので負担も少ない。
そして不思議なことに、朗読のことをやっているときは、グループワークでも個人演出でもあまり疲れを感じないのだ。

私は社会的には職業を問われれば、小説家であり、ピアニストといえるが、これほどまで朗読が好きになり、朗読と関わるようになったのには、ちゃんと理由がある。
私自身は朗読はやらないというのにだ。
つまり、私が自分で本を読み、表現行為としてひと前ではおこなわない。
私が朗読に関してやるのは、朗読のためのテキストを書き、朗読者のトレーニング指導を行ない、朗読演出をし、時には採集的なライブやステージで同じ共演者という立場でピアノやキーボードなどの楽器を演奏することはある。
私がそんな風に朗読とかかわっているというと時々おどろかれることがあるのだが、ここにいたったその筋道をいま書いているのだ。

■ブラスバンド部にはいる

中学校に入ってピアノのレッスンに行くのはやめてしまったけれど、音楽が嫌いになったわけではない。
とはいえ、中学生になったばかりの男の子の音楽知識や経験なんてたかが知れている。いまのようにネットに音楽が溢れかえっていて、どこでも自由に好きな曲を聴ける時代ではなかった。

私の音楽体験と知識は、まずはピアノレッスンで自分が練習していた初歩のクラシック音楽——とくにピアノ曲。
それからテレビやラジオから流れてくる流行歌やポップスなど、ランダムで雑多な音楽。
学校の音楽の時間に歌ったり、レコード鑑賞で聴いたクラシック音楽やフォーク音楽。
そういったところだった。

ほかには小学校でも中学校でも、学校では定期的に放送で流れる音楽がいくつかあって、繰り返し強制的に聞かされるために耳にこびりついてしまった。
運動会に流れるマーチなどの勇ましい音楽もそうだ。

私はマーチ(行進曲)がけっこう好きで、中学校にはいるとブラスバンド部がそれを練習して演奏するということを知った。
それまで集団で音楽をやることがなかった私は、そのことも興味がひかれたのかもしれない。
ピアノレッスンはやめたけれど、音楽に興味をうしなったわけではなかった私は、中学生になるとブラスバンド部に入部した。
パートは花形のトランペットの端くれだった。

まずは毎日、マウスピースをくわえて音出しの練習をした。
入部したての1年生だけが体育館の外にならばされてマウスピースをくわえ、ブーブー音出しの練習をえんえんとやらされるのには閉口したけれど、音が鳴らないことにははじまらない。
どんな楽器でもそうだが、入門のときにはかならずある程度の(ばかみたいな)反復練習が必要になる。
ピアノの練習でそれには慣れていた。

ある程度音が出るようになると、パート練習にはいる。
ブラスバンドのなかでもトランペットはメロディラインを高らかに演奏する花形パートだったが、全員がメロディを吹くわけではない。
トランペットパートもさらに3パートくらいに分かれていて、その一番底部のメロディとはかけはなれた部分を受け持つ第3パートを、1年生はまずやらされる。
第3パートの音は、メロディ的には変な感じだが、3パート全員が合わさるとちゃんとハーモニーを作るようにできている。
自分が吹く音がハーモニーの一部になっていて、全体のハーモニーができあがるのは、なかなか楽しい経験だった。

私は楽譜が読めたので、音が出るようになるとすぐにパート譜を演奏できるようになった。
同期の1年生がほかにも数人いたが、みんな楽譜を読むのが苦手だったので、彼らに教えてやったりもした。
私はブラスバンド部のなかに(一瞬だけ)自分の居場所を感じて、しばらくは楽しく部活動にいそしんでいた。

ところがそれも1年を待たずして終わりを告げることになる。

2019年11月8日金曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(3))

■ピアノを習う

ところで、中学生の私は読書しかしてなかったわけではない。音楽も好きで、しかし小学3年のときから習いはじめたピアノは、中学入学と同時にやめてしまっていた。

両親——とくに父は音楽好きで、当時は珍しい電気蓄音機を持っていたくらいだ。
田舎町にも楽器屋があって、ブラスバンドや音楽の時間に使うさまざまな楽器を売っていたが、当時はピアノを購入する家が増えはじめていた。
ヤマハやカワイ、スズキなどのメーカーが音楽教室を全国的に展開し、ピアノを個人家庭に売りこみはじめていたのだ。

音楽好きの両親がそれを見逃すはずはなく、四歳になったばかりの私の妹が近所の音楽教室に通うことになった。
通いはじめてしばらくすると、私の家にアップライトのピアノがやってきた。

私が三年生になる直前に、
「ピアノを習いたいか?」
と聞かれて、妹とおなじ音楽教室ではなく、ピアノの個人レッスンに通うことになった。
ただし条件があって、それは毎日、かならず最低30分は練習すること。
最初のころはそれでも楽しかった。
昔ながらの、バイエルやハノンを使ったレッスンで、楽譜はすぐに読めるようになって、レッスンはどんどん進んだ。
毎日の練習が成果をあげ、一年足らずのうちにバイエルは全部終わってしまって、四年生になる前にはブルグミュラーの組曲に取りかかった。

バイエル練習曲とはちがって、ブルグミュラーはいまでも弾いて楽しいようなちゃんと音楽になっている曲集で、だんだん難しくなっていったがこれもどんどん進んだ。
半年ほどでブルグミュラーも終え、チェルニー練習曲やソナチネ曲集を弾くようになっていた。

■ピアノを習うのをやめる

年に一回、ピアノ教室の発表会が市民会館のホールであった。
三年生のときはプログラムの最初のほうで小さな子どもたちにまじって発表したが、五年生になるころには中学生の女の子にまじってプログラムの後ろのほうでモーツァルトのソナタを弾いた。
ピアノ教室は私以外のほぼ全員が女の子で、かなり目立ったことだろう。
子どものころはそんなふうに目立つこともかえっておもしろく、喜んで教室に通っていた。

が、六年生になるとなんとなく心境に変化がおとずれた。
当時の田舎社会の風潮というのもあったかもしれない、男の子がひとり、女の子にまじってピアノレッスンに通っていることを時々揶揄されるようになり、私もなんとなく恥ずかしさを感じはじめていた。

そう感じはじめるとにわかにピアノレッスンに行きたくなくなり、練習もやらなくなってしまった。
中学にはいるのと入れ替わりに、ピアノレッスンをやめさせてくれと、泣かんばかりに両親に頼んで、なんとかやめさせてもらった。
そのころにはベートーベンのソナタやドビュッシーの難曲なども弾きこなすようになっていたので、私がピアノをやめることはかなり残念だったろうと思う。

このあとが不思議だったのだが、私がいまだにこうやって自由にピアノ演奏を楽しみ、また即興ピアノで朗読など他ジャンルとの共演をするという独自のスタイルを獲得できたのは、このときにピアノレッスンをやめられたことが大きなきっかけとなっていることに間違いない。

2019年11月7日木曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(2))

■旺文社の文学文庫

中学生になったとき、私がよく本を読むようになったことを喜んだ両親が、大きなプレゼントをしてくれた。
旺文社の文庫本サイズの50冊セット文学全集だ。
文庫本といっても、表紙はすべてハードカバーで、デザインも薄緑色に統一されていて、揃っている感があった。
しかも50冊がちょうどおさまるミニ本棚もついていた。

これはあと50冊を加えて全100冊セットになっていて、後日、買いそろえてもらった記憶がある。

両親の本棚にある文学全集は旧仮名遣いが混じっていたり、文字が細かかったりと、中学生にはまだハードルが高かったので、この旺文社のシリーズはうれしかった。
このシリーズで日本も世界もいっしょくたに、代表的な文学作品をたいてい読んだ。
ルナールの『にんじん』とか好きだったし、ドストエフスキーとかスタンダールとか、夏目漱石の『坊っちゃん』や『猫』もこれで読んだ。

■SF小説にハマる

中学生のころはやたらと本ばかり読んでいた記憶がある。
学校の図書館にももちろんたくさん蔵書があって、なかでもジュニア向けの世界SF選集にハマった。
いまとなってはまったく思い出せない無名の作家のものもたくさんまじっていたが、有名どころもあった。
日本人作家では、当時ジュブナイルをたくさん書いていた眉村卓の作品などがあったように思う。

眉村氏はつい先日、お亡くなりになった。
ご冥福をお祈りする。

図書館のSF選集をきっかけに、SF小説のおもしろさにどっぷりとひたる日々がやってきた。
世間ではSF小説というとまだまだキワモノ扱いだったし、両親も私がSFを読むことはあまり歓迎しなかった。
しかし、おもしろいものはしかたがない。
『SFマガジン』という月刊の文芸雑誌が早川書房から出ているのを知って、近所の書店で定期購読を申しこんだ。

これが私にとって、「いま現在」動いている、最新の文芸の世界(SFという限られたジャンルではあったけれど)の情報に接する、最初の機会となった。
田舎の中学生にとっては画期的なことだった。

■北陸の山間部の田舎町

田舎といってもどのくらいの田舎なのか、説明しておかねばならない。
私が生まれ育ったのは福井県勝山市という町で、市とはいっても現在は人口が2万3千人をまもなく切ろうかというところだ。
県庁所在地の福井市から電車で小一時間、車でも3、40分、九頭竜川にそって山間部へとはいっていく。
九頭竜川中流域の河岸段丘によってできた盆地で、四方を山に囲まれている。
天気がいいと白山山系が見える。

さらに奥へと進めば、大野市、和泉村をすぎて、岐阜県の白鳥へと抜ける。
その先は飛驒や美濃地方へとつながる。
かつては交通の要所だったようだが、いまはさびれてしまって、高速道路も通っていない(長らく工事中ではある)。

そんな町でも、私が子どもの頃は何軒か本屋があった。
もちろんいまのように流通が発達してはいないので、ほしい本があれば本屋に注文する。
うまくすれば二、三週間でとどく。
通常は一か月くらい待たされる。
そのくらい、都市部との情報遅延や格差があったということだ。

そんな田舎のどん詰まりのような町で、私は毎月届けられる『SFマガジン』という現在進行形の文芸情報をむさぼるように読みあさっていた。

ピアノ七十二候:立冬/山茶始開(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
立冬の初候(55候)「山茶始開(つばきはじめてひらく)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年11月6日水曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(1))

■やりたいことは全部やる

今日でステージⅣのガン告知を受けてから118日め、4か月となる。
抗ガン剤による標準的治療は受けないことにし、放射線照射による治療を選択し、その治療も先月終わった。
経過を見る検査はまだ終わっておらず、ガンやリンパ節への転移がどのようになったのかはわからない。

しかし、この間、私の活動はほぼ平常と変わりなく——というよりより濃密に、集中してやれている。
治療中の体調不良や、治療後も若干肺炎ぎみで発熱してたりするんだけど、寝たきりというわけでもない。
延命治療にあてていたらひょっとしてこの時間が失われた可能性もあるわけで、いまもこの瞬間を大切に、活力をもっていられるということが、なによりありがたく貴重なことだと感じている。

というわけで、執筆、朗読、動画編集、ライブパフォーマンス活動、講座やワークショップと、やりたいことは全部やっている。

あまり私のことを知らない人からは、よく、
「結局なにが本業なんですか?」
と訊かれることが多い。
これまでも小説や本を書き、ピアノを演奏したり音楽を作ったり、また現代朗読協会を立ちあげ朗読演出をやったり、音読療法協会を作って音読療法の啓蒙普及活動をおこなったりしてきた。
よく知らない人から見ればつかみどころがないのも無理はないかもしれない。

自分自身の整理もかねて、私がこれまでやってきたこと、その経過やいきさつについて、すこし振り返っておこうと思っている。
もちろん、大げさな自叙伝のようなものを書くつもりはまったくなくて、ざっくりした個人史——すこしくわしいプロフィール——のようなものを書きのこしておこうという意図だ。
お付き合いいただければ幸い。

■小説をたくさん読んだ子ども時代

職業小説家として商業出版社から長編小説が出版されたのは29歳のときだったが、小説はもっと前から書いていた。

私の父は高校教師で、田舎のインテリといってもいいかもしれなかったが、人物的にはインテリという感じではなく、むしろバンカラな人づきあいの多い人間だった。
教え子をはじめ、同僚や地域住民など、父を慕う人は多かった。
母のほうが知的好奇心が強かったかもしれない。
本棚にずらりとならんでいた世界文学全集や日本文学全集、夏目漱石全集、芥川龍之介全集、島崎藤村全集、伊藤整全集、ほかにもあったかもしれない揃いの文学書は、ものを書くための下地として大いに役立った。

もちろん子どものころはそんなものを読めるはずもなく、ただ本棚にならんでいるのをながめていただけだが、本に親しむ環境にあったことはたしかだ。
だから、小学5年生のときだったと思うが、大風邪をひいてしばらく学校を休んだときに、父が近所の貸本屋で子どもにも読めるような小説本をまとめて借りてきたことがきっかけで、それ以来小説に大はまりしてしまった。

父が借りてきたのは江戸川乱歩の少年探偵団のシリーズや、吉川英治の宮本武蔵だった。

もっと小さいころからもたくさん本を読むようになっていた。
とくに隣家に住んでいた私より3つくらいの年上の、耳の不自由なお兄さんが、子どものための読み物をたくさん持っていて、それをちょくちょく貸してもらっていた。
隣家も高校教師の家で、障害を持つ息子のためにたくさんの本を買いあたえていたのだと思う。
子ども向けの冒険ものとか、ファンタジーとか、童話が多かった。
イソップの童話やシンデレラや人魚姫、かぐや姫などの日本の昔話などは、隣家から借りてきてたくさん読んでいた。

YouTube:新規購入したローランドのオーディオインターフェースRubix24

オーディオブック(朗読)やヴォーカル、ピアノ演奏収録、音楽製作などのために、オーディオインターフェースを新規に購入しました。
MacのあたらしいOS Catalina の64bitモードにも対応しているとのことで。
その開封からテスト使用までをVLOGで。

映像はこちら
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2019年11月5日火曜日

YouTube:即興ピアノはどうやって弾き、練習するのか、のレッスン

2019年11月1日。
名古屋でおこなった現代朗読群読ワークショップの合間に、水城ゆうがおこなっている即興ピアノの演奏について質問があったので、ピアノを弾きながら解説してみました。
即興ピアノの演奏法、またその練習のやりかた、そして朗読など別ジャンルの表現との共演方法など。

12月13日には朗読表現の公開個人レッスンをおこないますが、即興ピアノなど音楽との共演に興味がある朗読者が対象です。
定員10名と限られていますので、お早めに申し込みください。
詳細はこちら

映像はこちら
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2019年11月4日月曜日

コラムとエッセイの違い(ひよめき塾)、肺炎?

昨夜はひよめき塾を開催。
月洛ちゃんとまりりんが春野亭に直接参加、ほかはオンラインで。
10人くらい?

月洛ちゃんからいつもちょっとしたお菓子の差し入れをもらうんだけど、これがなにげにおいしくてうれしい。
体調低下中の身にはありがたい。

塾冒頭で取りあげた作品がエッセイ(随筆)のような内容だったんだけど、そこから話がコラムとエッセイの違いになった。
もちろんきっぱりと別々のものとして分けることはできなくて、グラデーションのように境界線は曖昧だが、書き手の意識の違いがそこにはある。
ライターなのか作家なのか。
ひよめき塾は作家を育てる場だ。

ひよめき塾は定員オーバーで参加者の新規募集はしていないが、共感文章講座は水城ゼミの一環として継続参加ができるので、興味がある人はまずそちらに参加してみてほしい。

名古屋のワークショップでは調子がよくて、かなりがんばれたのだが、その翌日からまた風邪気味がぶりかえして低調。
そもそも風邪なのか?

ずっと空咳が出ていて、風邪の特徴の上部気管支の炎症ではないような気がする。
もっと奥のほう、ひょっとして肺のほうに炎症があるような……
というのも、かつてマイコプラズマ肺炎に感染したことがあって、そのときの感じにちょっと似ているからだ。
熱はあまりないくせに、咳が出て、ちょっと歩いたりするだけで息切れする。
慢性的な酸素不足の感じがある。

いやな感じなので、明日は病院に行ってくるか。
これもガンまたは放射線治療の副作用なのか。

BCCKSに発注していた『事象の地平線 末期ガンをサーフする』の紙本が刷りあがって届いた。
さっそく知り合い何人かから注文をいただいた。
ありがとう。
ひょっとして急いで増刷をかけなければならないかな。

新刊紙本『事象の地平線 末期ガンをサーフする』が刷りあがりました

新刊『事象の地平線 末期ガンをサーフする』の紙本が刷りあがってきました。
オンデマンドの印刷物なのでやや割高になっています。
アマゾンKindleではすでに電子ブックとして配信中ですので、スマホなどで手軽に読みたい方はそちらをご利用ください。

ちなみに、紙本をご購入いただいた方にはもれなく、電子ブックデータを差し上げています。
ご希望の方は購入時にお知らせください。

価格は1,000円です(税込)。
郵送の場合は送料180円が別途必要です。

購入はこちらから。

Kindle本はこちらからどうぞ。

YouTube:野々宮卯妙朗読「夢十夜・第二夜」@吉祥寺〈曼荼羅〉

2019年11月3日。
吉祥寺のライブハウス〈曼荼羅〉でおこなわれたオープンマイクイベントに、朗読とピアノで参加してきました。

朗読はテキストが決まっていますが、どのように読むのかは即興性を大事にする現代朗読のアプローチ法を使っています。
またピアノ演奏は完全即興です。
その模様を全編、編集なしでお送りします。

 テキスト 夏目漱石『夢十夜』より「第二夜」
 朗読   野々宮卯妙
 ピアノ  水城ゆう

映像はこちら
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年11月3日日曜日

現代朗読の群読パフォーマンス@名古屋ワークショップ

2019年11月1日、金曜日。
早朝に国立を出て東京駅へ。
新幹線の往復チケットと宿泊付きのプランをとってもらったので、こだまのグリーン車でゆったりと名古屋に向かう。
名古屋栄のナディアパーク内にある練習スタジオで、現代朗読の群読パフォーマンスのワークショップとその映画撮影のために。

東京からは野々宮卯妙とユウキが同行。
シートをくるっとまわしてボックス席にして、修学旅行みたいだ。

名古屋での現代朗読ワークショップは本当は先月で終了するはずだった。
ところが、映画を撮ってくれている伊藤くんと、参加のみなさんからの強い要望があり、またうまく会場を取ってもらえたというのもあって、もう1回やれることになった。
前回は日中がワークショップ、夜は朗読コンサートだったが、今回は日中も夜もワークショップ。
昼しか来れない人、夜しか来れない人、通しで参加できる人、そんな条件のなかでの群読パフォーマンス作りとなった。

11時すぎ、名古屋到着。
栄へ移動。
ユウキがまだ名古屋名物味噌煮込みうどんを食べたことがないというので、山本屋本店へ。
私もひさしぶり。
こってりと腹ごしらえをする。

13時、会場の練習スタジオ入り。
すでに撮影の伊藤くんとヨシキくん、世話人の生惠さんが来ていた。
前回世話人だったシローさんは、今回は残念ながら不参加だったのだが、顔を出してくれていたようだ。
入れ違いで残念。
大阪から窪田涼子が会いに来てくれていた。

13時半、午後の部がスタート。
参加者は10数人。
前半は基礎トレーニングをしっかりやったあと、後半は群読パフォーマンスを撮影をまじえながらいくつかトライできた。
前回も参加してくれた人、天白での毎月のワークショップに参加してくれていた人、初参加の人、そして10年近く前に名古屋でおこなった公演に参加してくれた人がひさしぶりに顔を出してくれたりと、さまざまな顔ぶれがあった。

カメラを追いかけたり、ピアノのなかに全員が顔を突っこんだりと、変なパフォーマンスをやってもらったけれど、楽しんでもらえたようだったし、なにより私が楽しかった。

小休憩をはさんで、夜の部が19時からスタート。
午後の部から引きつづき参加する人と、夜の部のみの参加の人がいて、午後の部よりやや人数が増えただろうか。
群読パフォーマンスとしてはボリュームが出たが、時間的制約があってうまくできるかどうか自信がなかった。
みなさんの協力と集中力と、のりのりの意欲のおかげで、短時間におもしろいパフォーマンスが仕上がり、撮影もうまくできたようだ。

今年の春ごろから天白の生惠さん宅〈アロマファン〉で毎月つづけてきた現代朗読のワークショップを踏まえておこなった先月と今回の会、大変密度の濃い、充実したものになったと感じている。
現代朗読の群読表現作品としても、おもしろいものがいくつか仕上がった。
映像作品としてどのようなものになるのか、とても楽しみにしている。


ところで、ワークショップは終了したが、来月12月はやはりおなじ場所で、名古屋の俳優で朗読者である盟友・榊原忠美と、現代朗読・野々宮卯妙、私による三つ巴の朗読公演をおこなうことが決まった。
12日(木)夜にスタジオを押さえたので、ぜひおいでいただきたい。
またその翌日には、朗読の個人レッスンを公開でおこなうことになっている。
私の個人演出を受けてみたい人、即興ピアノとの共演にトライしてみたい人など、撮影や作品公開もオーケーなので、参加してみてほしい。
詳細は近日中に公開します。

2019年11月2日土曜日

ピアノ七十二候:霜降/楓蔦黄(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
霜降の末候(54候)「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年10月31日木曜日

春野亭日乗 10月30日(水)体重回復、風邪回復、群読演出に集中

放射線照射治療がはじまる前の体重に、なんとかもどした。
治療中は軽い吐き気や倦怠感で食欲が減退し、また量を食べられなかったのでがんばって食べてもなかなか体重を維持できなかった。
10日前に治療が終わったら、とたんに食欲がもどり、普通に(近く)食べられるようになった。

朝起きて、朝食というよりとりあえずなにか空っぽの胃にいれようと、昨日作った味噌汁の残りに玉子を2個割りいれていただく。
そのあと、鮭の西京焼きと、あらためて作った味噌汁とご飯で朝食。
昼食は西友でトンカツと海老サラダを買ってきて、味噌汁とご飯の残り。
そのあと、ソフトクリームをデザートで。
夜はみんなで稲城の温泉に行ったので、風呂あがりに定食と、またもやソフトクリームを。

夜もそこそこ食べられるようになったのは、体調がかなり回復した証拠だが、体調は万全というわけではなかった。
数日前から空咳が出ていて、かるい気管支炎か肺炎っぽい感じがあった。
気管支や肺も放射線照射を受けているので、ダメージがあっても不思議はない。
そのせいかと思っていたが、どうやら風邪をひきかけていたようだ。
関節——とくに腰が痛く、頭痛もあり、発熱というほどではないがわずかに熱っぽい感じもある。

幸い、今日は決まった予定がない日で、ブログを書いたり、オカリナとピアノの演奏の音楽編集をしたり、本を読んだりする合間に、横になってできるだけ身体を休めるようにしていた。
おかげで、夜は遊びに来た理子ちゃん、サーシャらと温泉に行くことができた。
サーシャからはアリゾナ(だっけな)のお土産や、とても珍しい日本みつばちの蜂蜜をいただいた。ありがとう。

温泉で暖まり、食事もしっかりとって、夜は暖かくしてちゃんと眠る。
1日は早朝から出かけて名古屋に向かう。
コンテンポラリーアートとしての現代朗読群読表現を、名古屋のみんなといっしょに作るのが楽しみだ。
群読演出のアイディアをこつこつと練っている。

2019年10月30日水曜日

量子論の本を買った

ひさしぶりに紙の本を買った。
国立駅前には増田書店という立派な地元の本屋があって、ちょくちょく立ち寄るのだが、家に「物質」が増えるのがいやで、Kindleで買える本は紙では買わない。
申し訳ないことだと思うけれど、書き手である私自身もほとんど紙本を作らないのだからしかたない。

増田書店にはレジがいくつかあって、1階のメインフロアにも正面と奥のふたつある。
地下にもある。
1階のメインフロアの正面レジでは、現金しか扱っていない。
クレジットカードや図書カードは奥のレジに行かないと使えない。

ちなみに、駅前の西友ではレジでもセルフレジでもクレジットカードは使えるが、電子マネーは使えなかった。
最近になってPayPayに対応しているレジがいくつか出てきた。
セルフレジでは使えない。
試しに使ってみたら、ファミマとかだとこちらの画面を店側が読み取り機でスキャンして、「ペイペイ」とちょっと恥ずかしいアナウンスが流れて終わりなのだが、西友では向こうが提示するQRコードが印刷された紙をこちらがアプリのスキャナーで読み取り、さらに金額を自分で入力する必要がある。
とてもめんどくさい(二度と使わないだろう)。

電子マネーではスマホやカードをかざすだけですむSuicaがもっとも簡便で、楽なのだが、いま増税対策としてやっている5パーセントバックには対応してないんじゃないかな、たしか。
増田書店の正面レジではもちろんSuicaは使えない。

まあそんなことはどうでもいい。
買ったのは量子論関係の本。
いま書いている短編小説の資料として必要なのだ。

書いているのは11月29日に渋谷総合文化センター大和田でおこなう公演「ラストステージ/事象の地平線」で使う朗読のためのテキストだ。
SF小説であり、人の生と死、時間を扱うストーリーだ。
書きながらひさしぶりに興奮している。
聴きに来てくれるとうれしいが、来れない人にはぜひ読んでもらいたいと思っている。

11月29日:ラストステージ/事象の地平線(ダンス・朗読・ピアノ)@渋谷
2019年11月29日(金)午後7時から、渋谷区文化総合センター大和田にて矢澤実穂(ダンス)、野々宮卯妙(朗読)、水城ゆう(即興ピアノ)の3人による公演をおこないます。テキストもこの日のための新作書き下ろし、水城ゆう渾身のラストステージです。

オーディオブック収録のための個人レッスン

昨日はゼミ生のヤザワちゃんの個人レッスン(朗読演出)だった。
彼女とはオーディオブックの収録を再開していて、新美南吉の小品などを何作か収録したが、つぎは芥川龍之介の小品をやりたいというので、それを聴かせてもらう。

オーディオブックの収録はほかに野々宮卯妙と夏目漱石の『行人』を進めている。
ところが、長年使っていたMOTUのオーディオインターフェースがいよいよ新OSに対応していないということで、買い換えることにした。
朗読と、せいぜいヴォーカルを収録する程度なので、2イン2アウトのコンパクトな、しかし最新機種を買うことにした。
せっかく買うので、オーディオコンテンツをできるだけたくさん作りたい。

ヤザワちゃんから差し入れをいただく。
濃厚チーズケーキと飲むソフトクリーム。
ん? 「飲む」ソフトクリーム?

飲んでみると、たしかにソフトクリームの味。
溶けてしまったソフトクリームといった感じ。
まあおいしいけど、これ、そんなに需要あるのか?

てな話題でさんざん盛りあがったあとで、朗読を聴かせてもらう。
このところ不思議なことに、だれかの読みを聴くと即座に演出的アイディアがいくつも沸いてくる。
それを反映してもらって、うまくいかないこともあるが、たいていおもしろくなってくる。

かねてからいっていることだが、朗読の世界には「こう読みなさい」という教育的指導者ではなく、「こうやってみたらどうなる?」という演出的コーチがもっともっと必要だろうと思う。
そうすれば日本の朗読界ももっとおもしろく、楽しく、多くのみなさんに受け入れられるものになるだろう(おおげさ?)。

とはいえ、こちらの演出的アイディアをすぐに理解して、読みに反映していけるヤザワちゃんの読み手としての実力は、もうかれこれ12年以上になる現代朗読ゼミでのトレーニングベースがあってのことだろう。
さすがだ。
あたらしい読みとあたらしい機材、つぎの収録が楽しみだ。

ゼミ生が個人レッスンを受けるタイミングで臨時の現代朗読ゼミを開催します。身体表現あるいは音楽としての朗読を楽しみましょう。11月9(土)10時半から約2時間。

2019年10月28日月曜日

「音読療法」の商標登録が完了

特許庁から商標登録証が正式にとどいた。
けっこう仰々しい感じの、卒業証書とか表彰状みたいに金のインクで飾りが刷りこまれている証明書だ。

登録したのは「音読療法」。
商標登録という商行為については私はいろいろ思いがあるけれど、ひとまずそれは置いておく。
せっかく長年かけて育てあげてきた音読療法という手法とことばが、現代経済社会の仕組みのなかで有効活用できるように、とりあえず商標として確保しておこうと思った。

商標登録にはかなりの時間とお金もかかった。
出願したのは今年の1月はじめだから、10か月近くかかったことになる。

区分は、
「第44類 セラピー、医療情報の提供、健康管理に関する指導及び助言、言語療法による治療、介護」
となっている。

体系と活動内容についてほぼすべてを音読療法士と音読トレーナーに伝えてあるし、商標の登録も完了したので、ファウンダーとしての私の役割はこれで終わった、という区切り感と満足感がある。
あとはみなさん、よろしく!

今日はこのあと午後に、練馬区の高齢者介護施設に行って、長年ボランティアでつづけている音読ケアワークをおこなってくる。
音読トレーナーがひとり、そして準音読トレーナーがひとり、参加してくれることになっているので、私はサポートと、最後にみなさんといっしょに歌をうたうときのピアノ伴奏という役割。
毎回楽しみにしてきたが、私の役割もそろそろ終わり。

ピアノ七十二候:霜降/霎時施(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
霜降の次候(53候)「霎時施(こさめときどきふる)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年10月27日日曜日

体調と空咳と腰痛

放射線照射治療が終わってからこの1週間、体調はかなり回復してきて、倦怠感も食欲不振もほとんどなくなった。
食事は痛みもなく普通にとれている。

体重がだいぶ回復したかなと思ったけど、体重計に乗ってみたらそうでもなかった。
減ってはいなかったけど。
運動すれば上昇に転じるかな。

ただ、気になることがあって、風邪でもないのに空咳が出る。
気管支から肺にかけてわずかな違和感があって、時々、なんでもないのに咳が出る。
熱はない。

放射線の照射はガンを狙いうちにするものだが、もちろんガン組織の周辺の正常な組織にもあたってしまう。
私の場合は食道なので、当然、肺もダメージを受けているだろう。
咳ぐらい出るのは当然かもしれない。

あと、長く座っていたり、おなじ姿勢を取っていると、腰が痛くなる。
私はこれまで腰痛とはまず無縁の人間だったので、これも照射治療の影響かもしれない。

肺や腰椎以外にも、周辺の心臓、横隔膜、胃、十二指腸、小腸、大腸、胆嚢、膵臓、肝臓、腎臓といった臓器にも放射線は通過しているはずなので、体調がしっかりと回復してきているのは喜ばしいといっていい。
いつまでもつのかわからないけれど、元気なうちにやれることをしっかりとやっておこうと思う。

東京戻り、現代朗読ゼミ、手打ち蕎麦

昨日は午前中に楽器(電子ピアノ)を修理のために楽器屋まで持っていって、その足で東京に移動。
北陸道、名神(一瞬)、中央道経由で、夕方に国立帰着。
ほぼ休憩なしにぶっつづけに走って、あまり疲れることなく到着できたのはよかった。

早めに休んで、今日は午前中から現代朗読ゼミ。
今日の体認のエチュードのテーマは、テキストによって身体が変わることに注目してみること。
「枕の草子」を読むときと「平家物語」を読むときでは、身体の開きとか集中のどあいが明らかに違う。
これはさまざまなテキストを読むときにも起こっていることで、そこにきちんと注目することが現代朗読のキモとなる。

あと、ややテクニカルなことだが、朗読表現の読みはじめのところを、どのように自分自身の身体や環境になじませつつテキストを引きつけていけるかどうか、という指導もやってみた。
自分を充分に待てるかどうか、読みとばさない丁寧さを持てるかどうか。

ゼミ修了後、りひとくんが時間があるというので、昨日持って帰ってきた手打ちそばをゆでていっしょに食べる。

2019年10月26日土曜日

春野亭日乗 10月25日(金)ひよめき塾の作品講評を書く

北陸の実家に帰省中。
一昨日(23日・水)から熊出没注意報で役所のアナウンスカーが回っていて、
「外出は控えてください」
と注意していたが、実際に警備員の方が熊に襲われてけがをしたという。
市街地のど真ん中(かつて市民会館といっていた建物)の池の鯉に餌をやっていて、うしろから襲われたらしい。
熊はしばらくして、射殺された。
新聞記事で見ると、成獣ではあるが、痩せてひょろひょろした熊だった。
南無……

熊はほかにも何匹も出没しているらしく、今朝もアナウンスカーが回っている。
そんな騒ぎのなか、今日は朝からSlackに移行した小説同人「ひよめき塾」の作品講評をこつこつと書いていた。

ちなみに、現在、ひよめき塾では新規メンバーを募集していない。
空きが出たらまた募集するかもしれない。
興味のある方はしばしお待ちください。
水城ゼミはゼミ生募集中。
詳細はこちら

朗読ゼミ、共感手帳術、共感文章講座、など、あって、ZoomというオンラインミーティングツールとSlackを使ってきめ細かな継続的勉強会をやっていこうと思っている(年内いっぱいがめど)。

ひよめき作品の講評をすべて書きあげる。
今回はテーマが「豆本」で、全8作品だった。
講評を書くというのは、作品を読みこむということで、ただ読むだけではすまない。
書いた人以上に読みこむ。
こちらは講評を8つ書いたけど、書かれたほうは自分ひとりに向けて書かれたものとして読むから、8作品すべて、いっこも気が抜けない。

講評書きのあいまに麻紐を使ったiPad用の手提げバッグもひとつ編んでみる。
本体とペンと折りたたみ式のスタンドしかはいらないけど、まあまあいい感じにできた。

2019年10月25日金曜日

水城ゼミをSlackに整理・移行・収束する作業中


食道ガンが見つかる前から——とくに去年あたりから——自分が主催しているさまざまな講座やワークショップ、勉強会のたぐいを整理していた。
まずは共感カフェや音読カフェなど、だれかが主催してくれているものも含め、ほとんど活動停止した。

残ったのは、現代朗読ゼミ、共感手帳術、共感文章講座など、いくつか、細々と。
最近になって、身体文章塾を復活してほしいという要望があって、「ひよめき塾」という名称で再開した。

共感手帳術と文章講座もリピーターが何人かいて、継続的にやりたいという声もちらほらあったので、水城ゼミとして統合してみようと思った。
単発で毎回告知するのはエネルギーを使うし、いつまでこのエネルギーレベルでやっていけるかわからないというのもある。
継続的な水城ゼミもいつまでやれるかわからないが、とにかく年内いっぱいくらいはやれそうな感じがするので、お付き合いしてもいいという方はもうすこしだけ継続的につながってくれるとうれしい。

オンラインとリアル参加の両方があるが、オンラインではSlackというチームコミュニケーションツールを使うことにした。
Facebookとはちがってクローズパーティーなのでだれもが安心して参加できるし、必要なら参加メンバー同士で交流することもできる。

Slackではチャンネルという、いわば電子会議室システムを使ってテーマごとに参加者を振りわけられる。
いまのところ、こんなチャンネルを用意している。

 現代朗読ゼミチャンネル
 ひよめき塾チャンネル
 共感手帳術チャンネル
 共感文章講座チャンネル
 電子書籍作りチャンネル
 雑談チャンネル

興味がある方はこちら(水城ゆうウェブサイト)をどうぞ。

2019年10月23日水曜日

ピアノ七十二候:霜降/霜始降(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
霜降の初候(52候)「霜始降(しもはじめてふる)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年10月22日火曜日

新刊『事象の地平線 末期ガンをサーフする』(Kindle)

新刊『事象の地平線 末期ガンをサーフする』が、アマゾンの電子書籍・Kindleで配信スタートしました。

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2019年5月末に食道ガンが見つかり、精密検査の結果、遠隔転移のある末期(ステージⅣ)であることがわかった。
その後、さまざまな経緯で標準的治療法である抗ガン剤の治療は受けないことにし、放射線の照射治療を選択することになった。
照射は全30回にのぼるが、本書ではその過程をほぼ同時進行でたどるとともに、治療選択にいたる過程や思い、現在から今後にわたってどのように生きていこうとかんがえているのか、可能なかぎり正直に、誠実に書きつづった記録である。
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ダウンロード価格300円です。
Kindle unlimited(読み放題/無料)にも登録しています。
こちらからどうぞ(画像をクリックしてもジャンプします)。

近日、紙本も頒布予定です。

治療終了3日めで体調が劇的に変わった

(写真は近所の廃屋。なぜだか美しさを感じる)

先週の金曜日に放射線照射治療全30回が終わり、今日は照射しない日の4日め。
昨日くらいから食欲がもどってきている。
嘔吐感はまったくなく、ふつうに空腹感がやってきて、ふつうの分量のご飯を食べられる。
ふつうに食べられるということがどれほどありがたいことか、よくわかった。

お通じがよくなった。
照射治療のあいだはずっと、腸がきちんと動いていない感じがあり、ガスがたまったり、お通じも不規則だったり、気持ち悪かった。
それが正常にもどってきた。
不快な臭気も減った気がする。

臭気といえば、匂いに敏感なのは相変わらずだ。
以前は気にならなかったわずかな匂いに気づくことが多い。
臭覚以外の感覚も、ひょっとして鋭敏になっているのかもしれない。

コーヒーが飲めるようになった。
といっても、以前のようにガブガブ飲みたいわけではないが、たまに飲みたくなる。
治療中は飲みたくなって飲んでも、途中で気持ちわるくなって飲めなくなってしまったのだが、そんなことはなくなった。
ひょっとしてアルコール類もそうかもしれないと思って、昨日、ワインをひと口飲んでみた。
おいしかったけれど、アルコールはあまり身体にあわない感じがした。
飲まなくても困らないかな、と思う。

治療期間中に書きついでいたブログの原稿をまとめて『事象の地平線 末期ガンをサーフする』という本に整えてみた。
まずは電子版を先ほどアマゾンKindleのダイレクトパブリッシングに配信登録申請したところだ。
これは紙本にも刷る予定。
こうやって私の生みだしたものがまたひとつ世に出るのは、うれしいかぎりだ。

今日は何年ぶりになるだろうか、中学一年生のときに担任だった加藤恵美子先生を訪問することになっている。
来月の福井県立病院の私のコンサートで、私のピアノ演奏だけでなく、なにやらオーディエンスを巻きこんでやってみたいことがあるらしく、そのお話を聞きに行く。
それだけでなく、ひさしぶりにお会いするのが楽しみだ。

相変わらずたくさんの方から、体調をよくするための方法とか材料とか、食べ物とか、アドバイスが届きつづけていて、それはとてもありがたいことではあるけれど、とても全部は試せない。
いまこの瞬間の自分自身の声に耳を傾け、いまを大事に生きることでとてもいそがしい、ということをお断りしておきたい。

昨夜から降りつづいた雨もあがって、晴れ間が出てきた。
さわやかな秋の空が見えている。

2019年10月21日月曜日

私は私の生命現象をまっとうすることに集中する(末期ガンをサーフする(30))

10月18日、金曜日。午前10時。
最終回・30回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

9月2日にスタートした照射治療も、これでようやく終わり。
1日も遅刻することなく通った自分をまずねぎらおう。
技師や受付の人たちからも「おつかれさまでした」と挨拶してもらった。

抗ガン剤治療ほどではないとはいえ(たぶん)、思ったよりきつくて、途中でめげそうになった。
この最終週はとくに、病院に向かう足が重かった。
食欲の低下と倦怠感がつらかった。
後半は寝たり起きたりの時間が多い日々となった。

しかし、気がついてみると、食事のときのつかえ感はほとんどなくなっている。
放射線で荒れた粘膜がひりひりすることはあるが、食べ物がつかえて苦しいということはまずない。
痛みもほとんどなく、毎日、日に数回は飲んでいた痛み止めの薬も、いまは飲んでいない。

倦怠感は夜になると強まり、疲労感となってなにもできなくなることが多いが、日中はほぼこれまでどおり活動できている。
これがいつまでつづくのかわからないが、この状態で日々の活動ができていることがありがたく、なにより幸せだ。

ガンになってよかった、というと強がりのように聞こえるかもしれないが、心からそう思うときがある。
それは、いまこの瞬間を大切に、いとおしく感じながら、わがことに集中できるときだ。
また、朝目覚めて自分が生きて存在していることを確認するときだ。
もしガンになっていなかったら、いまも毎日、漫然と起きて、「やらねばならない」ことを義務感と脅迫感と罪悪感からせきたてられるようにこなしていただろう。

もちろん、ガンにならなくても、日々を大切に、マインドフルにすごしている人はたくさんいると思う。
私はだめだった。
思った以上に愚かで、鈍感な人間なのだった。

さて、このあとはどうなるか?
放射線によって食道ガンがどの程度縮小したのかは、一か月後のCT検査と内視鏡検査の結果を見なければわからない。
完全になくなるということはないだろう。
通常は30パーセントくらいまで縮小すれば治療は成功だという話だ。

その後、残ったガンがふたたび肥大化していくのか、転移が進むのか、あるいはしばらくは動かないのか、さらに縮小していくのかはわからない。
いずれにしても、放射線治療はもう受けることはできない。
ガンがふたたび肥大化していく、あるいはリンパ節への転移が進んであちこちにガン組織が増える、放射線による副作用として別のあらたなガンが生まれるなど、いろいろな可能性はある。
または身体の働きによってガンがしばらく沈静化することもまったくないわけではない。

いまの活力をもって動ける状態がどのくらいのつづくのか、私にどのくらいの時間が残されているのかはわからないが、いまこの瞬間、私の意識と身体は明瞭で活発であることはたしかだ。
これがすべてだと思う。
いまのこの瞬間に私をどう生かすのか、そのことをしっかりと味わうことができるのか。

この瞬間瞬間に同時にいろいろなことはやれないが、やりたいことはたくさんある。
そのつど、やりたいことのひとつにフォーカスして、全身的にマインドフルにそれに取りくむこと。
できれば私の生きている証がそこにあり、できればいくらかでもあなたとあなたの生きている世界に貢献し、できればよろこびをもってあなたと交流すること。
これが私の望みのすべてだ。
私の望みは私の生命現象であり、私は私の生命現象をまっとうすることに集中したいのだ。
(おわり)

2019年10月20日日曜日

春野亭日乗 10月19日(土)新曲8曲完成、英語と日本語の朗読、ひよめき塾

木・金と海津賢くんとの音楽製作三昧で、結局4曲仕上がった。
前回の2日間の分も合わせると、通算8曲。
立派なアルバムになる。
この音楽ユニットは「Voice Of Water」という名前だ。
一見ばらばらな曲が、通して聴いてみるとなんとなく統一感があるからおもしろい。

今日の午前中は現代朗読ゼミ。
基礎トレーニングのあと、参加のみなさんがさまざまなニーズがあったので、それぞれの読みを聴かせてもらう。
とくにおもしろかったのが、日本語で朗読するときと英語で朗読するときの違いについての検証だった。

日本語と英語では身体の使い方が違う、とはよくいわれていることだ。
英語だけでなく、他言語でもおそらく違うし、日本語でも方言と共通語では違う。
そのとおりなのだが、より基本的なこととして、そもそも身体が「ある」かどうかが問題だ。

日本語にしても英語にしても、なにかを読むときに、自分の身体がちゃんとそこにある(ことを把握している)かどうかによって、表れてくるもののクオリティはまるで変わる。
そんなことを実際に検証しながら、練習したのが楽しかった。

それにしても、みなさん、遠方からだったり、忙しいスケジュールの合間だったり、わざわざ来てくれてありがたい。

午後はすこし休んだり、ピアノの演奏収録をしたりしてすごす。

夜はひよめき塾。
今回はオンライン参加者が多く、春野亭に直接来たのはふたり。
みっちり9時までやって(私が参加したのは前半だけ)、そのあとはFacebookからSlackへの移行作業などをおこなった。

2019年10月19日土曜日

音楽製作三昧で命の表現(末期ガンをサーフする(29))

10月17日、木曜日。午前10時。
29回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

毎週木曜日は診療放射線科の担当医師の診察がある。
今回で治療中の診察は最後となる。
体調の波とか、粘膜の荒れとか、食欲不振については、想定の範囲内ということで、治療は順調とみていいでしょうといわれる。

放射線治療は短期的ではなく長期的な副作用があらわれることが多いので(血液ガンなど別のガンが発症するなど)、一度受けるとしばらく受けられないと聞いていた。
そのことを確認すると、
「いや、今回の治療は照射量が多かったので、しばらく受けられないというより、二度と受けられないと思っておいてください」
といわれた。
なるほど、そういうことか。

この日は治療後、作曲家でアレクサンダーテクニークの教師である海津賢くんが国立の家に来てくれて、いっしょに音楽製作をやることになっていた。
この作業は数週間前に一度やっていて、そのときは二日間で四曲のオリジナル曲をふたりで作った。

私が末期ガンをわずらっていると知ったときに、賢くんが、
「なにかやりたいことない? よかったらサポートするよ」
といってくれ、それならというので、いっしょに好きなように音楽を作ることになったのだ。
いまあらたにオリジナル曲を作るにあたっては、やってみたいことや曲のイメージがたくさんあって、プロの作曲家でデジタル音楽のハンドリングにもたけている賢くんにサポートしてもらえるのは、願ったりかなったりだった。

昼前に賢くんが機材を積んだ自分の車でやってきた。
私もひととおりの製作機材は持っているが、とくに音源関係は賢くんが比較にならないくらいの膨大でクオリティの高いものを持っている。

私がキーボードに向かい、思いついたままのフレーズを演奏する。
それを賢くんが音楽製作ソフトのトラックにならべ、音源やイフェクトを割り当てたり、さまざまな操作をする。
ときには彼もキーボードを持ち、リズムの打ち込みとかやる。
まさに二人三脚でどんどん曲を仕上げていく。

設計図も楽譜もない。
曲ができていくにつれ、それがまたインスピレーションを呼び、つぎの展開が生まれたり、予想もしなかったフレーズや音ができあがっていく。

これほど創造的で楽しい時間はない。
音楽という形で私の生命の表現が生まれ、私の生きている証が形になっていく。
これができる活力が維持できていて本当によかったと思う。
生きながらえることにリソースを注ぎこむより、いまこの瞬間の自分自身の生命を感じ表現しきること。
そのためにいまここに私は生きている。

2019年10月18日金曜日

春野亭日乗 10月17日(木)Voice Of Water 音楽製作の1日

昨日(16日・水曜日)は八王子でのNVCダンスフロア合宿を終えたブリジットとルードが春野亭に宿泊して、今朝はのぞみさんが用意してくれた朝ご飯をいっしょにいただく。
ブリジットとルードはそのあと、尾道に向かって出発。
国立駅まで見送りに行った。
ひょっとしてふたりにじかに会えるのはこれが最後なのかなあというかんがえが浮かんで、涙が出てきてしまう。

国立駅からそのまま歩いて多摩総合医療センターへ。
今日を入れてあと3回。
けっこうがんばったなあ。
それももうすぐ終わり。

病院からもどってしばらくしたら、海津賢くんが前回に引きつづき、いっしょに音楽製作するために、たくさんの機材を持って来てくれた。
車で運んできて、駐車場に預け、泊まりがけでいっしょに作ってくれる。
ほんとにありがたい。

まずは腹ごしらえということで、今日は調子もまずまずなので、去年の暮れだか今年のはじめだかに駅前に新回転した〈花笠家〉という横浜家系ラーメンの店に行ってみる。
こってり豚骨ラーメンだが、私にはかなりどんぴしゃの好み。
もっと早く来ればよかった。
体重減少阻止に使えそう。

春野亭にもどり、機材をセッティングしてから、音楽製作に取りかかる。
賢くんと私のユニット〈Voice Of Water〉の通算5曲めとなる曲。
まずはミニマルミュージック風のピアノパターンの演奏からスタートして、つぎつぎとアイディアがわいてくる。
途中、転調して、曲の雰囲気が変わり、どこにたどりつくかわからないわくわくどきどき感のまま、インスピレーションのおもむくまま音を重ねていく。
すごいなー、こんな創造的な時間はめったにない。
時間を忘れて集中していたが、たった1時間くらいで1曲が仕上がってしまった。

休憩をはさんで2曲め、通算6曲めに取りかかる。
休憩中に5拍子のリズムセクションパターンが浮かんできたので、それをまず作る。
自分のなかでは「オスマン帝国」というキーワードがなぜか降ってきていて、沙漠の遠くから巨大な山車のようなものがゆっくりと近づいてくるイメージ。
きらびやかに飾られていて、それに乗っている人々も華やかに着飾っている。
そういうものが近づいてきて、また遠ざかっていく、というイメージ。
とても奇妙な曲になったけれど、楽しかった。

いずれの曲も「聴いたことない」ものになった。
今回はインストのみで、朗読は重ねていないけれど、重ねるかどうかは実際にあとでやってみないとわからない。
このアルバムにはインストの曲もあってもいいかな、とも思う。

夜は(賢くんは)飲みながら、ネットでいろいろな音楽を検索しては、聴いたり話したり、音楽談義で盛りあがった。

ピアノ七十二候:寒露/蟋蟀在戸(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
寒露の末候(51候)「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年10月16日水曜日

すべてをいまに集約し逆らわずサーフしていく(末期ガンをサーフする(28))

10月16日、水曜日。午前10時。
28回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

たまらん坂健康バロメーターによれば、今日の体調は十のうち八といったところ。まずまずか。
台風が去ったあと、急に寒くなった。
暖房がほしいくらいだ。
数日前からキンモクセイが香っている。

「あと三回ですね」
と、すっかり顔なじみになった技師がいう。
「お変わりありませんか?」
いつもそのように声をかけてくれる。
仕事だろうとは思うが、気遣いを感じてうれしい。

これより先は技師同伴なしでははいれない放射線管理区域へと、厳重な自動ドアをくぐってはいっていく。
奥には広々とした部屋があって、カーテンで仕切られた着替えのスペースがふたつと、寝台がひとつ、ほかにはさまざまな機器類が置かれている。

ロッカーキーやスマホをカゴに入れ、靴をスリッパにはきかえて、細長い寝台のところに行く。
技師がふたり、介助してくれる。
寝台に横になる。
先に上半身だけ着替えていて、簡素な病院着だが、横になるとその前を技師がひらく。
私は両手を万歳のかっこうで上にあげ、設置してあるハンドルを握る。

私の胸の皮膚に描かれたマークを基準に、技師がふたりがかりで身体の位置を照射のために合わせる。
ミリ単位の微妙な位置合わせで、ときどき専門用語が飛びかう。
92・4という、なんの単位かわからないいつも同じ数字が聞こえる。

真上に巨大な円盤のような機器がまわってきて、真上と斜め上の二か所で位置合わせがおこなわれたあと、技師ふたりは部屋を出ていく。
しばらくするとブザー音が聞こえ、たぶんX線照射が何秒間かつづく。
斜め横からと真上から、二度照射されたあと、円盤がぐるりとベッドの下へと回りこんでいく。

技師がひとりもどってきて、なにやらガシャンガシャンとベッドの土台あたりを操作して、出ていく。
またブザー音。
もう一度技師がもどってきて、円盤の角度を変えてもう一度。
都合四回のみじかい照射が終わると、お疲れ様。

受付で翌日の治療の予約をして、あとは支払いをすませて病院を出る。
ほとんど午前十時からの予約で、私が家を出るのは午前九時すぎ。
治療が終わって家に帰ってくるのは、遅くても午前十一時前。
一時間半から二時間弱の所要時間だ。
これを三十回おこなうわけだが、所要時間も短く、通院ですむので、負担はかなり少ない。
体調の変化はもちろんあるが、日常の生活や活動に大きな影響がないことがありがたい。
このことが私にとってとても大切であり、また幸せなことでもある。
いまを生きる。

ただ、体調の変化は治療が進むにつれてやや大きくなっていて、とくに夜の活動はきつくなってきた。
武術も夜の講習会には参加するのがむずかしくなってきている。
サーフィンもまた行きたいのだが、寒くなってきているし、体力の消耗をかんがえると、今後の体調の変化を見て判断する必要がありそうだ。

とはいっても、一度はやってみたいと思っていたサーフィンを何度かできたことは幸せなことだ。
もちろん、またやれるといいなと願ってはいるが、今後の状況はわからない。
すべてをいま現在に集約して受け入れ、逆らわずサーフしていきたい。

2019年10月15日火曜日

食べられるものを食べられるときに食べて体調維持(末期ガンをサーフする(27))

10月15日、火曜日。午前10時。
27回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

今週が照射治療の最終週となる。
体育の日がはさまって三連休だったので、すこし間があいた。
その間に、各地に大きな被害をもたらした巨大台風十九号が来襲したりしたが、私の住んでいる国立市はほとんど被害がなく、私自身もゆっくり身体を休めることができた。

ガン治療のうち、抗ガン剤は点滴による投薬治療で、ガン組織をピンポイントで攻撃することはむずかしく、ガンではない正常組織も相当なダメージを受ける。
私はこちらを選択しなかった(すべての人におすすめするものではない)。

一方、放射線治療はガン部位を集中的に高エネルギーの放射線(X線)で攻撃する。
とはいえ、ガン部位のまわりにも正常組織があって、まったくそれを避けて照射することは不可能だ。
私の場合、食道ガンなので、ガン部位のまわりにある肺や心臓、脊椎、胃、横隔膜などにも影響がある。
遠隔転移があるので、そちらまで照射範囲が広がっており、そのために小腸、肝臓、腎臓、膵臓といったさまざまな内臓や膜組織にも影響がある。

放射線を照射することによって、ようするに悪性細胞を「焼く」わけだが、正常細胞も巻きぞえを食う。
当然、予測できない体調の不調に見舞われる。
私も起きていられないくらいの倦怠感や食欲不振、嘔吐感、胸焼け感に見舞われた(現在もつづいている)。

もっとも、幸いなことに、横になる時間は増えたとはいえ、ずっと調子が悪いわけではなく、日常生活や活動には大きな支障はない。
こうやってものを書いたり、人に会ったり、講座を開催したり、ピアノを弾いたりすることは、以前とそう変わりなくやれる。

以前と変わったことといえば、朝から日中にかけては比較的元気なのだが、夕方から夜になると顕著に体力が落ちてきて、以前のようには活動できなくなる。
ネットで映画を観たり、音楽を聴いたりする分には支障はないが、生産的な活動はまったくできないし、人に会ったり、出かけたり、運動したりといったことはまったくできない。

  *

この「末期ガンをサーフする」を最初のほうにさかのぼって読みかえしていたら、いまと大きく違うことがあって、びっくりした。
それは、日に三回以上かならず飲んでいた痛み止めの薬を、いまはまったく必要としなくなったということだ。
市販薬でもあるロキソニンがよく効いて助かっていたのだが、毎日二〜三回はかならず飲んでいた。
胸や胃のあたりに疼痛があり、食事はもちろん、なにかするにもその痛みのせいで集中がむずかしくなるからだ。

気がついたらいまは痛み止めを飲んでいない。
照射治療によって痛みを生むガン部位が縮小したのだろうか。
そうであったらありがたい。

食事のときの食べ物のつかえ感もほとんどなくなってきた。
そのかわり、粘膜が痛んでいるのだろうか(ただれたようになると医者にはいわれていた)飲みこむときにヒリヒリする強い痛みが出ることがある。
しかしこれは常時ある痛みではないので、痛み止めは必要ない。

食事関係でいえば、アルコール類はまったく飲めなくなった。
飲みたくても飲めない、という感じだ。
そもそも飲みたくなくなっている、というのもある。
それは、あれほど毎日何杯も飲んでいたコーヒーについてもいえる。
いまはもっぱら、普通のお茶や紅茶を飲んでいる。

食欲がないので、たとえ人からこれが身体にいい、病気にきく、といろいろすすめられても、そもそも飲める・食べられるかどうかが問題だ。
油断するとどんどん体重が減ってしまうので、とにかく食べられるもの、食べたいものを、食べられるときにどんどん食べておくという戦略になる。
アイスクリームとかゼリーとか、ケーキとか和菓子とか、あるいはこんなに食欲不振なのに不思議なのだが油物・揚げ物が全然平気なので、そういうものを食べる。

またこれも不思議なことに、運動(といっても歩く程度だが)のあとや寝る前にプロテインを飲んでおくと、疲れがたまらないような気がする。
かなりてきめんに効くように思う。

たしかに医者からは、高たんぱく高カロリー食をつとめてとるようにといわれている。

自然現象としての生命観・死生観を体認から得る(末期ガンをサーフする(26))

10月11日、金曜日。午前11時半。
26回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

今日から照射治療の最後のクール——残り五回となるので、照射プログラムを作りなおすための撮影をするのだという。
私の場合、食道ガン本体から胃の下部——大動脈の脇のリンパ節に遠隔転移があって、昨日まではそこを含む広範囲に照射をおこなっていたのだが、遠隔リンパ節の周辺は胃や腸、血管、腰椎、その他さまざまな器官が集まっているので、最後はその部位をはずした照射プログラムになるらしい。

照射治療前にやや時間をかけてX線撮影がおこなわれた。
その後、いつものように——しかし角度や時間は変わっている?——照射治療。

体育の日を含む連休があるので、次回の照射治療は火曜日となり、また残りは四回となった。
やはり治療の影響で体調がくずれぎみだったので、いったんこれで治療が終わるのはほっとする。
ただ、治療の効果がどの程度だったのか、ガンは縮小したのか、あるいは効果がなかったのか、それがわかるのは一か月くらいあとの検査による。

  *

二〇一三年からはじめた武術・韓氏意拳の具体的な内容については、日本の代表である武術家の光岡英稔氏をはじめとする著述や対談があったり、武術雑誌やネットでもたくさん紹介されているので、私から説明することはしない。
ここで書いておきたいのは、私が韓氏意拳の稽古をするようになって教わった——あるいは気づいた、私たち現代人がおちいっている、いびつともいえる身体観の特徴であり、本来の自然な動物の一員としての人のありようについてのあらためての気づきについてだ。

あくまで私個人の気づきであり、かんがえなので、韓氏意拳の本質そのものをひょっとしてはずしているかもしれないが、私が「そうとらえた」ことによって世界のあらたな見方を得たことは事実なので、それについてすこしだけ触れておきたいと思うのだ。

私たちは巨大化した物質文明社会のなかで、いわば絶えざる生命の危機を守られながら安心して生きている。
発達した政治や経済のシステムも、私たちの持続的な生活をささえている。
それがいい悪いということではなく、げんにそのような社会を生きている。

そのために、私たちがつい忘れてしまうことがある。
それは、私たち人間も、本来は自然界の存在であり、野生動物となんら変わらない生命現象のもとに生きている、ということだ。

いくら物質文明に守られていたとしても、どんな人もいつかはかならず寿命がつきるときが来る。
医学や科学が発達したおかげで、怪我や病気をしても治療ができる(こともある)し、平均的な寿命も昔にくらべれば格段にのびている。
子どもの死亡率もとても低くなっている。
だからときどき勘違いしてしまう。
私たち人間は病気や寿命や不慮の事故をある程度コントロールできる、と。

自分の病気や寿命を、まるでモノであるかのように概念化したイメージでとらえている。
機械が壊れたら修理してもらえばいいというふうに、病気になれば薬を飲めばいい、医者に治してもらえばいい、さまざまな治療法があってそれを適切に用いれば、自分も修理可能だ、くらいに(無意識かもしれないが)思っている。

もちろん文明はそういったことを可能にした面もたくさんある。
しかし、そのことによって本来の、本質的な私たちの生命現象というものは、概念化することもできないし、コントロールもできないものであるという謙虚さを、私たちは忘れてしまっている。
非文明の少数民族や、さまざまな民族の古来からの教えを見ればわかるように、自然現象にたいする謙虚さを持つことが、自然の一部である自分の生命への敬意にもつながっている。

病気は病気として、怪我は怪我として、文明的に対処できるものはすればいいが(げんにそういう社会に生きているわけだし)、生命現象というものの本質を忘れて対処法ばかり肥大化するのは、自分自身をないがしろにしてしまうのではないかと思うのだ。

私は自分の病気を受け入れたい。
文明社会的にその病気に対処する方法はいくつかあるが、自分が病を得、生命現象の進行に変化がもたらされたことは、壮大な自然現象の流れのなかで起こったことであるという認識を持っていたい。
その上で、生きるとはどういうことなのか、死とはなんなのか、自分がこの世に存在し、またこの世から存在しなくなるとはどういうことなのか、概念ではなく身体的な生命現象として向きあっていきたい、と思っている。

その体感覚を探求する方法として、武術における「体認」という稽古が、私には大きく役立っている。

2019年10月14日月曜日

韓氏意拳に出会いあらたな身体観・自然観を得る(末期ガンをサーフする(25))

10月10日、木曜日。午前10時。
25回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

今日は放射線治療科と外科のそれぞれの担当医の診察があると言うので早めに行って、採血を済ませておく。

採血後、いつもの放射線治療を受けて、その後診療放射線科の担当医の診察を受ける。
おおむね順調であること、ただし食欲が落ち気味であること、食事がちゃんと取れないと体重がジリ貧になっていくこと、時々軽い嘔吐感があって食事が取りにくくなること、全体的に倦怠感が強まる日があること、などを伝える。
放射線治療の副作用としてはよくあることで、特に大きな問題はなさそう、まずまず順調に行っているのではないかという見立てだった。

明日は治療計画を見直すためにX線の写真を取り直してプログラムを組みなおすとの事、それで少し時間がかかるかもしれないと言われた。

  *

ステージⅣの食道ガンを告知されて、取りみだすことなくこれからのことや、日々のすごしかたを落ち着いてかんがえられているのは、ここ20年来取りくんできているさまざまことが役に立っているからだ。
マインドフルネス、音楽瞑想、現代朗読や沈黙の朗読、非暴力コミュニケーション。
そしてとりわけ、これらのなかでももっともパワフルなものが、韓氏意拳という武術に出会ったことだと断言できる。

現代朗読の研究と実践から、朗読をふくむすべての表現は身体性と深く関わりがあると確信するようになった。
私は朗読はしないが(演出のみ)、ピアノを弾くし、小説も書く。
表現行為と身体性の関わりについて興味を持つにつれて、ヨガやアレクサンダーテクニーク、いくつかのスポーツなど、さまざまなボディワークにもチャレンジしてみた。
その過程で、身体にたいしてかなり特殊なアプローチをする武術があることを知った。

音声表現仲間でボイスパフォーマンスの徳久ウイリアムくんと、現代朗読とのコラボワークをおこなったとき、たまたま彼が、
「この本、おもしろいですよ」
といって、持っていた本を見せてくれた。
尹雄大著『FLOW―韓氏意拳の哲学』という書物で、すこし読ませてもらったが、いったいなにが書かれているのか、そのときはさっぱり理解できなかった。
仮にも文筆を仕事にしてきた人間だ、かなり難解な内容であっても、なにかの本を読んでよく理解できないということはまずない。
しかし、その本はちがった。
そのせいで、韓氏意拳という武術について、頭のすみに引っかかっていたのだろう。

ある日、こちらも気になってフォローしていた古武術研究家の甲野善紀氏のツイッターに、韓氏意拳についての言及があり、またその体験講習会があることも紹介されていた。
中野の区民センターでおこなわれていた体験講習会に出かけてみることにした。
2013年の初夏のことだ。

初めての体験講習は、書物と同様、なにがなんだかさっぱりわからないうちに終わってしまった印象がある。
が、そのあまりのわからなさに、ここにはなにかあると直感した私は、つづけて参加することにして、日本韓氏意拳学会にも入会を申しこんだ(なぜか韓氏意拳は学会になっている)。

それから足かけ7年、このやや特殊な武術が私にもたらしてくれた身体観や自然観は、観念的なものではなく、自分の身体を使った稽古を通して深く得られたもので、末期ガンという病についての自分の姿勢にも大きく影響している。

春野亭日乗 10月13日(日)朗読ゼミ、群読、映画「移動都市」

午前中は朗読ゼミ。
台風が昨夜、首都圏・関東地方を通過して、あちこちに大きな被害が出た。
電車などの交通機関も止まっているなか、ようやく動きはじめた中央線でゼミ生ユウキががんばって国立まで来てくれた。

NVCの合宿に参加するために、台風を避けて前日に北海道から飛んできていたトシちゃんも、臨時に参加。
遅れて動きはじめた青梅線で、リヒトくんも駆けつけてくれた。

群読の練習。
初めて現代朗読を体験するトシちゃんに、体認朗読を伝える。
演劇や武術なざ、さまざまな身体表現、身体ワークを経験しているだけあって、すぐに理解してくれたのには驚いた。
自分の身体、自分自身から離れないままに朗読することの楽しさを、みんなで味わってもらえたと思う。

次回の朗読ゼミは今週土曜日・19日の午前。
詳細はこちら

ゼミ後、みんなでお昼ご飯を食べに行く。
ハンバーグを食べたあと、ユウキが昨日テレビで見たといって、セブンイレブンのおすすめのソフトクリームを私に買ってくれた。
なんかうれしい。
春野亭にもどってからさっそくいただく。

その後、八王子でのNVCダンスフロア合宿に参加するみんなが理子ちゃんの車で出発して、私はひとりになった。
今日一日、すばらしい秋晴れだった。
キンモクセイも香りはじめた。
夕焼けが美しい。
ちらっと光って見えるのは木星?

夜はレンタルで映画「移動都市/モータル・エンジン」を観る。
独特の世界観で、さすがピーター・ジャクソンが関わっているだけある。
途中まで観て早めに寝てしまおうと思っていたのに、つい最後まで観てしまった。

2019年10月13日日曜日

春野亭日乗 10月12日(土)台風19号通過

午前中から断続的に強い雨が降りつづく。
刻々と台風が近づいてくる情報があるが、風はそれほどでもない。

今日は放射線治療が休みなので、なんとなくほっとしていたが、台風接近による気圧や天候の変化のせいか、体調が非常に悪い。
倦怠感があって、ずっと起きていられない。
食欲もなく、食べようとしても軽い嘔吐感で少ししか食べられない。
治療はあと4回を残すのみとなっているので、終わればこの不調もましになるのではないかと思いたい。

そんななか、がんばって午前中から昼にかけてオンラインで個人セッションを2件。
ほかにもやること、やりたいことがたくさんあるのだが、体調がついていかないのがもどかしく、悲しい。
計画していたことも、いまさらという気分になって、あきらめの気持ちがわいてきてしまう。

昨日は、明日からのNVCダンスフロア合宿に参加するために早めに上京したトシちゃんやトコさん、春野さんらと、楽しく宴会していたのに。
トシちゃんからはなおみ〜ぬもいっしょに選んでくれた北海道みやげをたくさんもらって、心使いをうれしく味わった。

午後遅くから夜になって、風も強まってきた。
ニュースを見ていると、あちこちで被害が出始めている。
春野亭は雨戸を全部閉め切って、1階は光もはいらない真っ暗な状態。
避難指示やら警告やら、スマホがうるさく鳴って、そのたびにびっくりする。
しかし、このあたりは停電することもなく、氾濫水位に達している多摩川からも遠い。

三鷹ののぞみさんや理子ちゃんと情報をやりとりしていると、どうやら台風の目が彼女らの直上を通過する可能性があるとわかった。
進路予想をにらんでいると、星空こそ見えなかったが、台風の目がほぼ真上を通過したらしいことがわかって、ちょっと興味深かった。

私が子どものころ——といってもほとんど記憶にはないが——伊勢湾台風が生家の直上を通過して、その話を大人たちから何度も聞いたことがある。
そのときは九頭竜川が決壊して、生家も床上浸水してかなりの被害をこうむったらしい。

午後9時をすぎて台風が通過していくと、嘘のように静かになった。

ピアノ七十二候:寒露/菊花開(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
寒露の次候(50候)「菊花開(きくのはなひらく)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年10月12日土曜日

YouTube:沈黙の朗読コンサート@名古屋の抜粋

2019年9月20日、名古屋栄のナディアパーク内音楽スタジオにて、「沈黙の朗読」コンサートを開催。

その模様をごくかいつまんで抜粋でお送りします。
全編映像も近くUPする予定です。

 テキスト 水城ゆう
 朗読   野々宮卯妙
 ピアノ  水城ゆう

映像はこちら
よろしければチャンネル登録をお願いします。

春野亭日乗 10月10日(木)忙しい末期ガン患者の1日

メインマシンであるMacBook Pro 13インチのクリーンインストールを敢行。
数か月前に突然動かなくなり、とても困ってしまったのだが、代替機を用意し修理に出し、ロジックボードの交換をした。
アップルストアではなく民間の修理業者に頼んでみたのだが、なかなか対応がよく、修理も早く終わったので助かった。

先日、MacOSの最新版「Catalina」がリリースされたばかりなので、それに合わせてマインのなかをまっさらにすることにした。
いちおうTimeMachineにバックアップは取ってあるが、ストレージのフォーマットとOSのインストール後もバックアップから書きもどすことはせず、アプリはいちいちあらたにダウンロードしてインストールしなおした。

テキスト、画像、音楽プロジェクトファイルなどの重要なデータは、ほぼすべてクラウドに預けてあるので、ネットがつながりさえすればすぐに作業再開できる。
クラウドにあげるには重すぎる動画などの大きなデータは、モバイルハードディスクに詰めてある。

再インストールにもっとも時間がかかるのは、Logic Proというアップル純正の音楽製作ソフト。
サンプリングされた膨大な音源データがあって、それだけで40ギガ以上ある。
これをダウンロードするだけで半日がかりになった。

ほかにもこの日は忙しかった。
Macの再インストールを仕掛けておいて、まずは病院へ。
診察があるというので、ひさしぶりの採血。
いつもの放射線照射治療。
診療放射線科の担当医の診察。
消化器外科の担当医の診察。

本当は4月か5月には提出していなければならなかったNPO法人現代朗読協会の事業報告書などの書類を作る。
この提出が遅れると、督促が厳しく来て、それにこたえられないと罰金を食らう。
さらに提出が遅れると、認可を取り消されることもある。

駅前に出かけて、8月の入院費やら、国民健康保険やら住民税やら、交通違反切符の払い込みやら(泣)、アイ文庫関係の通帳記入やら、忙しく回ってくる。
サーフィンより疲れる。

まだまだ雑用が残っていて、高額医療費の還付金申請やら、部屋の掃除やら、名古屋のイベントの告知作りやら。
突発的にはいってくる個人セッションの依頼もある。
なかなかメインの執筆と音楽製作と動画編集まで行き着けない。
とても末期ガン患者の生活とは思えないが、これだけの活動をしていられるのはありがたいことなんだろう。
もうすこし落ち着いた毎日になるといいな〜とは思うけど。

2019年10月11日金曜日

偶有性の海でなにひとつ(病気すら)コントロールできないことを実感する(末期ガンをサーフする(24))

10月9日、水曜日。午前10時。
24回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

治療後、非暴力コミュニケーション(NVC)の仲間で音読トレーナーのりひとくんと、湘南の海までサーフィンに行く約束をしていた。
りひとくんはサーフィン初体験、私もまだ4回めという初心者同士で、鵠沼海岸のサーフショップの入門スクールを予約してあった。

車を出して、国立から中央道に乗って八王子まで。
圏央道に乗り換え、南下。
鵠沼海岸は国立から見るとほぼ真南に位置している。
車で1時間ちょっと。

途中、厚木のサービスエリアで早めのランチ休憩。
体重減少阻止! ということで、豚骨ラーメンをしっかりいただく。

入門スクールは私とりひとくんのほかに、これも初体験だという若めの中年(変ないいかただけど)男性がひとり、そして母娘らしいふたり連れの女性(こちらは数回経験ずみのようだ)の計5人。
インストラクターは、私にはおなじみになったモトさん。

みんなでボードをかかえて、えっちらおっちらとビーチまで歩く。
波はおだやかだが、ときたま大きめ(といっても胸くらい?)のものがつづけて打ちよせてきて、巻き波となる。
慣れていないとボードごと持っていかれて、なかなか沖へ出られない。
そのあたり、私はだいぶ慣れたのと、もともと子どものころから海遊びが好きだったこと、そして学生時代からヨットをやっていたのとで、あまり苦労はない。

波と風、空、雲、砂、鳥、人々。
どれひとつ取っても、一瞬だにとどまっているものはない。
すべてが変化しつづけ、海にはいればその巨大なエネルギーの流れのなかになにひとつコントロールできるものなどないことを体感する。
波に乗るというのは、自分やボードをコントロールすることではなく、自然エネルギーにのなかで翻弄されながらも自分がかろうじて存在できる隙間をさぐり、見極め、遊ばせてもらうということだ。

最初はどうやってコントロールしようか、どうやればうまく乗れるのか、テクニックはどうやって身につけるのか、などとかんがえて、家で練習したりして、そうやって海に行くのだが、はいってみると一瞬にしてそんな準備はなんの役にも立たないことを悟る。
無限の偶有性の満ちた自然条件のなかで、ただただ自分がどうやれば存在を許してもらえるのか、謙虚にならざるをえない。

そこに存在する自分の生命もまた、とてもちっぽけなものではあるけれど、コントロールなどできない自然の一部であることに気づく。

本来なら普段の生活でもそれがあたりまえのことなのだが、人類が長年かけて築きあげてきた巨大物質文明の環境に囲まれて(守られて)いるせいで、まったく忘れてしまっているだけのことだ。

病気になれば薬でなんとかできると思っているし、薬でどうしようもない病も病院に行って医者にかかればなんとかなると信じている。
病気になって調子が悪くなるのは、機械がどこか故障して不具合が起こるようなもので、その不具合を見つけて修理したり交換したり油をさせば元にもどると思っている。

ちっぽけな存在ではあるけれど、人間という自然現象は、そんな単純なものではない。
そのことを全身で教わり、実感したのは、韓氏意拳という武術に出会ったからだった。

私が韓氏意拳という中国伝統武術の流れをくむ武術の会に入門したのは、2013年の春のことだった。

2019年10月9日水曜日

朗読でマインドフルネスからフロー状態へ(末期ガンをサーフする(23))

10月8日、火曜日。午前10時。
23回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。
たまらん坂の体調計測器によれば、今日の体調は10のうち5くらい。
あまり快調とはいえない。

  *

ティク・ナット・ハンの本に出会い、その後彼のさまざまな活動やことばを知るにつれ、ますますマインドフルにいまこの瞬間を生きることの大切さを感じるようになった。
呼吸を観察することからはじまって、自分の身体を観察する——刻一刻と変化する身体のようすを見届ける——練習やワークをつづけると同時に、朗読表現においてもマインドフルネスを取りいれるようになっていった。

朗読という行為は、目の前に書かれている文字列を声に出して読みあげる、ただそれだけのことだが、そこには思考がはいりこむ余地がたくさんある。
ことばやストーリーの意味、作者の意図、作品の書かれた背景、イントネーションや発声などテクニカルなこと、聴き手によく思われるための企て、自分を誇示するための演出効果など、かんがえだしたらキリがない。

現代朗読ではその「かんがえたらキリがない」朗読行為に、マインドフルネスを持ちこむ。
さまざまな思考を捨て、ただただ自分の声と身体を観察し、その変化とともにいつづける練習をする。
目の前にあるテキストは、ただ文字列として読みあげるためだけにある。
歩くときに歩道がただ歩くための道すじとして自分の前にあるのとおなじだ。

やってみるとわかるのだが、「テキストを読みあげる」という単純行為のなかで自分自身の身体に注目し、その変化を見逃さず、「いまここ」にいつづけるのは、かなり忙しく大変だ。
最初はまったく自分の身体に注意が向かず、そもそもそういう感受性すらなく、余計な思考ばかりがつぎつぎと生まれてまったく集中できない。

それでも練習をつづけ、身体観察する感受性がすこしずつ育っていくと、しだいに思考が頭のなかから追いだされていき、脳と神経系は自分の変化をとらえるために観察に忙しくなる。
それはまさに「いまここ」の生きた自分を感じつづけている瞬間だ。

マインドフルの練習が進んでくると、観察は自分の身体状況だけでなく、自分がまわりの環境から受け取っているさまざまな情報にも気づくようになってくる。
音、空気、建物、いっしょにいる人たちのようすや動き……
うまく集中できると、自分のなかを膨大な情報が流れ、変化していくようすを、客観的に観察できるようになる。
これはまさに「フロー」と呼ばれる状態である。
自分とまわりのことに気づきつづけていると同時に、自分がおこなっていることにも完全に集中し、能力を最大限に発揮できる状態。

このフロー状態にはいるための練習として、朗読という行為が非常に有効であることに私も、現代朗読のメンバーも気づくことになった。

2019年10月8日火曜日

春野亭日乗 10月6日(日)ゼミ、春野亭片付け、餃子パーティー、ひよめき塾

午前中は現代朗読ゼミ。
今日の体認朗読のエチュードでは、足首と身体全体の関係性に注目してみる。
朗読という「運動」の密度をたかめるための着目点について、このところさまざまな試みをおこなっている。
ほかに、読むスピードと、表現の密度、身体への注目密度の関係についての試みも。
みっちーが電気回路の本を持ってきて、それを使っていろいろ試してみたのがおもしろかった。

ゼミ修了後は春野亭の家まわりの片付けで、助っ人をお願いしたら何人か駆けつけてくれた。
元ゼミ生のシマムラやひよめき塾の下村さん、つきみん、ゼミから引きつづき残ってくれたユウキとみっちーら。
伸び放題の雑木や雑草を伐採して、切り分けて、ゴミに出せるようにする作業で、ヤブ蚊も出てけっこう大変な作業を、みんなで手分けしてガンガン片付けてくれた。
ずっと懸案だったのが片付いてとても助かったし、安心した。

みんなが働いているあいだに、餃子のネタを仕込む。
作業が終わってから、みんなで手分けしてネタを餃子の皮に包み、ホットプレートで片っ端から焼いては食べていく。
今日がちょうど誕生日ののぞみさんも加わって、野々宮が焼いたおいしいアップルケーキをいただいたりしてお祝いしながらパーティー。

夜はひよめき塾。
今回から進行方法をすこし変えて、私が講評するのはサイコロで選んだ3作品のみになった。
それでも1時間くらいかかって、濃い内容だったので、疲れが来た。
もちろん疲れ以上にみなさんの作品を読むのは楽しいしうれしいのだが。
今回9作品が集まったので、残りの作品については参加のみなさんでお互いに感想を交換してもらうことになった。

このひよめき塾をふくめ、私がやっている共感手帳術や共感文章講座など、いくつかのものをひとつのコミュニティとして集約していくことをかんがえている。

現在、過去、未来、マインドフルネス(末期ガンをサーフする(22))

きゅうに涼しくなった。
日本列島の南海上ではまた大きな台風が発生し、近づいてきているらしい。
昨日は現代朗読ゼミをやり、午後は国立の家のまわりの掃除をみんなに手伝ってもらい、餃子パーティーをやり、夜はひよめき塾という小説家のミーティングをおこなった。
どれも私にとって大切な、命の時間といえる。
かけがえのない時間をすごすことができた私自身と集まってくれたみなさんに心から感謝。

10月7日、月曜日。午前10時。
22回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

  *

過去形とか未来形を持たない言語体系というのは、実際にある。
本にもなっているが、南米の非文明化種族のひとつであるピダハンなどはそうだ。
言語体系には現在形しかない。

過去や未来をあらわすことばを持たない人たちは、過去や未来という概念をそもそも持たない。
過去にとらわれることなく、また未来を憂えることもない。

私は日本に生まれて、日本語を母語として育ったので——それとて正確には北陸の一地方の方言というべきか——、過去や未来という概念がある。
過去という概念が記憶を作り、未来形がありもしない想像を生む。
それが悪いといっているのではない。
そういう言語体系のもとに生まれ育ち、そのような概念化された時間と空間を生きているという事実があるといっている。

たしか2004年ごろだったと思う——なぜ覚えているかというと、ちょうど現代朗読という表現体系を研究・実践しはじめたころだったからだ——なにげなくラジオを聴いていたら「マインドフルネス」ということばが流れてきた。
ティク・ナット・ハンというベトナム出身の平和活動仏僧の本を紹介していたのだった。

私たちは本来、いまこの瞬間を生きているはずなのに、過去にとらわれ、未来を憂えることで、本来のいきいきした生・生活を見失ってしまっている、マインドフルネスの実践によって自分本来の人生を取りもどそう、というようなことが書かれているらしく、そのためには呼吸に注目するという簡単な方法が有効だといっていた。
なんとなく表現活動にとって重要なキーワードのような気がして、私はすぐに本を取りよせて読んでみた。

ちょっとしたショックを受けた。
呼吸に注目することで、いまこの瞬間の自分自身のからだや心のありさまに気づき、またまわりのことにも気づくことができる。
この移り変わりゆく一瞬一瞬の「いま」という時間に注目しつづけることこそ、いまを生きることであり、真の自分を生きるということにほかならない。
過去も未来もいまこの瞬間にはない、人が作り出した「思考」であり、「概念」であり、それが「苦」のもとになっているのだ、という。

昔体験した幸福なできごとを思い出して思い出にふける、嫌な体験を思いだして身をよじる、まだ起こってもいない事故や事件や災害を想像して不安にかられる、これらはすべて、いまこの瞬間には存在しない、頭のなかだけのできごとで、思考や概念でしかない。
もちろん、なにか悪いこと起こることを想定してそれを予防したり、起こっても被害が最小限に食いとめられるように準備しておくことは大事なことだ。
人類はそうやって繁栄してきたのだ。
しかし、その思考も過大になると肥大化した予防策が生まれ、ひいては巨大な物質文明を築きあげることになる(実際いまのこの世界はそうやってできてしまった)。

私たちは、いまこの瞬間にしか生きてはいない、このことを身体感覚としてしっかりつかんでおくことは、非常に大切であると同時に、私たち文明化した人間にとっては困難なことでもある。
つねになにか思考し(いまここにいない)、過去を振り返り(いまここにいない)、未来を想像し(いまここにいない)、ここではないどこかべつの場所に思いをはせている(いまここにいない)。

かれこれ15年くらい、マインドフルネスのことをよくかんがえ、ときには練習したり、実践したり、ワークショップを開催したり、また書籍に書いたりしてきた。
そのことが、末期ガンによる余命を告げられたとき、私にとって非常に重要なバックボーンとなっていることに気づいたのだった。