2019年9月20日金曜日

吉祥寺〈曼荼羅〉でのオープンマイクに駆けこむのだ

今日は現代朗読のワークショップと沈黙瞑想コンサートをおこなうために、名古屋に向かっている。
これを書いているのは新幹線のなか。
明日は話題のトリエンナーレをちょっと見物してから東京に戻る予定だが、その足でまっすぐ吉祥寺の〈曼荼羅〉に駆けつけ、オープンマイクに参加することになっている。

こちらのオープンマイクはひさしぶりだ。
今回はゼミ生ユウキの曼荼羅デビュー戦となる。
そしてもうひとりは、おなじみの野々宮卯妙。

曼荼羅は音楽のライブハウスとしては東京でも老舗といってもいいだろう。
ありがたいことに、最近は月に1、2回、オープンマイクイベントとしてだれにでもステージを開放している。

出演者はさまざまで、オリジナル曲の弾き語りの人もいれば、ひとり芝居のような人もいる。
私たちのような朗読もいる。
といっても、私たちは朗読とピアノの即興セッションなので、音楽に近いスタンスかもしれない。

ちゃんとしたステージで、照明やマイクも用意され、グランドピアノも使えるので、ライブ環境としては理想的といっていい。
ゼミ生ユウキは国立の居酒屋〈キノ・キュッヘ〉のオープンマイクで初ライブデビューを経験したが、たぶん曼荼羅でのパフォーマンスはそちらに比べて「楽」だと感じるのではないだろうか。
そう、照明やマイクが用意されたステージでのパフォーマンスというのは、パフォーマーにとって整えられた環境といってよく、自分の表現に集中しやすくてやりやすいのだ。

名古屋から駆けつけるので到着が19時半くらいになってしまうかもしれないが、オープンマイクは18時からスタートしている。
もし遊びに来てくれるかたがいるなら、早めに行って、「朗読を聴きに来ました」と伝えておいてくれると、とってもありがたいので、よろしくなのだ。

2019年9月19日木曜日

受付を終了します/講座を収束します

本当にうれしいことだが、名古屋で明日・9月20日に開催する現代朗読のワークショップの参加者がどんどん増えて、これ以上増えると全員に目が行き届かなくなる心配もあるし、映画撮影にも支障が出るかもしれないと思い、受付を終了した。

これまで毎月開催してきたワークショップの延長線上にあるものだが、これまでは会場は天白の〈アロマファン〉という水野生惠さんの個人民家スペースを借りておこなっていた。
こちらだとキャパは10人以内。
それでも毎回楽しく群読ワークをおこなっていた。

今回、場所を栄の音楽練習スタジオに移しておこなうことにした。
グランドピアノがあり、椅子をならべて人を入れるだけだったら50人以上は余裕のようだ。
そういう空間で現代朗読の群読エチュードを思いきりやって、映像作品としての撮影もおこないたい、という欲張りな企画となった。

20人に届こうという申し込みがあったので、あわてて受付を終了することにした。
これまでに1度でも参加したことがある人がほとんどだが、まったく初めて参加する人もいる。
そういう人も混じって、全員で群読表現を作りあげていく。
想像するだけでわくわくする。

本当はこういうことを東京でおこないたかったのだが、人を集めるのが難しかった。
私や現代朗読の知名度の問題もあるかもしれないが、名古屋やその周辺のみなさんはよく関心を向けてくれて、とてもありがたく感じている。
東京にいつづける理由がわからなくなってきたような気もする。

体調の気がかりがあったり、実際に波があったりするので、いろいろおこなっていた講座/ワークショップの類いを、オンライン開催に以降できるものはそうしている。
イベントそのものも縮小している。

非暴力コミュニケーション(NVC)関係の勉強会のうち「共感カフェ」としておこなっていたものは、すべて閉じた。
幸い、最近多くの人がNVCを教えはじめているので、私があらためて伝えなくても学ぶ場はたくさんある。
それでも私が伝えるとしたら、私ならではのアプローチのものに限りたい。

オンラインでは難しい現代朗読ゼミは、個人レッスン対応も含めてつづけているが、これはいつまでできるかわからない。
ゼミ生という月定額で参加できる制度があるのだが、これも積極的に募集はしていない。

なにができて、なにができないのか、だれかに会ったりなにかに使う時間もふくめて、ちゃんと見極めていきたい。
ともあれ、明日の名古屋でのワークショップと沈黙瞑想のコンサート、そしてその撮影と編集後の映像作品の完成は、本当に楽しみなことで、私の生きた証のひとつになるだろうと思っている。

2019年9月18日水曜日

人々の好意や医師の職業倫理との闘い(末期ガンをサーフする(12))

9月18日、水曜日。午前10時。
12回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

昨日まで絶不調で、病院までの1・5キロメートルを歩ける気がしなかったけれど、今日は涼しさもあって歩こうと思った。
途中、200メートルほどの〈たまらん坂〉という、名前のわりにはたいしたことない坂があるんだけど、その登り坂は体調をはかるのにちょうどいい。

ちょっとだるさが残っている。
こういうとき、すこし無理してがんばったほうが、筋トレのように身体は体力を回復しようとするのか、逆にがんばらないほうが体調回復が順調なのか、どっちなんだろう。
ともあれ、今日はちょっとがんばってみた。

  *

私の知り合いで乳ガンのサバイバーの女性がいる。
彼女はかなり若いころに乳ガンをやり、
「絶対に生きのびる。私には使命がある」
という強い意志のもと、信頼できる医者をさがし、積極的に治療を受けて乳ガンを克服したという経験がある。

私が食道ガンであることを知った彼女から、彼女が信頼する医師に診てもらうことを強くすすめられた。
その医師はがん研出身で、現在は開業医だが、いまだにがん研にはコネクションを持っていて、なにかと便宜をはかってくれるというのだ。
私は気が進まなかったが、彼女の強力なプッシュと「絶対に生きのびてね」という願いを受けて、紹介された医院に行ってみることにした。

6月29日で、食道ガンが見つかって1か月以上がすでにたっていた。
多摩センターの検査資料を持って、出かけていった。

いろいろいわれたのだが、要約すると、
「一刻も早く治療をはじめないと取り返しがつきませんよ」
ということだった。
そもそも私は標準治療を受けることに積極的でなかったし、なんとなく脅されているような気がして尻込みしてしまった。

するとその医師は、
「治したいの、治したくないの? あなたが熱意をもって頼まないと医者も本気になれないよ」
という。
私はますます嫌気がさしていたが、本来の弱気が出て、つい、
「お願いします」
と頭をさげてしまった。

いまだったら決してそうしなかっただろう。
しかし、そのときはまだ迷いがあった。
自分がなにをもっとも大事にしているのか、確たる視野ができていなかった。
その医師も、いいかたはともかく、私を「生存させる」という医師としての職業倫理にもとづいて懸命に提案してくれていたのには違いないのだ。

がん研有明病院には翌週連絡がつき、優先的に診察・検査の予約を入れることができた。

ガンを生きるというのは、多くの人の好意があり、また医師や病院側の職業倫理があり、自分の意志とは関係のないところでものごとが動きはじめてしまうことがあるということとどう向きあうか、場合によってはそれらとどう闘うか、ということも含まれてくるということだ。
場合によっては、自分の病との闘いよりもそちらの闘いのほうがエネルギーを使い、消耗させられてしまうことがある。

もちろん、
「すべて先生にお任せします。よろしくお願いします!」
と治療を医師や病院に丸投げしてしまうというなら、話は別だが。

ピアノ七十二候:白露/玄鳥去(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
白露の末候(45候)「玄鳥去(つばめさる)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年9月17日火曜日

セカンドオピニオンをすすめられる(末期ガンをサーフする(11))

この連休は絶不調だった。
それが治療のせいなのか、たんに体調不良だったのか、天候不順がつづいたのでひょっとして風邪ぎみだったためなのか、よくわからない。
とにかくだるくて、熱っぽい感じもあって、日中もしょっちゅう横になってはうとうとしていた。
食欲もなく、アイスクリームとか、人からいただいたゼリーとか羊羹をほそぼそと食べていた。

お酒やコーヒーなど、刺激物は控えるようにいわれているが、無理に控えなくても自然に飲みたくなくなる。
いまはそんなものを飲める気がしない。

サーフィンのレッスンの予約をいれようと思っていたのに、こんな調子だととても行けないと断念した。
それがかなりくやしい。

9月17日、火曜日。午前10時。
11回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。
食事のときひりひり痛むことを伝えたら、薬があると思うので先生の診察のときに処方してもらってください、といわれた。

  *

6月20日に消化器外科の担当医の所見を聞いてから1週間後、27日にふたたび担当医と話をしに多摩総合医療センターに行った。
いろいろかんがえてやはり抗がん剤はやりたくない、と伝えると、医師からは、
「そうですか。まだお若いのにすこしでも可能性がある抗がん剤治療を受けないというのはもったいない気がしますが、意志は尊重します。では、あまり例がない方法になりますが、放射線治療1本に絞っていきましょうか」
といわれた。

私はもともとその方法がいいと思っていた。
念のために訊いてみた。
「抗がん剤も放射線もやらないとするとどうなりますか?」
「ガン組織が肥大化して、やがて食道がふさがって食事が取れなくなります。リンパ節への転移も進むかもしれませんね」
それは以前にも聞いたような気がする。

ふと医師が表情を変えて、私にいった。
「納得できなければ、セカンドオピニオンをとってみてはいかがですか?」
そのことばは聞いたことがあった。
最近の医者や病院は自分の診断のみを押しつけず、患者が他の医師や病院の所見を得ることをさまたげないようになっているようだ。

私はこの医師の所見を信用していないわけではなかったが、別の医師がどのような診断をするのか、すこし好奇心があった。
たぶんまたあらたに検査を重ねることになるのかもしれなくて、それはかなり気が重かったが、好奇心のほうが勝った。
「はい、そうしてみます」
「わかりました。では紹介状を書きましょう。どこか希望の病院はありますか?」
そういわれても私にはとくに行ってみたい病院はなかった。
ただ、知識として、国立がん研究センターというような専門病院があることは知っていた。

医師から、がん研有明病院はどうでしょう? といわれたとき、正直いってがん研と国立ガン研究センターがちがう病院であることすらわかっていなかった。
しかし、ともかく専門病院でセカンドオピニオンを受けるというのは興味があったので、承知した。

担当医はすぐに、がん研有明病院の消化器外科宛に紹介状を書いてくれた。
多摩総合医療センターで受けた検査のデータがはいったCD-ROMも渡してくれた。

がん研有明病院には自分で電話をして、診察の予約をいれてから行ってくれ、ということだった。
しかし、有明病院に行く前に、私は思いがけず、もうひとつ別の病院でセカンドオピニオンを受けることになった。

YouTube:ある日の現代朗読ゼミのはじまりの時間

2019年9月13日・土曜日におこなわれた現代朗読ゼミのはじまりの部分を、一部紹介します。
毎回、このようにやっているというわけではありませんが、こんな感じでやっているという雰囲気の一端を知っていただけるかと思います。

現代朗読についてのゼミ生との質疑応答もあります。

映像はこちら
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2019年9月16日月曜日

延命のための延命ではなくいまこの瞬間を生きること(末期ガンをサーフする(10b))

(aからのつづき)
20代前半はバンドマン生活を、後半はピアノ教師とラジオ番組制作を、30代は職業作家を、後半からパソコン通信などネットの世界へ。
40代はインターネットの世界へ。

ずっと「自分を誇示すること」や「経済競争」の世界でやみくもにやってきた。
2000年にネットコンテンツの仕事をすることになり、会社を立ちあげ、北陸の田舎から東京に仕事場を移すも、事業はあえなく頓挫。
もくろみははずれたけど、そのまま東京でほそぼそとラジオやオーディオブックの製作をつづけていた。

その過程で(私的には)金脈を掘りあてた(経済的な意味ではない)。
それは商業的な枠組みとは別個の、本来的な「表現」を研究し、実践することで、そこにはいまも追求しつづけている声と身体、マインドフルネス、自己共感というキーワードがあった。

とくにマインドフルネスは本質的な実践だった。
そもそも仏陀の時代から追求されてきたことであり、人間がみずからの安心安全のために物質文明を築きあげ、経済社会システムや支配構造を作りはじめたときから起こってきた問題に個人が対処するための考え方といえる(狩猟採集時代はそんものは必要なかった)。

私はいまこの瞬間を生きている。

ただそれだけのことを深く認知する必要がある。
即興ピアノを演奏し、朗読表現を指導し、また朗読者と共演する過程で、もっとも重要なことは、なにかをあらかじめたくらんでそれをなぞる練習をするのではなく、いまこの瞬間の自分自身の状態とまわりに気づきつづけ、応じつづけられること。
つまり、マインドフルネスであり、フロー状態といいかえることもできる。

あらかじめこうやろう、こう演奏しよう、こう読もうと枠組みを作って準備し、何度もそれをなぞって本番でも再現できるように練習するのは、不安を打ち消すための消極的な行為にすぎない。
ものごとは流動的であり、たえず変化している。
それを受け入れることに怖さがあり、その不安を打ち消すためにあらかじめなにかを構築して、準備しておく。
戦いに備えて巨大な城を築くようなものだ。

しかし現実は変化しつづけている。
いざ本番の舞台に立ったとき、想定していたような環境、観客であるとは限らない。
また、それよりもまず、自分自身がたえまなく変化しつづけているではないか。

自分自身の変化を受け入れることもまた、怖さがある。
死を含め。
しかしその変化に目を向け、受け入れ、応じて生きていくことが、マインドフルネスといえる。

マインドフルネスを生きれば人生はいまこの瞬間の一瞬に凝縮される。
明日死ぬ人生も、80年生きる人生も、あるいは120年生きるかもしれない人生も、いまこの瞬間を生きているということにおいては全員ひとしく変わらない。
いまこの瞬間をどのような質で生きているか、人生の長短にかかわらずそれがもっとも重要なのだ。

まだたくさん生きられると油断して毎日をだらだらと無為にすごすことより、いまこの瞬間の生に気づき、自分自身を味わいつくしながら生きていくほうがいいと、私は選択している。
ピアノを弾いている瞬間も、ものを書いている瞬間も、だれかと会っている瞬間も、ひとりで食事している瞬間も、眠りにつこうとしている瞬間も、私自身を生きて味わっている。
そういった瞬間の積みかさねがなにかをもたらすかもしれないし、もたらさないかもしれないが、それは結果にすぎない。

末期ガンを生きるとわかったとき、私が決めたのは、これまでと変わりなく生きること。
いまこの瞬間の生の質をできるだけ高め、味わいながら生きていくこと。

したがって、ただ命を長らえさせることが目的の延命治療は受けないことにした。
とくに生活の質をいちじるしく低下させる可能性のある治療法は、私にとって選択肢の外にあることは明らかだった。
それは最初からわかっていたことだった。

もっとも、私がそう選択して決めることと、周囲にそれを受け入れてもらうこととは、また別の話ではあった。

2019年9月15日日曜日

春野亭日乗 9月14日(土)流動的で変化するものごとと自分自身をあつかう練習

午前中10時半から現代朗読ゼミ。

現代朗読ではない朗読教室に通っていた参加者が、これまで朗読テキストにはびっしりと真っ黒になるくらい書きこみをしていたけれど、現代朗読を学ぶようになってテキストは真っ白のままになっているのがおもしろい、とおっしゃる。
テキストにびっしり書きこみをするのは「不安」を解消するためであって、不安を解消するために私たちはものごとを「固定化」してとらえようとする。
しかし実際にはものごとは流動的であって、偶然性に満ちている。

そもそも自分たちの存在そのものもたえず変化しつづけるものであって、朗読の練習をするにしても、
「本番でこのように読もう」
という設計図を緻密に作り、それをなぞる練習はできるけれど、それでは肝心の本番のとき「自分のいきいきとして生命現象を表現する」という行為が死んでしまうことになる。
目的が「伝達」ならばそれも有効かもしれないが、「表現」が目的ならばものごとや自分自身を固定化してとらえる癖は丁寧に取りはずしておいたほうがいい。
たとえ目的が「伝達」であったとしても、いきいきとその場での関係性を大切にしながら行いたいなら、変化しつづける自分をつかまえておくことは必須だ。

ものごとが流動的であり、自分が変化しつづける現象であるとしたら、ではどのような練習が有効なのか。
そのことについてあらためてゼミで確認し、みんなでエチュードをやってみる。
そんな話を前置きでしたせいか、今日は一段と注意深い稽古になった。

午後、元ゼミ生のシマムラがわざわざ私の見舞いをかねて遊びに来てくれる。
差し入れをたくさんもらった。

彼女がはじめてゼミに来たのはもう10年くらい前で、そのときまだ大学生だったのだ。
いまは就職も結婚もしていて、幸せに暮らしているとのこと。
人を喜ばすのが好きで、働くのが好きで、身体を動かすのが好きで、そんな若者だったけれど(いまも若いけど)、いまも変わらずそんな感じでうれしかったな。
シルクニットのヘアバンドがちょうどよかったので、あげることにした。

すこし休んで、夜は韓氏意拳の撃研こと技撃研究会に昭島スポーツセンターまで行く。
今回は岡山の野上教練も参加してくれたり、参加者も6人だったりと、活発な練習内容となった。
私もほぼついていくことができた。

2019年9月14日土曜日

老いを想定しないとき私はどう生きるべきか(末期ガンをサーフする(10a))

9月13日、金曜日。午前10時。
10回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

ようやく涼しくなったので、ラップトップを入れたリュックサックを背負って歩いて行った。
治療が終わってから、院内のドトールでサンドイッチとコーヒーをいただきながら、仕事する。
なぜかこのシチュエーション、はかどる。

  *

10数年前に父親が亡くなり、一昨年は母が亡くなった。
父方の祖父母も母方の祖父母もすでに他界している。
肉親の死だけでなく、年齢を重ねてくると身近な人や知人、あるいは同級生、ときには同級生の子息、知り合いの子どもが亡くなったという報に接することが増えてくる。
そのたびに、人は遅かれ早かれかならず死ぬんだなあ、と思う。

音読療法のケアワークで高齢者の介護施設に毎月のように行っている。
亡くなった私の両親とおなじくらいか、それより上の年齢の方たちと交流している。
とても楽しい時間なのだが、交流とは別に、人が老いるという現象にあらためて直面するときでもある。

自立して歩ける元気な人もいるが、多くの人は車椅子、なかには寝たきりの人もいる。
歩ける人もたいていは杖をついている。
口も頭も達者な人がいれば、認知症が進んでいる人、老化がいちじるしい人もいる。
そういう方たちを見ていると、私はどのように老い、高齢者としてどのような姿になるのだろうか、といつも思っていた。
そしてその姿をどうしても想像できずにいた。

街を歩いていても、病院に行っても、高齢者が杖をたよって歩いたり、手を引かれて介助してもらっているのを見て、私自身がそのような姿になるということをうまく想像できなかった。

今回、食道ガンのステージⅣと余命を告げられたあと、しばらくたってふと思ったのは、自分が高齢者になってどのような姿や生活を送っているのか、もう想像しなくてもいいのだな、ということだった。

よく老醜をさらすのが嫌だとして自死を選ぶ人がいる。
作家など有名人でも何人かいた。
私はそこまで極端なことをしようとは思わないが、その選択はあるていど理解できる。
自死という、ある意味、暴力的な選択をしなくても、まだ心身に活力があるうちに旅立てるというのは、ひょっとしてラッキーなことかもしれない、なんてことすら考える。

こういう考え方はどこか倫理的なことに触れるのかもしれない。
利己的な考えだし、残される人たちのことにまったく配慮がない。
しかし、私のなかにそのような考えが浮かんだことはたしかで、その考えを自分が悪く感じていないのも事実だ。

また、生きていればだれもがいやがおうでも積みかさなっていく「しがらみ」というか、人間関係の「澱」のようなものからも、いわば強制リセットされる。
この先まだ命がしばらくつづくと想定されていると、あまり引き受けたくない人間関係や仕事も先の利益やまわりに忖度してつい引き受けてしまうことがある。
私についてはもうそんなことはないだろう。
先の利益やまわりへの忖度など、いまにいたってなんの意味があるというのだろう。
私は残された時間——それはどのくらいなのかわからないけれど——、やりたいことしかやらないし、会いたい人にしか会わない。
やりたくないことはきっぱりと断り、義理や忖度を排し、純粋に自分の時間を生きるのだ(できるだけ)。

などと尊大なことをいっているが、実際にはなかなかそうはうまくいかない。
そもそもいまさらそんなふうな生き方にシフトできるというなら、とっくの昔にそういうふうな生き方ができているだろう。
何度も書くけれど、ガンになろうがなるまいが、人はすべからく死を生きているのだ。
ただ、ガンという「死の顔」がくっきりと見えることで、ぼんやりとしたこれまでより多少自分の内面と向かい合う時間が増えることは確かだ。

老いた自分というものを想定しないとき、ではいまこのときを私はどう生きたいのだろうか。
消化器外科の担当医から1週間の猶予をもらってあれこと考えたとき、私はその結論をすでに私のなかに持っていることに気づいた。
いまさらあれこれ思い悩むことはなかった。
ここ20年近く、表現と共感と武の世界で私があれこれ研究してきたこと、みんなといっしょに練習してきたこと、そしてみなさんに伝えてきたこと、そのなかに私がどう生きるべきかという答えは、すでにあった。
(bにつづく)

2019年9月13日金曜日

春野亭日乗 9月12日(木)夢のメモ、曼荼羅、アーティストの映画2本

夢を見なかったわけではないけれど、夢を覚えているという習性がなかった。
結果的に「あんまり夢を見ない」という感じだったのだが、最近は長い夢をよく見る。
内容は相変わらず覚えていないが、夢を見たという感触は残っている。

今朝は午前4時くらいに目がさめて、そのときに見ていた夢をくっきりとおぼえていたので、すぐにキーボードを開いて、見ていた夢をメモしておいた。
これなら忘れることはあるまい。

と思ったのだが、あとで読みかえしてみたら、なんのことやらまるで意味不明。
これがそのときのメモ。

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かつての大女優。
ミック・ジャガーと思い出のアルバム。
放射線治療で1分間のインターバルだけもらえてその記憶だけ思い出になる。
ふいに涙する。
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どういう話だ。

放射線治療の9回め、週の4日め、先週はいちじるしく体調低下が見られたのだが、今週はそれほどでもない。
とはいえ、絶好調というわけでもない。
疲れを感じたらすぐに横になったり、栄養補給をしっかりして、うまくやりすごそう。

来週金曜日は名古屋で現代朗読のワークショップと沈黙瞑想のコンサートだが、その翌土曜日・21日に吉祥寺〈曼荼羅〉でオープンマイクイベントがあるとのことで、ゼミ生ユウキや野々宮と乗っ込むことにした。
ちゃんとしたグランドピアノがあるステージでの朗読は、ゼミ生ユウキにとって初かな。
参加者は参加費を払うけど、観覧者はたしか飲食代のみだったと思うので、みなさんよかったら遊びに来てください。
18時からです。

アマゾンプライムビデオでつづけて観た2本のドキュメンタリーにグッと来た。
ともにアーティストの話。
「マンガで世界を変えようとした男 ラルフ・ステッドマン」と「何も変わらない: ハンクとして芸術家の魂」。
とくに前者は、出だしの1分を観ただけで「これはよい映画」だとわかる映像。
さすがジョニー・デップが出演しているだけある……かな?

ピアノ七十二候:白露/鶺鴒鳴(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
白露の次候(44候)「鶺鴒鳴(せきれいなく)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
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2019年9月12日木曜日

健康を思いやる物量に圧倒される(末期ガンをサーフする(9))

自分がガンであることを私は開示したが、「そんなこととんでもない」と思っている人もいることは承知している。
自分の健康状態がどうであるかは個人的なことであり、人にわざわざ知らせることではない、そのようなことをすればときには不都合が生じることもあるかもしれない、家族にも迷惑がかかることだってあるだろう。
そういうふうにいわれたこともある。
しかし、私は自分がガンであることを開示した。

多くの人——とくに不特定多数の人——とかかわる仕事をしているし、また自分自身を表現したり、その方法を伝えることもやっている。
私がガンという病をどのように考え、どのように向かいあっているのか、知っておいてもらおうと決めた。

なかにはガンの話など聞きたくない、ガンを持っている人となんか会いたくない、死を迎えようとしている人に会うのはつらい、という人もいることだろう。

高齢者施設でボランティア活動をしていても、お年寄りたちに接するのがつらく疲れる、という人がいる。
死を目前にし待っているだけの人たちとどう接していいのかよくわからない、自分もいずれそうなるのかと思うとつらい、という思いがあるらしい。

本当にそうなのだろうか。
あなただって明日とはいわなくても、死を目前にしているといえないことはないのではないか。
そんなあなたに人がどう接していいかわからないなどとはいわないだろう。
なぜあなたは高齢者施設という特定の施設にはいっている人たちだけを限定して、区別してかんがえてしまうのか。

私もそうで、ガンがある・ないにかかわらず、私は私である。
ガンがあろうがなかろうが、いずれ死を迎えるおなじ人間であることに変わりはない。
ガンがある、ほくろがある、背が高い、太っている、男である、食いいじがはっている、ピアノが弾ける、手先が器用、花粉症がひどい、などなど、そんなことは全部私の「属性」にすぎない。
ひとりひとり属性があって、違っている。
ただそれだけのことだ。
私は私の属性をいくつか開示しているし、開示していない属性があるかもしれないが(たまたま忘れていたり意識していないだけかもしれない)、開示できない・開示してはならない属性はない。
ステージⅣの食道ガンを持っているというのも、属性のひとつだ。

ただ、その属性は「死」をあたかも物質化するかのように私には感じるきっかけとなっているので、ある意味つごうがよくて、いろいろものを考える「てこ」のような働きをしている。
その「てこ」を使って、この文章を書いている。

さて、ガンであることを開示すると、じつにさまざまな人から、さまざまな情報やモノが集まってくる。
これまでほとんど関わりのなかったような人や、長らく連絡がなかったような人から連絡が来たり、「教え」が送られてきたりする。
それは驚くような物量で、おそらくこれを読んでいるあなたが想像しているものをはるかに凌駕している。

この項を書いているのは9月12日の午後3時ごろだが、今日この時間までにも何通もメールや個人メッセージが届いているし、昨夜床についてから朝目がさめるまでの間にも何通も届いた。
最初のころはびっくりして右往左往してしまったが、最近はすこし慣れた。
私にいろいろな教えやものを送りつけてくる人たちにも、その人たちなりのニーズがあるし、そもそも私を心配してくれているのだ。
なかには心配を通りこして自己表現(ときには押しつけ)しているだけだろう、という人もいるにはいるが、まあわからないではない。
すべてありがたく受けとっているし、拒否はしない。

それでも慣れないことがひとつある。
それは、
「この治療で私は治りました」
「この治療で私の知り合いのガンが消えて、いまも元気でやっています」
というようなメッセージだ。
そういうのを読むと、心が揺さぶられる。
どういう治療法だろう、それは私にも有効なのだろうか、私もそれをやってみるべきなのだろうか。
激しく動揺して、どきどきする。

自分はこうしよう、この方針でいこう、ととっくに決め、心安らかに毎日やりたいことに集中し、いまこの瞬間の自分自身とまわりの人たちとの関係を大切にしようと努力しはじめているはずの自分の信念が、激しく揺らぐ。

日々そういうことにさらされ続けるのが、ガンであることを開示し、ガンを生きていくということなのだ。

  *

9月12日、木曜日。午前10時。
9回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。
木曜日は担当医との診察の時間を持つことになっている。
担当のT先生はまだ若い人で、さばさばしたものいいで、私はとても相性がいいと感じている。

先週から今週にかけての状態を聞かれたり伝えたりしたあと、
「まあとくにやってはいけないというようなこともなく、普通に生活していても大丈夫です。極端に辛いものとか熱いものとか、そういうものだけ避けてください」
と簡単に注意された。
「ソフトクリームが好きなんですが」
といってみた。
すると苦笑しながら、
「問題ないですよ。お好きなら食べてください」
「甘いものはガンの餌になるからダメという人がいるんですが」
というと、失笑をいただき、
「そんなことはないですよ」
言下に否定されたので、安心した。

いい先生だな。
私はソフトクリームが好きなのだ。

2019年9月11日水曜日

私はなんのために生きているのか(末期ガンをサーフする(8))

9月11日、水曜日。午後2時。
8回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。
今日は「写真」を撮るということで、治療前に少し時間をいただきます、といわれていた。
写真というのはX線撮影のことだ。
といってもたいしたことはなく、いつもより15分ばかり時間がかかった程度だ。

それより、先週の例でいくと、月火水と3回連続で照射治療をおこなったあと、急激に倦怠感が強まり、調子が悪くなった。
今日は今週の3回めだ。
今日はまだ調子がいい。
痛みも強くなく、1日3回で処方されている痛みどめの薬を、昨日2回、今日はまだ朝から飲まずにすんでいる

このあとの体調の変化に注目したい。
今夜は無理なく、早めに休めるといいのだが。

  *

あと1年生きられないとわかったら、あなたはなにをするだろうか。
「根治は難しく、抗がん治療をしたとしても、余命1年は厳しいですね」
と担当医からいわれたのは、6月末のことだった。
これを書いているいまは9月なので、医師のいうとおりなら私に残された時間は8〜9か月ということになる。
最後はどのような状態になるのかわからないが、元気に活動できる状態が最後の最後までつづくとは考えられないので、有効活動限界は5〜6か月、つまり年内いっぱいくらいといったところだろうか(あくまで医者の想定)。

さて、なにをしたい?
どうしたい?

まず考えたのは、やり残していて気がかりなことをやってしまいたい、ということだった。
たとえば書きかけの長編小説。
ネットやメルマガで途中まで書いて、なんらかの理由で中断してしまった小説が何本かある。
そんなものがあったことをしっかり忘れている話もあれば、続きを書きたくてしかたがないものもあるし、書きたくても書けないものもある。
少なくとも、続きを書きたいと思っている話については、時間を工面して完成させたい。

これがひとつ。
ほかにやりたいことは?

いま進行中のプロジェクトがあって、それが私がいなくなったという理由で途絶えてしまうのは残念だ。
たとえば音読療法。
私がいなくなってもトレーナーや音読療法士のみんなががんばって続けてくれるかもしれないが、そのことを明確な形にしておきたい。
引き継ぎのようなものか。

たとえば現代朗読。
いまも熱心に通ってきてくれているゼミ生はいるし、名古屋など東京以外の地でのワークショップにも人は集まってくれるけれど、私がいなくなったとき、あらたな現代朗読表現が生まれつづけていくだろうか。
多くの人に伝えた現代朗読のセオリーと手法は、それぞれ拡散しいまも自分の表現に活かしてくれている人はいるけれど、伝えきったといえるだろうか。
映像なり、テキストなり、私がいなくてもそれを参照すれば現代朗読についてのすべてが理解できるコンテンツを、残せているだろうか。

こういった気がかりというか心残りについて、ひとつの区切りをつけておきたい、という思いがまずあった。
これは「区切り」とか「けじめ」のニーズといったようなもので、音読療法や現代朗読だけにかぎらずほかにもいろいろあるが、とにかく心残りがないようにすっきりと始末をつけておきたい、という気持ちがあった。

しかし、ほんとうにそれは私のニーズなのだろうか。
よくよく見れば、けじめのニーズは死期をさとった多くの人がそのようにふるまう「よくある」行動のようで、社会性を帯びたニーズなのではないか。
私も社会性を帯びた自分のふるまいとして、そのようにせねばと「けじめのニーズ」に残り時間を使うことを思いこんでいるだけではないのか。

私本来の、私の本当の生命のニーズはなんだろう。
社会性にからめとられたまま、そこを見誤りたくなかった。

結局のところ、私たちはさまざま「人生の目的」「生きる意味」を「設定」して生きている。
それはあくまで「設定」であって、本当の自分のニーズからかけはなれていることがある。
自分の生命現象は社会性とは関係のないところで発露されているはずで、それは瞬間瞬間変化しつづけている。
死の瞬間までその発露はいきいきとあるはずなのだ。

いったい私はなんのために生きているのだろう。
私の生きる目的はなんなのだろう。
物質化した「死」という存在を前に、私は自分自身という現象と裸で向かいあおうと決めた。

2019年9月10日火曜日

余命という観念が物質化して立ちはだかる(末期ガンをサーフする(7))

人はすべて「死」を生きている。
生まれおちた瞬間から、私たちの生は死に向かっている。
それがいつやってくるのかはわからない。

平均寿命などというものが割り出されていて、日本人男性なら81歳くらい、女性なら87歳くらいとされている。
ほとんどの人が自分もだいたいそのくらい生きるんじゃないだろううかと、漠然と思っている。
ひょっとして平均よりは多少長く生きるかもしれない、とかね。

私もそうだった。

人生90年とか100年とかいうことばも流通しはじめていて、自分もそのくらい生きるかもしれないと思う人も多くなっている。

一方で突然の事故や病気でいつ死ぬかわからない、とも思ったりする。
ただ、その想像は漠然としていて、観念的で、絵空事のように自分とは関係ない遠いところにイメージされているだけだ。

私もそうだった。

現代は寿命が長くなったとはいえ、いつどんなことが起こるかわからないから、悔いのないように生きたい、毎日を大切に生きたい、と多くの人が思っている。
しかし、その決意もまるで絵空事のように自分とは関係ないところに、ふわふわと浮かんでいる。

私もそうだった。

毎日を大切に、真剣に、誠実に、正直に、一瞬一瞬を味わいながら生きるなんてことを、はたしてどのくらいの人ができているだろうか。
死の影があまりにうすくて非現実的で観念的すぎるために、そうなってしまっている。
しかし、死そのものが、突然、眼前に立ちはだかったとき、どうなるだろうか。

今朝もそうだったが、目をさましたとたん、
「ああ、今日も生きているのだな」
と思う。
夢をほとんど見なかった——あるいは見てもおぼえていなかった——のに、最近は長い夢を頻繁に見る。
そして目がさめると、「生きている」ことを痛切に確認する。

ガンで余命を告げられる前は、朝、目がさめても、
「今日はどんな予定があったっけ? なにをするんだっけ?」
なんとなくぼんやりと起きて、毎日のルーティン——歯をみがいたりゴミを出したりメールに返信したり——をこなし、予定表を見てやるべきことをやったり、人に会ったり、好きなことをしたり、動画を見たり、ご飯を食べたりして、なんとなく一日がすぎていく、そんな日々だった。
自分の余命が限られている——本当は全員がそうなのだが——という現実を目の前に突きつけられたとき、そんな日常の風景がまったく変わってしまった。

今日、たったいま、生きている。
これはいつまでもつづかない。
あと何日、何週、何か月かすれば、この時間は消滅する。
そんなことはとっくにわかっていたことなのに、夢物語ではなく、観念ではなく、現実として、あたかも確たる存在としてそこにある物体かなにかのようにその事実が現れたとき、日常の風景は変わる。

かぎられた生の時間。
もともとそうであったものが、物質化したみたいにリアルになった。
さて、そうだとしたら、私はその時間をどう生きたいのだろう。
それが本当なのかどうかはわからないが、医師から告げられた一年に満たない残りの時間、私はなにをしてすごしたいのだろう。
私はどう生きたいのだろう。

9月10日、火曜日。午前10時。
台風通過後のフェーン現象で、今朝も暑さがきびしかった。
7回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。
明日は「写真を撮るのですこし余分に時間がかかりますよ」と技師から告げられる。

写真というのはまさかデジカメではないだろう。
レントゲンのことだろうね。

春野亭日乗 9月9日(月)台風通過、高級玉子かけご飯、国立韓氏意拳講習会

夜半すぎから明け方にかけて台風15号が首都圏を通過していったようだが、国立方面は大きな被害はなし。
うちも無事。
裏のふだん使っていないベランダの排水溝がつまってプール状態になった程度。
電車がとまったり、道路が通行止めになったり、停電になったり、学校が休校になったりと、いろいろ大変なようで、影響をうけた方はお気の毒でした。

朝は平野加奈江さんにいただいた高級玉子で玉子かけご飯。
まずは烏骨鶏の玉子。
昼も玉子かけご飯食べたい欲求が止まらず、これも加奈江さんにいただいたアローカナという鶏の青い玉子で。

午前中は多摩総合医療センターへ。
放射線治療の6回め。

昼におひとり、個人セッション。
国立春野亭まで直接おいでになる。
いろいろ話を聞いていたら、彼女もまたガンサバイバーだということがわかる。
心強い話を聞かせてもらって、私こそ元気にしてもらった。

14時からは春野亭で、中級教練の駒井先生をお招きしての韓氏意拳国立講習会。
前半が養生功、後半が初級講習会。
参加者は少なかったけれど、たまたま参加者全員が女性という珍しい回となった。
平日の日中開催という講習会なので、女性のほうが来やすいのかも。

18時すぎに終了。
来月の国立講習会は10月7日(月)午後に開催予定。

駒井先生に昨日作った音楽など聴いてもらったりしながら、いろいろ話。
やはり来月くらいに、養生功の修身八勢を覚えることに特化した講習会をやってもらえないかと提案。
楽しい講習になるんじゃないかと、いまから企画内容にわくわくしている。

2019年9月9日月曜日

検査結果を告げられ延命治療を提案される(末期ガンをサーフする(6))

9月9日、月曜日。午前10時。
6回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

昨夜から今朝にかけて台風15号が関東を直撃・通過して、私が住んでいる家や地域に被害はなかったが、都心部や湾岸部、神奈川、千葉のほうは電車が止まったり、道路が通行止めになったり、木や電柱が倒れたり、停電になったりと、かなりの被害が出たようだ。
その影響で、放射線科のスタッフにも定時に病院にたどり着けない人がいたらしく、予定の時間よりすこし遅れての治療開始となった。
30分くらいの遅れで、私はほとんど支障はなかったが。

照射治療はいつものとおり、約10分で終了。
明日の治療時間の予約をして帰る。

  *

6月前半にいろいろな検査を受けた結果を、6月20日木曜日に多摩総合医療センターの消化器外科の担当医から聞いた。
胃に近い食道下部に、食道を取りまくようにしてガン組織がある。
完全に巻いていないので、まだ食事は通る状態だが、ほうっておけば閉塞が進んで、数か月以内に食事が取れない状態になる。
そうなると栄養失調で死にいたる。

また、食道のガンのほかに、胃の横のリンパ節が2か所、肥大化が見られて、転移があると思われる。
ここまでだとステージⅡなのだが、さらに胃の下の奥のほう、大動脈の脇にあるリンパ節にも転移があって、遠隔転移——つまりガンが進んだ状態であることをあらわす——なので、ステージⅣと認められる。

治療方法。
ガン本体はすでに大きく、初期の食道ガンでおこなわれる内視鏡手術はできる状態ではない。
開腹手術の必要があるが、その前に食道やリンパ節のガン組織をある程度やっつけておくことが望ましい。
まずは抗がん剤治療をおこなって、ガン組織をたたいた上で、年内のできるだけ早い時期に手術をするのがいいだろう。

食道ガンの場合、かなりの大手術となることを覚悟しなければならない。
胸郭をひらいて、肺、心臓、胃を切りはなし、ガン部位を切除した上で、食道の上のほうまで胃を引っ張り上げてつなげる。
通常、8時間くらいかかる手術となる。

抗がん剤治療は1週間くらいの入院を必要とする点滴での投与を、1か月おきに全部で4回くらいおこなう。

これだけのことをやってなお、完治は保証できないし、再発の可能性も高い。
食道ガンはとくに根治の可能性が低く、進行状況から見て10パーセントくらいかと思われる。
それでも可能性がゼロではないので、以上の治療をおすすめする。

これが担当医から聞いたことだ。
聞いた当初、私もそれ以外の方法はないのだろうな、受け入れるしかないなと、半分くらいはいさぎよい気持ちで腹をくくった。
「抗がん剤治療はいつからになりますか?」
「7月にはいったらすぐにやりましょう。できれば7月1日から」

ということで、10日後の入院治療を私は覚悟しかけた。
しかし、そこでどうしても聞いてみたいことがあった。
「抗がん剤以外の治療方法はないんですか?」
「通常はありません。これが標準治療となっています」
「抗がん剤を拒否して放射線治療を選んだ人がいると聞いたことがあるんですが」
「イレギュラーですが、それを望まれるんですか?」

私はなにを望んでいるんだろう。
抗がん剤の治療は、聞くところによれば副作用がひどい人もいるらしい。
医者にそれをたずねてみると、最近は副作用も昔ほどひどくないし、副作用に対処する方法や薬もいろいろあるので、そう心配することはありません、という。
しかし私には引っかかりがあった。

私はなにを望んでいるのか。
抗がん剤と手術で治療し、生きのびることを望んでいるのか。
しかし、根治の可能性は低いといわれている。
ということは、数か月の延命のために、ひょっとしてつらいかもしれない抗がん剤と、予後はおそらく長期間にわたる回復期間の必要な大手術を受けるのか?
いまこの瞬間のとても(ガン以外は)健康で活力のある日常を手放して、延命治療のために使ってしまおうというのか?

私のためらいを担当医はちゃんと見ていて、聞いてくれた。
「どういうお気持ちですか? どういうふうにしたいですか? それとももうすこし考えてみられますか?」
すこし考えてみたい、と私はこたえた。
考える、その時間をあたえてくれるのは、ひょっとして治療にとっては貴重な時間の浪費になるのかもしれないが、私にとってはとてもありがたいことだった。

1週間考え、来週の木曜日にまた担当医と話をすることになって、その日の診察は終わった。

春野亭日乗 9月8日(日)音楽製作3日め、ひよめき塾の初回

音楽製作のために昨日から泊まりこんでくれている海津賢くん(と野々宮)と、高倉町珈琲店に行き、モーニング。
放射線治療が土日休みのためか、体調はいい。
痛みもいつもより小さくて、食欲もある。
朝から根菜のドリアをしっかりいただく。

春野亭にもどってひと休みしてから、おもむろに音楽製作に取りかかる。
今日は野々宮がいるので、朗読を柱にした作品をふたつ(3曲めと4曲め)、つづけて作る。

3曲めは、昨夜から今朝にかけて寝ながら構想を練っていて、ドラムなど通常のリズム楽器ではなく、琴などを使ってリズムを作り、ピアノのペダルトーンによる調性を作る、というところからスタート。
ただし決めていたのはそれだけで、作りはじめてみるとどんどんアイディアが沸いてくる。
また、賢くんもあらたなサウンドメークをしてくれて、またリズムセクションを中心に演奏も加えていってくれて、またたく間に曲ができてくる。

途中で野々宮の朗読を収録し、短いながらもすごい作品に仕上がった。
かなり満足して、昼食に。

近所のラーメン屋に行き、国立のご当地ラーメンをいただく。
食欲はあいかわらずしっかりあって、体調は好調をキープしている。

春野亭にもどり、4曲めに取りかかる。
今度はまず野々宮の朗読を素で収録し、これを聞きながら私がピアノ演奏。
それを元に、賢くんがさまざまなサウンドメークをしていく、という手法。
これもあっという間にしあがって、全員驚く。

私はここでいったん休憩したが、その間も賢くんと野々宮は製作をつづけていて、最初に作った1曲めと2曲めにさらに朗読をかぶせる作業をおこなった。
とくに2曲めは野々宮のサブ朗読が効いて、かなりおもしろい出来になった。
短時日で4曲も完成して、大満足。
賢くんにはほんとに感謝。

夜は「身体文章塾」あらため「ひよめき塾」の初回ミーティング。
台風直撃で、来る予定だった何人かが来れず、それでもつきみんとまりりんが来てくれた。
ほかはzoomでのオンライン遠隔参加で、参加者が12人集まってくれた。

私の体調が不透明ななか、今後どのように塾の開催を進めていくか、最大の目的である機関誌『HiYoMeKi』の発行をどうしていくか、など、話し合ってもらう。
さくさくと話し合いが進み、決めごとが決まったのは、みなさんの協力のおかげで、私はだいぶ気楽に控えていられそうだ。
ありがたい。

後半は作文のお題「タピオカ」にそって提出された作品をいくつか、読み合わせ、講評をする。
ひさしぶりで、楽しくやらせていただいた。
集まった作品のクオリティはまあアレだったけど。

次回ひよめき塾は15日の夜開催。
お題は「布団」。
塾生としての参加に興味がある人ならどなたも歓迎です。

2019年9月8日日曜日

春野亭日乗 9月7日(土)念願の音楽製作、朗読ゼミ、餃子宴会

昨日は午後から、海津賢くんが音楽機材を車に積んで国立に来て、ふたりで音楽製作作業に没頭した。
楽しいのなんのって。
賢くんの最高のサポートを得て、音楽的アイディアが次々と出てくるわ、出てくるわ。

かつて、10年以上前に、地下スタジオ生活を送っていたころ、ひとりでコンピューターとピアノに向かって黙々と音楽を作りつづけていたけれど、あのころの感覚がよみがえってきた。
といっても、機材もソフトウェアもまったく違っていて、比べれば天国のような環境。
私自身のスキルも相当変化している。
そしてなにより、賢くんがサポート、というより共作者としていっしょに作業しているというのが大きい。

10年分のアイディアとスキルを全部詰めこんで、自分でも思ってもいなかったような曲があっという間に1曲できた。

今日になって、もう1曲できた。
いずれも音楽素材としての朗読を入れ込む作業を、ゼミ生ユウキに協力してもらっておこなって、完成。

その前に、10時半から現代朗読ゼミを開催。
もうひとりのゼミ生・かなえさんと、詩人の冨田さん、そして旧ゼミ生のまなさんが私の体調を案じてわざわざ来てくれた。
ひさしぶりに会って、結婚や子育ての話なども聞けて楽しかったな。
また来てね。

午後に2曲仕上げたあと、夜はのぞみさん、野々宮もまじえて、富士見通りのほうの餃子屋まで行って夕食。
隣の席に賢くんとそっくりの服装と、頭髪やら全体の感じがそっくりの外国人が座っていて、全員で爆笑。
コミュニケーションが取れて楽しかった。

ピアノ七十二候:白露/草露白(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
白露の初候(43候)「草露白(くさのつゆしろし)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年9月7日土曜日

治療の体調への影響、検査につぐ検査(末期ガンをサーフする(5))

昨日はかなりしんどかった。
放射線治療の副作用なのか、あるいはたんに体調の波が底だったせいなのかわからないが、とにかくだるくて、なにも手につかなかった。

もともと、大人になってからは朝型の人間で、集中力が必要な重要な仕事はなるべく午前中に片付けるようにしているし、午後はイベントや人に会う仕事するようにしている。
日中のうちに仕事や用事のほとんどを終え、夜は動画を見たり、音楽を聴いたり作ったり、ブログのようなかるめのテキストを書いたりすることが多い。

が、昨日は午後からしんどくなり、人と会うのも気もそぞろで大変。
夜になってなにか書き物をしようにもまったく集中量がなくてぼんやりしてしまった。
やむをえず、仕事はあきらめて、音楽や動画を楽しむこともあきらめて、夜の8時すぎにさっさとベッドにもぐりこんで、寝てしまった。

夜中に何度か目がさめたが、断続的な夢を見ながらそれで朝方までしっかりと眠った。
起きたのは今日の7時過ぎで、たっぷりと11時間くらいねむったことになる。
ずっと寝ていたせいで腰は痛かったが、身体全体にエネルギーが回っている感じがした。
そんなわけで昨夜の残りのお好み焼きをレンジで温め直して食べたあと、上り坂を1人であるいて多摩総合医療センターまで20分歩いて行った。

途中にたまらん坂という国分寺崖線という多摩川が河岸段丘を形成したときに作った段差のスジがあって、そこにいくつもの坂を通してある。
たまらん坂もそのひとつで、おおげさな名前の割りには短い坂なのだが、それでも今日の私にはそこそこきつい。
途中で足がなえて、息切れする。

無事に坂をあがり、根岸病院と東京都立武蔵台学園、東京都立小児総合医療センター、東京都立多摩医療センターが隣接している敷地にはいりこみ、治療棟に向かう。

9月6日、金曜日。午前10時。
5回めの放射線治療。

胸のところに描いた皮膚マーカーがだいぶ薄れてきていて、ほとんど消えかかっている部分もあるけれど、治療的にはあまり問題はないらしい。
どうやら、重要なマークのみ、今回補強して描きなおしたらしい。
「だいぶ消えているんだけど大丈夫でしょうか」
と訊いてみると、
「大丈夫ですよ。気にしなくていいです」
と軽いノリで答えてくれた。
サーフィンのウェットスーツで消えないかと随分心配したけれど、それも大丈夫だろうとのこと。
看護師さんからは「消えないように生活してください」とかなり厳しくいわれたのに、医師や技師はだいぶ気楽な感じだ(ありがたい)。
私も気楽にやることにする。
消えたらまた描いてもらえばいいだろうし。

治療中の生活についても、もらったプリントや看護師からの説明では、いろいろと「こうしろ」「こうしてはいけない」「これをおすすめする」みたいなこまごまとした項目が羅列してあったのだが、あくまでガイドラインということで、あまりにいいかげんな態度の患者をいましめるものなのだろう。
私もいいかげんなところがないとはいえないが、なにより生活にストレスがないことが治療のダメージを回復させるのにもっとも重要だと考えているので、気楽にいくことにした。
好きなものを食べ、好きなことをやり、無理なく生活する、それが治療効果をあげるもっとも有効なことだろう。
人からいろいろすすめられる治療補助的なものもあるけれど、情報に振り回されて右往左往するほうがよほどストレスフルな気がする。

  *

6月にはいってから、多摩総合医療センターでの精密検査がはじまった。
まず6月3日に胃カメラの検査を受けた。
これがかなり苦しかったのだ。
胃カメラは鼻から挿入する方式ではなく、通常の口から挿入するもので、検査は食道全体から胃、十二指腸までおよんだ。
また検体を採取することもおこなわれ、40分くらいかかった。

何度も嘔吐感がこみあげてきて、呼吸が苦しく、私はたぶん生まれてはじめて過呼吸をともなったパニック症状に近いものを経験した。

6月5日には武蔵村山病院まで行ってPET検査を受けた。
6月7日にはふたたび多摩総合医療センターで、造影剤を血管に入れてのCT検査をおこなった。
6月18日には食道バリウム検査をおこなった。
ほかにもその間に血液検査、心肺機能検査、尿検査、レントゲン検査など、ありとあらゆる検査を受けた。
費用もばかにならず、身体的にも精神的にも負担が大きかった。

それらの検査結果を踏まえて、ようやく6月20日に担当医による診察と検査結果の告知を受けることになった。

2019年9月5日木曜日

治療を「がんばる」の意味、変わる医療現場(末期ガンをサーフする(4))

よく、ガン治療がはじまる人に、
「治療、がんばってね」
と声をかける人がいる。
そのたびに、ちょっと(かなり?)あまのじゃくな私は、
「なにをがんばれっちゅうんじゃ」
と思っていた。
がんばれといわれても、ただ薬を打たれて寝ているだけじゃないか。
あるいは短時間の放射線照射を受けに行くだけじゃないか。

実際に自分が放射線治療を受けはじめてみると、がんばるという意味がだんだんわかってきた。
抗がん剤治療もそうだろうが、放射線治療も副作用がある。
幹部が一時的に荒れて痛みが強くなったり、身体がだるくなって倦怠感が強まったりする。
とくに後者は面倒で、生活ができないというほどではないけれど、だるくてなんにたいしてもやる気が出なくなる。
集中力がおとろえる。

私もその症状が出ていて、体力を維持するために運動したいと思っても、なかなか身体が動かない。
一大決心して身体を起こしても、すぐにだるくなってへたってしまう。
身体にいい食事を用意したくても、台所に立つ元気がない。
ゴミ出しは面倒だし、掃除はとどこおる。
なにごとも「がんばらなければ」できないのだ。
この文章だって相当がんばって書いている。
治療をつづけることそのものがとてもおっくうに感じる。

9月5日、木曜日。午後2時。
今日は4回めの放射線治療のために多摩総合医療センターへ行ってきた。

これまでと同様、放射線の照射を受けたあと、担当医の診察があるというので、しばらく待って診察室に通された。
調子をたずねられ、いろいろな質問に答えてもらった。

私が訊いたのは、治療が進むにつれてどんな副作用が出てくるのか、ということだった。
いまあらわれている倦怠感は、やはり放射線治療によるものだろうということだった。
あと、痛みがわずかずつ強まっているような気がしているが、これは今後さらに強まるのか、とか。

まだ治療の初期なので、急激に痛みが強まったり、幹部の腫れがひどくなったりすることは少ないとのこと。
むしろ治療が進むにつれ、ガン部位は小さくなっていくはずだが、それにともなって粘膜が荒れることはあるので、そのための痛みがでることはあるそうだ。
痛みに対処するのは、そのつど症状を見ながらやっていきましょう、といわれた。

現在、痛み止めを日に3回のペースで飲むように処方されているのだが、そのペースが追いつかなくなることがありそうだ。
それは観察しながら対処していくことになった。
とりあえずはいまのままで。

ただ、食事に支障が出たり、食欲が落ちたりするのは、たいてい痛みどめの効き目が薄れたときに起こるので、食事前の適当にタイミングで痛み止めを飲んでおくことをすすめられた。
食事前でも気にせず飲んでください、といわれた。

それとは別に、漢方薬を一度ためしてみましょうと、倦怠感や食欲不振に効く(人もいる)薬を処方してもらった。

担当医は30歳くらい(に見える)の若い人だが、こちらの話をよく聞いてくれるし、押しつけがましいところは一切なく、またどんな問いにもわからないことはわからないと誠実に答えてくれるので、信頼できる。
今回の治療でこのような誠実で権威的ではない医師に多く接することができているのは、とてもありがたいことだ。
医療の現場も昔のイメージとはずいぶん違ってきているし、場合によってはほんの数年前とは全然変わってしまうようなこともあって、医療技術だけでなく患者対応などのコミュニケーションにおいてもまさに日進月歩なのだろうと思う。

内視鏡(胃カメラ)検査を受ける(末期ガンをサーフする(3))

今日は非常に調子が悪く、なにをするにも集中力を欠いた一日だった。
これが放射線治療の副作用でなければいいのだが。
とにかく、胸のあたりに痛みがわだかまっていて、痛み止めで数時間は抑えているのだが、一日三回と処方されている回数が間に合わない。

9月4日、水曜日。午前10時。
3回めの放射線治療のために多摩総合医療センターへ。

運動をかねて歩いて行っている。
うちから1・5キロ、歩いて約20分。
途中、たまらん坂という、忌野清志郎(RCサクセション)の歌で有名な上り坂がある。
暑さの盛りをすぎたので歩いても苦にならなくなったのがありがたい。
それでも病院に着くころにはうっすらと汗をかく。

3回めともなると病院での手順がだいぶ慣れた。
再来受付機に診療カードを通し、地下1階へ。
受付カウンターでカルテをもらい、更衣室で上を着替える。
下はそのままでよい。
荷物は全部ロッカーにあずけて、病院着で治療室の前へ。

治療室内は管理区域で、自由な出入りはできないようになっている。
廊下の椅子で待っていると、技師に呼ばれるので、重々しいドアをくぐって管理区域内へ。
治療はものの10分で終わる。

  *

5月20日に喉のつかえがひどくて、近所の病院に行ってみることにした。
幸い、歩いて30秒くらいのところにメディカルセンターがあって、胃腸内科もある。
診察を受け、すぐにCT検査をしてもらった。
食道下部、胃のすこし上のあたりに、へこみのような影があるのがわかった。
数日後に内視鏡の検査を受けることになった。

内視鏡検査は30代の胃潰瘍もどきをやったときに一度だけ受けたことがあって、苦しかった記憶があるのだが、なにしろかなり昔のことだ。
近所の胃腸内科は、口からではなく鼻から挿入する細い内視鏡を使うという。

なにやら注射を打たれたり、鼻からシュッとなにかを噴霧されたり、どろっとしたものを流しこまれたりしたあと、いよいよ横になって鼻から内視鏡の管を挿入された。
モニターを見ながら、医師の説明を聞く。

あまり苦しくはない。
時々喉の奥のほうで管がさわる違和感があって、ちょっとおえっとなったりするが、口から挿入するものと比べてだいぶ楽だと思った。
それでもかなり長い時間かかったので、最後のほうは苦しくなって「早く終わってくれ」と思っていた。

医師の説明とモニター映像によると、食道の下のほうに異物が漏りあがっているようなところがあり、食道がすこし狭くなっている、それが食べ物のつかえる原因だろう、ということだった。
たしかになめらかなはずの食道が、何か所かぼこっと盛りあがっている。

念のためにサンプルを取って、組織検査に出すことになった。
内視鏡の管から別の器具を挿入し、画面を見ながら医師と看護師が連携して組織を取る。
先っちょがくちばしのようになっている器具で組織をつまみ、切り取っているようだ。
そのたびに鮮血が流れるのが見える。
それを3か所くらいおこなって、ようやく検査は終わった。

1週間後に検査結果を聞きに行った。
腫瘍は悪性新生物の可能性があり、とのことで、大きな病院に転院しての精密検査をすすめられた。
ようするに悪性腫瘍、ガンということだ。

近所がいいだろうということで、多摩総合医療センターに紹介状を書いてくれ、そちらに行くことになった。

翌週の木曜日の午後、多摩総合医療センターまでてくてく歩いて出かけ、胃腸外科の医師の診察を受けた。
あらためて胃カメラ検査を受けることが決まり、かなり暗い気分になった。
(つづく)

2019年9月4日水曜日

胃潰瘍のような痛みもガンの兆候だったのか?(末期ガンをサーフする(2))

9月3日、火曜日。午後1時すぎ。
2回めの放射線治療のために多摩総合医療センターへ。

昨日の初回は、
「最初だけちょっと時間がかかりますよ。20分くらいですかね」
といわれていた。
治療用のベッドに寝て、身体の位置合わせをおこない、X線を照射するためのマークを皮膚に直接、ふたりがかりで確認しながら描いた。
どうやら、精密検査から割り出したガンの位置にたいしてX線を正確に照射するために、コンピューター制御の機械をプログラムしてあって、照射位置はミリ単位での正確さをねらっているようだ。

2回めの治療は、最初の手順が省略された分、みじかくすんだ。
ベッドに仰向けに寝て、両手を上にあげた状態で、皮膚のマークと照射映像(私のガン部位がフィルムにプリントされているように見える)の位置合わせ。
これもふたりがかり。
位置合わせが終わったら、技師が部屋から出て、照射がはじまる。

巨大な円盤のような機械が身体の前面を2か所、それからぐるっとベッドの下に回りこんで、背面から2か所、ほんの数秒(十秒には満たない)ずつみじかく照射したようだ。
あっという間に終わって、処置のための部屋にいる時間は10分程度か。
以後、毎回、これくらいの時間で処置がすめば楽だな。

  *

三十代なかばのころ、軽い胃潰瘍というか、胃潰瘍未満のものを経験したことがある。
職業小説家になって何年かたったころで、私生活でも仕事でもストレスが大きく、それが胃にきたのだろう。
胃腸は丈夫な体質で、それまでストレスで胃をやられた経験はまったくなかった。
たぶん、ストレスで酒量が増えたことも原因のひとつだろう。

胃のあたりがしくしくと痛むようになり、病院に行って内視鏡の検査を受けた。
モニターを見ながら医師が解説をしてくれた。
見ると、胃の内壁にいくつか赤いぽつぽつがあり、見るからに荒れた感じがしている。
いちおう組織をとって検査をしてみたが、悪性のものではなく、胃潰瘍の前段階のものだという。
が、放っておくと本格的な胃潰瘍になる可能性があり、また胃ガンにもなりかねない。

数週間にわたって飲む薬を処方してもらい、そのときはそれできれいになおった。
依頼、胃の痛みはほとんど経験してこなかった。

それが2018年からときどきあらわれるようになっていた。
ほとんど毎日、酒を飲んでいたので、そのせいだろうと思っていた。
ストレスもあった。
酒をへらし、仕事の量と内容も思いきって整理した。
それでなおるだろうと思っていた。
ひょっとしてそれもガンの前兆だったのかもしれない。
なぜなら、いま、内視鏡検査では胃や十二指腸にはまったくなんの問題もないのに、あいかわらず胃のあたりがしくしく痛むからだ。
これは胃ではなく、胃と近接しているリンパ節の痛みだろう。
ガンが転移したふたつのリンパ節が腫れて肥大しているのは、検査の結果わかっている。

不整脈だと思っていた前兆もあわせると、すでに1年半くらい、このガンは放置されていたことになる。
だいぶ育っていて、発見されたときにはすでに、初期段階なら可能な内視鏡による摘出手術はできない状態になっていた。
(つづく)

ずっと前から身体は異常を訴えていた(末期ガンをサーフする(1))

2019年9月2日、月曜日。午前10時半。
多摩総合医療センターの再来受付機に診察カードを通し、出てきた紙きれと呼出し機の表示にしたがって、地下の放射線治療の階へ。
この日が放射線治療を受ける初日だ。

私のような食道ガンにかかわらず、ほとんどのガンの標準治療は、切除手術もしくは抗がん剤治療からはじまる。
私の場合、ガンがすでに大きくなりすぎていて、食道ガンの手術では比較的負担の少ない内視鏡手術ができる段階をすぎていた。
したがって、最初に医師から提示されたのは、抗がん剤治療でガン組織を小さくしたあと、開腹による切除手術だった。
しかし、開腹手術は食道ガンの場合、とても大がかりなものになる。
またそれをおこなったからといって、かならずしもガンが完全になくなるとはいえない。
どこに転移しているかわからないし、実際に私の場合も、すくなくとも発見しただけでも3か所のリンパ節への転移がすでにあった。

抗がん剤の治療も1週間程度の入院による点滴投与を、すくなくとも4回はおこなわなければならない。
副作用も大きいことが予想される。
その間は通常の生活は送りにくい。

抗がん剤治療をしぶる私に、担当医はセカンドオピニオンをすすめてくれた。
それが6月末のことだ。

  *

食道ガンが見つかったのは、5月20日ごろのことだ。
食事をしていて、ものが通りにくく感じて、この日はとくにひどくて食べているものが途中でつっかえて、涙目になるほど痛かった。
水を飲んでなんとか通したのだが、じつはこういった状態が数か月前から時々あった。

最初は胸のまんなかあたりに違和感があって、不整脈のような感じだった。
食事時以外にもその感じが四六時中あって気になるので、近所のハートクリニックに行ったのが2018年12月はじめのことだった。
心電図をとり(異常なし)、念のためにホルダー検査というのを受けた。
電極を胸に貼りつけて、24時間心臓の動きをモニターするのだ。
それでも異常は見つからなかった。
非常に健康な心臓だと保証された。
ただ、そのときに医師から、
「ひょっとして食道ということもありますよ」
といわれていたのだが、そのときはまったく気にせずに流してしまった。

あとからかんがえると、すでにそのときにガンが肥大化しはじめていたのかもしれない。
もともと大食い・早食いの癖があって、口いっぱいに頬張ってよくかまずに呑みこめば、当然のことながら喉につっかえそうになることがしばしばあった、というのもある。
兆候を見逃したのは自業自得だろう。

さらにその前から兆候があったかもしれない。
現在、食道の痛みとともに、転移しているリンパ節周辺の痛みもあって、たぶんそのせいだと思うのだが、まるで胃潰瘍そっくりのしくしくする痛みが、胃のあたりにあるのだ。
これは不整脈のように感じた違和感よりさらに前からあった。
それもいれると、1年以上前から兆候があったのもかもしれない。
まったくうかつなことだ。
自分の講座などで、人には口をすっぱくして「身体に注目する、身体の声をよく聞く」などと指導しているくせに、自分の身体のこととなるとまったくお留守になっていたのは、お粗末としかいいようがない。
(つづく)

2019年9月3日火曜日

春野亭日乗 9月2日(月)放射線治療がはじまった、古い付き合いのふたりの来訪

午前中に多摩総合医療センターに行き、最初の放射線治療を受ける。
初回なので最初の設定にすこし時間がかかる。
ベッドに寝た状態で照射の位置を合わせ、胸と脇に直接皮膚マーカーをマジックペンで描かれる。
そのあと20分くらいかかって、レントゲンのお化けみたいな装置で身体の全面からと背面(ベッドの下まで回りこむ)から放射線(X線)を照射された。

清算のとき、2万数千円もかかってびっくりした。
毎回これだととてももたないなーと心配になる。

NVCのイベントで春野亭に来ていたのぞみさんが、中華麺を使った即席アレンジでお昼ご飯を作ってくれた。
おいしくいただいた。いつもありがとう。

夜、izaさんとかっしーが遊びに来る。
izaさんは福井産の、たぶん手作りのへしこをお土産に持ってきてくれた。
私はもうお酒は飲めないが、へしこをさばいてみなさんにお出しする。甘みが強くておいしいへしこだった。
最後にへしこ茶漬けを作っていただいた。
かっしーからはチーズケーキの差し入れがあった。それもおいしくいただく。

izaさんとは、元ゼミ生のひづるさん経由で知り合い、その後、中野の〈スイートレイン〉のライブによく来てくれるようになって、親しい付き合いがはじまった。
スイートレインはいまや人気のライブ店で、ブッキングが難しくなってしまって長らく行っていないが、izaさんや、やはりスイートレインで知り合ったピアニストの和枝さんらとご縁ができたのはありがたい。
和枝さんには私のガン治療のことでも大変お世話になった。

かっしーは現在、大阪在住、大学で教員をやっている数学者だが、ゼミ生として朗読活動をいっしょにやっていて、もう10年くらいの付き合いになりそうだ。
いまはなかなかいっしょにライブをやる機会はないが。

週末の朗読ゼミに顔を出してくれるという。
また、20日の名古屋ナディアパークでのスタジオライブにも来てくれるかもしれないそうだ。

春野亭日乗 9月1日(日)ヘナ、オカリナ牧師

なみこさんが千葉の市川からわざわざ、皮膚マーカーの補強に使えないかと(私が)思っている「ヘナ」染めの材料を持ってきてくれた。

放射線治療の目印になる皮膚マーカーについては、
「治療中は消えないように気をつけてください」
とうるさくいわれていて、そのための生活ガイドのようなプリントまで渡されている。
入浴時に石けんでこするのはだめ、温泉のような長風呂はだめ、肌を締めつける衣服はだめなど、細かく指示されている。
もし消えそうになったらマジックペンを使って自分で(線ではなく点で)補強しなおすように指示されている。

ようするに消えなければいいのだろう。
ということで、マジックペンではなく、皮膚に浸透してこすっても消えにくい植物性染料のヘナを使えば、サーフィンのときにウェットスーツを着てこすれても大丈夫ではないか、と思ったのだ。
しかしまあ、ヘナを使って皮膚マーカーを「てんてん」で補強するのは、ちょっと工夫がいりそう。

ついでに食事の話とか、いろいろ治療補助をサポートしてもらった。
いつもありがとう。
編んであったエコアンダリアのキャップがちょうどいい大きさで、よく似合ったので、差し上げることにした。

夕方、鹿児島のオカリナ牧師こと久保木さんと、オンラインでミーティング。
遠隔ではあるけれどいっしょに作っているオカリナとピアノの演奏について、映像をどうするか、つぎはどんな曲を収録するか、などの打ち合わせ。
離れていてもネットのおかげで支障なく作業できるのがありがたい。楽しみだ。

2019年9月2日月曜日

語人(ストーリーテラー)・小林佐椰伽ちゃんからのお手紙

先週の土曜日に豊田市からレッスンにやってきた語人(ストーリーテラー)小林佐椰伽ちゃんが、レッスンのお礼のメールを書いてきてくれました。
毎回、終わったらきちんと忘れずにお礼メールが届くの、えらいなー。
なかなか見習えない。
いっしょに活動しているお母さんの小林希依子さんの心使いのサポートもあるんだろうけど。
今回はおにいちゃんもいっしょに来てくれて、楽しかったな。

知立文化芸術新人賞と豊田文化新人賞の賞状と盾を持ってきて、見せてくれました。
私もいっしょにいただいたような気がしてうれしく感じた。

佐椰伽ちゃんは活動のなかで、けっして多くはない出演料などからすこしずつ貯金して、私にレッスン料を持ってきてくれる。
私にしてみれば、交通費や宿泊費などいつも充分にいただいているし、佐椰伽ちゃんとはレッスンというより共演者としていっしょに活動している気持ちなので、毎回恐縮してしまうんだけど、ありがたくいただいておくことにしてる。
佐椰伽ちゃんをはじめとして、そういう人たちの気持ちで私の活動も支えられているんだなあとつくづく思う。

佐椰伽ちゃんのメールがかわいらしかったので、無断で一部紹介します。

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水城さんの お元気そうな ごようすみれて 安心しました。
きのう やっと 生の賞を 水城さんに 見ていただけたので よかったです。
水城さんとの 出会いが なかったら 応援なかったら ここまで つづけれては なかったので。
だから 本当に 嬉しかったです。 いままで 本当にありがとうございます。

また 10月 1度 伺いますので これからも よろしくお願いいたします。
なので、これからも 水城さんの お体のこと 心配なので お祈り しときます。
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体調整えてがんばらねば!

ピアノ七十二候:処暑/禾乃登(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
処暑の末候(42候)「禾乃登(こくものすなわちみのる)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年9月1日日曜日

書くことは自分自身との対話(共感文章講座と共感手帳術)

しばらく休んでいた共感文章講座と共感手帳術講座を再開したら、思いがけず参加者がとんとんと増えて、いずれも楽しく開催させていただいている。
みなさんのお役に立てるのはうれしいし、また私自身があらためて気づいたり学びなおしたりしている面もあって、ありがたい。

これらの講座で私が伝えているのは、たとえばこんなことだ。
「書くこと」を習慣にすることは、自分の頭のなかで常に浮かんでは消え、消えては浮かんでくる無定型の、いわば「ノイズ」にちかい思考を、言語化し、自分自身でも客観的にとらえる方法を身につける、ということ。

私自身、「書くこと」の習慣を身につけていなかったら、なにかを体験したり人に会ったときなど、日々遭遇するたくさんの貴重な気づきの多くを、きっと取りこぼしてしまっていたことだろう。
もちろん、すべての気づきを取りこぼさずに収集できたとは思っていないが、いま私が多くのことを体系的にとらえたり考えたりできているのは、「書くこと」に助けられた面が多いのではないか。
現代朗読、音読療法、マインドフルネス、即興演奏、書籍やブログの執筆、非暴力コミュニケーション、手帳術……

そしていま、食道がんステージⅣという身体状況のなかで、あらためて多くの思索と気づきを得る日々を送っている。
いま、これをこうやって書いている行為そのものも、自分自身を見つめ、整理し、そしていまこの瞬間からその先へと向かっている道すじを照らしている。

手帳術でも強調していることだが、私たちの頭のなかは思考に満ちている。
その思考はけっしてまとまっていたり、道筋がはっきりしているものではない。
断片的で、ノイズのようなものであり、フラッシュのように一瞬で消えてしまうものもある。
どうでもいいようなつまらない妄想から、非常に重要な気づきまで、いっしょくたに渦巻いている。
清流の岩陰にひそんでいる川魚を手づかみするように、思考に手をさしいれ、一瞬で獲物をつかまえてこなければならない。
つまり、思考を言語化し、紙(やモニター)の上に文字化・視覚化しなければならない。
そうしたときにはじめて、自分がなにをかんがえているのか、なにを大切にしているのか、なにが必要なのか、どちらに行きたがっているのか、はっきり見えてくる。

不定形の思考を言語化し、脳の外に書きだし、明示化すること。
書くことを習慣化するというのは、そういうことだ。

書くのはなんでもいい。
まずはメモ。
ツイッターやフェイスブックでのつぶやき。
それから日記、ブログ。
小説や詩はさらにクリエイティビティを発揮することになるので、困難はあるが思考を活性化する効果が高い。

かつての参加者に請われて、身体文章塾をリニューアルした形で「ひよめき塾」が9月8日からスタートする。
これはテキスト表現という日常の延長線上にありながら最高のクリエイティビティを発揮することも不可能ではない行為にチャレンジするメンバーが集う場になるはずだ。
そこはまた最高の遊びの場でもあり、共感的なつながりを持つ安心の場でもある。
興味がある人は参加してみてほしい。

参加申し込みはこちらから。

9月27日〜:オンライン共感手帳術講座
毎日使う手帳を用いて自分がなにを大切にしているのか、なにが必要かを明確にしていき、日々を有効にいきいきとすごすための術を身につけるための短期集中講座です。

2019年8月30日金曜日

食道ガン(ステージⅣ)への放射線治療計画(30回)

5月末に食道ガンが見つかって、気がついたら3か月以上、検査はたくさんやったけれど治療はなにもやっていない。
つまり、ずっと放置。
このまま放置でいいんじゃないかとも思うけれど、腫瘍はわずかずつ肥大しているようで、食道の閉塞が進んできている。

抗がん剤での治療をことわったら、消化器外科、食道外科、化学療法科、放射線科、それぞれの専門医師からことごとく、
「まだ若いのにもったいない」
といわれたけれど、放射線治療のみを選んだ。
放射線で7割くらいたたけるだろう、というのが見立てだ。
残りの3割については、まれにそのまま消えることもあるが、通常はそのまま残り、ふたたび肥大化することが多い。
また放射線治療の副作用として、食道以外の場所にあらたにガンが発生することも多く、それは放射線には避けがたいことだ。
強力なX線を浴びつづけるのだから。

その覚悟で、9月2日月曜日から治療がスタートする。
週に5日、基本的に平日毎日のペースで30回の照射を受ける。
土日は休み。
9月は祝日が多く、また病院の機器メンテナンスもはいったり、私の都合もあったりして、つごう7週間かかる。

食道のただれ、もたれ感、痛みなど、局所的な副作用のほかに、倦怠感や食欲不振など全身への影響もあるとのこと。
できるだけ規則正しい生活をして、きちんと食事をとり、できるだけ身体も動かして、活力をたもっておくこと。
まあこれはガン治療でなくても日頃こころがけたい生活ではある。

活力を維持・向上させるために、欠かせないのはストレスマネジメントだろう。
これは私がこれまでさまざまに身につけてきた健康法やメンタルケアが役に立つ。
達人といってもいいだろう。
やりたいこと、好きなことのための時間をきちんと確保することも大切だ。
身体を動かすこと、食事をすること、とくにいまは海に行って波乗りの練習をすることが、もっともやりたいことのひとつになっている。
これらの治療効果は、ひょっとして放射線治療(や抗がん剤治療)より高いかもしれない(私の身体がそういっているような気がする)。

いずれにしても、いまを生きること、いまこの瞬間を大切にすること、自分を楽しむこと、全身全霊を発揮すること、を心がけたい。
5歳児が自然にそのように生きているように、私も生きたい。

ひよめき塾(小説・文章塾)がはじまります(また?)

この前の日曜日におこなった現代朗読ゼミは非常にめずらしい顔ぶれがそろった。
いつものゼミ生ユウキや野々宮のほかに、旧ゼミ生のふなっちと奥田くん、そして音読トレーナーでNVC仲間のみっちーが初参加。
ふなっちと奥田くんは朗読ゼミというより、そこからスピンアウトした身体文章塾(テキスト表現ゼミ)のメンバーだったといったほうがいいだろう。

ふなっちも奥田くんも、ステージⅣの食道ガンである私の健康状態を心配して来てくれたようで、ふなっちからはお見舞いの花までいただいた(うれしい)。
しかし見た目はいたって健康で、ふたりとも拍子抜けしたようであった。
「このまま治るんじゃない?」
というのは、私に会ったみんながいうことで、私もそうであればいいと思う。

近況など報告しあったあと、現代朗読の基礎トレーニングと群読エチュードでみんなを追いこんでみる。
身体を使った表現で、死んだ魚のような目がようやく生きかえってくる。

最後にふなっちと奥田くんが、
「また文章塾をやってほしい」
という。
その主目的を、今度は機関誌『HiYoMeKi』の続号を発刊することに置きたいという。
集まりを私が主導しお世話するのでなければ、やってもいいと答える。
参加のみなさんが自主的に会を運営し、機関誌の編集作業もやってくれるなら、私が自分の持っている能力と時間を使ってみなさんの学びや表現の場に貢献することは、まったくやぶさかではない。
むしろそこには私のよろこびがある。

身体文章塾がいったん途切れていたことにそこはかとない寂しさをおぼえていたところだったので、彼らのリクエストはうれしかった。

どんな運営形態になるかはわからないが、これまでのコンセプトは継続していきたい。
すなわち、どんな既成概念も排除し、お互いに批評・批判はしない、それがどんなに奇矯なものであってもそれぞれのオリジナリティを尊重し、受け入れ、おもしろがる場であること。
上手下手ではなく、どこまですぐれてユニークな自分自身を表現できるかどうかを目標とする、テキスト表現の学びの場であること。

遠方の人はオンラインでの参加を歓迎する。
来れる人は国立春野亭に来てくれていい。
まずは9月8日(日)19時から、ひよめき塾(仮称)のスタートアップミーティングをおこなうことになっている。
以後、月に2回くらいのペースで開催するかもしれない。
参加費その他事務的なことがらについては、8日当日に合議して決めることになっている。

ことば・文章という不自由なツールを用いて自分自身を表現し、探求してみたいと思っている人ならどなたも歓迎する。

※参加申し込みおよび問い合わせは、こちらから。

2019年8月29日木曜日

サーフィン体験で全霊が飛び起きた

2年前のお盆に野尻湖でヨットレースに出たときの爆発的な感覚を、ひさしぶりに味わった。

自然のなかで楽しむスポーツはいろいろあるけれど、私にとってとくにウォータースポーツは特別な感じがある。
学生時代にヨットに夢中になり、熱中していたが、そのときは「どう特別なのか」はよくわかっていなかった。

2年前に野尻湖のヨットレースにジョエルの助っ人として出場したとき、ディンギーに乗りこんで湖面に出た瞬間に、全身の感覚がよみがえってきて、一気にタイムスリップしたようだった。
たんに「昔乗っていた乗り物の感覚を思い出した」というだけではない、なにか爆発的な感じだった。

もちろん当時のような若さはすでにないけれど、全身の筋肉と神経が瞬間的に働きはじめた感じ。
しかもそれは、運動としての働きの感覚だけでなく、周囲の環境に呼応するセンサーが一気に開放される感じをともなっていた。
「フロー」という状態があるが、その感じ。

自分がおこなっていることに非常に集中していると同時に、周囲の環境やまわりで起こっていることにも完全に気づいている感覚。
ものごとがすべて動き、流れている、そのまっただなかに自分がいて、押し流されているのではなく意識して乗っかっている感じ。

この感じをしばらく忘れていたのだが、先日、湘南の鵠沼海岸で生まれて初めてサーフィン体験をしたときに、ふたたびよみがえってきた。

サーフィンは以前からずっと、一度でいいからやってみたいと思っていた。
とくにここ数年、まだ身体がしっかりと動くうちに海遊びを体験してみたいと、かなり強く思いはじめていた。

7年前に韓氏意拳という武術をはじめ、とくにここ2年くらいは意識的に身体を動かしてきた。
すると逆に、身体が動かなくなったときのことを想像するようになってきた。

街を歩くと多くの高齢者を見かける。
音読療法のボランティアで高齢者介護施設に行くこともある。
病院でピアノ演奏をすることもある。
そんなとき、自分もいずれ高齢になり、あの人たちとおなじようにゆっくりと歩いたり、車椅子で押されたり、ひょっとして寝たきりになることもあるのだろうか、と想像する。
しかしうまく想像できないのだ。
なにしろげんに身体は動いているし、まだまだ鍛えれば筋力も回復する。

そのいまの身体をもっとたくさん使ってやりたい、身体が喜ぶことをいまのうちにちゃんとやっておきたい、という欲求がある。
サーフィンをやってみたいというのもそのひとつで、もちろん海が好きだからでもある。

適当にネットで調べたサーフショップに電話して、体験レッスンを申しこんだ。
定員5人とのことだったが、行ってみると若い学生の男がふたり、私と連れの女性というメンバーで、インストラクターは日に焼けて引きしまった身体つきの、いかにもサーファーという感じの若い男性だった。

初心者の練習用のソフトボードを抱えて海にはいっていったとき、上記のような感覚が爆発的によみがえってきた。
神経系が一気に開放される、全身が波と風という予測できない偶有性に満ちた自然現象のなかで応じようとする。

初めてのサーフィンはもちろん難しくて、立てるか立てないか微妙なところだったが、巧拙はともかくとしてめちゃくちゃ楽しかった。
ヨットも楽しいが、サーフィンももっと楽しい。
なにしろ、板きれ1枚で波の上に立とうというのだ。
足下は常に変化しつづける海水という流動物で、こちらの思い通りにはまったくならない。
思い通りにならないものの上に、さらに輪をかけて思いどおりにならない自分の身体を動かそうとする。
まさに全身と全霊をとぎすまし、使いこなさなければならない遊びで、一瞬たりとも「いまここ」を離れることはできない。

数時間のみじかい体験だったが、もし効果があるとするならサーフィンがもっとも私の末期ガンにたいする治療効果が高いだろうと、身体がいっていた。
いろんな人からいろんな情報をもらったり、アドバイスされたりしているけれど、なにより自分自身の身体が「これいい!」と叫んでいるのだ。
もし思いすごしだったとしても、その時間は私にとって輝きに満ちたものといえるだろう。

いま食道の閉塞を止めるために放射線での治療がはじまろうとしている。
そのために皮膚の表面にマーカーを打っていて、それが消えないように生活する必要がある。
よほど大切なマークらしくて、医師や看護師からはかなりしつこく「消えないように」と指示されている。
温泉のような長い入浴はだめ、石けんもだめ、皮膚がこすれるきつい下着はだめ、ましてやサーフィンなどもってのほか。
しかし、私はやりたいのだ。
ようするに皮膚マーカーが消えなければいいんでしょう?
消えない方法をいっしょに考えてください、とお願いしようと思っているし、自分でも工夫のしようがあるだろう。
とにかく私は、これからも、治療をつづけながら、サーフィンをやりたいのだ。

現代朗読の群読作品をスタジオでやる

自主映画を製作している伊藤勇一郎くんが名古屋天白での現代朗読ワークショップに参加したのは、今年(2019年)の春先だったと思う。
ちょうどその時期に、私は毎月1回おこなっているこのワークショップを、たんなる単発のワークショップではなく、参加メンバーによる群読作品を作るための練習会にできないか、できれば最終的に公演の形に持っていけないか、と思い、参加のみなさんにも相談を持ちかけていた。

ホールを借りての正式な公演ではなく、イベントスペースやギャラリーあるいはライブハウスを借り切ってのちいさな公演をめざしていた。
開催にあたって人的パワーや費用もなるべく小さくして、とにかく群読作品を形にすることを目的としたかった。
それでも、会場や集客、告知など、ある程度の準備は必要で、年内には無理かな、2020年になってから、ひょっとすると春ごろにずれこむかも、なんてかんがえていた。

ここにきて私自身の健康が、そのようなスケジュールを許さない状況になってきた。
食道ガンが見つかり、ステージⅣと告知されたのだ。
抗がん剤などの治療をしても余命1年はむずかしいだろう、という医師の見立てだ。
来年の春ごろにどうか、などという悠長なことはいっていられなくなった。

伊藤くんに相談し、公演ではなく、スタジオ収録で群読作品を撮影することにした。
これだと、スタジオでワークショップをおこない、そのままその完成形をその場で撮影できる。
撮影もオープンステージよりはやりやすいはずだし、撮り直しもできる。

漠然としていた映画撮影にたいする私の目的も、くっきりしてきた。
2003年ごろからスタートした朗読研究会を母体として2006年に発足した現代朗読協会の成果を、私の生きた証として形あるものに残しておきたい。
書籍にはまとめてあるが、たくさんある映像記録は散逸している観があるし、現代朗読のセオリーを映像とともにまとめてあるものはない。
私がいなくても多くの人が現代朗読という手法で自分や、自分たち(群読)をいきいきと表現するその道すじを、明らかにしておきたい。

東京のゼミ生や、天白のワークショップの参加者たちには、ことあるごとにそのようなことを伝えていて、おそらく理解してもらっていると感じている。
そのことに尊重と配慮をくれているみなさんには本当に感謝の思いが深い。

天白のメンバーの協力もあって、9月20日には栄の音楽スタジオを借りきって、ワークショップとその成果である群読作品の撮影をおこなうことになった。
午後1時半にスタートして、午後5時半までワークショップと群読作品の撮影をおこなう。
これまでの参加メンバーが中心になるとは思うが、一度も参加したことのない新規・単発参加も歓迎だ。
まったく経験がなくても、だれでも群読表現に参加することができる。
それが現代朗読の考え方であり、また私自身の「だれもがいつでも表現者になれる」という信念がある。

夜はひさしぶりに、野々宮卯妙と私による沈黙[朗読×音楽]瞑想コンサートをおなじ会場でおこなう。
こちらも撮影がはいる。
日中のワークショップに参加できない方は、夜のコンサートにぜひともおいでいただきたい。

10月20日は放射線による私のガン治療スケジュールの中間の日なのだが、なんとかがんばって体調を整えて名古屋に向かいたいと思っている。
みなさんの応援をいただければ幸いである。


9月20日:現代朗読ワークショップ「VERBA ACTUS(ウェルバアクトゥス)」
名古屋で現代朗読と非暴力コミュニケーション(NVC)をコラボレートし、群読表現作品を参加者全員で作るワークショップを毎月開催しています。ワークショップでおこなうエチュードがそのまま群読表現の「部品」となります。

9月20日:沈黙[朗読×音楽]瞑想コンサート
水城ゆう&野々宮卯妙の沈黙[朗読×音楽]瞑想コンサートを名古屋でひさしぶりに開催します。会場はグランドピアノがある大スタジオで、完全暗転可能なスペースは、見る者聴く者に響いて引き出す「体験」となる沈黙[朗読×音楽]瞑想にとって最良の空間です。

YouTube:森を散策するように文章を読む

現代朗読のゼミ生が個人レッスンをするタイミングで、体験参加の方も交えて、日頃の疑問に演出・水城が応じる質疑応答を、一部抜粋してお送りします。

森のなかを散策したり、浜辺を歩いたり、あるいは街を歩くときに、それぞれ身体の感じは変化します。
なにか文章を読むときも、そのように身体が変化することに気づけるでしょうか。
たえず変化する自分自身のままに朗読できるかどうか、それが現代朗読のアプローチの方法といってもいいでしょう。

現代朗読の活動についてはこちらの公式サイトをご覧ください。

映像はこちら
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2019年8月28日水曜日

YouTube:朗読において「どう読むか」の手がかりをどこに求めるか

現代朗読のゼミ生が個人レッスンをするタイミングで、体験参加の方も交えて、日頃の疑問に演出・水城が応じる質疑応答を、一部抜粋してお送りします。

朗読をするとき、
「この文章はどのように読むべきか」
「日本語はどのように読むのが正しいのか」
「どう伝えるべきか」
など、さまざまに考えたり、工夫をこらしたり、指導者から教えを請うたり指示してもらったりします。
読み方の根拠を「そと」に求め、それを構築し、設計したとおりに読めるように何度も練習するのが、朗読の練習だという考え方があります。

現代朗読ではその考え方を採用していません。
では、「どう読むか」の根拠(よりどころ)はどこに求めるのでしょうか?

現代朗読の活動についてはこちらの公式サイトをご覧ください。

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ピアノ七十二候:処暑/天地始粛(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
処暑の次候(41候)「天地始粛(てんちはじめてさむし)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
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2019年8月26日月曜日

YouTube:朗読で著者や登場人物になりきる必要があるのか

現代朗読のゼミ生が個人レッスンをするタイミングで、体験参加の方も交えて、日頃の疑問に演出・水城が応じる質疑応答を、一部抜粋してお送りします。

朗読をするとき、ときにその著者や登場人物になりきって読むように指導されることがあります(現代朗読ではありません)。
しかし、役者や声優でない者にとってはそれはなかなか難しいことで、無理な要求といってもいいでしょう。

現代朗読ではそのようなアプローチはおこなわず、ただ「自分自身であるまま」に朗読します。
それは実際にどのようにおこなうことになるのでしょうか。

現代朗読の活動についてはこちらの公式サイトをご覧ください。

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2019年8月24日土曜日

ピアノ七十二候:処暑/綿柎開(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
処暑の初候(40候)「綿柎開(わたのはなしべひらく)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
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2019年8月21日水曜日

YouTube:福井県立病院ピアノコンサートの抜粋

2019年8月14日。
福井県立病院のエントランスホールにておこなわれた水城ゆうのボランティア・ピアノコンサートの模様を、一部抜粋でお送りします。

曲目は「浜辺の歌」「スカボロフェア」「虹の彼方へ」「海」「我は海の子」「蛍の光」です。

映像はこちら
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YouTube:朗読WS@名古屋天白でのレクチャーの一部

2019年8月18日、名古屋天白〈アロマファン〉にてほぼ毎月開催している現代朗読ワークショップから、参加者の質問に演出の水城ゆうが答える形でおこなったレクチャーの一部を、抜粋してお送りします。

映像はこちら
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2019年8月18日日曜日

ピアノ七十二候:立秋/蒙霧升降(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
立秋の末候(39候)「蒙霧升降(ふかききりまとう)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年8月15日木曜日

福井県立病院ピアノコンサート 8月14日(水)午後

2019年8月14日。
3か月に1回のペースでの開催が恒例となっている福井県立病院のエントランスホールでのピアノコンサート、今回で何回めだろう。
食道がんの治療予定では、最初の抗がん剤治療のための入院を経て、日程どおり演奏できるかどうかきわどい感じだったが、抗がん剤治療をパスして入院もなくなったため、予定どおり行くことができた。

行ってみたら、前回につづいて今回もファンだというおじさんが立派なフラワーアレンジメントを作ってくれていて、恐縮する(もちろんうれしい)。
Facebookでいつもコメントをくれたりやりとりしている笠川さんが、予告どおり来てくれた。
手作りのかごに、私の好物のへしこやらミニトマトやらをいれてプレゼントしてくれる(うれしい)。
毎回欠かさず聴きに来てくれる遠縁の長谷川さんも、夏休み中のお孫さんを連れて来てくれた。
あとでわかったのだが、長谷川さんと笠川さんは家が近所で、お互いに知り合いだった。

高校時代の1級上の知り合いが来てくれた。
高校のときはほとんど交流がなかったのだが、京都で学生生活をはじめたとき、まったくの偶然で百万遍あたりで出会い、それから学生時代は交流がつづいた。
会うのは何十年ぶりだろう。
なつかしい知り合いの近況を知ることができた。

妹の友人で、いまも東京で声楽の活動をつづけている玲ちゃんが来てくれた。
聞けば立川に住んでいるということで、玲ちゃんも私が国立に住んでいることを知らなかったらしく、びっくりしていた。
東京でまた会えるだろう。

Facebookではつながっている県立大学の山川先生もわざわざ来てくれた。
以前からマインドフルネスやNVCのことでつながりがあり、1度お会いしましょうと約束していたのだ。
パソコン通信時代の知り合いのベストくんも、たぶん30年ぶりくらいに再開。
こちらのピアノコンサートに私をつないでくれた同級生のたつみくんも、仕事の合間に来てくれた。

なんだか知り合いがたくさん来て、コンサート前が忙しかったが、時間が来たので演奏をはじめることにした。

いつもながら、広々とした吹き抜けのエントランスホールは音響がすばらしく、開放的な空間で、ピアノの前に椅子をならべてあってそこで聴いてくれる人がメインリスナーではあるが、とおりすがりに足をとめて聴いてくれる人や、吹き抜けの二階のほうから顔をのぞかせて聴いてくれる人たちもいて、ホールやライブハウスとはまったくちがう雰囲気だ。
私はここで演奏できるのが本当にうれしい。
そして、ほかの病院でもボランティア演奏をしたことはあるし、私ではなくだれか演奏者が演奏しているところを見たこともあるけれど、こちら福井県立病院ほどのよい雰囲気があるところはほかにはない。
事務局の人たちの気遣いと努力によるところも大きいのではないかと思う。

ところで、今回はがん告知を受けてはじめてのピアノコンサートだった。
日々の時間の流れもそうだが、演奏時もたしかに時間の流れや自分とまわりへの気づきや、音にたいする感覚がちがっていて、とぎすまされた感じがあった。
だからといってもちろん思いどおりに演奏できたというわけではない。
しかし、いまここに自分自身がいて、音楽をかなで、それを聴き、また聴いてくれる人たちとおなじ時間をすごしているというライブ感覚が、これまでとはだいぶ違っていたように思う。
ありがたいことだ。

がんであろうがなかろうが、すべての人間はかぎられた命を生きている。
そのことに以前は「頭では」「理屈では」わかっていたが、身体感覚として腑に落ちたのはこの1か月のことだ。

演奏が終わってから地元の新聞社の若い女性記者から取材を受けたのだが、そんな話をついつい熱弁をふるってしまって、説教臭くなってしまったのではないかとちょっと心配している。
彼女もまた、私とおなじ高校出身で、学生時代は朗読サークルをみずからやっていたと聴いて、うれしくなり、つい調子に乗ってしまったかもしれない。
ごめんね。

2019年8月14日水曜日

春野亭日乗 8月10日(土)シルクニット、ゼミ、うららさん、お茶タイム、映像収録

真綿から紡いだ絹糸を使ったシルクニット、リストウォーマーのつぎは細めの襟巻きを編んでみたのだが、いちおう完成した。
白い糸が足りなかったので、別の色でつないでみた。いびつなツートン。
編んでいるときは「変だ」と大不評だったけど、私は悪くないんじゃないかと思っていて、仕上がってみると実際そう悪くない感じだと思う。
手触りが柔らかくてすごく暖かいので、真冬でも使えそう。

午前中は現代朗読ゼミ。
いつもより参加者が多めで、レクチャーで基本の確認と、群読による基礎トレーニングがしっかりできた。
前回参加してくれたNVC仲間のあきちゃんが、今回もリピート参加。
わざわざ私のケアのために演奏するライアーを持ってきてくれた(重いのにいつもありがとう)。
元ゼミ生のてんちゃんも来てくれた。
国立に移ってからは初参加になるのかな。
やはり初参加のはっぱさん、NVC仲間で、先月のキノ・キュッヘのオープンマイクにも来てくれた。
ゼミ生のユウキとかなえさんも。

はっぱさんが最後に朗読してくれたとき、身体が柔らかく使えるようになっていて、押しつけがましくない動きのある、いつまでも聴いていたいような感じだった。

終了後、みんなで昼食に出る。
現代朗読協会のNPO法人を立ちあげるときに手伝ってくれたうららさんが、1歳になったばかりの娘を連れて遊びに来てくれたので、〈いたりあ小僧〉で合流。
ものおじしない子どもで、すぐに私になじんでくれた。

〈マロニエ〉でホールのケーキを買って帰って、春野亭でお茶。
合間に、残ってもらっていたゼミ生ユウキと、あるライブ企画を進めるためのサンプル映像を、ピアノといっしょに収録。
なかなかいい感じになってきた。
企画はぜひとも実現したい。

夕方、あきちゃんにライアー演奏で癒やしてもらう。
お腹の上に乗せて演奏してもらうと、音が身体の内側で鳴っているような不思議な感じがして、震動が心地よいのだ。

シルクニットは襟巻きのつぎに、ヘアバンドを編みはじめてみる。
これだと糸が少なくても作れる。途中で違う糸を足す必要がない。
輪針のゴム編みで編みすすめる。
大きさがよくわからないが、とりあえず40センチの輪針でゆるめに編んでみる。
ゴム編みなので、ある程度の融通はきくだろう。

2019年8月13日火曜日

ピアノ七十二候:立秋/寒蝉鳴(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
立秋の次候(38候)「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年8月11日日曜日

ロング・アート・パフォーマンス(ラストステージ)を生きる

大学をドロップアウトし、ジャズバーでバーテンダーのアルバイトをしたり、バンドマンとして生計を立てはじめた二十代はじめのころ、京都に住んでいたということもあったのかもしれない、現代アートシーンがおもしろく、美術雑誌を熟読したり、展覧会やギャラリーの展示にも熱心に通ったりしていた。
その傾向は、京都を引きあげて故郷の福井にもどってからもつづき、地方ではあるがかなり盛んだった現代アートと関わりを持ちつづけていた。

1980年代の初頭からなかごろにかけてのことだった。

そのころ、北陸の美術館や現代アートギャラリーで盛んにおこなわれていたのは、美術家によるアートパフォーマンスで、それはとくにニューヨークを中心に注目を浴びていたローリー・アンダーソンやナム・ジュン・パイク、そしてなによりドイツのヨーゼフ・ボイスらの影響を色濃く受けていた。
ナム・ジュン・パイクと活動をともにしていたビデオアーティストの山本圭吾氏が福井出身だったりして、そのあたりのパフォーマーに親近感をおぼえていたし、私も即興ピアノ演奏で美術家や役者やフリージャズのミージシャンらとことあるごとに共演をするようになっていた。

とはいえ、じつのところ、アーティストによるパフォーマンスがそもそもなにを意味するのか、どんなねらいがあるのかについては、よくわかっていなかった。
ただ楽しかったのはたしかだ。

今年の春先にドイツに旅行する機会があった。
いくつかの都市を回ったのだが、現代美術館やギャラリーもいくつか訪れた。
ベルリンのハンブルク駅現代美術館に行ったとき、たまたまヨーゼフ・ボイスの回顧展をやっていた。

ベルリンに限らず、ドイツはどこもそうなのだが、公共施設はどこも人があふれていなくて(駅や交通機関も含む)、ゆったりとすごすことができる。
この美術館もそうで、じっくりと見ることができた。
作品のキャプションはドイツ語と英語で書かれていて、英語は読むことができる。

ボイスの存在でもっとも大きなものは、彫刻の意味を問いなおしたことだろう。
彫刻といえば古来から現代にいたるまで、石や金属や木材やコンクリートや、なにかしら固形の材料をもちいて形(sculpture)を表現することだと、なんとなく思っていた。ボイスはそこに鋭く切りこむ。
まず、材料は固形のものである必要があるのか?
そもそも固定された「物体」である必要はあるのか?

流動的な、あるいは変化する「現象」そのものを彫刻としてとらえることはおかしなことなのか?
我々そのもの――つまり生きて動いて変化しつづけているbodyを表現するのに、そもそも固形物で時間をとめようとすることに無理があるのではないのか?

かくして生まれたパフォーミングアートは、彫刻からスタートしている。
ボイスのまとまった仕事をベルリンで見たとき、生きて動いている存在というか現象である私自身の生命そのものは、いったいなんなのかを鋭く突きつけられたように感じた。
私自身をふくむ生命現象そのものを、アートとどこで線引きできるのか。
そもそもそんな線引きそのものが社会的な都合によって作られた勝手なジャッジではないのか。

ボイスの芸術をつきつめていくと、われわれ自身の存在そのものに行きあたるのだ。
ボイスの問いはそのまんま、自分自身の存在へと向けられる。
いまここにこうして生きている私自身、これはなんなのか。
なんのためにこうして存在しているのか。

私はこの5月末に食道がんが見つかり、余命1年未満と告知されている。
観念的にいえば、あるいは社会通念的にいえば、それはショッキングなことなのかもしれない。
しかし、いま、この瞬間、ここにこうして(これを書いているいま)私が生きて存在していることは、まぎれもない事実で、それについては(これを読んでいるあなたもふくむ)ほかのみなさんとなにも変わりない。

ボイスの問いをここに援用すれば、生きていることそのものがアートであり、すべての行為が表現といえる。
私がこうやって書いている文章も表現ならば、文章を書いているこの行為そのものも表現である。
私がいまテーブルの上に置いたラップトップにむかってキーボードを打っている行為と姿そのものがパフォーマンスであるというのは、ヨーゼフ・ボイスが黒板にチョークで線を引きコヨーテの鳴き声を発したこととなんら変わるものではない。

私は自分のパフォーマンスそのものを楽しみ、まわりの環境や人々との呼応を感じ、瞬間瞬間を味わっていける。
それが生きていくということであり、その時間的累積によって自分がどこにたどりつくかというのは結果でしかない。

いまこの瞬間も、過去の累積によってここにたどりついているわけで、それを残念だと思うか満足だと思うかは利己的なジャッジであり我想にすぎない。
自分という現象から乖離した思考でしかなく、それはもはや私自身とは関係のない観念だ。

私は私を生きる。
それがいつまでなのか、いつ終わりが来るのか、みじかいのか長いのか、それは結果でしかなく、私はいまこの瞬間の私を生き、そして表現する。
もちろんそこには私なりの美意識があり、生きることそのものを「美への昇華としてのアート」という表現したいという望みはある。
それはたしかに、ある。

2019年8月9日金曜日

春野亭日乗 8月8日(木)ウォーキング、温泉、雲をながめる、シルクニット

午前6時起床。
空にはもう秋を思わせるうろこ雲が出ている。そういえばすでに立秋だ。

気温が上がらないうちにウォーキングに出かける。といっても、すでに30度近くある。歩けばすぐに汗をかくが、国立駅前の大学通りは、東側歩道が日陰になっていて、まだ歩きやすい。
うろこ雲もすぐに消えてしまった。
帰りがけに高倉町珈琲店に寄って、モーニング。

帰宅して、痛み止めを飲む。

理子ちゃんが引っ越し準備のためにレンタカーを借りていて、返すまでに時間があるといって温泉に誘ってくれた。
野々宮と3人で国立湯楽の里に行く。
ここは露天風呂が広く、そして湯温がかなりぬるくて、ゆっくりできた。ひさしぶりに雲を飽くまでながめた。

帰りがけに隣のホームセンターに寄って、メダカの水槽用にミナミヌマエビ5匹と水苔取りを買う。

シルクニット(棒針編み)のリストウォーマーが完成。
このままあんなさんに送ろうかと思ったけれど、つぎはかぎ針編みで細めの襟巻きを違う糸で編んでみたいので、それが完成してからどちらが気にいるか見てもらうことにした。

私の体調について韓氏意拳の内田秀樹先生から丁寧なお見舞いをいただく。
内田先生は私が最初に韓氏意拳を習った指導者で、おかげでこんにちまで丸六年以上にわたって稽古をつづけることができた。
いまは駒井先生のお世話になっているが、内田先生にも感謝がたえない。

シルクをかぎ針を使って細めの襟巻きを編みはじめてみたが、やはりぼわぼわしすぎてうまくない。
かなり太くて太さもまちまちのシルクの糸は、やはり棒針編みのほうがいいようだ。
かなり太い棒針に変えて、襟巻きを編みはじめてみる。
棒針は10ミリ、目数は11目の幅で。

しばらく使っていないコンデンサーマイク、AKGのC1000Sを、オカリナ牧師の久保木さんに送ることにした。

夜、鶏の手羽元をグリルで調理して食べる。
けっこうな肉のかたまりをがっつりと食べたが、まだこの程度のものは食べられる。痛み止めが効いているせいかもしれないが。