2017年6月28日水曜日

日本みつばちがやってきた

二年ぶりに日本みつばちの養蜂にたずさわれることになった。
和食ちゃんが縁をつないでくれて、町田の養蜂家の守屋さんから1群を譲り受けることができたのだ。
それを、多摩のあした農園に置かせてもらえることになった。

あした農園の渡辺さんも日本みつばちに興味があって、もう1群を譲ってもらえることになったので、あした農園に2群が同時にやってきた。

巣箱はいわゆる重箱式だが、独自に作られた小型のものだ。
話を聞いてみると、容量がちいさいので巣の成長が早いとどんどん継ぎ足していく必要があるが、小型なので巣が落下することは少ないという。
私は巣枠式でしか飼ったことがなく、重箱式は初めてだ。

今年はまずこれで群を育て、翌年分封してくれれば、そちらを巣枠式にいれようという魂胆だ。

昨日、町田からあした農場に巣箱を運んできた。
夕暮れになってみつばちたちの活動が静まるのを待って、車で運んだ。
あした農場を南側に見渡せる絶好の場所に巣箱を設置した。

今日は朝から雨降りだったが、見に行ってみたら、みつばちたちは元気で、どうやら落ち着いてくれたようだ。
渡辺さんも守屋さんも見に来てくれていて、私は目撃しなかったのだが、この雨のなか、花粉を運んでいるみつばちも見たとのことだった。

花粉を運んでいるのは、幼虫を育てている証拠だ。
晴れたらどのくらいの頻度で運んでいるのか、数えてみようと思う。

日本みつばちが命(群)をつなげる環境というのは、生き物の多様性が保証されていることの指針になる。
ニンゲンはおごりきった物質文明思想をあらためて、地球生命の多様性に寄与できる生き方にシフトしていけないだろうか、と思うのだ。

2017年6月26日月曜日

ひさしぶりにビビっ! ファビアン・アルマザンというピアニスト

最近けっこう有名になってきて、来日もしているらしいんだけど、まったく知らなかった(とはいえ、最近のジャズシーンからはとんと遠ざかっている)。
ファビアン・アルマザンという名前のピアニストで、キューバのハバナ出身らしい。

幼少のころからクラシックピアノをみっちりやっていて、演奏を聴くと、なるほどさりありなん、という感じ。
どこがそんな感じかというと、ブラッド・メルどーもそうなんだけど、いわゆるジャズピアニストの奏法である左手でコードもしくはテンションノートによるバッキング、右手でメロディラインやアドリブフレーズ、というスタイルをあまりとっていない。
右も左も自由に動いていて、左のラインもアドリブフレーズとしてときに重要な役割をになっている。
クラシック音楽でいえば、バロック音楽の対位法的な感じ。

しかし、そんなみみっちいことよりも、なによりも、音楽性がすばらしい。
たまたま最初に聴いたのが『Alcanza』というアルバムで、全体が組曲のような、物語のような感じがする構成になっている。
映画音楽のように映像やストーリーを連想するサウンドだ。
いいのだ、これが。

もともと映画音楽そのものも好きだが、映画音楽的なサウンドが好きだし、自分でも演奏するとき、朗読という、いわばストーリーと共演することが多い。
そもそも私自身、演奏家であると同時に、小説家でもあるわけだし。

アルマザンの音楽はまぎれもなく長編小説だ。
ジャズ的だし、間違いなく現代ジャズの語法で語られているのだが、サウンドはクラシック的であり、フォルクローレ的でもある。
ストリングスがはいっていて、しかしそれは「ストリングスがはいっているジャズ」とか「ストリングスがはいっているイージーリスニング」といったものとはまったく違っていて、サウンドの重要なパートをになって仕組まれているのだ。

YouTubeを探すとストリングスがはいったバンドでのライブ映像がすこし出てくるが、トランペットやサックスの位置にストリングスがいるといってもいいくらいだ。

『Alcanza』ではもうひとつ、ボーカルのカミラ・メザがすばらしい。
チリの人らしくて、本国ではジャズミュージシャンとして第一人者で、自身の大きなバンドも率いていたらしいが、いまは活動拠点をニューヨークに移している。
ソロアーティストとして十分にすばらしい人だが、アルマザン・バンドのボーカル(とギター)としてはまりきっている。

良質の映画を一本観たあとのような、良質の文学作品を一冊読んだあとのような、なんともいえないふくよかな、同時にいても立ってもいられないようなクリエイティブな刺激をもらった音で、ひさしぶりに何度もリピートしながらこれを書いている。

◎ギフト制によるレッスン/個人セッション
対面でもオンラインでも、レッスンや個人セッションを「後払い/いくらでもギフトで」という方式でおこなっています。メールでもメッセージでも気軽にどうぞ。お待ちしてます。興味のある方はこちらの詳細ページをご覧ください。

しつこく作りつづけるぞオーディオブック

今月リスタートした現代朗読ゼミだが、こちらでは「身体表現としての朗読」の研究とトレーニング、そしてステージ作りの実践をおこなっている。
そのほか、かつてさかんにおこなっていたように、オーディオブックの研究とトレーニング、実践としての収録・製作・配信をおこなっていきたいと思っている。

20代後半からラジオ番組の製作にたずさわるようになって以来、30数年、ずっと音声コンテンツにかかわってきた。
音楽や朗読のライブだけでなく、収録コンテンツも数多く作ってきた。

いまでこそオーディオブックというと一般的になってきたが、アップルがiPodとiTunesで日本に殴りこみをかけてきたとき、本格的に日本語の朗読コンテンツを作っていたのは、わがアイ文庫ほか数社程度だった。
つまり、ネット配信のオーディオブックコンテンツの製作者としては、草分けと胸をはってもいいんじゃないだろうか、と思う。

もちろん、当初の製作方法やノウハウにあぐらをかいているわけではない。
日々進歩する収録機材やソフトウェア、ネットのシステムなどを追従し、取りこみながら、朗読者そのものの育成方法についても進化/深化しつづけてきたという自負がある。

ライブ朗読のみならず、収録朗読、あるいはYouTubeを含む動画ネット配信などに興味をお持ちの方は、まずは一度、現代朗読ゼミに単発体験参加に来てみてほしい。
どんな形であれ、朗読や音声コンテンツに興味をお持ちの方は歓迎なのだ。
まったくの初心者も大歓迎です。

6月開催:現代朗読ゼミ
29(木)10時半から約2時間。

7月開催:現代朗読ゼミ
いまこの瞬間の自分自身をのびやかに表現することをめざす現代朗読ゼミ、7月の開催は2(日)10時半/6(木)10時半/13(木)10時半/22(土)10時半/27(木)10時半/29(日)10時半、いずれも10時半から約2時間。

2017年6月25日日曜日

たんぱく質を取れレシピ(とれれしぴ)

糖質をカットするダイエットがはやっているが、私もだいぶ前からなるべく糖質を取らないように留意していた。
といっても、ご飯や麺類は好きで、まったく食べないわけではなく、とくに外でご飯を食べるときにはそもそも糖質を摂らないのは無理。
ゆるい糖質カットだが、その分、たんぱく質は積極的に摂りたい。

筋トレをやっている人は良質のたんぱく質を摂るために、鶏肉の脂身のすくない部位をよく食べるという。
私は鶏肉といえばもも肉が大好きなのだが、むね肉を使った簡単料理をやってみたので、紹介したい。
それにしても、むね肉って安いのね。

【材料】二人分
・鶏のむね肉……1枚
・玉ねぎ……小1個
・鷹の爪……1本
・にんにく……1かけ
・オリーブ油、塩、こしょう、粒マスタード

鶏のむね肉は食べやすい大きさにスライスしておく。
玉ねぎも月型にスライス。
鷹の爪は種を抜いておく。

フライパンににんにくのみじん切りと鷹の爪、オリーブ油(大さじ1)を入れ、弱火にかける。
にんにくが香り立ってきたら、鶏肉と玉ねぎを入れ、塩・こしょうをして火を強め、鶏肉に火が通るまで炒める。
最後に粒マスタード(大さじ1)を加えてまぜあわせたら、完成。
皿に盛りつけて、あればイタリアンパセリなどを散らしたら、なおよし。

このパターンで手抜きパターンの応用編もご紹介。
粒マスタードの代わりにマヨネーズを使う。
鷹の爪とにんにくは省略。
フライパンにオリーブ油をいれて、鶏肉と玉ねぎを炒めて、塩・こしょう。
最後にマヨネーズをからめて、おしまい。
これもけっこういける。
マヨラーの方はお試しを。

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2017年6月24日土曜日

紙本の『共感的コミュニケーション2017』在庫入荷

安いし、かさばらないし、スマホにいれていつでも持ち歩いて読めるし、Kindle本のほうがいいよってコトあるごとに強調しているのに、それでも紙の本のほうがいいという人が一定数いるので、ちょこちょこと発注しては在庫をいくらか手元に置くようにしている。

どうやって作ってるの、とよく聞かれるのでちょっと書いておくと、以前はBCCKSというePubから紙本まで一貫して作れるサービスを使っていたんだけど(いまも使ってるけど)、紙本だけより経済的な「製本直送.com」というサービスを使っている。
InDesignで版下を作って、それをPDF入稿するので、だれにでもおすすめできるわけではないけれど、とにかく1冊から発注できる。

カバーは別の印刷所に、こちらはイラレデータで入稿して発注。
けっこう手間がかかるのだが、一度作ってしまえば追加発注は楽。

というわけで、入荷しているので、紙本が必要な方はこちらからどうぞ。
カード決済も使えて、購入もやりやすくなっているはずです。

2017年6月23日金曜日

共感サロンがめざすところ

ちょっと乱暴ないいかたかもしれないが、共感的コミュニケーション(NVC)は「使ってなんぼ」だと思っている。
NVCを習得してなにをしたいのか、NVCを身につけることでどんな世界を実現したいのか。
NVCを学ぶことそれ自体が目的では、もちろん、ない。

習ったら使ってみる。
最初は下手くそでも、とにかくトライしてみる。
使ってみることで、習うこと以上のことが見えてくる。
すると、習うよりはるかに多くの上達が生まれてくる。
そしたらまたあらためて、学びの場に参加してみる。
全然ちがう風景がそこにあるはずだ。

なんのために共感的コミュニケーションを身につけるのか。
そこがはっきりしていて、とにかくそれをトライしてみる人は、上達が早い。

家族との関係を改善したいのか、職場の人間関係をよくしたいのか、夫婦のつながりを取りもどしたいのか。
社会に貢献したいのか、対立を解消したいのか、いきいきとした自分の人生を生きたいのか。

私の場合も目的がある。
おそれなくいきいきと、自分らしくのびやかに表現すること。
自分の人生を大切に生きること。
同時に他人の時間もおなじくらい大切にすること。

共感的コミュニケーションは強力なスキルだが、それだけでは足りない部分も(私には)ある。
それをおぎなうために共感サロンという場をひらいている。

共感サロンでは共感的コミュニケーションの学びにくわえて、自分自身のことを知ること、とくに身体とあたまが分離してしまっている現代人である我々の、生きものとしての「統合」をはかること。
いまこの瞬間の生命現象にいつもつながっていて、いきいきとほがらかに、そして力強くふるまうこと。

これらを、声を出したり、なにかを書いたり、対話したりすることをきっかけに、各人が探求していく。
これが共感サロンのめざしているところだ。
瞬間瞬間移りかわり、変化している状況と自分自身の身体をどれだけ注目し、知り、そこから生まれてこようとしているすばらしいものを妨げないようにできるか。

学びの場であり、実践の場でもある。
そういうことを深めていきたいと思っている。

7月開催:水城ゆう共感サロン(7.1)
オンラインまたはくにたち会場への直接参加、どちらでもどうぞ。著者によるアットホームな共感的コミュニケーション(NVC)の勉強会です。7月の開催は7月1(土)18時/3(月)11時、いずれも約2時間。

2017年6月22日木曜日

7月25日:国立・韓氏意拳養生功講習会

国立での駒井雅和中級教練による韓氏意拳・養生功の韓氏意拳学会公認講習会、2017年7月のお知らせです。

◎日時 2017年7月25日(火) 19:30〜21:00(ショートクラス)
◎参加費 2,500円(講習会費、会場費、講師交通費を含む)
◎場所 国立駅から徒歩5分の会場
◎持物 動きやすい服装・筆記用具・メモ

参加予約はこちら「韓氏意拳学会公式フォーム」から。
もしくは水城ゆうウェブサイトのコンタクトフォームから。

もうすぐ15周年の語人(ストーリーテラー)サヤ佳

私が活動拠点をくにたち春野亭に移してから初めてとなるレッスンに、語人(ストーリーテラー)の小林サヤ佳ちゃんがお母さんの希依子さんと豊田市からやってきた。
ふたりが最初に私のところにやってきたのは、じつに15年前のことだった。
サヤ佳ちゃんはそのとき、中学3年生で14歳だった。
知的障害を乗りこえて二人三脚で語りの活動をはじめたばかりだった。

母の希依子さんは、サヤ佳ちゃんが語りで自立して生きていってほしいと、いろいろな人のもとを訪れてサヤ佳ちゃんにレッスンを受けさせていたのだった。
私はそのとき、世田谷の豪徳寺に活動拠点があったのだが、わざわざそこまで「ご指導をお願いします」とやってきたのだった。

以来、気がついたら15年、サヤ佳ちゃんの成長を見守り、サポートをつづけさせてもらったことは、私にとっても大きな喜びだ。
その間、私の「指導」は一貫して「よけいなことはしない、成長の邪魔をしない、ただただまっすぐにのびのびと語ってもらう」という方針だった。

本来、人というのはそういうもので、障害があろうがなかろうが、成長するためには「邪魔されないこと」「のびのびと練習できること」「ジャッジされないこと」が必要で、それが保証されたとき、本来その人が備えている能力の可能性を最大限に伸ばすことができる。
それは大人であってもおなじだ。

音楽や文学、朗読などの世界で指導をもとめられることが多かったし、いまでもそうだが、もし私が「指導」するとしたら、「なにもしない」「邪魔しない」ことに尽きる。
私ができるのは、その人がのびやかに、安心して楽しく表現できる環境をととのえることだ。

とはいえ、私も表現する人間なので、私とともになにかをいっしょに作る・共演する、という立場になった場合、当然相手にお願いしたいことも出てくる。
サヤ佳ちゃんを私の共演者としてあつかったとき、彼女にもっとこうなってもらいたい、ここでこうやってほしい、こんなふうな表現がほしい、ということが出てくる。
それはもちろん、彼女になにかを「足してほしい」といっているわけではなくて、本来彼女が持っているものをより発揮してもらいたいだけなのだが、そうするためにはそうするための訓練がやはり必要になる。

この15年間、お母さんの庇護のもと、ひたすらまっすぐ伸びつづけてきたサヤ佳ちゃんだけど、ここから先はそろそろ表現者としてさらに魅力を増す別次元のレベルへと進んでいってもらいたいし、それができる人だと私は確信している。
これまでもすばらしい語り手だったが、これからはさらに朗読や身体表現も加わって、本当に楽しみな表現者へとさらに大きく成長していくだろうと、私は思っている。

2017年6月21日水曜日

「感謝する」とはどういうことか

よく「生きていることに感謝しなさい」「感謝しながらいただきなさい」「感謝が大事」などといわれる。
なぜか命令形でいわれることが多くて、私などは反射的に反発反応が生まれてしまうのだが、ちょっと待て、じぶん。
感謝するとはどういうことなのか、あらためてかんがえてみたい。

共感的なアプローチでかんがえてみる。
これはマーシャル・ローゼンバーグのことばだが、
「人は二種類のことしかいっていない。「ありがとう」と「お願い」だ」
というのがある。

解説すれば、「ありがとう」をいうのは「ニーズが満たされたとき」で、「お願い」をいうのは「ニーズが満たされていないとき」だ。
ニーズには「満たされている」か「満たされていない」かふたつの状態があって、そのどちらの状態にあるかによって人の言動が変わってくる。

だれかが怒っていたり、悲しんでいたり、苦しがっていたり、寂しがっているとき、その人のニーズは満たされていない状態にあって、その人の言動は「お願い」ととらえることができる。
聞いてもらいたかったり、なんらかの助けを必要としているのかもしれない。

その逆の場合は「ありがとう」ととらえることができる。
これがマーシャルのいっていたことだ。

すると「感謝」つまり「ありがとう」を表現するのは、ニーズが満たされたときの言動ということになる。

私は「感謝する」のはだれかに強制されたり、なんらかの手順のなかで決められたとおり行なうのではなく、自然に自分のなかから湧きでてくる表現だろうと思っている。
私のなんらかのニーズが満たされたとき、ありがとうが自然に出てくるのだ。

人になにかをしてもらって、そのことで自分のなんらかのニーズが満たされたとき、自分のニーズが満たされたことを相手に伝えるのが「感謝する」という言動だろう。
相手とより共感的につながりを深めたければ、自分のなんのニーズが満たされたのか、具体的に相手に伝えればいいだろう。

「あなたが手伝ってくれてたすかりました。サポートや尊重、つながりのニーズが満たされ、私はうれしいのです。ありがとう」

よりつながりの質を高めるのに役立つ伝えかただ。
これを自分自身にむけてやるとき、それは「お祝い」となる。

水城ゼミ・共感サロンメンバー向けの共感的コミュニケーションの勉強会です。6月の開催は23(金)19時/24(土)16時、いずれも約2時間。