2020年8月6日木曜日

今朝の状況について

明け方、かなり危険な状態になりました。

今はなんとか落ち着きましたが、意識がもはや保てない状態です。
傍から動けません。

お見舞いのご予定をいただいている方は、お迎えできませんので勝手にお上がりいただき、顔を見るだけでお帰り願います、失礼をあらかじめお詫びいたします。
これからのおつもりだった方は、しばらくご連絡できませんのでお待ち下さいますよう。

友人たちが家のことなどやってくれながら隣室に控えていてくれています。

風が気持ちいいね、と話しかけると、時々首を動かしたり、目を見開いたりします。

ひろしまに思いを馳せながら。

2020年8月5日水曜日

essay 20200803 白鳥の歌



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これが最後なのか、こんどが最後になるのか、とひとつひとつの行為に思いながらの日々。

この3日間ほどは昼夜を分かたずトイレに頻繁に立つ。
支えると倒れやすくなるようなので、椅子や壁を支えに自力で動いてもらう。
ケアのありようが問われる。
浮腫んでパンパンに膨らんだ両脚をあげるのも自分で、とおねがいする。
ひょいとあげられるときもあれば、手でもちあげないとあげられないときもある。
せめてもの浮腫対策にと、たっぷり時間をかけて両脚のマッサージ(圧)。足の指の下に私の足の指を入れてリズミカルに持ち上げては落としてやると「気持ちいい」といって喜ぶ。こんなのが気持ちいいんだ……という発見。
他人にはそのくらいしかできないし、しないでいいのだろう。

夕方、ふたたび黒い液体を大量に吐く。
「遺言書を書く」と言って書く。遺言書は書き間違えるとだめらしいからもういいよ、と何度か止めたが、「絶対書く」と机にしがみつくので、書き終えるまで見届ける。黒く塗り潰したあとがいくつも残る遺言書。使えないかもだが本人の思いとして。

ものを食べなくなって数日。それが昨夜、いただいたメロンを「食べる?」と聞くと「食べる」と言うので少し出したら、「もっと」と言うので驚き喜び、さらに数切れ出したら平らげた。どんなに美味しかっただろうか!

明け方、みたび黒い液体を大量に吐く。
トイレの場所を何度か見失う。
水分がどんどん失われていく。入れるより出すほうがだんぜん多い。
枯れはじめたということか。

夜が明ける。
「体の中、どうなってる?」と聞くので、「あなたにしかわからないかなあ。ピアノ弾く?」と聞くと「うん」と言う。
でも動かない。

2020年8月4日火曜日

essay 20200802b 美しいおと



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aに続いてすぐ弾き始めた曲。
とても美しくて、しかも後半は同じ音の繰り返しになるのに、ずっと聞いていたい、もっと鍵盤を押してほしいと思った。一音一音がしぼりだすようにだされているからだろうか。音が出ているあいだはたしかに生きているからだろうか。

essay 20200802a やってみる



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水城がパソコンを操作できないので、私が代わりにやることに。
電子ピアノからオーディオインターフェースを経由してMacbookにつなげ、Logic Proで収録する。
音を編集することは無理だが、とりあえず音をいじらずにwavファイルにバウンス、それをYoutubeにアップする。
そんな些細なことの方法もわからなくて、友人に泣きついて教えてもらう。
やれ音が出ない、やれカットがわからない、やれミックスができない……
収録作業はこれまですべて水城がやってきた。
オーディオブックを収録するために何度か収録作業の講座もやってもらったが、ついぞ私が覚えることはなかった。

やらないからできない。やってみればそのうちできるようになる。
そんなことを人に言ったり言われたりして、ようやく事ほど左様に単純だと納得するまで何年かかっただろう。
ただやればいいだけなのに。
やらない理由をさがすのは未来への恐れといいつつ、それは未来でもなんでもない、過去の痛みが“ストーリーお化け”になって後ろ髪を引っ張っているだけだ。
同時に「責任の回避」をやっている。悪の凡庸さ……

なんてことはさておき、8月2日のこの演奏、bと2曲つづけて弾いていて、その切れ目はほとんどなかったので全体で長い一曲だと思っていたのに、あとで2曲であること、曲の切れ目はここ、との明確な指摘があり、音への意識はかなりクリアだなとおどろいた。

3回、トイレの行き来の際に倒れた。うち2回は力が入らず崩れ落ちるように座り込んでしまった。
85歳の認知症の舅を介護していた頃の記憶がリアルに蘇る。こんなふうに痩せてごつごつして骨の重さがこたえた。180センチ超えの舅と比べれば、水城はまだ抱えられるけれど。そして浮腫。低反発枕はもう使わないだろう。

2020年8月3日月曜日

essay 20200728 神は跳ねる



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この演奏は、仲間たちとともにオーガナイズした2017年NVC国際集中合宿(IIT)の、初日=マーシャル・ローゼンバーグの誕生日に生まれたちせちゃん(2歳)の曲をといって即興で弾いたもので、あとで「神は跳ねる」というタイトルを水城がつけた。
2歳の活発な女の子が、猫をおいかけたり、散歩で見つけたセミのぬけがらを見せに来たり、唇をすぼめながら手作りジンジャーエールを飲んだりしているようすを思い浮かべてみてください。
2歳児は神、というよりきっと神は2歳児みたいなのではないか、無防備で正直でやりたいことしかやらないで、そこに「在る」。

この翌日、8月29日水曜日、待望のMacbook Pro 16インチが到着。「届いたよ!」とすぐに開けて渡したときの満面の笑み。
(記名支援者の方にお送りした報告メールには写真を掲載させていただいた)
しかし……同じ29日、麻薬の量が2割増量された。
痛みは緩和されたが、譫妄が甚だしくなった。体力もがくんと落ちた。麻薬のせいなのか、それとも他の要因があるのか。
水城は29、30日と新Macの設定に余念がなかったが、「うまくいかない」という。設定途中でうとうとしてしまったり、画面の文字が読めなかったりしたようだ。新しいオーディオインターフェースをつなげようとするが、何をどうすればいいのかわからない。急遽私が音楽家の友人にヘルプを出して画面をみせながら二時間かけてなんとか設定完了。さっそく試し録りを、とやってみるが、「わからない」といってギブアップ。
「新しいMacのことを考えるとめっちゃワクワクする」と待ちきれないほどだったのに、理解が追いつかなくなっていた。
痛みの緩和と創作のためのクリアな理解力と、どちらをとるのか。迷わず後者で、そう伝えていたはずだったのだが、医療の常識は前者だったようだ。ぎりぎり痛みとのバランスをとりながらクリアでいたい、というのは無茶なのぞみだったのか。
いま、文章は書けない。
それでも、なんとかピアノだけは、「わからない」と言いながらもピアノの前に座ってしばらく静かに話していると、「弾く」といって弾き始めた。昨日(8月2日)のことだ。今日もなんとか弾けた。
「『わからない』ならとにかくやってみればいいんだよ」とピアノの前に連れていった。からだがきっとおしえてくれると信じて。からだは応じてくれた。
いつまで応じてくれるだろうか。

2020年7月28日火曜日

essay 20200727 耳を澄まして

ふと思いついて、ピアノの即興演奏収録の後に、別の音をかぶせてみたくなった。
ピアノの生収録と、実験的にいろいろな音源を作って試してみるのとは、同じマシン(MacBook Pro)を使っている。
生演奏の上に別の音源を生演奏でかぶせるのはそれほど難しいことではない。
ただし、そこにあるのはもともとは生演奏なので、楽譜もないし、リズムのガイドのようなものもない。
収録されたものに耳を澄まし、あたかもそこに一緒に演奏している人間がいるように感じながら音を合わせていく。

その逆をやることもある。

昨日はまずまず上手くいった。
自分対自分のセッションだ。
うまくいけばとても楽しい。




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痛みに耐え続ける毎日がつづく。
ただただ生き延びるだけでせいいっぱい。
ピアノの前までたどりついても、何もできずただはぁはぁと息をして、ベッドに戻る。
それでもまだなんとか自力で動けるのが、なによりのお祝い。

昨日は訪問看護師さんに久々に洗髪してもらった。
風呂場に行けないので二階の洗面所で洗ってもらうため、お湯を用意し、水で薄めて温度調整しながら、蓋に穴をあけて簡易シャワーにしたペットボトルを使う。
体温調節がもとから苦手だったが、いまはわずかな温度差に敏感で、洗髪用のお湯も、たぶん40度を超えるくらいでもう「熱い」と声をあげ、38度ぐらいで「冷たい」と言う。
最近の東京は暑すぎることもないがそれでも蒸し暑さはあるのに、「寒い」といってフリースを着る。
汗もほとんどかかない。
そういえば、がんになってから体臭がとても薄くなった。
清浄になっていくのだろうか……


2020年7月26日日曜日

essay 20200726 増えるレスキュー

がんの慢性的な痛みをおさえるために、上腕上部に常時皮下注射を入れてある。
そこからは痛み止めの医療用麻薬(モルヒネ)が注入されているのだが、その作用がときどき追いつかなくなることがある。
どうしても痛みが強くなったとき、レスキューとよばれる、追加の麻薬を丸いカプセルのボタンを指で押して手動で注入する。
一時間ぶんぐらいを余分に先行して打つことになるわけだが、体も次第に慣れてきて、最初は一日数回だったのが、4〜5時間に一回、3〜4時間に一回、2時間に一回、と次第に間隔が狭まっていく。そうするとレスキューの意味がなくなるので、ベースの量を増やすことになる。
私が注入している量はどのくらいかよくわからないが、相当な分量を体に入れることになると、体を動かすのもしんどいし、頭の働きも鈍くなっていく。
頭がクリアで、体もあるていどキレが良く、という具合になるといいのだが、なかなかそうはいかない。
今日も痛みのために歯を食いしばって起きながら、ベッドの中でこれを書いている。
ピアノと、それにつけるエッセイは、なんとしても私の表現活動の先端として確保していきたい。




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「書いている」とは、今日の場合は口述筆記を指す。
しばらく音声入力が主だったが、ファイルが行方不明になったりするので、最近は口述筆記の頻度が上がってきた。
かな入力でバチバチ高速で打ちまくっていた水城が。

ピアノは昨日、五歩、いや、今や十歩の距離をたどりついて、数分間息をととのえて、ようやく弾けたもの。
先日、人が来たときに、「ふつう爪先で踏むペダルを、浮腫がひどくて踏めないので、かかとで踏む。
鍵盤に手を置いても左右に自由に動かせないので、置いたところで弾く」のだと言っていた。

そのままを発表するのではなく、いったんLogic Proでの編集を通す。
音を整えている部分も多少ある。だからおちついて聞こえているかもしれない。
生で弾いているようすは、もうすこし大変そうだ。

2020年7月25日土曜日

絵画「非暴力の世界」


今日も雨。
今年初採りのみずみずしいゴーヤを、畑からちぎって持ってきてくれた。
その炒めたものをいただいたが、サクサクと歯応えが良くて、まぁおいしいこと。

朝からわだかまっている腹部の痛みと付き合い続けている。
ひと呼吸ごとに痛みを観察する。
呼吸からの返事はない。



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体調が悪い日が続いている。
昨日は嘔吐の量と色にかなり驚き、医師と看護師、薬剤師が駆けつけ……という事態になってそれなりの覚悟をした。
今日は朝からお通じもあり、だいぶようすは良い。しかしレスキューの量が倍増しているせいか、ぼんやりして過ごしている時間が多い。
ゴーヤをくれた友人と周辺の飲食店の話題になり、水城と三月はあそこで焼肉食べた、四月もあそこで量少なめでもフルコース食べた、というのを思い出して、隔世の感があった。
退院後は一度も一階には下りていない。

絵画「眼鏡」


ホスピスで描いた葉書くらいのサイズの水彩画です。
古い老眼鏡で、蔓に熱でビニールコーティングしてありますが、所々ハゲかけてちぎれかかっています。
その古い感じがなんとなく味を出しているのです。

送り先は既に決まっています。



From editor


この絵もある方へハガキとして出したものだが、誤字が増えてきた。
もともと誤字脱字はある人だが、どんな誤字かで状態が推し量れる気がする。