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2018年6月20日水曜日

OS(オペレーティングシステム)としての共感的コミュニケーション

標題のことばは私のまわりでよく聞く文言で、私もそれにはとてもしっくりくる。

私たちは社会的動物なので、人と関わって生きていく必要がある。
また、人間という動物の特性で、自分のなかに「他者性」を持っている。
自分を取り巻く「他者」と自分のなかにある「他者性」、そのいずれともうまく付き合っていけないと、けっこうつらいことになる。

それら他者たちと付き合う方法やかんがえかたはさまざまあるが、これは自分の時間——人生をどのように生きていくかという、基本的なオペレーティングシステムといっていい。
コンピューター用語だが「OS」と略されることが多い。

私がいまこれを入力しているのはコンピューターはラップトップのMacBookだが、これには「MacOS High Sierra」というオペレーティングシステムが動いている。
Windowsマシンを使っている人なら「Windows10」などが動いていることだろう。
また、スマートフォンのiPhoneやiPadなら「iOS」が、アンドロイド端末なら「アンドロイドOS」が動いている。
これらを基本ソフトということもある。
各アプリケーションはこの基本OSの上で動いている。

インターネットを閲覧するためのブラウザソフト、文章を入力するためのテキストエディタやWORD、表計算ソフト、メールソフト、写真を整理したり動画を編集したりするソフト、そういった便利なアプリケーションはすべて基本OSの機能を利用して動いている。

私たちがだれかと会話したり、仕事したり、表現したりするとき、そしてそれらの行為をアプリケーションを実行しているとかんがえたとき、基本OSはなにが動いているだろうか。

私はこの10年くらい、さまざまなことをするときに基本OSとして自分のなかに共感的コミュニケーション(NVC)を走らせておくことが多い。
もちろん、基本OSにはさまざまな種類があって、そのつど、自主的に選択することができる。

共感的コミュニケーションはNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)ともいうけれど、逆に暴力コミュニケーションをOSとして走らせておくこともできる。
あるいは哲学的なかんがえかた——実存主義だったり、構造主義だったり——を自分のOSとして走らせている人もいるだろう。
心理学的なかんがえかた——アドラー心理学だったりカール・ロジャースだったり——を基本OSにしている人もいるだろう。

さまざまなスピリチュアルなものや、宗教的なものをよりどころ——つまりそれが基本OS——にしている人もいる。

選択肢はさまざまだ。
さまざまだが、私自身は表現活動をおこなったり、自分を知ったり、だれかとつながるときに、基本OSとして共感的コミュニケーションを採用すると、いろいろなことがうまくいくことが多いと感じていて、採用頻度が多くなっている。


基本OS上で動くアプリケーションにあてはまるのは、私たちの日々の行為だ。
だれかと会話したり、仕事したり、表現したり、通勤したり旅をしたり、買い物に行ったり、といった個々の行為。
これらの行為をおこなう(アプリケーションを動かすにあたって)、そのときどんなOSが基本ソフトとして走っているかによって、アプリケーションの挙動や結果が変わる。

たとえばだれかと会話するとき、基本OSに暴力的コミュニケーションを採用しているのと、共感的コミュニケーションを採用しているのとでは、まるでちがったことが起こる。
子どもと接するとき、教育的保護者OSを採用しているのと共感的コミュニケーションを採用しているのとでは、まったくちがったことが起こる。

なにかをおこなうにあたって、どんな基本OSを採用するかということがどれほど重要であるか、よくわかる。

問題がひとつある。
コンピューターとちがって、私たちはヒトという生命体だということだ。
つまり、ハードウェアが生身であり、それはつねに変化しつづけているということだ。

コンピューターのハードウェアは機械であり、そうそう変化しない。
しかし、人間のハードウェアである身体は一瞬一瞬変化しつづけ、流動的だ。
身体はその状況や時間、環境によってさまざまに変化する。
基本OSもその変化に応じられる柔軟なものでなければならないし、また基本OSが変化に柔軟に対応できるようなインターフェースをみがいておく必要もある。

コンピューターにもこの部分がある。
I/O(Input/Output)と呼ばれる部分だ。
いくらOSが優秀でも、アプリケーションの機能がすばらしくても、またハードウェア性能がハイスペックでも、I/Oが適切に働いていなければコンピューターは性能を発揮できない。
人間も共感的コミュニケーションをすばらしく学んでいて知識や経験が豊富であったしても、自分自身の刻一刻の変化を適切に観察し応じることができなければ、うまく働かないだろう。

共感的コミュニケーションを学ぶにあたっては、その方法やめざすところを知ると同時に、自分自身のこともしっかりと観察する練習が必要だ。
その方法には、マインドフルネス瞑想や呼吸法、ヨガなどボディワーク、武術を利用する方法など、さまざまあるが、もっとも簡便でだれもが気軽にそして効果的に用いる方法として私が提供しているのは、音読療法というものだ。


6月30日:ボイスセラピー講座@国立
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。6月30日(土)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

2018年6月18日月曜日

YouTube:朗読とピアノ「水仙」窪田涼子と水城雄

猿川西瓜氏の短編「水仙」を、大阪在住のナレーター・窪田涼子が朗読し、水城がピアノの即興演奏で共演しました。
2018年3月に収録した映像ですが、編集がのびのびになっていたものをあらためて公開します。

 朗読 :窪田涼子
 ピアノ:水城 雄

映像はこちら

鈴鹿で勉強会ふたつをサポートした

2018年6月13日、水曜日。
福井から鈴鹿市に移動して、午後と夜の2コマ、勉強会のサポートをしてきた。

世話人の恵理子さんとは、最初はオンラインでの共感カフェで知り合い、その後、昨年のガイアエデュケーションの一般公開講座の講師で鈴鹿を訪れたときに、初めてリアルにお会いできた。
そのときに、公開講座とは別に、彼女が世話人となって共感カフェを主催してくれて、鈴鹿の人たちを中心にみなさんとつながることができた。

今年もガイアエデュケーションの一般公開講座があるのだが、それは来月だ。
その前に、読み聞かせのボランティアをやっている人たちを中心に音読講座をやってもらえないか、という話をいただき、よろこんで応じることになったのだ。
午後はその音読講座。
ついでに(といってはナンだが)夜は会場を移して、共感的コミュニケーションの勉強会を少人数でお願いしたい、ということになり、こちらも喜んでサポートさせてもらった。

いずれにしても、恵理子さんが全部セッティングしてくれて、まことにありがたかった。
あらためて、ありがとう、恵理子さん。

午後は箕田公民館という、田んぼの真ん中にある新しい施設の和室で、音読講座。
参加者は8人で、内おひとりが男性。
本の内容やストーリーに引っ張られてついおろそかになってしまいがちな自分自身の身体に気づきつづけながら読むということはどういうことなのか、全身が呼吸や発声、ことばを発することに参加し、いきいきとした身体性で音読するとき、どんなことが起こるのか。

さまざまなワークを実際にやってみながら、自分自身につながり、全身で表現することの検証をやってみた。
好奇心いっぱいのみなさんが、いきいきとワークをやっているのを見るのは、こちらも楽しいことだった。

夜はショッピングタウンのなかにある喫茶店の一室に場所を移して、共感カフェを開催。
もともと少人数でじっくりやってみたいという恵理子さんの要望があったので、途中から参加した人も含めて6人というメンバーで、個別の気がかりを取りあげたり、実際の問題をお互いにじっくりと聞き合ったり、という丁寧でゆったりした時間を持つことができた。

そのあと私はさらに、東京国立まで車で移動する、というハードスケジュールだったのだが、鈴鹿のみなさんと交流できたおかげで身体もこころも元気で、無事に帰りつくことができた。

来月も鈴鹿にお邪魔することになっている。
7月15日(日)午後は鈴鹿カルチャーステーションでガイアエデュケーションの一般公開講座があるのだが、その前日の14日の午後には、子ども共感教室や保護者も対象にした共感的コミュニケーションの勉強会もやることになっている。
みなさん、またお会いしましょう。


7月8日:朗読と共感のコラボWS@名古屋天白アロマファン
朗読と共感的コミュニケーションを両方体験し、実践を深めることができるワークショップを、午前と午後にそれぞれ、名古屋市天白区の古民家スペース〈アロマファン〉で開催します。

2018年6月17日日曜日

しつけと称する虐待

「しつけ」ということばや行為がいやでいやでしかたがない。
私のニーズはもちろん、子どもたちが守られ、安全にはぐくまれること、それによって私の安心があるということ。

幼い子どもが犠牲になった不幸な事件があるたび、「しつけ」ということばが親から出てくる。

事件でなくても、子どもが公衆の場で騒いだり、行儀がわるかったりすると、
「親のしつけがなってない」
「どういうしつけをしてるんだ」
と親が責められる風潮がある。

学校からも、
「家庭でのしつけをしっかりお願いします」
なんてことをいわれたりする(余計なお世話だ、学校の都合を押しつけないで)。

「しつけ」ということばや考え方を根本から見直してほしいと思う。
しつけというのは犬や動物に使うことであって、人間(たとえ子どもであっても)に使うものではない。

犬や猫などのペットは、たしかに、人間社会のなかで都合よくふるまうことを学ばせることによって、皆にかわいがられ、結果的に彼らも安心できたり、生存のニーズを満たせたりする。
人間の子どももそうだろうか。
社会的に都合よくふるまうことで、安心できたり生存のニーズを満たせるようになるのだろうか。

たしかにそういう側面はあるかもしれない。
しかし、自分の子どもにそうなってほしいと思う親はいるだろうか。

すくなくとも私は、自分の息子に、社会に都合よくふるまえるような人間になるのではなく、自分でかんがえ、自分の選択で行動し、自立し、また自発的に他者をたすけたり社会の役に立てるような人間になってくれることを望む。
自分自身もそうでありたいと思う。
社会の都合で「しつけ」られたりするのはまっぴらごめんだ(体制には逆らうよ)。

子どもに自発的で自立的な行動を身につけてもらいたかったら、「しつけ」ではなく「共感」によって、自分につながりみずからかんがえて行動する力を育てることが、大人のできるサポートなのだろうと思う。


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2018年6月16日土曜日

YouTube:朗読「貯金しても使わない人」勝木雪子

中国の作家、林志明氏の短編集『天使在人間』(鄧晶音・訳/河出書房)から短編を朗読するシリーズ、第3弾です。
「貯金しても使わない人」を、現代朗読のゼミ生・勝木雪子が朗読しました。

ハンセン病を扱った小説集である本書は、サブタイトルに「中国ハンセン病回復者の綴る17の短編小説」とあります。
ハンセン病について、そしてこの本についてすこしでも多くの人に知ってもらいたい、という思いがこめられた朗読です。

 朗読 :勝木雪子
 ピアノ:水城 雄

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命令形という暴力

とくに親しかったり、年齢が下だったりすると、つい使ってしまう命令形。
「早くしなさい」
「約束守れよ」

相手に選択権をあたえない文型だ。
「早くしなさい」は、「早くしないとひどい目にあわせるよ」といっているにひとしい。
いわれた相手には「早くする」以外の選択肢はない。
それに従わなければ、罰が待っている。

ナイフを突きつけられて、「いうとおりにしないと刺すよ」といわれているのと、基本的におなじ文型である。
まちがいなく暴力である。
ことばの暴力も物理的な暴力も区別はないのだ。
おなじことなのだ。

私たちはつい、子どもにそんな暴力をふるってしまう。
自分より下だと思っているからだろうか。
子どもは自分の所有物だから好きにしていいと思っているからだろうか。
まさか、という人がいるかもしれないが、実際には無意識でそんなふうに感じているかもしれない。

子どもでなくても、だれかに命令形を使ってしまうとき、それはすべて暴力といっていいだろう。
暴力の定義は、物理的にせよことばにせよ、相手に選択肢をあたえないことだ。

「あなたが早くしてくれるとお父さんはうれしいな」
と自分の気持ちやニーズを伝え、「お願い」することはできる。
そのとき、相手にも選択肢はある。
そのお願いをきいてもいいし、きかなくてもいい。
いずれにしても、自分のニーズがある。

お願いをきいてあげたいかもしれないし、お願いされてもきくことができない別のニーズがあるかもしれない。
子どもであろうがなかろうが、すべての人がニーズを尊重され、選択肢をゆるされるのが、共感的な世界だ。

ただし、いくつか例外はあって、命令形を使ってしまうこちら側になんらかの痛みがあるとき、緊急避難のとき、ある程度の暴力が親密さの確認になるとき、などだ。
これについては項をあらためて書くことにする。


心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会です。6月の開催は16(土)14時/18(月)11時、それぞれ約3時間です。

2018年6月15日金曜日

イベント情報リークいくつか

あたらしいイベントの企画がいくつか進行中で、ちょっとリークする。

ひとつは「共感男塾」の番外編で、「ノンバイオレント・クッキング(NVC)」という企画。
音読トレーナー(仮)の山縣理人くん(みっちー)はベジタリアン(ビーガン)をめざしていて、日々ビーガン・クッキングの研究に余念がない。
家畜を含む動物を食さない方向で、非暴力に生きていきたいらしい。

私も料理は好きなので、彼といっしょに、非暴力クッキングを楽しみながら、共感的コミュニケーションも学べるイベントをやろうという話になった。
そして、それはまず、男性に呼びかけてみたいな、と。

先日おこなった共感男塾が好評で、次回の開催も決まったのだが、その番外編としてノンバイオレント・クッキングをやってみようかということになった。
まずは男性に呼びかけて参加者を募集。
ただし、初めての試みなので、国立春野亭での開催として、定員は6名限定。
もし一定期日までに定員に達しなければ、女性にも参加を呼びかけてもいいかな、という段取り。

7月22日正午クッキングスタートで、13時くらいから食事をしながら共感的コミュニケーションについて学びあいの時間をもうける、というイベント企画だ。
興味ある人、いますか?

ふたつめは、山梨県北杜市で音読カフェを開催するという企画。
7月の出張ワークは、8日に名古屋天白〈アロマファン〉での朗読と共感のコラボワーク、14日の鈴鹿での子ども共感教室と共感カフェ、15日のガイアエデュケーション一般公開講座の講師などあるが、それに加えて12日に北杜市の個人宅で音読カフェをおこなうことが決まりそうだ。

ほかにも7月29日には半田市の新美南吉記念館で、語人サヤ佳ちゃんとなにかやることが決まっている。

そしてこれはリークというより正式に決まったばかりなので告知するが、7月6日夜には渋谷の総合文化センター大和田で、オーストラリア在住のダンサーでNVCつながりの矢澤美穂さんと朗読の野々宮卯妙との3人で、動きと声と音楽の瞑想ワークショップ「Music Movement Meditation Workshop」を開催する。

いずれも興味を持っていただけたら幸いだ。

2018年6月12日火曜日

成長の季節、学びのとき

梅雨にはいって、植物がわさわさと成長している。
庭や田畑では雑草とのたたかいがはじまっているだろうが、友人からいただいた豆苗の切り株はずんずん伸びるし、友人が残していった玄関先の花は今年もまたもうすぐ咲きそうだ。
最近ときどき見かけるめずらしい種類の白い紫陽花も、満開になっている。

明日は鈴鹿経由で東京にもどる。
土曜日・16日の午前中は現代朗読ゼミ、午後は共感音読カフェ。
日曜日・17日は、変則的だが午前11時から身体文章塾。
月曜日・18日は午前11時から共感音読カフェ。

身体文章塾に定期的に参加したいという人が加わってくれた。
自動的にゼミ生となる(参加費は身体文章塾の月額費だけだが)。
ゼミ生は共感音読カフェも現代朗読ゼミも参加費免除なので、ずんずん学んでほしいし、私もいっしょに成長したいのだ。

この歳になっても、やればやるほど自分に足りないところが見えてくる。
そしてもっともっとやれるようになって、やりたいことをやりたいと思う。
参加してくれる人がいて、互いに刺激しあって、ともに学び成長できるということ、こんなにうれしいことはない。
いまの自分の境遇に感謝する。

これがいつまでつづくかはわからない。
命もかぎりあることだし。

共感!男塾、開催しました(好評につき次回決定)

2018年6月8日の夜、世田谷の代田区民センターで「共感男塾——共感的コミュニケーションで世界を味方につける」を開催した。
参加資格は男性もしくは「自分は男だと思っていてそこに問題を感じている人」。

共感的コミュニケーション(NVC)の勉強会は、参加したことがある方ならわかると思うが、女性の参加者が多い。
私の勉強会でも女性のみ、という回がしばしばあるくらいだ。
しかし、うれしいことに、ここ数年は男性の参加者もすこしずつ増え、ときには半分くらい男性ということもあるようになってきた。

そんな場で、しかし、なんとなく居心地が悪いような顔つきの男性がいることがある。
女性のいる場で発言に気をつかったり、自分の存在そのもの(ごつい身体や声、男性的しぐさなど)に肩身の狭い思いをしている男性がいるのだ。
実際、場に男性がいることに嫌悪感をあらわにする人もいたり、あとでそのことに共感を必要とする方が出てきたりすることもある。

そこで、異性を気にせず、男性性で肩身の狭い思いをすることなく、安心して発言し学びあえる場を作ってみようと思いたち、「共感男塾」を開催することにしたのだ。

もちろん、共感の世界では性差は関係ないとされる。
性差どころか、LGBTといわれるさまざまなマイノリティの人たちの多様性をも大切にしつつ、そういったものを越えてお互いに共感しあい、違いを尊重し、共存できる世界が、共感的コミュニケーションのめざすところだ。
男女差ばかりではなく、年齢差、人種差、職業的立場や社会的地位、障害のあるなし、こういったものをすべて越えて、人と人としてのつながりを大切にするのが、共感的コミュニケーションのめざす世界なのだ。

とはいえ、現実の場面ではいろいろ気になったり、引っかかったり、うまくいかなかったり、痛みがあったりする。
そういうことを遠慮なく話したり検証してみようというのが「共感男塾」のねらいである。

参加してくれた方々の感想には、
「安心して気遣いなく話ができた」
「さっそくすぐに実践的に使えるたくさんの気づきがあった」
など、こちらの貢献のニーズが満たされるものもあって、うれしかった。
またやってほしい、という声もあったので、いっしょに世話人をやってくれたくまさんこと大間哲さんと相談して、さっそく次回の日程と会場を押さえた。
今回参加できなかった人も、タイミングがあえば参加してみてほしい。

リピート参加も歓迎。
すこしずつ違うアプローチで自己共感や学びを深めていっていただけたらと願っている。

7月20日:共感男塾@世田谷
男性(もしくは男性と自認している人)限定の共感的コミュニケーションの勉強会を、7月20日(金)19時半から千歳烏山駅徒歩2分の会場で開催します。案内人は水城ゆうと、くまさんこと大間哲のふたり。男性ならではの共感の悩みに挑みます。

2018年6月11日月曜日

音楽:ケティル・ビョルンスタ「The Sea」「The River」

ちょっと時間があるときなど、Apple Music でランダムに音楽を聴くことがある。
知っているアーティストや曲を狙って聴くのではなく、知らない曲をあらたにリリースされた作品を中心にランダムに流してくれる「ニュー・ミュージック・ミックス」というサービスがあって、リストは私の視聴履歴に左右されるらしいのだが、いずれにしても私が聴きそうだとアルゴリズムが判断した新曲を連続で流してくれる。

だいたいは聴き流しているのだが、時々「おっ」と思うような曲にたどりつくことがある。
今日は Anneli Drecker という人が歌っている「Mayflowe, New York」という曲に出くわした。
歌もいいのだが、伴奏のピアノが私の身体にはいってきた。
だれだろう。

クレジットにはケティル・ビョルンスタとある。
知らない人だ。
うかつなことに、ケティル・ビョルンスタを知らなかったのだ、私は。

調べてみると、ECMからたくさん作品をリリースしている。
そして彼はピアニストというだけでなく、たくさん小説を出版している作家でもあるのだった。
そのこともあって、がぜん興味がわいてきた。
残念ながら、日本語に翻訳されている小説はない。
1952年生まれというから、私より5歳上だ。

すこし古いアルバムだが(1995年)、彼の代表作といわれる「The Sea」を聴いてみることにした。
つづけて「The River」も聴いてみた。

どうやらビョルンスタは「水」をテーマにした表現を多くおこなっているらしい。
なんとなく親近感を覚える。
どちらのアルバムも、どこか映画音楽のような、情景やストーリーが浮かぶようなものだ。
「The Sea」のほうはディストーションのかかったギターサウンドなどもからみ、ちょっとハードな、前衛的な面もあるけれど、「The River」とともに通じるのは、けっして奇をてらったり、テクニックをろうしたりはしていない、ということだ。
むしろ実直で、口数の少ないサウンドといっていい。

聴いていて、これはジャズなのだろうか、と思う。
ビョルンスタは北欧ジャズのコンポーザーでありピアニストとして分類されているようだが、一般的な意味ではジャズではないよな。
それは一聴すればだれでもそう思うだろう。
クラシックのような曲想であり、現代音楽のようでもあり、映画音楽のようでもある。
が、即興性もある。

「これは」というアーティストに出会ったとき、その人がたくさん作品を残しているとなんだかほっとするのだが、ビョルンスタも幸いにたくさんのアルバムがある。
これからじっくり聴きこんでみよう。
その前に、 Anneli Drecker が歌っている「Mayflowe, New York」のはいっているアルバム「A Suite of Poems」をまず聴きこんでみることにしよう。

神宮前、新代田から福井へ、そして鈴鹿へ

先週金曜日の夕方、神宮前のラルテで髪を切ってもらって(担当は新人の森川くん)、夜は新代田に移動して共感男塾を開催して(楽しかったな)、いまは福井の実家に帰省中。
こちらも梅雨入りしたようで、気温はそう高くないが、湿気がすごい。
動くとすぐに汗ダラダラになる。

明後日・13日は午前中から鈴鹿に移動。
13時から鈴鹿市の箕田公民館というところで音読講座。
読み聞かせのボランティアをやっているお母さんたちを中心に、朗読や音読についていっしょにやってみたり、研究したりしてみる予定。

夜はおなじ場所で共感カフェを開催。
どちらも、どなたでも自由に参加できるとのことで、興味がある方は私に直接声をかけていただきたい。
世話人をやってくれている恵理子さんにつなぎます。
ただし、夜の共感カフェは参加枠があと2名だそうだ。
昼はもうすこし余裕があるらしい。