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2018年2月24日土曜日

映画:エクソシストの映画&テレビドラマシリーズ

ウイリアム・フリードキンの映画「エクソシスト」は高校生のときにリアルタイムで観た。
高校生なのに、それに特別ホラー映画好きでもないのに(むしろ苦手だったと思う)、なんでわざわざ映画館まで行って観たんだろう。

たぶん、映画館ではなくテレビ放映でフリードキンの監督作品「フレンチ・コネクション」を観て、しびれたんだろうと思う。
ちょうどそのころ、中学生から夢中になっていたSF小説から、すこしずつスリラーやサスペンス小説をたくさん読むようになっていた時期だった。

余談だが、「フレンチ・コネクション」ではジーン・ハックマンとロイ・シャイダーがかっこよかった。
「エクソシスト」では少女役のリンダ・ブレアが印象的だった。

「エクソシスト」は衝撃的な映画だったが、映画本編に加えて音楽が強烈に印象が残った。
マイク・オールドフィールドというイギリス人ロックミュージションの、多重録音を駆使した「チューブラー・ベルズ」という曲が使われていた。
さっそくそのアルバムを購入し、すり減るほど聴きこんだ。
変拍子の複雑な、しかしミニマルな曲で、コピーしようとしても難しかった。

先日、アマゾンのプライムビデオを見ていたら、「エクソシスト」のテレビシリーズが2016年に作られ、シーズン2まであることを知った。
さっそく最初のエピソードを見てみたら、映画の「エクソシスト」を原案としてはいるが、あらたなストーリーとなって、しかし雰囲気はかなり踏襲した感じで作られている。
いま喜んで順番に観ているところだ。

エピソード1の最後のところに、おなじみの「チューブラー・ベルズ」の冒頭のフレーズがすこし出てきて、一瞬で50年近いタイムスリップの感覚を味わった。
そうか、音楽というのは、タイムトラベルのための装置でもあったんだな。


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YouTube:ピアノ演奏「雪」@福井県立病院

2018年2月14日。
数か月おきにおこなっている福井県立病院のエントランスホールでの「冬のコンサート」の模様から、iPhoneで撮影した記録映像ですが、抜粋してお送りします。

この「雪」は明治44年に発表された文部省小学校唱歌で、作詞・作曲ともに不明。
元のメロディからインスパイアされた水城による即興演奏です。

映像はこちら

2018年2月23日金曜日

上手・下手ではない表現の世界

先日、歌のレッスンをしていて、ふと思った。
どんな人でも歌のレッスンを受けるとき、そこにはどんな目的があるのだろうか、と。

私は歌はうたわないが(もっぱらピアノ伴奏)、ボーカルの指導をすることがある。
指導というよりコーチングで、本人も気づいていない歌い手の本来的な能力を引きだしたり、無意識にやってしまっている癖に気づいてもらったりする。
そんなとき、歌い手はたいてい、「よりよい歌い手になりたい」と思っている。

このよりよい歌い手の「内容」が問題なのだ。

ほとんどの場合、「よりよい」は「上手な」とか「瑕疵《かし》のない」を意味する。
たとえば、
「音程をはずさないようにうたいたい」
「もっと響きのある発声をしたい」
「いろんなジャンルの歌を自在にうたいたい」
といったことだ。
いずれもそこには「テクニック」が存在し、それを身につけたいと思っている。
自分が不足しているある種のテクニックを身につけることで、歌をより上手にうたえるようになりたい、と思っている。

そっちではない方向性や目的があってもいいのではないか。
そっちではない、というのはどっちなのか。

私は多くの歌い手が、
「人を楽しませたい」
「喝采されたい」
「ほめられたい」
あるいは、
「けなされたくない」
「批判されたくない」
というマインドを手放せていないと感じている。
それゆえに、うまくなりたい、テクニックを身につけたい、という、なにか自分に「付け加える」ことばかりに執着してしまうのだ。

これは歌い手だけでなく、あらゆる表現をする多くの者にもあてはまることだ。

多くの表現において、もう私たちはなにかを「付け加える」必要はない、と私は感じている。
なにかを付け加えるのではなく、逆になにかをやめたり削ぎ落とすことによって、よりシンプルで力強いオリジナリティのある自分の表現世界があらわれてくるのではないか。

これについて私には実績がある。
現代朗読だ。

野々宮卯妙という朗読者がいて、好みはあるにせよ、その表現力にはだれもが納得するだろう(第一回ポエトリースラム・ジャパンでだれも彼女を知らないアウェイのなか、ファイナリストになったことを見てもわかる)。
まったくのど素人だった彼女をコーチするにあたって、私がおこなったのはなにかを付け加えることではなく、本来の彼女が持っている力を邪魔している余分なものを削ぎ落とし、オリジナリティを研磨することだった。
おなじことが、音楽のボーカルにも適用できる。

うまい歌い手をめざすのではなく、オリジナルな歌い手をめざす。
そのためにはなんとしても、さまざまな怖れを手放し、無防備にのびのびと自分を表現できる無邪気な世界に自分を置いておける、一種の強さが必要だ。
むずかしいことかもしれないが、そのためのツールとして共感的コミュニケーションがある。

上手い・下手という基準ではなく、どれだけのびやかさがあるかという基準で稽古を積んでいったとき、そこにはどんな表現があらわれるだろう。
それを想像するとき、私はわくわくする。
もちろんそれを聴く人々のなかには、上手い・下手という基準があってそれを適用されてしまうかもしれないが、彼らには共感すればいいし、そうではないものも必ず伝わるだろう。


3月9日:沈黙[朗読×音楽]瞑想コンサート@渋谷
東京ではひさしぶりとなる水城ゆう&野々宮卯妙の沈黙[朗読×音楽]瞑想コンサートが、いよいよ2018年3月、渋谷区総合文化センター大和田の大スタジオでおこなわれます。3月9日(金)19時開演。要予約。

2018年2月22日木曜日

疲れない車の運転法

「ちょっとなにいってるかわかんない」
というサンドイッチマンのギャグがあるけれど、以下の文章のなかにはそういう部分があるかもしれない。
「よくわかんないけど、なにをいってるのか知りたい」
という方は、私がおこなっているワークや勉強会のどれかに参加してみてください。
直接ご説明いたします。

昔から車(にかぎらないけど)の運転は好きで、苦ではなかった。
昨年、母が施設に入所したので(その後他界)、実家の乗用車が使われなくなり、せっかくなのでと私が使うことにした。
北陸の実家と東京との往復に、それまでは電車と飛行機を乗りついでいたのだが、ドアツードアで車で移動することにした。

片道500キロくらいある。
高速道路を使って5時間、休憩をはさんでゆっくり行けば6時間、渋滞があったり回り道をすると8時間くらいかかることもある。

疲れないかと訊かれることが多いのだが、これがあまり疲れないのだ。
もちろん疲れない運転にはコツがある。
長年かかって獲得してきた疲れない運転法を、ちょっとだけ紹介したい。

ベースになっているのはアレクサンダーテクニークという身体操法と、韓氏意拳という武術。
それらを自分なりに工夫して、いまの疲れない運転法になっている。

(1)頭が自由になっていること

頭(頭蓋骨)が頚椎の上で微妙なバランスを保ち、身体に押しつけられず自由になっていると、身体全体の働きが楽になる。

(2)身体全体、とくに下半身が活きていること

シートに座っている姿勢ではあるが、固定されてかたまっているのではなく、どこか部分的に力んでいるところもなく、全体が行き渡っていること。

(3)肘が下を向いていること

ハンドルを持った腕の肘の先端が、下を向いている感じがあるかどうか。
それがあると下半身が見えやすく、活きやすくなる。

(4)すこしでも疲れを感じたら、無理せず休憩や仮眠を取ること

こういったことを心がけることで、8時間にわたるような長時間の運転でも楽に乗りきることができるばかりか、運転後にも疲れを残すことはほとんどない。

YouTube:ピアノ演奏「春が来た」@福井県立病院

2018年2月14日。
数か月おきにおこなっている福井県立病院のエントランスホールでの「冬のコンサート」の模様から、iPhoneで撮影した記録映像ですが、抜粋してお送りします。

この「春が来た」は明治43年に発表された唱歌で、作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一という黄金コンビによる曲です。
このふたりによる曲では、ほかに、「ふるさと」「もみじ」など、多数の有名曲があります。
元のメロディからインスパイアされた水城による即興演奏です。

映像はこちら

2018年2月21日水曜日

音読カフェの場が広がっている

共感カフェではなくて、「音読」カフェの話。

音読カフェとは、音読療法(ボイスセラピー)の手法をもちいて心身の健康向上や予防法を体験し、持ちかえってもらうための集まりだ。
カフェと称しているように、飲食しながらの気楽な場となっている。
ときには音読療法の三本の柱のひとつである共感的コミュニケーションを心がけながら、日頃の悩みや人間関係の問題についてお互いに聞きあうこともある。

音読療法はさまざまな場面、場所で個人的に、あるいはグループセッションとして用いることができる。
自分自身の心身の調整や健康法、活力アップに役立つほか、音読ケアワークとして老若男女を問わず多くの人の健康に貢献できる。
高齢者介護施設や介護予防教室での活用は、音読療法の得意とするところで、そのファシリテートをする人材として音読トレーナーを養成している。

音読トレーナーはそのようないわば「公共」的な場での音読ケアをリードするばかりでなく、ごく個人的にセラピーの場を開くことができて、そのひとつが音読カフェだ。
とても気楽に開くことができて、たとえば自宅のリビングなどを使って少人数でやることなどもおすすめする。

というのは、私がそんなことをここ何年かつづけてきているからだ(じつは私は音読トレーナーではなくて、音読療法士でもなくて、たんなるオーガナイザーなのだが)。

私は実家が北陸の山間部のちいさな街のなかにあるのだが、自分が育った家のリビングに近所のみなさんに声をかけて、月に一度くらいのペースで音読カフェを開催している。
先日も豪雪のさなかにもかかわらず、おこなってきた。
常連のみなさんが5人、参加してくれた。

この実家音読カフェは、もう1年以上、毎月つづいている。
顔ぶれもだいたい決まっていて、そのことが一種のコミュニティ感を作っている。
安心してなんでも、どんなことでも話ができるつながりがある(音読セラピーを核として)。
たまに新規参加者もくわわって、そのときにはあらためて音読療法の効果やねらい、やりかたを一から説明するので、常連のみなさんもリフレッシュされたように感じるらしい。

このバランスがなかなかいい感じだと、私は思っている。
このような場が全国あちこちに生まれればいい、と思う。
だれもが簡単にできる心身の調整法、健康法、予防法を身につけ、介護不要の老後をめざし、そしてコミュニティにつながっている安心感のなかでいきいきと自分を表現できること。
これが音読療法の、そして音読カフェのめざしているところだ。

気になる方は、まずは音読療法の全貌を知り体験できるボイスセラピー講座に参加してみてほしい。

3月4日:ボイスセラピー講座@国立
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。3月4日(日)10時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

2018年2月20日火曜日

YouTube:ピアノ演奏「仰げば尊し」@福井県立病院

2018年2月14日。
数か月おきにおこなっている福井県立病院のエントランスホールでの「冬のコンサート」の模様から、iPhoneで撮影した記録映像ですが、抜粋してお送りします。

この「仰げば尊し」は明治17年に文部省から発表された小学校唱歌で、作詞・作曲者不明とされていましたが、1871年にアメリカで出版された歌集のなかに「Song for the Close of School」というタイトルで収録されていることが、近年確認されています。
元のメロディからインスパイアされた水城による即興演奏です。

映像はこちら

2018年2月19日月曜日

この心身の安定調子はいずこから?

先日、ちょっとびっくりしたことがある。
私の頭髪は父親ゆずりの白髪体質で、40歳すぎくらいから早ばやと白くなりはじめた。
どんどん進んで、とくに前のほうはかなり白くなったし、髭にも白髪が増えていった。

すでに他界している父は、たしか50代後半にはほとんど真っ白になっていて、定年退職をするころ――つまりいまの私の年齢――には司馬遼太郎みたいな完全な白髪になっていた。
私も白髪が進むペースをかんがえて、たぶん父のように真っ白になるだろうと思っていたのだが、どうやらいまのところそうはならないようなのだ。

いつごろか、白髪進行のペースが遅くなって、よく見ればいまだに半白髪くらいなのだ。
そして先日、びっくりしたのは、頭のてっぺんのあたりには黒い髪が増えているではないか。

白髪の進行が止まって、黒髪が生えてきている。
これはなにを意味するのか。

ちょくちょく自慢することだが、たしか2011年に音読療法協会をオーガナイズして以来、一度も風邪やインフルやその他病気で寝こんでいない。
それ以前の私を知っている人はびっくりするだろう。
というのも、その前はかならず、年に二、三度は律儀に風邪をひいて寝こんでいたからだ。
インフルエンザともとても律儀に付き合っていた。

それがまったくなくなった。

先日もちょっと喉が痛くなり、風邪の兆候をキャッチしたのだが、無理せずに静かにすごし、早めに寝て、翌日にはすっかり回復していた。

調子がいいのは身体ばかりではない。
これは共感的コミュニケーションを身につけたことによるところが大きいと思うし、さらに武術(韓氏意拳)による深いマインドフルネスの稽古を毎日やっていることも効いている。

つまり、私がいろいろやっていることは、全部心身の調子を保ち、予防し、向上させることにつながることばかりなのだ。
以前は音楽にせよ、小説執筆にせよ、調子が悪くなる方向にばかり励んでいたのだが、いまではそれが真逆になっている。

とても簡単でシンプルな方法なので、ひとり占めせずに、たくさんの人におすそわけしたいものだ。
みなさん、私のどのイベントでもいいので、興味がわいたらいらしてくださいね。


2月25日:共感文章講座(自己共感を用いた文章表現)
2月25日(日)午前11時から約6時間、共感文章講座を開催します。水城ゆう( mizuki-u.com )が長年つちかってきた文章術、指導法に加えて、共感的コミュニケーションにもとづいた共感のプロセスも取りいれたユニークな方法を練習します。オンライン参加も可。

2018年2月18日日曜日

YouTube:ピアノ演奏「どこかで春が」@福井県立病院

2018年2月14日。
数か月おきにおこなっている福井県立病院のエントランスホールでの「冬のコンサート」の模様から、iPhoneで撮影した記録映像ですが、抜粋してお送りします。

大正12年に発表された百田宗治作詞、草川信作曲の唱歌「どこかで春は」の即興アレンジ演奏です。
よく聞かれるんですが、楽譜はありません。
元のメロディのみからインスパイアされた即興演奏です。

映像はこちら