ページ

2019年4月25日木曜日

ピアノ七十二候:穀雨/霜止出苗(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
穀雨の次候(17候)「霜止出苗(しもやみてなえいずる)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年4月22日月曜日

YouTube:NVC「相手に怒りを覚えたとき」

名古屋天白〈アロマファン〉で毎月おこなっている朗読と共感のワークショップで、参加者の質問にこたえたものです。
相手に怒りを感じてしまったとき、それを共感的な態度に変換しなければならないと思いがちですが、まずは自分の怒りの感情にきちんと充分に付き合うこと。
そうすればその感情が生まれた原因であるニーズがクリアになり、ニーズを満たすためには怒りから任せた暴力的な手段ではなく、非暴力の手段がいくらでもあることに気づくことができます。

映像はこちら
よろしければチャンネル登録をお願いします。

水城ゆうが発信している情報はTwitterで集約しています。
よかったらTwitterのアカウントをフォローしてください。
アカウントはこちら

2019年4月20日土曜日

ピアノ七十二候:穀雨/葭始生(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
穀雨の初候(16候)「葭始生(あしはじめてしょうず)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年4月16日火曜日

テキスト入力作業におけるキーボード問題

私はものを書くことが仕事のかなりの部分を占めている。
ピアノを弾いたり、個人セッションをおこなったり、ワークショップや勉強会をファシリテートしている以外のときは、ほとんどがコンピューターに向かっているといってもいい。
コンピューターでは音声や動画編集、ネット作業などもするが、メインは文字入力——つまり文章執筆といっていい。

毎日、大量の文章をタイプする。
はっきりいって、好きでやっている。
中毒といってもいいくらいだ。
ものを書けない日があったりすると、いちじるしくストレスがたまる。
うんこしたいのにトイレをがまんしているような感じになる(たとえが尾籠で申し訳ない)。
いや、文章がうんこだといっているわけではないよ(結果的にそのように評価《ジャッジ》されることはあるにせよ)。

タイピングは速い。
なにしろピアニストだからね。
もちろんブラインドタッチだが、かな入力モードで打っている。
それなのに、変態的といわれるが、キーボードはUS配列でカナは印字されていない(だれも私のコンピューターを使うことはできない)。

かつてのデスクトップやMacBookはごついキーボードを装備していて、そのタッチやストロークにこだわる人も多かった。
私も打ち心地には気を使っていたが、MacBookProがメインマシンになり、それが年々薄く軽く高性能になっていくにつれ、そちらに合わせるようになってしまった(昔のMacBookProのキーはごつくてしっかりしていた)。
つまり、キーの打ち心地より、マシン性能と持ち運びやすさ、そしてかっこよさを優先するようになってしまったのだ。

最近、自分のタイピングが以前のようにストレスレスではないことに気がついた。
ミスタイプが多いし、スピードも遅くなっている。
時々いらいらする。

これはいかんということで、キーボードを外付けにしてみてはどうかということを検討しはじめた。

アップルにはiMacで使うための純正のブルートゥースキーボードがある。
マジックキーボードという。
iMacを所有してそれでオーディオブックの収録をおこなっていたときは使っていた。
その使い勝手はよくわかっている。
やはりストロークが浅くて使いにくいのだ(薄くてかっこいいけど)。
最近のMacBookProのキーボードとあまり変わらない。

純正ではないメーカーの外付けBluetoothキーボードを家電量販店で触ってみた。
たとえばエレコムとかロジクールといったメーカーのものがある。

ストロークが深くてしっかりしているものは大きくて重い。
とても持ち運べるものではない。
小さくて軽く持ち運びやすいものは、ストロークが浅かったりキーピッチが狭かったりして打ちにくい。
どれも帯に短したすきに長し、なのだ。
そして安いものはそれなりに安っぽい、ペタペタ、ふにゃふにゃと頼りない感じがする。
これ、というものにはついに出会えていない。

キー入力にはストレスがあるが、音声入力はかなり使えるようになってきている。
こちらは慣れれば本当にさくさくとすばやくものを書くことができる。
ただし、人がいる場所では使えない。
部屋でひとり、声を出せる場所なら、これはなかなかいいのだが。

ただし、小説のような身体性をもって集中するような執筆作業において、これまでつちかってきたカナキー入力という手段からおいそれと音声入力に移行できるものなのかどうか、が問題。
原稿用紙に手書き、から、ワープロのキー入力への移行だって大騒ぎだったのだから。

5万人に読まれている共感的コミュニケーションの本

先日、ふと思いたって、私が「自力出版」している電子書籍の統計データを見てみた。
このところの新刊はほとんどアマゾンKindleから配信していて、コンスタントに読んでくれている人がいるようなので、正確な数字を知りたくなったのだ。

とくに『共感的コミュニケーション』は2017版、2018版、2019版と、毎年つづけてリリースしてきたので、どのくらいの人が読んでくれているのか、知りたくなった。

もちろんKindle本は売れた数に応じて毎月アマゾンから振込がある。
それとは別に、サブスクリプション制といってもいい「unlimitted」という読み放題の制度もある。
これは月定額を支払った人、またはプライム会員向けに、対象になっている本なら無料で好きなだけ読める、というシステムだ。
私の本もこのシステムで読めるようにしてある。

Unlimittedの売り上げの計算方法は複雑で、ブラックボックスに近いのだが、ようするに定額会員やプライム会員から集まった総額をページビューに応じて各書籍ごとに分配率を算定し、著者にペイバックするというシステムだ。

こちらの数字が増えつづけていて、ダウンロード販売よりずっと多くの人が読んでくれている。
私の『共感本』の場合、3冊あわせて3万5千近い読者がいることがわかった。
Unlimitted制度がはじまる前の分と合わせれば、たぶん5万近くの人に読んでもらっているだろうと思う。

これはうれしいことだ。
活字本で3万部を売るのはかなり大変だ。
しかも著者印税は1割に満たない。
本を書くという労力に比して著者への報いはとてもすくない。

もうKindleでいいじゃないか、という気に充分になる数字だ。
どうしても紙の本がいいという人は、オンデマンドで印刷製本して送ってくれるサービスもアマゾンが提供しているので、それを使うこともできる。

なんだか明るい気持ちになってきた。
私・水城ゆうがこれまでリリースした電子書籍のリストはこちらにまとめてあるので、一度ご覧ください。

2019年4月15日月曜日

国立春野亭での現代朗読ゼミはほぼ個人レッスン

今年にはいってから岐阜・各務原の〈花寧香くらぶ〉での勉強会は、朗読や身体ワークの割合が増えて、共感カフェから水城ゼミと名称が変わった。
名古屋・天白〈アロマファン〉も朗読表現を通しての学びに切り口を移行して、先日から現代朗読〈ウェルバ・アクトゥス〉ワークショップと名称変更した。

いずれもみなさんに喜んでいただき、回を重ねるごとに参加者の学びも深まり、私もうれしいかぎりだ。

一方、東京・国立〈春野亭〉でおこなっている現代朗読ゼミは参加者があまり増えず、現在はほぼ個人レッスンとしておこなっている。
これはこれできめこまかな学びの時間ではあるが、何人かいなければできないこともあって、ゼミ生のユウキさんはわざわざ名古屋の会に参加したくらいだ。

たまに体験参加の人が来ることがあるが、たいていは「朗読」のイメージとあまりにかけ離れた内容に驚いてしまうのか、リピート参加はとてもすくない。
一般的な朗読講座とはまったくちがうといえばそのとおりだが、このゼミでやっている方法がすぐれた表現者を生み出す王道だろうと私は確信しているのだ。

何人か来てくれればありがたいが、個人レッスンも悪くはない。
朗読といっても人それぞれニーズが違う。
それぞれのニーズに丁寧に対応するのに個人レッスンが適している。

朗読にからんだニーズとして、朗読会などのライブに出たいというほかに、オーディオブックを収録したい、音楽と共演したい、YouTube動画を作ってみたい、などがある。
ゼミはこれらに対応している。

とくに最近、YouTubeにさまざまな切口の番組や動画が登場してきていておもしろいので、朗読がらみでもなにかできないかと思っている。
また、長年得意とするところのオーディオブックを、また定期的に、一定量のボリュームをもって配信していきたいとも思っている。

ゼミと連動しているオーディオブック製作会社のアイ文庫は、そのコンテンツを当初から音訳本ではなく、朗読者の表現作品として作りつづけ、送りだしてきた。
いまだにその価値は高く評価されているが、過去に作ったものはiTunesやアマゾン・オーディブルの数多い音訳本に混じって埋もれがちになってしまっているのが残念だ。
今後は配信方法に工夫をこらしていきたいとかんがえている。

写真は前回のゼミ後、ゼミ生といっしょに行った近所のそば屋の辛みせいろ。
なかなかよいそば屋があるのです。
そんな感じで仲よくわいわいとやっています。
仲間募集中。

4月21日:臨時朗読ゼミ(水城ゼミ)
ゼミ生が個人レッスンを受けるタイミングで臨時の現代朗読ゼミを開催します。現代朗読については水城ゆうブログ「水の反映」の「現代朗読」ラベルをご参照ください。4月21(日)10時半から約2時間。

名古屋天白アロマファンでのウェルバ・アクトゥスWSがスタートした

2019年4月14日、午後。
名古屋市天白区にある水野生惠さんの民家スペース〈アロマファン〉で、現代朗読の群読グループ〈ウェルバ・アクトゥス〉のワークショップが開催された。

これまで月に一回のペースでおこなってきた共感的コミュニケーション(NVC)の勉強会「共感カフェ」の延長線上にあるものだが、NVCが朗読とどう関係があるの、と思われる方も多いのではないかと思う。

長年NVCの学びの場に関わってきて痛感するのは、
「身体感覚が大事、マインドフルネスが重要、いまここにある自分の身体が教えてくれる感情とニーズをとらえること」
とさまざまな講師やトレーナーがことあるごとに強調するのだが、それを聞いてもなかなか実践できる人はいないということだ。
「NVCはことばではなく身体感覚」
などともいうが、いわれてみても雲をつかむような話で、なかなか理解できないし、実際にどうやって練習し、身につければいいんだろうと途方に暮れる人が多い。

とはいえ、まったくアプローチの方法がないわけではない。
そのなかのひとつが、朗読というだれでもできる表現行為を通じて自己共感、身体感覚、マインドフルネスをすばやく把握できることを私は発見し、確信している。
実際にやってみるととても有効な方法であることがわかる。

なので、まず自分自身を観察し、とらえ、繊細な感受性をはぐくみ、安定した自己共感のなかで、自分と他者を受け入れつながるための非暴力の方法を身につけ、さらには自分自身の生命を表現する、という道すじが見えている。

天白アロマファンでは毎月ワークショップを重ね、最終的にはなんらかの発表の場を持ちたいと思っている。
また映画撮影もおこなわれていて、ワークショップの過程と最終発表がそのまま映画作品になる予定だ。
伊藤勇一郎くんが意欲的に取りくんでくれている。

とはいえ、最終発表が唯一の目的ではない。
毎回の稽古(エチュード)によって自分自身の理解やつながりをより深め、確固たる自己共感を深めてもらうことが大切だ。
毎回のエチュードは、最終的にコラージュされたものがステージ作品となる予定だ。

毎回出られる人も、毎回は出られない人も、あるいは出たくない人も、すべての人の事情やペースが尊重される。
シナリオはそのような工夫のもとに書かれる予定だ(私が書くんだけど)。

この方法は何年か前に名古屋でおこなったワークショップ公演にもとづいている。
2年つづけておこなった公演は、最初の年が名古屋芸術創造センターで『KENJI』を、つぎの年は愛知県芸術文化センターで『GINGA』だった。
今回はそこまで大きな公演にするつもりはない。
しかし、内容的には過去とはずっと進化/深化したものになるだろう(実際すでになっている)。

従来の朗読の稽古とはまったくことなった体験に興味がある方は、一度参加してみてほしい。
朗読どころか、演劇やダンスや音楽の稽古ともまるでちがっている。
最近多く開催されているNVCのどの講座ともちがう。

未知の自分、未知の体験、予測できないことにチャレンジしてみたい人は、どなたも歓迎する。

5月19日:現代朗読ワークショップ「VERBA ACTUS(ウェルバアクトゥス)」@名古屋
名古屋で現代朗読と非暴力コミュニケーション(NVC)をコラボレートしたワークショップを毎月開催し、最終的に小規模の公演(ミニライブ)をめざします。全日程に参加する必要はありません。


ピアノ七十二候:清明/虹始見(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
清明の末候(15候)「虹始見(にじはじめてあらわる)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年4月12日金曜日

私の読者と読者の私『ジョコンダ夫人の肖像』

NVC仲間の栗山のぞみから勧められて、E・L・カニグズバーグというアメリカの作家の『ジョコンダ夫人の肖像』を読みおえたところだ。
『クローディアの秘密』という本を書いた人で、その本のことは知っていたけれけど、読んだことはなかった。
女の子が読む本だと思っていたからだ。

でもそれは嘘だ。
というか、勝手に私がそう思いこんでいただけだけで、だれもその思いこみを正してくれなかったのがうらめしい。

しかし栗山のぞみがいた。
彼女はプロのライター(書き手)だけど、優秀な読み手でもある。
なにしろ私が書いたものも喜んで読んでくれる希少な読者だ。

最初に読んだ本のことで一致して盛り上がったのは、たしかアゴタ・クリストフの『悪童日記』だと思う。
もちろん世界的にも評価されている作品だし、まちがいなく傑作なんだけど、感じいる部分が似ていて、共通の価値観を感じたのだった。

その後もいくつかの作家や小説について共通の話題があったり、お互いにおもしろ本を勧めあったりしてきた。

先日なにげなく、これまで読んだなかで一番すばらしいと思ったのは……という話になった。
栗山のぞみの口から、「彼方なる歌に耳を澄ませよ」という本のタイトルが出てきた。
あれ、どこかで聞いたことあるぞ。
それって、私が世界中で一番好きな作家アリステア・マクラウドの唯一の長編のタイトルじゃない。
まさかどんぴしゃり、その本の名前が出てくるとはびっくりした。

アリステア・マクラウドはカナダの寡作な作家で、ほかには『冬の犬』と『灰色の輝ける贈り物』の2冊の短編集が出ているきりで、どちらも文句なしにすばらしいのだ。
そんな彼女から勧められた本を読まないわけにはいかないじゃないか。

そして彼女が家から持ってきてくれた『ジョコンダ夫人の肖像』と『ぼくと(ジョージ)』を読みはじめたというわけ。
……(なんでジョージに()がついているんだろう?)

『ジョコンダ夫人』はレオナルド・ダ・ヴィンチの話で、ダ・ヴィンチの弟子だったサライの視点で描かれている。
ふたりが愛したベアトリチェという女性が重要な役割で登場する。
タイトルはリザ・ジョコンダ、つまりモナリザのモデルになった女性のことだが、彼女は最後の1ページでようやく登場する。
そしてなぜジョコンダ夫人が最後に登場するのか、そのわけは最初から読んでいくとわかるようになっている。

断じて子ども向けの読み物なんかじゃない。
もちろん子どもが読んでもいいんだけど、もし私が子どものころに読んでいたとしたら、それなりにおもしろく読んだと思うけれど、いま読んだこの感じや理解とはほど遠かったことだろう。
そして、きっと何年かたってまた読みかえしてみると、さらに違った読み方ができるんだろうな、という確信がある。
それほど人間を深く描いているし、人間のおもしろさをさまざまな側面から描いている。
私はとてもこんな風には人間を描けない、脱帽。

つぎは『ぼくと(ジョージ)』を読んで、そのあとはいま届いたばかりの『ティーパーティーの謎』を読もうと思っている。

2019年4月11日木曜日

立川散歩

隣駅の立川に〈ととホンテン〉というラーメン屋があって、一度行ってみたいと思っていた。
天気がよかったので、歩いて行ってみることにした。
距離4、5キロといったところ。
約1時間。

歩くとき、韓氏意拳の駒井先生から教わって「グーパー」を意識してみた。
人は運動するとき、それが自然な運動であれば身体全体が連動して働き、ある程度のまとまりが生じている。
そのまとまとりの密度が高くなれば運動強度も高くなるし、密度が低くなれば強度もさがる。
歩くときなども、一歩一歩、まとまりの強度が強まったり弱まったり、比喩的に表現すれば「グー」と「パー」の状態をリズミカルに繰り返している。
走るときはもっとリズムがタイトになり、運動強度も高くなる。

このように自分自身の身体の働きを観察しながら、ただ歩くだけでも楽しい。
ずっと自分といっしょに、そして移動することで変化していくまわりをも感じながら、マインドフルな散歩の時間を味わう。

〈ととホンテン〉のラーメンはなかなかおいしく、しかしやたら気取ったところのない気楽な店で、また行ってみようと思った。

そのあと、立川駅前のビックカメラをぶらつき、駅ビルで買物して、電車で国立にもどってきた。
大学通りから移転したアイスクリーム屋の〈もうもう広場〉に寄って、ソフトクリームを食べて帰った。

身体文章塾はその役割を終えます

長年ご愛顧いただいてきた身体文章塾ですが、今月をもって終了することにしました。
今年にはいってからは参加無料の、どなたも参加できるオープン開催にしましたが、終了前トライアル期間として充分に時間もいただいたと判断しました。

身体文章塾の前身の次世代作家養成講座、さらにその前の現代朗読テキスト表現ゼミ、さらにさらにずっとさかのぼれば1980年代末からの小説工房と、多くの書き手の皆さんと関わってこれたことは私にとって貴重な経験でした。
多くのすぐれた書き手やすぐれた作品が世に出ていくのをたくさん目撃しました。

職業作家がそのような場に関わることによってうしなったものもたくさんありますが、得たものも限りなくあって、そのことをいまお祝いし、味わいたいと思います。

これからは最終ステージに向けて、リソースを自分の収穫のために割こうと決めました。
ご理解いただければ幸いです。
また作品のなかでお会いしましょう。