2019年12月4日水曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(16))

ライブイベントがふたつ終わり、私にとっては大きな区切りを感じている。

11月29日には渋谷総合文化センター大和田で「ラストステージ/事象の地平線」という公演をおこない、たくさんの人にお越しいただいた。
ダンスの矢澤実穂と朗読の野々宮卯妙の3人でおこなったステージで、私が食道ガンをわずらったことを知って実穂さんから、年内にぜひいっしょにやりたい、という提案をもらって企画された。

実穂さんはオーストラリア在住で、わざわざ帰国スケジュールを調整して来てくれた。
「ラストステージ」という名称も彼女がかんがえてくれた。
私も文字どおり、ライブステージとしては最後になるつもりで臨んだし、朗読テキストもこのために書きおろしたものだった。

ただ、名古屋でもおなじものを、という要望があり、実穂さんは参加できないが古くから朗読パフォーマンスを共にしてきた榊原忠美を迎えて、昼夜2回公演をやることになっている。
これがほんとのラスト。

11月30日には、その前から参加が決まっていたDV撲滅キャンペーンのための企画「パープルリボン・コンサート」に参加してきた。
参加が決まったのは夏前で、食道ガンがわかったときにこれに参加できるのかどうか不安だったが、主催側には「健康状況に応じて可能なかぎり」という条件をこころよく呑んでくれて、参加できた。
結果的には健康状態は良好で、元気に支障なくパフォーマンスをおこなうことができた。

大塚の音楽堂anoanoでの開催だったのだが、その前にボリュームたっぷりでしかも安価な天丼をしっかり楽しんだ。
ものを食べることにはなんの支障もなく、痛み止めを飲んでいるがそれは食道ではなく腰の痛みを抑えるためだ。
腰の痛みはおそらく、腰の大動脈脇のリンパ節に転移した腫瘍が増大しているためかと思われる。
全身への転移がどのように進んでいるのか、それはわからない。

■出版社から連絡が来た

話をちょっとはしょって、忘れてしまっていた投稿原稿がどうなったのか、そこまで時間を飛ばそう。

生徒数がけっこういる田舎町のピアノ教師としてやっていた私は、子どもだけでなく大人にも教えていた。
それに加えて、近所のちいさな本屋が子ども向けの塾をやっていて、そこの先生としても週に何日か頼まれていた。

そうこうするうちに、福井に民営のFMラジオ局が開局した。
それまではFM局というとNHK-FMしかなかったのだが、放送法の改正で全国の主要都市につぎつぎと民放FMが開局した時期で、FM福井もそんな局のひとつだった。
東京FMや愛知FMなどとおなじ系列の、JFNというラジオネットのひとつとして開局した。

私はピアノや塾の先生をしながら、福井でも演奏活動をたまにやるようになっていて、とくにフリージャズや前衛美術パフォーマンスの人たちとつながりが生まれていた。
あるとき、その活動のひとつとして商店街のイベント企画でドラマーと演奏することになり、そのイベントが開局したばかりのFM福井の情報番組で紹介されることになった。
私はのこのことラジオ局に出かけ、その情報番組に出演して、イベントの紹介やら、自分自身のことを話した。

どうやらそれをおもしろがってもらえたようだ。
たしか「週末情報パック」という番組で、ディレクターは杪谷直仁、アナウンサーは黒原真理、パーソナリティとして名古屋のタレント事務所から俳優の榊原忠美が派遣されてきていた。
この人たちとはいまだにつながりがあるばかりか、この人たちとの出会いからはじまったことがいま現在の私の活動の核となっているといってもいい。

その番組が終わったあとも、私はちょくちょくFM福井に呼ばれて、番組製作の手伝いをするようになった。
いわゆる構成作家だが、それほどおおげさな意識はなく、膨大な量の新譜CDを好きなだけ聴けるのが、私にはうれしかった。

それが1985年のことだったと思う。
その秋口、近所の本屋の塾で子どもたちを教えていたとき、家から電話がかかってきた。
なにやら東京の出版社から本のことについて連絡があるので至急かけなおしてほしい、という内容だった。
要領をえなかったが、そのころの田舎住まいでは東京の出版社から直接本を取り寄せることもあったので、私には心あたりはなかったが、まあそんなことの連絡なんだろうなと思って、塾が終わってから家に帰ってメモにあった番号に電話してみた。

担当者は文芸書籍編集部・今井とあった。
電話をつないでもらうと、こちらの名前を確認したあとで、こんなことをいわれた。
「原稿を拝見しました。大変おもしろいので、ぜひとも弊社から出版したいんですが、いかがでしょう?」

たぶん私はぽかんとしてしまったと思う。
なんのことをいっているのか、とっさに見当がつかなかったのだ。
しばらくやりとりをしてようやく、原稿というのは何年か前、京都を引きはらう前に徳間書店に送りつけた小説原稿のことだと思いあたった。

フレンチのディナーを楽しむ

国立にこじんまりしているけれど最高のフレンチレストラン〈ル・シエル〉があって、1年に1回くらい、贅沢しに行っていた。
食道ガンが見つかって、食事に支障が出始めたとき、これが最後かなと思いながら、前回7月にディナーを楽しんだ。

もう食べられないだろうなと思っていたのに、放射線治療が思ったよりうまくいって、転移リンパ節は残っていて増えているくらいだけれど、食道ガンの本体は縮小して食事にはほぼ支障がない状態になったので、あらためて予約を入れて昨日ディナーに行ってきた。

メインの魚は真鱈、肉は猪。
いずれもすばらしく、前菜もデザートも創意工夫に満ちていて刺激的だった。

私は普段の食事はまったく保守的な人間で、毎日おなじものを食べていてもけっこう平気だが、ル・シエルでの食事は「芸術鑑賞」に近いものがあって、そのような楽しみ方をする。
昨日もインスピレーションに満ちた食事で楽しかった。
ここまで芸術的だと、さすがに自分でまねして作ってみようとは思わない。

こんなふうにものを支障なく楽しんで食べられるのも、身体的状況がそれを許しているからであって、そのことに幸せをおぼえる。
それがいつまでつづくかはわからないけれど、毎日をしっかりと味わいながらすごしたい。
もちろん、ル・シエルのような食事を毎日したいということではなく、マインドフルな感受性があれば、ごくふつうの食事や日常生活のなかにも楽しみや発見はいくらでもあるということだ。

2019年12月3日火曜日

公開レッスン講座@名古屋の参加枠が埋まってきた

あと約10日と迫ってきたが、名古屋栄での朗読公開個人レッスン講座を12月13日(金)におこなう。
午前10時から午後4時まで、どの時間帯に参加してもらってもかまわなくて、自分のレッスンだけでなく、ほかの人がレッスンを受けるようすを見学することもできる。

ひとりひとりのレッスン枠は約30分。
最初からずーっといてもいいし、自分のレッスン枠のところだけ来て終わればさっさと帰るというのもあり。

午後の枠がほとんど埋まってきていて、残りは14時半からのひと枠のみ。
午前中の枠はまだ空きがあるので、参加を検討しているかたは早めにお申し込みいただきたい。
いずれにしても、あと数人で受付を終了します。

12月13日:朗読表現公開レッスン講座@名古屋栄
名古屋「ラストステージ/事象の地平線」公演の翌日に、同会場にて朗読の公開レッスンをおこないます。水城ゆうの朗読演出と即興ピアノとの共演を体験できます。朗読と音楽の共演に興味がある人を歓迎します。定員10名。

YouTube:朗読ゼミでのフリー朗読エチュード・ピアノ付き

現代朗読ゼミを毎月数回、国立春野亭にて開催しています。
基礎トレーニングのほかに、現代朗読の特徴のひとつでもある群読エチュードも参加人数に応じてやっています。

先日12月1日のゼミでも現代朗読の群読エチュードの基本中の基本といえる「お経朗読」からスタートして、「リレー朗読」のさまざまなバリエーションにチャレンジしました。
最後はほぼ自由に読んだり読まなかったり、合わせたり合わせなかったり、ピアノ演奏とのコミュニケーションも交えながらのエチュードを楽しみました。
そのようすの一部を、抜粋して紹介します。

現代朗読ゼミは朗読未経験のかたもふくめ、どなたも体験参加歓迎です。
くわしくはこちら

映像はこちら
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YouTube:パープルリボン・コンサートでのパフォーマンス抜粋

DV撲滅をめざす活動の一環である音楽コンサートに、水城ゆうと野々宮卯妙が参加しました。
2019年11月30日に大塚の音楽堂anoanoで開催されたこのイベントに、水城は健康上の理由(食道ガンのステージⅣ)で参加できるかどうか懸念がありましたが、無事に元気に参加できました。

水城のテキストと即興ピアノ、野々宮卯妙の朗読で、演目はその前日、渋谷総合文化センター大和田でおこなった公演「ラストステージ/事象の地平線」の抜粋でした。
そのもようをさらにほんの一部の抜粋ですが、ご紹介します。

映像はこちら
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2019年12月2日月曜日

新装開店ユザワヤで割引オパールを仕入れた

立川のユザワヤが移転して、新装開店したというので、行ってきた。
以前はビックカメラのビルの上にあったのだが、今度は高島屋の上にあたらしく移転した。

売り場面積はそう変わらないように見える。
開店記念に会員用の値引き葉書が届いたので、持っていった。
狙い目は毛糸。
とくにオパール毛糸。
靴下とか帽子とかマフラーに使えるかな。

オパール毛糸はけっこう高くて、ネットで買うとひと玉2,000円近くするのだが、ユザワヤだと1,600円から1,700円くらい。
それが会員価格で2割引き。
そこからさらに4割引きで、今回は買える。

たくさん買いたかったけど、置き場所にも困るし、そんなにたくさん編めないので、気にいった色合いを3玉と、ノルウェーのNOVITAの糸をひと玉、買ってきた。
NOVITAではいま帽子を編んでいて、いまのひと玉では足りないかもしれないと、補充。
オパール毛糸ではなにを編もうかな。

群読エチュードはたのし〜!

昨日の現代朗読ゼミは参加者が5人いたのと、要望があったのとで、基礎トレーニングのあとに群読エチュードをしっかりやってみた。

現代朗読の特徴はいくつかあるけれど、群読によるコンテンポラリー表現もそのひとつだ。
斬新な表現だけでなく、群読の練習をすることでさまざまなことに気づき、あらたな学びを得ることができる。
なにより、みんなでひとつのテキストを読み、身体を動かし、自分自身やそこで起こるコミュニケーションを観察したりするのは、楽しい。

昨日も現代朗読の群読エチュードの基本中の基本といえる「お経朗読」からスタートして、「リレー朗読」のさまざまなバリエーションにチャレンジした。
しだいに自由になっていき、感覚が開き、また同時に集中力が増し、マインドフルネスやフローの状態にはいり、最後は私のピアノ即興演奏とのコミュニケーションも楽しみながら、このままステージにあげてもいいよね、という新鮮な朗読表現へと進んでいった。
楽しかったな。

朗読などやったことがない、興味がない、というような人にも、一度参加してもらいたいものだ。
朗読という表現の可能性や、それがもたらす自分自身への気付きの効果など、おもしろい体験ができると思っている。

12月7日:臨時朗読ゼミ(水城ゼミ)
ゼミ生が個人レッスンを受けるタイミングで臨時の現代朗読ゼミを開催します。身体表現あるいは音楽としての朗読を楽しみましょう。12月7(土)18時から約2時間。

ピアノ七十二候:小雪/橘始黄(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
小雪の末候(60候)「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

約5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年12月1日日曜日

YouTube:輪針で毛糸の帽子を編む

オパール毛糸を使って輪針で靴下編みの練習を何本かしましたが、ちょっと飽きたのと、途中でまちがえていやけがさしてしまったのとで、気分を変えて帽子を編みはじめてみました。

ノルウェーのNOVITAという毛糸を使って、60センチの輪針2号でずんずん編んでいきます。
表編み4目と裏編み2目、計6目を1パターンとして、ぐるぐる輪で編んでいきます。
目が細かいので、だいぶ時間がかかりそうです。

映像はこちら

贈られる日々

一昨日の「ラストステージ/事象の地平線」公演では、たくさんのいただきものをした。
写真はその一部。
お花、カード、お菓子、お茶、かわいい切手、私の身体を気遣った薬草……
みなさんの心使いが本当にありがたくうれしかった。

いただいたのはモノだけでなく、終演後の感想やメッセージ、絵に描いて表現されたものなど、たくさんいただいた。
私(たち)が表現したことにたいして、こんなに多くのかたからいただいた反応は、私にとって贈り物そのものだ。

表現したらたくさん贈り返してもらった、これほど豊かな経験はないと感じている。
人生の終盤になって、いくらたくさんお金をもうけたり、資産を抱えこんだりしても、これほどの幸福はないだろう。

ライブ公演での交流だけでなく、このところ日常的にもさまざまな人からさまざまな贈り物をいただいている。
そうしてもらっている私もまた、自分の命があるかぎり贈りつづけられたらいいなと思うのだ。
「贈与経済」ということばがあるけれど、話は経済だけではないよね。

昨日もパープルリボン・コンサートのために大塚の音楽堂に行ったら、たぶんそのイベントに参加する時間はなくて、でも私に差し入れだけ持って中村設子が来てくれた。
きっと遠くまでそれを買いに行ってその足で駆けつけてくれた。
30年以上の付き合いがこうやって贈りあう関係としてつづいていることが、本当に豊かなことだと感じる。
ありがとう、設ちゃん。おいしくいただいたよ。

贈りあうといえば、共演の野々宮卯妙とも、矢澤実穂とも、もっとも多くの交換・交歓があった。
撮影の伊藤くん、ヨシキくん、会場で手伝ってくれたのぞみさん、生惠さんにもたくさん贈られた。
なんて豊かな時間を私はすごしているんだろう。

今日はこれから朗読ゼミ。
ゼミ生たちが学びに来てくれる。
夜はひよめき塾。
これもまた、塾生たちとの学びの時間が楽しみだ。

水色文庫新作「イベントホライズン」を登録しました

水色文庫の新作「イベントホライズン」を登録しました。

このテキストは2019年11月29日に渋谷総合文化センター大和田での公演「ラストステージ/事象の地平線」のために書きおろされた朗読のためのテキストです。

2019年11月30日土曜日

ラストステージ/事象の地平線@渋谷が無事に終了

書きたいことがたくさんありすぎてまったく整理ができていないんだけど、とりあえずは終了報告。
これで東京での私のライブステージの予定は終了。
あとは同タイトルだけどダンスではなく朗読者ふたりとやる名古屋公演(12月12日)を残すのみ。

そうそう、もうひとつ、12月15日に知立市で開催される知立演劇フェスティバルに出演する小林佐椰伽ちゃんのサポートで、ピアノ演奏をすることになっている。
これがライブステージの年内最後。

今回の渋谷公演については、名古屋から映画作家の伊藤くんとその友人のヨシキくんが撮影に来てくれたし、私も記録映像を撮った。
たくさんの方が来てくれて、口頭でも紙でも、オンラインのメッセージでも、感想をいっぱいいただいている。
紙の感想は終演後、みなさんが黙々と書いてくれたもので、文字もあれば絵もある。
これらはおいおい整理して、また紹介していきたい。

この公演のために書きおろしたテキスト作品もあるし、事前に、あるいは公演中に、そして公演後に、いろいろとかんがえたこともあって、それも書きのこしておきたいと思っている。

出演者である矢澤実穂さんと野々宮卯妙はもちろんのこと、この公演を手伝ってくれたみなさん、お客さんとして寒いなか足を運んでくれたみなさん、来れなかったけれど応援してくれたみなさん、すべてのかたに感謝している。
たくさんのことが満たされた幸せな身体感のなかで、いまこれを書いている。

2019年11月29日金曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(15))

放射線の照射治療が終わって1か月後の検査(造影剤CTおよび内視鏡)の結果を聞くためと、定期的な診察のために、消化器外科と診療放射線科のそれぞれの担当医と会ってきた。

まずは検査結果。
食道内に突出・露出していたガン組織は、放射線照射の効果が出て、ほとんど消滅している。
組織検査もおこなったが、悪性組織は見られなかった。
放射線で撲滅に成功したようだ。
これがよいニュース。

放射線が届きにくい胃の下部、小腸から骨盤に近い腎臓のあるあたりにかけての大動脈にそって、もともとあった小さなリンパ節への転移が、大きさ、数ともに増大している。
これは転移がさらに広がっている可能性をしめすもので、肺や肝臓など他の臓器への転移がいつ起こっても不思議ではない。

標準治療としては、まずは抗ガン剤治療がかんがえられるが、それとて根治は難しく、延命措置にはちがいない。
抗ガン剤がどうしてもいやな場合は、下部のリンパ節のみを狙った放射線照射治療をふたたびおこなうことも可能だが、前回同様の25回以上の連続治療が必要で、それなりの副作用もあるし、またほかの場所の転移が見つかればイタチごっこのような治療になることもありうる。

さてどうしますか、しばらくかんがえますか、ということで、2週間ほどの猶予をいただいてきた。
といっても、私の方針は決まっている。
いま現在の体調と活力を維持し、できればそれを増大できるような方法をとりながらの日常生活を送り、延命のためだけの治療はおこなわない。
そのときが来たときには、なるべく人に迷惑をかけず、だれかの手をわずらわせない方法で、静かに去る。
それまでにやれること、やりたいことは、まだまだたくさんあるし、限られているとはいえ時間がまったくないわけではないことがありがたい。

今夜はこのために帰国スケジュールを作ってくれたオーストラリア在住の矢澤実穂さんと、いつも私を支え助けてくれている野々宮卯妙との3人で、渋谷でライブ公演をおこなう。
これが実現にいたったというのはじつにありがたいことだ。
また思いがけず多くの方においでいただけるようで、心から感謝している。
いまの私のすべてを表現できればと、わくわくした気持ちでいっぱいだ。

■売れっ子ピアノ教師になる

福井の実家に戻った——文字どおり都落ち?——私は、しばらくぶらぶらしていたが、やがてなにか仕事をしなきゃ、と思った。
両親の家は私が小学一年のときに建てたもので、なかなかしっかりした一戸建てだった(いまでもしっかりしている)。
母屋の奥に日本家屋の離れを増築していて、かなり広い家だった。

隣家は角地になっていて、もともとはちいさな電気屋、のちに化粧品や手芸用品を扱う店になったのだが、私が帰省したころにはその店は街なかのショッピングセンター内に移転して、空き家になっていた。
両親は私が帰省したのをきっかけに、その角地の土地と家を購入した。

両親の家にくらべるとかなり安普請の、しかも店舗として増築したり、つぎはぎに手をいれたりしていて、はっきりいってボロ家だったが、まあ住めないことはなかった。
もともとその家にも一家四人が暮らし、店舗も経営していたのだ、安普請とはいえちゃんと住める家だった。

私はその家に住むことにして、1階部分を広く改装した。
そこに妹と私が使っていたアップライトのピアノを運びこみ、ピアノ教室をやることにした。

最初は近所の子ども数人しか生徒がいなかったが、子どもだけでなく、大人も教えますよ、クラシックではなくポピュラーやジャズピアノも教えますよ、といいふらしていたら、成人の生徒が増えてきた。

成人の生徒といえば、福井市内の楽器屋でも大人のためのピアノレッスンをやることになり、楽器屋が宣伝してくれたこともあって、生徒が一気に増えた。
ふつうのサラリーマンやOL、学生、高校生、主婦、あるいはリタイアした年配の人など、さまざまな人たちが、さまざまなジャンルの音楽を学びにやってきた。
これはなかなか楽しかった。

またちいさな街だったが私以外にも教室をやっているピアノ教師が何人かいて、全員女性だったが、教師たちのグループを作っていた。
グループを作っていると、合同の発表会をやったり、生徒の都合で教室を行き来させたり、なにかとつごうがよかったのだ。
私もそのグループにはいらないかと誘われた。
よろこんで参加させてもらったのだが、結婚、出産、育児など、さまざまな理由で教えられなくなった生徒を私の教室に回してもらったりして、こちらでもまた生徒が急に増えた。

車で1時間以上かかる山間部の村で、週に一回、ピアノレッスンに通っている先生がいたのだが、その仕事も女性にはきついということで、私が引き受けることになった。
ちいさな村だったが、その分父兄は教育熱心で、1日で20人くらい、つぎつぎと個人レッスンをこなす仕事だった。

そんなわけで、私のピアノの生徒はあっという間に30人とか40人というボリュームになり、急に忙しくなっていった。

2019年11月28日木曜日

親密な者からの命令やアドバイスの強要に対処する

とくにステージⅣのガンであることがわかったときから(またそれを開示したときから)、さまざまな人からさまざまな情報やアドバイスが寄せられた。
またそれは現在進行形でもある(いまもたくさん個人メッセージをいただく)。

ガンでなくても、普通に生活していれば、人は家族や友人からさまざまなアドバイスをもらったり、ときには命令されたり、なにかを強要されることはある。

私の場合、
「すぐに○○という医者に行け」
「○○という治療法を受けろ」
「これを食べろ、あれは食べるな」
など、いろいろな指示を個別に受けた。
オープンなメッセージやコメントでいってくる者もいるが、たいていはメールやダイレクトメッセージなど、個人的に直接いってくる場合がほとんどだ。

そんなとき、こちらの気持ちはとても揺れる。
不安をあおられるような気になることもある。
そのことで相手に怒りを覚えることもある。
「ほうっといてくれ」
というわけだ。

私は自分の自主性を大事にしている。
自分自身の選択を大事にしている。
自由や平和を望んでいる。
情報や手助けが必要なときは、こちらからそうお願いするよ。
それを土足で踏みにじられるような気がして、気持ちが激しく揺れ動くのだ。

命令という強い語形でなくても、こちらの気持ちをおもんぱかった、気遣いに満ちたやんわりとしたメッセージが送られてくることもある。
しかしそこには結局、
「こうしたほうがいいよ」
という、強要の感じがひそんでいることが多い。

しかしそういう人たちにもなんらかのニーズがある。
まずは私のことを心配してくれている。
なんとか役に立ちたいと思ってくれている。

関係が私と近ければ近いほど、親しければ親しいほど、私に向けられるメッセージは強いものになりがちだ。
たとえば家族、たとえば親友、たとえば同僚、たとえば同級生。
そこに上下関係がふくまれていたりすると、さらに強要感はつよくなりがちだ。
家族でも親や曾祖父など年上・目上の人。
職場だったら上司や雇用主、客先など。

こちらの役に立ちたいと思う気持ちが、さらに走って、たんなる自己表現や自分の意見の押しつけになってしまう人もいる。

そんなとき、こちらはどうすればいいだろう。

まずは自分と相手を切りはなすこと。
自分には自分の大切にしていることがあり、また相手にも相手の大切にしていることがある、ということを再確認し、自分自身にまず立ちもどる。
自分が大切にしていることをあらためて把握しなおす。
上に書いたような自主性、選択、自由、平和といったようなニーズ(価値観)だ。

相手もなにかを大切にしている。
なにを大切にしているのだろうか。
こちらに命令したり、強い調子でアドバイスしたり、気遣いたっぷりに有用だと思っている情報をお腹いっぱいになるくらいたくさんくれたりする、そのニーズはなんだろうか。
それを想像してみる。
相手にも相手のニーズがあるのだ。

ありがたいことではないか。
こんなにも心配してくれる人がいる。
こんなにも私の役に立ちたいと思っている人たちがいる。
それに感謝しつつ、自分は自分の揺るぎない立ち位置を確認し、落ち着く必要がある。

必要ならば助けを求めることもできるし、情報を受け取ることもできる。
しかしそれは、こちらが落ち着きを取りもどし、ゆとりをもって自分の選択ができるようになってからだ。
まずは、
「心配してくれてありがとう」
と伝えよう。
そして自分の揺るぎない選択肢を確認しよう。
選択に迷うときは信頼できる相手にそれを伝え、自分自身の選択にたどりつくための手助けをお願いすればいい。

結局のところ、私もあなたも自分の人生を生きているのだ。
いまこの瞬間という自分の時間を、自分で選びとって生きているのだ。