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2018年4月23日月曜日

日本みつばち分封群の捕獲に成功!

町田のあした農場で飼っている日本みつばちが分封した。

昨日、渡辺さんから分封がはじまっていると連絡をいただいた。
午後の遅い時間だったので夜越しするだろうと思っていたら、案の定今朝になっても蜂球が動かないという。
おもむろに車で駆けつけたら、上の椎の木(樫だったかな)のかなり上のほうの枝に蜂球を作っている。
かなり高い枝だったが、前の2度の分封群ほどは高くなかったので、捕獲を試みることにした。

長い竿というか鉄パイプの先に虫取り網をくくりつけて、脚立の上にあがる。
伸ばしてみると、網は蜂球に十分届く長さだ。
慎重に蜂球の下側からすくいあげるようにしたら、うまいぐあいにどっさりと網のなかに落ちてきた。
そのあと待ち受けにしていた巣箱に移すのにちょっと手間取ったが、渡辺さんにサポートしてもらって、なんとか群の半分くらいは捕獲できた。

女王蜂がはいっているかどうかが賭けだったが、どうやらはいっていたらしく、しばらくすると枝にいた群も巣箱のなかに移っていった。
あらためて夕方に行ってみると、あたらしい巣箱に落ち着いたようで、巣門に仲間を呼ぶ蜂がお尻を突きだしてフェロモンを撒いていた。

雨のかからないテントの下に移したが、このまま居着いてくれるとうれしい。
分封が起こったもとの巣箱を内検してみると、まだかなりの勢いがあって、あと1、2度は分封しそうだ。
渡辺さんの群はすでに2度分封しているが、勢いからいってもう1、2度分封しても不思議はない感じだ。

この先、分封が起こったとき、同様にかなり高い枝に集合する可能性が大きいが、今日の方法を使えぱ相当高いところでも捕獲を試みることができそうなので、チャレンジしてみたい。

いずれにしても、あした農場というすばらしい環境で、農薬の心配もなくすくすくと育っているみつばちたちを見るのは、この上ない幸せだ。
すべての大地がこのように安全で幸せなものになればいいのに、と思う。

【RadioGiraffe】Vol.4 佐渡教会牧師でNVCの伝道者でもある三村修氏に聞く

日本キリスト教団佐渡教会の牧師であるみむぅこと三村修さんに、NVCとの出会いや現在の活動、そして平和活動である佐渡ピースキャンプのことなどを、じっくりとうかがいました。
聞き手は水城ゆう。

映像はこちら

NVCジャパンネットワークの公式ウェブサイトはこちら

2018年4月21日土曜日

春バテ?

最近よく、「春バテ」ということばを聞く。
「夏バテ」というのはなじみがあるが、「春バテ」は今年になって初めて聞いた。
みなさんはよく聞くのだろうか。
すくなくとも私は耳慣れないことばだった。

春バテというのは、この季節特有の寒暖差や環境の変化などによるストレスの増大が原因で、体調をくずしたり、精神面が不安定になったり、やる気が出なくなったりする現象らしい。
個人的には花粉症や、黄砂などもまじった埃っぽい空気なども、それに追い打ちをかけるような気がする。

ようするに、自律神経の乱れが増大し、神経系の不安定、体調の不安定、免疫力の低下を招く状態だろうと推測できる。
自律神経の乱れによって、睡眠障害や摂食障害、消化器系の不調などが起こることも、当然予想できる。

昔の人は春先にアクや苦味の強い山菜を食べたが、ひょっとしてそれは一種の薬膳であり、デトックス効果があるのかもしれない。
われわれ現代人も、現代生活なりにこの季節はなんらかの対処法をこころがけたほうがいいだろう。

自律神経の乱れを整えるには、昔の人がよく知っていたように、呼吸法がまずは手っ取り早い効果が期待できる。
自律神経を整える呼吸法を含む音読療法には、表現療法や認知行動療法につながる効果的なスキルが組みこまれていて、おすすめしたい。
なにより私自身がこれに助けられているし、ガンなどのさまざまな病気の予防や介護予防として自分もおこなっている。

これを必要としている人や興味を持ってくれた人は、音読療法協会がおこなっている音読カフェやボイスセラピー講座を、まずは体験してみてほしい。

駒場の住宅街の一角の、隠れ家のようなステキ空間「アカシデカフェ」にて、月1回の音読カフェを開催します。声をだす楽しさ、よろこびを味わいつつ、コアマッスルを鍛え、免疫力をあげていくレッスンです。毎月第4木曜日の19〜21時。

YouTube:うふTube2 Vol.2「蛍の光」

Oeufs(うふ)による歌とトークによる番組「うふTube2」の第2弾です。
今回取り上げたのは、唱歌「蛍の光」です。
トークとともにお楽しみください。

 曲  :蛍の光
 作詞 :稲垣千頴
 原曲 :スコットランド民謡

 うた :伊藤はるか
 ピアノ:水城ゆう(アレンジも)

映像はこちら

こちらの番組は音声のみのラジオ番組としても聴けます。
PCやスマホ、タブレットから、直接こちらのURLで聴けるほか、「Himalaya」という専用アプリでも便利に聴けます。
こちらから。

専用アプリで聴く場合は、アプリ内で「うふ」と検索してみてください。
無料です。

2018年4月20日金曜日

作家はアマチュアの頂点

先日、NHKラジオを聴いていたら、いとうせいこうが自著の『「国境なき医師団」を見に行く』について話をしていた。
いわゆるルポルタージュだが、彼が強調していたのは、ジャーナリストの視点ではなく、あくまで作家の視点でこの本を書いたということだった。

彼が引き合いに出していたのは、開高健のベトナム戦争のルポルタージュだった。
私も愛読していた。
開高健のルポルタージュは、ベトナム戦争ものの他に、より多くの読者を魅了した『オーパ!』という釣り紀行があった。
これも私は大好きで、ほとんど読んでいて、いまだに時々読み返したりすることがあるほどだ。

いとうせいこうがいっているように、おなじものごとについてルポルタージュを書いたとしたら、ジャーナリストとライターと作家とでは、まるで違った視点が現れる。
ジャーナリストやライターは出来事の本質や問題点をあぶり出そうとし、それをあやまらずに人々に伝えようとするのに対し、作家の視点は時に問題の本質をそれ、現場の人間のキャラクターや小道具や自分の心情など、ディテールに向けられる。

開高健の『オーパ!』でも、たとえばモンゴルで満点の星空を仰ぎながら、初老に差しかかった冴えない作家としての自分自身を嘆くようなシーンが出てくる。
釣りとは全く関係がないといえばその通りなのだが、読者はそこのところに共感を覚えたりする(私はぐっときた)。
また極私的なその視点が、逆に問題の本質を違った角度からあぶり出すこともある。

ジャーナリストやライターになるにはそれなりの資質や技術や姿勢が必要となるが、作家はひょっとしてアマチュアの書き手の頂点のような位置づけといってもいいかもしれない。
自分自身のオリジナルな物の見方や感じ方をきわめ、それを正直に無防備に書き尽くすことで、逆に普遍性を持ったり多くの人々に共感を与えたりする。
逆に言えば、すべての人が作家になれるということかもしれない。

私が主催している身体文章塾などでも常々言っていることだが、すべての人が優れた表現者になる資質をもともと持っているし、すべての人が優れた作品を書けるポテンシャルを持っていると思う。
すべての人が作家になれるのだ。
これは断言していい。

テキストで自分自身を伝えるために、自身の身体性とむすびついたことばや文体についてのさまざまな試みをおこなっています。4月の開催は22(日)19時から約1時間半程度です。

2018年4月19日木曜日

睡眠時間6時間になってきた

Sleep Cycle という睡眠記録アプリを目覚まし時計代わりに使っている。
目覚まし時計としても便利なのだが、ほかにもいろいろ機能がある。
たとえば、睡眠の深さを波形表示で記録してくれる。

たぶん、振動を見ているんだろうと思うが、布団の下や近くに置いておくだけで、睡眠の深さを計測してくれる。
あまり動かないときは波形が深くなり、睡眠も深い、もぞもぞと寝返りを打ったり動きがあるときは波形が浅くなり、睡眠も浅いというわけだ。

これを見ているといろいろおもしろいことに気がつく。
一般にいわれているように、REM睡眠とノンREM睡眠のリズムは本当に90分くらいのサイクルで繰り返されているようだ。
眠りはじめのときが一番深く、サイクルを繰り返しながら徐々に浅くなっていく。
最後は完全に目が覚めてしまう。

完全に目がさめるのが、最近は眠りはじめから約6時間になってきている。
よく歳をとると睡眠時間が短くなるといわれるが、私の場合、どうやら本当らしい。
ただし、6時間睡眠だと昼間にかならず眠くなるので、ほんの10分だけタイマーをかけて昼寝する。
それであとは夜まですっきり。

夜の10時か11時くらいに就寝して、朝の4時か5時には起きて、プライムタイム。
ゆっくりお茶入れて、集中して仕事して、しっかり朝食とって、雑事もすませて、運動する。
午前中はこんな感じですごしたい。

ところで、夜型人間は朝型人間より10パーセントも短命らしいね。

2018年4月17日火曜日

iPadにすばやくPencilでメモする方法

iPadとApplePencilの組み合わせで、手書きメモやお絵かきなど楽しく使っているが、これは知らなかった。

iPadに手書きでメモを取ろうとするとき、これまでは、iPadのホームボタンを押して指紋認証と同時にホーム画面を表示させ、メモやノートアプリなどを起動して新規画面を追加し、そこにPencilで書きこむ、という手順だった。
あらためて書いてみるとわかるが、けっこうな手間で、手順が多い。

最近知った方法。
iPadの電源オン/オフスイッチを押し、待ち受け画面にする。
Pencilで画面を二度タップする。
これだけ。

自動的にメモが立ちあがり、すぐにメモが書ける新規ページにすでになっている。
そこに必要なことを書きつければ、メモに蓄積されるし、クラウドで同期もされる。
追加されたメモはあとで整理できるし、MacBookやiPhoneからも閲覧できる。
これからちょくちょく使うことになるだろう。

あたらしい企画やら依頼やらたくさん(嬉)

昨日は国立春野亭での韓氏意拳養生功講習会を、駒井先生をお迎えしておこなった。
月に一回の講習会だが、昨日は参加者が全員女性だった。
女性でも参加しやすい武術の稽古なのだが、稽古がすすんでいけばそれなりに厳しい世界へも進入することができる、奥行きのある体系だ。
私はもう五年やっているが、飽きるということがない。

それ以外に、今日はあたらしいコラボ企画や提案を思いついたり、そのことについて人と相談できた日だった。
数年前から共感カフェに参加してくれているひさこさんと、彼女が専門としているハンドマッサージとアロマテラピーを私の共感イベントとコラボできないかと思いたって、訊いてみたところ、可能性が広がって楽しくなってきている。

個人セッションの依頼があいかわらずつづいている。
基本的に国立においでいただいたり、オンラインで話を聞いたりすることが多いのだが、なかには自宅から離れることができない事情があるかたもいるので、そういうときは私から出向くことになる。
ここ数日、そんな依頼が複数つづいている。
必要とされている場におもむくのはうれしいことだ。

ほかにもまだ形がはっきりしていない企画や、はっきりして告知するばかりという企画が進行中だ。
若い人との協力関係や遠方の人とのやりとりもあって、わくわくするのはいいが、またスケジュールが窮屈になって集中できなくなってしまうおそれもある。
きちんと整理してクリアにしていきたい。
こんなときこそマインドフル手帳術——あらため共感手帳術か。

なかでも一番大きな新企画が5月22日夜に国立市の公民館で開催する朗読と音楽のコンサートだ。
私たち現代朗読協会が表現としておこなっている朗読のアプローチについてもっと知ってもらいたいのと、そもそも朗読と音楽をさまざまな人に楽しんでいただきたいという願いで、無料開催するものだ(公民館はそもそも有料イベントができないらしいが)。
みなさん、ぜひおいでいただきたい。
詳細は近日発表します。

2018年4月15日日曜日

2年前のブログ記事を読み直して驚いた

フェイスブックのタイムラインに、時々何年か前の自分のトピックが勝手に発掘されて表示されることがある。
先日は自分が2年前に書いた共感的コミュニケーションについての覚書というか記事が再掲載されてきた。

読んでみると、内容もその書き方――語り口――も、いまとはだいぶちがう。
私のように日常的に大量の文章を書いている人間でも、二年でその語り口はけっこう変化するものなのだなあと、ちょっとびっくりした。

読んでみると、いまとはちがうのは、明らかに自分とは違うかんがえにたいする軽いいきどおりがふくまれていたり、いらだちが見え隠れしている。
まだまだ自分とのつながりが薄かったんだなあ、と思う。

じゃあ、いまはどうなんだ、と自分を問うてみれば、それははっきりわからない。
二年後にこの文章を読みかえすと「まだまだ」と思うかもしれない。
いやたぶんそう思うだろう。

なにかを書いて残すというのは、現時点での自分自身のかんがえであり、それを表現することにベストを尽くすしかないわけだ。
数年後の自分の成長や変化を見据えて先取りして書くなんてことは、もちろんできない。
いまこの瞬間の自分から出てくるものを、正直に、ありのまま差し出すしかない。
それとて、本当にきちんとやろうとすると、けっこう大変なのだ。
だから、きちんとやりたいという自分のニーズは理解しつつも、楽しんでのびのびとやれたらと思うのだ。

その点、作家はライターやジャーナリストとちがって気楽なところがあるといえる。
作家でよかったな、と思う。

2018年4月14日土曜日

人から頼られるということ

ここ数年、つづいていた定期開催の共感カフェをいくつか閉じはじめているが、それと反比例するように個人セッションの依頼が増えてきた。

10年くらい前にマーシャル・ローゼンバーグのNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)というものを知り、学び、練習し、自分でも気づいたことを書くようになった。
この「書く」という行為は、その過程でNVCにたいする理解を深める役にたった。
なにごとかを書いてみようとするとわかるが、なんとなく理解していたり、体験したりしていることを、そのまま人に伝えるためには書けない。
人に伝え、理解してもらうためには、そのことにたいする理解と体験を整理し、クリアなストーリーにしておく必要がある。

もともと書くことが仕事だった私は、さらに書くことで人に伝えたくて、自分自身の体験の場を広げていった。
多くの事例を知るとともに、私自身の共感練習にもなったと思う。
共感的コミュニケーションは知り、学ぶだけでなく、実際に練習し、実生活のなかで試み、身につけていく必要がある。

その過程で、ひと前で話せるような一般的な事例だけでなく、非常にプライベートで扱いがデリケートだったり難しかったりする問題について、相談されることが増えてきた。
個人的で精神的な問題な、内密にしたい対人関係の問題など、オープンな場では話せないような問題を抱えている人が、私を頼ってくれるようになってきた。

とてもありがたいことだが、そこには緊張もある。
その人にとっては重大な人生の問題を、私が共感し聞くことで、その人自身がなんらかの解決策に気づいたり、自分自身につながるお手伝いをするわけだ。
いいかげんな態度で接することはできない。
かといって、身を乗り出して相手にプレッシャーを感じさせるようなことでもいけない。
私はただ私自身でありつづけ、厳しくその場にいつづけることで、安全で安心な共感の流れを作ることをこころがける。

韓氏意拳という武術から学んでいることだが、自分の能力を最大に発揮するためには力んでもだめだし、かといってだらけたり、ばらけたりしていてもだめだ。
すみずみまでゆきわたり、充満した気づきが必要だ。
おなじことが、対人共感においてもいえる。

本当に自分の能力をまんべんなく発揮できる機会をいただいて、緊張すると同時にありがたいと思っている。
いかんなく自分を発揮して、結果的にそれがだれかの役に立つことが、私の最大のニーズのひとつといっていい。

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