2010年9月30日木曜日

ゼータ関数の非自明なゼロ点はすべて一直線上にある

を〈水色文庫〉のほうに書きこみました。
⇒ こちら

<NVC東京ワークショップ>と<NVC鴨川リトリート>のお知らせ

<NVC(Non Violent Communication, 非暴力コミュニケーション)公認トレーナーのフランソワ・ボーソレイユ氏の11月来日が決定!>

非暴力コミュニケーション(NVC)とは、相手とのつながりを保ち、強化しながら、お互いのニーズが満たされるまで話し合いを続けていくという、共感を持って臨むコミュニケーション の方法です。
カール・ロジャ-ス博士の弟子のマーシャル・ローゼンバーグ博士によって体系付けられました。

ローゼンバーグ博士は、どんな困難な状況に 陥っても尊厳を失わない人たちが(近年なら、マザーテレサ、ガンジー、キング牧師……ら)どうしてその状況を乗り越えて来られたのか?について研究して次のような発見をしました。

彼らの使う言葉・話す言葉が他の人たちとは異なる!

そしてそれを誰でも使えるように体系付けました。

具体的なやり方は、観察(Observation)・感情(Feeling)・ニーズ(Needs)・リクエスト(Request)の4つの段階に分けて、コミュニケーションで起こっている問題・ズレを整理していきます。
アタマで判断・批判・分析・取引などするかわりに、自分自身と相手の心(ハート)の声に耳
を傾けて、今の感情(Feeling)・ニーズ(Needs)を明確にしていくことで、
お互いの誤解や偏見からではなく、心からつながりながら共感を伴って コミュニケーションをすることを主眼にします。

あなたもNVCを学んで、あなたの世界をさらに素晴らしいものに変えませんか?

「次に発する言葉が、あなたの世界を変えることができる」マーシャル・ローゼンバーグ博士

<NVC東京ワークショップ>------------------------------

[1] NVCワークショップ 実践準備編〜思いやりのコミュニケーションを学ぼう
日時:11月2日(火)18時30分〜21時30分
参加費:5000円
※翌日の実践編にも参加される場合は、4000円になります。

[2] NVCワークショップ 実践編〜思いやりでコミュニケートする練習をしよう
日時: 11月3日(水・祝)10時〜18時
参加費: 15000〜25000円のスライディングスケール
※経済的に余裕がなくても学びのチャンスを! そんな方のために余裕のある方は少し多めにお願いしています。

会場(いずれも): 現代朗読協会羽根木の家(京王井の頭線新代田駅下車徒歩2分)
振込先: ゆうちょ/口座名)エヌブイシーワークショップウンエイイインカイ 10130-1986431
*詳細はお申込みをいただいた方に個別にお知らせします。

参加申し込み方法: 申し込みフォームから
または、(1)お名前(漢字+ローマ字)、(2)連絡先メールアドレス+携帯電話番号、(3)参加希望日、(4)このWSをどうやって知ったか、(5)参加動機・WSに期待すること、(6)質問・コメント(あれば)、を記入して、以下へお送りください。
メール⇒ nvcworkshop@gmail.com / FAX⇒ 03-6893-0595


<NVC鴨川リトリート>-----------------------------------

日時:11月5-7日 集合時間と場所:11月5日正午@安房鴨川駅ジャスコ前
場所:ハーモニクスライフセンター
定員:10名
参加費:5万5千円(±1.5万円:経済状況に合わせて4〜7万円の間でお支払い下さい)
振込先:ハーモニクスライフセンター 00110-1-144224
参加申し込み:メール⇒ nvc@harmonicslife.net

*申し込みのあった方に詳細情報を送ります。

朗読の花束(花束を贈るような気持ちで朗読する)

現代朗読協会では、よく、
「やりたいことはやらなくていい」
「やりたいことだけやればいい」
「やらなければならないことはなにもない」
ということをいう。
しかし、現実の日常生活のなかには「ねばならない」が満ちていて、私たちは日々それと取り組んでいる。
表現の世界では「ねばならない」と思ってやることほどつまらないことはない。本当は日常の世界でもそうなのだが、急にいまの生活を変えるのは難しいので、まずは表現の世界でのできごとでそれを確認していくといいと思う。
子どものころのことを思い出してみてほしい。歌を歌ったり、絵を描いたり、だれかとかくれんぼをしたり、楽しくて楽しくてしかたがなかった経験はだれもがあるだろう。あれはなぜ楽しかったのだろう。
それは人には表現やコミュニケートを楽しむ性質があるからだ。
だれにも強制されなくても、子どもは自然に絵を描いたり、歌を歌ったり、本を読んだり、かくれんぼをしたりする。それを心から楽しむ。子どものころにはそのような自発的な喜びが満ちていた。それが次第にいろいろなことを強制されるようになっていく。
強制され、自分もそれを受け入れ、苦痛を耐えてそれを実行していくこと。それが大人になることであり、責任を果たすことであると思いこんでいく。それはまた、現代社会が作りだした社会システムという枠にはまりこむ行為でもある。自分がどんな形であれ。

社会生活をいとなむ大人になるためには、それはいったん必要なことなのかもしれない。
いったん社会システムを受け入れた個人が、次のステップとして自分らしさを取りもどしていくことはできないのだろうか。自分を自分らしく表現することは可能なのではないか。なにものにも強制されず、純粋な喜びのなかで自分を表現することはできないのだろうか。
私たちは人に贈り物をする。たとえば愛する人に花束を贈る。それはだれに強制されたものでもない。なかには義務的な贈り物もあるかもしれないが、それとは別の話をしている。
花束を贈る、相手が喜ぶとか喜ばないとかいう「結果」や「予想」以前に、純粋な喜びはないだろうか。
私はあるような気がする。子どものころ、だれにも強制されずに走り回ったりも、絵を描いたりした、あの純粋な喜びである。大人になっても持っているはずなのだ。
朗読もそんな気持ちでやれないだろうか。
できるだろうと思う。相手に花束を贈るような気持ちで、ただ表現する喜びのなかで朗読をおこなう。そこには強制も義務もない。「これをしてはいけない」とか「こうしなければならない」というものもない。
そのとき、贈り手と受け取り手の間にはなにが起こるだろうか。
本当は朗読だけでなく、私たちの日々の生活もそのようであればどんなにいいだろうと思うのだが。

2010年9月29日水曜日

新作オーディオブック・新美南吉「ごんぎつね」

アイ文庫オーディオブックの新作情報です。
現代朗読協会の正会員であり、ゼミ生でもあるまりもが朗読する新美南吉「ごんぎつね」がリリースされました。
サンプルがこちらから、かなりたっぷりと聞けます。冒頭部分です。

朗読作品として人気がある「ごんぎつね」はいろいろな人が読んでいますが、まりもちゃんのこの朗読はとても柔らかで味わいの深い、そして感情の襞の複雑さが見えるすばらしい音声表現作品となっています。
音楽とピアノ演奏は水城ゆう。
ぜひお聴きください。

このオーディオブック全編はこちらからダウンロード購入できます。

2010年9月28日火曜日

名古屋ウェルバ・アクトゥス公演「Ginga」のシナリオが完成した

朝から雨。昼前にはかなり強い雨となり、雷も鳴りはじめた。
午後は弱まり、雨はあがった。

今日は一日、プラムハウスで原稿書き。
世田谷区の広報を見た、といって11月7日の「Kenji」公演を予約してきたおじさんがいる。これはライブワークショップの一環の公演で、最終発表ライブという位置づけだが、世田谷芸術百華というイベントにも参加している。11月7日、下北沢〈音倉〉にて、昼夜2回の公演。

ずっとしつこくやっていた名古屋ウェルバ・アクトゥス公演「Ginga - 宮澤賢治・時と地と星 - 」のシナリオ全編が、ようやく完成した。全550行。原稿用紙にして40枚くらいか。
かなり壮大な仕掛けがある。とても「朗読」公演の規模ではないな。そもそも朗読だけの公演ではないけれど。
この公演用のオリジナル音楽と歌曲を何曲か書く必要が出てきた。
シナリオをさっそくPDF化して名古屋に送ったら、すぐにナオスケさんからねぎらいの電話が。ほっとした。

新作オーディオブック・宮沢賢治「めくらぶどうと虹」

アイ文庫オーディオブックの新作情報です。
現代朗読協会の正会員であり、ゼミ生でもある唐ひづるが朗読する宮沢賢治「めくらぶどうと虹」がリリースされました。
サンプルがこちらから、かなりたっぷりと聞けます。冒頭部分です。

また、このオーディオブックにはおなじ話が2回、おなじ朗読者によって収録されています。
ひとつは「ノーマルバージョン」で、もうひとつは「ローカルバージョン」です。唐ひづるの絶妙な東北弁イントネーションによる「めくらぶどうと虹」が収録されています。ただし、賢治の文章は一字一句変えていません。
どうぞお楽しみください。

このオーディオブック全編はこちらからダウンロード購入できます。

2010年9月27日月曜日

共感と感心

演劇、朗読、音楽や絵画など、なにか人の表現を観に行ったとき、心を動かされることがあります。「感動した」などといいます。
そのときの心の動き方には二種類あるように思います。私はそれを「共感」と「感心」に分けています。

自分にできないすぐれた技術や技能を見せられたとき、人は「感心」します。その心の動きを「感動」といっていえないことはないかもしれません。サーカスを観に行ったとき、空中ブランコの妙技を見て、自分にはとてもできないと感心し、演技者に拍手を送ります。
スポーツ選手に惜しみない拍手を送るのも、おなじ心の動きです。自分にはできないが、彼はおそらく大変な努力をしてあそこまで到達したのだろう、すばらしい。
囲碁や将棋や、あるいは落語、歌舞伎といった芸能に対してもそういう敬意の表し方があります。
芸術表現の分野でも、音楽、演劇、舞踊、美術などのすばらしい表現技術に対して拍手を送ります。自分ができないことをできる人に敬意を表す、あるいはその行為に対価を支払う、というのは、人間の自然な行為のように思えます。
しかしそれが高じると、金銭的評価や人気だけがその表現行為の価値基準にようになってしまうことがあります。現代社会では「技能」を追求するあまり、ほとんど「びっくり人間大賞」のようになってしまった表現ジャンルすらあります。
また「感心」させることを目的に技能を磨かれた表現は、どうしても表現者とオーディエンスの間に上下関係を作ってしまいます。つまり、表現する側は「優れている/えらい」わけで、オーディエンスはそれをお金を払ってありがたく拝見する、という関係です。

上下関係を作らないのが「共感」をめざす表現です。
表現者は、自分が相手よりすぐれたことを提示するのではなく、ただありのまま誠実に、正直に、自分の行為、思考、イメージ、そして身体的状況を「表現の場」に投入します。オーディエンスもその場に立ちます。
表現者とオーディエンスの間には上下関係はなく、そのおなじ場に立ちます。おなじ空間と時間のなかにあります。その場のなかで、表現がおこなわれます。表現は表現者とオーディエンスが共有します。
最初は表現者からオーディエンスに向かってベクトルが向かいます。オーディエンスが表現者からのベクトルを受け取ったとき、オーディエンスにはなんらかの反応が起こります。ロボットでないかぎり、かならずなにかが動きます。それは目に見えないものかもしれませんし、ましてや声にしてはっきりと返ってくるものではありません。しかし、優れた表現者はオーディエンスのその微細な変化を、受容体としての自分の身体で受け止めます。
この二者のあいだで情報の交流と共有が進んでいきます。このときどんなことが起こるのかは、多くの人がすでに経験していることでしょう。
友だちが自分のつらい体験を正直に話してくれたとき、あなたもまた涙を流したことがありませんか? 何人かでひとつの目的に向かって心を合わせてがんばったとき、言葉にはできない充実感や満足を感じたことはありませんか?
人は共感を求める動物です。

私が推奨している「現代朗読」では、オーディエンスに「感心」してもらうためにではなく、「共感の場」を作るために朗読をおこないます。自分がよりすぐれていることをけっして誇示はしないのです。それより、その場を共有していることに焦点をあてます。
ここに朗読するためのテキストがある。私はこれをどう読んだのか。いま、どう読みたいのか。私のいまの気持ちはどういうものなのか。私のいまのコンディションはどうなのか。それらを全部正直に聴き手に提示します。あらかじめたくらまれたものはありません。
自分を開き、その場に提示します。相手を感じ、受け入れ、コミュニケートします。
私は何度も、朗読を始めてほんの数ヶ月の朗読者が、聴衆を思いがけず感動させたり涙させてしまう場面を見てきました。共感にはなにも特別な技術はいらないのです。なぜならそれは、いつも私たちが普通にやっていることなんですから。その「普通にやっていること」を表現の場でできるようになることがどんなに難しいことか。
私たちがいつも普通の私たちであるための方法を、私と現代朗読協会は研究しています。

2010年9月26日日曜日

国境なきアーティスト in ハイチ チャリティーコンサートのお知らせ

私の友人でNGO「国境なきアーティスト」を主宰しているエクトル・シエラさんから案内をいただいたので、ご紹介します。

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10年間以上、ハイチへの援助を続けてきたハイチの会・セスラは私がハイチの子どもたちと会えるようにコンサートを企画してくれました。
時間がありましたら、是非お越しください。

国境なきアーティスト in ハイチ チャリティーコンサート

テノール & PIANO 詩の朗読
エクトル・シエラの日本語の詩
さわやかな美声テノールのカンツォーネ
コロンビアの作曲家L.A.カルボのピアノ曲など
日時 2010年9月28日 (火)

18:30 開場
19:00 開演
会場 横浜イギリス館
横浜市中区山手町115-3
Tel: 045-623-7812
みなとみらい線「元町・中華街」駅5番出口より徒歩約8分(約500m)
入場料 2,500円(お茶&お菓子付き)
出演(順不同)
滝沢健作(テノール)
齊木佳奈(ピアノ)
エクトル・シエラ(詩と朗読)
ご予約およびお問合せ先 090-3451-7464(高岡)
主催 国境なきアーティスト & オペラ喫茶よこはま
協力 ハイチの会セスラ & 国際協力ゆめプロジェクト

国境なきアーティストをハイチへ!
今年1月大地震が起こったハイチ、いまだ難民さながらのテント生活を送る子どもたちに、お金やモノではないはげましを届けたい!その思いをエクトル・シエラに託し、私たちは国境なきアーティストinハイチを応援します。
ハイチの会セスラ代表 高岡美智子

「国境なきアーティストたち」http://www.artwit.orgは、アーティストたちによる人道支援組織で、これまでに、コソヴォ、東ティモール、グルジア、アブハジア、チェチェン、ニューヨーク、アフガニスタン等で難民の子どもたちや戦争の被害を受けた子どもたちなどへ芸術を通じた心のケア活動を行ってきました。

出演者紹介
滝沢健作:
東京芸術大学卒業。G・Giacomini声楽マスタークラスに合格し受講。今までに中部日本管弦楽団等のオーケストラで「外套」「ジャンニ・スキッキ」「ボエーム」に主役主演。ドイツのRostock歌劇場共同制作あらかわバイロイト音楽祭「パルシファル」にソリストで出演(C.Hammar指揮)。川崎市主催にて「滝沢健作ソロコンサート」が好評をえてFM放送にて演奏が放送される。

齊木佳奈:
武蔵野音楽大学卒業。桐朋学園大学アンサンブル・ディプロマコース、英国ギルドホール音楽院アンサンブル科を修了。ザルツブルグ・モーツァルテウム音楽院マスタークラス、ローマ国際ピアノコンクールにてディプロマ受賞。ロンドンDaiwa Foundation主催によるソロ・リサイタルに於いて日本人現代作曲家の英国初演を行う。蓼科音楽祭・女神湖ミュージックキャンプ、イタリア・ピエディルーコ音楽祭のアシスタントピアニストを歴任。現在、国内各地および海外に於いて、様々な形での演奏活動を行っている。

エクトル・シエラ:
コロンビア出身旧ソ連キエフ大学映画監督学科卒。94年に来日し、日本大学芸術学部修士・博士課程に学ぶ。映像作家、絵本作家。コソヴォへのNATOの空爆をきっかけに、NGO「国境なきアーティストたち」を設立し、戦争被災地でのボランティア活動を開始。著作に「あの日のことを、かきました」(講談社)、「だっこして」(校成出版)、「国境なきアーティスト」(子供の未来社)などがある。
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2010年9月24日金曜日

NVC教育ワークショップ「平和の文化を教室に」

子ども中心でも大人中心でもない、規範優先でも自由放任でもない、第3の教育理念-パートナーシップ教育。
親・教師・生徒が対話によって互いを尊重するスキルを身につけ、非暴力な問題解決の方法を学び、日々の学習の中で実践して行く。
施設・カリキュラム・運営方針・・・全ての真ん中に平和の文化をおいて造られたテンバ・スクールの創立者キャサリン・キャデン氏から直接実践報告を聞き、教育における平和の文化を経験するワークショップ型セミナーです。
明日からの教育実践に活かせるスキルを身につけることを目的にしています。あらゆる立場で教育に関わる方たちの参加をお待ちしています。

■NVC教育ワークショップ概要■

日時:12月4日(土)9:30〜17:30&12月5日(日)10:00〜17:30
会場:神奈川あーすぷらざ(JR根岸線「本郷台」駅改札出て左へ徒歩2分)
講師:CNVC公認トレーナー キャサリン・キャデン&ジェシー・ヴィーンス   
Catherine Cadden & Jesse Wiens(日本語逐次訳付き)
対象:教育に関心のある全ての方 
*保育室&授乳室があります。利用方法については、個別にご相談ください。
参加費:15,000円(2日間)
     初日のみの参加も可能。参加費:10,000円。 2日目のみは不可。
主催:NVCワークショップ委員会(担当:中川春野、レジーナ・スプリース)

お申し込みはこちら

■ワークショップ内容■
〇テンバ・スクール実践報告
〇パートナーシップ教育のスタイルを、「サークル」など様々なアクティビティを通して体験的に身につける。
〇「正しいか、間違いか」「良いか、悪いか」「自由か、規範か」の2項対立を「ニーズ」に照らして、より創造的で建設的な考え方に転換するスキルを学ぶ。
〇深いつながりと命を豊かにする関係をつくる「非暴力コミュニケーション」を学び、教育への活かし方を練習する。

■講師紹介■
キャサリン・カデン(CNVC公認トレーナー) 
世界を変革するものは何か。それは、共感による繋がりを私達の行動の基盤にする意志である、と彼女は言う。1987年以来、彼女は米国の公立学校、モンテッソーリ、及びシュタイナー学校で働き、主流と「傍流」の両方において、人種差別、物質主義、無関心、疎外、及び暴力といった、教育システムの圧倒的な影響をじかに目撃してきた。
1997年、キャサリンは既存の教育システムから離れた。マハトマ・ガンジーとマーティン・ルサー・キングJr.博士に触発され、彼女は、共感、責任ある自主性、及び非暴力の理念に基づいて、幼稚園から中学までの学校を創設し、TEMBAスクールの扉を開いた。日々の課題に対処するために、彼女は机上の教育理論家よりも平和的仲裁の熟練者に、直接、アドバイスを求めた。ダライ・ラマ、ジャック・コーンフィールド、及びマーシャル・ローゼンバーグである。
11年間、年齢、人種、階級の垣根を本当の意味で取り払った学校運営を続けるうちに、TEMBAは地域の希望の導き手となった。親、生徒、そして及び教師が自らの可能性を花開かせる場所となったのだ。
TEMBAの卒業生は、高校や大学のリーダーとなり、野外教育プログラムを企画し、若者と警察の協力関係を作り上げ、仲間内の争いを解決した。いずれも、既存のシステム内で4.0の評定平均を取りながらである。
現在、キャサリンは、ジェシー・ワインスと共に、講演、ワークショップ、及び彼女の本”Peaceable Revolution Through Education” 「教育からの平和革命・未邦訳」を通して、より安全で喜びに溢れる平和な社会を作るための着想と実際的な知識を世界の人々の手にもたらそうとしている。詳しくはhttp://www.zenvc.org (英語)。

今回はキャサリンのパートナー、ジェシー・ヴィーンス氏も来日し、二人でワークショップをリードします。

■もっと知りたいあなたへ。本とサイトの紹介■

TEMBA Schoolについて:
”Peaceable Revolution Through Education” Catherine Cadden著 ア
マゾンで買えます!

NVCについて:
http://www.cnvc.org/(英語)
http://www.nvc-japan.com/modules/pico/(日本語)

お問い合わせは、こちらまで。

タイヨガと非暴力コミュニケーションワークショップ

いっしょに非暴力コミュニケーション(NVC)の勉強をしているレジーナさんからお知らせをいただいたので、ご紹介します。
私はまだ参加できるかどうかわからないんですが。

◎場所:神奈川地球市民プラザ
◎詳しい情報はこちら

「その時」いろいろな可能性がある。
その可能性を見つけるためのワークショップ。
自意識への結合、そして、共感を与える、または貴方の中で活動するものを表現しているかどうかを認識することについて、気楽に楽しんでいますか?

非暴力コミュニケーション(NVC)の命の木--Inbal Kashtan (BAY NVC)が創設した
命の木とマーシャル・ローゼンバーグの業績を基にしています。

NVCの命の木は、目に見える、運動的なツールであり、サポートとコーチを行うことにより、人々がNVC意識または注意に「踏み込む」ことを可能にします。

以下について、ロール・プレイ、小グループでの実践、コーチ及び仲間同士のサポートを利用します:

A) 私達の判断を「開放」する。

B) 判断に対して大きな声を与える

C) 他人の必要性(ニーズ)と意図を自分のものと結合する。そして、

D) ‘お願い’・‘要望’をする実験をする。

次世代オーディオブック・リーダー育成講座の一日

昨日。
朝からどしゃ降りの中、雨の合間を縫って歩いて羽根木の家へ。昨日は一日、次世代オーディオブック・リーダー育成講座でした。
朝方は蒸し暑くて、羽根木の家に着いたときには汗ばんでいたほどだったのに、急に冷えこんできて寒いほどに。最初は涼しくていい、なんてのんきなことを思っていたんだけど、涼しいどころではなくなってしまいました。

10時から始まった講座には、大阪からおふたりのの参加があったり、岩崎さとことふなっちが遊びに来てくれました。
いつものようにガンガン飛ばして、たぶん初めての方には受け取れないほどの内容を伝えていきます。げろきょのゼミとは違って、こちらは遠慮なし。おそらく、このような内容で濃くやっている講座は、ここだけのはず。

1時間の昼休みをはさんで、午後もアイ文庫独自のオリジナルな内容で、すぐれた朗読者を養成するためのプログラムを進めていきました。
長時間の講座にも関わらず、皆さん、最後までしっかりと食いついて熱心に参加してくれました。
最後は、参加者のリクエストで、岩崎さとこと私の朗読セッションを。さとこは夏目漱石の『夢十夜』の「第一夜」を読み、私はピアノ。
今回も全力疾走で終了。あとは、実力評価を兼ねた収録オーディションの日程を決め、解散。オーディオブックだけでなく、現代朗読にも興味を示してくれた人がいて、今後に期待がつながりました。

養成講座が終わって、雨の中、歩いて帰宅。
昨日はなぜか、講座中にたくさん足がつりました。歩いたからか、雨だからか、気温が急に下がったからか、それともその全部が原因なのか。
今日はさらに気温が下がるそうです。

2010年9月23日木曜日

朗読者の育成講座、平日の銀座が驚くほどにぎわっていたこと

曇。これから一日、雨になるとのこと。

今日は丸一日、次世代オーディオブック・リーダー育成講座を羽根木の家で開催します。
この講座も今回で第四期となります。講座を受けた方全員が読み手になっていくわけではありませんが、何人かは継続的に育ってくれていて、今後が楽しみです。
次回、第五期の育成講座は10月17日(日)の開催予定です。

昨日はそのオーディオブックがらみのミーティングで銀座まで出かけてきました。
クリアすべき難しい問題がまだまだ積まれていますが、なんとかよい方向に話が動きそうです。今後、よい報告ができるといいんですが。

銀座に出たついでに、リニューアルしたデパートにちょっと寄ってみました。
ものすごい人。不況というのは嘘ですね。マスコミや統計が作り出した嘘で、そうやって不況をあおることで得をするだれかがいるということでしょう。もちろん給与所得者ではない自営業者(含む私)は非常に苦しいのは相変わらずですが、これは不況のせいではなく、日本の経済的社会構造のせいです。
日本の給与所得者、とくに大企業と役人の所得レベルは世界最高水準です。この人たちがデパートで散財するだけでなく、なんらかの社会的責任を請け負うような行動をはじめたとき、日本は変わるかもしれませんね。
そうなるといいなあ、と思います。Twitterなどあたらしい情報ツールで人々の意識レベルが急速に変わりつつあるのを感じています。すでに動きはじめている人はいるかもしれませんね。
ただ、被虐待児童たちへのボランティア活動に参加しているのは、まだまだ生活が苦しい自営業者ばかりだという現状は、少なくとも私たちのところではあります。経済的に豊かな人たちがもっと積極的に参加してくれるといいですね。

ゼミ生シマムラの「特殊相対性の女」

ゼミ生の嶋村美希子が「特殊相対性の女」を観た感想を自分のブログに書いてくれたので、ご紹介します。
こちらからどうぞ。

2010年9月20日月曜日

明日の中野ピグノーズ「げろきょでないと」ですが……

明日は9月の第三火曜日なので、通常ならば恒例の中野ピグノーズ「げろきょでないと」ライブなんですが、店側のブッキングミスで別の方のライブが入ってしまったそうです。
本来ならば、
「なにぃ?」
と気色ばんでみせるところですが、そこはそれ、温厚なげろきょの私たちですし、ピグノーズのmizuhoさんにはいつもお世話になっていることですし、いつも好き勝手をやらせていただいていることに寛容なピグノーズに譲ることにして、明日の「げろきょでないと」は急遽お休みとなりました。

その代わり、といってはなんですが、私は普通に客で行って、隙あらば飛び入り参加しようと思ってます。野々宮もつきあってくれるそうです。ひょっとして照井くんも?
明日のライブホストは、ギタリストの加藤崇之さんだそうです。

地下室の化学実験・「特殊相対性の女」

を、ゼミ生のサイカチさんが自身のブログに書いてくれてます。
興味のある方はお読みください。
こちらから読めます。

「特殊相対性の女」ライブレポート

を、ゼミ生のトクチさんがブログに書いてくれてます。
興味のある方はお読みください。
こちらから読めます。

私のレポートはしばらくお待ちください。
今日は一日、ゆっくりさせていただいてます。

名古屋のイベント「KIP」のお知らせ

名古屋ウェルバ・アクトゥスのミニライブを観に来てくれた方が、私のテキスト作品をイベントのなかで使いたいと連絡くれました。
ダンサーの伎芸さんという方が企画しています。
そのイベントを、彼女のブログから紹介します。いずれ東京でもやる予定だそうです。
詳細は直接伎芸さんのブログをご覧ください。

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公演名 KIP  

(子供達に夢へのきっぷを。皆にもそういった子供達を身近に感じてもらい触れ合いを持てるようになる電車へのきっぷを) 

日時 11月21日(日)  
場所 南山学園講堂 

14:00〜15:30 公演 第一部  

(児童擁護学校の子供達も多く招待されて来てくれますので子供受けするもの中心で) 

15:30〜   

一個下の階にて 子供達と出演者との触れ合いタイム。 ミニゲームや ミニバザーなどを予定 

実際に珍しい楽器や 道具など 子供達に触ってもらったり簡単なレッスンしたり を予定しています。 自由な感じで  
(ある意味ここが一番重要だと考えております 直接に 大人も子供も出演者協力者が一つになって
こころをつなげる 直接触れ合い 身近なものと感じて頂く時間。)

19:00〜21:00? 公演 第二部 

バンド・ダンス・パフォーマンス 一部より長めにしてより多くの方に楽しんで頂く内容に    

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
出演者 協力 

フラメンコダンス 加藤おりは 
カタックダンス  プロダンサー 
アフリカンダンス&バンド 
和太鼓 祭り一家 
尾張デラSTARS   バスケットパフォーマンス 
KIRARA  メジャーデビュー決定。東京から来て下さいます。
柴田 達司  神戸から来て下さいます。プロギタリスト 
ベリーダンス プロダンサー 
コンテンポラリーダンス 
ミチコロンブス バンド 名古屋を中心に全国で活躍中 
車椅子社交ダンス 
歌     バンド名思案中だそうです 
剣詩舞 全国 優勝・4位 の方によるパフォーマンス 
サルサ ドミニカ共和国のプロダンサー 

(その他調整中・確認中数組) 

協力 
作曲家・演出家 水城 ゆう 
DREAM CUBE ライブハウス 
愛笑む  (KIPイメージ音楽)
YOU-G (作曲家)

協賛 

色々な会社(来週から飛び込みで協賛とってくるゾ!!) 

後援 
名古屋市教育委員会(申請済 認可待ち) 


(その他いろいろ調整中) 
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2010年9月19日日曜日

仮想敵

なにかをがんばっておこなったり、だれかになにごとかを説明するとき、「仮想敵」を作ることがよくある。
スポーツのトレーニングをするとき、自分より強い敵を想定して、それを超える/やっつけようとイメージしてがんばる、という方法だ。たしかにそれは勝ち負けの世界では有効だ。
また「数字が出る」世界でも有効だ。
たとえば学校の試験、売り上げ、観客動員といった世界。これらは現在の自分の状況について数値化できるので、より上の数値を設定した仮想敵を作ることで、より大きな数字をあげる努力のためのモチベーションを持てる。が、数値化できない世界では?

表現の世界は数値化できない。観客動員や知名度や売り上げや収入を尺度にして表現者を評価しようとする向きがあるが、それは尺度をすり替えただけのことで、表現という行為を数値化することは、本質的にはできない。
表現の評価基準は世間や自分の外側にはない。自己の内部にある。
しかし私たちはなにかを数値化して評価し、自分の評価基準を世間や自分の外側に求めることをずっと教育されつづけてきたので、その考え方から抜けだすことはとても難しい。もちろん私もそのとおりで、自覚はしていた。が、文章の書き方にまでそれが現れているとは考えていなかった。

このところブログやツイッターで書く自分の文章に違和感を覚えることが多かった。また、私の文章に反発したり、嫌悪を表明する人がいた。そのことがずっと気になっていた。
原因が「仮想敵」であることに思いいたったのは、つい最近のことだ。そのことについて考えつづけている。

私は「現代朗読」というものを提唱し、従来の放送技術偏重型の朗読を変えようと努力している。朗読が「表現行為」であるという認識から、コンテンポラリーアートやコミュニケーション、身体運用、現代思想などを取りいれ、できるかぎり自由でなにものにもとらわれない朗読を考えてきた。それはまだ始まったばかりで、研究の余地はまだまだあるが、出発点としてはおもしろく、いまのところうまくいっているように見える。
この方法を多くの人に知ってもらいたくて、私はたくさんの記述をおこなってきた。そのとき、つい「仮想敵」を想定した書き方をしてしまっていたのだ。
私が無意識に想定していた仮想敵は「従来朗読」とでもいうべきものだった。つまり、これまでアナウンサー、ナレーター、声優、役者といった人たちが「放送技術」を中心におこなったり教えたりしてきた、そしていまもおこなったり教えたりしている朗読行為。これを無意識に想定していた。そのせいで、まじめに朗読の勉強をやっている多くの人を、文章のなかで暗に攻撃し、けなし、その価値を下げようとするかのように書いてしまっていたと思う。多くの人に不快な思いをさせてしまった。あらためておわびしたい。と同時に、私のこれまでの書き方は誤っていたと思う。

現代朗読は他のどの表現分野とも比較できるものではない。これまで日本ではまったくといっていいほどおこなわれてこなかった「言語音声表現」の、自由でコンテンポラリーな、すぐれた方法、それが現代朗読だ。それを従来の朗読と比較して論じること自体、まちがっていた。無意識に比較対象とすることで、従来からある朗読を「仮想敵」にしていた自分がいることに気づいた。今後、私は、仮想敵を想定することなく、ただ純粋に論じてみたい。これまで朗読について書いたものについても、すべて見直し、あらたに書きなおしてみようと思っている。
おそらく表現の世界に限らず、自分のなかで仮想敵を設定することほどつまらないことはない。それはものごとの見方を狭くし、自分自身を狭小で貧相な世界に閉じこめてしまうことになる。そのことを常に自戒しながら進んでいきたい。

2010年9月18日土曜日

「読み聞かせ」についての考察(朗読も同じだけど)

現代朗読のゼミ生に「子どもたちに読み聞かせをしている」という人がいて、実際に絵本を持ってきてみんなに聞かせてくれた。大変楽しい絵本で(干支と早口言葉を組み合わせた絵本)、大人が聞いても楽しいものだった。その人もとても楽しそうに読んでくれた。
さて、そこから検証が始まるのが現代朗読のゼミである。
まず、子どもたちに絵本を読み聞かせるとき、なにが一番大切なのかをみんなにかんがえてもらった。
「抑揚をつける」「リズムを大切にする」「はきはきと話す」いろいろな意見が出た。どれも的を射ているように思える。
「まず読み手である自分が楽しんでいることが大事」という意見も出た。これはゼミでいつも確認している「読み手の心や身体の状態はそのまま聴き手にも伝わる」という原理を踏まえたものだろう。
さて、それだけでいいのだろうか。

ここで私はいつも意地悪な提案をする。
「子ども相手ではなく、いまここで、私たち相手にその本を朗読するとしたら、どんなふうに読む?」
彼女は少し考えてから、ふたたび読みはじめる。それは、大げさな抑揚やリズムの強調のない、彼女のふつうの大人相手の朗読である。が、彼女が楽しんでいることには変わりない。
あとで確認したのだが、彼女はその本がとても好きで、彼女自身、その本を朗読するのがとても楽しいのだという。
私はつづけた。
「なぜいま我々に読んだくれたように、子どもたちには読まないの?」
彼女はそこでハタとかんがえる。かんがえあぐねる。いろいろとかんがえをめぐらせる。
この「かんがえる」ということが表現する者にとってはもっとも大切なことなのだ。
なにかを表現しようとしたとき、けっして思考停止に陥らないこと。これが大事だ。
しばらくかんがえてから、彼女は答える。
「たぶん、子どもにもわかるように読まなければと思ったんでしょうね」
この「子どもにもわかるように読む」ということについて、我々は(誰からなのかはわからないが)ある一定のルールというかやり方を刷りこまれている。抑揚やリズムを大きく、いかにも楽しく、言葉ははっきりと明瞭に、声は明るく大きく。
子どもは誰もそんなことを頼んでいない。
そう思いこんでいることで、一種の「思考停止」に陥っているといってもいいだろう。「こういうふうに読む」という型を(無意識にせよ)持っていることで、表現はとても楽になる。なにもかんがえずにその「型」に表現を流しこめばいいのだから。
しかし、ここで原点に戻ってみたい。
一切の型をはずし、いま、ここで、自分が自分らしく読むこと。
この場合、「いまここで、私たち相手にその本を朗読してみて」と頼まれたときの彼女の朗読がそれにあたる。
それに気づいた彼女に、私はもう一度お願いしてみた。
「もう一度いまの読み方で、子どもたち相手に読んでみて」
当然のことながら彼女の読み方はガラッと変わる。
私は問う。
「その読み方ではだめなの? その読み方だと子どもたちは聞いてくれないと思う?」
そんなことはない、と彼女は答えるし、私たちもそんなことはないだろうともうわかっている。子どもたちは裸の、鋭い感性を持っている。
子どもたちには大人の私たちがなにをどうしようとしているのか、理屈ではなく感触ですべて伝わってしまっている。楽しんでいるかいないか、子どものための型にはめこんで楽をしているかいないか、子どもだと思ってレベルを落とした表現をしているかいないか。
子どもたち相手だろうが、大人相手だろうが、お年寄り相手だろうが、ひとりだろうが千人だろうが、私はたちはただ誠実に「型」を取りはらい、自分のあるがままの表現を真剣に手探りしながら読んでいきたい。

2010年9月16日木曜日

マカオの観音堂普濟禅院の門札

JALの機内誌の写真を、飛行機のなかでモレスキン手帳にスケッチしてみました。
色は家に帰ってから色鉛筆でつけました。

2010年9月14日火曜日

NPOの運営の難しさ(現代朗読協会の実例)

NPOは「特定非営利活動法人」のことだが、「非営利」と冠されていることで「お金を稼いではいけない/儲けてはいけない」と誤解される方が多い。
決してそんなことはない。法的にも保障されている。ただ「主目的」が「営利」であってはならない、ということである。
営利を主目的としない活動をする団体をNPOという。運営してみるとわかるが、団体の活動と運営には実際的な経費や設備が必要となる。だから、可能ならば活動のなかからそれらの経費をまかなうだけの「利益」をあげられることが理想である。
しかし、もともと営利を目的としていない活動のなかから必要なだけの利益をあげていくのはなかなか難しい。だから「会費」の形で徴収する団体が多い。現代朗読協会も正会員には「年会費」をお願いしているが、何百人、何千人も会員を集められるような活動内容ではない。
現代朗読協会は朗読の実演者やそれをめざす人の団体なので、多くの会員を集めるような性格のものではない。会費のみでは運営は難しい。

運営にかかる経費はさまざまなものがあるが、もっともウェイトを占めるものが活動拠点の維持経費である。運営事務、稽古、ワークショップ。
現在、世田谷区羽根木にある築75年の庭付き古民家を格安で借りているが、それでも家賃、光熱費、さまざまな維持経費をいれて、(非常にざっくりした数字だが)毎月20万程度は必要だ。都内で活動している実演団体はたいていおなじような事情ではないかと思われる。
その他、パンフレットやチラシを作ったり、経理など諸事務をおこなうにも経費はかかるが、この人件費の部分は現在、捻出できていない。団体によってはきちんと収益をあげ、専任の事務員や有給理事を置いているところもあるようだが、現代朗読協会はまだそこまで至っていない。
現代朗読協会の収益の大部分は、ワークショップやゼミ、講座などの参加費で構成されている。ライブや公演をよくやっているので、その収益がかなり大きいと思われているようだが、まったくそんなことはない。ライブはほとんどが赤字に近いギリギリのラインでやっている。
赤字にならないといっても、もちろん手伝ってくれた人の人件費や交通費(たまにほんの一部出ることもあるが)や、もちろん出演料、演出料、脚本料などはまったく算入していない。それらの犠牲の上に立っての「非赤字」である。
大きな公演も同様だが、人件費については少しだけ違う。
ホールを借りるような大きな公演になると、我々だけではできないさまざまなことが発生する。とくに照明、音響、舞台監督などは専門家に頼むことが多く、その経費は割愛できない。また客演の役者や音楽家も、非常に安くはあるがギャランティーをあらかじめ設定し、了解してもらう。
したがって、大きな公演で多くの人が入場したとしても、出費も同様に大きく、ほんの数回のステージでは収益をあげるのは難しい。実際、昨年9月の名古屋市芸術創造センターでの「Kenji」2回公演では、数十万の赤字となり、それは主催者が最終的にかぶることとなった。
だからといって、公演自体が失敗したわけではもちろんない。公演は多くの方に観ていただけたし、大きな感動を共有することができた。大成功であった。
このように、商業的な仕組みのなかでやっていない以上、ライブや公演で大きな収益をあげることは難しいし、めざしてもいない。

話をもどす。ワークショップやゼミ、講座などが収益の大半だと述べたが、この実情について正直に明かす。
ワークショップは現在、かつておこなっていた体験WSや一日講座を含め、開催していない。理由は手伝ってくれるメンバーも不足、無償講師の負担があまりに大きいこと。
体験WSは参加費が1,000円、一日講座は10,000円と、低額の設定なので、参加者が少なければ、会場費や、手伝ってくれるメンバーの交通費すらまかなえないことがある。ましてや、資料や講義の準備を何日もかけておこない、現場に臨む講師の講師料もまかなうことは難しい。
現在おこなっているのは「話し方講座」(次回は来週20日)のみだが、これは先月スタートしたばかりのもので、これもまた参加費は3,000円に設定されている。参加者が少なければまた経費に苦労することになるが、いまのところ参加者はとても少ない。
しかし、内容は非常に充実したものであり、参加してくれた人にはとても喜んでもらうことができた。大変ユニークなアプローチ方法なので、ほとんどの人が驚くような内容なのだ。だから、我々としては自信をもっておすすめしたいところなのだが、よく宣伝ベタといわれてしまう。

運営費の一部としてもっとも助かっているのは「ゼミ費」である。正会員のうち「ゼミ生」として参加している人たちが、毎月定額を支払ってくれている。その額は決まっていない。1万円以上の人もいれば、1,000円の人もいる。金銭だけが団体に貢献できる方法ではないから。
とはいえ、物理的に金銭は必要なので、定額収入は大変ありがたい。
ゼミ生がいまのおよそ倍くらいの人数になれば、経費の心配が少なくなる。ただし、講師料や事務などの人件費は除く。現在の不足は、理事複数名の「持ち出し」および借金によって補填されている。
毎月の補填額は増えつづけているのが実情で、実をいえば私はこれまで何度か、現代朗読協会の運営の継続を断念しかけたことがある。
いまは、とにかく物理的に破綻するまではつづけようと思っている。

我々に足りない部分を真剣にかんがえてみることにした。
現代朗読協会に参加している人は、皆、その有用性を認めてくれている。
「ここに来ることが私の安心です」
といってくれる人もいる。活動によって人生観が変わった人すら多くいる。
私たちがやっている表現と運営方法が多くのコミュニティに取りいれてもらえればうれしいと思う。
しかし、現代朗読協会の存在や、活動内容を知る人は、とても少ない。やはり課題は宣伝・告知をどうするか、ということだろうか。それもお金をかけずに。
幸い、労力を無償で提供してくれる仲間が多くいる。そのことは私の大きな希望である。

語りっ娘・小林沙也佳、通算200回の語り

愛知の語りっ娘・小林沙也佳ちゃんから「今日で通算200回の語りをしました!」といううれしいメールが届いた。うれしいと同時に、びっくりだ。知り合って7年間、ずっとその語りの成長を見させていただいてきたが、それがもう200回とは!

沙也佳ちゃんは軽度の知的障碍を持っていて、数年前に豊田の高等養護学校を卒業した。それからはTBクリエイトスタッフという会社の全面的支援を得ながら、語りの活動に専念している。
彼女の語りを聴いた人はだれもが深く感動し、ときに心から笑い、ときに涙を流す。

豊田に住んでいた彼女が初めて東京の私のところにやってきたのは、中学校3年生、まだ14歳のときだった。
お母さんの淑江さんは、彼女のために語りの脚本を書いていて、ふたりの語り活動はまだほんの端緒についたばかりだった。
沙也佳ちゃんを語り手としてより成長させたいというお母さんの思いで、ネットで検索して私の朗読研究会を見つけ(そのころはまだ現代朗読協会は発足していなかった)、指導をしてほしいと、わざわざ豊田から東京まで沙也佳ちゃんを連れてやってきたのだった。
たしか、なにかのワークショップの最中だったと思う。私は沙也佳ちゃんの語りがどういうものなのかまったく知らなかったので、なんの先入観もないまま、
「とにかくなにか聴かせてください」
とお願いした。そのとき語られたのが「いのち」という語り作品だった。
彼女が語り終わったとき、そこにいる全員がボロボロに涙していた。私も同様で、とにかく心を揺さぶられた。こんな語りは聴いたことがなかった。
「今後どうすればいいんでしょう」
というお母さんに、
「とにかくなにもしないでください。このまままっすぐ伸ばしてあげて」
とお願いしたことを覚えている。

その後、沙也佳ちゃんと淑江さんは私のところに通いつづけてくれ(それはいまでも続いている)、いろいろな経緯があって、私も沙也佳ちゃんの活動をサポートすることになった。
まずは「いのち」という作品に音楽を提供すること。
それを皮切りに、私がピアノを弾いて一緒の舞台に立ったり、CDを作ったり、さらにいくつかの曲を提供したり、舞台作りのお手伝いをしたり、語りのアドバイスをしたりと、数えきれないほどの経験を共有してきた。それは私にとっても宝物の経験である。
この過程で私は、知的障碍を持っている彼女にたいして、自分が指導者であるとか、先輩であるとか、ただの一度も考えたことはない。断じてない。私はつねに彼女の共演者であり、サポーターであるという立ち位置でやってきた。それは淑江さんも保障してくれるだろう。

語りの共演者であるというのはどういうことか。それは、語りを最大限生かすことを考えながら、しかし自分と語りとの有機的なつながりを持った舞台を実現することだ。あたかも一緒におなじ道を歩きながら相手の話を完全に聞き、ときに自分の意見も差し挟むような行為だ。自分と語りが共にそこに存在し、生きている、それは二度とおとずれないフレッシュなものであり、準備されたものでもなければ、たくらまれたものでもない。毎回ユニークな瞬間なのだ。
そのことを私は沙也佳ちゃんから教えられた。

彼女は毎日懸命に練習する。
お母さんに怒られながら(厳しいのだ、これがまた)、何度も何度も読みの練習をする。そして彼女は「お話」そのものになる。一心不乱に「お話」そのものになる。それと共演するとき、共演者も一心不乱にお話そのものになる。お話のなかで沙也佳ちゃんとひとつになる。
そのときお客さんもお話そのものになる。会場がひとつになる。それは、ここで太鼓を鳴らすとか、ここから音楽を入れるとか、ここで静止するとか、そういった段取りを越えた世界なのだ。
「自己主張」とか「自己表現」という言葉の意味についてあらためて考えさせられる。
なぜなら、沙也佳ちゃんはそのとき、自分のことなど微塵も考えていない。彼女が考えているのはお話のことだけ。純粋に語ることだけ。そのとき、我々の前には、小林沙也佳という語り手が圧倒的な力を持って立ち現れる。私もただその世界のなかに入って行くだけ。

彼女はいま、その7年200回の活動を通して多くの支援者を得てきた。これからもそれは増え続けていくだろう。
私ひとりが支援してきたような顔をしているように見えるかもしれないが、決してそんなことはない。
彼女を支援しているすべての方に大きな感謝を持っている。

歌と詩の会「ぐるぐる詩の輪」のご案内

名古屋です。
知り合いの詩人から案内をもらったので、紹介します。私自身は残念ながら行けないので。
興味のある方はどうぞ。飛び入りでも大丈夫だそうです。
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●9月25日(土)午後3:00〜5:00
会場:喫茶Jaaja(ジャージャ)
アクセス:名古屋市・地下鉄・覚王山(かくおうざん)駅下車、1番出口(右へ)直進1分
三菱東京UFJ銀行・東隣、3台分の100円パーキングとなり(間口の狭い店です)
料金:(会場使用料として)参加費500円+1オーダー
 
流れとしては、一人5〜10分で歌か詩の朗読、(いつも2順をします)、歓談をして交流をします。10代〜80代まで幅広いメンバーが集まります。
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2010年9月13日月曜日

「ピースウィークくにたち」が開催されます

NVCをいっしょに勉強している仲間から、以下の案内をいただいたので、紹介します。
とても盛りだくさんで魅力的なイベントですね。

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★実行委員会企画映画ラインアップ(日時など詳細はウェブで)

『ミツバチの羽音と地球の回転』(鎌仲ひとみ監督/2010年/125分)
『ヒバクシャとボクの旅』(國本隆史監督/2010年/64分)
 忌野清志郎主演『不確かなメロディー』(杉山太郎監督/2001年/93分)
『死んどるヒマはない―益永スミコ86歳』(ビデオプレス/2010年/70分)
『未来の食卓』(ジャン=ポール・ジョー監督/2008年/112分)
『アボン 小さい家』(今泉光司監督/2007年/111分)
『水になった村』(大西暢夫監督/2007年/92分)
『ディア・ピョンヤン』(ヤン・ヨンヒ監督/2005年/107分)
『パリのモスク〜忘れられたレジスタンス』

★その他くにたち各地で行われる市民企画いろいろ

■秋の夜長 みつろうキャンドルを灯そう 作ろう
SAPではみつろうキャンドルやキャンドル作成キットを、器の店ノーションでは作家もの
の燭台やキャンドルホルダーを販売。SAKKA no ZAKKAでは手作りキャンドルのワーク
ショップを開催します。
【日 時】販売9月10日(金)〜23日(木)
     ワークショップ:9月11日(土)、18日(土)、24日(金)13:30〜15:00
【参加費】1500円(材料費込み)
【定 員】各5名(要予約)
【主 催】SAP、器の店ノーション、SAKKA no ZAKKA
【連絡先】TEL/FAX:042-573-4780(SAP)
     TEL:042-573-3449(器の店ノーション)、
     TEL/FAX:042-505-5323(SAKKA no ZAKKA)

■セプテンバーコンサート
毎年9月11日に「平和」への思いを音楽に託して世界中で行われている入場無料の「草の
根コンサート」です。この日、地球全体が音楽に包まれることを夢見て。詳細はウェブ
ページをご覧ください。
【日 時】9月11日(土)・12日(日)(時間はHP参照)
【場 所】agreable*musee
【主 催】agreable*musee
【連絡先】TEL:042-577-7353 FAX:042-577-7362

■平和を紡ぐ1000人の女性たち写真展
 &横井久美子とピースな仲間たちコンサート+映画
世界中の平和活動家女性1000人の顔々に囲まれる写真展。その一人、国立在住の歌手横井
久美子さんの展示初日ロビーコンサート。横井久美子と歌仲間コンサート&女性達をノー
ベル平和賞に正式ノミネートした記録映画。
【日 時】9月11日(土)〜9月18日(土)
【場 所】公民館ロビー(展示と初日16:00〜ロビーコンサート)
【日 時】9月25日(土)18:00〜
【場 所】くにたち公民館ホール(映画上映とコンサート)
【主 催】1000ピースウィメン
【連絡先】TEL/FAX:042-576-1297

■9条カフェ
9条カフェは、憲法9条や平和のことをみんなでおしゃべりする会です。誰か「偉い」人
が来て話をするのではなく、参加した人みんなが主人公。様々な興味をもったいろんな人
がいることがわかるだけでも、世界が広がった気分です。
【日 時】9月16日(木)16:00〜18:00
【場 所】カフェひょうたん島
【参加費】100円+飲み物代
【主 催】国立東9条の会
【連絡先】TEL:042-574-8012(八木)

■「韓国併合100年」─歴史・現在・未来を考える─
立川シビル市民講座第15期。第1節は徐京植さんをお迎えし6月に終了。第2節は石坂浩
一さん(立教大学)を講師に第1回「韓国民主化運動と日本社会の変化」、第2回「21世
紀の日本と朝鮮半島」。第3節第1回は10月30日(土)昼、イ・ヨンチェさん(恵泉女学
園大学)を予定。
【日 時】9月18日(土)・10月2日(土)各18:00〜21:00
【場 所】立川シビル(モノレール立川南駅から徒歩1分)
【受講料】1000円(会員・学生・生活困窮者は800円)
【主 催】市民の学習・活動・交流センター シビル
【連絡先】TEL/FAX:042-524-9014 メール:civiltachikawa@yahoo.co.jp

■パーソナルフォーカス2010
 ―3分間8ミリフィルム フェスティバル―
小さな8ミリフィルムの手作り感に溢れたフェスティバル。商業映像とは一味違った、多
彩な楽しさ美しさが輝いています。
【日 時】9月19日(日)15:00〜
【場 所】木乃久兵衛:キノ・キュッヘ
【参加費】1000円
【主 催】パーソナルフォーカス東京上映企画
【連絡先】TEL/FAX:042-577-5971(キノ・キュッヘ)

■『たいせつなもの』出版記念会
2007年、夫の急死で、この絵本の著者と9人の子どもが残されました。離婚で会えなく
なった妹の子とともに子どもたちに伝えたい思い。著者のなるさわまちこさんが語ります。
【日 時】9月23日(木)
【場 所】カフェひょうたん島
【参加費】1800円(絵本付)
【共 催】「たいせつなもの」を伝える会/子どもとの交流を求める親の会
【連絡先】TEL/FAX:042-574-0930

■ソプラノ独唱と映画の夕べ
沖縄の地に1日も早く平和な日々が来ることを願って、沖縄の歌と映画『太陽の子』を上
映します。
【日 時】9月24日(金)19:00〜
【場 所】公民館・講座室
【主 催】子どもたちに豊かな未来を!映画会
【連絡先】TEL:042-573-3101

■モーニング ヨーガ
心と身体の調和をとるためのヨーガ、特に、一日の始まりの朝に行うヨーガによってクリ
アーな目覚めを体感しましょう! どうぞ気軽にご参加ください!
【日 時】9月26日(日)7:00〜8:15
【場 所】スタジオ凛
【主 催】スタジオ凛
【連絡先】TEL/FAX:042-575-3833

そのほか全部で18の市民企画
ピースウィークくにたちのウェブサイトはこちら。
⇒ http://blog.goo.ne.jp/kunitachipw/

2010年9月11日土曜日

名古屋より

名古屋、晴れ上がっている。今日も猛暑日の予定。
今日は9.11。あれから9年。21世紀の最初の10年はいろいろな意味で激動の世界だった。私の人生観、考え方、そして日々の生活も大きく変わった。
そんなことを思いをはせながら、今夜はウェルバ・アクトゥスのミニライブをおこなう。

昨日は予定どおり、東京から名古屋へ移動し、語りっ娘・小林沙也佳ちゃんとお母さんと合流。
三好市北部小学校での公演イベントの打ち合わせ。
豊田市足助に行って、知立演劇フェスティバルのレッスンと、「水琴」コンサートの打ち合わせ。
名古屋に戻り、劇団クセックのアトリエでバラさんと落ち合い、今日のミニライブにアトリエの1階部分を貸してくれ、給仕も手伝ってくれるアトリエオーナーもいっしょに軽く会場準備をしてから、飲みに行く。
終電でホテルにチェックイン。

今日は午後、クセックのアトリエ〈エル・ノルテ〉でウェルバ・アクトゥスのワークショップ。バラさんが急遽、ワークショップ講師として来てくれることになった。参加の皆さんはまだこのことを知らない。
見学や一回きりの臨時参加も歓迎です。
この問い合わせ電話番号は臨時ですが「090-9962-0848」です。

2010年9月8日水曜日

次世代オーディオブック・リーダー養成講座受講生募集(第四期)

新しい声のジャンル、“オーディオブックリーダー”養成のための実践的集中講座!
最終オーディションを突破してプロReaderを目指しましょう。
第四期生9月23日スタートです。

ハイクォリティなオーディオブックを制作しているアイ文庫が、次世代のオーディオブックリーダー養成集中講座を開催しています。
当講座には、オーディオブック販売のことのは出版とNPO法人現代朗読協会の全面的バックアップを得ています。

主催:アイ文庫
協力:ことのは出版
   現代朗読協会

★次世代オーディオブック・リーダー養成講座
 声優/ナレーター/朗読者のためのステップアップ講座
 申込みはこちら

【概要】

オーディオブックの読みや収録についてのノウハウとトレーニング法を一日で集中講義します。
その後1~2か月のトレーニング期間をおいて最終オーディション(収録)をおこないます。
合格者は、ことのは出版(株)のオーディオブックリーダーとして登録され、商業コンテンツの収録に備えていただきます。

【詳細】

(1)集中講座

以下の日程で開催される一日集中講義を受講していただきます。

 日時:2010年9月23日(月)10:00~18:00
 場所:アイ文庫(世田谷区/京王井の頭線新代田駅徒歩2分)
 受講料:33,000円

(2)トレーニング

収録用の作品を選び、(1)の内容の習得と(3)にむけての1~2か月間のトレーニング期間を設けます。
期間中は、メールによる指導と面談(またはスカイプ、希望者のみ)で習得状況をチェックします。質問等も自由です。
理解度や技術レベルによっては現代朗読協会のワークショップに参加していだくこともあります(参加費免除)。

(3)オーディション

アイ文庫のスタジオにて収録をおこないます。
収録後、数日以内に合否を決定します。
合格者は、ことのは出版(株)のオーディオブックリーダーとして登録され、商業コンテンツの収録に備えていただきます。
すでに一期生から三期生が実際の収録をおこなったり、収録の準備をはじめています。

【本講座の特徴】

オーディオブックリーダー(朗読者)は、ナレーターでもアナウンサーでもなく、声優でもない、新しい声のジャンルです。
オーディオブックの朗読にチャレンジしてみたいと思っている人が多いなか、その読みや収録についてのノウハウをしっかりとアドバイスしてくれる場所はそう多くありません。
そんななかで、アイ文庫は、今後も長くネットコンテンツとして流通していくに耐えるクオリティを持ったオーディオブックの制作とリーダーの育成にあたっています。
単なる音読コンテンツではなく、「朗読作品」としてのオーディオブックを読める人を育てることが目的です。

文芸朗読、詩曲集、教科書朗読、英語朗読などで業界随一のクオリティと実績を持つアイ文庫のオーディオブック・ディレクターが指導にあたります。
ただ読むだけではない、情報伝達のみにとどまらない、「表現」の域にまで踏みこんだクオリティの高いオーディオブック収録ができるハイレベルなリーダー(朗読者)の育成をめざします。数多くの実践的なノウハウを盛りこんだプログラムで予定しています。

◎ドキュメント「オーディオブックの真実」

日本のオーディオブックの現状や経緯を詳しく書いたドキュメントを、講師の水城が配信しました。
こちらからその全文が読めます。

アイ文庫のツイッターも参考にしてください。

げろきょでないと Vol.20 ライブレポート

昨日は毎月2回恒例の中野ピグノーズ「げろきょでないと」だった。開催はこれがちょうど20回め。
女優の石村みかさんが初出演してくれるというので、7時20分に中野駅前で待ち合わせ。いっしょにブロードウェイを抜けてピグノーズへ。
すでに照井数男が来ている。彼は20回のほぼ皆勤である。
出演はもうひとり、野々宮卯妙。こちらもほぼ皆勤。

20時すぎにぼちぼちと始める。まずは照井数男による連続朗読、太宰治の「彼は昔の彼ならず」という中編。だいぶ後ろのほうまで来た。このところしはしばやっているMacBookをつないでの電子音を使いながら。それにピアノ演奏もからめて。
かなり前衛的な雰囲気になる。
私の演奏と照井くんの朗読が興に乗って盛り上がってきたところへ、初めていらっしゃるお客さんがふたり。女性。初めての方にはこれはちょっと刺激が……と思ったが、途中で止めるわけにはいかない。そのまま最後までやる。
その後でうかがったのだが、女性ふたりはネットで「朗読」と検索して、現代朗読協会のことを知り、このライブのことも知って、思い切ってやってきたそうだ。むむ。せめてこの後の演目は手柔らかにいこうかとも思ったが、今夜のテーマは「特殊相対性」であった。

彼女たちが思いっきり引いている感じを受けながらも、いつものようにやる。
野々宮が「洗濯女」をやる。これは「桃太郎」の現代小説バージョン。一見、普通の朗読を装いつつ、途中でふざけた仕掛けがある。いわゆる従来型の朗読ではない。これも聴いて怒る人は怒る。

石村みかが出る。
9月19日に下北沢〈音倉〉でおこなうライブ「特殊相対性の女」のシナリオの一部を朗読する。朗読といいつつ、やはりそこは役者だ。思いもよらないさまざまな表現を乗せてきて、おもしろい。当日はこれに動きが付く、と思うとわくわくする。が、もちろん、従来朗読の枠からは大きくはみ出している。怒る人は怒る。

つづいて野々宮による西田幾多郎の『善の研究』。哲学書を朗読するというのはあまりないだろう。私はミニマルミュージック風に、しかし左右の手指の連動能力の極限に挑戦しつつ、からむ。
照井によるアインシュタインの名古屋における「特殊相対性理論」に関しての講演録の朗読。これまた講演録を読むというのはあまりないだろう。次第に白熱していく照井くんの朗読と私の渾身のフリー演奏とで、非常に過激なパフォーマンスとなる。
前半ラストは、せめて一本くらいわかりやすいものを、ということで、野々宮が新美南吉の「あし」というおばかな馬の話。

少し休憩をはさんで、後半のしょっぱなはお客さんからのリクエストにより、野々宮が芥川龍之介の「桃太郎」を。
つぎに、レイラさんが連れてきてくれたギタリストの曽根一馬さんが演奏に参入。とりあえず、ブルースをやろう、ということで、私とデュオでのブルース演奏に乗って野々宮に漱石の「夢十夜・第六夜」を読んでもらう。楽しい。
照井によるアインシュタイン講演録の、曽根ギター参加フリーバージョン。
石村みかによる「眠らない男」歌入りバージョン、曽根ギター付き。
野々宮による「砂時計」静寂バージョン、曽根ギター付き。

そして今夜もまた、フリージャズの第一人者であるピアニストの板倉克行さんが遊びにきてくれた。
曽根さんとのガチンコセッション、そして朗読との入り乱れてのセッション。
しまいには、全員参加、私も板倉さんと連弾での、「乱れ髪」セッションと、すごいことになってしまった。
第20回にふさわしい濃密なライブの時間であった。

声優・ナレーター・朗読者が使うヘッドホンについて

ヘッドホンを買いたいがどのようなものがいいか、ということを時々聞かれるので、簡単にまとめておきたい。
まず、選択肢として、ヘッドホンではなくてイヤホン型のレシーバーが多く使われているが、これはNG。イヤホン型レシーバーはあくまで娯楽用であり、簡易モニターなので、勉強用には不向き。また、電車の中などつい大音量で聴いてしまいがちになり、朗読者の命でもある耳を痛めることがよくある。
ロックバンドをやっている(いた)人で難聴の人が多いのは、ライブのせいではない。イヤホン型レシーバーを使って大音量で音楽を聴くのは(とくに一定のビートと低音をブーストしたものを聴くのは)、想像以上に耳に与えるダメージは大きい。朗読者はなるべくイヤホン型レシーバーを使用しないように心がけたい。使うときには音量に細心の注意を払いたい。

ヘッドホンには大きく分けて2種類のタイプがある。密閉タイプとオープンエアタイプ。微細なニュアンスを聞き分けるにはどちらが適しているか、あらためて書くまでもないだろう。そして朗読やナレーションなど人の音声を詳細に聴くというのは、音楽鑑賞以上に微細な観察行為である。
人の声の要素としては、息使いやリップノイズのような微細な音成分から、音圧の高い声成分まで、幅広いレンジがある。それらをきっちり聞き分けるには、それなりの解像度の高いモニター(ヘッドホン)と、よく訓練された「耳」が必要になる。
人の声と音楽との一番大きな違いは音域だろう。非常に低い音から高い音まで存在する音楽に対し、人の声の主要成分は中音域(300~700ヘルツ前後)に集まっている。とはいえ、低音域と高音域がないわけではない。その証拠に、両方の音域をカットすると、電話のような声になる。
人の声には音程としては現れない倍音成分が豊富に含まれていて、それらが音質や表情を作っている。中音域だけ再生できればいいというわけではない。とはいえ、中心成分は中音域に多く集まっているので、中音域の再生に強いヘッドホンを選ぶのがよいだろう。
J-POPやロックなど、現代商業音楽の再生を主目的にした多くのヘッドホンは、低音域の極端なブーストや高音域のいわゆる「伸び」や「抜け」を重視した作りになっているので、人の声の再生にはあまり向いていないといわざるをえない。できればフラットな特性のものを選びたい。
出回っているヘッドホンでこの目的に一番近いのは、クラシック音楽用とされているものだろう。これとて、好みによってピアノがきらびやかに聞こえる高音域が伸びるもの、落ちついた音色のもの、オーケストラの迫力が増す低音域に強いものなど、さまざまある。

ヘッドホン選びにおいてもっとも理想的なのは、自分がよく聴いている親しいナレーターや朗読者の声を録音したCDを持参して、店で実際に聴いてみることだ。
自分の声はNGである。自分の声は自分が聴いているようには人には聴こえていない。よく聴いている人の声がよい。しかも生で直接聴く機会がある人の、きちんと録音されてマスタリングされた音源が準備できればベスト。それをかけて、もっとも自然に聴こえるヘッドホンが、あなたにとって最適のヘッドホンに近いだろう。
しかしここまで準備するのは大変だし、そもそも店に行けないこともある。その場合は、購入者の評価や知り合いの推奨、データ、価格帯など、さまざまなデータを見て検討することになる。
価格としては、一概にはいえないし、上を見ればきりがないが、やはり1万円以上であるかどうかが製品クオリティの判断基準点になるかと思われる。
使用状況によっては密閉タイプよりオープンエアタイプがよかったり、最近ではノイズキャンセラー付きのものが安価になったりと、さまざまな選択肢があるので、詳しい人に直接相談するのがもっとも適切だろう。現代朗読協会に来れば私も気軽に相談に乗ります。

2010年9月7日火曜日

「(演劇+朗読)×音楽=特殊相対性の女」公演のお知らせ(9/19)

(演劇+朗読)×音楽=「特殊相対性の女」!?
女優・石村みかと朗読家・野々宮卯妙、そして即興演奏の水城ゆうがぶつかりあい融合する音の饗宴……
さまざまな舞台で活躍中、その天性の演技力で観る者を魅了している劇団東京乾電池の女優、石村みかと、現代朗読協会でバロック朗読家の異名をとる朗読者、野々宮卯妙。
個性の強いふたりを融合しぶつからせるのは、水城ゆうの斬新な演出、そして音楽。
写真家・三木義一による映像が音を目に焼きつけます。

時空を超えた物語が、地下空間で跳ねまわる!
ことばを超えて溢れる、ことばにならない感動を体験してください!

(演劇+朗読)×音楽=「特殊相対性の女」
作:水城ゆう
出演:石村みか/野々宮卯妙/水城ゆう
映像美術:三木義一

日時:2010年9月19日(日)
昼の部 14:00開場/15:00開演
夜の部 18:00開場/19:00開演

会場:Com.Cafe 音倉(下北沢)
http://www.otokura.jp
(155-0031)東京都世田谷区北沢2-26-23 EL NIU B1F

料金:3,000円(ワンドリンク付き)

予約:オンライン予約(携帯可) ⇒ こちら
メール予約 live@roudoku.org
FAX予約 03-6893-0595
問い合わせ:live@roudoku.org/090-9962-0848(現代朗読協会)

印刷美術:出愚坊一歩
印刷デザイン:伊藤貴人(鯔背屋)

制作:NPO法人現代朗読協会
協力:ウェルバ・アクトゥス制作実行委員会/アイ文庫

◆演出家からのメッセージ◆

演劇が役者の身体による表現であることは異論のないところだと思うが、朗読もそうであることはあまり認識されていない。
私は朗読演出においても常に朗読者の身体性、時空性を意識し、また意識させてきたが、すぐれて鍛えぬかれた朗読者の身体性が鍛錬された役者の身体性とどこまで拮抗するのか、興味を持っていた。もちろん朗読者と役者との身体性は、その使用方法やあり方そのものが異質なものだが、それゆえおなじステージ上に存在したときにどのように拮抗するのか、あるいは拮抗しないのか、化学反応を起こすのか、起こさないのか、好奇心をかきたてられる。
野々宮卯妙といういわば現代朗読で純粋培養された朗読者と、石村みかというすぐれた身体感覚を持った役者とのぶつかりあい。見たこともないもの、聴いたことのない声、音、経験したことのない時空を経験したくて、このテキストを書いた。
アルバート・アインシュタインは、物質が光速度に近づいていけばいくほど時間と空間に非日常的な歪みが生まれることを証明した。彼の頭脳が高速(光速)回転していたとき、彼の身体はどんなイメージに包まれていたのだろうか。彼はまた音楽を愛する人でもあった。
私もピアノ弾きという立場でステージにいるのだが、ご来場の皆さんとともに異空間の目撃者、体験者としてそこにありたいと望んでいる。
(水城ゆう)

2010年9月6日月曜日

ことばの世界、音楽の世界で起こっている大きな変化のこと

(以下の記事はあくまで私見であり、私が自分自身の考えをまとめるために書いたメモのようなものです。暖かな目で読んでいただければ幸いです)

ブームという言葉は使いたくないが、確実になにかが変わりつつあるようだ。
社会全体の価値観の話。
高度経済成長が終焉をむかえ、物質的豊かさが成長しつづけることは幻想であり、また罪悪ですらあると人々が感じはじめているいま、社会的価値観が変わっていくのは当然の帰結だろう。
中央より地方、物質的豊かさよりつつましさ、人工より自然、スピードよりゆったり。
テレビ番組で見たのだが、「標準語より方言のほうがいい」と答える人は、若い世代のほうが圧倒的に多い。そしてその割合も90パーセント以上になっている。
かつては恥ずかしいことだった「なまる」話し方も、いまは「かわいい」といって堂々と使われている。
朗読の世界では標準語イントネーションに固執し、そのまちがいに目くじらを立てる人がまだまだ多いが(もちろん高齢者層)、そんなことは全然本質的ではないし、つまらないことだと、私はずっといいつづけてきた。論点は多少ちがうが、このような流れのなかでつまらない価値観を捨ててくれる人が増えるといいと思う。

社内公用語を英語にする企業が出てきているが、これもまったく時代に逆行した流れであることがわかるだろう。
グローバル化という全体化の流れは、まだ大きな流れであるかのように見えるが、人間社会がそれで幸福になれないことはだれもが感じていることだ。英語公用語化で不幸な人が増えるばかりだろう。
英語は私たちにとっては母国語ではなく、グローバル言語という「道具」である。道具の使い方を学び練習するのはもちろん有用なことだが、それ「だけ」にしてしまうというのは日本全体の話し言葉を標準語だけに強要するような戦前や戦後直後の全体的な流れと同じことである。その流れのなかでは、ディテールやこまやかな心のふれあい、多様な思考・身体性といったものが失われていくだろう。結果的に企業も力を失っていくことになる。
母国語、そして地方の言葉を失ったとき、その人の世界観はフラットで殺風景なものとなる。

音楽の世界でも価値観の転換が起こりはじめている。
商業音楽の大きな流れのなかで、時代につれて流行したスタイルはあるが、気がついてみればいまや全世界が似たような音楽でおおわれている。日本もその流れに押しながされている。リズムはすべて2拍4拍に強拍を持つダンスビートだし、ビートは極端にブーストされたベースとドラムキックが受け持つ。そこにコードを受け持つギターかキーボードが乗る。
使いつくされたメロディラインは、すでにメロディメークをあきらめ、ラップに取ってかわられた。メロディが残っている曲もほとんどラップのようにしか聞こえない単調なラインしか持っていない。それをコーラスで取りつくろっている。その曲を非常に凝った映像やバックダンサーズなどでビジュアル装飾し、オーディエンスを無理やりノセている。ノセられているオーディエンスは麻薬のようなビートで思考停止におとしいれられた消費者である。

一部の人はそんな音楽シーンの不自然さに気づきはじめている。
すでにそんな商業音楽に背をそむけた人は増加の一歩をたどっている。そんな人たちはクラシック音楽やジャズ、そして日本にも古くからある美しいメロディの宝庫である童謡や唱歌を見直しはじめている。
いまの若い世代はほとんど童謡・唱歌を知らないが、一度聴けばその新鮮さに打たれるという(無関心な者ももちろんいるが)。ツイッターなどで情報が瞬時に共有されるいま、耳の肥えた音楽を熟知したオーディエンスのつぶやきに、若い世代が耳を傾けはじめている。
日本の童謡や、とくに明治期以降に成立した唱歌は、ジャズがそうであるように、独自の出自を持つ楽曲であり、いまも世界に通用する力のあるメロディの宝庫である。いままさにここに光があたろうとしていることを、私は確信する。

2010年9月3日金曜日

インタラクティブなミュージッククリップ「The Wilderness Down Town」

グーグルが作ったウェブ上のミュージッククリップ。
サイトはこちら
「インタラクティブ」というところがミソ。従来との違いをアピールしている。
こちらが関われのは二カ所。

まず、場所。自分の好きな場所の地名を入れる。
私だったら世田谷の梅丘に住んでいるので「Umegaoka」と入れると、自動的に検索して、「東京の世田谷区ね?」と補完して聞いてくる。
オーケーすると、ミュージッククリップの再生が始まる。
流れるのはカナダのバンド「Arcaid Fire」の「The Wilderness Down Town」という曲で、パーカーを着て帽子を深くかぶって顔の見えないランナーが道をひたすら走っている映像が流れる。
HTML5の技術を駆使して、次々とウインドウが開いたり閉じたり、動いたりする。
ランナーが走っているのはどこともわからない場所なのだが、途中でおなじみの「グーグルアース」「グーグルマップ」や「ストリートビュー」の映像がウインドウで重なって流れ、なんとなく男が走っている街が梅丘であるかのような錯覚におちいるのだ。

途中でもう一度、「インタラクティブ性」が出てくる。
入力窓があらわれ、そこにマウスで自由に絵を描いたり、メッセージを書きこんだりできるのだ。それがまたミュージッククリップのなかで動的にクロスしていって、イメージを変化させる。
よく見れば他愛ない加工で、それほど凝ったことをやっているわけではない。が、インタラクティブ性が目新しさを感じさせる。
しかし、確認してほしいことだが、やはりもっとも重要なのは、まずは曲を作った人、それを演奏した人、それを収録し音楽作品に仕上げた人、そして映像を撮影し編集した人。つまり、最初に「もの」を作った人たちであるということ。
ネットではともすれば、そこのところがおろそかに、忘れられがちになる。私も作り手のひとりとしてときに残念な気持ちになることがある。

2010年9月1日水曜日

蔓木のなかの黒猫

しばらく描いてないな〜、と思ったら、猫スケッチは1年半ぶりだった。
無心で手を動かす。このかけがえのない時間を、ここずっと持てていなかったことが問題だ。
とはいえ、今日もやることがいっぱいあって、それらを全部わきにうっちゃってのスケッチだったんだけど。
この猫のように、すべての動きをとめて、偶然いるその場からじっと世界を見つめてみたい。