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2018年9月24日月曜日

名古屋〜豊田〜半田(新美南吉記念館)

先週の金曜日・21日の午後に東京を出て、名古屋、豊田、半田とめぐって、昨日・23日の深夜にもどってきた。

メインの目的は語人・サヤ佳ちゃんと新美南吉記念館での語りの会をやることだったが、そのついでに11月の語りコンサートの打ち合わせやら練習もかねて、前日入りすることになった。
さらについでに、もう一日早めに行って、バラさんこと榊原忠美氏の朗読公演「外科室」の稽古を見学して、みなさんと打ち上げしたきた。

私が2009年に名古屋市芸術創造センターで「Kenji」を、2010年に愛知県芸術劇場で「Ginga」をやったときのメンバーが、いまだに活動をつづけていて、バラさんらと朗読公演を展開したりしている。
「外科室」はそのときの仲間の北村ふみさんも出演していたり、ナオスケさんや深澤さんや劇団クセックACTが関わっていたりと、私にも縁が深い。

名古屋市のマンションの一室でおこなっていた稽古に行ってみると、コギソさんも来ていたりして、稽古後に円頓寺商店街のスペイン酒場で打ち上げしたのが楽しかった。

この夜はバラさん宅に泊めていただいて、夜も朝もご家族とちょっと交流させてもらったのも楽しかった。

土曜日は個人セッションのために午前中から出かけた。
夕方からは豊田のサヤ佳ちゃんのアトリエに行って、打ち合わせと稽古。
新美南吉記念館にはピアノがないので、東京からデジタルピアノを運んでいったのだが、アトリエにも持ちこんで、語りと合わせた。
サヤ佳ちゃんの語りがさらにすばらしく、声と全身がこちらの演奏と響き合って、感じ入った。

この日は刈谷のホテルをとってもらっていたので、そちら泊。
ゆっくりさせてもらった。

日曜日は半田市の新美南吉記念館へ。
刈谷からは近く、楽器もすんなり搬入できると思っていたのだが、ところがどっこい、この日は三連休のなか日。
しかも記念館のまわりではこの季節に咲きほこっている彼岸花にちなんだお祭りが開催されていて、大渋滞。
また記念館も通常の入口や搬入口が閉鎖されていて、入館するだけでもひと騒ぎだった。
さいわい、記念館のかたが親切で、走りまわって案内してくれたので、なんとか無事に搬入できた。

サヤ佳ちゃんの語りイベントは午後1時半からスタート。
先日の天白の現代朗読ワークショップに参加してくれたようこさんも駆けつけてくれたりした。

演目は「張紅輪」と「木の祭」。
いずれも新美南吉のものに、私はピアノ演奏で参加。
「木の祭」は美しい切り絵のスライドも映写されて、演奏もやりがいがあった。

予定されたイベントを全部終え、休憩しながらゆっくりと東京にもどった。
途中、横浜あたりで30キロくらいの渋滞があったが、厚木から圏央道へとうまくすりぬけることができて、日付が変わるころに無事に国立に帰着できた。

今回お会いしたみなさん、そしてサヤ佳ちゃん(とおかあさんの希依子さん)、充実した楽しい時間をたくさんすごさせていただきました。
心からありがとう。
またお会いしましょう。

2018年9月21日金曜日

音読療法ダブルヘッダー

埼玉県小川町まで行って、福祉委員の皆さんが主催の「ふれあいいきいきサロン」で音読療法の紹介とワークをやってきた。

10時スタートということだったので、国立を午前8時に車で出発。
最初は下道をのんびり走っていこうかと思っていたのだが、朝の時間帯、意外に時間がかかりそうだったのと、このところの長距離移動で疲れぎみだったのとで、高速道路に日和ることにした。
高速を降りると、小川町はヒガンバナがたくさん咲いていて、秋の里山の風景が楽しかった。

今回私を呼んでくれたのは、朗読でも最近共演することが多い小川町在住の狩野亜矢子さん。
参加者はご高齢の方が多かったが、みなさんお元気で、音読療法に高い関心を寄せていただいたのがうれしかった。

事後に亜矢子さんからいただいたメールの一部を紹介したい。

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本日は、遠くまでおいでいただきありがとうございました。
人数が集まるかどうか少し不安でしたが意外と人数が集まり、分からないながらも皆さま「音読」に興味があるのだなあと思いました。
自己紹介についても、想像以上に目的意識をお持ちの方が多かったのは驚きでした。
さらに、音読の効果から呼吸法、実際のワークへと移るにつれ、皆さまの目が生き生きとしてくるのが分かって、やっぱり音読療法はすごいなあと実感することしきりでした。
話の段階では眠そうにしていたかたが、呼吸法のワークが終わったあとに目が大きくなっていたのが印象的で、思わず笑ってしまったほどです。
単純なようで奥の深い音読療法。ご高齢の方のみならず、もっと若い方や小さな子どもたちもともにワークをして、皆が生き生きと日々を暮らせるようになるといいなあと感じました。
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とてもありがたく、うれしい感想だ。

午後は練馬富士見台の高齢者介護施設に移動して、いきいき音読ケアをおこなった。
今回はトレーナーの参加はなかったが、富士見台に住むキャリアコンサルタントのクマさんこと大間さん(共感男塾の共催者)がサポートに来てくれた。
クマさん、ありがとう。

今回、取りあげたテキストは、唱歌「里の秋」の歌詞だったのだが、よく読むと反戦のメッセージであることがわかった。
歌自体もあまりなじみはなかったけれど、歌詞の内容も知らなかった。
まだまだすばらしい歌があるんだろうなと、再発掘したくなっている。

それにしても、このところイベントつづき、長距離移動つづき、また個人セッションなどがつづいて、さすがに疲れぎみなのと、自分の仕事にまったく時間をさけていないので、ちょっとフラストレーションがたまっている。
明日も出かけたり書類作業をしたり、国立春野亭での韓氏意拳講習会で一日が埋まっているし、明後日はもう名古屋、豊田、半田方面に移動して、日曜深夜までもどれない。
合間になんとか工夫して自分の個人的表現に向かえるといいんだけど。

10月14日:ボイスセラピー講座@国立
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。10月14日(日)10時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

語人・サヤ佳のおはなし会を新美南吉記念館でやります

語人・サヤ佳ちゃんとは11月25日(日)に豊田産業文化センターで「語りの会2018」をおこなうが、そのとき特別ゲストとして新美南吉記念館の学芸員の遠藤光嗣さんをお迎えしてお話を聞くことになっている。

その新美南吉記念館で、今週の日曜日・9月23日にお話会をやることになっている。
私は東京から楽器を車に積んで、記念館のある半田市まで行く予定だ。

お話会は14時からで、45分くらいの短い時間だが、新美南吉の「張紅倫」を「木の祭」をサヤ佳ちゃんが語るほか、私もピアノ演奏で参加する。
お近くの方はぜひおいでいただきたい。
参加無料。
案内ページはこちら

2018年9月20日木曜日

秋の採蜜は見送りか

町田のあした農場に行って、日本みつばちの巣箱の内検をしてきた。
台風やら猛暑やら大雨やら、天候不順がつづいたので、巣箱自体の物理的な損傷が気がかりだったが、農場の渡辺さんが囲いや覆いをしてくれたので、大丈夫だった。

農場の康子さんに作業を手伝ってもらって、巣箱のなかを確認してみた。
ふだんは下の掃除窓からスマホを突っ込んで、動画を撮ってなかのようすを見るのだが、今回は巣箱をひっくり返して直接見ることにした。

巣箱2はかなり勢いがあって、なかを見るまでもなく、どんどん花粉を運びこんでいる(動画はこちら)。
動画を見ると、だいぶ巣が下まで降りてきている(動画はこちら)。
が、秋の採蜜は見送りかなあ。
十分に蓄えて冬を越したい。

巣箱3は相変わらず瀕死状態。
だけど、花粉を運びこんでいるようすがわずかに見られる。
ということは、育児はしている?
巣箱をひっくり返してみたところ、かなり怖い状態だが、巣脾はちゃんとできあがってきているので、あとは女王蜂がちゃんといて、産卵・育児が進んでいるのかどうか、だ。

今日は人手と準備が足りなかったのだが、次回は女王蜂がいるかどうかの確認を試みてみたい。
こちらの巣箱もなんとか勢いを盛り返してくれるといいんだけど。

北杜市での共感朗読カフェ(Verba-Actus)は心から楽しかった

昨日は山梨県北杜市にあるゼミ生の桂さんの山荘で、共感朗読カフェ(Verba Actus)を開催してきた。

うっかりしていたのだが、三連休の最終日ということで、参加者が少なかった上に、直前のキャンセルもあったりして、結局私をいれて三人という少数精鋭での、というとかっこいいけれど、なんでもありのゆったりした学びと気づきの時間を持つことができて、私は楽しかった。
気持ちのいい山荘と自然に囲まれた静かな環境のなかでの、それぞれのニーズにつながったゆっくりした学びの時間。
来れなかった人は残念だね、という気持ちに自然になってしまう。

本当にリラックスできる空間で、それにくわえてお互いに安心できる関係性を作っていくのが共感的コミュニケーションの特徴。
日頃いろいろある人も、ここに来て自分につながり、また日常の気がかりや問題を解決する糸口を見つけたり、解決のヒントに気づいたりできる。

そして昨日はあまりやらなかったけれど、自分につながり、マインドフルに気づきつづけ、そのなかで自分自身の生命現象を表現してみることを試みたとき、どんなことが起こるのかに注目する稽古なのだ。

ピアノがあるので、昨日は音楽の基本中の基本の部分をちょっと解説させてもらった。
音楽による情動とはなんによってもたらされるのか。
それは曖昧な事象ではなく、ましてやスピリチュアルな現象でもなく、人間の生理と物理現象による因果関係の明確なことで起こってくるのだ、という解説。

自己共感のために有効な身体を観ることもすこしやったかな。

そのあと、来月の開催日程を決めて解散。
来月は9月17日(水)の午後1時からとなった。
みなさん、ご参加いただきたい。

北杜から東京にもどるとき、三連休最終日のせいで大槻ジャンクションから大渋滞につかまってしまっての国立にもどるのらえらく時間がかかった。
雨も降ったりして。
しかし、一日満たされたニーズを味わえたので、そんな時間もただつらいだけではなかった。

10月17日:共感朗読カフェ(Verba Actus)@山梨県北杜市
Verba Actus とは、共感的コミュニケーションをベースに表現行為を自分自身のなかで統合し、全体性を探求する場です。稽古は朗読する、声を発する、声と身体のつながりを見る、などが中心となります。

2018年9月17日月曜日

水色文庫新作「ボトム・クオークの湯川結合で見えてきたタイムトラベルの可能性」登録しました

水色文庫の新作「ボトム・クオークの湯川結合で見えてきたタイムトラベルの可能性」を登録しました。

このテキストは2018年9月16日に開催した身体文章塾のお題「素粒子」にそって書いた作品です。
身体文章塾の詳細についてはこちらをご覧ください。

2018年9月14日金曜日

玉子かけご飯の作り方

最初、どこで見たんだろう。
ツイッターか、だれかのブログか、とにかくネットで見て、試してみたら、超絶おいしかったので、以後、私の玉子かけご飯はすべてこのやりかたで作っている。
このやりかた以外の玉子かけご飯は食べたくない、くらいの勢いだ。

【材料】一人分
・玉子……1個
・ご飯……お茶碗1杯
・醤油……適宜

まず、あつあつのご飯を用意する。
ふつうの白米のご飯が望ましい。
玄米とか五分づきとかでもいいけれど、玉子の味を邪魔するので白米がよろしい。

玉子はお好みのものを。
平飼い有精卵など、高級玉子など、お好きなものを。
おいしい玉子はおいしく、それなりのものはそれなりに、しかしいずれにしても、玉子の味が際立つ作り方なのだ。

玉子を割り、白身と黄身を分ける。
私は玉子をふたつに割ったら、黄身を殻のなかに残しながら、白身だけをご飯の上にかけてしまう。
殻に残した黄身は脇に置いておく。

白身をかけたご飯を、箸でもスプーンでも泡だて器でもなんでもいいので、激しくかきまぜる。
素早く、白身が泡立つくらい、かきまぜる。

白身が泡立ってふわっとした感じになったら、その真ん中に黄身をそっと置く。
その上から醤油をお好みの分量垂らす。
これで完成。
あとは、黄身を崩しながら、いただく。

これがもっともおいしい玉子かけご飯の作り方である。
いや、ほんと。

2018年9月13日木曜日

自分の喜びから人になにかをしてあげる

自己共感がしっかりできていて自分自身のニーズから行動している人と、自分のニーズを置きざりにしてなにかをしてしまっている人とでは、起きることがまったく違ってくる。

たとえば、家族に料理を作ってあげるとする。
家族が喜んでくれたり、あるいは料理を作る余裕がなかったり疲れたりしている家族をいたわることを思ったら、それは自分自身の喜びである、「料理を作らなければ」ではなく、「料理を作ってあげたい」というみずからのニーズから料理を作るとき、あなたは生きいきとしている。
そのことは家族に伝わっている。
いや、ほんとに伝わるのだ。
人は無意識にさまざまな微細な情報を受け取っているものだ。

そうではなく、家族が疲れている、自分が料理を作らないと家族が飢えてしまう、自分も作りたい気分ではないけれど自分が作らなきゃだれが作ると思って、がんばって作る。
そんなとき、たしかに料理は完成するかもしれないし、家族もそのことを喜んでくれるかもしれないが、あなたの「自分につながっていない感じ」は家族にも伝わっている。

前者と後者のちがい。
あなたが前者のとき、家族は自然に「ありがとう」という気持ちになることが多い。
後者のとき、家族は「申し訳ない」という気持ちになることが多い。

これは相手が家族にかぎらない。
対人援助職といわれるような仕事の人たちがいる。
看護師、医師、教師、マッサージ師、介護士、ほかにもたくさんある。
そういった人たちが自己共感のないまま、仕事だからと義務的に相手になにかをおこなうとき、たとえそれが相手を助けることであっても、相手は「申し訳ない」という気持ちになってしまう。

そもそもあなたはなぜその仕事についたのだろう、ということだ。
人を助けたくて、役に立ちたくて、サポートしたくて、そしてそれが自分の喜びであり生きる道だと思ったから、その仕事についたのではないだろうか。
あなたの行動の原点であるそのニーズにもう一度立ちかえり、喜びをもって仕事をするとき、相手はきっと「申し訳ない」ではなく「ありがとう」という気持ちになってくれるだろう。

私たちは人になにかをしてあげるとき、「申し訳ない」ではなく「ありがとう」がほしい生き物なのだ。

9月15日:共感音読カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会です。

2018年9月12日水曜日

雪囲いの準備と家の路地の秋の花たち

福井の実家に帰省中だが、いまのうちから雪囲いの準備を進めておこうと、あれこれ動いている。
いくらなんでも早い、と思われるかもしれないが、この前の冬は何十年ぶりかの豪雪で、ひどい目にあったのだ。
今シーズンはどうなるかわからないが、もしそうなったときの弱点が露呈したので、すくなくともそこはつぶしておきたい、と。

とくに母屋の下屋と離れの屋根がクロスしている縁側の隅っこの三角地帯に、屋根からずり落ちてきた雪がたまりにたまって、にっちもさっちもいかなくなった。
長らく縁側は雪に閉ざされ、出口のないカマクラ状態になってしまった。

まずは池に井戸水がちゃんと流れるようにする。
冬場も暖かい井戸水が池に流れれば、雪をどんどんそこに放りこめばよい。
つぎに、魔の三角地帯に雪がたまらないようにするために、雪囲いを工夫して落ちてきた雪を池へと誘導する。
そのために、角材やら波板やら、それを固定するためのパネルやらを買ってきた。

てなことをやっていたときに、離れの裏の路地に秋の花がいろいろ咲いているのを見つけた。
ヒルガオ(これは鉢植えの隅っこに生えていた)以外は名前もよくわからないのだが、可憐だ。

イボ、取れた

右手の薬指と小指の先っちょにできて、ピアノを弾くにも編み物するにもコンピューターのキーを打つにも不自由していたイボが、やっと取れた。

医者が「指を使う仕事だから」と気を使って塗り薬で除去する方法を試してくれたのだが、うまくいかず、結局、液体窒素で焼き切る方法になった。
痛かったが、その後、真っ黒に変質して、1週間くらいでぽろっと取れた。
根が残っていないことを祈りたい。

しかし、再発しないためにはどうすればいいんだろう。
けっこうしょっちゅう手先のいろんなところにイボが発生するんだよね。

体脂肪率20パーセント超の隠れ肥満から17パーセントを切るまでにやったこと

20代のころは50キロ台だった体重が、小説家だのラジオ製作だのピアノ弾きだの朗読演出だの、あまり身体を動かさない仕事をつづけていたせいか、60キロを突破していた。
それでも水泳を中心に運動をこころがけていたおかげで、60キロ・プラスマイナス1キロくらいで安定的にキープできていた。

が、2011年の東日本大震災をきっかけに1、2か月であれよあれよと増え、気がついたら65キロ近くになっていた。
これがきっかけだということははっきりしている。
ストレスであり、また当時住んでいた羽根木の家に大勢の人が出入りして、そのたびにいっしょにご飯を食べたりしていたので、歯止めがかからなくなったのだ。

これはまずいと絞りにかかったのだが、なかなか減らない。
それでも62キロくらいまでは落としたのだが、体脂肪は20パーセントを超えたまま下がらない。
はっきりいって隠れ肥満だ。
いや、隠れていない、腹まわりに脂肪がたっぷりとついて、いわゆる中年体型になってしまった。

たしかに年齢も年齢なのでと、一時はちょっとあきらめかけていたのだが、いややはりと気を持ちなおして、減量というより体脂肪を落とすことに挑戦しはじめた。

体脂肪を落とすには、運動と基礎代謝をあげることが効果的だ。
運動はもちろんエネルギー消費であり、食事で足りないエネルギーは脂肪燃焼でおぎなう。
つまり、摂食カロリー以上に運動しなければならないということだ。

基礎代謝はとくに運動しなくても生きているだけで消費されるエネルギーで、その代謝量は筋肉量に左右される。
つまり、筋肉を増やせば、基礎代謝は大きくなるのだ。

ということで、エネルギー消費のための運動ではなく、筋トレを心がけることにした。

ひとつ問題があって、いくら筋トレをしても、食事量が少ないと体重も増えない代わりに筋肉も増えないのだ。
とくにタンパク質の摂取は必須だ。
そこで、プロテインで補ってやることにした。
これだと、食事量を増やさなくても大丈夫。
体脂肪が増える心配なく、筋トレで筋肉量を増やすことができる。

そんなことを数か月つづけてみたら、数値が変わってきた。
いま、体重は59キロで、体脂肪は17パーセントまで落ちている。
もうすこしがんばって、体脂肪を15パーセント以下に落としたい。
なおかつ、体重は65キロくらいまで増やしてもいいような気がしている。

ある程度パワーのある身体にして、やってみたいスポーツがあるのだ。

2018年9月10日月曜日

朗読と共感のコラボWS@天白アロマファン、9月の会終了

9月9日・日曜日は、早朝に東京・国立を車で出て、名古屋・天白区の古民家スペース〈アロマファン〉に移動。
秋分の日に近づいてきて、午前5時だとまだ真っ暗だが、しだいに明けていくなか、府中国立インターから乗って、中央道、圏央道、東名高速を経由して名古屋に向かう。

名古屋にはいったらどしゃ降り。
いつもの駐車場からアロマファンまで10分くらい歩くので、どうしようかと思っていたら、駐車場についた瞬間に雨あがる。
せっかく出した折り畳み傘も使わずじまいで、アロマファンに到着。

午前は現代朗読の部。
参加者はふたりだけ。
初参加の私より年上の方は、これまで声の表現をいろいろとやってきて、朗読公演や朗読教室にもいくつか参加したことがあるという。

じつをいうと、こういうかたが一番てごわい(笑)。
なぜなら、「朗読を習い」に来られるとか、朗読についてある一定の固定イメージや理想型をお持ちのかたが(経験上)多いからだ。
「教える」とか「やりかた」とかいったものとは真反対にある現代朗読のセオリーは、なかなかそういったかたには受け入れてもらえず、ともすれば反発されたり、ときには怒って帰ってしまうような人もいる。

が、今回はとても頭の柔らかいかたで、現代朗読のかんがえかたもしっかりと受け止め理解していただいて、ありがたかった。
そしていっしょに稽古をしたとき、正直に自分のわからないところ、気づいたところ、弱点と感じるところなどお話ししていただけた。
「また参加したい」とおっしゃっていただいて、私もとてもうれしかった。

午後は共感カフェ。
こちらも今回は参加者すくなめだったが、その分、個々の疑問や気になっていることなどについてみんなでしっかりと取り組めたのはよかった。
いつもそうだが、おたがいにつながりが生まれて、最後にはフェイスブックのアカウントを教えあったりするのだった。

水野生惠さんが世話人をやってくれているこの天白アロマファンでの集まりは、ほぼ毎月一回のペースで開催しているが、来月・10月は都合によりお休みとなる。
11月11日にまた開催するので、お近くの方は気楽にご参加を。

11月11日:朗読と共感のコラボWS@名古屋天白アロマファン
朗読と共感的コミュニケーションを両方体験し、実践を深めることができるワークショップを、午前と午後にそれぞれ、名古屋市天白区の古民家スペース〈アロマファン〉で開催します。

自己共感のパワーで請求書の怖れを軽減する(笑)

日常的に練習して、共感的コミュニケーションを身につける方法を、私はいろいろ実践したり提案している。
共感手帳術もそのひとつだが、レシートを使う方法もある。

なにか買い物してレシートをもらったとき、それをとっておいて、あとで共感練習に使うことができる。
たとえば、ドラッグストアのレシートに、

 ハッカ油 1,155円

とあったとする。
それはいったい、なんのニーズで買ったのだろう、ということだ。

人のすべての行動には、ニーズがある。
私がハッカ油を買ったのは、なんらかのニーズがあってのことだ。
それはなんだろう。

ハッカ油ですっきりしたかった、虫よけにも使える、健康にもいいらしい……
清潔のニーズ、健康のニーズ、快適さのニーズ、あるいは好奇心や楽しみのニーズ。
レシート1枚で自分のニーズを調べ、自分自身に共感する練習ができる。

毎月やってくる請求書がある。
たとえばスマホ代金の請求書。
ばかにならない金額が記されている。
それを見るたびに、がっくりと落ちこむ。
できれば払いたくないと思う。
実際に支払いを引きのばしてしまう。
そのあげく、期日をすぎて延滞金を支払うはめになってしまう。

多額の代金を請求されるスマホにも、ニーズがある。
だれかとのつながりを満たすために必要だった通話。
未知のことを調べるために使ったネット検索。
仕事や約束ごとの要件を片付けるために必要だった連絡。
魅力的なイベントなどの情報を発信するために有効なSNS。

多くのニーズを満たすためにスマホを利用している。
ありがたく使えたスマホをお祝いしながら、料金を期日までに払うことができるかどうか。

毎月毎月、請求書を見るたびにがっくりと落ちこんで支払いを引きのばしているのと、自分が満たしたニーズにつながって喜んで期日内に支払っているのと、どちらが心地よい世界だろうか。
自分自身に共感して、どちらを選択したいのか、ゆっくり感じてみたい。
(といっても、必ずしも私自身がそのようにできているとはいえません(笑))

9月15日:共感音読カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会です。

2018年9月7日金曜日

音読トレーナーは音読カフェを開催できます

音読療法協会が推進する音読療法には、音読トレーナーという資格がある。
音読療法(ボイスセラピー)を使って参加者の健康促進や病気予防、免疫効果、こころと身体の活力の向上などに寄与するための音読ケアワークをファシリテートするための資格で、音読トレーナー養成講座を受講しいくらか実践を積んでもらった人たちに与えられる。

音読トレーナーになるとどんなことができるのか。

音読療法はさまざまな場面で貢献しているが、音読トレーナーとして活躍できるのはつぎのような場面がある。

・老人ホームなど、介護施設でのケアワーク
・介護予防教室など、自治体や地域のコミュニティでのワーク
・音読療法協会が主催する音読カフェや介護予防講座、親子音読教室などでのサポート
・みずから主催する音読カフェ

とくに主体性をもっておこなえるのが、音読カフェだ。
私・水城も実家でおこなったり、国立・春野亭が開催したりしているが、どなたにも気楽に来場してもらって、お茶を飲みながら音読セラピーを体験してもらう機会だ。

音読トレーナーにはこのような音読カフェを、自分で気軽に開催してくれるようにリクエストしている。
自宅のリビングで開催するもよし、近所のカフェなどを借りるもよし、公共施設の会議室などを押さえるもよし。
参加費も自由に設定し、内容も各トレーナーの持ち味を生かしたオリジナリティを重視したものをお願いしている。

国立・春野亭でしばらく開催していなかったのだが、音読トレーナーもすこしずつ増えてきたり、音読トレーナーをめざしたい、音読療法に興味がある、という人も出てきたりしているので、また再開することをかんがえている。
近いうちに日程を案内するので、どうぞ気軽にご参加いただきたい。

その前に、音読療法の全体像を知り、体験するためのボイスセラピー講座があるので、興味がある方はそちらにも参加していただくことをおすすめする。

9月8日:ボイスセラピー講座@国立
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。9月8日(土)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

2018年9月5日水曜日

テキスト表現は自己共感力をたかめる

先月の身体文章塾は参加人数が多い回があって、多様な人たちが参加してくれたのが楽しかった。
常連の参加者にも刺激になったようだ。

オンラインでの常連の知念さん(沖縄)や奥田くん(小金井市)をはじめとして、岐阜や長野からのオンラインでの参加者、国立・春野亭の現場にはゼミ生の良輔くんが来てくれたほか、元ゼミ生でいまは大阪在住の照井数男くんも遊びに来てくれたりした。
野々宮卯妙も参加したし、私も作品を提出したので、多彩な顔ぶれと作品が集まってにぎやかだった。

身体文章塾では小説やエッセイを書く参加者が多いが、それにかぎらずなにかを書くという行為は自分自身を丁寧にとらえる必要がある。
というより、自分自身をどれだけ丁寧にとらえることができるかが、テキストのクオリティを左右する。
自分への注目が雑だと、テキストのクオリティはそのようなものになる。

やっかいなのは、自分を雑にあつかっていても、クオリティの高いテキストは書けるということだ。
テクニックを駆使し、外部情報や論理を展開して、質の高い読み物を書くことはできる。
が、そこには「自分はあらわれていない」。

身体文章塾の目的は「テキストで自分自身を表現し人に伝える」ことだ。
書かれたテキストに自分があらわれていることをめざす。
これをことばで——まさにいま私がこうやって書いているようなことだが——説明するのは大変難しく、やっかいだ。

前提として、まず「自分自身に気づきつづけている」ということが必要となる。
いいかえれば、自己共感が大切だということだ。
自己共感、すなわち自分自身に注目し気づきつづけていることができるかどうかは、書かれた文章から読みとることができる。
通常、なにかを読む人は、そこになにが書かれているか、どんなお話なのかに注目してしまうが、私はそれがどう書かれているのか、そこには書き手のどのような身体が映し出されているのかに注目する。

じつはそのことが文章の表現クオリティを大きく左右するのだ。
そのように私は現在、確信している。

なにかを書くことは、自分自身に気づくことであり、また自分を知ることでもあり、それを表現するという自分を発揮することへのチャレンジでもある。
現代ではさまざまな表現手段があるが、ことばを用い、それを書いて伝えるという、古く不自由な手段に挑戦することは、とても興味ふかい方法だと感じている。

9月22日:共感文章講座@国立春野亭(もしくはオンライン)
メールやLINE、SNSでのテキストコミュニケーションにおいて、共感的コミュニケーション(NVC)の方法をもちいてお互いに尊重をもってつながりあう文章表現を練習するための講座です。

2018年9月4日火曜日

趣味の編み物、趣味の人生

編み物をはじめたのはほんの数年前で、まだ全然初心者感覚だが、数少ない趣味のひとつとして楽しんでいる。

子どものころから好きでつづけていた小説やもの書きは仕事になってしまったし、音楽もそうだ。
自分の好きなことを仕事にすると、楽しいことばかりではない(とくに経済社会のなかでその営みをつづけていこうとすると)。
だからいまは、料理や編み物が、経済活動とは関係のない趣味として、貴重な楽しみになっている。

とはいえ、仕事にしてしまったものも、かんがえかたと取り組みかたをシフトすれば、趣味にもどすこともできる。
ようするに、お金をかせぐことを目的にせずに、自分の好きなようにやればいいのだ。
その結果、お金がはいってくるかどうかは別問題。

趣味としてやっていることだって、それでお金をもうけてはいけないという法はない。
ただそれが目的化するととたんにつまんなくなる、というだけの話だ。

話を編み物にもどす。

母が編み物名人で、子どものころからその姿を見てきた。
毛糸をさばくのを手伝ったりもした。
だから編み物は私にとってとても身近なものだったが、自分でやってみようとはなかなか思わなかった。

数年前、ふと思いついて、かぎ針のセットと書籍を買い、はじめてみた。
私が編み物をやっていると、出入りする人たちが興味をしめして、会話がはずんだ。
なかには編み物の得意な人もいて、教えてもらったりした。
みんなで競争するようにずんずん編んだこともある。

しばらくかなり熱中していたが、肘を痛めたり(編み物のせいかどうかはわからない)、引っ越ししたり、棒針編みに浮気したり、いろいろあって、しばらく下火になっていた。
最近また復活したのだが、夏だったせいで毛糸ではなく、エコアンダリアという化繊の糸を使って帽子を編んでみた。
ネットにも動画が出ていたし、本も持っていた。
糸も数年前に買ったものがまだあった。

編んでみるとなかなか楽しく、どんどん編めてしまう。
帽子には何度か挑戦して、そのつどうまくいかなくて挫折していたのだが、今回はうまくいった。
いくつか編んで、人にあげたりした。

それを見ていたゼミ生のゆきこさんが、チャリティに出してはどうかと「リレー・フォー・ライフ・ジャパン」というイベントを紹介してくれた。
自分の趣味がだれかの役に立つなんて、こんなにうれしいことはない。
喜んで参加することにした。

趣味は広がっていく。
ついでに動画コンテンツも作ってみようかな、と思いたった。
どうせ編んでいるなら、それを撮影して、編集してYouTubeで配信してみようかな、と。
だれかが見てくれて、またつながるかもしれない。

動画コンテンツの編集も、思いきって Final Cut Pro からアドビの Promiere Pro に乗りかえてみた。
さすが、番組制作や映画作家の多くが使っているだけあって、すごいソフトだ。
編集も楽しいなあ。

というわけで、あたらしくチャンネルを作って何本か配信してみたので、編み物に興味がある人は見てみてほしい。
チャンネル登録もしてくれるとうれしい。
いまのところ編み物の自分なりのノウハウを見せている動画だが、そのうちぼちぼちと共感的コミュニケーションやマインドフルネスのことなど、私なりにつぶやいていこうと思っている。
編み物しながら、文字通り声でつぶやくのだ。

「おじいちゃんといっしょにかぎ針を楽しもう」というコンセプトの「じじ編み(Granpa Crochet)」チャンネルはこちら

2018年9月3日月曜日

人類最古の道具を使って自分を伝える

昨夜は今月最初の身体文章塾を開催した。
今月から渡辺さんがあらたにメンバーに加わってくれた。
というわけで、キャプチャー画面のようなまったく色気のない絵ヅラ。
でも、楽しい。

昨日は渡辺さんのリクエストもあって、ちょっとしたテキストエチュードを最後にやってみた。
常連の参加だけだとエチュードをやるのを忘れてしまうんだけど、エチュードも楽しいのだ。

昨日は描写のエチュード。
描写のみを使って感情表現する練習。
なにかを描写するというのは、だれが、どんな心理や身体性をそれを見ていて、どんなことばやセンテンスを選ぶかによって、書き手が表現される、ということ。

ことばという人類最古の道具のひとつを使って自分を表現するという不自由さにおもしろさがあるということを、あらためて確認したのであった。

9月16日:身体文章塾
テキストで自分自身を伝えるために、自身の身体性とむすびついたことばや文体についてのさまざまな試みをおこなっています。9月の開催は16(日)/23(日)、いずれも19時より約1時間半程度です。

水色文庫新作「ビッグウェーブ・サーファー」登録しました

水色文庫の新作「ビッグウェーブ・サーファー」を登録しました。

このテキストは2018年8月26日に開催した身体文章塾のお題「単身赴任」にそって書いた作品です。
身体文章塾の詳細についてはこちらをご覧ください。

2018年8月31日金曜日

モロヘイヤとツナの冷製パスタ

農薬を使わない自然農法で日本みつばちも暮らせる町田のあした農場で、モロヘイヤを収穫していただいてきたので、オリジナルレシピに挑戦してみた。
モロヘイヤというとその粘り気から、納豆やオクラと合わせてねばねばヘルシーメニューにすることが多いけれど、今回はちょっと趣向を変えて。

【材料】二人分
・モロヘイヤ……ざっくりふたつかみほど(お好みの分量で)
・トマト……1個
・ツナ……1缶
・スパゲティ……160グラム(その他いろいろな麺でも代用可)
・にんにく……ひとかけ
・マヨネーズ、塩、コショウ、オリーブ油

モロヘイヤはお湯で1分弱くらいさっとゆでて、ざるに取り、さっと水を通して冷やしたら、食べやすい大きさに切る。
トマトは月形に切ってヘタを落としておく。

(あれば細めの)スパゲティをやや塩多めのお湯でゆであげる。
ざるに取り、冷水でしめる。
スパゲティでなくても、中華麺、そうめん、うどんなど、麺類ならいろいろ代用できると思う。

モロヘイヤ、ツナ、みじん切りにしたにんにくをボウルに入れ、塩、コショウ、マヨネーズ(ひとまわし)を加え、よく混ぜる。
冷水で冷やしたスパゲティ(麺)にオリーブ油(大さじ1)をかけて、全体になじませたものを器に盛り、その上にボウルの中身を盛る。

トマトをそえたら、完成。
バジルを飾ってもよい。
食べるときにお好みでパルメザンチーズをかけるのもよい。

おならを嘆く

小さな子どもならまだしも、いい大人がおならをすると、なぜか無性に腹が立ったり、恥ずかしいという反応が起こる。

同居人がなにげなくおならをする、介護している親がおならをする。
相手には悪気はないとわかっているし、たんなる生理現象だと頭では理解しているのに、身体には反応が生まれる。
むかっ腹が立つ。
ときには暴力的な言動に出そうな自分すらいる。
そのことにたいして連鎖反応的に、自分自身にたいして責める反応が生まれる。

反応の連続で身動きとれなくなってしまう。
そんなとき、どうすればいいのだろうか。

おならがたんなる生理現象であって、だれもが、ときには自分も、つい油断しておならをしてしまうことがある。
しかし、ひと前でおならをすることはとても失礼なこと、恥ずかしいことだということを、残念ながら子どものころから繰り返し教えこまれてきた私たちが、ここにいる。
私たちの身体には、おならにたいする嫌悪や羞恥がどうしようもなく染みついてしまっている。

だれかがおならをしたとき、あるいはうっかりと自分がしてしまったとき、嫌悪反応・羞恥反応がどうしようもなく生まれてしまう。
その反応が相手に向けられたり、自分自身に向けられるとき、暴力的な言動となってしまう。

もしそれが嫌で、どうにかしたいのなら、別の選択肢を身につけるしかない。
自分のなかにどうしようもなく生まれる反応は、積年の教育や経験によって植えつけられた「痛み」から来るものだ。
自分のなかにそのような痛みがあることに気づき、そして満たされないニーズを嘆く。

満たされないのは配慮や気遣い、生理的安全、平和といったところだろうか(人によって違うだろう)。

だれかがおならをする。
「やられたー! 自分の前でおならをされるのがほんとに嫌で、腹が立つんだ。ほんとにほんとにこれが嫌いで、居心地が悪いんだよ」
満たされないニーズを嘆く。
嘆ききる。
ひとりで。

自分がおならをしてしまったときもおなじ。
嘆ききることができれば、反応もすこしずつ変わってくるかもしれない。
おならのことだけではないよ。

9月7日:共感カフェ@世田谷野毛〈楽ちん堂CAFE〉
〈楽ちん堂CAFE〉のおいしいカレーやお茶をいただきながら、気軽な雰囲気のなかで共感的コミュニケーションを学んだり、お互いの話を深く聴きあう練習をする会です。
共感的コミュニケーションの基礎的な考え方から実践的な応用まで、初心者の方も一から学べます。

2018年8月30日木曜日

YouTube:朗読と音楽・夢野久作「縊死体」狩野亜矢子(朗読)

水城雄の朗読レッスンを受けたあと収録した、朗読と即興ピアノによるセッション作品です。
朗読の狩野亜矢子は先日の夏目漱石「蛇」につづいての収録チャレンジです。合わせてお楽しみください。

収録は国立の春野亭で、一発撮りでおこないました。

 「縊死体」
 作:夢野久作
 朗読:狩野亜矢子
 ピアノ:水城 雄

映像はこちら

9月16日:朗読表現公開レッスン講座(音楽演奏付き)
長年、朗読演出と作品構成、ステージ共演にたずさわってきた水城雄がもっとも得意とする講座を、公開レッスン方式で開催します。個別に朗読演出をおこない、ピアノいっしょに練習したあと、最後にひとりずつピアノ共演で発表します。

エコアンダリアのスマホポシェット

昨日はひさしぶりにスマホポシェットを編んだ。
エコアンダリアの編み糸が中途半端に残っていたので、二本取りでざくざく編んでみた。

スマホポシェットは麻紐で編みはじめたのが最初で、ずいぶんたくさん作ったが、最近はしばらく編んでいなかった。
が、自分用のスマホポシェットが必要になったので、麻紐ではなくエコアンダリアで編んでみた(高級だ)。

以前は小さなポシェットひとつ編むのに苦労して、時間もかかっていたのに、今回はものの一時間もたたないうちに編めてしまった。
帽子はさすがに、仕事の合間を見ては2日か3日くらいかかるけれど、これだったらいくらでも編めるな。
それなりに上達したということなのだろう、ひさしぶりに昔とおなじものを編んでみると、自分の進展度合いがよくわかる。

9月24日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあうまるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地を提供しています。編み物のほか、なにかやりたいこと、手仕事など各自お持ちください。

朝活みつばち部の巣箱内検、あした農場のモロヘイヤ

朝から朝活ならぬみつばち部活動をしてきた。
あした農場に行って、日本みつばちの巣箱の内検。
部員のはるかさんとえみさんが同行してくれた。

春に分封したあたらしい巣箱はとっても元気で、もうすこし巣がのびたらいまの5段から6段に継箱して、冬越しに備えられるかな。
もう一個の逃去群を捕獲したあたらしい巣箱は、数が少ないので勢いはないんだけど、内検したら順調に巣をのばしているので、なんとか勢いをつけていってもらいたいものだ。
これから夏の花の少ない時期をすぎて秋の花のシーズンになってくるので、きっとみつばちたちも元気になるだろう、と期待している。

あした農場で作っているモロヘイヤと大葉をもらってきた。
ほかにも調理パパイヤの花が咲いていたり、オクラやゴーヤが実っていたりと、農場は秋の実りがたくさんで楽しい。

モロヘイヤでなに作ろうかな。
モロヘイヤがたくさんあるので、なにかレシピを工夫してみよう。
いいアイディアがある人いたら教えてください。

いちばん声の小さい人の声を聞く

共感強化練習会に参加してくれたある人から、こんな気がかりを聞いた。
若い人たちを指導する機会があるのだが、どうもみんな、お互いに気遣いをしすぎて、本音が出てこない。
つながりが薄く、表面的な意見であたりさわりなくやりすごしているような気がする。
とくに引っ込み思案の人はその人がなにをかんがえているのか、なにを求めているのか、いまどんな気持ちなのか、居心地がいいのか悪いのか、なかなか表現してくれず、こちらももどかしい思いになる、という。

そういう傾向はたしかにあるように私も感じる。
失敗や対立をおそれるあまり、自分の意見をひかえる、本音をいわない、みんなの顔色をいつもうかがっている、あたりさわりのないことしかいわない。
しかし、ずっと一生、そうやってすごしつもりなの?

私が提案したのは、もっとも弱気で声が小さい人をまずケアしてはどうか、ということだった。
といっても、その人に迫るのではなく、さりげなくよりそって共感する。
その人のニーズを推測し、なにか気になっていることがありそうなら訊ねてみたり、必要なことがありそうだったら確認してみる。

その態度はグループ全員が見てくれているだろう。
全員がもっとも声の小さい人の声を聞こうとするとき、全体に注意深さが生まれ、まとりが生まれる。

私が稽古している武術でも、もっとも実感のない部分に注目することで、身体全体のまとまりと働きが生まれる、と教えてくれる。
それと似ている。

かつて私が現代朗読の群読ステージを演出したとき、参加者が10名くらいいた。
とてもはきはきと読める人もいれば、大きな声を出せない人もいた。
積極的に堂々と舞台に立てる人もいれば、おずおずと自信なげになってしまう人もいた。
それを見て、私はもっとも声の小さい、自信なさげな人を、群読のリーダーに指名させてもらった。
本人はびっくりしたが、それで全体にまとまりが生まれた。
全員が注意深くその人の声を聞こうとし、協力的になり、お互いに思いやりを持ってひとつの表現を作ろうとした。

そのときのステージは本当にすばらしいものだと、いまでも私は思っている。
豊かな経験を私もさせてもらった。

豊かな経験をするためには、かそけき声に耳をすます必要がある。
注意深く、全身でなにかを受け取ろうとするとき、たくらみを超えたなにかが降りてくる。

〜9月6日:共感強化練習会
共感強化期間として集中的な勉強会をオンラインで開催します。共感的コミュニケーション(NVC)、マインドフルネス、手帳術、文章術など、決まったカリキュラムはありませんが参加者のニーズに応えながらギュッと濃縮した内容で、毎回60分おこないます。

2018年8月29日水曜日

YouTube:朗読と音楽のセッション「スタート」河原千里

レッスンで朗読演出を受けた河原千里さんが、生収録に挑戦しました。
現代朗読の基本である「変化しつづける自分自身」に注目し、即興音楽とコミュニケートする形でいきいきと表現することにチャレンジした作品です。

収録は国立の春野亭で、一発撮りでおこないました。
朗読と音楽の共演をお楽しみください。

 朗読:河原千里
 作/ピアノ:水城 雄

映像はこちら

9月16日:朗読表現公開レッスン講座(音楽演奏付き)
長年、朗読演出と作品構成、ステージ共演にたずさわってきた水城雄がもっとも得意とする講座を、公開レッスン方式で開催します。個別に朗読演出をおこない、ピアノいっしょに練習したあと、最後にひとりずつピアノ共演で発表します。

冷蔵庫に忘れて傷みかけたきゅうりを発見したときのニーズ

共感的コミュニケーションを学びはじめた人から、よく、
「ニーズのことばを知らないからうまく共感できません」
といわれることがある。
たしかにニーズリストにはたくさんのことばが並んでいる。

 尊重
 帰属意識
 一貫性
 相互依存
 親密さ
 本物さ
 秩序
 インスピレーション

いわれればたしかにそういうニーズはあるよな、と思うものの、普段あまり使わなかったり、自分の語彙にはない言葉だったりするものも多い。
知らないことばやなじみのないことばは、実際に使うことができないから、共感できない、と思ってしまうのも無理はない。

また、すこし学習が進んできた人からは、
「ニーズはことばじゃないですよね」
ということも聞くことがある。
それもたしかにそうだけど、ことばじゃないとしたらなにをもってニーズをつかめばいいのだ、ということになる。

共感的コミュニケーションを長らく学んだり、教えたりしている人は、多くが、
「ニーズはことばじゃないですよ。身体感覚ですよ」
といったりする。
はっきりいって、雲をつかむような話だ。

表題のような設定を思いついた。
サラダかなにかに使おうと思って買って、冷蔵庫にしまっておいたのに、なにかにまぎれてすっかり使い忘れていて、見たら傷みかけているきゅうりがあった。
「うわ、食べないともったいない!」
と思う。
その「もったいない」という感情のもとにあるニーズはなんだろう。

いろいろな議論や検証があったけれど、いまのところ、たくさん種類があるニーズリストやニーズカードのなかにたいていはいっている「命の祝福」ということばが一番しっくりくるんじゃないか、というところに落ちついている。
変なことばだな、と思う。
たしかにそんなニーズだけど、使いなれていないし、頭では理解できるけれど、身体に落ちる感じは(私には)あんまりない。

しかし、傷みかけたきゅうりを発見したとき、たしかに感情が生まれ、なんらかのニーズがいきいきとしている。
その証拠に、ほら、あなたはもう動きたくてしかたがなくなっている。
強いニーズに突き動かされて、きゅうりを冷蔵庫から救出し、調理しようとしている。
そのニーズに名前をつけるまでもなく、あなたはもう動きだしている。
動きたいという身体感覚がある。
それがニーズだろうと思う、たとえ言語化されていなくても。

よくよく見れば、冒頭に列挙した「尊重」だの「帰属意識」だの「一貫性」だのといったことばも、ことばに置きかえればそういうことになるけれど、じつは身体感覚なのだ。
その身体感覚があれば人は自然に動きたくなるし、またいきいきと、パワフルな行動が生まれる。

共感というのは、自分にせよ相手にせよニーズに「名前をつける」ことではなく(それも有効だが)、そのニーズのことばがあらわしている身体感覚に気づくことなのだ。

〜9月6日:共感強化練習会
共感強化期間として集中的な勉強会をオンラインで開催します。共感的コミュニケーション(NVC)、マインドフルネス、手帳術、文章術など、決まったカリキュラムはありませんが参加者のニーズに応えながらギュッと濃縮した内容で、毎回60分おこないます。

2018年8月28日火曜日

痛いいたいイボ治療(液体窒素で焼き切る)

薬でふやかして退治する治療法を何か月もやっていた右手の薬指と小指の先のイボだけど、一進一退でなかなか完治しないので、とうとう液体窒素で焼き切って根絶する治療をお願いした。

皮膚科医も私がピアノ弾きだと知ってなるべくピアノを弾くのに支障がない治療法をと配慮してくれていたみたいだが、かえって長引いて不都合なだけだった。
二、三日弾けなくもいいから、根絶してしまいたい、と医者にお願いして、
「痛いですよ」
と念も押されたけれど、それは承知の上。
これまで何度もこの治療をやってる。

いやー、それにしても、液体窒素の治療は痛い。
指先の神経が集まっているところだから、よけい痛い。
小指と薬指の同時治療だから、さらに痛い。

ウイルス性のイボは怪我からはいりこむらしいけど、ピアノ弾いたり料理したり編み物したり、指先を使うことばかりやってるからしかたない。

編み物をチャリティに出します(リレー・フォー・ライフ)

エコアンダリアとエコアンダリアクロッシエの色糸を二本取りで編んだ帽子が完成した。
目立たないが、クラウンの部分もベージュのエコアンダリアとグレーのクロッシェの二本が混じっている。
ブリムはベージュと、黒のクロッシェで。

頭囲を紐で調整できるようになっている。
この方式はどんな人の頭にも微調整してフィットできるので、いいね。

これのもらわれ先はすでに決まっているが、ゼミ生の雪子さんがつないでくれた「リレー・フォー・ライフ・ジャパン2018東京上野」というがん患者とその家族を支援するチャリティに私も参加できることになって、帽子を提供することになった。
その案内サイトはこちら

イベントは10月13日と14日。
私はそれまでに帽子をいくつか編めたら、と思っている。
売り上げはすべて寄付されるということなので、イベントで買ってもらえるとうれしいな。

2018年8月27日月曜日

YouTube:朗読「蛇」照井数男

夏目漱石の小品集『永日商品』より「蛇」という短編を、何人かで読むシリーズ、というわけではありませんが、同作品を今回は照井数男に朗読してもらいました。
ピアノとの即興セッションです。

照井数男は元ゼミ生で、現在は大阪在住の朗読者です。
朗読と音楽の共演をお楽しみください。

 朗読 :照井数男
 ピアノ:水城 雄

映像はこちら

アボカドとむきエビのスパゲティ

ランチに作ったスパゲティの紹介。

【材料】二人分
・スパゲティ……160グラム
・アボカド……1個
・むきエビ……120グラム
・バジル……あれば3、4枚
・ニンニク……ひとかけ
・鷹の爪……1本
・オリーブ油、塩、コショウ

大きめの鍋にたっぷりのお湯をわかして、塩をいれ(お湯がしっかりと塩気を感じるくらい)、分量のスパゲティをゆでる。
そのあいだに、フライパンを弱火にかけ、オリーブ油(大さじ1)とニンニクのみじん切り、種を抜いた鷹の爪を加えて火を通す。

ニンニクが香り立ってきたら、むきエビとアボカド(食べやすい大きさに切ったもの)を投入し、火が通りすぎないうちに塩、コショウを振って、混ぜあわせたら火を止める。

スパゲティがゆであがったら、フライパンをふたたび火にかけ(やや強火)、スパゲティとゆで汁(80ccくらい)を投入して、すばやく混ぜあわせる。
そのとき、フライパンを前後に小刻みにゆするのがコツ(ゆで汁が乳化して麺にからみやすくなる)。
火を止め、皿に盛りつける。
最後にバジルを手でちぎって、適当に散らして、完成。

水色文庫新作「クラリネット」登録しました

水色文庫の新作「クラリネット」を登録しました。

このテキストは2018年8月26日に開催した身体文章塾のお題「クラリネット」にそって書いた作品です。
身体文章塾の詳細についてはこちらをご覧ください。

2018年8月26日日曜日

朗読とピアノのセッション収録、共感音読カフェ特別版

午前中にちさとさんの朗読レッスンというか、収録。
ピアノといっしょに2話収録した。
音声録りのためにほんの何分かだけエアコンを止めるんだけど、それがまあきついのなんのって。
手を上にあげたら、リビングの上のほうの空間に熱気がたまってた。

今日の収録作品は近いうちに編集して、YouTubeやPodcastで配信する予定だ。
私の「スタート」と「ラジオを聴きながら」のふたつを読んでもらった。

午後は共感強化期間の特別版・共感音読カフェをオンラインで。
ご参加いただいたみなさん、お疲れさま。
ちょっと難しいグループ共感についての話ができてありがたかった。私の大きな学びにもなった。

明日も共感強化練習会を正午・12時から開催する予定。

〜9月6日:共感強化練習会
共感強化期間として集中的な勉強会をオンラインで開催します。共感的コミュニケーション(NVC)、マインドフルネス、手帳術、文章術など、決まったカリキュラムはありませんが参加者のニーズに応えながらギュッと濃縮した内容で、毎回60分おこないます。

朗読はサーフィンに似ている(自分という変化する波に乗る)

ピアノの即興演奏を使った朗読レッスンをおこなっているのだが、先日、自分でもうまいと思った比喩を思いついたので、紹介したい。

かねてから朗読という表現は、いかにいまこの瞬間の自分自身とまわりのことに気づきつづけ、変化しつづける生命現象の発露をさまたげないことが重要か、ということを強調してきた。
これはなかなかひとりで読んでいてもトライが難しかったりする。
朗読という表現行為の枠組み——書かれているテキストを解釈したり説明的に読んだり上手に伝えようとしたり——にまずはどんな人もとらわれてしまいがちで、自分自身に目を向けるどころではないからだ。
しかし、それでは表現のいきいきさやダイナミックさは現れてこない。

朗読者にテキストを読んでもらうとき、私が横からピアノ演奏でいわば茶々をいれる。
つまり外的刺激を朗読者に与えるのだ。

予測しない外的刺激を受けた朗読者は、かならずなんらかの身体的変化が起こる。
普通に音楽を聴くときのことを想像してみればわかると思う。
音楽は人の身体やこころにある種の変化をもたらす。

即興演奏の場合、それは予測できない変化の連続として現れてくる。
変化しつづけている自分自身をさえぎらず、それに逆らわずに読めるかどうか、ということだ。

その際、重要になってくるのは、朗読者がちゃんと音楽を聴けているかどうか、ということだ。

演奏しているこちら側には、それがきちんと受け取られているのか、まったく無視されて勝手に読みつづけているのか、あるいは聴くまいと拒絶されているのかは、手に取るように(なぜか)わかる。

音をきちんと受け取り、その結果もたらされる自分の変化をさまたげないようにするには、読み手自身がある程度、集中している必要がある。
いわば、サーファーがさまざまに変化する波に乗り、逆らわずに自在に乗りこなすためには、それなりに応じられる身体的状態が必要であることとおなじだ。

朗読者もただ脱力した受け身で音楽を聴いているだけでは、自分の変化に応じることはできない。

リラックスしたり脱力することも必要な場合があるが、朗読という表現行為においてはそれなりに自分の全身が変化に応じられる状態にあることが必要だろう。
私が日々稽古している武術(韓氏意拳)のことばを借りて、身体にまとまりがある状態と説明している。

さまざまにストレスを受けたり緊張を強いられたりすることが多い現代社会生活においては、リラックスしたり脱力することが生活のなかで必要であるかもしれない。
それはそれとして、表現にかぎらずなにかをおこなうときに、力むのではなく自分がまとまって全身を総合的に発揮できる状態を稽古しておくことも重要だろうと思う。

朗読というなにかを読む、声を出すという行為に、ほどよく全身が参加しているときのクオリティについて体験してもらえるとうれしい。

9月8日:現代朗読ゼミ
朗読や群読などの身体表現を用いていまこの瞬間の自分自身をのびやかに表現するための研究の場・現代朗読ゼミ、9月の開催は8(土)/15(土)/22(土)、それぞれ10時半から約2時間。

2018年8月25日土曜日

麻紐の手編みバッグで買い物

しばらく前に編んだ麻紐の買い物バッグが、ちょっとした買い物にちょうどいい感じ。
麻紐なので原材料は超安価。
鎖編みをざっくりした網目につないでいるので、ほどよく伸び縮みもして、使いやすい。

手提げ紐の部分が長すぎたかな、ちょっとだらんと長く下がりすぎるかな、地面につきそうだと当初は思っていたのだが、長いので肩にかけられる。
重いものをいれても楽ちん。

こういうの、いろいろな大きさ、形でいくつか作っておくと便利かも。

9月24日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあうまるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地を提供しています。編み物のほか、なにかやりたいこと、手仕事など各自お持ちください。

リビングで仕事するときの最近のスタイル(編み物もするけど)

MacBook Pro 13インチ。
iPad Pro 10インチ。
フランクリン手帳。
編み物と編み物道具。
コーヒー。

これだけあれば一日ここで仕事してられます。
ネットも必須だけど。

iPad にはNHKオンデマンド(世界猫歩き)かNetflixか、編み図か、読書中のKindle本を表示させてある。

今日はこのあと、お昼ご飯を作ってから、共感強化練習会の拡大版を。
これは明日の午後にもやります。

8月26日:共感音読カフェ(共感強化期間拡大版)
共感強化期間で拡大版共感音読カフェを開催します。ランチ付き、オンライン参加可。参加者のニーズに応えながら、水城のこれまでの全経験・知見とノウハウをシェアします。

贈りものとして書く文章

共感強化練習会に参加してくれた鹿児島の牧師の久保木聡さんと話していて、はっとさせられたことがある。
詳しい文脈の記憶はぼやけてしまったけれど、久保木さんがある雑誌に文章を連載していることについて、「贈りものとして書く」というような表現を使われたのだ。

そのことばだけがハイライトのように私の意識をとらえて、そうだった、私ももともと、自分がなにかを書くのはだれかにたいする贈りものとしてなのだった、と思い出してはっとなった。

文章にかぎらず、共感的コミュニケーションでは自分が人にたいしてなにかをおこなうとき、贈りものとしてそこに「置く」ようにする。
逆のこともいえる。
だれかになにかされたとき、いわれたとき、それがたとえ自分にとって都合が悪いようなことであっても、その人からの贈りものと見ることができるかどうか。

私が子どものころから文章を書くのが好きだったのは、もちろん自分が楽しいからということが一番にあることは確かだが、つぎにだれかに読んでもらえること、読んでくれた人が楽しんだりおもしろがってくれることがうれしいからだった。

だれかに贈りものをするときもそんな心持ちではないだろうか。
まずは自分が楽しいから贈りものについてかんがえたり、選んだり、買ったり作ったりする。
それを相手に差し出すとき、相手が喜んでくれたらうれしいけれど、相手にとって不要なこともあるかもしれない。
相手が受け取ってくれなかったときはちょっと悲しかったり残念だったりするけれど、そのときの相手の都合やニーズも尊重できるかどうか。

贈りものは相手が受け取りやすいように、あるいは無理に受け取らなくてもすむように、私と相手のあいだにそっと置かれるのが望ましい。
押し付けたり、勝手に送りつけたりするものであっては、相手を尊重することにはならないし、自分自身を大切にしていることにもならない。

私がなにか文章を書く。
このようなブログ記事でもいいし、小説でもいい。
まずは私が楽しくて書いているのだ。
つぎにそれを私とだれかのあいだにそっと差し出す。
だれかがそれを取ってくれるかもしれないし、取らないかもしれない。
ひょっとしたら、取ってそれを味わってくれるかもしれないし、フィードバックをくれるかもしれない。
贈り合いが生まれるかもしれない。
それはとてもうれしいことだが、強要であってはならない。

といろいろ書いてきたが、一番いいたいのは、私は好きでものを書いているのだし、またそれを贈りものとしてそっと目の前に置くことにわくわくを感じているのだ、ということに、久保木さんとの対話を通してあらためて思いださせてもらったということだ。
久保木さん、ありがとう。

〜9月6日:共感強化練習会
共感強化期間として集中的な勉強会をオンラインで開催します。共感的コミュニケーション(NVC)、マインドフルネス、手帳術、文章術など、決まったカリキュラムはありませんが参加者のニーズに応えながらギュッと濃縮した内容で、毎回60分おこないます。

2018年8月24日金曜日

関係修復のための共感セッション

うれしいことに、個人的に共感セッションを受けたいという人が増えてきている。
グループワークでは開示しにくいような、グループワークのような一定のプロセスではとらえにくいような、なんとなくもやもやした悩みだったりプライベートな問題だったり、あるいは長年にわたる深刻な問題を抱えているような人が、私の共感セッションを受けにくる。

その多くが、親しい間柄における関係性の問題だったりする。
夫婦や恋人など親密な関係、親子や兄弟などの肉親関係など。

当事者がふたりで受けてくれることもある。
また、ふたりで受けたいんだけどどうすればいいだろうと相談されることもある。
そんなとき、まず確認するのは、相手にもいっしょの場でセッションを受ける合意があるかどうか、ということだ。

合意がないのはもってのほかだが、ときには気乗りがしないけどこちらに気遣って、とか、強引に押し切られていやいや、というケースもあったりする。
そんな場合、ふたりの間にはいる私としてはかなり苦労することになる。

関係を修復するための方法として、NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)では「調停」というスキルがある。
かなりパワフルな方法で、きちんとしたプロセスがあり、正式にやるとなるとそれなりに準備が必要となる。

そこまできちんとしたものでなくても、共感の方法を用いればもうすこし気楽に関係修復のプロセスを踏むこともできる。
いずれも共感的コミュニケーションという体系が底流にある。

関係修復をはかりたいのに、相手がセッションの場に出ることに同意してくれないときはどうするか。
そんな場合、まずは本人と話をして、なにが必要なのか、どんなことを大切にしているのか、相手を尊重しつながるためにどんなことができるのか、まずは日常のなかで具体的にできることやかけられる具体的なことばをいっしょに探してみることをおすすめしている。
それだけでも関係が修復に向かうことがよくある。

相手だって関係を修復したいと思っているのだ。
たとえ関係を修復したくない、あんたの顔なんか二度と見たくない、といっていたとしても、そのことばの奥にあるニーズに耳をすますことができるかどうか。
本当は大切に思うあまり、どうしていいかわからなくなっているだけかもしれない。
その耳を作ることのお手伝いを、私はすこしできるかもしれない。

8月25,26日:共感音読カフェ(共感強化期間拡大版)
共感強化期間のうち2日間それぞれ、拡大版共感音読カフェを開催します。ランチ付き、オンライン参加可。参加者のニーズに応えながら、水城のこれまでの全経験・知見とノウハウをシェアします。

2018年8月23日木曜日

「正直であること」と「わがまま」の違い

共感的コミュニケーションでは自分のニーズにつながり、自分が本当に大切にしていること、必要としていることを満たすためになにができるか、といういきいきとした行動が重要だと説かれている。
『NVC』の著者であるマーシャル・ローゼンバーグは、著書のなかでも、また公開されているワークショップ映像のなかでも、
「自分がやりたいことだけやりなさい。やりたくない、気が向かないことは一切やらないほうがいい」
と説いている。

共感的コミュニケーションの学びが進んでくると、そのことが本当に有効であり、また大切なことなのだと理解できるけれど、学びがあさいうちはそのことがよく理解されなかった。
実際に勉強会で参加者から、
「そんなふうにふるまう人ばかりだと、世の中、混乱するんじゃないですか」
と訊かれることがある。

その心配も理解できるが、ここで重要なのは、表題にあるとおり、「わがまま」にふるまうことと自分のニーズに忠実で「正直である」ことは別のことである、ということをわかっておく必要がある。

わがままというのは、たとえば、子どもが親に連れられておもちゃ売り場に行き、どうしてもほしいおもちゃがあるのに買ってもらえないとわかったときに、床に寝ころがってじたばたし、買ってくれないとこの場を動かないといって親を困らせてしまうような行動のことだ。
だれもがそういう光景を見たことがあるだろう。

大人でもそういう行動を取ることがある。
なにかをやろうとして、「おれの方法のほうがいい」「いや、私のこの方法がベスト」などと主張しあって対立してしまう。
日常茶飯事だろう。

そんなとき、「わがまま」からさらに一歩踏みこんで、自分は、あるいは相手は、なにを必要としているからそんな方法を主張しているのだろうか、と見ていくのが、共感的コミュニケーションの方法だ。
つまり、ニーズを理解する。

蒸し暑くてエアコンの温度を下げたいと思っているのに、 同居人は温度を下げすぎるのは嫌だという。
これまでずっとその繰り返しで、お互いに腹が立ってうんざりする。
もうこのことには触れたくないのに、実際に蒸し暑くて不愉快だ。
さて、どうすればいい?
無理やり主張を通して、エアコンの温度を下げさせる?
それともずっと我慢しつづける?

わがままを通せば相手をないがしろにしてしまう。
かといって自分が我慢しつづけるのも、自分がかわいそうだ。

そんなとき、お互いにどんなニーズがあるのだろうか。
こちらは蒸し暑くて不快で、快適さを必要としている。
相手はなんだろう? 聞いてみてはどうだろうか。
ひょっとして健康を気遣っているのだろうか?

お互いのニーズを正直に伝えあうことはできる。
ここで「正直」ということばが出てくる。
自分のニーズを正直に相手に伝える。
相手のニーズも正直に伝えてもらう。
それがわかったとき、ではどうすればお互いのニーズをないがしろにせず、協力しあってやっていけるか、なにかいい方法がないものだろうかと、いっしょにかんがえはじめけることができる。

これが「わがまま」と「正直」の違いだ。
「正直であること」は自分と相手を大切にすることであって、決して「わがまま」にふるまうことで相手をないがしろにすることではない。

共感強化期間として集中的な勉強会をオンラインで開催します。共感的コミュニケーション(NVC)、マインドフルネス、手帳術、文章術など、決まったカリキュラムはありませんが参加者のニーズに応えながらギュッと濃縮した内容で、毎回60分おこないます。

2018年8月22日水曜日

朗読会打ち合わせ、音読ケア、のぞみさんの夕ご飯、韓氏意拳

ひさしぶりに岩崎さとこから頼まれて、彼女の朗読会にピアノ演奏で参加することになった。
その打ち合わせに行ってきた。

明日・8月23日(木)の午前10時から、横浜の相鉄線三ツ境という場所にある〈長屋門〉という古民家で、お母さんと子どもたちに向けた朗読のミニコンサートをさとこがやることになって、私はピアノで助っ人として行く。
さとことはけっこう長い付き合いで、もう15年くらいにはなる。
現代朗読協会の旗揚げ公演にも参加してもらったし、オーディオブックもたくさん読んでもらった。
ここしばらく、ごぶさたしていたのが寂しかったのだが、ひさしぶりにやれることになってうれしい。

彼女の朗読について、私は信頼がある。
彼女の朗読には「身体」がある。
現代朗読の稽古の方法を私が確立する前から、さとこはもともと身体的表現ができる人で、とても珍しい。
いまは演劇の人になってしまったのだが、朗読者として専心すれば大成するはずなのに、と私は公言している(これは前にも書いたかもしれないが)。

打ち合わせ後、そのまま拉致して、毎月おこなっている高齢者介護施設でのボランティアの音読ワークに付き合ってもらった。
終了後はいっしょに焼き鳥を買いに寄ったりして、楽しかったな。

国立にもどってくると、のぞみさんと、カリフォルニアからロンとお嬢さんのノエミが来ていて、のぞみさんが夕ご飯を作ってくれた。
肉じゃがやら、親子丼やら、ナスなど野菜の煮びたしやら。

夜は昭島総合スポーツセンターに行って、駒井先生の火曜韓氏意拳講習会。
今夜は上下のまとまり、提携をしっかりと稽古した。
私は自分自身の課題がまた浮きぼりになって、ちょっと嫌になるほど情けなさを感じてしまったのだが、まあ稽古するしかない。

書籍『共感的コミュニケーション』は「2017」と「2018」のどちらから読むか

私の著書『共感的コミュニケーション2018』をひとりの人が2冊買ってくれた。
時々こういうことがあるのだが、自分用のはすでに持っていて、人にプレゼントするために買ってくれるのだ。
自分用のはKindleでいつもスマホに入れてあって、知り合いには紙の本を差し上げるという人もいる。
ありがたいかぎりだ。

このシリーズは『2017』と『2018』の二冊が出ている。
今年の末には『2019』も出る予定だ。
どちらから読んでもらってもいいし、どのページから開いてもらってもかまわないのだが、共感的コミュニケーション(NVC)にまだあまりなじみがないという人は『2017』のほうから順番に読んでもらったほうがわかりやすいかもしれない。

ということを、いちおうおすすめしておく。

『共感的コミュニケーション2017』アマゾンKindle/500円
紙本

『共感的コミュニケーション2018』アマゾンKindle/500円
紙本

これらの本を読んで疑問がわいた人や、私に直接なにか訊いてみたいという人は、8月24日からはじまる(23日はすでに受付終了)共感強化期間のオンライン勉強会に出てみてほしい。

8月23日〜9月6日:共感強化練習会
共感強化期間として集中的な勉強会をオンラインで開催します。共感的コミュニケーション(NVC)、マインドフルネス、手帳術、文章術など、決まったカリキュラムはありませんが参加者のニーズに応えながらギュッと濃縮した内容で、毎回60分おこないます。