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2018年11月14日水曜日

自宅(実家)音読カフェを実施

北陸の実家帰省中につき、毎月恒例の「自宅音読カフェ」を開催した。
今回は都合で来れない人がいて、ここ二年の常連さん四人が参加。

福井県立病院でも音読ケアをやっているが、自宅音読カフェとの最大のちがいは、毎月ほぼかならず参加してくれる「常連」が何人かいるということ。
音読療法はつづけておこなうことで最大の効力を発揮する。
できれば毎日、習慣化してもらいたいと思っている。
そのために、毎月のチェック機会として、定期開催の音読カフェなどに参加してもらうのがいい。

二年もやっていると、常連さんたちも自分の身体にたいする意識も変わってきている。
呼吸や音読の有効性を理解してくれたり、自分自身の健康状態の微細な変化にも気づくようになっているようだ。
こちらもやりがいがある。

自宅音読カフェは音読トレーナーならだれでも開くことができる。
実際、トレーナーたちの何人かは、自宅もしくは近隣の施設で音読カフェを開いたり、開くことを計画してくれている。
私は、じつは、音読トレーナーではないのだが、そこまあ音読療法のファウンダーということでお許しをいただいて、実家や東京国立の春野亭などで開催したりしている。

音読療法は老若男女あらゆる人に、こころと身体の健康維持や向上に役立つ方法だし、これから老いの時期に向かう人たちにとっては介護予防や認知症予防にかなり有効だろうと思う。
興味があるかたは、音読カフェにご参加いただくか、毎月開催しているボイスセラピー講座に参加してみてほしい。
できればそういう方のなかから音読トレーナーや音読療法士をめざす人が出てくれば、さらにうれしい。

11月18日:ボイスセラピー講座@国立
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。11月18日(日)10時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

2018年11月13日火曜日

目標を立てたのにやる気が出なくて取りかかれないとき

人はだれしも、やる気が出なくて困ることがしばしばある。

なにかをやりたいと思っているのに、なかなか手がつけられない。
人から頼まれたことがあるのに、ぐずぐずとあとのばしにしてしまう。
クリアしなければならない試験が迫っているのに、いっこうに勉強する気になれない。

そんなとき、なんとかやる気を出そうと、いろいろなことを試みたり、自分を奮い立たせようとする。
しかし、うまくいかないとますますあせったり、苦しくなる。

なにかをやるために「やる気」が必要だと思いこんでいると、それは大変つらいことになる。
なにごとかをやるためには、じつは「やる気」など必要なく、ただいまこの瞬間の自分の「行動/動き」が必要なだけだということに気づけば、じつに簡単になる。

ある目標があって、それを達成するためには、そこに到達するための道すじが存在する。
自分が一気にすべてのことをなしとげて、突然目標が達成するはずはない。
道すじをひとつひとつクリアしていって、最終的に目標に到達するのだ。
山登りとおなじだ。

目標はひとつひとつのステップに細分化することができる。
細分化した結果、いまこの瞬間にできることが明確になる。
というより、いまこの瞬間にできることしか人はできない(あたりまえだ)。
いまこの瞬間しかできないことが明確になっていて、ただそれを実行するだけというとき、ごちゃごちゃかんがえることは不要だし、邪魔になる。
ただおこなうだけだ。
そこには「やる気」などというあいまいな概念は介在しない。

そう、「やる気」というのは、人の「かんがえ」が作りだした抽象概念にすぎない。
ありもしない抽象概念で立ちすくんでしまうのが、人間という生き物の特徴といえよう。

目標を立てるのは、いまこの瞬間に自分がすぐに取りかかれることを洗いだすためだ。
目標がなければそれは明確にならない。

すぐに取りかかれることをたんたんとこなしているうちに、目標とはずれた場所に来てしまうことがよくある。
あるいは目標が変わってしまうことがあるかもしれない。
必要なら軌道修正すればいいし、目標が変わったことを受け入れてもいいかもしれない。
だいじなのは、いまこの瞬間、自分がなにをやるのか、なすべきかが明確になっていて、いきいきとその行動が生まれることだ。
やる気があるとかないとか、関係ない話なのだ。

2018年11月12日月曜日

移動、夕空、夜明けの空、執筆

中央道、圏央道、東名経由で名古屋に立ちより、東名、北陸道経由で北陸の実家にたどりついた。
写真は移動前日の国立の夕空と、移動中の小田原あたりの夜明けの空。

実家滞在中は実家音読カフェや福井県立病院での音読ケアワークをおこなうほかに、雪囲いの準備やら片付けやら不要物の処分やら。
個人セッションの予約も何件かいただいている。

そのあいまに執筆仕事をすこしでも進めておきたい。
年末までに『共感的コミュニケーション2019』をリリースするほか、共感ハンドブックのシリーズを何冊か仕上げたい。
連載中の小説『水の戯れ』も書きすすめたい。

オパール毛糸で編んだ赤ちゃん用の腹巻と腹巻帽子をネックウォーマーとして巻いてみたの図

それぞれ1週間くらい編むのにかかっている。
棒針(輪針)編みほぼ初挑戦なのと、糸が細いのとで、もちろん一日中編んでいたわけではないけれど、仕事などの作業の合間に暇を見つけてはちょこちょこと編みすすめていた。

最初のは大人用の腹巻帽子で、糸を二種類使った。
仕上がってみると、腹巻としては輪が大きすぎてゆるい感じだし、帽子としてはだぼだぼして使いにくい感じ。
大きめのスヌードとしてはいい感じかも。
腹巻帽子としては、もうすこし輪を小さく、そして長めに編んだほうがよさそう。
それにしても、時間がかかる。

もうひとつは知り合いの赤ちゃん用腹巻として、ちょっとだけ太い糸を使って編んだ。
糸は一種類だけ。
スヌードとして巻いてみると、大人用としてもちょうどいい感じ。
2作めなので、目がそこそこきれいに揃っている。

天白〈アロマファン〉での勉強会のキーワード「自己統合」「感情の因数分解」

昨日は名古屋・天白の古民家スペース〈アロマファン〉にて、朗読と共感のコラボ勉強会をおこなった。
(写真は勉強会後の雑談タイム)

午前中は朗読というだれでも容易に試みることができる表現行為を通じて、自分という存在現象の「いま」を感得する稽古。
自己共感とか自己統合についての学びの時間。

午後は共感的コミュニケーションについての学びの時間。
参加者の具体的な事例を取りあげて、感情とニーズについてじっくりと調べる時間。
とくに「怒り」の感情を「因数分解」する試み。
感情を身体的な現象としてしっかりとらえることで、ニーズの輪郭線をくっきりと実体化し、自己統合が生まれる結果として、行動が明確化する過程を共有してみた。

ご参加いただいたみなさん、ありがとう。
次回のアロマファンでの勉強会は、しばらく間があきますが、2019年2月10日(日)の開催となります。

世話人の水野生惠さんからいただいた感想をご紹介します。
生惠さん、今回もお世話になりました。

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朗読には興味が。。。という方も多いと思うのですが、午前の部で「素晴らしい読み手は、社会的な自分と本来的な自分が一致(統合)している」ということを聞いて、そういう在り方は、日常の在り方としても理想的だと思いました。
どんなに「社会的(型どおり)」な態度はちゃんとできても、「本来性」を大切にしていないと、満たされない人生になりがちなのかな。。。と。
・・・自分の本来性ってなんだろうな、を感じる機会・手段として「朗読」って手軽で最適だと再認識しました。

また、午後の共感カフェでは「感情を因数分解してみる」なんて新しい言葉も出てきましたよ♪

2018年11月10日土曜日

靴下編み物むずかしい、明日は実家への長距離移動

オパール毛糸で編んでいる靴下、足首まで来たけれど、けっこう工程がたくさんあってややこしい。
かかとの部分は本来糸を変えるのでわかりやすくなるはずだけど、横着してそのまま編んでたら案の定わけがわかんなくなって、挫折。
もう一度最初からやりなおそう。
想定していたよりサイズがでかくなってしまったし。

明日は名古屋天白の〈アロマファン〉でワークショップ。
午前の部は現代朗読(身体表現)、午後は共感的コミュニケーション(NVC)。
福井の実家に移動して、金曜日まで滞在。
音読カフェを実家と県立病院で実施予定。
ほかに雪囲いの準備やら冬支度。

まったり朝食、明日は長距離ドライブ

鈴鹿アズワンの弘子さんとみっちーさんが国立春野亭に立ちよってくれた。
昨夜はガイアエデュケーション2019の説明会を渋谷で、明日は「幸せの経済学」のフォーラムに参加するために、こちらに来られたとのこと。

ガイアエデュケーションは私もこのところ毎年、一般公開講座の講師として参加させていただいていて、2019年も5月18日(土)に鈴鹿カルチャーステーションで講座をおこなうことになっている。

おふたりとまったり朝食。
野々宮がパンケーキを作ってくれて、ムイたんも参加。

明日は早朝、というか未明に国立を出て、名古屋天白に向かう。
水野生惠さんの〈アロマファン〉で朗読と共感のコラボワークをおこなうことになっている。
長距離ドライブなので、今夜は早めに休もう。

11月11日:朗読と共感のコラボWS@名古屋天白アロマファン
朗読と共感的コミュニケーションを両方体験し、実践を深めることができるワークショップを、午前と午後にそれぞれ、名古屋市天白区の古民家スペース〈アロマファン〉で開催します。

2018年11月9日金曜日

バカ映画と揚げ物をつまみながら編み物をする至福の時間

バカ映画と揚げ物と編み物は私の三大好物だが、バカ映画とはなにかという定義をしておかねばなるまい。

極私的でけっして普遍的な定義ではないのだが、バカ映画とはたんに「バカな」内容の映画ということではない。
私の場合、バカな内容であることと、それに巨額の予算と人的労力がつぎこまれているひとが条件となる。

近年のハリウッドはそのような映画を量産する末期的症状を呈している。
そういうものを茶の間にいながらにして、
「もっとほかにお金使うべきところがあるだろうよ」
となかば憤りながら自分も怠慢こいて観る、というところに、理不尽で屈折した快感があるのだ。
いったいなんのニーズだ。

昨日は私の身体的欲求として定期的におとずれる「揚げ物祭り」のニーズを満たすべく、豚バラ肉のかたまりをスライスしてちゃちゃっと揚げた大量のトンカツを中濃ソースまみれにしてつまみながら、オパール毛糸を使った靴下に挑戦しながら、ふとNETFLIXを開いたら、まさに私的定義ぴったりのバカ映画に遭遇したので、ここに嬉々として書き記しておくわけだ。

その映画のタイトルは「スノー・ホワイト」。
そう、「白雪姫」の大人向け実写バージョン。
2012年公開のアメリカとイギリスの共同制作映画。
総予算1億7千万ドルを注ぎこんで作られたということを明記しておきたい。

悪の女王役にシャーリーズ・セロンが出ているのだが、よくこんな役を引き受けたなあとびっくり。
主役はクリステン・スチュワートという女優なのだが、これがまあ、どうやったらここまで魅力のない白雪姫を演じられるのだという名演技。

監督はルパート・サンダースという人で、このあと「ゴースト・イン・ザ・シェル」の実写版を作っている。
私は途中まで観ているのだが、最後まで観る気がうせた。

というような文句をうだうだいいながら、揚げ物をつまみ、編み物をちくちく進める時間が、私にとっては至福の時間なのである。
ありがとう、白雪姫。

iPhoneをXSに乗りかえた(なにがよかったか)

2年近く使っていた iPhone 7 の画面が、端っこのほうだけどヒビがはいって、それが徐々に拡大して液晶画面のなかまで侵入してきたので、XSに機種変した。

機種変するにあたってはいろいろ検討を重ねた。
7を修理してそのまま使いつづけ、なにか適当なコンデジを買おうか、という選択肢もかんがえた。
7もカメラはなかなか優秀で、とくに不自由は感じていなかったのだが、ズームや被写界深度の操作などは、やはり専用のデジカメでないとつらい。
その点が、XSは「ある程度」専用デジカメに近づいているという売りがあった。

実際に乗りかえてみると、たしかにカメラはいい。
コンデジをわざわざ買う気はなくなった。
写真も美しく再生できる。

ベゼル(ふち)が細くなって、サイズの割に画面が大きくなった、というのも売りのひとつだが、これは前のXからそうだ。
画面が大きくなった分、表示される情報量が増え、文字数も増えているはずだが、前の7とそんなに変わったような気がしない。
そもそもスマホなので画面がいくら大きくなったといっても、タブレットやラップトップに比べれば基本的に狭い。

その他のアプリもとくに不都合なく移行できて、XSだからどうという変化もなく使えている。
つまり、なにも変わらず、感動もない。
あえていえば、カメラがよくなったのがちょっと楽しいかな、という程度か。

初代のiPhoneとかiPod、iPadが登場したときのような感動は、もはや望むべくもないということか。
あるいはさらにびっくりするようなイノベーションがその先に起きるのだろうか。

2018年11月8日木曜日

靴下を編む、こてこての食事の日々

オパール毛糸で靴下を編みはじめた。
ついに。
普通の四本ヨリのものではなく、六本ヨリのちょっとだけ太めのものなので、若干編みやすいはず。
が、とっかかりは苦労していて、何度もほどいて爪先七センチくらいまでたどりついた。

韓氏意拳の稽古とランニングのときに着替えるTシャツや下着を買いに、立川のららぽーとへ。
ランチにこてこてのハンバーガーを。

野々宮が作ったガトーインヴィジブルというケーキ。
アップルパイみたいなものだが、もっとしっとり、こってりした感じ。
これ、好きだな。

富士見台の焼鳥屋で買った玉子で目玉焼き。
そして今日は揚げ物デーで、豚バラ肉のかたまりを切り分けてトンカツをたくさん作る。

こてこての日々。
運動してるけど、体脂肪は下がらない。
ま、いまは冬に備えて、体力を備蓄する時期ということで。

YouTube:うふTube2 Vol.4「しゃぼん玉」

Oeufs(うふ)による歌とトークによる番組「うふTube2」の第4弾です。
今回取り上げたのは、おなじみの日本唱歌「しゃぼん玉」です。
トークとともにお楽しみください。

 作詞 :野口雨情
 作曲 :中山晋平

 うた :伊藤はるか
 ピアノ:水城ゆう(アレンジも)

映像はこちら

2018年11月7日水曜日

サヤ佳ちゃんとの公演リハーサル、ゼミ個人レッスン

 語人《ストーリーテラー》サヤ佳ちゃんがお母さんといっしょに豊田から打ち合わせとリハートルに来た。
十一月二十五日に豊田市産業文化センターで語りの会を開催する予定で、それに私はピアノ演奏でサポート参加することになっている。また現代朗読の野々宮卯妙も共演する。

毎年のようになんらかの形で語りの会をやっているのだが、今年はとくに区切りの年で、サヤ佳ちゃんの語りの活動が満十五年ということと、三十歳ということで、半田市生まれの新美南吉を取りあげて開催することになった。半田市にある新美南吉記念館の学芸員の遠山光嗣さんをゲストスピーカーとしてお招きすることにもなっている。

 お母さんの希依子さんがかんがえてきた公演全体の構成をみんなで検討し、進行について打ち合わせしたあと、昼食をはさんでサヤ佳ちゃんと野々宮の共演演目である「ごん狐」のリハーサル。
(お昼ご飯は希依子さんが近所でわざわざお弁当を調達してきてくれた。ありがとう)

「ごん狐」は新美南吉のもっとも有名な作品だが、じつは世に知られている児童雑誌『赤い鳥』に発表されたバージョンとは別に、南吉が投稿したままのオリジナルバージョンがある。雑誌に掲載されたバージョンは、『赤い鳥』主筆の鈴木三重吉が加筆訂正を加えたものだとされているのだ。
 今回の公演では、一般にはあまり知られていないオリジナルバージョンを使うことになっている。『赤い鳥』バージョンとは趣のかなりことなったもので、とくにラストシーンは読みようによってはまったく意味の違うものに取ることもできる。

 私の演出を加えながらリハーサルを重ねていると、あっという間に時間がたってしまった。ゼミ生のゆきこさんのレッスンの時間が来て、彼女がやってきたので、野々宮が公演で読むもうひとつの作品をいっしょに聴いてもらった。結局、時間のつごうからその作品はカットすることになったのだが、ゆきこさんが興味津々で聴いてくれたのはよかった。

 サヤ佳ちゃんたちが帰ったあとは、ゆきこさんの個人レッスン。野々宮も参加してくれて、朗読表現についてさまざまな気づきを交換したり、ニーズを聞いたり、実際に読んだり、身体の使い方を試してみたりと、充実した時間となった。

2018年11月6日火曜日

マイクロシフトがビッグシフトを生む

人生、現状維持でいい、いまのままでなんの不都合も感じていない、という人には不要なことだろうが、私のようにつねに自分が昨日よりも今日、今日より明日が、すこしでもよりよい自分でありたい、わずかでも成長しつづけたい、という欲求が抜きがたくある人間は、多かれ少なかれ自分の変化を望んでいる。

若いころはスピード感を求めたり、劇的な変化の手応えがほしかったりして、ある日を境にそれまでできなかったことが急にできるようになる、といったストーリーを夢見たり、実際にまれにそういうことが起こったりすることもある。
が、変化というものは若かろうが歳を取っていようが、漸進的なものであり、すこしの変化が積み重なった結果として大きな変化がもたらされるものだということがわかってくる。

これはあまり年齢とは関係のないことだと私は思っている。
若いほうが成長は早い、歳をとると成長はおろか能力は徐々におとろえていく、というのは思いこみにすぎないのではないだろうか。
そのようにかんがえておくと、できないことのいいわけができて安心するという心理が働いているような気がする。

もちろん人は生き物であり、経年劣化はだれにもひとしくおとずれる。
筋力や体力がおとろえたり、身体機能のさまざまな部分が低下していくことは、自然現象として起こる。
しかし、その自然現象のなかでも本来発揮できるはずの成長能力をきちんと発揮できているかどうかということは、個々人がみずからをかえりみてみる必要があると思うのだ。

私が主催している「身体文章塾」というものがある。
参加者はすくなくて、とくに中心メンバーは奥田浩二と知念満二のふたりなのだが、奥田はもうかれこれ10年近くの継続的参加メンバー、知念も丸3年になろうかという毎回欠かさず参加するメンバー。
月に3回程度、ほぼ欠かさず参加しつづけているふたりの「斬新的成長」を、私はしっかり目撃しつづけてきた。
そしてまた、私自身も励まされてきた。

「成長」などというと数値化しずらい抽象的な印象があるが、数値でしめせることもある。
ふたりには2年くらい前から長編小説に挑戦してもらっているのだが、毎回原稿用紙にして何枚かかならず書いてきてもらっている。
それが積みかさなると、たとえば知念は先日、300枚の長編小説をとうとう書きあげたのだ。

かつては商業小説家として長編小説を何本も書きあげた私としては、とにかく長編小説というのは毎日こつこつと書きつづけなければ永遠に書きあがらない、という実感というか事実がある。
実際に長編小説を一本書きあげるというのは大変なことなのだ(そのクオリティがどうであれ)。

毎日3枚ずつ書くとする。
たった3枚というなかれ、これだって毎日欠かさず書きつづけるのは大変だ。
1か月書きつづければ90枚になる。
3か月書きつづければ270枚になる。
5か月書きつづければ450枚になる。

450枚の長編小説は一夜にして完成するわけではない、毎日すこしずつ書きすすめた結果として、450枚というまとまったものが現出するわけだ。
単純な話だが、これがなかなかできない。

3枚というほんとにささやかな、自分の能力としては充分可能な、わずかな努力を、継続できるかどうか。
わずかな変化を毎日持続して維持できるかどうか。
自分が大きく成長する、変化するようなビッグシフトは、マイクロシフトの積み重ねからしか生まれないことは確かだ。

2018年11月5日月曜日

赤ちゃん用の腹巻もうすぐ完成、つぎはなにを編もう?

オパール毛糸で編んでいる赤ちゃん用の腹巻、かれこれ六日目。
大人用の腹巻帽子より目数は少ないはずだし、糸も四本ヨリではなく六本ヨリのやや太めのものを使っているのに、やはり一週間くらいかかってしまう。
だいぶ慣れたので、これ以上劇的なスピードアップも望めないしな。

とはいえ、楽しいことには違いないので、これが編みあがったらつぎはなにを編もうかなとかんがえているところ。
つぎは靴下に挑戦してみるかなあ、あるいは腹巻帽子より簡単なスヌードか、かぎ針編みにもどって子ども用のどんぐり帽子か。
などとかんがえている時間もまた楽し。

明日は朝から個人セッション、個人セッション、午後も個人レッスン、そして夜は韓氏意拳昭島火曜クラス。
合間に走りにいけるかな。

YouTube:m3 ダンス朗読ピアノ公演「初恋」@アグレアブル・ミュゼ抜粋

2018年11月3日。
国立駅北にある〈アグレアブル・ミュゼ〉で、FLARE m3 によるミニ公演をおこなった。

FLARE m3 というのは、ダンスの矢澤実穂、朗読の野々宮卯妙、ピアノの水城雄の三人の即興パフォーマンスユニット。
オーストラリア在住の矢澤実穂が一時帰国したのに合わせて、急遽公演をおこなうことになった。

 ダンス:矢澤実穂
 朗読:野々宮卯妙
 テキスト/ピアノ:水城雄

映像はこちら

2018年11月4日日曜日

FLARE m3 ダンス朗読ピアノ公演@アグレアブル・ミュゼ終了

2018年11月3日、夜。
国立駅の北側にあるお店というか、カフェというか、ライブスペースというか、〈アグレアブル・ミュゼ〉という場所で、FLARE m3 によるミニ公演をおこなった。

FLARE m3 というのは、ダンスの矢澤実穂、朗読の野々宮卯妙、ピアノの水城雄の三人の即興パフォーマンスユニットだ。
オーストラリア在住の実穂さんが一時帰国したのに合わせて、急遽公演をおこなうことになった。
この三人による公演は、正式には三回め、非公式のものをいれれば四回めになる。

しかし、終えてから振り返ってみると、今回の内容はこれまでとまったく質の違うものだったように思う。

アグレアブル・ミュゼは私は初めて訪れる場所だと思っていたのだが、行ってみるとくっきりとしたデジャビュ感が。
たぶん20年近く前のことだが、榊原忠美氏が全国行脚をいまでもつづけている(現在通算350回くらい?)「木を植えた人」の朗読会をここでやったことが確かにあるのだ。
そのとき、私はここのピアノを弾いた。
たしかにKAWAIのピアノだった。
それを思いだした。

急遽決まった一回きりの公演だったが、たくさんの方においでいただいてありがたかった。
18時半、19時開演というスケジュールのなか、18時に会場入り。
客席やピアノのセッティングをして、リハーサルもなしにいきなりはじまる。

私がちょっとだけ挨拶したあと、ピアノソロからスタート。
そのあとはどうなるか、まったく決まっていないし、予測もつかない。
ひとしきりの即興演奏のあと、野々宮が朗読ではいってくる。
テキストは私が何年か前に書いた「初恋」というものがたり。

いきなり質量感のある重厚な語りで、ちょっとびっくりする。
この響きは空間のせいなのか、あるいは身体の使い方のせいなのか。
ストーリーの出だしは老齢の女性のひとり語りなのだが、まるでそんなことを意味的になぞることはなく、ことばはことばとして、音は音として、そして身体がつながった人の声音として発せられてくる。
それをピアノで受ける私としては、やりやすいことこの上ない。

やりやすい、というのは楽できるという意味ではなく、緊張感と集中を傾注しやすい、という意味だ。

やがてそこに実穂さんのダンスがはいってくる。
老齢も少女も若い男性も、そして実穂さん自身も、さまざまなものが複雑に出入りするような自在な表現で、できればピアノを離れて見ていたいくらいだった。

80分弱の公演のエンディングは、語りが終わり、音とダンスが収束していき、完全な静寂がおとずれる。
長い沈黙。
お客さんも静寂のなかにたたずみ、最後まで付き合ってくれたのがうれしかった。

終演後は飲食もまじえながらみなさんとお話させていただき、知り合いも、初めてお会いした人たちとも、感想を聞かせてもらったり、質問に答えたりしたのが、楽しい時間だった。

撤収後は春野亭まで歩いてもどり、のぞみさんが料理をしてくれて打ち上げ。
ここ一か月くらい完全にアルコール断ちをしていた私も、ひさしぶりにワインをおいしくいただいた。
お祝いに満ちた一日が終わった。

2018年11月3日土曜日

イベント大整理(暇になったどー!)

今日は個人セッションを2件。
これまで土曜日は現代朗読ゼミや共感カフェなど、国立春野亭でのイベントも、出かけて行ってのイベントもはいることが多く、めったになにも予定がないということはなかったのだが、ここ数か月、意識的にイベントを縮小していって、スケジュールはだいぶ空白が多くなった。

数年前にとくに共感的コミュニケーションを伝えたり学んだりする場を増やし、出張ファシリテートも積極的に受けていたのだが、このところ多くの方が勉強や講座を主催するようになり、また日本人のNVCトレーナーもつぎつぎと誕生しているので、場作りについての私の役割やニーズは薄れてきたと感じている。

たくさんできてきたNVCの学びの場については、もろ手をあげて歓迎するとばかりはいえない状況ではあるけれど、それはそれとして日本でNVCがより浸透していく過程としては喜ばしいことだろうと思う。
私としては、場づくりより、そのような場が増えてしまうことによってともすれば見過ごされがちになる本質的な部分にもう一度焦点を当てなおす作業——テキストなどのコンテンツ作り——にリソースを傾注していきたいという望みがある。

また、必要としている人に必要なだけの共感を向けるための個人的な対応も大切にしたい。

そんなわけで、今日は朝からマイペースで書きものしたり、セッションしたり、編み物したりしているのだが、ずっと自分自身でいられる幸福な時間をいただいている感じだ。
だれからいただいているのかわからないが、感謝の気持ちがわいている。
(写真の編み物は赤ちゃん用の腹巻)

とはいえ、このあとは夜に、国立〈アグレアブル・ミュゼ〉でミニ公演をやるので、実穂さん・野々宮とミーティングをやることになっている。
こちらもまた楽しみなことだ。

11月3日:ダンス×朗読×ピアノ「初恋」@国立アグレアブル・ミュゼ
共感的コミュニケーションでつながった3人のアーティストとともに「自由」を探求する即興的瞑想の旅へお誘いします。演目は水城雄作、老婆と青年の仰天の恋物語「初恋」です。午後7時開演。

餃子! 今夜はダンス朗読ピアノの公演

先日作ったばかりだけど、またリクエストがあったので餃子を作る。
5人がかりで包んで、ミニホットプレートで焼いて、焼きあがった先から平らげてしまう。
80個くらいがあっという間に消える。
餃子はみんなで作るのが楽しい。

コンテンツ作り(執筆/編集)がちょっととどこおっているけれど、乗らないときは一行だけでも進めておくのがコツ。
なにかをするのに気分がノリノリばかりの時とはかぎらない。
むしろ、ノリノリである時のほうがまれ。
いつもノリノリだとしたら、なにかを疑ったほうがいい。
自分を騙しているとか、ひょっとして逆に調子をくずしているとか。

今日の夜はいよいよ国立〈アグレアブル・ミュゼ〉で「FLARE m3」ダンス×朗読×ピアノ「初恋」のミニ公演。
オーストラリア在住の矢澤実穂(ダンス)が一時帰国するチャンスをとらえて、朗読の野々宮卯妙もいれて急遽決まった公演。
めったにないこの三人のパフォーマンス、ぜひとも目撃していただきたい。
お席にはまだすこし余裕があるようです。

今日はこのあと個人セッションがひとつ、そのあと夕方にはかるく打ち合わせして、アグレアブル・ミュゼへ。
じつをいうと私はまだ一度も行ったことがなくて、ピアノも初対面。
どんな感じなのか、楽しみだ。

11月3日:ダンス×朗読×ピアノ「初恋」@国立アグレアブル・ミュゼ
共感的コミュニケーションでつながった3人のアーティストとともに「自由」を探求する即興的瞑想の旅へお誘いします。演目は水城雄作、老婆と青年の仰天の恋物語「初恋」です。午後7時開演。

2018年11月2日金曜日

キース・ジャレット最新作「ラ・フェニーチェ」

ヴェネツィア・フェニーチェ劇場でおこなわれたソロコンサートのライブ録音アルバムだが、おこなわれたのは2006年7月。
なぜいまごろ? という話だが、受賞のお祝いの意味があるらしい。

賞というのは、今年、ヴェネツィア・ビエンナーレの音楽部門での金獅子賞のことだ。
これは現代音楽の作曲家であるピエール・ブーレーズやスティーヴ・ライヒも受賞している由緒ある賞で、ジャズピアニストとしては初の受賞となる。
初ではあるが、納得の受賞だと思う。

12年前の録音なので、現在のキースの音ではもちろんないのだが、現在のキースは健康を心配されていて、しばらくライブ活動は休止している。
心配だ。

高校生のころからジャズを聴きこんできたが、なぜかキース・ジャレットにはあまり関心が向かなかった。
私がジャズを聴きはじめた1970年代には、キースはすでにケルンコンサートなどで超有名プレイヤーとしての地位を確立していて、そんなところで逆になんとなく敬遠してしまったということがあるかもしれない。

あらためてキースを聴きこみはじめたのは2000年になってからだった。

2000年に私は福井の田舎から東京へと仕事場を移し、世田谷の豪徳寺の酒屋の地下室をスタジオにしていた。
地下倉庫を改造したスタジオで、完全遮音、完全遮光の環境だった。

あるとき、そこで、真っ暗ななか、キースの「メロディ・アット・ナイト・ウィズ・ユー」というアルバムを聴いた。
ピアノの音が身体のなかにはいりこみ、染み渡り、知らず涙があふれてきた。

あとで知ったことだが、そのアルバムはキースが慢性疲労症候群で何年か活動を休止していたあと、自宅のスタジオで妻のためだけに演奏したものを収録したもので、往年のテクニカルで流暢な表現ではなく、寡黙で朴訥とした正直で無防備な音が胸を打つものだった。
それを聴いて、私自身、自分のピアノに向かう姿勢をあらためて深くかんがえさせられたりした。

以来、キースを聴きこむようになった。
とくに年齢とともに変遷していく表現には目をみはった。
病み上がり後のソロピアノの挑戦は刺激的で、完全即興でありながらも和声進行をともなかったもの(これは難しいよ!)から、調性のない現代音楽的なものまで、自分という現象を自由自在に、しかしピアノという制約の強い楽器を用いて抽象的に表現していく姿は、まさにキース・ジャレットというアーティストが唯一無二の存在であることを強く感じた。

この「ラ・フェニーチェ」は、そんな脂が乗りきった時期の演奏だ。
キースは1945年生まれなので、「ラ・フェニーチェ」は61歳のときの録音。
いまの私とおなじ年齢だ。
これを聴いて、比較しておれはだめだと落ちこむのか、刺激を受けて発奮するのか、それは私自身の選択である。
選択の自由はかぎりなく許されている。

2018年11月1日木曜日

編み物タイムがもたらすもの(思索とマインドフルネス)

10月の「共感編み物カフェ」が終了した。
編み物はもちろんだが、編み物以外にもラップトップを持ちこんで自分の「宿題」をする人、イベントの相談をする人、オンラインで飛びこみ参加してただ子どもといっしょに向こう側で近況など話してくれる人など、それぞれの自由とその尊重と安心が保証される場となっていた。
もちろん私自身がその場を必要としていて、楽しませてもらった。
参加してくれたみなさん、ありがとう。

私はこのカフェの直前に、一週間くらい取りくんでいたオパールを毛糸を使った腹巻帽子が仕上がったばかりだった。
なかなか大変な仕事だったが、輪針(棒針の一種)を使った初めてのまとまった一品となった。
で、編み物カフェではつぎの作品の、やはりオパール毛糸のすこし太めのやつを使って、赤ちゃん用の腹巻を編みはじめた。

明るい色合いがよく、赤ちゃんに似合う感じになりそうで、楽しく編みすすんでいる。

編み物をしているあいだ、さまざまなことをかんがえるが、おもにかんがえるのは執筆内容についてだ。
小説やエッセイ、ブログなど、つぎに書こうと思っているテーマについていろいろとかんがえをめぐらすが、編み物は思索に集中できていい。
散歩しながら思索をめぐらす人も多いが、私は編み物がしっくり来る。

かんがえているあいだも手は休むことなく動いているので、脳内に閉じこもってしまうことなく「いまここ」の自分の身体に容易にもどってくることができるし、また自分の身体といっしょにいながら思索している感じもある。
ゆるやかなマインドフルネスの状態だ。

かんがえはひとつの道筋だけでなく、さまざまに飛躍することもあるが、ときには執筆のテーマにそっていない思いつきが浮かんでくることもある。
そんなときはすかさず手をとめて、目の前にあるコンピューターやタブレットにメモする。

また、だれかの話を聴きながら編むこともある。
これはよい共感的聴き方の練習になるので、みなさんにもおすすめしたい。

いまや編み物は私にとってとても大事な時間となっている。
そしていよいよ、11月3日(土/文化の日)の夜は、国立〈アグレアブル・ミュゼ〉でダンス×朗読×ピアノの公演「初恋」を開催する。
お席には余裕があるので、みなさん、ぜひお越しいただきたい。

11月3日:ダンス×朗読×ピアノ「初恋」@国立アグレアブル・ミュゼ
共感的コミュニケーションでつながった3人のアーティストとともに「自由」を探求する即興的瞑想の旅へお誘いします。演目は水城雄作、老婆と青年の仰天の恋物語「初恋」です。午後7時開演。

2018年10月31日水曜日

すこしずつ長く走れるようになってきた

私が最近ランニングをはじめて、以前は走れなかったのにすこしずつ走れるようになってきたことについては、こちらの「走れる(喜)!」という記事にもくわしく書いたけれど、あいかわらず週に何回かは走りつづけている。
そして今日は、連続ランニング記録をまたすこし伸ばすことができた。

たかだか1,000mを数百メートル超えたくらいの距離なので、ふつうに走れる人から見たらなにをそんなに大げさにと思うかもしれないが、膝の故障で20年走っていなかった、そして一生走ることはないだろうと思っていた私にとっては、ちょっとした事件なのだ。

距離はすこしずつ、しかし確実に伸びていて、またこれは今後も伸ばしていくことができるだろうという体感がある。
やがて1,500メートル、2,000メートル、そして3キロ、4キロ、5キロは夢ではないかもしれない。
別にマラソンランナーをめざしているわけではなくて、ある程度負荷のかかる運動(心拍数が160を超えるような)がこの年齢になっても持続的にできるように持ちなおしていけるのだ、という一種の実験がおもしろいのだ。

この年齢、というのは61歳のことだけれど。

身体的にある程度持ちなおしていけるということは、あたまや精神の働きもある程度底あげしなおせるということでもあるかもしれない。
とはいえ、身体とあたまと精神を別々に切りわけてかんがえることはなくて、たとえば私の場合、ピアノの即興演奏をするのは、これらすべてを総動員する行為だといっていい。
身体だけ鍛えてもだめだし、あたまだけ、こころだけ鍛えてももちろんだめだ。

ピアノの即興演奏には身体的負荷のほか、集中力や創造性、感受性など、自分が持っている能力をフル動員するようなところがある。
ピアノ演奏だけでなく、小説を書くなどという行為もじつは全体性が必要だ。

人生の終盤といっていい年齢に差しかかってきたけれど、これまで身につけてきたさまざまな能力をもう一度結集させ、フル動員させ、さらに磨きあげていくことで、どこまで自分を最大限発揮できるのか、楽しい挑戦だと思ってわくわくしてたまらない。

2018年10月29日月曜日

映画:しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス

泣いた。
いい映画だった。

今年・2018年公開のカナダとアイルランドの合作映画。
監督はアシュリング・ウォルシュという人(知らない)。
10年以上前に「荊の城」という映画を作っているが、私は未見。

これは実在の画家モード・ルイスの半生をモデルにした映画らしい。
モード・ルイス役をサリー・ホーキンスを演じている。
どこかで見たな、しかも最近……と思ったら、「シェイプ・オブ・ウォーター」の主役で、この映画でアカデミー主演女優賞を取っている。
これも大変よかった(こちらのレビューは書きそびれているが)。

モード・ルイスは重度のリューマチを病んでいて、親戚からもうとましがられ、ひどい仕打ちを受けている。
ただひとつ、絵筆を持って好きな絵を描くことだけがささやかな幸せで、そのために自分の居場所と自立を求めて、家政婦の仕事に出る。
それが夫となるエベレット・ルイスの杣屋《そまや》であった。

本当に質素で、粗末な家なのだが、そこでささやかな自分の時間を見つけていくモード。
そしてある日、彼女の絵に価値を見出す女性があらわれ、モードは徐々に画家として知られるようになっていく。

一種の女性の自立の物語だと感じたのだが、その自立が特別な才能・才覚や人なみはずれた努力や運ではなく、ただありのまま、自分のささやかな幸せを大切にすることだけで成立していくという点が、ほかの成功・自立物語とは異なっているように思える。
そしてそのような人が実在したのだというところに、勇気をもらえるのだ。

夫のエベレット役のイーサン・ホークもよかった。
エベレットは実直な、しかし古い時代の暴力的な男性性を象徴するような存在なのだが、そのなかにもモードにたいする正直さと誠実さがあらわれている。

美しい(だけど荒涼とした)風景と、絶妙な音楽。
引きの画面と寄りの画面の巧妙な構成、静けさと抑制のきいた音楽の絶妙な組みあわせ。
ひさしぶりにサウンドトラックを聴きたいと思いながら、エンドロールでは涙が止まらなかった。

2018年10月28日日曜日

餃子とスイーツのダブルで食の充実日

昨日は食の充実日。
ひさしぶりに餃子を作ろうと思いたち、仕込む。
しいたけの代わりにしめじを使い、みじん切りにしたものを鶏がらスープに浸けこんでみる。
それを肉、にら、キャベツといっしょに混ぜこんで、皮に包んで焼く。

思惑通り、たっぷりとスープを含んで、まるで小籠包のような仕上がりになって、なかなかの出来上がり。
焼け具合もほどよくできて、満足。

そのあと小浜さんが打ち合わせに来て、これまた絶品のスイーツを差し入れてくれた。
生クリーマーの私としては最高の一品。
これ、なんていう名前のスイーツだっけ?

そのあと、野々宮が焼いたインデビジブルなんとかというもケーキも切って、ちょっと食べすぎ。
でもおいしかった(写真を撮り忘れたけど、まだ残ってるのでつぎは忘れないように撮る)。

その合間に InDesign に直接執筆するという荒技を試してみて、これがなかなか具合がよかった。
原稿の進み具合がそのまんま書籍の形になっていくのがよいな、これは。

ムイスケッチ、武術の自主稽古会、にぎやかで孤独な環境

年末にリリース予定の『共感的コミュニケーション2019』の表紙絵にするためのスケッチ。

金曜日は午前11時から韓氏意拳の自主稽古会。
数か月前からしつこく開催していたんだけど、これまで私以外の参加者はいなかった(つまりだれも来なかった)。
が、初めて参加者が三人来て、楽しく稽古。
韓氏意拳はひとり稽古が基本とはいえ、いっしょに稽古したり、いろいろ確認しあったりできるのは楽しいし、進展があるなあ。

午後はNVCの基礎づくりコース参加者のための「家開き」を野々宮とのぞみさんが上のリビンクでやるというので、私は下のスタディルームで仕事したり、編み物したり、映画を見たり。
上でなにやらにぎやかに集っているなか、ひとりのスペースが確保されていてそこで自分のことをやれるというのは、なかなか幸福な環境。
まったく静かな孤独な環境もいいけれど、こういう感じも独特の集注があっていい。
いま、主催のイベントやSNSでの交流など、いろいろなことを整理して、執筆・製作に集中できる環境を構築しつつある。

夜は私もリビングに呼んでもらって、みなさんといっしょにのぞみさんが作ってくれたおいしい晩ご飯をいただく。
のぞみさん、いつもありがとう、ごちそうさま。

10月29日:国立・韓氏意拳初級講習会
駒井雅和中級教練による国立での韓氏意拳初級講習会を10月29日(月)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催します。

10月29日:韓氏意拳養生功講習会@国立
JR国立駅徒歩5分の会場にて駒井雅和中級教練による韓氏意拳養生功講習会を10月29日(月)16時から約2時間の開催です。

2018年10月26日金曜日

コンテンツというアウトプットのための流れ(フロー)

春野亭の前の道の風景、昨日の午後。
こんな街なかであっても、空と光線の具合がいよいよ本格的な秋を感じさせる。

今日は午前中に韓氏意拳の自主稽古会。
参加者四人で、私以外は全員女性。
韓氏意拳は健康や美容にもいいんですよ(きっと)。

毎日たくさん、ブログやSNSに文章を書いているけれど(垂れ流しているともいう)、いよいよこのエネルギーをコンテンツというアウトプットに向けて集中・集約していきたいという気持ちが高まってきている。
つまり、本を書く、映像コンテンツを作る、音楽を作る、そういうものだ。
もともと私は作家なので。

そのための「環境」整備を今日からしようと思っている。
環境というのは、仕事場を確保するとか、掃除するとか、そういうことではない。
いまや私の仕事場はラップトップ・コンピューターなので、その環境整備をするということだ。
とくに執筆・書籍化のフローはしっかり確保したい。
毎日書き、それを書籍コンテンツにする流れとしては、どういうものが快適なのか。
このあと、試行と検証に取りかかる。

2018年10月25日木曜日

楽しみな国立〈アグレアグル・ミュゼ〉でのパフォーマンス公演

オーストラリアから一時帰国した矢澤実穂さんから、お土産のユーカリとオリーブオイルの石鹸をいただいた。
実穂さんとは11月3日(土/文化の日)の夜、国立〈アグレアブル・ミュゼ〉で彼女のダンスと野々宮の朗読と私のピアノとで、パフォーマンス公演をおこなうことが急きょ決まった。

この三人でおこなうパフォーマンスは「FLARE m3」と称していて、今回で(ごくみじかいセッションも勘定にいれれば)四回めとなる。
清里のNVCのIITという合宿で、国立のさくらホールで、渋谷の文化総合センターで、そして今回の国立アグレアブル・ミュゼで。
「m3」というのは、実穂さん、野々宮のNVCでのネーム・まり、そして私・水城の頭文字をあらわしている。

年に一度あるかないかの機会なので、ぜひともお立会いいただきたい。
私もとても楽しみにしているし、即興ピアニストとしての私のもっとも先っちょの部分を聴いていただくことができるので、ご来場大歓迎なのだ。

午後7時開演。
詳細と申し込みはこちらをご覧ください。

もうすぐ折り返し地点の腹巻帽子

あと数センチでようやく前半部分が編み終わる腹巻帽子。
あと半分は糸を変えて、リバーシブルの帽子兼ツートンの腹巻になる予定。
目を見てみると、編みはじめは目を飛ばしたり、抜かしたり、けっこうぼろぼろなんだけど、だんだんきれいに揃ってきて、きれいになってる。
この一本めは練習として、二本めからは人にあげられるようなものが作れるかな。
それにしても、時間がかかる。
糸が細いせいもある。
二本めはすこし太い、六本ヨリの糸でやってみよう。

エコアンダリアのどんぐり帽子を追加でまた作ってほしいと頼まれた。
うれしいな。
大人がみんなこれをかぶって歩いてたら平和だな。

今日も朝から走ってきた。
なんとなく重いので、無理せずいつもとおなじ距離。
ただしスピードをちょっとだけあげてみる。
そして心拍数がもとにもどる時間は確実に短縮されている。
こんな年齢でも身体能力をあげていくことは可能なんだということは、頭ではわかっていたけれど、実際にやってみるとどのくらいそうなのかがちゃんとわかるのがおもしろい。

今日と明日、個人セッションを受け付けられる時間がたくさんあるので、なにか解決したい問題やシビアな問題を抱えている人、悩みがある人など、歓迎です。

映画:教誨師

うちから一番近い映画館である立川の CINEMA CITY で観てきた。
監督(脚本も)は佐向大。
1971年生まれとまだ若いが、監督歴はずいぶん長いようで、作品もたくさんあるが、ほとんどがマイナーな作品で、私も名前を知らなかった。

しかし、この監督は注目株だと思う。

ふだん日本映画を観ることは少ない私だが、NVC関係の知り合いにクリスチャンが多いこともあって、この映画のことを知った。
「教誨師」とは、刑務所で希望する囚人にボランティアで話を聞いたり、宗教の話を説いたりするボランティアの牧師のことだ。

牧師とはプロテスタントの用語なので、神父とか、ほかにも仏教や他宗教の宗教家がいるのかもしれないが、この映画では牧師役を今年の2月に亡くなったばかりの大杉漣が演じている。
そう、この映画は大杉漣の遺作でもある。

全編をとおして、音楽はまったくない。
そしてほとんどのシーンが室内での教誨師と死刑囚との対話だ。
個性的な死刑囚が何人も出てくる。
それぞれが勝手なことをしゃべったり、沈黙を守ったり、苦しんだり、泣いたりわめいたり、さまざまな表情を見せる。
役者の見せ所ともいえる。

フィクションなのでぼかしてはあるけれど、実際に起こった事件とその容疑者を想定していることがうかがえる。
それぞれの役者がそれぞれの容疑者——その後死刑囚——を演じている。

私は知らなかったのだが、玉置玲央という若い役者が印象的だった。
障害者介護施設での連続殺人事件を想定する語りがつづく。
そこで彼がいう人の命、この現代社会の矛盾、そして死刑制度というものに対する問題提起は、なかなか衝撃的である。
いい役者だと思った。
東京の劇団「柿喰う客」のメンバーらしい。

ほかにも五頭岳夫、古舘寛治、光石研といった印象的な役者が出演しているが、なかでもびっくりしたのが烏丸せつこだった。
汚れ役を見事に演じていて、私はしばらく彼女だと認識できなかった。
そんなことも含めて、一見の価値はある映画だなと思った。

2018年10月24日水曜日

ローカライズ/パーソナライズに突き進んでみるよ

共感的コミュニケーション(NVC)を自然な日本語、日常的な自然言語と身体性で使えるようにしようという、ローカライズとパーソナライズに情熱を持っている私だが、このところその手がかりを多方面からつかみかけていて、ぜひみなさんとシェアしたり、研究したり、練習したいと思っている。

近日のイベントでもそこに焦点を絞った内容にしていきたいとかんがえているので、お付き合いいただける人がいたらありがたいかぎりである。

もうこれは「水城式共感術」でいいよな、といわば開きなおっているわけだが、アプローチはいくつかの面がある。

・音読(朗読)や身体表現に用いた「いまここ」の自分自身に気づき共感していくマインドフルネスのワーク(表現ワーク)。
・編み物など手仕事をしながら平和・安心な場でなんとなくつながりあい、聞き合うワーク(縁側ワーク)。
・文章を書くことで自分に深く気づいたり、相手の文章を共感的に読むことでテキストによるコミュニケーションを深めるワーク(テキストワーク)。

これらを組み合わせれば最強だと感じているし、どれかひとつのアプローチでも共感を身につける実践になると思う。
チャンスがあれば参加してみてほしい。

10月28日:共感文章講座@国立春野亭(もしくはオンライン)
メールやLINE、SNSでのテキストコミュニケーションにおいて、共感的コミュニケーション(NVC)の方法をもちいてお互いに尊重をもってつながりあう文章表現を練習するための講座です。

10月31日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあうまるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地を提供しています。編み物のほか、なにかやりたいこと、手仕事など各自お持ちください。

11月24日:共感音読カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会です。

秋は運動、人生の秋も運動は楽しいな

昨夜は韓氏意拳の駒井火曜クラス@昭島スポーツセンターだった。
ある程度の固定メンバーで体系的な稽古を進めていけるのは、ほんとにありがたい。
このような練習の機会を提供していただいている駒井先生には感謝(ご負担も多いだろうと思うのだが)。

メンバーがそろうまで、重さ2キロの麦入りバッグを投げ回したりして、ちょっとした遊びをかねたウォーミングアップ。
子どもにもどったみたいで、たのしー!

参加者のリクエストもあって、初級教程の頭から順次すすめていく。
形体訓練から站椿、そして試力へ。

そのあとは駒井先生が独自で工夫された対人接触をともなう稽古。
韓氏意拳では基本的に対人稽古はやらないのだが、ある程度武術や競技の心得がある人ならいざしらず、人との接触の経験がまったくない人が基本稽古だけやっていても、いざというときには「使えない」だろうという駒井先生の持論があって、その部分には私も同意できる。
というのも、実際に対人稽古をやってみて、そのあとにふたたびひとり稽古で基本の站椿などにもどってみると、自分の「穴」が明確になっていて稽古の要点がはっきりするからだ。

昨夜は受け手の肩口にこちらの肩を接触させて歩法で位を取る稽古と、相手の肘のあたりと首に手をそえて順式から逆式への転体で動く稽古。
とくに後者はおもしろかった。
こちらが充分に「腰をおろし」、状態にはいって転体したとき、相手はこちらの質量によっておもしろいようにゴロンと移動し、なおかつ自分自身も相手の重心移動にともなって前へと進む、という変化がある。
この変化を、もう一度基本の技撃椿にもどって順式、逆式とやってみると、その関係性がはっきりとわかる。

たぶん、ひとり稽古にもどって站椿をおこなったときにも、この対人稽古の感覚は重要になるのだろうと思う。

そんなわけで、今朝は足腰にかなりきていたのだが、がんばって走ってきた。
いつもとおなじくらい走り、ちょっとだけ(ほんの100メートルだが)がんばって距離をのばしてみた。
走りはじめて初めて心拍数が170を超えた。

10月29日:国立・韓氏意拳初級講習会
駒井雅和中級教練による国立での韓氏意拳初級講習会を10月29日(月)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催します。

10月29日:韓氏意拳養生功講習会@国立
JR国立駅徒歩5分の会場にて駒井雅和中級教練による韓氏意拳養生功講習会を10月29日(月)16時から約2時間の開催です。

YouTube:ピアノコンサート@福井県立病院 2018年秋の抜粋

2018年10月10日。
数か月に一度のペースでおこなっている福井県立病院エントランスホールでのボランティア・ピアノコンサートの記録映像の抜粋です。
「里の秋」「紅葉」「赤とんぼ」など、即興変奏で約10曲をお送りしました。

 ピアノ演奏:水城雄

映像はこちら

2018年10月23日火曜日

幸せな引きこもりの日々と水城式共感術について

先週からしばらく、韓氏意拳の稽古と買い物に出かける以外はほとんど国立の家に引きこもって、映像編集したり、あたらしいガジェットをいじったり、編み物したり、料理したり、映画を見たり、しんなりとひとりの楽しい時間をすごしていた。

いまは輪針で腹巻帽子を編んでいて、これはひどく時間がかかる。
いま編みはじめて4日めくらいだが、まだ15センチくらいしか編めていない。
全部で52センチ必要なのだ。

もちろん、ずっと編みつづけているわけでなく、なにかをする合間にちょこちょこと針を持つ。
それでも、しつこく編みつづけていると、だんだん上手になっていくのがわかる。

あまりにも進まないので、昨日は立川のユザワヤに行って、おなじオパール毛糸のすこし太めのものを買ってきた。
ふつうのオパール毛糸は4本ヨリだが、これは6本ヨリ。
こっちのほうがなんとなく暖かそうな感じがする。

いま編んでいる腹巻帽子を仕上げてから6本ヨリのものを編みはじめようか、それともすぐに編みはじめようか、迷っているところ。

引きこもってはいるが、振り返ってみると、土曜日にはゼミ生のゆきこさんと朗読収録をしたし、午後には共感音読カフェを開催した。
共感的コミュニケーション、すなわちNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)を知ってまだ日が浅い方の参加が多かったのだが、みなさんと話していて確信したのは、こういうことだ。

私がこのところ情熱を持っているのは、NVCを教えることではなく、NVCを日本語や日本の社会風土や個々人にローカライズ/パーソナライズすることなんだ、ということ。
そしてそれもまた、私自身の固有の経験にもとづく、いわば「水城式共感術」とでもいうようなものであり、それを伝えたり、いっしょに練習したりしたいのだ、ということ。

おまえがやっているのはもはやNVCではないよ、といわれてもしかたがないかもしれないと思う。
しかし、NVCがめざす世界と私が大事にしていることが一致しているという体感はあるので、水城式でいいではないか、とここ何日か引きこもりながらかんがえていることである。

10月28日:共感文章講座@国立春野亭(もしくはオンライン)
メールやLINE、SNSでのテキストコミュニケーションにおいて、共感的コミュニケーション(NVC)の方法をもちいてお互いに尊重をもってつながりあう文章表現を練習するための講座です。

2018年10月22日月曜日

YouTube:菅原稔作「音が聴こえなかった愛犬ジュディ」朗読・勝木雪子

生まれつき音が聴こえない犬・ジュディとの、フリスビーでの遊びや競技会出場を通しての交流で気づいた多くのことを、みずからも病を得た菅原稔さんがフェイスブックに発表した文章を、現代朗読ゼミ生の勝木雪子が朗読作品にすることを希望し、収録しました。

 作:菅原稔
 朗読:勝木雪子
 ピアノ演奏/演出:水城雄

映像はこちら

2018年10月21日日曜日

書く人、読む人、編集する人、本を作る人、大募集

チャリティーバザールから返ってきたエコアンダリアの手編み帽子。
子ども用もしくは頭囲の小さな女性用、ほしい方おられれば差し上げます。

梅村マルティナさんの腹巻帽子を輪針で編んでいる。
糸が細いのでなかなかはかどらない。
が、棒針もだいぶ慣れてきた。
かぎ針に比べてけっこう雑に編んでも目がそろうことがわかってきた。
かぎ針より棒針のほうが入門向けというのが納得だが、なぜか私はかぎ針からはじめてなかなか棒針になじめずにいた。
やっと克服できるかな。

今日はそんなことをしながら、NPO法人関連の書類作りやら、揚げ物やらやりましょう。
外はいい天気なので、あとでちょっと散歩に出よう。

夜は身体文章塾。
なにか作品を書いていないと参加できないように思いこんでいる人がいるみたいだが、そんなことはない。
読むだけの人も歓迎。
読んでくれる人もいなければ作品を書いてもはりあいがない。
また身体文章塾では機関誌『HiYoMeKi』の編集を手伝ってくれる人も募集中。

10月21日:身体文章塾
テキストで自分自身を伝えるために、自身の身体性とむすびついたことばや文体についてのさまざまな試みをおこなっています。10月の開催は21(日)/28(日)、いずれも19時から約1時間半程度です。

2018年10月20日土曜日

朗読の収録、共感入門者たちとの交流、課題山積の撃研

今日は濃い一日だった。
午前中、ゼミ生のゆきこさんが来て、ある事情から収録を急ぐことになった作品の朗読(と即興ピアノでの共演)を収録。
ゆきこさん、ものすごくがんばった。
明日には編集を仕上げてしまいたい。

ゆきこさんに預けてあった「リレー・フォー・ライフ・ジャパン」のチャリティーイベント用の帽子の残ったやつが返ってきた。
いくつか売れたとのことで、微力ではあるけれど協力できたことがうれしい。

お花をいただいた。
かわいいブーケで、心使いがありがたい。

収録後、〈パスタ・ファクトリー〉でランチ。
この店は3回めだが、まだ試していなかったミートソースをいただいてみる。
なかなかおいしかった。

午後は共感音読カフェ。
今日はオンラインで参加したひろこさん以外、全員が共感的コミュニケーション(NVC)に接してまだ月日がみじかい入門者の人ばかり。
私の勉強会でこういうパターンは、最近ではめずらしい。
とはいえ、「教える」とか「解説する」とかはやりたくないので、みなさんの話を聞いたり、私の経験を伝えたり。

リクエストで「朗読してみたい」というのがあったので、会の終わりのほうでマーシャルの本に載っている詩の一部をみんなで音読してみる。
詩の意味ではなく、それを読んでいる自分自身を繊細にとらえることを試みてもらったのだが、短時間でうまく意図が伝わったかどうかは疑問。

参加してくれた皆さんには感謝だけれど、私ではいたらないNVCについての講義やプラクティスについては、ぜひともほかの講座やワークショップに行ってみてほしい。
とくに日本人トレーナーが何人も誕生しているので、その人たちのワークに参加してみることをおすすめする。
その上でまた私の(主流からはずれているかもしれない)場が必要だと感じた方がいたとしたら、うれしいことではある。

今日参加してくれた方のひとりがクロモジの枝を持ってきて、それでお茶をいれてくれた。
初めて飲んだが、おいしかった。
山の仕事のおこぼれをいただくことができた。ありがとう。

夜は韓氏意拳の駒井先生による「技撃研究会」に参加するため、昭島スポーツセンターに行く。
韓氏意拳の稽古体系にはない対人稽古をおこなう。
毎度のことだが、自分の課題が山のように噴出して、いやになってしまうことを通りこして笑ってしまう。
しかも、以前からわかっている課題がまったく克服できていない自分がいて、落ちこむ。
が、いやになること、落ちこんでしまうことは、自分自身になにが必要なのかを教えてくれているはずと思いなおし、そのための自主稽古を自分なりに組みたててやってみるしかない。
女性も参加していて、ちょっと痛い思いをさせてしまったのも、ほんと申し訳ない。

映画「ジェーン・ドウの解剖」

2017年公開のイギリス映画。
監督はアンドレ・ウーブレダル。
知らない。

いやー、びっくりした。
なんか息抜きに観るおもしろそうな映画がないかなと思って、NETFLIXで、全部観るつもりじゃなくて出だしのところだけブラウジング的にちょいちょいとつまみ見していたところ、これに出くわした。
つまみ見が上手になってくると、出だしの数分を見ればそれが自分にとってよい映画なのかどうか、すぐにわかる。
これは最初の1分で「あたり」だと思った。

一家が殺戮された凄惨な殺人現場の地下室から見つかった、まったく損傷のないきれいな遺体。
主役の親子は、その遺体を扱うことになった検死官で、そこはなぜか遺体安置所と火葬場にもなっている(イギリスではそういうシステムなのか?)。

「名無しの権兵衛」を女性にして英語でいうと「ジェーン・ドウ」になるらしいが、身元不明のその遺体をふたりが解剖していく。
非常にリアルで、血とか内臓とか皮膚を切り裂くシーンとか、その手のものが苦手な人はまず見ないほうがいい。
あと、これは声を大にしていっておこう。

気の弱い人はけっしてひとりで見ないでください。

私はうっかりひとりで見はじめてしまって、途中で目を離せなくなって、そしてひさしぶりに、

「肝を冷やした」

たいていのホラーとかサスペンスとかスプラッタなものも含めてたくさん観てきたけれど、この「ジェーン・ドウ」はひさしぶりに心底こわかった。
はじめて「エクソシスト」を観たときのこわさにちょっと似ているけれど、あれをもっと知的に、リアルに、そしてオカルト色を慎重に抑えて丁寧にした感じで、その分心理的な恐怖が増幅される。

いっておくけれど、前半はとくに、遺体を解剖するだけの映画なのだ。
ところが、不可解な事実がつぎつぎと明るみになっていって、気がついたら怖ろしい仕掛けに観客は巻きこまれる。

難をいえば、後半がややサービス過剰でわかりやすく作ってあり、興行的にはそれが必要なのかもしれないが、押さえた筆致の前半とのバランスがやや悪いように感じられる。

「大変気持ち悪い映画だが、私の好きな映画の一本に入れてもいいな」

という気分になっている。
前半を観て、ひとりで観るのはとても怖ろしくて中断してしまったのだが、結局気になって、あとで最後まで観てしまった。
今夜はきっと、夢をみる。