2020年3月31日火曜日

ラストメッセージ(6)キックボードで半世紀前にタイムスリップ

(English at the bottom)

〔末期ガンをサーフするⅢ〕

数日前にボイスパフォーマーの徳久ウイリアムくんとMariの3人でお昼ご飯を食べに行こうということになって、近所の店まで歩いて行った。
距離にして300メートルもないくらいの、ごく近所のイタリアンレストランだった。
そんな近距離にも関わらず、このところ痛み止めの薬の効きめが悪くなっていた私にとっては、歩いて行くにはかなり遠く感じられる距離だった。

杖をついて、というより杖に体重を預けてぶらさがるようにしてよろよろと歩く。
かなりのお年寄りの姿だ。

ひさしぶりに会った徳久くんも、私の急な変化にびっくりしたようだった。
私も情けない思いがある。
そのとき思いついたのが、キックボードだった。
このあたりでも子どもがよくキックボードを蹴りながらすいすいと移動している姿を見かける。
私も子どものころはそれでよく遊んでいた。

10年くらい前にキックボードがはやったことがあって、大人もずいぶん乗っている姿を見かけたものだが、最近はすたれたのかめったに見ない。
それでもネットで検索してみると、大人用のキックボードはいまでもいろいろ売られているようだ。

徳久くんとMariも「キックボードはいいんじゃない?」という意見になって、ご飯のあと時間があったのでさっそく3人で自転車屋に行ってみることになった。

府中の自転車屋には置いてなく、立川の自転車屋には子ども用のもの1種類しかなかったが、試乗できた。

キックボードに乗るのはたぶん、50年(半世紀)ぶりくらいだが、乗った瞬間に身体がおぼえている感覚が一瞬にしてよみがえってきた。
思いだしたというより、私の身体が半世紀前にタイムスリップしたような感覚だった。
なんの不自由もなくすいすいと乗れる。
もともとそう難しい乗り物ではないけれど、この乗り物を扱うための運動神経系が瞬時に活性化する感じは、びっくりしつつも気持ちいいものだった。

この店では購入せず、家に帰ってからネットであれこれ検索して、イギリス製の「フレンジースクーター」を通信販売で注文した。

それが今日の午後、届いた。
組み立てて乗ってみると、これこれ、この感じ。
すいすいと乗れて気持ちがいい。

そのままちょうど薬を処方してもらう必要があった近所の病院まで乗っていく。
杖をついてよたよたと5分くらいかかって行っていたのだが、今日はあっというまに30秒くらいで到着してしまった。
これなら、病院にかぎらず、近所のコンビニや本屋や喫茶店などにも気楽に出かけられる(新型コロナウイルスには気をつけなければならないが)。
そして薬は医療用麻薬のオキシコンチンを15ミリグラムから20ミリグラムに増量して処方してもらった。

痛みがなくなり、移動も気楽になって、快適な時間が増えるといいのだが。


A few days ago, voice performer Tokuhisa William, Mari and I went out for lunch and walked to a nearby restaurant.
It was a very close Italian restaurant, less than 300 meters away.
Despite the short distance, for me, the effectiveness of my painkillers has been getting worse, so it was a pretty long distance to walk.

I staggered with my cane, or rather with my weight on it.
I look quite old.

Tokuhisa, whom I hadn't seen for a long time, seemed surprised at my sudden change.
I also feel sorry.
Then he thought of a kickboard.
Then I thought of a kickboard.
I often see children moving smoothly by kicking a board around here.
I used to play with it when I was a child.

There was a Kickboard fad about 10 years ago, and I saw a lot of adults on it, but it's rare to see it go out of fashion these days.
Still, a search on the Internet shows that there are still plenty of adult scooters available.

Tokuhisa and Mari agreed, "How about a kickboard?" and as we had time after dinner, the 3 of us decided to go to the bicycle shop.

Bicycle shops in Fuchu didn't sell them, and those in Tachikawa had only one type for children, but I was able to test drive it.

It's probably the first time I’ve been on a kickboard in 50 years (half-century), but the moment I get on it, the feeling that my body remembers comes back in an instant.
It was more like my body slipped half a century ago.
I can ride smoothly without any inconvenience.
It's not exactly a difficult ride, but the feeling that the motor nervous system is instantly activated to handle it was amazing and refreshing.

I didn't buy it at this store, but after I got home, I searched this and that on the Internet and ordered "French scooter" made in England by mail order.

It arrived this afternoon.
When I put it together and got on, it was like this, this, this.
It feels good to ride smoothly.

Just like that, I go to the nearby hospital where I needed to get prescribed medicine.
It took me about 5 minutes to wobble with my cane, but today I arrived in about 30 seconds.
With this, you can easily go not only to the hospital, but also to nearby convenience stores, bookstores and coffee shops (We have to be careful of new coronaviruses.).
The drug was prescribed with an increased dose of the medical drug oxycontin, from 15 to 20 milligrams.

I hope the pain will go away, I'll be able to travel more easily, and I'll have more comfortable time.

2020年3月30日月曜日

新刊『私という現象 末期ガンをサーフするⅡ』(Kindle)

新刊『事象の地平線 末期ガンをサーフする』が、アマゾンの電子書籍・Kindleで配信スタートしました。

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食道ガンのステージⅣ(末期ガン)で余命数か月とされた著者が、幸福な終末の日々を送る現在にいたる道すじや経験と、いま現在の日々を記録した長い自己紹介(プロフィール)としての随筆。ブログ連載を経て、書籍化にあたって大幅に加筆修正したものをあらたにリリースしました。
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ダウンロード価格100円です。
Kindle unlimited(読み放題/無料)にも登録しています。
こちらからどうぞ。

2020年3月26日木曜日

(Manabi JAPAN)水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。「春分」

まなびジャパン(Manabi JAPAN)で配信中の「水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。」の最新更新のお知らせです。

太陰暦の時代、春夏秋冬それぞれを6つに分けて24等分し、その区切りと区切られた期間の季節を表すために作られた二十四節気。七十二候はそれをさらに3つの項に細分して季節の移ろいを表したものです。些細な兆しからいつしか劇的な変化を遂げていく日本の四季を、水城ゆうがピアノで表現します。

今回は「春分」の項です。
書き下ろしのショートエッセイも掲載されています。

アクセスはこちら

現代朗読ゼミはオンラインでもやれるのだ

この週末、東京都に外出自粛の要請が出た。
首都封鎖すなわちロックダウンという事態を回避するための要請だという。
やむをえない事態だろうと思う。
日本はまだ踏みとどまっているが、世界に目を移せば大変な事態になっている国が多い。
海外在住の友人らからの生の声を聞く機会もあるが、いずれもかなり深刻な事態になっているように思う。
日本もそのような事態を避けられないかもしれないが、回避するための対策は必要だろう。

もっとも、そのことで大きな犠牲を払わなければならないことも事実で、こちらも諸外国のように政治が手当を覚悟しているのかどうかというと、なんだかあやしい感じがして信用できない。
ただちに困窮におちいる人もおおぜいいるのではないか。
そのための喫緊の手当が迅速になされているのか。

それはともかく、週末には私も現代朗読ゼミとひよめき塾のイベントがふたつ開催予定だ。
ひよめき塾はほぼオンラインのみで開催しているので、これまでどおり開催できるが、朗読ゼミは国立の会場まで身を運んでもらうのが基本なので、これをどうするかという問題がある。

現代朗読は朗読を身体表現ととらえ、基礎トレーニングも武術でいうところの「体認」のエチュードを用いることが特徴といえるが、アプローチはそればかりではない。
もともとオーディオブックの収録やネット回線を使った朗読ライブからスタートした活動だったこともあって、オンラインでもやれる練習はたくさんあるし、また練習にかぎらず実際のライブパフォーマンスや音声収録、さらには映像収録にいたる活動まで広い間口を持っている。
これを機会に、今後しばらくはこのような切口も活動の柱に据えていきたいと思っている。

国立まで来れる人はもちろん歓迎するが、来れない人、来ることがためらわれる人は、この機会にぜひともオンラインで参加してみてほしい。
まずは単発の体験参加のみも歓迎する。


3月28日:臨時朗読ゼミ(水城ゼミ)
ゼミ生が個人レッスンを受けるタイミングで臨時の現代朗読ゼミを開催します。新型コロナウイルス対策を受けてオンラインでの参加も歓迎です。それなりの内容で開催します。3月28日(土)10時半から約2時間。

2020年3月25日水曜日

島田啓介さんとのロング対談その2(水城ゆうロングインタビュー Vol.4)マインドフルネス



ティク・ナット・ハン師の著書の翻訳者であり、日本におけるマインドフルネスイベントの第一人者としても知られるダーさんこと島田啓介さんとの対談、その2日めです。


いまここの自分と自分のまわりのことに「気づき」つづけることが大切だと説くマインドフルネスの心ですが、それはけっして「刹那的に生きる」こととは違います。
過去の失敗や後悔をいまこの瞬間の行動の質にどう生かすのか、またもともと我々が持っていた気づきの能力を、あらためて生活のなかでどのように復活させていくのか、2日めはちょっとまじめにマインドフルネスについて語りあってみました。

話 talk : 島田啓介 SHIMADA Keisuke
    水城ゆう MIZUKI Yuu

制作 produce : アイ文庫 iBunko
編集 edit : ジューシーラボ Juicy Lab.

2020年3月24日火曜日

島田啓介さんとのロング対談その1(水城ゆうロングインタビュー Vol.3)マインドフルネス



ティク・ナット・ハン師の著書の翻訳者であり、日本におけるマインドフルネスイベントの第一人者としても知られるダーさんこと島田啓介さんとの対談、その1日めです。


だれもが持っている過去の後悔の念、失敗の思い出、まだ起こってもいないことについての不安と、いまこの瞬間のマインドフルネスの質の関係について。
また、お互いにただただ受け取りあい、受け入れあうことができる人の関係性について。
そんなことを話しています。

話 talk : 島田啓介 SHIMADA Keisuke
    水城ゆう MIZUKI Yuu

制作 produce : アイ文庫 iBunko
編集 edit : ジューシーラボ Juicy Lab.

2020年3月23日月曜日

春野亭日乗 3月22日(日)桜のスケッチ、ホビット村から来てくれたみなさん、たらい舟

春分の日の金曜日に北陸の実家から国立・春野亭まで車で移動。
運転は支障なく健康時と変わりないと思っていたけれど、トイレ休憩以外に休みなしの500キロ近い運転はさすがに疲れる。
長距離運転はそろそろむずかしくなりつつあると自覚せざるをえない。

しかし夜は定量以上の薬を飲んでしっかりと眠り、土曜日には疲れが残っているようには感じなかった。
ただし薬の分量とタイミングがあいかわらずかみあっていないようで、まったく快適でない。
つまり、痛い。

土日は現代朗読ゼミをひさしぶりに2日間連続で開催した。
野々宮が西荻窪のほびっと村でおこなった瞑想の会や311の詩の会で現代朗読に興味を持ってくれた人が、それぞれ体験参加してくれてありがたかった。
現代朗読に興味を持って体験に来てくれる人はなかなかいなくて、どういう人たちにアピールすればいいんだろうといつも悩んでいるのだが、なるほど、ほびっと村ね。
ここにいたのね(笑)。

みなさん、いずれも感受性の柔らかな方ばかりで、現代朗読の理念をすぐに理解して基本トレーニングの体験も楽しんでおられた。
また遊びに来てくれるとうれしいな。

いろいろなことが重なって、気持ちはだいぶ沈みがちになっている。
不安定なたらいに乗って波間をただよっているような気分だが、自分が乗っているたらいをみずからひっくり返したくなっている。
マキさんのライブにも結局行けなかった。

2020年3月21日土曜日

池のクレソンのスケッチ

ひさしぶりに紙と絵の具でスケッチ、葉書サイズ。
というか、いただいたお手紙への返信用。

実家の裏庭の池のすみっこに、いつのまにかクレソンが生息していて、ちいさな花を咲かせている。

昨日、東京・国立にもどり、今朝は近所のさくら病院まで這うようにして行ってきた。
医者が薬の処方の分量をまちがえて、明日・日曜日の分が丸々足りないことに気づいたのだが、幸い今日診察をやってるというので、薬を処方してもらいに行ってきた。
これで金曜日まで安心。

それにしてもあいかわらず痛みのコントロールがうまくいってない。
あがったりさがったり。

2020年3月18日水曜日

Kindle本100均キャンペーンなう

べつに新型コロナウイルス騒ぎに便乗するわけではありませんが、在宅の機会が増えたり、本でも読んでみよう、この際なにか勉強してみるかな、とかんがえる人が多くなっているようなので、私のKindle本のなかでとくに読み物系のコンテンツをすべて一律100円(税込)に値下げしました。
この機会にお楽しみいただければ幸いです。

Kindle unlimited に登録している方はもともと無料で読めます。
以下のコンテンツが100均です。
これらの本のリンクはこちらにまとめてあります。


『事象の地平線 末期ガンをサーフする』
『雨降りだからピアノでも練習しよう』
『なぜ私はここに来たのか——ドイツ演奏旅行記』
『縁側の復権——共感的コミュニケーション2019』
『共感的コミュニケーション2018』
『共感的コミュニケーション2017』
『仕事をやめたいと思ったときに――共感ハンドブック Vol.1』
『祈る人5 舞踏病の女』
『祈る人4 青い空、白い雲』
『祈る人3 アンリ・マティスの七枚の音』
『祈る人2 今朝の蜜蜂は羽音低く飛ぶ』
『祈る人1 彼女が神様だった頃』
『秘密』
『桟橋』

2020年3月15日日曜日

ラストメッセージ(5)花粉症消滅の不思議

(English at the bottom)

〔末期ガンをサーフする3〕

1月の終わりから2月にかけて、ちょっと鼻がぐずぐずしたり、目がかゆくなったりと、何度か「あれっ?」と思う瞬間があって、あらかじめ用意してあった抗アレルギー薬(アレグラ)を飲んだこともあるのだが、以来、今日にいたるまで本格的な症状はまったくといっていいほど出ていない。

先日、カルメン・マキさんが遊びに来てくれたとき、彼女も長年の花粉症に悩まされている人だったので、今年の症状の話になったのだが、彼女は早々とひどい症状に悩まされているという。
今年は出かける機会が少なかったので、花粉症について人と情報交換する機会が少なかったり、そもそも外で花粉を浴びる機会が少ないということもあって、症状が出にくいのかと思っていたのだが、花粉そのものは大量に飛んでいるらしい。
なぜか症状が出ない。
花粉症がなくなったとしか思えない。

私の場合、30年近く悩まされてきた覚えがある。
さまざまな対症療法や予防法をためしてきたが、どれも失敗に終わった。
それでもここ10年くらいは、アレグラという抗アレルギー薬が比較的体質にあっているようで(眠気も出ない)、初期症状のうちに飲むことで症状を軽微に抑えることができていて、助かっていた。
そのかわり、アレグラを手放せなかった。
ひどいときは日に2錠以上飲まないと抑えられなかったし、最悪のときはそれでも抑えきれないこともあった。

それなのに、今年はほぼ出ていない。
ガン末期の痛みに対処するために飲んでいる医療用麻薬のおかげだろうか。
そんな話は聞いたことがないけれど。

ほかに、いろいろな人から「これはガンにいい」といってさまざまな飲み物や薬が送られてきて、ひととおり試しているのだが、そのうちのどれかが効いているのかもしれない。
あまりにいろいろあるので、どれが効いているのかさっぱりわからないけど。

いずれにしても、花粉症もなく、ガン末期というわりには体力もあって、痛みのコントロールさえうまくできればさまざまなことが支障なくできていることはありがたい。
花粉症がないことが例年よりも快適なくらいだ。

私に会いに来てくれた友人たちはほぼ例外なく、
「思ったより元気で安心した」
という。
放射線治療中も体力を維持するための努力をつづけていたしね。
とにかく体重を落とさないことに留意して、カロリーの高いものとたんぱく質をがんばってとっていた。
脂濃いものが体質的に平気なのも幸いだった。

「グレタさんに怒られる」といいながら、ステーキや揚げ物などの脂濃いものや、アイスクリームなどの乳製品や菓子類をせっせと食べていた。
なにが身体にいいとか、健康的だとかより、まずは体重を落とさないこと。
おかげで昨日は東京から北陸の実家まで、500キロ近くをひとりで、ほぼトイレ休憩をのぞいてノンストップで、とくにいつも以上の疲れもなく運転できた。

体力があって、痛みがコントロールできれば、自分のやりたいことができる。
その結果がどう出るかはわからないが、いまこの瞬間が気分よく、充実して生きていられるという事実が、私にはなにより大切なことなのだ。


From the end of January to February, I felt a little itchy, and there were a few moments when I thought, "Huh?" and I took an anti-allergic drug (Allegra) that I had prepared beforehand. But to this day, I have hardly had any serious symptoms.

When Carmen Maki came to visit the other day, she was also suffering from hay fever for many years, so we talked about her symptoms this year, but she said she was suffering from severe symptoms soon.
I didn't have many opportunities to go out this year, so I didn't have many opportunities to exchange information with people about hay fever, and I didn't have many opportunities to be exposed to pollen in the first place, so I thought it was difficult for the symptoms to appear, but the pollen itself seems to be flying in large quantities.
For some reason, I don't have any symptoms.
I can only think that hay fever is gone.

For me, it's been almost 30 years.
We have tried various symptomatic treatments and preventive measures, but all have failed.
Even so, for the past 10 years or so, Allegra, an antiallergic drug, seems to be relatively in my constitution (not get sleepy), and I have been able to control the symptoms to a slight degree by taking it during the initial symptoms, and it has been very helpful.
Instead, he couldn't let go of Allegra.
In the worst case, I had to take more than two pills a day to control it, and in the worst case, I still couldn't control it.

However, it has hardly been released this year.
Maybe it's because of the medical drugs he takes to cope with the pain of terminal cancer.
I've never heard of such a story.

Other people have sent me various drinks and medicines saying "This is good for cancer." and I've tried them all, but one of them may be working.
There are so many that I have no idea which one is working.

In any case, she doesn't have hay fever, and despite being in the final stages of cancer, she has a lot of physical strength, so if she can control her pain well, I'm glad she can do many things without any problems.
The absence of hay fever is more comfortable than usual.

My friends who came to see me almost without exception,
"I am relieved that he is healthier than I thought."
he said.
I will continue my efforts to maintain my physical strength during radiation therapy.
I tried to eat high-calorie foods and protein, keeping in mind that I wouldn't lose weight.
It was also fortunate that fatty foods were not bad for him.

He said, "Greta gets mad at me." but he was busy eating fatty foods such as steaks and fried foods, and dairy products and sweets such as ice cream.
First of all, don't lose weight, rather than trying to figure out what's good for you or what's healthy.
Thanks to this, I was able to drive by myself from Tokyo to my parents' house in Hokuriku, which was about 500 kilometers away, almost nonstop, except for a rest room, and I didn't feel any more tired than usual.

If you have strength and can control the pain, you can do what you want.
I don't know how it will turn out, but the fact that this is the moment when I can feel good and live a fulfilling life is more important to me than anything else.

2020年3月14日土曜日

水城ゆうロングインタビュー Vol.2 現代朗読基礎訓練は天才メーカーの段階へ



ピアニスト/小説家で朗読演出家でもある水城ゆうのロングインタビュー、その第二弾。

インタビュワーは野々宮卯妙。

現代朗読ゼミではすべての表現の基礎となる体認トレーニングを毎回おこなっていますが、なぜ水城はそれにいっしょに参加しないのか、という問いからはじまって、表現者がさらなる高みへと向かうためのトレーニング方法について可能性を見つけた話をしています。
体認、マインドフルネス、フロー、ゾーン。すべての人が「達人」になる道としての表現トレーニングを、近くはじめることになるでしょう。

話 talk : 水城ゆう MIZUKI Yuu
聴き手 interview : 野々宮卯妙 NONOMIYA Utae

制作 produce : アイ文庫 iBunko
編集 edit : ジューシーラボ Juicy Lab.

2020年3月13日金曜日

ラストメッセージ(4)ガンと闘うな、痛みと仲良くなれ

(English at the bottom)

〔末期ガンをサーフする3〕

ステージⅣの食道ガンが見つかって10か月がたとうとしている。
先日は市役所に出すための介護保険の申請書を書いたが、病名を「末期ガン」と記入した。
「末期」である。
このあとはない、ということだ。

担当医とも当初から「根治をめざさない」という方針で同意し、そういう方向で治療をすすめてきた。
治療といっても、ガン根治が目的ではなく、日常生活ができるかぎり快適にすごせるようにするための治療である。

私のニーズは「生きのびる」ことではなく、「ガンを根治する」ことでもなく、「できるだけ生活のクオリティを落とすことなく毎日を快適にすごし、日々の時間をじっくりと味わいながら、やりたいことを心おきなくやりつくすこと」である。
「死ぬときまでできるだけ生き生きと生きること」である。
そのことは複数いる担当医も合意してくれている。

合意に至る前の、セカンドオピニオンをもらった医師のなかには、従来のような暴力的で強圧的な「あんた、のんきなこといってると死ぬよ。なんとしてでも生きぬく、その意欲を示してもらわないと、医者もそれに応えられないんだよ」と迫った者もいる。
その医師の熱意はありがたかったし、ある意味では職業倫理の深いすばらしい医師なのかもしれなかったが、いまの私には同意できない。

私はガンと闘わないことを選択した。
ガンと闘うことを選択するというのは、まずは抗ガン剤、そして放射線治療、摘出手術、さらに重ねて抗ガン剤という標準治療といわれる手順=ベルトコンベアに乗ることだ。
私はそれを選ばなかった。
近代的な専門病院や専門医は、そんな患者の意志を最大限尊重してくれることもわかった。

根治を目的としなくなったとき、治療が目的の消化器外科や化学療法科や放射線科といった病院の治療部門は、やることがなくなる。
ガンがどの程度進行しているのか、お願いすれば検査くらいはしてくれるかもしれないが、そもそも治療をしないので一見かなり冷たい対応となる。
しかし、こちらにはまだ気がかりがあって、快適に日常生活をいとなむには、たとえば痛みの問題があったり、食事や排泄に支障があればそれに対処したかったりする。

私の場合、食道にガンがあって、それがしだいに肥大して食道をふさいでいった。
食べたり飲んだりしたものが食道を通りぬけにくくなってきたのだ。
そのため、抗ガン剤による治療はおこなわず、また摘出手術もしなかったが、放射線照射治療はおこなった。
医師が食道閉塞には効果的だろうという判断をしたからで、私もそれに同意した。

食道のガン部位への放射線照射治療は全部で30回おこなった。
その結果、ガン部位はかなり縮小して、飲食にはほとんど支障がないほどまでに回復した。
これはありがたかった。
なにもしなければ食道はやがて完全にふさがり、水も通らなくなっただろう。
胃瘻をおこなうか、ステントを入れて強制的に通り道を確保するしかない。
あとは栄養失調で死にいたる。

食道への放射線治療はうまくいったが、今度は腰と下腹部への痛みが出てきた。
腹部大動脈の脇にあるリンパ節に転移があって、そちらが増大化・肥大化しているらしいが、痛みはそれが原因かどうかよくわからないという。
たしかに、腰とか下腹部はリンパ節から離れているような気がする。
医者も首をひねっている。
が、効果があるかもしれないということで、腹部への放射線照射治療を10回だけおこなうことになった。

現在、その治療が終わって10日ほどたつのだが、目立って効果が出たようには感じない。
つまり、痛みは相変わらずあるし、むしろ強まっているような気もする。
(ゆっくりとでもいいので効果が現れてくれるとうれしいのだが)

やれることは全部やったので(放射線治療はおなじ箇所には二度とできない)、あとは対症療法で毎日が快適にすごせるように工夫するのみ。

もっかのところ、最大の問題は痛みだ。
痛みがあると集中力もなくなるし、そもそもやる気がいちじるしくそがれる。
なにもやる気になれない。
ご飯もおいしくないし、ただじっとしているだけでもしんどい。

幸い、近年の医療は緩和ケアが進んでいて、さまざまなペイン・コントロールの方法や薬が出ている。
私は医療用麻薬のオキシコンチンを処方してもらって、最初は5ミリグラムを日に2回飲んでいたが、昨日から10ミリに増量した。

麻薬というとなんとなく聞こえが悪いのだが、痛みは緩和されるし、思ったほど副作用は強くない。
それほど眠くもならない。
集中力はそがれないし、感覚も鈍くならない。
鈍くなるのは痛みだけで、その他の感覚はいつもどおりというか、むしろ鋭敏になるくらいに思える。

完全な健康体とおなじ快適さとまではいえないが、ある程度快適な状態で私はやりたいことができる。

さて、ペイン・コントロールがある程度できて、ほかにはとくにやるべきことがないという状況のいま、私はなにをやりたいのか。
なにができるのか、そしてそれは本当にやりたいことなのかどうか、残り時間がどのくらいなのかわからないが、あまり多くはないかもしれない時間を使ってやるだけの価値が自分にとってあることなのかどうか。
私の生命が欲している本当のニーズはなんなのか。

これから私はそのことについて、自分の存在そのもの——とくに身体——とじっくり対話を重ねてみようと思っている。
いったい私自身はどんなことを望んでいるというのか、身体はどんなふうに答えてくれるのだろうか。

それを実行した結果、私にはどんなことが起こるのだろうか。
ガンは変化するのだろうか。


It has been 10 months since stage IV esophageal cancer was found.
Recently I wrote an application for nursing care insurance to submit to the city office. The name of the disease was as "terminal cancer".
“Terminal stage".
There is no more.

From the beginning, the doctor in charge agreed to the policy of "have no cure" and recommended treatment in that direction.
The goal of treatment is not to cure cancer, but to make the quality of  life as comfortable as possible.

My need is "To spend every day comfortably without deteriorating the quality of life as much as possible, and to do what you want to do without minding, while enjoying the time of each day.” Is not "survive" or "eradicate cancer".
“The act of living as vividly as possible until one's death".
Several doctors agreed.

One of the doctors who received a second opinion before reaching an agreement urged them to "You're going to die if you take it easy. You can survive by any means, and if you don't show your willingness, the doctor won't be able to respond." as violent and coercive as before.
The doctor's enthusiasm was appreciated, and in a way, he might be a great doctor with a deep professional ethics, but I cannot agree with him now.

I chose NOT to fight against cancer.
The choice to fight cancer is to go on a conveyor belt, a standard treatment regimen known as anticancer drugs, followed by radiation therapy, surgery to remove the cancer, and then finally anticancer drugs.
I didn't choose that.
It was also found that modern specialized hospitals and medical specialists respect the will of such patients as much as possible.

When curative intent ceases to exist, hospital treatment departments such as gastroenterology, chemotherapy, and radiology will have nothing to do.
They may be able to test how advanced the cancer is, if you ask them, but since they don't treat it in the first place, it's pretty cold.
However, I am still concerned, and in order to enjoy my daily life comfortably, I want to deal with problems such as pain, or problems with eating and excrement.


In my case, I had cancer of the esophagus which gradually enlarged and blocked it.
It became harder for food and drink to pass through the esophagus.
Therefore, the patient was not treated with anticancer drugs and did not undergo surgery, but was treated with irradiation.
The doctor decided it would be effective for esophageal obstruction, and I agreed.

A total of 30 radiation treatments were performed at the cancer site in the esophagus.
As a result, the area of the cancer has shrunk to the point where it hardly interferes with eating and drinking.
If nothing had been done, the esophagus would soon have become completely blocked and no longer able to pass water.
Gastrostomy or stenting to force access is the only option.
The rest die from malnutrition.

Radiation therapy to the esophagus was successful, but she now has pain in her lower back and lower abdomen.
The lymph nodes on the side of the abdominal aorta appear to be enlarged and enlarged, but it is not clear whether this is the cause of the pain.
Indeed, the lower back and lower abdomen seem to be separated from the lymph nodes.
The doctor is also twisting his neck.
But the potential benefit led to 10 doses of radiation to the abdomen.

Now, about 10 days have passed since the treatment was completed, but I don't feel it has been noticeably effective.
In other words, the pain is still there, and it seems to be getting stronger.
(I would be happy if the effect appeared slowly.)

I did everything I could (Radiation therapy can never be done in the same place again.), so all I have to do now is to use symptomatic treatment to make my life comfortable.

The biggest problem is pain.
When I'm in pain, I lose my concentration and motivation.
I don't feel like doing anything.
The food is not delicious, and just sitting still is tiring.

Fortunately, palliative care has advanced in recent years, and a variety of pain control methods and drugs are available.
I was prescribed oxycontin, a medical drug, and at first I took 5 milligrams twice a day, but from yesterday I increased it to 10 milligrams.

Drugs don't sound good, but they relieve pain and have fewer side effects than you might think.
I'm not that sleepy.
I can't lose my concentration, nor can I lose my sense.
It is only the pain that dulls it, and the rest of the sensation seems to be the same or more acute.

If it's quite as comfortable as a perfectly healthy body, what do I want to do in some comfort.

Now that I have some pain control and nothing else to do, what do I want to do?
I don't know what I can do, and I don't know if it's really what I want to do, or how much time I have left, but I don't know if it's worth it for me to spend time that may not be too much.
What is the real need of my life?

From now on, I'm going to talk about it with my very being, especially my body.
How will my body respond to what I want?

What will happen to me as a result of that?
How does cancer change?

2020年3月10日火曜日

右目失明? びっくりした

昨日はかなりびっくりした。
キッチンで栄養補助剤の空缶をゆすいでいたら、急に視界がおかしくなって、あたりの景色がぼやけだした。
おかしくなったのは右目だけだったので、ゴミでもはいったのかと手でこすったり、布巾でふいたり、水で洗ったりしてみたのだが、改善しないばかりか、ますますおかしくなっていく。

明暗ははっきりわかるのだが、明暗がない部分のものの輪郭がまったくわからない。
文字は読めないし、人の顔も判別できなくなった。
全体に極端なポスタライゼーション効果をかけた画像みたいな感じで、窓など明るい部分はまぶしいくらいに明るく、暗い部分は真っ暗につぶれてしまってなにもわからない。
(いそいで視界の感じをスケッチしてみた)

しばらく待っても改善しないので、医者に行くしかないと思って、診察時間を待った。
朝の8時すぎのことだった。

鎮痛剤をたくさん飲んでいるので、それの副作用かとも思ったが、わからない。
左目はなんの不具合もなく見えているので、文字を読んだり歩いたり、なにか作業をするにはほとんど支障はない。

歩いて近所の眼科がある病院に行った。
しかし、時間がたつにつれ症状は徐々に改善していって、発症から小一時間たっただろうか、予備検査のために呼ばれた時間にはほとんど視界異常はなくなってしまった。

予備検査では、これまでのように右目は若干の乱視があるものの、1.2以上のクリアな視力。
やや弱かった左も0.9以上のまずまずな視力。
ほかにもとくに異常はなし。

医師の診察でも、白内障や緑内障、その他の異常は見られず、視力異常の原因ははっきりとはわからなかった。
が、時折ある症例らしいが、眼底の血管が痙攣を起こしたりして一時的に血流がとどこおったとき、神経が麻痺してそのような症状が出ることがあるらしい。
これが頻繁に起こるようなら対処しなければならないが、いまのところとくに心配はないとのことで、薬もでなかった。

家に帰って、たまたまこの日個人レッスンだったゼミ生の矢澤ちゃんにその話をしたら、彼女もまったくおなじ症状で眼科にかかったことがあるという。
そのときの診断では「閃輝暗点」という病名がついたらしい。
調べてみると、なるほどこれだ。
そしてたしかに、あまり心配する必要はないらしい。

けっしてありふれた症状ではないと思うが、たまたまその日会う最初の矢澤ちゃんがまったくおなじ体験をしていたというのは、奇妙な偶然だった。
それにしても、さすがにちょっとあわてた。
このまま失明したらどうしよう、というようなことも頭をよぎった。
いやいや、失明したとしても、あれとこれはまだできるぞ、これは不便になるかな、なんてことを、頭の片隅にどこか妙に冷静な部分があってかんがえていることに気づいたりした。

(Manabi JAPAN)水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。「啓蟄」

まなびジャパン(Manabi JAPAN)で「水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。」の配信がスタートしています。

太陰暦の時代、春夏秋冬それぞれを6つに分けて24等分し、その区切りと区切られた期間の季節を表すために作られた二十四節気。七十二候はそれをさらに3つの項に細分して季節の移ろいを表したものです。些細な兆しからいつしか劇的な変化を遂げていく日本の四季を、水城ゆうがピアノで表現します。

今回は「啓蟄」の項です。
書き下ろしのショートエッセイも掲載されています。

アクセスはこちら

2020年3月9日月曜日

水城ゆうロングインタビュー Vol.1 自分を愛するということについて



ピアニスト/小説家で朗読演出家/オーディオブックプロデューサーでもある水城ゆうのロングインタビュー、その第一弾。

インタビュワーは栗山のぞみ。

「自分をなんのジャッジもなしに愛する」ということの難しさについての問いかけに応じ、水城の経験やかんがえていることを述べています。

話 talk : 水城ゆう MIZUKI Yuu
聴き手 interview : 栗山のぞみ KURIYAMA Nozomi

制作 produce : アイ文庫 iBunko
編集 edit : ジューシーラボ Juicy Lab.

2020年3月8日日曜日

ラストメッセージ(3)命の祭は解脱(げだつ)の対極にある

(English at the bottom)

〔末期ガンをサーフする3〕

多くの人がいまの時代や社会情勢に不安や生きづらさを覚えている。
それを解消するためのさまざまな講座やワークショップ、合宿が多く開催されていて、どれも人気だ。
そういうイベントにやってくる人はなにをもとめているのだろうか。

私の経験では、多くの人が「心の平安」「動じない強さ」「怒りや不安のコントロール」といったことを求めているような気がする。

私が末期ガンを告げられ、余命をかぎられたなかで平然とすごしている(ように見える)のを見て、多くの人が、
「どうしたらそんなふうに落ち着いていられるんですか」
と訊いてくる。

いやいや、そんなことはありません。
それはそういうふうに見えるだけです。
たしかに表面的には取り乱しているようには見えないし、死を前にして決然とした覚悟で落ち着いているように見えるかもしれない。
が、私の内側では「お祭り」が開催されている。

人にはさまざまなニーズがあり、生きているとそれは刻一刻と変化し、現れては消え、また消えては現れる。
ニーズは自分の努力や人のたすけによって満たされることもあれば、どうにも満たされないこともある。
しかし、さまざまなニーズが現れたり消えたり、存在を主張したり、そのあげくに「おれはここにいるぞ」とばかりに大声を出したり踊ったりしてみせているのが、生命の自然な現象であろうと思う。

それがあまりに騒々しい、わずわらしい、苦しいと感じて、静まりたい、落ち着きたい、解脱したいと、人はしばしば願いすぎることがある。
その願いが強すぎると、平安や解脱を求めてある種の宗教に走ったり、スピリチュアルな癒やしを求める儀式にはまったりする。

それはそれで自然な願いであろう。
私も自分のかぎられた命の時間を思うとき、できるだけ平安に、平穏に、静かにすごしたいと願うこともあるし、その気持ちはよくわかる。
一方で非暴力コミュニケーションで自分自身に共感してみて、さまざまなニーズがやかましく自己主張をくりかえしているのを見ると、まあそれもいとおしく、自然なことなのだろうとも思う。

私の命は日々刻々とニーズカーニバルをやっている。
それは解脱とは対極にある騒々しくにぎやかな世界で、ときに疲れてしまうこともあるが、それが私の命の現象なのだからしかたがない。
ならば私もその山車に乗って踊ってみよう。

私のニーズたちは満たされれば「お祝いしようぜ!」といって盛大に騒ぎたてるし、満たされなければ「嘆きたい!」といって盛大に残念がる。
いずれにしても祭だ。
それが私の命の現象であり、生きているということだ。

ニーズが満たされるか満たされないかは、究極のところどちらでもいい。
解脱とかくそくらえ(汚いことばで失礼!)。
私は死ぬまで祭と付き合い、それを楽しむのだ。


Many people feel insecure and difficult to live in the present age and social situation.
Various courses, workshops and training camps are held to solve this problem, and all of them are popular.
What do people who come to such events want?

In my experience, a lot of people want "peace of mind" "unshaken strength" and "Controlling anger and anxiety".

When I was told that I had terminal cancer and I was living with my life expectancy cut, many people saw that (look like)
"How can you be so calm?"
he asked.

No, not at all.
It just looks that way.
On the surface, he doesn't seem distraught, and he may seem composed in the face of death.
But inside of me, "festival" is being held.

People have various needs, and when they are alive, they change from moment to moment, and appear, disappear, and appear.
Needs may or may not be satisfied by your efforts and help.
However, I think it is a natural phenomenon of life that various needs appear and disappear, claim their existence, and then shout and dance as if to say, "I'm here.".

People often wish it too loud, too quiet, too painful, too quiet, too calm, too liberated.
If their wishes are too strong, they may choose to go to a certain religion in search of peace and liberation, or they may settle for a ritual of spiritual healing.

That would be a natural wish.
When I think of my limited time for life, I sometimes wish to live as peacefully, peacefully and quietly as possible, and I understand that feeling.
On the other hand, if you empathize with yourself through nonviolent communication and see the various needs clamoring and repeating themselves, I think it's kind of lovely and natural.

My life is doing Needs Carnival day by day.
It is a noisy, bustling world opposite to gedatsu, and I sometimes get tired of it, but I have no choice because it is a phenomenon of my life.
Then I'll try dancing on the float.

If my needs are met, I make a big fuss, saying, "Let's celebrate!" If not, I make a big fuss, saying, "I want to cry!".
Anyway, it's a festival.
That is the phenomenon of my life and that I am alive.

Ultimately, it doesn't matter whether your needs are met or not.
Gedatsu and shite (Excuse me for my dirty words!).
I'm going to spend the rest of my life with the festival and enjoy it.

2020年3月6日金曜日

自分ができることの限界が見えてくるとき

一昨日から昨日にかけてかなり体調がわるく、ほとんどなにもできなかった。
私のものではないけどアウトドア用のリクライニングチェアがあるので、それを貸してもらってほとんど寝ているような状態で座っていることはできる。
ベッドにはいっても腰をのばした状態で仰向けでいることはできないので、横向きになっているしかないのだが、この椅子だと仰向けでいられるので、手仕事ができる。
編物とか、タブレットやパソコンの画面を見たり、文字入力もできないことはない。

早めに介護保険の申請をしなきゃと思っているのに、こちらの手続きもなかなかできない。
介護ベッドなら起きたり横になったりも楽そうだけど。

すこし体調が回復すると椅子に座った作業もできる。
食事は朝以外はほとんどする気になれない。
気持ちわるくて飲み物以外、胃が受け付けない。
……という気がするだけで、実際にはすこしは食べられるが、食欲はまったくない。

医者に処方してもらった栄養補給ドリンクの「エンシュア」は喉を通るので助かる。
これは意外においしく工夫されている。
胃瘻の人などもこれを直接胃に入れるのだろうと思う。

まだ編物ができるのがありがたい。
これは楽しい作業だし、ひたすら単純作業をしながらいろいろなことをかんがえることもできる。
たくさんのことを、あれこれ、そして深くかんがえる。
これまでこれほどものごとをたくさん、深くかんがえたことはないんじゃないだろうか、というほど、たっぷりとかんがえる時間がいまはある。

なにかが形をとって結晶していくような感じがすることもあって、これまでの経験や知識が小さな核を中心にひとつのまとまったかんがえに成長していく。
真珠貝のなかでゴミを中心に真珠玉が育っていくようなイメージだ。

かんがえがまとまったり、おもしろいアイディアが出てきたら、身体を起こしてラップトップかタブレットを引きよせ、メモしておく。
音声入力も便利だ。

音声入力といえば、先日インタビューしてもらってとりとめもなく話をしてみたら、これが意外におもしろかった。
シリーズでやってみようと思っている。
これも体調がわるいときでもできることのひとつだ。

放射線治療が終わったばかりだからしかたがないと思うが、いまは体調が底を打っている感じがある。
すこしは回復するといいけど。
すくなくとも歩けるようになるまで回復したい。
いまはほとんど出かけることができない。
駅までの300メートルがつらい。

今夜は駅前のライブハウス〈地球屋〉でカルメン・マキさんのライブがある。
そこまで行けても、大勢のお客さんに混じって長時間ライブを聴きつづけることはできそうもない。
マキさんがライブ前にうちに立ちよってくれるというので、それを楽しみにしている。

2020年3月4日水曜日

春野亭日乗 3月3日(火)放射線治療2クールめ終了、焼肉、手帳術、音読ミーティング

放射線治療のシーズン2全10回が今日で終了。
シーズン1では食道ガン本体を叩くということで、全30回おこなって、後半はかなりきつかったのだが、今回は10回にもかかわらず最初からけっこうきつかった。
腹部大動脈リンパ節への転移ガンを叩くということで、目的はそれを消すことではなく、痛みの緩和。
しかし、治療中にはあまり効果はあらわれず、腹部の痛みは相変わらず。
治療中に痛み止め薬の種類を変えて、医療用麻薬にグレードアップしたりして、いろいろと工夫してみた。

後半は痛みのコントロールはすこしできるようになったのだが、昨日はその副作用か、胃痛が出て苦しかった。
とくに夜遅くなるととたんに厳しくなる。

昨日は午前中に病院が終わったあと、立川まで行って、放射線治療の打ち上げの焼き肉。
その前にビックカメラに寄って、長年愛用していたSHULEのリュックサックを修理に出す。
が、メーカーサイトでもビックカメラで修理できると書いてあったし、念のために出かける前にビックカメラにも電話して修理を受け付けてもらえるかどうか確認したのに、行ってみたら「取り扱いがないので扱っていない」と受付をハネられた。
修理待ちで順番を1時間以上待ったのに、むかつく〜。

おいしい焼き肉で気分をリセット。
今日は食欲があまり落ちていなくて、しっかり食べられた。

ユザワヤに寄って、靴下用のあたらしい糸を買う。
帰ろうととしたら、駅前に〈島村楽器〉のあたらしい店舗が開店していたので、寄ってみる。
ここは以前〈イシバシ楽器〉がはいっていたのだが、しばらく前に閉店してしまっていたのだ。
ほぼ似たような品揃えとレイアウトで営業していた。
デジタルピアノの最新機種をちょっと触って、遊んできた。

国立駅に到着し、家に帰ろうとしたら、ロータリーのバス停のところでなにやら騒ぎがある。
近づいてみたら、年配のおじさんがベンチの脇に昏倒しているではないか。
婦警さんが駆けつけてきたりして、大騒ぎになっていたが、だれもどう対処していいかわからずただおろおろするばかり。
救急車は呼ばれたらしい。
AEDを持ってきたりしているが、見るからの心臓ではない。
呼吸もあり、意識もかろうじてある。
どう見ても心臓ではなく、脳梗塞とか脳出血ぽい。
「動かさないほうがいいですよ」
とりあえず呼吸が確保されているのを見て、声をかけた。
救急車もすぐに到着しそうだし、私ができることはとくになさそうだったので、その場を離れようとしたとき、見覚えのある顔が。

元ゼミ生のピリカさんだった。
国立の練習スタジオにバンドの練習に来て、その帰りだという。
時間があるというので、春野亭でお茶でも、と誘った。

ひさしぶりにピリカさんと近況などの話。
彼女もこちらのことが気になっていて、来るタイミングをはかっていたところだったらしい。
偶然だが会えてよかった。

夜は共感手帳術の仲間たちのオンラインミーティング。
参加者12人とにぎやかだった。
ご参加いただいたみなさん、ありがとう、お疲れ様でした。

そのあと引きつづき、音読トレーナーの定例ミーティング。
今回はひさしぶりにドイツ・フライブルクのなおみさんが参加してくれて楽しかった。
去年のいまごろ、かの地でたくさんお世話になったことを思い出した。
あれも楽しかったなあ。

思いがけないこともいろいろあった1日、さすがに疲れて、お腹の痛みもひどくなってきたので、バタンキューと休む。
日付が変わらないうちに休めてよかった。

水城ゆうロングインタビュー Vol.0 パイロット版



ピアニスト/小説家で朗読演出家/オーディオブックプロデューサーでもある水城ゆうのロングインタビュー、そのパイロット版です。

表現行為とそのステージが20世紀から21世紀にかけ、とくにインターネットの普及や収録機材、コンピューターアプリケーションの低価格化と高性能化によって劇的に変化してきたことについて、作り手の立場から話しています。

2020年3月3日火曜日

ラストメッセージ(2)現代社会を生きる私に必要なもの

〔末期ガンをサーフする3〕

人が生きていくために必要なものやコトはたくさんあるけれど、ここでは末期ガン患者である私が個人的に切実に必要で大切であると判別したことを書いておきたい。
自分の生の限界が数か月後だと明らかになったとき、人はなにを大切に思うだろうか、という話だ。

いうまでもないけれど、モノなどどうでもいい。
モノや財産など、いくら持っていても、最後の日々はちっとも豊かにならないし、ましてや墓場に持っていけるものでもない。
と、かっこよくいいきりたいものだが、そうもいかない。
いま書いたのはタテマエである。

実際には最低限のモノがないと、寒いし、ひもじいし、不便だし、不安だし、おそろしい。
末期ガン患者である私のもっかの必要は、ガンの痛みを抑えることで、それは切実なものである。

「痛みは身体の声で、なにか必要があって生まれているものです。痛みによりそい、敵視せず、その声をよく聞きましょう」
などという美しい言質を聞くことがあるが、耐えきれない痛みにさいなまれる当事者にとってはきれいごとにすぎない。

経験すると、痛みは生の質そのものをいちじるしく浸食することを思い知る。
いまいっているのは、一時的な痛みではない。
たとえ激痛であろうと、一時的な痛みならそれは耐えられる(こともある)。
激痛でなくても、じわじわと継続するいつ終わるとも知れぬ痛みは、生きていることにいやけをささせる。
痛みを消すか、自分を消すか、どちらかを選びたくなる。

まだ生きていたければ、痛みをなんとかしようということになる。
さいわい、医療は進歩していて、さまざまなペインコントロールの方法が提供されている。
私の場合、いくつかの薬を使っている。
なかには麻薬もある。
もちろん医療用ではあるが。

薬を処方してもらい、それを購入するには、お金がいる。
健康保険が使えるといっても、3割は負担しなければならない。
そもそも健康保険料だってけっして安くはない。
高額医療の還付を受けようとしたとき、健康保険料の未納があるとできないといわれた。
数万円の還付を受けるために、数十万円の未納金を完済しなければならないという現実があった。

お金は最低限のモノのひとつといわざるをえない。
ゆっくり休むための家や寝具や空調や、食べ物や水道や電気やガスや電話線なども必要で、それらにはいちいちお金がかかる。
ところが、切実にこういうものが必要な者にかぎって病気であったり、高齢であったりと、生産手段を持たずに収入が途絶している。

というようなことをいいたくてこれを書きはじめたのではなかった。
モノは最小限必要だけれど、その上でさらに大事なこともいくつかあって、それがないと心安らかに最後のときを迎えることは難しいだろう、という話をしようと思っていたのだった。

ひとり静かにすごせる場所。
学びと成長の時間。
安心と信頼を持てるつながりのある仲間。
自分が自分自身であること。
あるレベルの質がある生活。
表現すること。

こういったことを実現するために私に役立っていることは……
共感的コミュニケーション(NVC)。
マインドフルネス。
ピアノを弾くこと。
ものを書くこと。
インターネット。
武術。

2020年3月2日月曜日

ラストメッセージ(1)古井由吉を知っていますか?

〔末期ガンをサーフする3〕

筒井康隆先生の「偽文士日記」で知ったのだが、息子さんの筒井伸輔さんがこの二月に食道ガンで亡くなったそうだ。
大変気の毒なことだ。
筒井先生には私は小説家デビューのときに思いがけず恩を受けたことがあって、その後商業エンタテインメント小説の世界で大成できなかったことを申し訳なく感じている唯一の方だ。
もっとも、先生のほうでは私のことは覚えておられないだろうと思うが。

息子の伸輔さんのことは、エッセイなどで子どもの時分のエピソードが時々書かれていて、名前を存じあげていた。
去年の四月に食道ガンが見つかり、すでにステージⅣということで摘出手術もおこなわず、抗ガン剤や放射線治療を受けておられたそうだ。
私のステージⅣの食道ガンも五月に見つかっているので、ほぼおなじような状況だろうと思う。

ただ、私は三月になるいまも元気に活動しており、放射線治療は受けているが、抗ガン剤による治療はパスしている。
食事もふつうにとれている。
もちろん私も伸輔さんのように容態急変することもあるかもしれないが、まだほぼふつうに生活を送れていることはラッキーだと思う。

純文学作家の古井由吉さんの訃報もあった。
こちらは八十二歳、肝細胞ガンだった。
白状すれば、なぜか私は古井由吉の小説をほとんど読んでこなかった。
日本の文学小説を系統的に読んでいたのは中学生くらいのときで、そのころはリアルタイムで作品を発表していた現役の作家の小説が遠かった。
その後、日本の作家の作品をリアルタイムで追いかけはじめたのは、SF作家ばかりで、純文学といえば安部公房くらいだった。
安部公房も初期作品はSFの扱いをされていたように思う。

亡くなったと聞いたとき、その作品をほとんど知らないことにちょっと残念な気持ちがあったのだが、高橋源一郎がツイッターでつぶやいているのを読んで、ちょっと腑に落ちるものがあった。
高橋源一郎はたしか、
「亡くなったと聞いて残念だけれど、悲しくはない。なぜならいつでも読めるし、本のなかで古井さんに会えるからだ」
というようなことをつぶやいていた。

なるほど、そうだよな。
とくに作家という人種はそのような面がたしかにある。
ほんとうは作家でなくても、だれもがなにかを書きのこしたり、ビデオ映像が残っていたり、演奏や絵や造形や、手作り品が残っているとき、亡くなったあとでもそれを見ればいつでもその人に会えるような気がするものだ。
ただ、ふつうの人は意図してそういうものを自分の「分身/遺影」として残したりしない。
すればいいと思うけどね。

というようなことをつらつらかんがえていたら、私自身も「分身/遺影」としての作品を意図的に残していないことに気づいた。
もちろんたくさんの本をこれまで出してきたし、音楽やオーディオブックやライブ映像もネットでたくさん見ることができる。
私が亡くなったとき、結果的にそれらは私の「分身/遺影」として見られることもあるかもしれないが、私の意志でそのように出したものではない。

現在、私の意志のもと、いままさに生きている自分のメッセージとして伝えておくとしたら、どんなことばや音や映像になるだろうか。
これを書いておけば、だれかがまた私に会いたいと思ったとき、ここに来てこのメッセージを読めばふたたび会うことができる、そんなメッセージとはどんなものなのだろうか。
がぜん興味がわいてきた。

「ラストメッセージ」と題して、これからしばらく、さまざまなテーマについて私なりのことばで書きのこしてみたい。
文章だけでなく音や映像も用いるかもしれないし、あとどのくらい闊達でいられるかわからないけれど。

2020年3月1日日曜日

サイコーのガン治療の場「ひよめき塾」

ストレスを抑え、好きなことをしてすごすことが、ガンの治療法として相当効果的であることはたしからしい。
医学的エビデンスがどの程度あるものかは知らないが、ともかく、自分の好きなことをしてすごしたり、信頼できる仲間と楽しんだりすることは、まちがいなく気分がよく、体調も上昇することは実感できる。
とくにバカ話でだれに遠慮することなく笑いあったり、腹をかかえて爆笑するのは元気になるし、なによりまちがいなく楽しく、身体もこころもよろこぶ。
ガンが治癒するかどうかは別にしたとしても。

小説など創作文章の研究と学びと場である「ひよめき塾」では、毎回、お題を出して、それにそってごくみじかい文章を書いてきてもらっているが、常連メンバーはときに、あきらかに私をねらって「笑わせに」くることがある。
今回は最古参メンバーのひとりである奥田浩二にしてやられた。

以前から何度かいっていることだが、彼はライトノベルファンで、自分もライトノベル作家になりたいと思っているらしい。
が、長年、こつこつと「上」をめざして書きつづけてきた結果、標準的なライトノベルのレベルをはるかに凌駕し、ともすれば商業小説のプロでも彼ほど書けるものはいないのではないか、というくらい「書ける」ようになってきている。

この点に関しては、私は人——というより書き手——を見る目に自信がある。
かつてパソコン通信時代に、ニフティサーブの「本と雑誌フォーラム」で「小説工房」という小説修行の場を主宰していたとき、何百人というメンバーのなかかに何人か、これはもうプロでいいのではないか、ひょっとしてプロ以上なのではないか、編集者の目は節穴なのか、などと表明していた書き手がいた。
実際、そのうちの何人かはプロの作家やライターになったし、だれとはいわないけれどなかにはベストセラー作家になった者もいる。

私の目はたしかなのだ。
といいたいところだけど、いまだにまったく世に出ていない人も何人もいる。
腕はたしかなのだ。
そのうちのひとりが奥田浩二だ。
ほかにも現ひよめき塾にはポテンシャルを秘めた書き手が何人もいる。

作者の許可は得ていないが、私を笑わせにきた昨日提出の奥田浩二作品を、ここにさらしておくことにする。
楽しんでいただければ幸いだ。
いっておくが、これは奥田浩二にしてみればほんの小手先の準備運動のような作品であり、このような作品は彼をはじめ、ひよめき塾にはごろごろ転がっていると豪語しておこう。

(ここから)
—————
「090」奥田浩二

 三回目の着信で相手側の本気度は十分に伝わってきたが、ここまでくると僕のほうもどんなテンションで応じればいいのかわからなくなってきていて、携帯電話の鳴動を餌のお預けをくったワンコの姿勢で眺めるしかないわけである。
 はやくでろよ。
 まったくもって正論である。ただし、世界は正論だけで成り立っているわけではない。正論はときにひとを傷つけるのだ。
 オーケー。わかっている。大きくいって誤魔化そうとしている。
 正直に言おう。僕は電話が嫌いなのである。
 だいたい090の着信は年に二、三回程度しかなく、その100%がバイト先からの、これがダメだ。あれが気に入らないというクレームなのだ。愛のささやきとかならまだしも、これでは受ける気にならないのは当然というものだ。
 四回目の着信が切れた。
 すぐさま五回目の着信が来た。
 なんてしつこい。こっちは家にいるのだ。その労力をクレーム処理の方に向ければいいのに。
 愛のささやきといえば昔、テレクラやダイヤルQ2というものがあった。あれはどういったサービスだったのだろうか。今となっては知る由もない。
 まだ切らない。ばっかだなー。
 そっちに用があってもこっちに用はないのだ。電話ってそういうところが嫌いだ。お会計の接客中に横あいから話しかけてくるおっさんくらい嫌いだ。並べよ、バカ。
 ちゃんと何時ごろにどんな用件で電話するよというアポイントメントを取るべきだとおもう。せめてLINEで「いま大丈夫?」くらいの気遣いはできないのだろうか? そうすればこちらも「いま忙しい」と返せるのに。
 まだ鳴ってる。
 一度ワン切りしたことがある。相手が一回鳴らせて切るというのではない。こっちが一回なった瞬間に通話終了を連打するのだ。
 めっちゃ怒られた。
 仕方がないから着信拒否をしたこともある。どうせ電話は年に三回くらいなのだ。もう電話はかかってこないとおもうと凄く快適だった。
 しかし、そういうときに限って相手は電話をかけているのだ。
「着拒してんじゃねーよ!」とバイト先に着くなり怒られた。
 そもそもスタッフに着拒されるバイト先って職場としてどうなんだろう。
 ここで僕は驚くべき発見をする。僕は成人する前までは、電話の応対は苦ではなかったということをだ。それが今はどうだ。電源ボタンを長押ししたい衝動を抑えるのがツライ。
 思い返してみよう。
 料金の節約で電話専用のガラケーとデーター通信専用のスマホの二台もちをしたことがある。しかし当時から着信は年に五回とかだったのだ。当然ガラケーは電池切れで放置され、結果電話が繋がらないということで文句を言われた。こちらとしてはいきなり電話をされても困るのだけれど、相手はそんなことお構いなしだ。映画とか芝居を見ているときにかぎって、電車に乗ってるときにかぎって、年に何回かの一回の着信でピーピーなるのだ。
 データー通信だけで生きていこうと決意したこともある。しかし今の世の中は、個人番号より電話番号の方が大事だったりする。おもわぬところで電話番号の記入を求められたりするし、SMSが認証に使われたりする。だから電話番号は手放せない。
 留守番電話にする?
 いやそれでも結局こちらから掛けなおさないといけない。格安回線だから基本料金は高いけど通話料は高いのだ。なんで高い金を払ってまであんなアホ女に電話をかけ直さなくてはならないのか。
 アホ女!
 ここでようやく僕は理解する。
 僕は電話が嫌いなのではない。バイト先が嫌いなのだ。まだ鳴っている。このあきらめない姿勢。もう病気だ。胃の周りがゾワゾワする。
※実話です。

(Manabi JAPAN)水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。「雨水」

まなびジャパン(Manabi JAPAN)で「水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。」の配信がスタートしています。

太陰暦の時代、春夏秋冬それぞれを6つに分けて24等分し、その区切りと区切られた期間の季節を表すために作られた二十四節気。七十二候はそれをさらに3つの項に細分して季節の移ろいを表したものです。些細な兆しからいつしか劇的な変化を遂げていく日本の四季を、水城ゆうがピアノで表現します。

今回は「雨水」の項です。
書き下ろしのショートエッセイも掲載されています。

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春野亭日乗 2月29日(土)医療用麻薬、朗読ゼミ、ひよめき塾

全10回の放射線照射治療の8回めが昨日で終わり、今日と明日は休み。
そして昨日の夜から痛み止めの薬をワンランク上の医療用麻薬「オキシコンチン」を飲んでいて、痛みが完全に消えるわけではないけれど、持続性はたしかにある。
これまで試したロキソニン(60mg)が3〜4時間、ボルタリン(50mg)が2〜3時間、トラマール(25mg×2)が1〜2時間だったのが、オキシコンチンは7〜8時間くらい効いているような気がする。
これはロキソニンと併用してもいいということで、ちょっと頼りがいがありそう。

朝からオンラインでの個人セッションひとり。

午前10時半から現代朗読ゼミ。
もう30年以上前からの知り合いで、いまは朗読の指導者をやっている黒原真理さんが、これも長い知り合いの弟の康一郎くんといっしょに遊びに来てくれた。
とくに康一郎くんとは、忘れていたことをたくさん思いださせてくれて、なつかしい気持ちになると同時に、かつてのテキスト表現仲間としてどことなく話がツーと通じる感じがあってうれしかった。

ほかに元ゼミ生のまりながひさしぶりに顔を見せてくれた。
聞けば4年ぶりだという。
まだ学生だったころにゼミ生だったので、まだ若い!

現ゼミ生のユウキさん、かなえさん、野々宮ほか、オンラインでの参加者もいたりして、そこそこにぎやかな集まりになった。
あらためて現代朗読の理念や基礎的なトレーニング方法を伝えられたのが楽しかったな。

終わってから時間のある人たちで近所の〈はるそうゆ〉に行って昼食。
大丈夫か、と心配になるくらい新鮮なネタをふんだんに使ったまぐろ丼や海鮮丼をいただく。
税込み900円はびっくり。
そして完食できた。

春野亭にもどり、ユウキさんにいつものグリグリをやってもらう。
そのあと、オンラインでひよめき塾。
これについては別項であらためて書きたい。

ひさしぶりにたくさん活動したので、夜はちょっと疲れが出て、しんどくなってきた。
オキシコンチンの夜の分を飲んで、早めに休む。
よく眠れて、夜中は1度トイレに起きただけだった。
みなさんとの交流が私の健康によい影響をあたえているのはまちがいない。
変な民間療法よりこちらのほうがよほど効果的だし、私もうれしい。
集まってくれるみなさんに感謝してもしきれない。
心からありがとう。

2020年2月28日金曜日

小説家の原稿用紙としてのエディター「OmmWriter」

最初期の一太郎からはじまって、数え切れないほどのワープロやエディターソフトを試してきた。
ワープロ専用機を何台か使ったこともあるが、コンピューターソフトのほうが好きだった。

いまでも定番の「Emacs」や「秀丸エディタ」、「MIFES」「VZエディタ」から「WZエディタ」と渡りあるいて、現在はMacBookにいくつかのテキストエディタがインストールしてあって、シチュエーションに応じて使い分けている。

ほかにもアウトラインエディタやノートアプリも便利に使っている。
「Evernote」や「Scrivener」などだ。
縦書き表示ができるエディタも増えてきていて、定番のワープロソフトであるWORDも日本語表示が充実してきた(あまり使わないけど)。

ブログの記事など、なにかまとまった文章を書くときは、いまもそうだが「OmmWriter」というソフトを立ちあげることが多い。
けっこう前からあるソフトで、現在はAppStoreからダウンロードできるようになっている。

立ちあげると、文字入力だけのシンプルな画面があらわれ、それ以外のものは隠されてしまうのだが、シンプルといってもちょっとした工夫がある。
背景画像をいくつか選べるようになっていて、そのどれもとてもシンプルだったり、寒い風景だったりする。

BGMも設定できて、ミニマルな静かな音楽や、環境音がいくつか用意されている。
これがまた執筆への集中をうながしてくれるのだ。

必要最小限の情報は、カーソルを動かすとごくごく控えめに現れる。
たとえば入力枠の一番下のところに、入力文字数がさりげなく表示される。
このテキストだと、現在730文字。

マルチタスクが好きで、得意でもある私だが、身体がしんどくて集中力が減退しているところは、やはりシングルタスクで静かに自分のことばと向かいあいたい。

2020年2月27日木曜日

大きなニーズ「ひとくぎり(あるいはけじめ)」が満たされた3日間

NVCのニーズリストには見かけないかもしれないが、私にとっては大事なニーズのひとつに「ひとくぎりのニーズ」というものがある。
「けじめのニーズ」といいかえてもいい。

なにごとかをやりかけていて、それが中途半端ではなくきちんと最後までやり終え、けじめがつくこと。

まだけじめがつかなくて中途半端になっているなにかがあると、気になる。
心のどこかに引っかかって、気持ちわるい。
そういう経験はないだろうか。
とくに私の場合、末期ガンが見つかり、自分の命が終わりに近づくのを体感するにつれ、このニーズは大きな存在を持ってきた。

そこで昨年2019年はさまざまなことを計画し、みなさんに協力してもらって実現にこぎつけたり、自分でもがんばって終わらせたりして、多くのことに「ひとくぎり」をつけた。
とても満たされた気持ちでいまを迎えているが、まだいくつかひとくぎりがついていないものもある。

そのひとつが、音読療法の活動だった。
音読療法は私と仲間たちが2011年に体系化し、啓蒙普及と社会貢献活動をおこなってきたものだ。
現在、その活動の中心は音読療法士と音読トレーナーがになっている。
私はその育成に力をいれてきたが、なかなか思うように仲間が増えてくれないのが悩みだった。

それでも各地でこつこつと活動をつづけたり、あたらしい音読の場をひらくことに挑戦するトレーナーもすこしずつ増えてきていた。
音読療法士も増えた(といってもまだふたりだが)。

音読トレーナーを養成するための講座は2泊3日の合宿でおこなわれる。
かなりハードな内容とスケジュールなので、体調に不安がある私は昨年末の講座をもって自分が関われる最後だろうと思っていた。
ところが、思いがけず東海地方から参加したいという希望があり、この2月にも開催することになった。
私は講座を受け持つ自信がまったくなかったが、音読療法士の野々宮卯妙にメイン講師をやってもらえるということで、開催が実現した。

おこなってみると、音読療法士による育成講座ができること、参加者それぞれが意欲をもって自分の仕事や生活の場で音読療法を活用してくれるであろうこと、また音読トレーナーがさらに上の資格である音読療法士をめざそうとしてくれていること、などがわかり、私はかなり勇気づけられ、そして安心したのだった。

今後、たとえ私がいなくなったとしても、音読療法の活動が継続し、メンバーが育っていくことが想像できたことが、私の「ひとくぎり」のニーズを満たしてくれたといえる。
この「ひとくぎり」には、より正確にいえば、ただ区切りがついたということだけでなく、「私の手を離れて自律的に存在しつづけてくれる」ということも含まれている。
私がこの世からいなくなったとしても、仲間が活動をつづけ、音読療法が人々の生活の役に立ちつづけていくかぎり、私の存在の痕跡がそこにあると(いまは)思える。

2020年2月26日水曜日

放射線治療中の食事・食欲事情

2クールめとなる放射線照射治療の全10回が先週からスタートして、今日で6回めだった。
前回もそうだったが、放射線治療中は体調が乱高下する。
今回はスタートして2日めですでにかなりきつくなり、痛み止め薬の服用もあいまって起きていられない日が2日くらいつづいた。
食欲も低下して、あまり食べられない。
かるい嘔吐感がずっとつづいている。

が、土日月と3連続で休みだったので、そのあいだはすこし回復した。
ちょうど音読療法の講座合宿の期間だったので、食事が参加のみなさんといっしょだった。
いっしょに食べるとがんばれる。
とくに昼食は外で弁当を買ってきてもらって、がんばってこってり系を3日連続で食べられた。
写真のとおりの豚重。

しっかり補給して、今週の5回めから8回めまでにそなえる。
今週2回めとなる今日は、終わってからきつくて、食欲がなかった。
照射治療の影響でお腹がゆるくなるかもと担当医からいわれていたのだが、すこしそんな感じもしてきた。
まあ、便秘よりいい。
痛み止め薬はどうも、便秘ぎみになるようなのだ。

明日は今週3回め、全部で7回めで、なんとなく体調は回復してくるような気がする。
希望的観測ではあるけれど。

満たされようが満たされまいがニーズを知ることが生きる質を変える

共感手帳術の目的のひとつが「マインドフルネス」だが、それを実現するためのかんがえかたのひとつに、
「過去の失敗や後悔、あるいはまだ起きていない未来への希望や不安から、いまの自分のニーズを理解する」
というものがある。

いまこの瞬間に集中しようとしても、過去の体験や記憶が邪魔したり、まだ起こってもいないことの妄想がノイズとなって去ってくれないことがある。
「雑念」などと呼ばれることもある。
これらは自分がきちんと向かい合えていない「満たされていないニーズや感情」のしわざだ。
ノイズとなっている記憶や妄想を書きだし、それらの奥にある自分のニーズを明確にできたとき、ノイズはニーズという生命活動の源泉に変化する。

過去や未来はあいかわらず現在を浸食しようとやってくるけれど、いったんニーズを明確化できたノイズはすばやく処理することができる。
無数のノイズをそうやってつぎつぎと処理してしまうこと、書きだしてしまうこと、そして自分の活動の源泉をたくわえ、日々活力をもって行動すること、これが共感手帳術の醍醐味だ。

マインドフルネスというと、私もそうだったが、「いまここ」に集中することによって「刹那的」になり、過去の反省も未来の計画もなにも放りだしてしまわなければならないと思ってしまうことがあるが、実際にはちがう。
ヒトは他の動物とちがって、過去の自分のおこないや、未来にたいする希望や計画から、現在の自分を省みることができる唯一の生き物といってもいいだろう。

現在の「生」のクオリティは、この「省みる」ことの質に左右される。
まさに「省みる」ことの質が個々に問われるのだ。

オンラインチームツールSlackを使ってNVCの練習を習慣化するためのツール共感手帳術を使う仲間たちの交流の場のためのオンラインミーティングです。どなたも自由にご参加ください。3月4日(水)20時から約1時間。

2020年2月21日金曜日

体調不良だけどマインドフルネスとNVCについて伝えたいことがある

夜は起きていられなくて10時になると薬を飲んでベッドにはいってしまう。
しばらくぐずぐずしているが、遅くても11時には眠りにつく。
薬がきれて2時か3時に痛みで目がさめる。
薬を飲んでもう1度眠りにつく。
しばらくぐずぐずするが、たいていはなんとか眠れる。

案外熟睡はできているのかもしれないと思う。
が、朝方5時すぎか6時ごろには、ふたたび痛みで目がさめて、薬を飲んだら、もう眠れない。
起きてしまうしかないが、薬が効いてくるまで痛みですぐには動けない。
ベッドに腰かけたまましばらくじっとしているか、がんばって着替えて椅子にすわってしばらんぼんやりしているか、着替えたにもかかわらずまたベッドに横になってすこしうとうとするか。

1時間くらいすると薬が効いてきて、なんとか動けるようになる。
といっても、痛みが完全に消えることはなくて、腹部には疼痛が常駐している。
薬がきれたときはこの疼痛は脂汗が出るほどに強いが、薬が効いていればなんとか活動できるくらいにはなる。

歩くのに支障があるので、昨日はステッキを登山用品店で買ってきた。
これがあるとだいぶ楽だ。
5年くらい前までは膝の故障で杖を常用していたので、使い方は慣れている。
杖がないと100メートル歩くのにもつらい。
病院に行くのに、駅前のバス停から乗るのだが、そこまでの300メートルがつらい。
杖を買ってすこし楽になった。

薬を使ってでも、放射線治療を追加してでも、この痛みをなんとか抑えようとするのは、自分自身にたいする暴力かもしれないとは思うけれど、やりたいことがあるのでしかたがない。
痛みにはちょっと脇にどいていてもらって、集中力をもってやりたいこと、書きたいこと、作りたいものがある。
この時間がもうすこし必要だし、痛みももうすこしコントロールできるといいんだけど(なかなか医者の処方がうまくいかない)。

今夜は共感手帳術の仲間たちとのオンラインミーティングだ。
私の状態を心配してくれる人もいるけれど、1時間と限定された枠だし、オンラインなので、なんとかやれるだろう。
そして、今日あつかいたいテーマがある。

「いまここ」にいるために、ヒトが動物とは違う特徴でもある「過去からいまを省みること」と「未来からいまを省みること」ができることによって「いま」の質を高める方法について、NVCの手法を取り入れながら、みなさんと一緒に考えてみたい。
これは私自身にとっても大切なテーマなのだ。
命のパワーをめいっぱい使うために。

(ここ数日、放射線治療の影響と痛みでものを書く集中力がまったくなかったのに、今日はこれをここまで書けたのは、大きなお祝い)

2020年2月17日月曜日

自分の痛みは人にはわからないし人の痛みも私にはわからない

食道ガンの転移による腰痛と腹痛がひどくなって、だんだんできることが限られてきた。
まず運動ができない。
これは困る。

かるい運動もやりにくい。
たとえばウォーキング。
みじかい距離でも、歩くのが大変だ。
痛み止めがあるていど効いていると、しばらくは歩きはじめられるのだが、やがて腰痛と腹痛におそわれ、立ちどまらざるをえなくなる。
身体をまげて、痛みをしばらくやりすごす。

身体をのばした状態でいることができないのだ。
なので簡単なストレッチのようなものや、武術の稽古もできない。
私がやっている韓氏意拳という武術は、稽古の中心が「站椿(たんとう)」というほとんど動かない型稽古なのだが、それでも身体を起こしていられないとできない。

身体を曲げた体勢なら活動にはあまり支障ない。
座った状態なら、執筆作業もピアノ演奏も運転も、これまでと変わりなくできる。
ただ、痛みが強くなると集中力ははっきりと減退する。

ようするに痛みさえなければいろいろなことがうまくいくのだ。
ところが、なぜか痛みはがまんすべき、多少の痛みは無視できるだろう、薬はなるべく飲まないほうがいい、という価値観に心底支配されていることに気づく。
医者で薬を処方されても、痛みががまんできなくなるまで飲むことをためらう。
薬は悪だ、痛みががまんできないのは自分が弱いからだ、という心理が無意識に強く働いているらしい(なんらかの教育のたまものだろう)。

人からすすめられた民間療法もいくつかためしてみたけれど、痛みをともなうもの、あるいは痛みがあるとできないものは、できないし、無理にやるとダメージが大きい。

「痛みは身体の声」という意見があって、それはそれである程度の健康状態では正しいし、きちんとそれを見なければ、付き合わなければという思いも強くあるのだが、進行性の悪性腫瘍に侵されている身としてはべつの対応も必要になると割り切ることが、いまの自分を大切にすることになる。
私のこの痛みは、人からどのようにいわれたところで、その人にはけっしてわからないものなのだ。

ついでにいえば、肉体的・物理的な痛みのほかに、心理的痛みにもあてはめられることが多い。
こころの痛みは無視したり無理することなく、それときちんと向きあう必要があるが、その対処法は一筋縄ではいかない。
きちんと見れば原因=ニーズがクリアになる痛みは対処できるし、また対処をだれかに手伝ってもらうこともできる。
しかし、深い痛み、原因がよくわからない強い痛み(トラウマなど)は、うかつに手を出すとダメージが大きくなることがある。

悪性腫瘍のようにうかつに治療しようとすると、かえって全体のバランスをくずしたり、いちじるしくそこなってしまう。
治癒がむずかしい病巣は、乱暴にそれ本体を取りのぞいたり引っかきまわしたりするのではなく、そこから生まれる痛みそのものに対処することがまずは必要だろう。
そのための方策はさまざまにある。

2020年2月16日日曜日

春野亭日乗 2月15日(土)表現研究仲間としてのゼミ生、ミチコサン、お腹ウォーマー

朝からゼミ生のユウキさんがわざわざグリグリでケアしに来てくれた。
仕事が忙しい時期なのに、合間をぬって来てくれて、ほんとにありがたい。
ケーキの差し入れまでいただいたので、お茶タイム。
お酒を一滴も飲めなくなって以来、甘いものには目がなくなっているけど、なんでもいいというわけではなくて、もちろんおいしいものがサイコー!
ユウキさん、ありがとう。

そのあと、やはりゼミ生のかなえさんが来てレッスンしたので、いつものゼミみたいになったけど、ゼミというより仲間の集まりのように私はいつも感じている。
楽しかったな。
そのおかげか、昨日はだんだん調子を取りもどして、夜は最近になくよく眠れた(1度しか起きなかった)。

収録してから長らく放置してしまった矢澤亜希子朗読の新美南吉短編作品「ミチコサン」を、ようやくYouTubeにアップできた。
矢澤ちゃんの朗読する新美南吉の超短編シリーズはすでにオーディオブックとしてたくさん収録ずみで、順次公開していきたいが、どのような形で公開するかはまだ決まっていない。

午後は駒井のりこさんにいただいたレンチンのウォーマーをお腹に乗せて、編物。
ずっと疼痛がある腹部が適度にあたたまって、非常に楽で快適。
調子回復はこれのおかげもあるかも。
午後から夜にかけてゆっくりできたのもよかった。

2020年2月15日土曜日

放射線照射治療ふたたび

木曜日に多摩総合医療センターに行って、消化器外科と診療放射線科のそれぞれの担当医の診察を受けてきた。
去年10月から常用している痛み止め薬が効かなくなってきているので、薬を変える検討をすることになった。

多摩センターは終末医療の機能がないので、すでに連絡をしてある国立さくら病院に緩和ケアのお願いをすることになり、手続き上紹介状をあらためて書いてもらった。

それとは別に、放射線治療の余地がまだあるというので、こちらも検討する。
前回の放射線治療は食道ガンの本体を叩くもので、これはうまくいった(ように感じている)。
おかげで痛みもなくなり、食事には現時点でなんの支障もない(今後はわからないが)。

こちらはもう放射線をあてることはできないが、未照射の転移部位についてはまだ余地がある。
腹部大動脈脇のリンパ節に転移したガン部位で、腰痛や下腹部痛もこれが原因であろうとのこと。
こちらを照射治療すれば、痛みの緩和が期待できる。
ただし根治は目的ではないので、前回30回おこなった照射を、今回は10回だけおこなう。
これだと身体への負担もすくなくてすむ。

放射線治療は来週からスタートすることになり、事前にCTをとって治療プログラムを作っているところだ。

その足でさくら病院に行き、院長の診察を受け、痛み止め薬の相談をしてあらたな薬を処方してもらった。
これまでのロキソニンやボルタレンより強い鎮痛剤で、しかし医療用麻薬ほどは強くないトラマールという薬だ。
とくに腹部痛に効いてほしいと期待したのだが、さっそく飲んでみるとこれが効かない。
まったく効かないわけではないが、強い痛みは残る。
夜中も痛みで何度も目がさめてしまい、安眠できない。

薬についてはもう1度相談する必要があるようだ。
とにかく終末医療としては、痛みのケアが最優先だ。
痛みのコントロールができないと毎日の生活・活動のクオリティがいちじるしく減退する。
私にとってはここがもっとも大切なところだ。

映像作品「私は線だった」(by 山舗恭子)に曲をつけた

名古屋の現代朗読ワークショップに何度か参加して、去年の「ラストステージ 事象の地平線」コンサートにも来てくれた山舗恭子さんの詩と絵画作品「わたしは線だった」"I was a vibration”に、オリジナル曲をつけさせてもらった。
いわゆる絵と音楽のコラボだ。
映像作家の松本尚基さんによって映像作品になり、YouTubeに公開されたので、紹介したい。

作品はこちら

現物の絵は横10メートル以上の細長いもので、スチル写真では表現するのが難しい。
私はそれを端からゆっくり見ながら、音をつけていった。

ピアノで演奏。
そこに多重録音でチェロの音、そしてエレクトリックピアノの音。
絵と同様に、シンプルと複雑さを同時に表現したかったのだが、うまくいっただろうか。
みなさん、どうぞ観て(聴いて)みてください。

2020年2月14日金曜日

だれかから大事にされること、そう感じること

ご本人にいうと「恥ずかしいから」と絶対に許可してくれないから、勝手に無断で書くことにする(写真もアップする)。

山形の韓氏意拳教練の高橋透先生から革細工の手作りポシェットをいただいた。
もちろん、
「ありがとうございます!」
なのだが、そんなことばを超えてあふれてくるものがあって、ちょっと胸がいっぱいになってしまった。

「さしあげたいものがある」
といわれて透先生と落ち合ったとき、私には、
「なにかいただいたとして、末期ガンの身としては長く使えないかもしれないから申し訳ないことになるかもしれない」
というもやもやした気持ちがちょっとあった。

革のポシェットをいただいたとき、
「これは使えば使うほどいい感じになってくるんですよ」
と、ご自分が使っておられるブックカバーを見せてくれた。
なるほど、手になじんで革に表情が出てきている。
革製品にはたしかにそういうところがある。

「すぐには死ねませんよ」
といわれて、私はなんともいえない気持ちになったのだ。
透先生は私の命ができれば長くつづくことを願いながらこれを作ってくれたのかもしれない。
私のなかには自分の命をさっぱりとあきらめるようなあっさりした気分が(たぶん自己防衛的に)生まれていたが、ポシェットをいただいて、しかられ、また励まされた気持ちになった。

そんなふうに私のことを思ってくれる人がいる。
この半年、そういう人がたくさんいることを知った。
健康回復をねがって食品や器具や本をくれた人たち、自分ができるケアをしてくれる人たち、思いやりをもって世話をしてくれている身近な人、ただ祈ってくれる人……
なかにはこわくて声もかけられない、私が書いたものを読むこともできない、近づくこともできない人もいるかもしれない。

私のことを大事に思ってくれる人がいて、それはたぶん私がこの世からいなくなったとしても変わらず私を思うに違いない。
私が生きていようが、いなくなろうが、その思いは(すくなくともしばらくは)消えない。
私の存在をこえてだれかの思いがあるということだ。
そうかんがえると、死という一種の境界線が影を薄くしていくような気になる。

いまこの瞬間、私がこのような時間をすごせていることを、本当にありがたく幸せだと感じている。
これを書いている私の横には、昨日透先生からいただいたばかりの革のポシェットがある。

2020年2月13日木曜日

朝のルーティンと今朝のこと

今日も生きている。
なんて書いてみたけど、朝、パッと目がさめて、「生きてる」と思うわけじゃない。
夜中になんども目がさめる。
痛みと尿意が交互にやってきて、ほぼ2時間おきの覚醒。
だから、朝もずるずるとやってくる。
痛みで寝ていられないので、うっすらと明るくなりはじめる6時には起きてしまう。

ラジオをつけてニュースを聴きながら、今日やることをチェック。
メールやSNSのコメントをチェック。

7時になったら外に出て、大学通りの〈高倉町珈琲店〉まで歩く。
距離にして500メートル強。
ひと月前くらいまではウォーキングとして大学通りを南下して谷保の近くまで歩いていたのだが、いまは珈琲店まで歩くのが限界。
痛みのコントロールがうまくできたら、また歩けるかもしれないとは思っている。

珈琲店ではモーニングサービスをたのみ、書きものをしたり、1日の計画を立てたり、編物をしたり。
常連の顔ぶれもすっかりおぼえた。

今日は昼すぎに多摩総合医療センターに行って、消化器外科と診療放射線科のそれぞれの担当医の診察を受ける予定。
痛み止めの薬をより強いものに変えてもらうことと、追加の放射線治療の可能性について相談してくる。

2020年2月12日水曜日

最も個人的なことが、最もクリエイティブ(アカデミー賞ボン・ジュノ監督)

先日、第92回アカデミー賞が発表され、韓国映画の「パラサイト」が作品賞を受賞して大きな話題となっている。

受賞時のボン・ジュノ監督のことばが印象的だった。
会場に来ていたマーティン・スコセッシ監督のことばを引用して、
「最も個人的なことが、最もクリエイティブなことだ」
という「パラサイト」製作のこころがけを語ったのだ。
それを聴いて、私はちょっとおどろくと同時に、うれしくなった。

マーティン・スコセッシは今期のアカデミー賞では「アイリッシュマン」が受賞候補にあがっていた。
これにかぎらず、これまで数多くの賞を取っているし、私も「タクシードライバー」以来のファンだ。
たしかに、スコセッシの映画には「個人的」なところがある。

彼のそのことばは知らなかったが、私も日ごろ似たようなことを、表現の仲間たちに伝えている。
小説塾である「ひよめき塾」でもしょっちゅういっている。

個人的な体験、個人的な身体から出てきたことばしか、普遍性を持つことはできない。

これは小説でも音楽でも朗読でも、すべての表現がそうであると私は思っている。
「パラサイト」は未見なので、近いうちにかならず機会を作って観てみたい。

2020年2月11日火曜日

(Manabi JAPAN)水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。「立春」

まなびジャパン(Manabi JAPAN)で「水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。」の配信がスタートしました。

太陰暦の時代、春夏秋冬それぞれを6つに分けて24等分し、その区切りと区切られた期間の季節を表すために作られた二十四節気。七十二候はそれをさらに3つの項に細分して季節の移ろいを表したものです。些細な兆しからいつしか劇的な変化を遂げていく日本の四季を、水城ゆうがピアノで表現します。

書き下ろしのショートエッセイも掲載されています。

アクセスはこちら

2020年2月10日月曜日

春野亭日乗 2月9日(日)ひよめき塾、知念さん迎撃特別編

このところの強い冬型の気圧配置と上空の寒気の流れこみで、冷えこみがつづいていたが、日中は日差しがあって、春野亭の2階は暖かくなる。
今日も一日、2階ですごした。
ちんたら編んでいたレッグウォーマーの半足がやっとできた。
あとはブログを書いたり、動画の準備をしたり。
たのまれている原稿もあって、急ぎで一本書きたいのだが、なかなか手がつけられずにいる。

夜は沖縄からひよめき塾の仲間の知念さんがやってくるというので、来れる人は来ようということになった。
石川月洛がまず到着。
完成した紙本の『HiYoMeKi Vol.7』を持ってきてくれた。
あと、編物やイラストを見せてもらったり。
ラップトップやタブレットに貼るイラストシールを作ってくれるようにお願いした。

船渡川広匡が栃木の遠方から来た。
酒が足りなさそうというので、駅前まで買いに出てくれた。
私はもはや一滴も飲まないが。

知念満二と春野さんが来た、沖縄から。
いろいろ差し入れを持ってきてくれた、庭で採れたパパイヤのシリシリとか。

ひよめきメンバーのまりりん、奥田浩二、下村健士も来て、19時すぎからいつものようにひよめき塾開講。
知念さんに会いにNVC仲間も来ていたので、ひよめき塾はリビング横の和室でおこなう。

今回のひよめき塾のお題は「宇宙遊泳」。
提出作品を順番に読みあわせ、いつものように講評・感想を交換する。
オンラインでやっていることと基本的に変わらないが、直接顔を合わせているとやはり安心感があって、遠慮のない意見がつぎつぎと出てくる。
これも、どんな意見もおたがいの思いやりと信頼があるという安心があればこそだろうか。

仕事が遅くなった三木義一も遅れて到着して、無事に合流。
いつものように21時すぎに終了、いちおう解散。
残った知念さんとNVC仲間とで、宴会。
野々宮に知念さんの短編をつぎつぎと朗読してもらって盛り上がる。

気がついたら日付が変わっていた。
楽しかったな。
知念さん、みなさん、はるばる来てくれてありがとう。
次回のお題は「魔法」。
遠方のかたはまたオンライン(現代の魔法)で。

2020年2月9日日曜日

リップノイズ(収録時のノイズ)を口先のテクニックで解決しない



朗読ゼミにはさまざまなニーズを持った人が参加しますが、ナレーション収録時にリップノイズがマイクに乗ってしまうという悩みを持った人が参加しました。

多くのかたが抱えている問題ですが、それについての解決策を、さまざまな角度から提案しています。
結局のところ、現代朗読でおこなっている身体表現の稽古にまさるものはないんですけどね。

国立でおこなっている現代朗読ゼミは朗読未経験のかたもふくめ、どなたも体験参加歓迎です。
くわしくはこちら

2020年2月8日土曜日

リップノイズは口先だけでは対策できない

できるだけSNS断捨離しようと思って、手をひろげてしまったいくつかから撤収をはかっている。
たとえば古くはmixi、最近ではInstagram。
Facebookも断捨離したいけど、こちらは知り合とのつながりがあって、すぐには切れなさそう。

Noteというサービスがあって、これはブログ記事をただ機械的にコピペしているだけなので切ってもいいなと思っているところだけど、今日の朗読ゼミにはNoteの記事を見たという人が参加してくれて、どこでなにが見られているかわからないと、ちょっと悩ましくなる。

それはともかく、Noteには「リップノイズ対策」の記事を掲載してある。
リップノイズといっても、声の仕事と関係のない人にはわからないだろうし、かつどうでもいいことだと思うけれど、ナレーションやアナウンスの仕事をしている人にはかなり切実な問題として立ちはだかっている。
ようするに、マイク収録するときに口の内外から発生するノイズ成分のことだ。
ぺちゃぺちゃ、ぴちぴち、ねちゃねちゃ、パチン、ピキン、ときにはコツンというような金属的なノイズもある。
一般的なオーディエンスはまったく気にしないし、そんなものが混じっていることに気づきもしないだろうが、きれいな音声収録では問題になる。

今日はそれが気になるという人がゼミに参加してくれたのだが、そもそも現代朗読ゼミではリップノイズを専門的にはあつかわない。
ただし、現代朗読の身体トレーニングがリップノイズ対策として大変有効に働くことはわかっている。

ここでくわしくは書かないが、ようするに身体の使い方の問題なのだ。
「身体」には身体全体の関連性をふくめ、姿勢、呼吸、発声、口中のスペースの問題、舌の柔軟性の問題まで、ひとつながりになっている。
どこか一部分だけ取りあげて問題解決をはかろうとしても、うまくいかない。
車のサスペンションがいかれてギシギシいっているのに、マフラーを交換してノイズを減らそうとするようなものだ。
そもそも車が老朽化しているなら、車全体を整備してやる必要がある。

そんなこんなで、ようするにいつもとおなじこと——現代朗読の基礎トレーニング——をおこなった。
やっているうちに自分の身体に気づき、みんなとの声の響きあいを味わい、読むことそのものがどんどん楽しくなっていく。
それによっていきいきとした身体でなにかを読めば、そのいきいきさは聴き手にも伝わり、リップノイズがどうのという問題はどうでもよくなる。
いや、リップノイズも相当軽減されているはずだ。

そんなことを伝えたり、実際に確認しながら、今日も楽しくやらせてもらった。
参加してくれたみなさんと進行をサポートしてくれた野々宮卯妙に感謝。

次回のゼミは2月22日(土)の予定だが、ひょっとして15日か16日にも臨時に開催するかもしれない。

2月22日:臨時朗読ゼミ(水城ゼミ)
ゼミ生が個人レッスンを受けるタイミングで臨時の現代朗読ゼミを開催します。身体表現あるいは音楽としての朗読を楽しみましょう。2月22(土)10時半から約2時間。

人にとっての幸せとはなにか

抽象的な問いであり、答えも人それぞれであり、また抽象的な答えになりがちだが、私なりに明確にしておきたい。

「幸せでない」と感じるのは、生命の危機、さまざまな社会的不安にさいなまれているときだろう。
人はまず、自分やまわりの人々が安全であり、また安心して生きていられることを望む。

自分や人々が過不足なく生きていく安全があり、安心できる環境にいるとき、人は幸せを感じるのかもしれない。
現代社会において、だれかから攻撃される心配もなく、経済的余裕もあり、健康で、やりがいのある仕事を持ち、だれに遠慮することなく自分の楽しみを追求する時間を持てる、そんな人は幸せなのかもしれない。

しかし、たとえば私のように死期の迫る末期ガンを抱え、日々痛みと対処する必要に迫られるような健康に問題がある人間は、幸せではないのだろうか。
思ったような仕事につけず、経済的にも苦しい生活を送っている人は、幸せではないのだろうか。
友だちも少なく、孤独な毎日をすごしているような人は、幸せではないのだろうか。

そういう人のなかにも、幸せな人はいるのではないか。
げんに私がそうであるように。

人には自分がこうありたいという望み(ロンギング)や、大切にしていること(ニーズ)がある。
それが満たされると安心できる。

たとえば、職場で自分の能力を発揮し、会社の経営に貢献することで、自分も安定した生活を送れたり、同僚と信頼しあえる関係を築くことで豊かなつながりのある人生を送れていると、幸せを感じるかもしれない。
しかし、それが満たされていないと不幸なのだろうか。

私はニーズが満たされている/満たされていないは、人の幸せとは関係がないとかんがえている(感じている)。
幸福感と関係があるのは、満たされていようがいまいが、そのニーズを自分が明確に把握しているかどうかだ。

上の例でいえば、まだ自分の能力が発揮できず、充分に貢献できていないとしても、自分には「能力を発揮して貢献したい」というニーズがある、それが明確になっていて、自分がいきいきと闊達な状態であるかどうかが重要だ。
ニーズが満たされていなくても、そのニーズを満たすために自分がどれだけいきいきと行動したり計画を立てたりできるかどうか。
ニーズを満たすためにどれだけ狙いすましたハンターのようになれるかどうか。
その状態こそが、人の幸せを左右するのではないだろうか。

私は末期ガンを抱え、日々痛みと闘っていて、そのこと自体は厳しいが、満たしたいニーズがあり、それを満たすために取れるあらゆる手段について虎視眈々と狙っている。
そのプロセスを日々味わい、楽しんでいる。
これが私にとって幸福な日々といわずしてなにをかいわんや、なのだ。

2020年2月7日金曜日

VLOG 2020.2.7 リュックサックの引っ越し



長年愛用していたShuleのリュックサックが、ジッパーの不具合で使いづらくなってきたので、あたらしいリュックサックに交換することにしました。

Shuleはスウェーデンのメーカーで「スールー」と呼んでいましたが、「スーリー」が正しいようです。

2020年2月6日木曜日

余命宣告がパワーになるという事実

古い情報だが、消化器外科の専門医や診療放射線科の医師の予告によれば、私の余命はあと2、3か月程度らしい。
去年の7月から8月にかけていくつかの病院で検査を受け、それぞれの医師からそのようにいわれている。
いまもその所見は変わらず、らしい。

もちろん医師たちも「あくまで可能性」と念を押していて、それより早く亡くなってしまう人もいれば、生きのびる人もいる。
つまり、はっきりとはわからない。
が、だれしも、「あと1年生きるのは厳しいですよ」といわれれば、ある種の感慨を持つだろう。

人は観念的動物なので、死というものをリアルな体感覚ではなく、想像や思考のなかにある観念的な概念としてとらえている。
たとえば「みんな死ぬ」ということは、全員がわかっている。
そのことを否定する人はいるかもしれないが、事実としてその人も死ぬ。

観念的概念というのは、石とか建築物とおなじで、固定されて動かない「モノ」のようなものだ。
しかし、死はモノではなく、たえず変化し動きつづける生命現象のひとつである。
鳥や空や風や森や海のように動きつづけ、変化しつづける現象だ。
もちろん、私たち人間もその現象の部分だ。
人という現象のなかに、死という現象も含まれている。

すべての人が、自分も死ぬとわかっているけれど、ではいつ死ぬのかということについては漠然としか「体感」していない。
いや、ほぼ「体感していない」といってもいいかもしれない。
私自身がそうだったから。

自分もいつかは死ぬ、でもいまじゃない。
明日死ぬかもしれない、でもいまじゃない。
来年は死んでるかもしれない、でも今日じゃない。
そうやってずるずると毎日を生きている。

医師から「来年のいまごろまでというのは厳しいかもしれません」といわれたとき、私のなかではじめて「死」というものが概念ではなく、実際に起こりうる現象としてじわじわと体感しはじめた。
もっと具体的にいえば、いまこの瞬間自分が生きているという実感とその現象が、リアルな体感覚して立ちあがってきたのだ。

死という現象を目視し感じたときに、生の現象がリアルにくっきりと立ちあがってくる。
そんな経験を、いまもしつづけている。

生という現象を——自分という現象を生きている私。
いまなにを感じ、なにが動いているのか。
楽しみも苦しみもさまざまに織りなしていくこの時間を、私はどうありたいのか。

いま私は、ガンが見つかる以前の時間より、おそらく数十倍の濃度の時間のなかを生きている。

2020年2月5日水曜日

Voice Of Water による「Sound of the Rain」ついに公開



夜になると調子が悪くなるのはガンを患って以来というわけではないが、最近はとくに顕著になっているのはやむをえない。

胸痛、胃痛からはじまったガン痛は、放射線治療がうまくいってほぼ消えたが、転移部位である下半身に痛みは移動した。
いまは腰痛と下腹部痛に悩まされていて、痛み止めも通常薬がそろそろ効かなくなりつつある。
今日はまた胸痛が再発して、ぐるっと回って振り出しにもどるというか、らせん形に下降していく加速度を感じる。

そんななか、海津賢が助っ人に来てくれた。
音響表現ユニット〈Voice Of Water〉は海津賢が私のためにプロデュースしてくれた。
私の作曲(というか即興演奏)、キーボード演奏と、海津賢のコンピューターオペレーション、演奏、野々宮卯妙の朗読によるスタジオワークで作られる楽曲と映像表現だ。
海津賢が私のステージⅣの食道ガンを知ったとき、このユニットワークを提案してくれた。
これほどありがたく幸せなことはないと思った。

国立の春野亭のスタディルームに何日か缶詰になって、一気に8曲作ったのだが、まさに幸せな時間だった。
ライブではないスタジオ仕事として、音楽的にやってみたいと思ったことは全部やってみることができた。
海津賢のサポートがなければ決して実現しないことだった。

そのうちの一曲「Sound of the Rain」を、ミュージックビデオとして公開することになった。
私がぐずぐずやっていた動画編集を、これもまた最後に海津賢が助っ人に駆けつけてくれて、仕上げることができた。
私の命の表現のひとつとして、観て(聴いて)もらえるとうれしい。

春野亭日乗 2月4日(火)座薬の鎮痛剤、ピアノ七十二候リメイク、共感手帳術の仲間

腹部大動脈脇のリンパ節へのガン転移と関係があるのかないのか、何か月もつづいている原因不明の腰痛はロキソニンという一般的な痛み止め薬で抑えられているのだが、年明けからこれもまた原因不明の下腹部痛に悩まされている。
こちらはロキソニンはあまり効かない(まったく効かないというわけではない)。
ガンの担当医にいっても、緩和ケアの医師に相談しても、どっちみち「治療しない」という選択をしているんだから原因を検査して突き止めたり、その結果手術したりするというようなことは現実的ではないといわれ、痛み止めのレベルアップをすすめられるばかりだ。
それはいいのだが、とにかく痛みは抑えたいので、そもそも食道ガンを見つけた近所の(かかりつけといってもいい)内科に行ってみた。

予想外にきちんと対応してくれて、丁寧な触診につづいて腹部エコー検査をやってくれた。
とくに悪い所見はないということで、腹部痛に有効な鎮痛剤を処方してくれた。
「ボルタレン(サポ)」という座薬で、調剤の女性がそれを出すときに、いきなり、
「石ですか?」
と訊いてきた。
石? それはなに? と思ったのだが、すぐに尿道結石など結石の痛み対策のことかとわかる。
結石の痛みは相当だと聞いたことがある。
ということは、かなり効き目の強い薬だということか。

自宅にもどって、さっそくお尻にプスッと挿入。
あはん。
いつ、なぜなのか忘れてしまったが、座薬は何度か経験があって、慣れていることを思いだした。

思ったより効かない。
が、まあひどい痛みは軽減される。
しかも持続時間が長いような気がする(短いと説明されたはずなのに)。
あまり頻繁に使えないので、投薬時間を工夫する必要がありそう。
もうすこし様子を見てみる。

付き合いのある編集プロダクションから、私のピアノ七十二候を某サイトでの暦企画とコラボしたいという打診が。
うれしい。
いくつかリメイクしたい音源があるが、まずはさっそく「春分」の最初の音源をリメイクして送ってみる。

夜は共感手帳術の仲間たちのオンラインミーティング。
Slackにうまくはいれずにいたあんなさんも、事前のオンラインサポートでうまくはいることができてよかった。
今回も楽しかったなあ。
このところ、「人に見せるための手帳」をつけるというワークをやっていて、提出された手帳を見ながらあれこれ話すのはとくに楽しかった。
それぞれの手帳愛が増大して、私も刺激を受けた。
これがコミュニティ型講座のいいところだ。
ご参加いただいたみなさん、ありがとう。

2020年2月3日月曜日

VLOG 2020.2.3 立川ららぽーと、ハンバーガー、旅愁、グリグリ



立川のららぽーとまでジーンズを買いに行ったついでに、ハンバーガーでランチ。

秋の曲ですが「旅愁」をちょっと演奏、CS60というマッサージ器でケアしてもらったときの映像と、トークをすこし。

春野亭日乗 2月2日(日)ダニーボーイのピアノ伴奏、グリグリ、ひよめき塾

午前中、VLOG収録ついでに久保木さんのオカリナ伴奏「ダニーボーイ」のキー違いを演奏収録する。
というか、演奏収録するついでにVLOGを作ったというか。
どっちだ。
どっちでもいいか。

ピアノに向かっていろいろ弾いたりしゃべったり、それを動画にとってあとで編集したりするの、だんだん慣れてきたし、楽しくなってる。

午後、ゼミ生のユウキさんがわざわざ来て、グリグリ(CS60)やってくれた。
ほんとありがたい。
激痛だけど、全身がリフレッシュされて元気になる。
グリグリの前はいっしょにランチ、駅前の〈自然薯庵〉で。
なんか開店時からメニューと味がだいぶ変わったような(気のせい?)。

夜はひよめき塾。
リアル参加はマリリンとのの。
ほかに知念さん、奥田くん、生惠さん、ふなっち、しーもん、ミキティ。
楽しくてついつい体調以上のことをして、あとで疲れてしまう。
テキスト講評は思ったより知力・体力を使うのだ。

私が帰省しているあいだにつきみんが『HiYoMeKi No.7』の紙本の見本を送ってくれていた。
なかなかよい出来。
電子本はアマゾンからダウンロードできるので、みなさん読んでね。
私の命の表現のひとつ!

◎『ひよめき第7号』Kindle版、ダウンロードはこちら

2020年2月2日日曜日

VLOG 2020.2.2 オカリナ伴奏用「ダニーボーイ」キーを変えてリテイク



鹿児島のオカリナ牧師・久保木聡さんのために、「ダニーボーイ」もしくは「ロンドンデリー・エア」と呼ばれる曲のピアノ伴奏を、キーを変えてとりなおしました。


2020年2月1日土曜日

VLOG 2020.2.1 ドライブ、越前奥越地方から白鳥、岐阜を越えて中央道へ



福井県越前奥越地方から東京国立まで車で移動しました。

大野市、和泉村(九頭竜湖)を越えて、白鳥から東海北陸道に。
郡上、美濃から東海環状道を通過して中央道へ。
太平洋側は好天で、八ヶ岳や富士山がきれいに見えました。

春野亭日乗 1月30日(木)ひよめき講評、国会中継

こちら北陸、今週はずっと天気が悪い。
季節的にはふつう、多かれ少なかれ積雪があるはずが、今年はまったくない。
ずっと雨が降ったりやんだりしている。
低い雲が垂れこめて強く降ったり、急に晴れ間が出たりする。
雨雲レーダーを見ると、典型的な冬型になっているようだ。
気温が低ければ雪になっているところだ。

朝からひよめき塾の作品講評書き。
ひよめき塾は月に2、3回のミーティングをおこなって、そこで作品講評もするけれど、提出分全部をすべて講評はできない。
取りあげる作品は毎回、3作品くらいをくじびきで決める。
それに漏れた作品については、後日、時間と余裕があるときに私が通読して、みじかい講評を書くことにしている。
これは全作品につけるようにしている。

今日は前回のテーマ「元服」にちなんだ作品を読む。
いずれもみじかい作品だが、講評書きのために読みこむには長短はあまり関係ない。

講評を書いたり、編物で気分転換したりしながら、ラジオで国会予算委員会の中継を聴く。
聴けば聴くほどいらいらする。
もし安倍首相が自分の潔白を証明したいと思うなら、領収書やら名簿の開示に積極的に応じるだろう。
関係者たちに自分の潔白を示す物証を集めさせるだろう。
それをしない、できないというのは、潔白ではない、なにか隠したいことがある、という論理的帰結がある。
ただそれだけのことだ。
つまり安倍は論理的に法的なクロ。

2020年1月31日金曜日

VLOG 2020.1.31 DoubleTakeという動画撮影アプリ



iPhone用の動画撮影アプリです。

iPhone XS/XR 以降の機種が対象で、それ以前の機種もインストールはできますが、このアプリの特徴は活かせません。
またiOS13がインストール済みであることも必須です。

iPhoneのインカメラとアウトカメラの両方(機種によってはアウトカメラの2機とか3機も)を同時に撮影できます。
私がやってみたように、インカメラで自撮り、アウトカメラで向こう側の景色や相手を同時に撮影するなんてことができます。
なかなか便利、かも。

2020年1月29日水曜日

契約ではなく信任

朗読ゼミやひよめき塾など、私が主宰するゼミ(水城ゼミ)では、私の活動の持続性を確保するために、参加者のみなさんに月額制で参加費をお願いしている。
基本的にドネーション制で、ご自分の経済状況やその他事情におうじて都合のいい額をお願いしている(基準額はある)。

こういうことを長年やってきていて、ようやくみなさんには理念を理解してもらったと感じているが、それでも時々、どうしても理解してもらえない人があらわれる。

私にお金を払う。
それにたいして私がなにかを提供する。
朗読の演出やテキスト表現についての私からのアドバイスにたいして「対価」としてお金を払うというかんがえかたからどうしても抜けられない人がいる。

払った分だけなにかサービスや学びを提供してもらう。
お金を払ったんだから、それに見合った分のなにかをいただきたい。
これは市場経済の理屈である。
契約のかんがえかただ。
私はゼミに経済原理を持ちこんではいない。

私とゼミ生のあいだにあるのは、契約ではなく、あえていえば「信任」だろうか。
「対価」としてはまったく見合わないときもあるかもしれないし、また逆に対価としては計り知れない貴重な時間がおとずれることもあるかもしれない。
この学びと表現の場を作りあっている仲間として、私はゼミ生を信頼しているし、ゼミ生にも私を信頼してもらいたい。

契約関係ではなく信任関係としてのつながりを、私のゼミでは大切にしている。

VLOG 2020.1.29 猫、実家で編物、体調



服の上で寝るムイ猫。

オパール毛糸と輪針を使って表編み(メリヤス編み)だけでぐるぐる編んでいく帽子、実家にて。
天気がいまいちのせいか、体調よくない。

2020年1月28日火曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(27))

■私のたどりついた場所

まずは呼吸法から。
音読療法にもほぼおなじプロセスのものが流用されているが、ここでは健康法というより自分自身の流動的な身体変化を観察するためにおこなわれている。
現代朗読協会の立ちあげ時からともに学びつづけている野々宮がリードして、参加者たちと呼吸法をやってくれている。
皆が春野亭のリビングのフロアに輪になって立ち、大きく息を吐いたり吸ったりしているのを見ながら、私はわきのテーブルにすわって気がついたことがあれば口をはさんだり、ラップトップに向かってテキストを入力したりしている。

身体の変化を観察するのは、表現するための自分の身体に繊細な感受性を向け、注意深くありつづけるための練習としてだ。
このかんがえかたと方法にたどりつくのに、何年かかかった。
多くの参加者の協力をもらいながらここにたどりついた。

今日も都区内や都外の遠方から、あるいは近隣から、何人かの参加者が国立の私の現在の活動拠点である春野亭まで来てくれている。
みんなが表現のための練習や実践をしているかたわらで、私は自分のペースでこれを書いている。

自分のいる場所があり、受け入れてくれる人たちがいて、やりたいことがある。
なんて幸せなことなんだろうと思う。

私が書くものはブログやコメントや雑文ばかりではない。
小説家なので——20代後半から職業的にやってきた——小説や詩などのまとまったテキストも書く。
長いものもあれば短いものもある。
かつては長いストーリーを書いて商業出版社から出版し、書籍流通ルートに乗せてメシの種にしていたこともある。
いまはそれはしない。
いつのころからか、だれかに朗読してもらうためのテキストを書くことが多くなってきた。
またそれが楽しみにもなった。

私が書いたものをだれかが朗読する。
テキストという静的な記号群が、音声という空間と時間に関わる表現に変化する。
音声は生身の肉体から発せられ、そこには朗読者という生命存在がある。
私は朗読者のかたわらに行き、おなじ空間/時間軸のなかで表現行為にかかわる。
ときに演出で、ときに音楽演奏で。

私たち生きている存在は、モノではなく、たえず変化し移り変わりゆくいわば現象である。
私はいまこの瞬間、自分自身という現象を見、その現象に付きあう。
あなたという現象を見、その現象と交流する。

現象はいずれ消えゆくものであるけれど、いまこの瞬間、たしかにそれはここにあらわれている。
人の生きる目的はいろいろとはいえ——人によってはそれが明確だったり希薄だったりする——生きる過程そのものを味わうこともできる。

そのときが来るまで自分という現象を味わい、表現しつづけたい。
(おわり)


2020年1月27日月曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(26))

痛みとの闘いになってきている。
腰痛のほかの、下腹部痛にも悩まされている。
痛み止め薬を飲む間隔がしだいにみじかくなっている。
日に2回から3回、そしてここ1週間は4回かそれ以上になってきた。

ホスピスの面談に行ったときに、医師にそれが気になることを相談してみた。
医師のこたえは明瞭だった。

「最近は痛みをコントロールするためのさまざまな薬や方法があるので、痛みをがまんする必要はない」
「副作用があるものもあるが、その対処法も確立されている」
「日本人はがまん強い人が多く、薬などで痛みを抑えることに倫理的な罪悪感を持っている人が多い」

たしかに私にもそういうところがある。
痛みをついがまんしてしまう。
薬を飲むことをなるべく引きのばそうとする。
その心理的背景として、薬を頻繁に飲むときかなくなるのではないか、副作用があるのではない、がまんできるならできるだけがまんしたほうがいいのではないか、というものがある。
医師はさらにいう。

「ガン治療をおこなわないという選択をしたのなら、ガンが進行して痛みが増大するしたとき、痛みをがまんして生活や気持ちに支障が出るのはつまらない」
「痛みの原因を知るためにあらたに検査をして病原を見つけたとしても、治療したり手術するのはもはや意味がない」
「それよりできるだけ快適にすごせることを心がけるべき」
「麻薬ということばがいけないと思うのだが、医療麻薬にもさまざまな種類や方法があるので、余命を自分らしくすごすためにうまく使えばいいし、そのための相談にはいくらでも応じる。通常の治療ではなく末期医療のかんがえかたがある」

いろいろ感じることもあり、かんがえたいことも多いが、医師のことばは示唆に富む部分が多かった。
なので、いまは痛みをがまんすることをやめ、時間をあまり気にせずに薬を飲むことにしている。
とはいえ、飲んでも効きにくくなってきていることもたしかだ。

■書くこと、演奏すること、人とかかわること、そして統合

現代朗読協会の立ちあげ(特定非営利活動法人としての許認可)が2006年。
旗揚げ公演をはじめとして、世田谷文学館との共同事業を区内の小中学校での朗読公演としておこなったり、区内外の学校や福祉施設でのワークショップやボランティア活動など、双方向の社会交流活動を意識的に多くおこなってきた。
それは現在もつづいているが、とくに2011年の東日本大震災をきっかけとして社会活動としての朗読・音読ワークをたくさんおこなうようになった。

その年には現代朗読協会の活動の成果のひとつとして『音読群読エチュード』を書籍化したほか、スピンアウト組織として音読療法協会を立ちあげることになった。
これは現在も活発に活動している。
とくに音読トレーナーや音読療法士の育成に力をいれていて、有資格者が各地で社会貢献活動や独自の音読療法の活動を展開している。

私個人としては、現代朗読の演出や公演プロデュースなどに力をいれてきたことはもちろんだが、暗闇での音楽演奏をふくむ「音楽瞑想」「ディープリスニング」などのコンサートや、その延長線上にある「沈黙の朗読」ライブをほぼ途切れることなく継続的におこなってきた。
そのことで私独自のオリジナルな表現の形や方法が作られてきたという実感がある。

多くのオーディエンスを集められるような、大ホールでおこなえるような一般的で商業的な内容ではないが、静かに深く自分自身と共演者と観客のみなさんとつながり、響きあってくることができたと思っている。

書くこと、演奏すること、人とかかわること、個人的な表現、グループ表現、さまざまな活動をしていると、人からはよく、
「水城さんはなにが本業なんですか」
と訊かれることがある。
そう訊かれていつもこたえに詰まってしまうのは、私のなかではそのような問いは存在しないからだ。
問いも答えも存在しない。
なにが本業ということはない。
そもそも「業」という意識もない。

私はただ私を生きている。
その生きかたが大きくぶれたり、迷ったりしたことは何度もあるが、いまはない。
すべてが統合され、ひとつの流れとなっている。

どんなふうに統合されているのか、それを知ってもらいたくて、このテキストを長々と書いてきた。
つぎの項がこのテキストの最後になる。
もうすこしだけお付き合いいただきたい。

2020年1月26日日曜日

メルマガ「水城マガジン」の配信を再開しました

しばらくお休みしていた個人メールマガジン「水城マガジン」の配信を再開しました。
各種お知らせや個人的な話のほか、小説やエッセイなど、ブログだけでは書ききれないまとまった読み物の連載をしていきます。

配信登録はこちらからどうぞ。

以下、配信再開したメルマガの冒頭に書いたことです。


ずいぶん間があいてしまいましたが、ひさしぶりに水城マガジンを発行します。
ひょっとして2020年になって初めて?

白状すると、水マガはもういいかな、と思っていたところがあります。
いろいろなラインから情報発信しているので、内容がかぶってしまうこともあり、水マガもブログも読んでくれている人や、フェイスブックやツイッターでもつながっている人にはうざったい思いをさせてしまっているんじゃないかと想像することがしばしばでした。
私自身、あちらにもこちらにも配信するのがわずらわしく感じることがあり、どこかに一本化できるといいのになと思っていました。

しかし、いろいろ意見を聞いてみれば、ある人はフェイスブックしか見ないし、ある人はツイッターが中心、ある人は「最近はインスタに力をいれている」とかいうし、ある人はいろいろありすぎてメルマガしかチェックしないといいます。
すべての人の便宜を配慮するのは不可能といっていいでしょう。

インターネットもいずれもっと使いやすくなるのかもしれませんが、いまはさまざまなサービスが混沌としていて、まだまだ未成熟なメディアの観があります。
情報発信するにしても、まだまだ試行錯誤がつづきそうです。

そんななか、やはり私となんらかの縁があってメールという形で直接つながっているみなさんとの関係は大切にしたい、メルマガをもうすこしうまく活用したいと思いなおしているところです。

私はもっとも古い発信媒体としてブログを中心にまとまった情報発信をしていますが、それ以外にもフェイスブックやツイッターでより気軽な、即時性のあるトピックを流してもいます。
またYouTubeでは動画も配信しています。
こういった雑然とした情報をメルマガに集約します。

このようにみなさんとお付き合いできるのはあと何か月でしょうか。
ご存じのように私のガンもいよいよ末期を迎え、体調もすこしずつ変化しています。
いつ急激な体調変化がやってくるかわかりません。
そのことを承知いただいた上で、できるかぎり楽しく有用なメッセージを発信しつづけていきたいと思っていますし、みなさんにもお付き合いいただければありがたいです。

春野亭日乗 1月25日(土)ゼミ、大切なつながり、楽しい時間、北陸への移動

午前中は現代朗読ゼミを開催。
8名の参加予定だったのだが、あけてみれば体調不良その他で4名から当日不参加の連絡が。
とくに若手全滅。
一方、世田谷や神奈川の遠方からはるばる来てくれた人も。

いつもの冨田さん、元ゼミ生のまゆみさんのほか、今日はダーさんこと島田啓介さんがわざわざ来てくれた。
ダーさんは私が現代朗読の体系を整えたり、NVCの理解を深めるのに大変影響を受けたティク・ナット・ハン師の本の翻訳者であり、日本のマインドフルネスワークのファシリテーターの第一人者としても知られている人だが、私にとってはいつも示唆に富むメッセージを発信しているすぐれた書き手であり、表現者としてのおなじ仲間と勝手に思っている。
同年代の人でもある。

ダーさんと私、そして冨田さんという、同年代のおじさん3人が集っためずらしいゼミとなった。
いろいろな話ができて、本当に楽しかった。
もちろん現代朗読についてもお伝えし、いっしょに基礎練習をやってみたり、みんなでおなじ詩人の詩を朗読したのも楽しかった。

終わってからみんなで近所の〈春崇結〉に行き、名物の海鮮丼やまぐろ丼(税込900円)をいただきながら、さらにいろいろな話を。

名残惜しくお別れしてから、私はひとまずひと休み。
じつは昨日からあまり調子がよくなかったのだが、楽しかったのと、ゼミでは野々宮が基礎練習のリードをしてくれて乗りきっていた。

しばらく眠ったらだいぶ元気になったので、午後4時すぎ、車で出発して北陸の実家に向かう。
車の運転は楽で、途中でトイレ休憩と仮眠休憩を何度か取ったほかはほとんどまっすぐ走って、中央道、名神、北陸道経由で、無事に帰着。
岐阜から山越えで越前にはいるルートもあり、距離も料金も時間も短かったのだが、ずっとまっすぐ走っていられるだけの高速道路優先ルートで今回は帰省した。

2020年1月24日金曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(25))

多摩総合医療センターで看護相談というのを受け、今後どのようにするのがいいのか、いくつかの提案をもらった。

医療センターは治療のための病院なので、治療をしない、という選択をした患者に対してはやれることがなくなる。
と書くと非常に冷たいようだが、病院の機能がそのようになっている西洋医学の医療としては、当然のことなのだろう。
しかし、治療をしない選択をしても、病状は進行するし、苦痛もあるので、それに対処するための機能をそなえた施設がある。

緩和医療とかホスピスと呼ばれている。
とくにホスピスは在宅で対処できなくなった患者が入院する施設で、待機患者が多い。
そのため、看護相談ではいまのうちから早めに患者として登録しておいたほうがいいとアドバイスされた。

ホスピスだけでなく、訪問医療や訪問看護をおこなっている近所の医療施設ともつながっておいたほうがいいといわれた。
介護保険の申請もしておくといい、とも。

「終わり」に向かって急にものごとが動きはじめた観が、私にしてみればある。
病院にしてみればよくあることなのだろうが。

実際の生活は、痛み止めの薬が手放せなくなったほかは、とくに支障がない。
疲れやすくなったとか、強度のある運動ができないとか、人ごみのなかへは出かけにくくなったとかあるが、まだ自分のペースで活動はできている。

■オーディオブック、朗読研究会、現代朗読協会

ケータイ電話向けのテキストコンテンツを製作・配信する会社としてスタートしたアイ文庫は、まもなくラジオ番組の製作・配信会社へと方向転換した。
しかしそれだけでは充分な収益はなかったので、ほかにも収益確保の道を模索しつづけていた。

そのひとつが、オーディオブックの製作だった。
どっちみちラジオ番組を収録しているんだから、朗読本を収録してネットコンテンツとして配信・販売してはどうか、ということだった。

高橋恵子さんをメインパーソナリティとしてスタートしたラジオ番組だったが、そのうち独自番組も作るようになった。
が、出演者にギャランティーが払えるほどの収益はなかった(というよりほとんど持ち出しだった)ので、高橋さんに声優やナレーターの新人や卵を紹介してもらって、勉強や経験のためにノーギャラでもいいという人たちに出演協力してもらった。

番組は音楽だけでなく朗読のコーナーも好きなように作った。
新人や卵のなかには相当読める者も何人かいて、そういう人に声をかけてオーディオブックの収録にも協力してもらった。

最初はみじかい小説やエッセイを、やがて長編小説にも挑戦するようになっていった。
いずれも著作権の切れた古いテキストばかりだったが、たとえば夏目漱石の作品などはなかなか読みごたえ・聴きごたえのあるオーディオブックになった。

「文鳥」「変な音」「坊っちゃん」「夢十夜」「吾輩は猫である」といった漱石作品を皮切りに、芥川龍之介や太宰治らの作品を次々と収録していった。
これを「アイ文庫オーディオブック」としてブランド化し、たんなる「耳で聴く本」ではなく、朗読者の表現クオリティを追求した「朗読作品」としてリリースする、また編集や音楽もオリジナルを用いて高いクオリティを確保することを心がけた。

ちょうどそのころ——2005年ごろ——アメリカからアップル社の iPod と iTunes music store という「黒船」が日本に上陸し、大騒ぎになっていた。
その影響のひとつとして、オーディオブックを製作する会社が次々と生まれていたのだが、アイ文庫はどこよりも表現クオリティを重視していて、独自の存在感を持っていたと思う。

そういった表現クオリティを確保し、さらに磨きをかけるためには、朗読者の独自育成にも関わりを持たざるをえなかった。
まずはナレーターや声優の卵たちに声をかけ、朗読の研究と実践のための定期的な勉強会を立ちあげることになった。
これが2006年に現NPO法人「現代朗読協会」が生まれるきっかけとなった。