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2020年3月9日月曜日

水城ゆうロングインタビュー Vol.1 自分を愛するということについて



ピアニスト/小説家で朗読演出家/オーディオブックプロデューサーでもある水城ゆうのロングインタビュー、その第一弾。

インタビュワーは栗山のぞみ。

「自分をなんのジャッジもなしに愛する」ということの難しさについての問いかけに応じ、水城の経験やかんがえていることを述べています。

話 talk : 水城ゆう MIZUKI Yuu
聴き手 interview : 栗山のぞみ KURIYAMA Nozomi

制作 produce : アイ文庫 iBunko
編集 edit : ジューシーラボ Juicy Lab.

2020年2月26日水曜日

満たされようが満たされまいがニーズを知ることが生きる質を変える

共感手帳術の目的のひとつが「マインドフルネス」だが、それを実現するためのかんがえかたのひとつに、
「過去の失敗や後悔、あるいはまだ起きていない未来への希望や不安から、いまの自分のニーズを理解する」
というものがある。

いまこの瞬間に集中しようとしても、過去の体験や記憶が邪魔したり、まだ起こってもいないことの妄想がノイズとなって去ってくれないことがある。
「雑念」などと呼ばれることもある。
これらは自分がきちんと向かい合えていない「満たされていないニーズや感情」のしわざだ。
ノイズとなっている記憶や妄想を書きだし、それらの奥にある自分のニーズを明確にできたとき、ノイズはニーズという生命活動の源泉に変化する。

過去や未来はあいかわらず現在を浸食しようとやってくるけれど、いったんニーズを明確化できたノイズはすばやく処理することができる。
無数のノイズをそうやってつぎつぎと処理してしまうこと、書きだしてしまうこと、そして自分の活動の源泉をたくわえ、日々活力をもって行動すること、これが共感手帳術の醍醐味だ。

マインドフルネスというと、私もそうだったが、「いまここ」に集中することによって「刹那的」になり、過去の反省も未来の計画もなにも放りだしてしまわなければならないと思ってしまうことがあるが、実際にはちがう。
ヒトは他の動物とちがって、過去の自分のおこないや、未来にたいする希望や計画から、現在の自分を省みることができる唯一の生き物といってもいいだろう。

現在の「生」のクオリティは、この「省みる」ことの質に左右される。
まさに「省みる」ことの質が個々に問われるのだ。

オンラインチームツールSlackを使ってNVCの練習を習慣化するためのツール共感手帳術を使う仲間たちの交流の場のためのオンラインミーティングです。どなたも自由にご参加ください。3月4日(水)20時から約1時間。

2020年2月17日月曜日

自分の痛みは人にはわからないし人の痛みも私にはわからない

食道ガンの転移による腰痛と腹痛がひどくなって、だんだんできることが限られてきた。
まず運動ができない。
これは困る。

かるい運動もやりにくい。
たとえばウォーキング。
みじかい距離でも、歩くのが大変だ。
痛み止めがあるていど効いていると、しばらくは歩きはじめられるのだが、やがて腰痛と腹痛におそわれ、立ちどまらざるをえなくなる。
身体をまげて、痛みをしばらくやりすごす。

身体をのばした状態でいることができないのだ。
なので簡単なストレッチのようなものや、武術の稽古もできない。
私がやっている韓氏意拳という武術は、稽古の中心が「站椿(たんとう)」というほとんど動かない型稽古なのだが、それでも身体を起こしていられないとできない。

身体を曲げた体勢なら活動にはあまり支障ない。
座った状態なら、執筆作業もピアノ演奏も運転も、これまでと変わりなくできる。
ただ、痛みが強くなると集中力ははっきりと減退する。

ようするに痛みさえなければいろいろなことがうまくいくのだ。
ところが、なぜか痛みはがまんすべき、多少の痛みは無視できるだろう、薬はなるべく飲まないほうがいい、という価値観に心底支配されていることに気づく。
医者で薬を処方されても、痛みががまんできなくなるまで飲むことをためらう。
薬は悪だ、痛みががまんできないのは自分が弱いからだ、という心理が無意識に強く働いているらしい(なんらかの教育のたまものだろう)。

人からすすめられた民間療法もいくつかためしてみたけれど、痛みをともなうもの、あるいは痛みがあるとできないものは、できないし、無理にやるとダメージが大きい。

「痛みは身体の声」という意見があって、それはそれである程度の健康状態では正しいし、きちんとそれを見なければ、付き合わなければという思いも強くあるのだが、進行性の悪性腫瘍に侵されている身としてはべつの対応も必要になると割り切ることが、いまの自分を大切にすることになる。
私のこの痛みは、人からどのようにいわれたところで、その人にはけっしてわからないものなのだ。

ついでにいえば、肉体的・物理的な痛みのほかに、心理的痛みにもあてはめられることが多い。
こころの痛みは無視したり無理することなく、それときちんと向きあう必要があるが、その対処法は一筋縄ではいかない。
きちんと見れば原因=ニーズがクリアになる痛みは対処できるし、また対処をだれかに手伝ってもらうこともできる。
しかし、深い痛み、原因がよくわからない強い痛み(トラウマなど)は、うかつに手を出すとダメージが大きくなることがある。

悪性腫瘍のようにうかつに治療しようとすると、かえって全体のバランスをくずしたり、いちじるしくそこなってしまう。
治癒がむずかしい病巣は、乱暴にそれ本体を取りのぞいたり引っかきまわしたりするのではなく、そこから生まれる痛みそのものに対処することがまずは必要だろう。
そのための方策はさまざまにある。

2020年2月8日土曜日

人にとっての幸せとはなにか

抽象的な問いであり、答えも人それぞれであり、また抽象的な答えになりがちだが、私なりに明確にしておきたい。

「幸せでない」と感じるのは、生命の危機、さまざまな社会的不安にさいなまれているときだろう。
人はまず、自分やまわりの人々が安全であり、また安心して生きていられることを望む。

自分や人々が過不足なく生きていく安全があり、安心できる環境にいるとき、人は幸せを感じるのかもしれない。
現代社会において、だれかから攻撃される心配もなく、経済的余裕もあり、健康で、やりがいのある仕事を持ち、だれに遠慮することなく自分の楽しみを追求する時間を持てる、そんな人は幸せなのかもしれない。

しかし、たとえば私のように死期の迫る末期ガンを抱え、日々痛みと対処する必要に迫られるような健康に問題がある人間は、幸せではないのだろうか。
思ったような仕事につけず、経済的にも苦しい生活を送っている人は、幸せではないのだろうか。
友だちも少なく、孤独な毎日をすごしているような人は、幸せではないのだろうか。

そういう人のなかにも、幸せな人はいるのではないか。
げんに私がそうであるように。

人には自分がこうありたいという望み(ロンギング)や、大切にしていること(ニーズ)がある。
それが満たされると安心できる。

たとえば、職場で自分の能力を発揮し、会社の経営に貢献することで、自分も安定した生活を送れたり、同僚と信頼しあえる関係を築くことで豊かなつながりのある人生を送れていると、幸せを感じるかもしれない。
しかし、それが満たされていないと不幸なのだろうか。

私はニーズが満たされている/満たされていないは、人の幸せとは関係がないとかんがえている(感じている)。
幸福感と関係があるのは、満たされていようがいまいが、そのニーズを自分が明確に把握しているかどうかだ。

上の例でいえば、まだ自分の能力が発揮できず、充分に貢献できていないとしても、自分には「能力を発揮して貢献したい」というニーズがある、それが明確になっていて、自分がいきいきと闊達な状態であるかどうかが重要だ。
ニーズが満たされていなくても、そのニーズを満たすために自分がどれだけいきいきと行動したり計画を立てたりできるかどうか。
ニーズを満たすためにどれだけ狙いすましたハンターのようになれるかどうか。
その状態こそが、人の幸せを左右するのではないだろうか。

私は末期ガンを抱え、日々痛みと闘っていて、そのこと自体は厳しいが、満たしたいニーズがあり、それを満たすために取れるあらゆる手段について虎視眈々と狙っている。
そのプロセスを日々味わい、楽しんでいる。
これが私にとって幸福な日々といわずしてなにをかいわんや、なのだ。

2020年1月17日金曜日

共感手帳術講座が月単位のコミュニティ型に変更

水城ゆうが主催する各種講座、ワークショップ、勉強会などのコミュニケーションの場を、オンラインのチームツール「Slack」に集約していますが、単発で開催してきた共感手帳術講座も継続型の学びの場としてあらたに参加者を募集しています。

これまでどおりオンラインでの勉強会ミーティングはZoomを使って月に何度か開催しますが、それ以外にもSlackを使ってこまかなフォローをしたり、スキルやツールのシェアをしていきます。

以下に共感手帳術講座の内容を簡単に説明します。

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私たちは日常生活のなかで、あるいは仕事中に、さまざまな「気がかり」を抱えていて、それがたえず念頭に浮かんできてしまうので、いまやっていることに集中することができません。

また、自分が本当はなにをしたいのか、いまのままでいいのか、もっと自分らしくいきいきした場に移行したいのではないか、などと悩んでいる人もいます。

いずれも、自分の本来持っている能力、パフォーマンスをいちじるしく低下させたまま、本当のニーズに気づかないままやりくりしています。
できるだけもやもやのない、「いまここ」に集中できる状態に自分をもっていくために「エンパシーノート」を活用することがとても有効です。

「エンパシー」とは日本語で「共感」、「ノート」とは「手帳」という意味です。言い換えると「共感手帳」という意味なの7月24日〜:オンライン共感手帳術講座ですが、自分に共感をしていく習慣を手帳をつかい自然とできるようになることを目標にしています。
つまり、この手帳術を身につけることで、自分自身を生きながら人生という荒波を乗りこなすことができるようになり、人生を味わいながら楽しむことができます。

◎内容
 Slackで質疑応答、交流、資料配付など、必要な措置をおこないます。
 また安心できる学びの場としてのコミュニティをはぐくみます。

◎オンラインミーティング日程
 月に2〜3回を予定しています。
 今月はつぎのとおりです。
  2020年1月17日(金)20:00〜
  1月23日(木)20:00〜
 それぞれ約1時間の予定です。

◎参加費 月額制ドネーション(基準額3,000円)

◎参加方法 オンライン(zoomというシステムを使います)
 参加申し込みの受付メールでアクセス方法の詳細をお知らせします。

※申し込みとお問い合わせはこちら

春野亭日乗 1月16日(木)ひさしぶりの共感編物カフェ

下腹部痛で歩きにくいけれど、がんばって早朝からウォーキング。
1日でなんとか1万歩達成。
痛み止めが下腹部痛にあまり効かないのがちょっと困る。

午後、共感編物カフェの前に個人セッションをオンラインでひとり。
15時から共感編物カフェをひさしぶりに開催する。
といっても、みんなでただ(オンラインも含めて)集まっておしゃべりしながら編物やら好きな手仕事をするだけなんだけど。

編物カフェで大切なことは、自分の手仕事にちゃんと集中しながら、マインドフルに自分自身といっしょにいつづけ、自己共感しながらほかの人の話も共感的に聴く、ということで、これはじつは非暴力コミュニケーション(NVC)的には高いスキルが要求される。
その練習の場といってもいいが、ただだまって手仕事しながらその場にいつづけるだけでもかなり練習になると思われる。
実際私もなにかしようとか、だれかの話に共感しなければ、なんてことはまったく思わず、ただその場にいて基本的には編物を楽しんでいるだけだ。

もちろん編物のやりかたを教えあったり、編み方などの情報交換をすることはある。
それも楽しいし、ただ身の上話を聞き合うだけの時間もある。
昨日は阪神淡路大震災の話から東日本大震災の話になり、仙台からオンラインで参加していたなおこさんの経験を聞かせてもらったりもした。

また、偶然共通の知り合いがいたり、共通の興味があったりと、思いがけない話題で盛りあがったりもした。
私は靴下を半足、ほぼ編みあげることができた。

次回の共感編物カフェは2月10日(月)の開催を予定しています。
参加申し込みはこちら

2020年1月2日木曜日

共感手帳術の仲間たちオンラインミーティング(初回)

非暴力コミュニケーション(NVC)を練習するための習慣——くりかえす「練習するための習慣」——を身につけるには、いくつかの方法があるが、とくに私の場合、毎日使う手帳を用いることが有効だとかんがえている。
それが共感手帳術だが、練習の習慣を身につける——習慣化する——というのは、それを身につけ実践するのに時間がかかったり、自分なりのコツが必要だったりする技術の場合、とても大切だ。

たとえば武術がそうだ。
毎日稽古すればよいとわかっていても、そもそも毎日稽古する習慣がなければいつまでたっても上達することはない。
しかし、月に一度か二度、講習会に通っていると、自分ではわかったつもりになって、あたかも身についているかのように思いこんでしまうことがある。
NVCもそうで、長年勉強をつづけ、多くのワークショップやリトリートに参加していても、日常のなかで実践できているかというとはなはだ疑わしいという場合がある。

そのための実用的な方法のひとつとして、私は共感手帳術という方法を提唱している。

これは基本的にひとりで実践するものだが、仲間がいるともっと楽しい。
お互いに手帳を見せあったり、疑問点を話しあったり、進捗状況を報告しあったり。
そんな共感的な場を、オンラインでも作れないかとずっとかんがえていたのだが、年があらたまったいま、Slackというオンラインチームツールを使って場を作ってみることにした。

その前に、そのガイダンス的な気楽なミーティングを開催するので、興味があるかたは気楽にご参加いただきたい。
ミーティングでなにをするかというと、そもそも共感手帳術とはなにかを知らない人には簡単に説明したり、すでに学んだことがある人には今後の展開について話し合ったり、チームツールを使ってどのようなことがやれるのかを説明したり、といったことだ。

参加は無料だが、申し込みが必要なので、以下のリンクから申し込みフォームに書きこんで手続きしていただきたい。

◎日時 2020年1月11(土)18時から約1時間

◎参加方法 オンライン
    zoomというシステムを使います。
    パソコン以外に、スマホ、タブレット端末などでも参加できます。

◎参加費 無料
    参加人数にかぎりがあります。
    定員に達ししだい締め切らせていただくことがあることをご了承ください。

◎申し込みはこちら

2019年12月31日火曜日

共感手帳術コミュニティ

いよいよ大晦日となった。
みなさん、手帳の整理はしているだろうか。
私は長年の手帳愛用者で、普通の手帳からノート、システム手帳、電子手帳などなど、ずっと使いつづけてきて、年末年始にはその選択と整理をすることが楽しみのひとつになっている。

今年はiPadで使えるデジタル手帳のすぐれものを見つけて、もっぱらそれを愛用している(写真参照、共感手帳術とはちょっと関係ないけど)。
「Planner」というアプリで、いまのところなかなか気にいっている。

共感手帳術仲間のオンラインコミュニティを作ろうと思っていて、年明けになんとなく集まってミーティングをする予定がある。
日程はあらためて発表するが、土日のどこか、サクッと1時間くらいをかんがえている。
共感手帳術に興味があるかたはどなたも歓迎、ご参加いただきたい。

2019年11月28日木曜日

親密な者からの命令やアドバイスの強要に対処する

とくにステージⅣのガンであることがわかったときから(またそれを開示したときから)、さまざまな人からさまざまな情報やアドバイスが寄せられた。
またそれは現在進行形でもある(いまもたくさん個人メッセージをいただく)。

ガンでなくても、普通に生活していれば、人は家族や友人からさまざまなアドバイスをもらったり、ときには命令されたり、なにかを強要されることはある。

私の場合、
「すぐに○○という医者に行け」
「○○という治療法を受けろ」
「これを食べろ、あれは食べるな」
など、いろいろな指示を個別に受けた。
オープンなメッセージやコメントでいってくる者もいるが、たいていはメールやダイレクトメッセージなど、個人的に直接いってくる場合がほとんどだ。

そんなとき、こちらの気持ちはとても揺れる。
不安をあおられるような気になることもある。
そのことで相手に怒りを覚えることもある。
「ほうっといてくれ」
というわけだ。

私は自分の自主性を大事にしている。
自分自身の選択を大事にしている。
自由や平和を望んでいる。
情報や手助けが必要なときは、こちらからそうお願いするよ。
それを土足で踏みにじられるような気がして、気持ちが激しく揺れ動くのだ。

命令という強い語形でなくても、こちらの気持ちをおもんぱかった、気遣いに満ちたやんわりとしたメッセージが送られてくることもある。
しかしそこには結局、
「こうしたほうがいいよ」
という、強要の感じがひそんでいることが多い。

しかしそういう人たちにもなんらかのニーズがある。
まずは私のことを心配してくれている。
なんとか役に立ちたいと思ってくれている。

関係が私と近ければ近いほど、親しければ親しいほど、私に向けられるメッセージは強いものになりがちだ。
たとえば家族、たとえば親友、たとえば同僚、たとえば同級生。
そこに上下関係がふくまれていたりすると、さらに強要感はつよくなりがちだ。
家族でも親や曾祖父など年上・目上の人。
職場だったら上司や雇用主、客先など。

こちらの役に立ちたいと思う気持ちが、さらに走って、たんなる自己表現や自分の意見の押しつけになってしまう人もいる。

そんなとき、こちらはどうすればいいだろう。

まずは自分と相手を切りはなすこと。
自分には自分の大切にしていることがあり、また相手にも相手の大切にしていることがある、ということを再確認し、自分自身にまず立ちもどる。
自分が大切にしていることをあらためて把握しなおす。
上に書いたような自主性、選択、自由、平和といったようなニーズ(価値観)だ。

相手もなにかを大切にしている。
なにを大切にしているのだろうか。
こちらに命令したり、強い調子でアドバイスしたり、気遣いたっぷりに有用だと思っている情報をお腹いっぱいになるくらいたくさんくれたりする、そのニーズはなんだろうか。
それを想像してみる。
相手にも相手のニーズがあるのだ。

ありがたいことではないか。
こんなにも心配してくれる人がいる。
こんなにも私の役に立ちたいと思っている人たちがいる。
それに感謝しつつ、自分は自分の揺るぎない立ち位置を確認し、落ち着く必要がある。

必要ならば助けを求めることもできるし、情報を受け取ることもできる。
しかしそれは、こちらが落ち着きを取りもどし、ゆとりをもって自分の選択ができるようになってからだ。
まずは、
「心配してくれてありがとう」
と伝えよう。
そして自分の揺るぎない選択肢を確認しよう。
選択に迷うときは信頼できる相手にそれを伝え、自分自身の選択にたどりつくための手助けをお願いすればいい。

結局のところ、私もあなたも自分の人生を生きているのだ。
いまこの瞬間という自分の時間を、自分で選びとって生きているのだ。

2019年6月27日木曜日

「筆記」のパワー/書く習慣で毎日をクリアにすごす

最近——にかぎらないかもしれないが——書くことがあらためて注目されている。
仕事のこと、自分の人生や日常のこと、心の問題、人間関係など、書くことがさまざまな問題を解決することに力を発揮する。
それは書くことを仕事として毎日あたりまえにおこなってきた私でも、あらためてそう感じる。

仕事というが、そもそも書くことを仕事としてはじめたわけではない。
小学生のころの作文や日記からはじまって、手帳、メモなど、二十代後半に職業作家になる以前からずっと書きつづけていた。
書くことが好きだったともいえる。
いまもそうで、仕事であろうがなかろうが、毎日なにかしら書いている。

書く習慣が身についていない人がいたとしたら、ぜひとも、いまからでもいいので、身につけるといいと思う。
それは人生にパワーをもたらしてくれる。

こころの問題の分野でも書くことの効果は注目されている。
たとえば『筆記療法』という本がある。
サブタイトルに「トラウマやストレスの筆記による心身健康の増進」とある。
レポーレとスミスという外国人が書いた本だが、日本語に翻訳されている。
筆記すること、つまり書くことが、こころの療養になるという内容の本だ。
たしかに書くことにはそういう面があると思う。

書くというのは、自分の思考を整理し、言語化して明らかにする、ということでもある。
私たち人間は発達した大脳を持ち、いつもなにかしらごちゃごちゃとかんがえている。
自分でもつかみかねるほど、絶え間ない思考が浮かんでは消えていく。
大切なことがらも、どうでもいいようなつまらないことも、自分の行動をさまたげるような思いこみやジャッジも、ごちゃまぜになって頭のなかに存在している。
それを書きだして整理することで、自分がなにを大切にしていて、どんなことが必要なのか、なにができるのかをクリアにしていくことができる。

書くことによって、非暴力コミュニケーション(NVC)のプロセスをテキストをもちいておこなうこともできる。

NVCのせよ、現代朗読などの表現行為にせよ、ともかく書くことによって私は自分の理解を深めたり、考え方の整理をしてきた。
とくに重要なのは、経験したことを書きだし、整理し、ニーズを明らかにし、理解を深め、可能性や自分が進みたい方向を見極めることだ。
私はこれに多大な時間をついやしてきた。

たとえばNVCひとつをとっても、まずだれよりも多くの時間を書くことについやしてきたと自負している。
共感カフェなどで人の話を聞き、話し合い、実際に体験したことを、ひとりの時間を使って書きだし、整理し、理解を深めることをおこなってきた。
書くことでものごとの理解を深め、自分のものにしてきた実感がある。

書くことでNVCの練習をしたり、自分自身につながって毎日を明確にしたり、テキストコミュニケーションで人とつながる方法を身につけたりするのが、「共感文章講座」だ。
また、私が日々、自分の整理のためにおこなっている手帳に書きだす方法は、「共感手帳術講座」になっている。

この課程で生まれてきたテキストや音声コンテンツをオリジナルコンテンツとして出版していく方法も、「自力出版講座」となっている。

これらのもとになっている私の経験が、ただ個人的な経験としてだけでなく、みなさんの役に立てるといいなというのが、私の人生の終盤の願いのひとつとなっている。
ぜひご参加いただき、直接私から受け取ってほしいと思っている。

2019年6月25日火曜日

共感文章もしくは共感手帳術のプラクティス「ニーズの遠景、近景、体景」

NVC(共感的コミュニケーション)でいうところの「ニーズ」は、「いまこの瞬間」の自分の身体的実感につながっている必要性や価値観、大事にしたいことをつかむことが基本だ。
ニーズは観念やイメージ、思考の産物ではないということだ。
これはとても重要なポイントで、論理的な理解が容易なNVCの学習者がおちいりやすい罠でもある。
思考や観念的なイメージで「自分のニーズはこれだな」と言語化できてしまうのだが、本当にそれがリアルな身体的実感とつながっているのかどうか、つまり自分自身へのリアルな共感としてあるものなのかどうかを見極める必要がある。

とはいえ、人は社会的な存在でもあり、現代文明という極度に人工化された空間と社会システムを生きている。
「いまこの瞬間」の生命存在の必要性から発展し、延長されたさまざまな社会化されたニーズもまた、人の行動を決定し、いきいきさせることも事実だ。

自分のニーズがどのレベルにあるのかを見極め、分けてとらえるために、「遠景のニーズ」「近景のニーズ」「体景のニーズ」という定義を提案しておきたい。

「遠景のニーズ」
とは、自分がこうありたい、こういうことを大切にしている、このような世界を生きることを望んでいる、人間関係や社会システムや環境がこのようになっていくことを大事にしている、というようなことだ。

「近景のニーズ」
とは、いますぐではないけれどこれはいずれ実現したい、学んだり身につけたりしてこんなことができるようになりたい、近いうちにここに行ってみたい、こんな楽しいことをやってみたい、というようなことだ。

体景は造語だが、体感覚がしめす「いまこの瞬間」のニーズのことで、空腹を満たしたい、安全を確保したい、知りたい、つながりたい、清潔でいたい、そういったことを「体景のニーズ」ということにする。

このプラクティスではそれぞれのニーズについてタイムスパンを設定して、自分の行動や将来的なありかたを記述し、そこにあるニーズを明確に押さえてみることを試みる。
時間軸のなかで変化するニーズを明確にしておくことで、自分の進みたい方向がはっきりしたり、いまこの瞬間の選択肢がクリアになったりするだろう。

(以下、具体的なプラクティスにつづく)
(興味があるかたは共感文章講座または共感手帳術講座に参加してみてください)

7月4・11日:オンライン共感文章講座(Text NVC)
メール、ブログ、SNSメッセージなど、文章(テキスト)でのコミュニケーションでお互いに共感したりつながりを作るための表現方法を学び、練習するための講座です。2日連続、それぞれ夜2時間ずつ。

7月24日〜:オンライン共感手帳術講座
毎日使う手帳を用いて自分がなにを大切にしているのか、なにが必要かを明確にしていき、日々を有効にいきいきとすごすための術を身につけるための短期集中講座です。

2019年6月8日土曜日

ひさしぶりの共感文章講座

オンラインの共感文章講座を前半と後半の2回に分けて、ひさしぶりに開催した。
定員いっぱいのご参加をいただき、感謝。

前半が「自分を読むために書く」、後半が「自分を伝えるために書く」というテーマでおこなった。
いずれもNVCをベースにしているが、私独自の工夫も加えてある。

前半は「自己共感」を書くことによって練習し、強化する方法。
NVCといわなくても、人は生きていく上で、個々人がまず自分自身を把握し、理解し、きちんと見つづけていられることが重要である。
自分自身の輪郭があいまいなままだれかに役にたとうとしたら、ものごとに対処しようとしても、うまくいかないことが多い。
まずは自分自身のニーズを明確にし、いきいきとマインドフルに自分を発揮できる状態にある必要がある。
そのための練習方法がさまざまにあるが、私は「書く」ことを習慣づける方法をおすすめしている。

そんなことをみなさんとシェアした。

実際に書いてみると、予想していなかった発見があったり、効果が感じられたようで、みなさんからの反応がいろいろあっておもしろかった。

後半は自分を伝える方法。
だれかに自分を伝えるためには、相手が受け取りやすい形にしておく必要がある。
リアルタイムコミュニケーションでもテキストコミュニケーションでも、それはおなじことだ。

参加者全員がびっくりし、興味を持ってくれたのが、つぎのような原則。
「相手に自分を伝えるときには、感情とニーズのことばは使ってはいけない」
メッセージを相手が受け取りやすくするための原則だ。
これは小説家として仕事してきた私の長年の経験と学びから得た原則である。
なかなかひとことで説明するのはむずかしいので、興味がある人は受講していただきたい。

いずれにしても、みなさんといきいきした学びの場を共有できて、私自身とても楽しかった。
あらためて気づいたこともたくさんある。
ご参加いただいたみなさんに感謝したい。

今回、ご好評をいただいたようなのと、参加機会をのがしたかたのために、また来月も開催します。

7月4・11日:オンライン共感文章講座(Text NVC)
メール、ブログ、SNSメッセージなど、文章(テキスト)でのコミュニケーションでお互いに共感したりつながりを作るための表現方法を学び、練習するための講座です。2日連続、それぞれ夜2時間ずつ。

2019年6月5日水曜日

「書く」「文字化(可視化)」することの威力を知ってもらいたい

自分が物書きだからいうわけではないのだが、「書く」という行為にはかなりパワフルな効果がある。
逆に、物書きなので書くことがあたりまえの行為になっていて、あらためてそのことに気づくことができなかった、ということがある。
あらためて「書く」という行為を見つめなおしたときに、気づいたことがたくさんあるので、それについてみなさんにシェアしたいと思っている。

NVCのセッションで、
「なんとなくもやもやする」
「なんのために生きているのか、どう生きていけばいいのかわからなくてつらい」
「自分のことがよくわからない」
「いくつかの選択肢があって決断がつかない」
というような悩みをしばしば聞くことがある。
そんな人がいたらまずは共感的に話を聞くことがNVCの基本だが、話を聞いてくれる人がだれもいないとき、そんな人はどうすればいいだろう。

自分のニーズがわからず、つまり行動が明確にならないときには、たいてい、ぐるぐるした反芻思考におちいっていることが多い。
自分の「かんがえ/思考」にとらわれてしまって、ニーズがわからない、すなわち自分につながれない状態にあるといっていい。

「自分はだめな人間だ」
「なにをやってももう遅い、こんな年になってしまってもう間に合わない」
「人づきあいが苦手だ、どうやって楽しく話していいかわからない」
「だれかに自分を理解してもらえる気がしない」

こんなかんがえがぐるぐる頭のなかをめぐって、打ち消してもまたそのかんがえが繰り返し浮かんできてしまう。

こんなとき役に立つのが、その考えを書き出してみることだ。
最初はばかみたいに感じるかもしれないが、自分でもくだらない、つまらないと思っている思考を、そのまま文字に書きだしてみる。
パソコンでもスマホでも、ノートや手帳に手書きするのでもいい。
ようするに自分のかんがえを文字という物理的なものに「視覚化」してしまうのだ。
なにかかんがえが浮かんでくるたびにそれをやってみる。

自分が書いた文字/文章をあらためて見てみると、頭のなかにある「思考」という抽象的なものが、具体的な形になって頭の外に出されたことがわかる。
書いてみるとわかるが、そのときいったん「反芻思考」は停止する。
視覚化/具体化されたので、もう反芻はしなくてすむからだ。

さてそこに書きだされた自分の思考=文字をあらためてながめてみよう。
そこにどんな自分の感情やニーズがあらわれているだろうか。

視覚化/具体化された文字を読む行為は、自分自身の思考から距離を置き、自分を客観視することになる。
自分をもうひとりの自分が俯瞰して見るような感じだ。
感情とニーズがとてもつかまえやすくなる。

なにか思考が浮かんだとき、それを書きだしてみる習慣を身につけること。
思考には後悔や自分自身への叱責や他人への怒り、恨みといったものも含まれているかもしれない。
なにか計画のようなものも出てくるかもしれない。
とにかくなんでも書きだしてみる。
そしてそれを客観視してみる。

書く習慣を身につけた者は、自己共感のための強力なツールのひとつを入手したことになるだろう。
書く習慣を身につける方法、そしてそれを客観視しそこから感情とニーズを明確にする方法、共感文章講座ではそんなこともシェアできればと思っている。

6月6・7日:オンライン共感文章講座(Text NVC)
メール、ブログ、SNSメッセージなど、文章(テキスト)でのコミュニケーションでお互いに共感したりつながりを作るための表現方法を学び、練習するための講座です。2日連続、それぞれ夜2時間ずつ。

2019年4月22日月曜日

YouTube:NVC「相手に怒りを覚えたとき」

名古屋天白〈アロマファン〉で毎月おこなっている朗読と共感のワークショップで、参加者の質問にこたえたものです。
相手に怒りを感じてしまったとき、それを共感的な態度に変換しなければならないと思いがちですが、まずは自分の怒りの感情にきちんと充分に付き合うこと。
そうすればその感情が生まれた原因であるニーズがクリアになり、ニーズを満たすためには怒りから任せた暴力的な手段ではなく、非暴力の手段がいくらでもあることに気づくことができます。

映像はこちら
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2019年4月16日火曜日

5万人に読まれている共感的コミュニケーションの本

先日、ふと思いたって、私が「自力出版」している電子書籍の統計データを見てみた。
このところの新刊はほとんどアマゾンKindleから配信していて、コンスタントに読んでくれている人がいるようなので、正確な数字を知りたくなったのだ。

とくに『共感的コミュニケーション』は2017版、2018版、2019版と、毎年つづけてリリースしてきたので、どのくらいの人が読んでくれているのか、知りたくなった。

もちろんKindle本は売れた数に応じて毎月アマゾンから振込がある。
それとは別に、サブスクリプション制といってもいい「unlimitted」という読み放題の制度もある。
これは月定額を支払った人、またはプライム会員向けに、対象になっている本なら無料で好きなだけ読める、というシステムだ。
私の本もこのシステムで読めるようにしてある。

Unlimittedの売り上げの計算方法は複雑で、ブラックボックスに近いのだが、ようするに定額会員やプライム会員から集まった総額をページビューに応じて各書籍ごとに分配率を算定し、著者にペイバックするというシステムだ。

こちらの数字が増えつづけていて、ダウンロード販売よりずっと多くの人が読んでくれている。
私の『共感本』の場合、3冊あわせて3万5千近い読者がいることがわかった。
Unlimitted制度がはじまる前の分と合わせれば、たぶん5万近くの人に読んでもらっているだろうと思う。

これはうれしいことだ。
活字本で3万部を売るのはかなり大変だ。
しかも著者印税は1割に満たない。
本を書くという労力に比して著者への報いはとてもすくない。

もうKindleでいいじゃないか、という気に充分になる数字だ。
どうしても紙の本がいいという人は、オンデマンドで印刷製本して送ってくれるサービスもアマゾンが提供しているので、それを使うこともできる。

なんだか明るい気持ちになってきた。
私・水城ゆうがこれまでリリースした電子書籍のリストはこちらにまとめてあるので、一度ご覧ください。

2019年4月15日月曜日

名古屋天白アロマファンでのウェルバ・アクトゥスWSがスタートした

2019年4月14日、午後。
名古屋市天白区にある水野生惠さんの民家スペース〈アロマファン〉で、現代朗読の群読グループ〈ウェルバ・アクトゥス〉のワークショップが開催された。

これまで月に一回のペースでおこなってきた共感的コミュニケーション(NVC)の勉強会「共感カフェ」の延長線上にあるものだが、NVCが朗読とどう関係があるの、と思われる方も多いのではないかと思う。

長年NVCの学びの場に関わってきて痛感するのは、
「身体感覚が大事、マインドフルネスが重要、いまここにある自分の身体が教えてくれる感情とニーズをとらえること」
とさまざまな講師やトレーナーがことあるごとに強調するのだが、それを聞いてもなかなか実践できる人はいないということだ。
「NVCはことばではなく身体感覚」
などともいうが、いわれてみても雲をつかむような話で、なかなか理解できないし、実際にどうやって練習し、身につければいいんだろうと途方に暮れる人が多い。

とはいえ、まったくアプローチの方法がないわけではない。
そのなかのひとつが、朗読というだれでもできる表現行為を通じて自己共感、身体感覚、マインドフルネスをすばやく把握できることを私は発見し、確信している。
実際にやってみるととても有効な方法であることがわかる。

なので、まず自分自身を観察し、とらえ、繊細な感受性をはぐくみ、安定した自己共感のなかで、自分と他者を受け入れつながるための非暴力の方法を身につけ、さらには自分自身の生命を表現する、という道すじが見えている。

天白アロマファンでは毎月ワークショップを重ね、最終的にはなんらかの発表の場を持ちたいと思っている。
また映画撮影もおこなわれていて、ワークショップの過程と最終発表がそのまま映画作品になる予定だ。
伊藤勇一郎くんが意欲的に取りくんでくれている。

とはいえ、最終発表が唯一の目的ではない。
毎回の稽古(エチュード)によって自分自身の理解やつながりをより深め、確固たる自己共感を深めてもらうことが大切だ。
毎回のエチュードは、最終的にコラージュされたものがステージ作品となる予定だ。

毎回出られる人も、毎回は出られない人も、あるいは出たくない人も、すべての人の事情やペースが尊重される。
シナリオはそのような工夫のもとに書かれる予定だ(私が書くんだけど)。

この方法は何年か前に名古屋でおこなったワークショップ公演にもとづいている。
2年つづけておこなった公演は、最初の年が名古屋芸術創造センターで『KENJI』を、つぎの年は愛知県芸術文化センターで『GINGA』だった。
今回はそこまで大きな公演にするつもりはない。
しかし、内容的には過去とはずっと進化/深化したものになるだろう(実際すでになっている)。

従来の朗読の稽古とはまったくことなった体験に興味がある方は、一度参加してみてほしい。
朗読どころか、演劇やダンスや音楽の稽古ともまるでちがっている。
最近多く開催されているNVCのどの講座ともちがう。

未知の自分、未知の体験、予測できないことにチャレンジしてみたい人は、どなたも歓迎する。

5月19日:現代朗読ワークショップ「VERBA ACTUS(ウェルバアクトゥス)」@名古屋
名古屋で現代朗読と非暴力コミュニケーション(NVC)をコラボレートしたワークショップを毎月開催し、最終的に小規模の公演(ミニライブ)をめざします。全日程に参加する必要はありません。


2019年3月8日金曜日

各務原ではNVCと現代朗読(表現行為)の密接な関係を体験

昨日は岐阜各務原の澪ちゃんちで水城ゼミ。
今回は表題のとおり、座学と身体を動かしてのワークを半々やって、楽しく濃い時間をすごした。

終わってから東京に戻ったのだが、途中でちょっと立ち寄って、個人セッションを一件。
「お話聴いていただけて心は軽くなりました」
といってもらえて、私もうれしかった。

各務原でのゼミ(ワークショップ)のキーワードはこんな感じだった。

 NVC(非暴力コミュニケーション/共感的コミュニケーション)
 現代朗読(表現)
 マインドフルネス
 身体と自己統合
 感情とニーズ
 自己共感
 本来性と他者性

これらの密接な関連について、呼吸や身体や朗読を使ったワークによって体験的に理解してもらった。
参加者からいただいた感想をいくつか紹介しておく。

◎自分を見る、今ここ、など言葉ではわかっていても、すっきりしていませんでしたが、体感することができました。感じる力が自分にもあったと感じられ、ホッとしました。

◎どれも初めての体験で、楽しくてあっという間に時間がすぎました。身自分の感情を見つめることには普段から気をつけていますが、表現がどうしていいかわからなかった、その答えをいただきました。

◎今日はとても幅広く深い時間をありがとうございました。いつの間にかマインドフルになっていたと思います。あっという間でした。私自身のモヤっとしたテーマも、先生や皆さんに共感してもらい、方向を示していただくことができ、スッキリしたし、心も満たされました。自分の感覚を見つめ、相手の声にも耳を澄ませていきたいです。

◎言葉にするのは難しい体験をさせていただきました。心理学も色々学んできましたが、頭で考える事よりも身体で体感する事の大切さを知りました。あと、「表現する」というのは本当に大事で、相手に伝える事が苦手な自分にとって、かなり役に立ちました。今後の生活にも活かせそうです。

来月4月の各務原〈花寧香くらぶ〉での水城ゼミは19日(金)午後の開催です。
詳細と参加申し込みはこちら

2019年3月1日金曜日

ひさしぶりの親密な関係の勉強会、終了

リクエストがあったので、ひさしぶりに「親密な関係における共感的コミュニケーション」の勉強会というかワークショップを、オンラインで開催した。
ご参加いただいた皆さん、ありがとう。お疲れ様でした。

「親密な関係」は英語でいうところの「intimate relationship」をさし、とくに性的な関係をふくむ夫婦やパートナーとのコミュニケーションを意味するが、私はそれよりもうすこし範囲を広めて、親子や兄弟、長年の親しい友だち付き合いなどもあつかっている。
ようするに、長年の付き合いによってどうしても生じてしまう、「いまこの瞬間」のいきいきさとは離れたところにある「しがらみ」や「痛み」が、本来の思いやりをもったコミュニケーションを阻害してしまう問題をあつかう、ということだ。

ワークではまず、関係性のなかでお互いにどれほど多くのニーズを満たしあっているのか、満たそうとしているかに注目する。
驚くほど多くのニーズをお互いに満たしあい、また満たそうとしているのか、その大切で特別な関係に気づくことからはじめてもらう。
その上で、しがらみや過去に受けた痛みから生じるささいな齟齬が、あたかも全体を壊してしまうようないらだちが生まれる仕組みを理解する。

それを理解したら、ではどうしたらそれを乗りこえることができるのか、日々どのような「メンテナンス」が必要なのかを思いめぐらせてもらう。
大切な関係では、日々のメンテナンスをおこたらないことが重要になってくる。

もちろんそれは、深いつながりの質を持ちたい、維持したい、と当人同士が思っているならば、という前提になる。
世の中にはそんなことを思っていない人もおおぜいいて、表面的に波風が立たなければ仮面夫婦でもいっこうにかまわないという人たちの存在があるということもわかっておく必要がある。
そういう人たちにこのワークや考え方を強要することはできない。

ひさしぶりにおこなった勉強会だったが、初めて参加する方も含め、正直で真摯な取り組みや意見が出て、私もありがたかった。
密度の濃い時間をありがとうと、参加のみなさんにいいたい。

これは定期的におこなってはいないが、もしご希望があれば随時開催も可能だし、また個人セッションとして受けることもできるので、直接ご相談いただきたい。

2019年2月26日火曜日

接続詞「だから……」にご注意!

(写真は本文とは関係ありません/羽根木みつばち部の活動風景)

親兄弟や夫婦、長い付き合いの恋人やパートナーや友人ほど、つながりの深さと同時に、お互いの関係性のなかで受けた痛みをたくさん抱えていることが多い。

なにかするたびに、瞬時に過去の痛み(経験記憶)がよみがえってきて、それを思わず相手に伝えたくなる。
それは一種の暴力として相手には働いてしまう。

そんなときに出てくることばの最初は、たいてい、
「だから……」

「だからいったじゃない」
「だから○○しとけばよかったのに」
「だからなんでそんなことするのよ」
「だからぁ……(以下不機嫌な沈黙)」
などなど。

「だから」という接続詞は、過去の痛みを表現するときの枕詞のようなものだと思っておけばよい。

飲みさしのワイングラスを、ちょいとテーブルの端に置いておいて、うっかり倒してしまった。
グラスが割れ、ワインがカーペットを汚してしまった。
「だから気をつけてといったでしょ!」
連れ合いからいわれて、腹が立つ。
あるいは落ちこむ。

そんなとき、まずは息を大きく吐ききって自分の身体に注意を向け、自己共感の時間を取る。
自分だってワインをこぼしたくて、グラスを割りたくて、わざとそうしたわけではない、うっかり失敗してしまっただけだ、たしかに過去にもそんな失敗をしたことがあってそこから学ばなかったのは悔しいけれど、だれにでもうっかりはある、そのことを強いことばで責められたくない、自分も失敗してしまったと思っている気持ちを受けとっとほしいし、失敗のフォローをいっしょにしてほしい。

自分のニーズにつながったら、相手のニーズにも目を向ける。
そんなとき、キーワード「だから」が役に立つ。
「だから」という枕詞を付けている相手は、きっと過去の痛みから思わず強いことばを発してしまったのだろう。
まずはそこに目を向けられるかどうか。
相手の痛みにも寄りそえるかどうか。

ふたりの関係性が大切なら、そんなことを日頃から心がけてみたい。


夫婦や恋人などのパートナー、親兄弟や親友など、親密な関係における非暴力コミュニケーションの勉強会を、2月27日(水)20時からひさしぶりにオンラインで開催します。
興味があるかたは気軽にご参加ください。
詳細と参加申し込みはこちら

2019年2月16日土曜日

東海北陸ツアーから帰還

2月10日から14日まで、名古屋、福井、岐阜とまわって、昨日の深夜というか未明に国立にもどってきた。

名古屋では天白区の水野生惠さんの民家スペース〈アロマファン〉で、朗読と共感のコラボワークをおこなった。
年末年始はお休みだったが、昨年からほぼ毎月おこなっているイベントで、今回も常連の方んや初めての方たちが参加して、気づきの多い学びの時間を持つことができた。

主催の生惠さんが書いてくれた感想から引用して紹介する。

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楽しかったな~(*´ω`*)
毎回出逢いと発見があり再認識もあり、わかってたつもりの事がまた少し腑に落ちたり。
現代朗読はテキストは読むけど「自分を読む」もの。
そこで表現される「その人自身」のエネルギーを聴き手が感じる。
生きていくうえで制約はゼロにはできないけど、可能な限り自由になれる可能性を現代朗読は感じさせてくれる。。。
それはNVC(共感的コミュニケーション)の在り方や私の好きなフォーカシングの在り方ともつながっていて、その人自身の本来性(生き生きとした魅力)が引き出される、感じられることを私は求めているのかなぁ。。。と感じました。私自身の生き生きさも含めて。
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福井では実家音読カフェと、福井県立病院でのピアノコンサートをおこなった。
こちらも楽しい時間だった。
ピアノコンサートのようすは、また近いうちに演奏を抜粋して紹介しようと思っている。

岐阜では各務原の白狼澪さんの民家スペース〈花寧香くらぶ〉で水城ゼミをおこなった。
ゼミといっても、アロマファンでやっている朗読と共感のコラボをコンパクトにしたもので、その時々の参加者のニーズに応じてさまざまなワークをおこなう。

主催の澪さんが書いてくれた感想を紹介する。

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水城ゼミは凄かった!(毎回凄いんだけども)
やはり武術をしている水城さんならではの自分の身体との共感を、ほんの数分でリアルに実感できてしまうというワークに。
なんで~?うっそ?という歓声のなか、ゆかちゃんと笑うほどの面白さだったね。
んん~心地よいよい。
やっぱり普段ないがしろに扱っちゃってる自分。労りが足りないまま使ってるのは自分自身なんですよね。
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アロマファンと花寧香くらぶは、来月3月も開催予定。
それぞれ3月3日(日)と3月7日(木)となります。
ご都合のつく方、どうぞお越しください。


朗読と共感的コミュニケーションを両方体験し、実践を深めることができるワークショップを、午前と午後にそれぞれ、名古屋市天白区の古民家スペース〈アロマファン〉で開催します。

東京を中心に定期開催しご好評をいただいている水城ゼミを、岐阜各務原でも開催しています。共感的コミュニケーション(NVC)をベースに、読むこと、書くこと、動くことを統合し、全体性を表現することを探求します。今回のテーマは「ことばと身体」です。13時から。