2020年1月31日金曜日

VLOG 2020.1.31 DoubleTakeという動画撮影アプリ



iPhone用の動画撮影アプリです。

iPhone XS/XR 以降の機種が対象で、それ以前の機種もインストールはできますが、このアプリの特徴は活かせません。
またiOS13がインストール済みであることも必須です。

iPhoneのインカメラとアウトカメラの両方(機種によってはアウトカメラの2機とか3機も)を同時に撮影できます。
私がやってみたように、インカメラで自撮り、アウトカメラで向こう側の景色や相手を同時に撮影するなんてことができます。
なかなか便利、かも。

2020年1月29日水曜日

契約ではなく信任

朗読ゼミやひよめき塾など、私が主宰するゼミ(水城ゼミ)では、私の活動の持続性を確保するために、参加者のみなさんに月額制で参加費をお願いしている。
基本的にドネーション制で、ご自分の経済状況やその他事情におうじて都合のいい額をお願いしている(基準額はある)。

こういうことを長年やってきていて、ようやくみなさんには理念を理解してもらったと感じているが、それでも時々、どうしても理解してもらえない人があらわれる。

私にお金を払う。
それにたいして私がなにかを提供する。
朗読の演出やテキスト表現についての私からのアドバイスにたいして「対価」としてお金を払うというかんがえかたからどうしても抜けられない人がいる。

払った分だけなにかサービスや学びを提供してもらう。
お金を払ったんだから、それに見合った分のなにかをいただきたい。
これは市場経済の理屈である。
契約のかんがえかただ。
私はゼミに経済原理を持ちこんではいない。

私とゼミ生のあいだにあるのは、契約ではなく、あえていえば「信任」だろうか。
「対価」としてはまったく見合わないときもあるかもしれないし、また逆に対価としては計り知れない貴重な時間がおとずれることもあるかもしれない。
この学びと表現の場を作りあっている仲間として、私はゼミ生を信頼しているし、ゼミ生にも私を信頼してもらいたい。

契約関係ではなく信任関係としてのつながりを、私のゼミでは大切にしている。

VLOG 2020.1.29 猫、実家で編物、体調



服の上で寝るムイ猫。

オパール毛糸と輪針を使って表編み(メリヤス編み)だけでぐるぐる編んでいく帽子、実家にて。
天気がいまいちのせいか、体調よくない。

2020年1月28日火曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(27))

■私のたどりついた場所

まずは呼吸法から。
音読療法にもほぼおなじプロセスのものが流用されているが、ここでは健康法というより自分自身の流動的な身体変化を観察するためにおこなわれている。
現代朗読協会の立ちあげ時からともに学びつづけている野々宮がリードして、参加者たちと呼吸法をやってくれている。
皆が春野亭のリビングのフロアに輪になって立ち、大きく息を吐いたり吸ったりしているのを見ながら、私はわきのテーブルにすわって気がついたことがあれば口をはさんだり、ラップトップに向かってテキストを入力したりしている。

身体の変化を観察するのは、表現するための自分の身体に繊細な感受性を向け、注意深くありつづけるための練習としてだ。
このかんがえかたと方法にたどりつくのに、何年かかかった。
多くの参加者の協力をもらいながらここにたどりついた。

今日も都区内や都外の遠方から、あるいは近隣から、何人かの参加者が国立の私の現在の活動拠点である春野亭まで来てくれている。
みんなが表現のための練習や実践をしているかたわらで、私は自分のペースでこれを書いている。

自分のいる場所があり、受け入れてくれる人たちがいて、やりたいことがある。
なんて幸せなことなんだろうと思う。

私が書くものはブログやコメントや雑文ばかりではない。
小説家なので——20代後半から職業的にやってきた——小説や詩などのまとまったテキストも書く。
長いものもあれば短いものもある。
かつては長いストーリーを書いて商業出版社から出版し、書籍流通ルートに乗せてメシの種にしていたこともある。
いまはそれはしない。
いつのころからか、だれかに朗読してもらうためのテキストを書くことが多くなってきた。
またそれが楽しみにもなった。

私が書いたものをだれかが朗読する。
テキストという静的な記号群が、音声という空間と時間に関わる表現に変化する。
音声は生身の肉体から発せられ、そこには朗読者という生命存在がある。
私は朗読者のかたわらに行き、おなじ空間/時間軸のなかで表現行為にかかわる。
ときに演出で、ときに音楽演奏で。

私たち生きている存在は、モノではなく、たえず変化し移り変わりゆくいわば現象である。
私はいまこの瞬間、自分自身という現象を見、その現象に付きあう。
あなたという現象を見、その現象と交流する。

現象はいずれ消えゆくものであるけれど、いまこの瞬間、たしかにそれはここにあらわれている。
人の生きる目的はいろいろとはいえ——人によってはそれが明確だったり希薄だったりする——生きる過程そのものを味わうこともできる。

そのときが来るまで自分という現象を味わい、表現しつづけたい。
(おわり)


2020年1月27日月曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(26))

痛みとの闘いになってきている。
腰痛のほかの、下腹部痛にも悩まされている。
痛み止め薬を飲む間隔がしだいにみじかくなっている。
日に2回から3回、そしてここ1週間は4回かそれ以上になってきた。

ホスピスの面談に行ったときに、医師にそれが気になることを相談してみた。
医師のこたえは明瞭だった。

「最近は痛みをコントロールするためのさまざまな薬や方法があるので、痛みをがまんする必要はない」
「副作用があるものもあるが、その対処法も確立されている」
「日本人はがまん強い人が多く、薬などで痛みを抑えることに倫理的な罪悪感を持っている人が多い」

たしかに私にもそういうところがある。
痛みをついがまんしてしまう。
薬を飲むことをなるべく引きのばそうとする。
その心理的背景として、薬を頻繁に飲むときかなくなるのではないか、副作用があるのではない、がまんできるならできるだけがまんしたほうがいいのではないか、というものがある。
医師はさらにいう。

「ガン治療をおこなわないという選択をしたのなら、ガンが進行して痛みが増大するしたとき、痛みをがまんして生活や気持ちに支障が出るのはつまらない」
「痛みの原因を知るためにあらたに検査をして病原を見つけたとしても、治療したり手術するのはもはや意味がない」
「それよりできるだけ快適にすごせることを心がけるべき」
「麻薬ということばがいけないと思うのだが、医療麻薬にもさまざまな種類や方法があるので、余命を自分らしくすごすためにうまく使えばいいし、そのための相談にはいくらでも応じる。通常の治療ではなく末期医療のかんがえかたがある」

いろいろ感じることもあり、かんがえたいことも多いが、医師のことばは示唆に富む部分が多かった。
なので、いまは痛みをがまんすることをやめ、時間をあまり気にせずに薬を飲むことにしている。
とはいえ、飲んでも効きにくくなってきていることもたしかだ。

■書くこと、演奏すること、人とかかわること、そして統合

現代朗読協会の立ちあげ(特定非営利活動法人としての許認可)が2006年。
旗揚げ公演をはじめとして、世田谷文学館との共同事業を区内の小中学校での朗読公演としておこなったり、区内外の学校や福祉施設でのワークショップやボランティア活動など、双方向の社会交流活動を意識的に多くおこなってきた。
それは現在もつづいているが、とくに2011年の東日本大震災をきっかけとして社会活動としての朗読・音読ワークをたくさんおこなうようになった。

その年には現代朗読協会の活動の成果のひとつとして『音読群読エチュード』を書籍化したほか、スピンアウト組織として音読療法協会を立ちあげることになった。
これは現在も活発に活動している。
とくに音読トレーナーや音読療法士の育成に力をいれていて、有資格者が各地で社会貢献活動や独自の音読療法の活動を展開している。

私個人としては、現代朗読の演出や公演プロデュースなどに力をいれてきたことはもちろんだが、暗闇での音楽演奏をふくむ「音楽瞑想」「ディープリスニング」などのコンサートや、その延長線上にある「沈黙の朗読」ライブをほぼ途切れることなく継続的におこなってきた。
そのことで私独自のオリジナルな表現の形や方法が作られてきたという実感がある。

多くのオーディエンスを集められるような、大ホールでおこなえるような一般的で商業的な内容ではないが、静かに深く自分自身と共演者と観客のみなさんとつながり、響きあってくることができたと思っている。

書くこと、演奏すること、人とかかわること、個人的な表現、グループ表現、さまざまな活動をしていると、人からはよく、
「水城さんはなにが本業なんですか」
と訊かれることがある。
そう訊かれていつもこたえに詰まってしまうのは、私のなかではそのような問いは存在しないからだ。
問いも答えも存在しない。
なにが本業ということはない。
そもそも「業」という意識もない。

私はただ私を生きている。
その生きかたが大きくぶれたり、迷ったりしたことは何度もあるが、いまはない。
すべてが統合され、ひとつの流れとなっている。

どんなふうに統合されているのか、それを知ってもらいたくて、このテキストを長々と書いてきた。
つぎの項がこのテキストの最後になる。
もうすこしだけお付き合いいただきたい。

2020年1月26日日曜日

メルマガ「水城マガジン」の配信を再開しました

しばらくお休みしていた個人メールマガジン「水城マガジン」の配信を再開しました。
各種お知らせや個人的な話のほか、小説やエッセイなど、ブログだけでは書ききれないまとまった読み物の連載をしていきます。

配信登録はこちらからどうぞ。

以下、配信再開したメルマガの冒頭に書いたことです。


ずいぶん間があいてしまいましたが、ひさしぶりに水城マガジンを発行します。
ひょっとして2020年になって初めて?

白状すると、水マガはもういいかな、と思っていたところがあります。
いろいろなラインから情報発信しているので、内容がかぶってしまうこともあり、水マガもブログも読んでくれている人や、フェイスブックやツイッターでもつながっている人にはうざったい思いをさせてしまっているんじゃないかと想像することがしばしばでした。
私自身、あちらにもこちらにも配信するのがわずらわしく感じることがあり、どこかに一本化できるといいのになと思っていました。

しかし、いろいろ意見を聞いてみれば、ある人はフェイスブックしか見ないし、ある人はツイッターが中心、ある人は「最近はインスタに力をいれている」とかいうし、ある人はいろいろありすぎてメルマガしかチェックしないといいます。
すべての人の便宜を配慮するのは不可能といっていいでしょう。

インターネットもいずれもっと使いやすくなるのかもしれませんが、いまはさまざまなサービスが混沌としていて、まだまだ未成熟なメディアの観があります。
情報発信するにしても、まだまだ試行錯誤がつづきそうです。

そんななか、やはり私となんらかの縁があってメールという形で直接つながっているみなさんとの関係は大切にしたい、メルマガをもうすこしうまく活用したいと思いなおしているところです。

私はもっとも古い発信媒体としてブログを中心にまとまった情報発信をしていますが、それ以外にもフェイスブックやツイッターでより気軽な、即時性のあるトピックを流してもいます。
またYouTubeでは動画も配信しています。
こういった雑然とした情報をメルマガに集約します。

このようにみなさんとお付き合いできるのはあと何か月でしょうか。
ご存じのように私のガンもいよいよ末期を迎え、体調もすこしずつ変化しています。
いつ急激な体調変化がやってくるかわかりません。
そのことを承知いただいた上で、できるかぎり楽しく有用なメッセージを発信しつづけていきたいと思っていますし、みなさんにもお付き合いいただければありがたいです。

春野亭日乗 1月25日(土)ゼミ、大切なつながり、楽しい時間、北陸への移動

午前中は現代朗読ゼミを開催。
8名の参加予定だったのだが、あけてみれば体調不良その他で4名から当日不参加の連絡が。
とくに若手全滅。
一方、世田谷や神奈川の遠方からはるばる来てくれた人も。

いつもの冨田さん、元ゼミ生のまゆみさんのほか、今日はダーさんこと島田啓介さんがわざわざ来てくれた。
ダーさんは私が現代朗読の体系を整えたり、NVCの理解を深めるのに大変影響を受けたティク・ナット・ハン師の本の翻訳者であり、日本のマインドフルネスワークのファシリテーターの第一人者としても知られている人だが、私にとってはいつも示唆に富むメッセージを発信しているすぐれた書き手であり、表現者としてのおなじ仲間と勝手に思っている。
同年代の人でもある。

ダーさんと私、そして冨田さんという、同年代のおじさん3人が集っためずらしいゼミとなった。
いろいろな話ができて、本当に楽しかった。
もちろん現代朗読についてもお伝えし、いっしょに基礎練習をやってみたり、みんなでおなじ詩人の詩を朗読したのも楽しかった。

終わってからみんなで近所の〈春崇結〉に行き、名物の海鮮丼やまぐろ丼(税込900円)をいただきながら、さらにいろいろな話を。

名残惜しくお別れしてから、私はひとまずひと休み。
じつは昨日からあまり調子がよくなかったのだが、楽しかったのと、ゼミでは野々宮が基礎練習のリードをしてくれて乗りきっていた。

しばらく眠ったらだいぶ元気になったので、午後4時すぎ、車で出発して北陸の実家に向かう。
車の運転は楽で、途中でトイレ休憩と仮眠休憩を何度か取ったほかはほとんどまっすぐ走って、中央道、名神、北陸道経由で、無事に帰着。
岐阜から山越えで越前にはいるルートもあり、距離も料金も時間も短かったのだが、ずっとまっすぐ走っていられるだけの高速道路優先ルートで今回は帰省した。

2020年1月24日金曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(25))

多摩総合医療センターで看護相談というのを受け、今後どのようにするのがいいのか、いくつかの提案をもらった。

医療センターは治療のための病院なので、治療をしない、という選択をした患者に対してはやれることがなくなる。
と書くと非常に冷たいようだが、病院の機能がそのようになっている西洋医学の医療としては、当然のことなのだろう。
しかし、治療をしない選択をしても、病状は進行するし、苦痛もあるので、それに対処するための機能をそなえた施設がある。

緩和医療とかホスピスと呼ばれている。
とくにホスピスは在宅で対処できなくなった患者が入院する施設で、待機患者が多い。
そのため、看護相談ではいまのうちから早めに患者として登録しておいたほうがいいとアドバイスされた。

ホスピスだけでなく、訪問医療や訪問看護をおこなっている近所の医療施設ともつながっておいたほうがいいといわれた。
介護保険の申請もしておくといい、とも。

「終わり」に向かって急にものごとが動きはじめた観が、私にしてみればある。
病院にしてみればよくあることなのだろうが。

実際の生活は、痛み止めの薬が手放せなくなったほかは、とくに支障がない。
疲れやすくなったとか、強度のある運動ができないとか、人ごみのなかへは出かけにくくなったとかあるが、まだ自分のペースで活動はできている。

■オーディオブック、朗読研究会、現代朗読協会

ケータイ電話向けのテキストコンテンツを製作・配信する会社としてスタートしたアイ文庫は、まもなくラジオ番組の製作・配信会社へと方向転換した。
しかしそれだけでは充分な収益はなかったので、ほかにも収益確保の道を模索しつづけていた。

そのひとつが、オーディオブックの製作だった。
どっちみちラジオ番組を収録しているんだから、朗読本を収録してネットコンテンツとして配信・販売してはどうか、ということだった。

高橋恵子さんをメインパーソナリティとしてスタートしたラジオ番組だったが、そのうち独自番組も作るようになった。
が、出演者にギャランティーが払えるほどの収益はなかった(というよりほとんど持ち出しだった)ので、高橋さんに声優やナレーターの新人や卵を紹介してもらって、勉強や経験のためにノーギャラでもいいという人たちに出演協力してもらった。

番組は音楽だけでなく朗読のコーナーも好きなように作った。
新人や卵のなかには相当読める者も何人かいて、そういう人に声をかけてオーディオブックの収録にも協力してもらった。

最初はみじかい小説やエッセイを、やがて長編小説にも挑戦するようになっていった。
いずれも著作権の切れた古いテキストばかりだったが、たとえば夏目漱石の作品などはなかなか読みごたえ・聴きごたえのあるオーディオブックになった。

「文鳥」「変な音」「坊っちゃん」「夢十夜」「吾輩は猫である」といった漱石作品を皮切りに、芥川龍之介や太宰治らの作品を次々と収録していった。
これを「アイ文庫オーディオブック」としてブランド化し、たんなる「耳で聴く本」ではなく、朗読者の表現クオリティを追求した「朗読作品」としてリリースする、また編集や音楽もオリジナルを用いて高いクオリティを確保することを心がけた。

ちょうどそのころ——2005年ごろ——アメリカからアップル社の iPod と iTunes music store という「黒船」が日本に上陸し、大騒ぎになっていた。
その影響のひとつとして、オーディオブックを製作する会社が次々と生まれていたのだが、アイ文庫はどこよりも表現クオリティを重視していて、独自の存在感を持っていたと思う。

そういった表現クオリティを確保し、さらに磨きをかけるためには、朗読者の独自育成にも関わりを持たざるをえなかった。
まずはナレーターや声優の卵たちに声をかけ、朗読の研究と実践のための定期的な勉強会を立ちあげることになった。
これが2006年に現NPO法人「現代朗読協会」が生まれるきっかけとなった。

2020年1月23日木曜日

VLOG 2020.1.23 ジンバルカメラDJI pocketのWiFiアダプターを使ってみる



ジンバル付きのモバイルカメラ DJI pocket はWiFi機能がついていませんが、付属のアダプタを取りつけることでスマホなどに飛ばして遠隔モニターを使えるようになります。

WiFiアダプタを入手したので、さっそく試してみました。

ひよめき塾でやっているエチュード紹介

ひよめき塾の機関誌『HiYoMeKi』の第7号が無事に発刊された。
アマゾンKindleで無料ダウンロードキャンペーン中なので、この機会にぜひ読んでみてほしい。

これでひとまず、ひよめき塾が昨年再開されたメインの目的が達成されたわけだが、ひよめき塾の集まりは年があけてもまだつづいている。
ありがたいことだ。
となると、私にもちょっと欲が出てきた。

再開ひよめき塾は、毎回、「お題」を出し、それに沿った掌編を提出してもらって、その講評をする、という進めかたをしてきたが、かつては作品講評だけでなく練習問題(エチュード)もやっていた。
私が課題を出し、その場の短時間でみんなに文章を書いてもらい、それを題材にテキスト表現について検証するのだ。

エチュードは小説を書くための基本的なテクニックを扱うこともあれば、文体や身体性、無意識の問題といった抽象的で本質的なものを扱うこともある。
これまでは思いつきでエチュードを出題していたが、ひょっとしてある程度系統立てた、ひよめき塾ならではの学びに通じるエチュード体系のようなものを作れるかもしれない。
塾生が書いた回答とそれについての検証も含めて、記録として残せるかもしれない、とかんがえている。

前回のエチュードはこういうものだった。

駅のホームのベンチにひとりの少女が座っている。
そのようすの「描写」のみで彼女の生活背景をどれだけ読者に伝えられるかどうか、書いてみること。
(制限:200以内、10分)

いうまでもなく「描写」の練習なのだが、みんなにやってもらって明らかになったのは、「描写」と「叙述」の違いについてかなり曖昧にとらえている人が多い、ということだ。
現代小説や現代テキストにおいて、描写と叙述を切りわけることは非常に重要だとかんがえている。
叙述——自分の考えやジャッジを含む——から純粋な描写を切りわけることは、自分自身の思考過程を知ることでもあり、書き手にとっては大変重要な練習なのだ。

もちろんそんなことは学校では教えてくれないし、多くに小説講座でも教わらないだろう。
ひよめき塾ならではの重要なテキスト表現についての重要な体系を、まとめられるだけまとめておきたいと思っている。

◎『ひよめき第7号』Kindle版、ただいま無料キャンペーン中。
ダウンロードはこちら

2020年1月21日火曜日

VLOG 2020.1.21 MIDIキーボードArturia Minilab MKII



楽曲製作にはデジタルピアノからのMIDI入力を使っていますが、ピッチベンドやコントロール各種、ドラムパッドなどがないのが不便だったので、小さなキーボードを買ってみました。

Arturia の Minilab MKII です。
ちょっと重いけど、なかなか使いやすそう。

2020年1月20日月曜日

現代朗読ゼミという幸福な時間

私の末期ガンの進行がこの先どうなるかわからないので、私がやっていることでだれかに伝え、渡していけることは、できるだけそうしていこうと思っているのだが、そのひとつに現代朗読の基礎練習と群読エチュードの練習がある。

昨日のゼミでは、野々宮卯妙に基礎練習の進行をやってもらった。
現代朗読の基礎練習は、朗読という「音声表現/身体表現」のクオリティとオリジナリティを各自がアップしていけるように、身体を見る、呼吸を観察する、自分の声を聞く、自分が受け取っていることに気づく、身体全体を働かせる、ということをやる。
そのためのシンプルな練習方法が用意されている。

従来の朗読の練習法とはまったくちがっているので、「朗読」というイメージをもって参加した人は、最初はとてもとまどうことだろう。
が、現代朗読がめざしている方向性を理解した人は、その有効性がわかるはずだ。
自分自身を知る、というそのシンプルな練習方法がどんどん楽しくなってくる。

練習のやりかたとチェックポイントを押さえている人なら、私でなくてもだれでも世話人をつとめることができる。
昨日は野々宮にやってもらったが、これからはゼミ生に持ち回りでやってもらってもいいかもしれない。

昨日はそうやってみんなが自主的に基礎練習をやっている横で、私はパソコンに向かって気づいたことを書いたり、ときには確認するための質問に応じたりしながら、リラックスしてすごしていた。

それがとても幸せな時間だったのだ。

共感的で安心できる場でみんながのびのびと自主的に練習している横で、私は私の好きなことをする。
おなじ時間と空間を共有しながら、それぞれが自分の自由を持ちつつ、同時につながりやおなじ目的に向かって自発的に動いている。
なんて居心地がよく、そしてインスピレーションに満ちた場と時間なんだろう。
私はきっと、この瞬間をめざして、これまでの十数年を積みあげてきたにちがいない、と思えるほどの豊かな時間だ。
これがずっとつづけばいいのに。

いや、これはずっとつづけたい。
ここに私にいてもいなくても、これがつづいてくれることが私にとって幸福なことなのだ。
ゼミ生のみんなと参加してくれる人には、心から感謝している。

ゼミ生が個人レッスンを受けるタイミングで臨時の現代朗読ゼミを開催します。身体表現あるいは音楽としての朗読を楽しみましょう。1月25(土)10時半から約2時間。

2020年1月18日土曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(24))

風邪が抜けて、咳も多少の空咳を残してほとんどなくなった。
ほぼ2か月以上、ほとんど運動らしい運動ができなかった状態から、ようやくすこしずつ運動できるようになってきた。
変な息切れもなく——もちろん運動すれば息は切れるのだが——身体に負荷をかけられるようになった。

ひさしぶりに武術(韓氏意拳)の稽古で蹲起(ドンチー)という形体訓練を参加者といっしょに100回、断続的にではあるがやってみた。
チャイニーズスクワットとも呼ばれている、スクワットに似た動きだ(実際には違う)。
案外苦しくなくできてしまったが、翌日が大変だった。
しっかり足腰に効いてきて、立ち座りや階段の上り降りが大変だった。

負荷のかかる運動で身体に影響がのこるというのは、悪い感じじゃない。
身体の正常な反応だ。
ガンというある種異常なものを抱えているなかで、正常反応を見ることができるというのは、悪くない感じがある。

また運動ができなくなるような事態におちいらないように生活に気をつけて、武術の稽古や運動や歩くことを心がけていくことにする。
やれるところまでやってみる。

■テキストコンテンツから音声コンテンツ、ラジオ番組製作へ

私にコンタクトしてきたのは東京のある特殊印刷の会社の若い社長で、印刷会社のほかにネットサービス系の子会社を稼働させていた。
その会社で私のテキストコンテンツの配信を、商業的な仕組みとともにやってみようということになった。
メールマガジンに広告を掲載し、それを読者に直接届けようというのだ。

いまでこそめずらしくないが、当時はまだあまりそういうことをやっているサービスはなかった。
とくにケータイコンテンツでは皆無にひとしかった。

その事業に可能性をおぼえた私は、福井から東京に仕事場を移すことにして、2000年だったと思うが世田谷区にワンルームの部屋を借りた。
東京に住むのは初めてのことだった。

企画が進むなかで、ケータイコンテンツ配信のための会社を独自に立ちあげることになって、アイ文庫有限会社が作られた。
しかし、会社もでき、仕事場も東京に移したというのに、この事業はたちまち行き詰まることになった。
ケータイコンテンツが爆発的に普及していくのと比例して、コンテンツに埋めこまれる商業広告が嫌われるようになっていったのだ。
ケータイ事業は独自広告から、公式サイトでの課金方式へと急速にシフトしていった。

かなり混乱した経緯のなか、アイ文庫はなんとか事業をつづけるべく、テキストコンテンツから音声コンテンツへと製作体制が変化していった。

1995年の阪神淡路大震災を機に全国にたくさん設立された第三セクター方式のコミュニティFMがあり、そこでの番組製作の声がかかった。
フリーアナウンサーの高橋恵子さんがメインキャスターとなって、完パケ方式の番組作りをすることになったのだ。

最初は世田谷FMで番組を作り、それを数局の地方局に配信するという方式だった。
収録も世田谷FMのスタジオを借り、トークと音楽をMDに録音し、それを持ちかえってパソコンでジングルやCMを入れたり、音量や時間調整をして番組に仕上げ、ふたたびMDに書きだして局にもどす、という製作方式だった。
その過程で録音機材など、収録や番組製作に必要な機材をすこしずつそろえていった。

最初は私が借りたワンルームマンションの一室で、やがて一軒家を借りてその一室で、とてもスタジオともいえないような劣悪な音響環境のなかで番組製作をはじめたのだが、それがなかなか楽しかったのだ。
そしてなにより楽しかったのは、若いナレーターや声優の卵たちに集まってもらって、番組製作に協力してもらう体制ができていったことだった。

2020年1月17日金曜日

共感手帳術講座が月単位のコミュニティ型に変更

水城ゆうが主催する各種講座、ワークショップ、勉強会などのコミュニケーションの場を、オンラインのチームツール「Slack」に集約していますが、単発で開催してきた共感手帳術講座も継続型の学びの場としてあらたに参加者を募集しています。

これまでどおりオンラインでの勉強会ミーティングはZoomを使って月に何度か開催しますが、それ以外にもSlackを使ってこまかなフォローをしたり、スキルやツールのシェアをしていきます。

以下に共感手帳術講座の内容を簡単に説明します。

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私たちは日常生活のなかで、あるいは仕事中に、さまざまな「気がかり」を抱えていて、それがたえず念頭に浮かんできてしまうので、いまやっていることに集中することができません。

また、自分が本当はなにをしたいのか、いまのままでいいのか、もっと自分らしくいきいきした場に移行したいのではないか、などと悩んでいる人もいます。

いずれも、自分の本来持っている能力、パフォーマンスをいちじるしく低下させたまま、本当のニーズに気づかないままやりくりしています。
できるだけもやもやのない、「いまここ」に集中できる状態に自分をもっていくために「エンパシーノート」を活用することがとても有効です。

「エンパシー」とは日本語で「共感」、「ノート」とは「手帳」という意味です。言い換えると「共感手帳」という意味なの7月24日〜:オンライン共感手帳術講座ですが、自分に共感をしていく習慣を手帳をつかい自然とできるようになることを目標にしています。
つまり、この手帳術を身につけることで、自分自身を生きながら人生という荒波を乗りこなすことができるようになり、人生を味わいながら楽しむことができます。

◎内容
 Slackで質疑応答、交流、資料配付など、必要な措置をおこないます。
 また安心できる学びの場としてのコミュニティをはぐくみます。

◎オンラインミーティング日程
 月に2〜3回を予定しています。
 今月はつぎのとおりです。
  2020年1月17日(金)20:00〜
  1月23日(木)20:00〜
 それぞれ約1時間の予定です。

◎参加費 月額制ドネーション(基準額3,000円)

◎参加方法 オンライン(zoomというシステムを使います)
 参加申し込みの受付メールでアクセス方法の詳細をお知らせします。

※申し込みとお問い合わせはこちら

春野亭日乗 1月16日(木)ひさしぶりの共感編物カフェ

下腹部痛で歩きにくいけれど、がんばって早朝からウォーキング。
1日でなんとか1万歩達成。
痛み止めが下腹部痛にあまり効かないのがちょっと困る。

午後、共感編物カフェの前に個人セッションをオンラインでひとり。
15時から共感編物カフェをひさしぶりに開催する。
といっても、みんなでただ(オンラインも含めて)集まっておしゃべりしながら編物やら好きな手仕事をするだけなんだけど。

編物カフェで大切なことは、自分の手仕事にちゃんと集中しながら、マインドフルに自分自身といっしょにいつづけ、自己共感しながらほかの人の話も共感的に聴く、ということで、これはじつは非暴力コミュニケーション(NVC)的には高いスキルが要求される。
その練習の場といってもいいが、ただだまって手仕事しながらその場にいつづけるだけでもかなり練習になると思われる。
実際私もなにかしようとか、だれかの話に共感しなければ、なんてことはまったく思わず、ただその場にいて基本的には編物を楽しんでいるだけだ。

もちろん編物のやりかたを教えあったり、編み方などの情報交換をすることはある。
それも楽しいし、ただ身の上話を聞き合うだけの時間もある。
昨日は阪神淡路大震災の話から東日本大震災の話になり、仙台からオンラインで参加していたなおこさんの経験を聞かせてもらったりもした。

また、偶然共通の知り合いがいたり、共通の興味があったりと、思いがけない話題で盛りあがったりもした。
私は靴下を半足、ほぼ編みあげることができた。

次回の共感編物カフェは2月10日(月)の開催を予定しています。
参加申し込みはこちら

春野亭日乗 1月15日(水)バイノーラル録音のテスト、自然派バイキング@吉祥寺

何年ぶりかで知り合いの娘(妹のようなもの/妹じゃないけど)と会うことになって、吉祥寺まで出かける。
街に出るついでに、バイノーラル録音のテストをするために、届いたばかりの機材も持っていく。

バイノーラル録音とは、普通のステレオヘッドホンだけで立体的音響再生を実現する仕組みで、ヘッドホンのように両耳にセットするマイクを使う。
このマイクは私の知るかぎり、民生用の安価なものはローランドとほかに数社しか作っていない。
またこのマイクを使える録音機材もローランドとTASCAMなど数社しかない。

iPhone用のバイノーラルマイクも売られているが、やや高いのと、OSのバージョンによっては動作が不安定とのコメントがあったので、ローランドのマイクを購入した。
そしてTASCAMのレコーダーはゼミ生のかなえさんが持っていたので貸してもらった。

それを持って吉祥寺に行く。
取り合いのKと駅で待ち合わせてランチに。
あらかじめ「自然派バイキング」の店というのを教えてもらっていたので、そこへ行くことに。

ここはなかなかよかった。
料理の種類もたくさんあるし、店内も広くてゆったりしているし、値段も安い。
赤ちゃん連れのママたちがたくさん来ていた。
そういう人たちにもゆっくり安心してすごせる店だ。
ソフトクリームが食べ放題というのもうれしかった。
ただし時間制限があって、90分。

近況など話しながらしっかり食べて、3時には別れる。
吉祥寺駅でバイノーラル録音のテストをしてから国立に戻る。

春野亭では昨日から共感トランプのナビゲーター養成講座を、Mariとのぞみさんが開催している。
私は下の部屋でVLOGの編集など。
のぞみさんが手作りの杏仁豆腐を差し入れてくれた。
無視されずにちゃんとケアされてる感じがして、うれしい、ありがとう。

2020年1月15日水曜日

VLOG 2020.1.15 バイノーラル録音のためのマイクが届いた



ステレオヘッドホンだけで3D音響を実現できるバイノーラル録音のためのマイクが届いたので、試してみました。


2020年1月14日火曜日

VLOG 2020.1.14 ダニー・ボーイのピアノ伴奏を作る



鹿児島在住の牧師でオカリナ奏者の久保木聡さんとコラボして作っているシリーズ。

水城がピアノ伴奏を作り、それにオカリナ演奏をオーバーダビングしてマスタリングする遠隔共演。
今回は「ダニー・ボーイ」別名「ロンドンデリーの歌」のピアノ伴奏パートを録音してみました。

2020年1月13日月曜日

VLOG 2020.1.13 アート作品とのコラボ演奏製作



あるアーティストの絵画作品に音をつけて、絵と音楽のコラボをやります。

そのための演奏をしているところを動画にしてみました。

2020年1月12日日曜日

VLOG 2020.1.12 音声入力にクリップマイクを使ってみた



2020年初のVLOGです。

なんとなくグズグズしていたのは、機材が届くのを待っていたからです。
カメラのビルトインマイクではなく、音声を別録りしてみることにして、ZOOMのF1というフィールドレコーダーを導入してみました。
付属のクリップマイクで音声を別録りしてみましたが、リミッターは不要でしたね。音質がちょっと癖のあるものになってしまうようです。

2020年1月10日金曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(23))

年末に受けた骨シンチグラムの検査結果を聞きに、病院に行ってきた。
骨には転移していなかった。
まずはよかった。
すると、しつこく長引いている腰痛の原因は、あらためてなんだろうということになる。
こちらは依然として不明。

腰痛に加えて下腹部に尿意に似た疼痛がある。
排尿しても消えないので、膀胱炎のようなものではなさそうだ。
が、腰痛と同様、痛み止め薬を飲むと消える。
こちらも原因不明。
もうすこし経過を観察することにする。

いずれにしても抗ガン剤も放射線照射も治療はおこなわないということを医師に告げ、確認しておく。
病巣は確実に進行していくので、今後なにか病状に変化があれば、その時点であらためて相談するということで。

とりあえず、訪問看護とホスピスをいくつか、つながりを作っておくことにした。
そのための紹介状やデータ、治療指示書は担当医が書いてくれるとのこと。

■ネット配信、パソコンからケータイへ

まぐまぐというメールマガジン配信サービスを使って、私は無料の自作エンタテインメント小説やエッセイ、執筆日記のようなものの配信をスタートさせた。
まぐまぐはまだスタートしたばかりで、メルマガもまだ多くはなかった。
そのおかげで、配信がスタートすると私のメルマガは多くの人が配信登録してくれて、すぐに数百人から千人以上の読者数へと増えていった。

読者からのリアクションも直接私に届いた。
活字出版でも読者からの手紙が届くことがあったが、あくまで出版社経由であり、数もすくなかった。
メルマガ読者の場合は、メールマガジンを読んですぐに読者は作者に直接メールを送ることができたので、非常に敷居が低かった。

毎日とどく読者からのメールのなかから、めぼしいものを選んで、私はそれに返事を書いた。
直接メール返信するのではなく、メールマガジン上に「読者からのお手紙」として公開返信を掲載したのだ。
するとそれを見て、公開されることを前提に「ファンレター」を送ってくれる人が急増した。

メールマガジンの読者コーナーは、私と読者との交流の場となり、本編の小説より人気が出るほどになった。

そうやって読者との直接の交流をつづけるうちに、気づいたことがある。
メルマガに直接メールを送ってきてくれるファンのほとんどが女性であり、また小説の読者としてはかなり若い層であることだった。
またその多くが、携帯電話でメルマガを読み、携帯電話から直接メール返信してくるということだった。

そのころ、携帯電話が爆発的に普及しはじめていて、いまでこそあたりまえになっているが、ひとり一台の電話を持つ時代になりかけていた。
i-modeというネットワークサービスをDoCoMoがはじめ、他社も似たようなサービスで追随していた。
携帯電話ユーザーの若い層は、ケータイで文章を読んだり、メールを書いたり、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、ということがごくあたりまえになりつつあった。
世の趨勢はパソコンからケータイへとなだれを打って変わっていたのだ。

そんなとき、東京のある会社の社長から直接私に一通のメールがとどいた。
そのメールが私の人生の後半を大きく変えることになった。

2020年1月9日木曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(22))

年末から福井の実家に帰省し、2020年の年明けをすごし、5日の夜に東京国立にもどってきた。
帰省する直前に、子どもや、風邪ひきの人もまじえた大人たちがけっこう大勢、国立春野亭に出入りした。
そのどこかでもらったらしく、帰省直後から喉が腫れて声が出なくなり、咳や発熱に見舞われた。

年末の3日間は寝たり起きたりしてすごし、年明けはすこし回復するも、喉と咳は相変わらず。
4日になってふたたび発熱。
しかし、しっかり寝て、すぐに回復。

腰はあいかわらず痛くて、痛み止めがないとすごせない。
下腹部にも妙な尿意のような痛みがあって、小水がたまっていないのにもやもやする。

ガンというのは、急に具合が悪くなって倒れるのではなく、すこしずつ具合が悪いところが多くなっていって、気がついたら動けなくなっているということなのかな、と思う。
まだ動けないというところまでは行っていないが、この調子で不具合が増えていくと、いずれは動けなくなるかもしれない。

長年、風邪で寝込むなんてことはなかったのに、あっけなくひいてしまったのは、たぶん免疫力が低下しているからなんだろう。
放射線治療の影響なのかもしれない。
当然、回復力も低下していると思われる。

風邪はなんとか去ってくれて、咳はまだ残っているが、東京にもどってくるだけの活力は回復した。
階段を上り下りしても息があまりあがらなくなったのはありがたい。
ずっと咳をしていたせいで、背中も腰もバリバリに筋肉がはっている。
これからは免疫力が低下しているという自覚のもとに、行動することにする。

■活字出版から自己出版、メルマガの世界へ

1995年ごろにはニフティサーブ「本と雑誌フォーラム」のシスオペはもうやめていたはずだ。
不特定多数のユーザーと交流したり、お世話したりするのは楽しかったが、非常に消耗することでもあったので、私は個人的活動にもどっていった。
意図的ではなかったけれど。

そのころ「まぐまぐ」というメールマガジン配信サービスが人気を集めはじめていて、私はそれに注目した。
基本的に無料でだれでもメールマガジンを配信することができる。
いまでこそメールマガジン——メルマガは珍しくもなくなっているが、当時は自分の書いたものが無料で多く人のメールボックスに直接、プッシュ型で届くというのは、なかなか画期的なシステムだった。

実際に職業作家として商業出版社と仕事するようになって痛感したことだが、小説家やライターでもない一般人が自分の書いたものを世に問うには、紙の本や雑誌に活字として印刷して流通させなければならないというハードルがある。
それは大変高いハードルで、私は運よく自分の書いたものが編集者の目にとまって活字出版デビューできたが、そのために何度も、長年挑戦しつづけている人がたくさんいる。
ひょっとして挑戦しつづけて、一生かなわないまま終わってしまう人もいる。
自費出版という、高額な自己資金を使って本を出す人も多い。

ところがネットが普及し、メルマガシステムがだれでも使えるようになったとき、これはまさに出版そのものの仕組みを個人が手にいれたも同様ではないか、ということに気づいたのだ。
これまではなにか書いても、プロ作家の私でさえまずは編集者に渡し、出版社の編集営業会議をパスしなければ活字にならなかったものが、ネットでは書いてメルマガシステムに原稿を流しこめばそのまま読者のもとに届いてしまうのだ。
驚くべき仕組みだった。

そこで気づいたのは、私は文章を「お金を得る」ために書いているのではなく、「だれかに読んでもらう、人に喜んでもらう」ために書いているのだ、ということだった。
多くの小説家志望の人がやってしまうことだが、書きたいものを書いて人に読んでもらうことと、お金を稼ぐことをいっしょくたにしてはいけない。
そこを見誤らないようにしないと、つらいことになってしまう。

私はお金を稼ぐことはどこかでなんとかなるだろうと思い(とりあえずかんがえないことにして)、自己出版システムの実験をはじめることにした。
まぐまぐを使って小説を配信し、また自分の創作過程や執筆生活を開示し、読者と直接交流する試みに乗りだしたのだ。
結果は私の予想をはるかに超えるおどろくようなものだった。

2020年1月7日火曜日

女性用靴下一足完成

ユザワヤブランドのフリーソック(トルコ製)を使った靴下編み、一足完成。

ようやくあまり間違えずに完成までこぎつけられるようになった。
まだちょっとややこしいと感じるけれど、総目数そのものは多くないので、仕上がるまでに時間がかからなくてよい。
ひと玉(100グラム)でうまくいけば3足くらい編めるかも。

写真で見るとちょっとボテッとした印象だけど、実際にはいてもらうといい感じのシルエット。
足の大きさ23センチから23・5センチくらいの女性にぴったし。

風邪の名残りがなかなか抜けず、夕方から咳がひどくなって苦しいなか、編物で自分の調子とゆっくり向かい合って落ち着こうとした。
体調の悪いときの手作業は助かる。
もっとも、最悪の体調のときは、編物どころではなくなってしまうけれど。

2020年1月6日月曜日

春野亭日乗 1月5日(日)発熱、咳、移動、名古屋市内の混雑

昨日は外の雪囲いを確認するために寒いところでしばらく作業したためか、午後になってにわかに発熱した。
計ったら38度2分もあった。
ただ、身体を観てみたところ、風邪が悪化したという感じではなかった。
まだ本調子にもどっていない身体が、一時的に寒さにショックを受けたのだろう。
15分くらいあたたかくしてしっかり眠ったら、熱はさがったし、身体のしんどさはなかった。

なので、今日は予定どおり、移動日にあてる。
ネットではみなさんからいろいろ心配の声をいただいた。
みなさん、ありがとう。
無事に夜には国立に帰着できた。

人をピックアップする予定があったので、名古屋に寄った。高速道路は順調に流れていてなんの問題もなかったのに、名古屋高速でいきなり火災による通行止めに遭遇し、下道に下ろされたら今度は街なかの道が大混雑。
福井から名古屋まで2時間弱で走ったのに、名古屋市内にはいってから目的地までたっぷり2時間かかった。

そのあとは運転を交代しながら走ったので楽だったが、夕方から夜にはいつもそうなるように咳がぶりかえしてきて、つらかった。
国立に到着したらすぐに休んだ。
夜中に何度も咳と痛みで起きたが、回復傾向は見えてきているので、今週は通常モードにもどしていきたい。

2020年1月2日木曜日

共感手帳術の仲間たちオンラインミーティング(初回)

非暴力コミュニケーション(NVC)を練習するための習慣——くりかえす「練習するための習慣」——を身につけるには、いくつかの方法があるが、とくに私の場合、毎日使う手帳を用いることが有効だとかんがえている。
それが共感手帳術だが、練習の習慣を身につける——習慣化する——というのは、それを身につけ実践するのに時間がかかったり、自分なりのコツが必要だったりする技術の場合、とても大切だ。

たとえば武術がそうだ。
毎日稽古すればよいとわかっていても、そもそも毎日稽古する習慣がなければいつまでたっても上達することはない。
しかし、月に一度か二度、講習会に通っていると、自分ではわかったつもりになって、あたかも身についているかのように思いこんでしまうことがある。
NVCもそうで、長年勉強をつづけ、多くのワークショップやリトリートに参加していても、日常のなかで実践できているかというとはなはだ疑わしいという場合がある。

そのための実用的な方法のひとつとして、私は共感手帳術という方法を提唱している。

これは基本的にひとりで実践するものだが、仲間がいるともっと楽しい。
お互いに手帳を見せあったり、疑問点を話しあったり、進捗状況を報告しあったり。
そんな共感的な場を、オンラインでも作れないかとずっとかんがえていたのだが、年があらたまったいま、Slackというオンラインチームツールを使って場を作ってみることにした。

その前に、そのガイダンス的な気楽なミーティングを開催するので、興味があるかたは気楽にご参加いただきたい。
ミーティングでなにをするかというと、そもそも共感手帳術とはなにかを知らない人には簡単に説明したり、すでに学んだことがある人には今後の展開について話し合ったり、チームツールを使ってどのようなことがやれるのかを説明したり、といったことだ。

参加は無料だが、申し込みが必要なので、以下のリンクから申し込みフォームに書きこんで手続きしていただきたい。

◎日時 2020年1月11(土)18時から約1時間

◎参加方法 オンライン
    zoomというシステムを使います。
    パソコン以外に、スマホ、タブレット端末などでも参加できます。

◎参加費 無料
    参加人数にかぎりがあります。
    定員に達ししだい締め切らせていただくことがあることをご了承ください。

◎申し込みはこちら

2020年1月1日水曜日

謹賀新年2020、どこまでやれるかな?

いつもブログ記事やSNSのメッセージをお読みいただきありがとうございます。
2020年があけました。
おめでとうございます。

昨年は6月にステージⅣの食道ガンが見つかり、医師からは今年の誕生日までは生存が厳しいだろうと予見されました。
誕生日は5月なので、あと4か月の余命ということになります。
たしかに砂山がゆっくり崩れるように身体の状態はすこしずつ悪化しています。
毎日の変化は気がつかないほどですが、ひと月単位で見れば変化がわかります。

昨日の大晦日は何年ぶりかという風邪をひいて、寝込んでいました。
年末にたくさんの人に会って、なかには風邪をひいていた人もいたりして、通常ならどうってことないかもしれないのに免疫力が明らかに落ちている私にはすぐに影響が出てしまいました。

放射線の照射治療はうまくいきましたが、その後肺炎なのか、気管支炎なのか、2か月以上咳が出て呼吸が苦しく、運動がまったくできない状態がつづいていました。
そういうことも体力や免疫力の低下につながっていたんでしょう。

しかし、1日ひと晩しっかり寝て、風邪はほぼ回復しました。
基礎的な体力はまだまだしっかりしている感じがします。
変わらずできることがたくさんあります。
ほんとうに残り数か月なのかどうか、実感はありませんが、丁寧に自分自身と付き合っていきたいと思います。

新年の私のテーマは「マインドフルネス」です。
引きつづき、ですが、より質を高めて「なんちゃってマインドフル」ではない、本当の「いまこの瞬間を気づきをもって生きる」の実践を試みていきたいと思っています。
みなさんにはお付き合いいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いします。