photo credit: Hans_van_Rijnberk via photopincc
音楽演奏において重要なのは「絶対音感」ではなく「相対音感」である。
世間では「絶対音感」という言葉がひとり歩きし、音楽的才能を構成する重要な能力のひとつのように思いこまれているが、実際にはそうではない。
絶対音感についてここでくわしく述べるのはひかえるが、ようするにある音高にたいしてそれが絶対的にどういう音高なのかわかる能力のことだ。
ピアノの音でもベルの音でもなんでもいいが、「チーン」と鳴ったとき、それが「ミ」の音であるとか、「ソのシャープ」の音であるとか、なにかほかの音と比較することなくいいあてることができる。
その能力はどうやって作られるか。
ある一定の年齢以下で音楽的環境をあたえられ、そのなかで音楽的トレーニングを受けることでほとんどの人は絶対音感を獲得できる。
逆にいえば、そのような環境を幼少時に持たなかったものは、絶対音感を獲得しにくいということにもなる。
現代の音楽演奏家たちの多くは非常に幼少のときから音楽演奏のトレーニングを受けているので、ほとんどが絶対音感をインプリントされている。
そのことをとらえて、逆に絶対音感を持っていないと音楽演奏家になれないように思いこんでいる人がいるが、それは違う。
即興演奏をふくむ自由な音楽演奏において、むしろ絶対音感は不利に働く、というのが私の経験的持論である。
ちなみに私ごとだが、私がピアノを習ったのは小学三年から六年までの四年足らずの期間であり、もちろん絶対音感は持っていない。
だから演奏に支障があるかというと、まったくそんなことはない。
では絶対音感保持者においてはどのような音感を絶対的にうえつけられているのだろうか。
ほとんどの絶対音感保持者は、現代のピアノの音律である「平均率」という音律にもとづいた音階にそった音感を持ち、その絶対的基準はそれぞれの幼少時の音楽環境によって少しずつずれがある。
たとえば、家のピアノが「A=440Hz」という音程を基準に調律されていた場合、その基準での絶対音感をインプリントされるし、「A=443Hz」で調律されていた家ではそれが絶対音感として刷りこまれる。
楽器がピアノではなく、バイオリンなどの弦楽器ではある場合は、音律が平均率ではないだろうし、基準音も変わってくるだろう。
このように、絶対音感という特殊能力は音楽演奏の場面ではあまり意味のないものなのだ。
実際の音楽演奏の場面では、すでに述べたように、「相対音感」が重要だ。
したがって、即興演奏法では相対音感のエチュードをいくつかおこなう。
ひとつの音がべつの音に対して高いのか、低いのか、高いとしたらどのくらい高いのか、その音の感覚はどのくらいなのか。
これを聴きわける、あるいは演奏できる能力が重要になってくる。
そしてそれはだれでもたやすく訓練で獲得することができる。
幼少時からの訓練は必要ない。
年をとってからでも身につけることはむずかしくない。
・水城ゆうの最新ライブ・公演・ワークショップなどのスケジュールはこちら。
・水城ゆうの本・最新刊はこちら。