2013年1月25日金曜日

中村和枝ピアノリサイタルに行ってきた

今日も下北沢から渋谷まで歩いてみる。 日中は一日中、すわって音楽アルバム『quiet pictures 2』の製作をやっていたので、故障した膝の調子があまりよくない。
 歩きはじめてすぐに痛みがあって、途中の池ノ上あたりで電車に乗ろうかと思ったが、結局最後まで歩いた。

 東京私的演奏協会第101回演奏会は、中村和枝さんによる松平頼暁さんの現代曲作品「Morphogeneses I・II・III・IV」全4曲の世界初演と、作曲者の松平さんじきじきの楽曲解説であった。
 松平先生は御歳81歳のご高齢で、しかしかくしゃくとしておられて、楽曲解説も理路整然と明快だった。
 中村さんがおっしゃったが、人間の生理に逆らった非常に難解な曲で、練習は難航を極めたらしい。
 なるほど、実際の演奏を聴いてみて、納得した。

 松平先生の楽曲解説のあと、いよいよ中村和枝さんの演奏がはじまった。
 曲はある法則にのっとって複雑に書かれているのだが、それには理由がある。
 松平先生は人間の感情、情念、思考、勝手な思いこみを激しく憎んでいて、それらの究極は愛国心、天皇崇拝、果ては戦争という名の殺し合いにまで進んでしまう、そのことへの抵抗としての曲を作られている。
 難解な曲は、演奏者の感情移入を拒絶する。
 実際に中村さんはピアニストの原存在としてのありようで、ただひたすらに難解な曲を弾きこなすという集中で「いまここ」を提示していた。
 オーディエンスも感情移入や特定のイメージを拒絶され、ただそこに現出する音を受け入れることしかできない。

 難解な曲を、たとえばmidiデータとして打ちこみ、コンピューターで完璧に演奏させることは簡単だろう。
 しかし、それを人間である中村さんが、苦労して練習し、それをひと前で演奏するということの意味。
 人が人であるゆえんはなにか、存在の原点はなにか、表現とはなにか、さまざまなものを問いかける音楽作品であり、演奏パフォーマンスであると私は感じた。
 非常に刺激的なリサイタルであった。