2012年10月11日木曜日

Macとフランクリンで思考のオン/オフ

photo credit: neonihil via photopin cc

MacBookとフランクリン手帳がないとなにもかんがえられない状態になっていて、これは「依存症」として危険な状態ではないかと思う反面、ないときにはなにもかんがえずにただマインドフルに感じるだけの時間をすごすことができるので、思考のオン/オフができて好都合とかんがえることもできる。
Macと手帳を意識的に手放せすと、自動的にマインドフルに状態に移行する。

人に会うとき、ピアノを弾くとき、絵を見るとき、庭をながめるとき、歩くとき、電車に乗るとき。
なにもかんがえずに、ただ感じ、予定も計画も反芻思考もなし。
これからやることで必要なことはすべてMacと手帳にはいっているので、そこへもどればいつでもすぐにやるべきことがわかるので、安心してなにもかんがえずにいられる。

もっとも、どちらも重たくて、いつも持ち運ぶには大変きつい。
MacBookはAirが出たのでだいぶマシになった。
iPadにすればいいではないか、というアドバイスももらうが、それではだめなのだ。
文字入力のための物理キーボードがついていないと、私の思考補助マシンとして機能しない。
もちろんiPhoneもだめ。
iPhone相手にものをかんがえることなどできない。

フランクリン手帳はリング径が30mmの、分厚くてクソ重いものを使っている。
せめてちょっと出かけるときくらい、必要なリフィルだけいれられるバインダーがあればいいのに、としばしば思っていたが、ついに出た!
リングレスバインダーだ。
閉じリングがないので薄い。
持ち運ぶには楽だろう。

MacBookだけでもだめなのだ、手書きの手帳がないと。
キーボードを打つ/画面を見る、ということと、手で書く/紙をペラペラめくる、ということとでは、頭のなかの働く場所と働き方がだいぶ変わるようだ(私の場合)。
ピアノを弾くこととものを書くことの両方がないとバランスが取れないように、コンピューターと手帳の両方がないとバランスが取れない。