2012年10月11日木曜日

不真面目であることに真面目になる

photo credit: shannonkringen via photopin cc

来週10月19日の「木を植えた人」300回記念公演のために、主催の深澤氏から依頼されたオリジナルテキスト「朗読者」を送ったところ、当の朗読者の榊原忠美氏(バラさん)からさっそく返事がきた。
そのなかに、
「おもしろいね。アドリブもいけそう」
とあって、思わず笑ってしまった。

バラさんにとって、アドリブができる、ということが重要らしい。
つまり、定型を排したい、自由でありたい、というニーズが強いのだ。

「木を植えた人」をコツコツと300回も読みつづけてきたことを見ればわかるように、バラさんは大変きまじめな朗読者だが、パフォーマンスの瞬間にはきまじめに型通りに読むのではなく、自分の自由さとか、柔軟性とか、楽しさを重視している。
つまり、おなじようには読まない。
「いまここ」の自分の感覚を大切にし、つまりそれはアドリブという形で即興性が表現される。

ひとつの型をきまじめになぞることが「まじめ」だと評価されることがあるが、それは逆に「不正直/不誠実」だと私はかんがえる。
「いまここ」の瞬間に自分自身の気持ちや環境、聴衆が「おなじ」であることはけっしてない。
それはつねに流動的であり、瞬間瞬間移りゆくものだ。
その変化にたいして正直であり、誠実に対応していくこと。
そのことにまじめでありたい。

この点にかんして、私とバラさんの価値観は完全に一致している。