2012年12月19日水曜日

『共感的コミュニケーション〔入門編〕』共感的でない


私たちが日常的におこなっているコミュニケーションのほとんどは、あまり共感的ではないといえるものだ。
 ではどういうものが共感的でないといえるだろうか。
 だれかの話を聞くとき、たいてい私たちがやってしまうのか、「相手のマイクを奪う」的なことだ。
 たとえばあなたの友だちが、
「今日、ささいなことで仕事の上司からしかられてすごく落ちこんでるの」
 といったとする。するとあなたは、
「わかるわかる。私もこのあいだつまんないことで上司からネチネチいわれてすごく落ちこんだわ」
「わかる」ということで相手に共感しているつもりが、いつのまにか自分の話になっている。あるいは、
「上司からしかられるなんてよくあることじゃない。気にしない気にしない」
 友だちの気持ちを軽くしてあげようと思ってるそんなことをいうのだろうが、問題を軽んじてみせても友だちの気持ちは晴れないだろう。
 逆に、
「それは大変ね。仕事の関係は大事だから、いまのうちにきちんと上司にあやまっておいたほうがいいよ」
 コトを重大視して相手をおどす、あるいはアドバイスを与えてそのとおりに行動させようとする。
 最初の例に似ているが、
「わかるわかる。上司にしかられると落ちこむよね。いやよね。悲しいよね」
 といって、いっしょに落ちこんでしまう。これは一見共感しているように見えるが、実は同情しているだけで、これも相手の気は晴れないだろう。
 ではどうすればいいのだろうか。

 ここで一歩立ち止まって、あなたの友だちがなぜあなたに上司からしかられたことを話しているのかをかんがえてみたい。
 友だちはあなたにアドバイスしてもらいたくて話をしたのではない。ましてやなにかを決めつけられたり、マイクを奪われたいと思っていたのでもない。同情してもらいたくもなかった。あなたに自分の落ちこんでいる気持ちをわかってもらい、友だちとしてのつながりを確認することで安心したり、落ち着いた気持ちになりたかったのではないだろうか。たぶん無意識にそういうことを求めている。
 あなたもなにか人に悩みを聞いてもらいたいと思ったとき、相手になにを求めているかチェックしてみるといい。ときには本当にアドバイスを求めたいときもあるかもしれないが、たいていはただ話を聞いてもらいたいだけなのだ。
 では、どのようにすれば共感的に話を聞けて、友だちとのつながりを持つことができるだろうか。