photo credit: pasukaru76 via photopin cc
げろきょ仲間の弓子さんが自分の仕事として6弦ベーシストの服部龍生をプロモートしている。それを見ていると、ひとりのアーティストがだれかにプロモートを任せて自分は表現に専念できるというのは、どんなにめぐまれたことなんだろうと、いつもうらやましく思う。
私もピアニスト、小説家、そしてまたピアニストとして35年間、自分の表現をつづけてきて、しかしほとんどずっとひとりでやってきたので自分をプロモートしてくれる人はほとんどいなかった。
もう20年以上前、名古屋で朗読と音楽と造形の公演をやったとき(神がラプソディを奏でる時)、中村設子がプロデュースを引きうけてくれて、そのときはありがたかった。
大変満足のいく公演になり、お客さんもたくさん来てくれた。
みんながハッピーだった。
数年前、やはり名古屋の一歩さんが私にほれこんでくれ、ウェルバ・アクトゥスという集団を立ちあげてプロデュースを引きうけてくれた。
このときも私は作り手としての仕事に専念することができて、画期的な公演が実現したと思う。
それはいまでも私の財産になっている。
が、集客は思ったようにうまくいかず、その後一歩さんが身体をこわしてしまったので、動きは止まってしまった。
先日、レディジェーンの大木さんから野々宮にライブのオファーがあったとき、私は反射的にどういうふうにプロモートしようか考えはじめていたのだが、よくかんがえてみたらこれは大木さんがプロデュースしてくれるライブなので私はなにもしなくていいのだった。
メインは野々宮であり、私はゲスト共演者にすぎない。
このライブはたくさんの人に来てもらいたいが、これを人に宣伝するのはなんて気楽なことか。
自分のライブだと誘うのにとても抵抗があるのに、そうでないとなると無責任に宣伝できる。
かんがえてみれば私はずっと30年以上、自分を売ることばかりかんがえてきた。
その考え方が習性としていまだに身にしみついている。
それがとても苦手で嫌だったことに、いまさらながら思いいたる。
この話をだれかにすると、
「まだ気づいてなかったんだ」
といわれる。
自分では自分のことになかなか気づけない。
自分から目をそむけ、自分をだましつづけてきた。
そろそろやめようと思う。
自分自身を売るのはもういい。
私は商品じゃない。
そもそも、現役パフォーマーとしてはすでに盛りをとっくにすぎているし、商品価値もない。
それでも聴きたい、といってくれる人もいるが、まあひっそりとやればいい。
これからは人をプロモートすること、人を育てること、その人たちに「ネタ」を提供すること、これだけをやろう。
自分自身を売らなくていいんだと思ったら、とたんにものすごく気が楽になった。
そして自由になれるような気もする。
というようなことを書いていて、こういうことをすでに何度かかんがえたり書いたりしたような気がしてきた。
何度もこんなところを行ったり来たりしている。
なんだろう、未練があるんだろうか。
そうではない。
ただ忘れっぽくてバカなだけだ。
何度も何度も、自分が大切にしていることを確認しながら進まなければならないのだ。
しかし、忘れっぽくてバカな人間にしかできないこともある。
あまり時間はない。
自分のやりたいことだけをやろう。
なにかをやるときには、それが自分の本当にやりたいことなのかどうかをきちんと時間をかけてチェックしてから取りかかることにしよう。
とにかく、スタンドアロンのアーティストとして自分で自分を売ることは嫌なのだ、ということを、いまは確認しておく。