2012年11月2日金曜日

共感的コミュニケーションについての誤解「言動制限」

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私にも身におぼえがあるのだが、共感的コミュニケーションの勉強をはじめたとき、これを身につけることでいままでの自分の人格・性格が変わったり、言動に制限を受けてしまうのではないか、という印象を持つことがある。
これまで好きなようにしゃべり、好きなように行動していた自分が「共感的に話さなければ/共感的にふるまわなければ」という一種の「制約」を受けるのではないか、という危惧をおぼえるのだ。
そのせいで、せっかくまなびはじめた共感的コミュニケーションから離れていってしまう人も実際にいて、それはとても残念なことだ。

もし私を直接知っている人ならわかると思うが、共感的コミュニケーションを身につけたことで、私の性格が変わったり、言動がこれまでと違ったりしただろうか。
もちろん人の話を聞くときには共感的コミュニケーションのスキルを使うし、自分自身の行動も自己共感にもとづいておこなうことが多いので、以前とまったく同じというわけではない。
しかし、より「私らしく」なったといえるのではないかと思う。

以前は自分に嘘をつくことばかりしてきた。
その結果、自分の言動にみずから制約をつけてしまっていた。
いまはそういうことは少ない。
自分の感情を観察してニーズを確認し、正直に、誠実に話したり行動するように心がけている。
できるだけがまんしない。

「わがままになる」ということではない。
わがままというのは自分のことしかかんがえていない状態だが、共感的コミュニケーションでは相手のことも大切にする。
だから人の話を聞くことが楽しいし、相手も喜んで話をしてくれる。

共感的コミュニケーションをまなぼうとしている人には、ぜひきちんと深く学んで理解し、自分の言動をより自由に正直にしていってほしいと願う。