2012年1月18日水曜日

身体とマインドになじむ文体を探す

今日はちょっと文体を着替えてみようと思います。
文体を「ですます」から「だである」に変えてみようと思う。
変えてみた。
私は29歳のときに職業小説家としてデビューしたのだが、その文体はもちろん「だである」調だった。そのころ、小説を「ですます」調で書くと、なんだか大江健三郎みたいになってしまう感じがしたのだ。私はむしろ安部公房のほうが好きだった。
その後、基本的にその文体でものを書いてきたのだが、近年、ですます調も使うようになった。とくにブログのように書き言葉ではなく、話し言葉ばに近い雰囲気の文章では、ですます調のほうがいいのではないかと思ったからだ。しかし、どうも違和感がある。自分の頭のなかで使っている言語と、それになじんでいる身体、マインド全体が、どうも私の場合「ですます」ではなく「だである」のような気がしてきた。
最近、マインドフルネスの練習で自分の身体のなかで起こっていることをじっくりと探す練習をするのだが、それでなんとなく文体にたいする違和を感じるときがあることを発見した。それで今日は「だである」で書いてみた。
違和感はないか?
ある。その原因をいまから探して検証してみたい。