2012年1月10日火曜日

便利さのなかで失われたもの

時代の変化、というと、つい大きな歴史的できごとを思い浮かべてしまいます。学校で習うし、マスコミでもそういう取り上げ方をするからでしょう。たとえば近代の大きな変化というと、明治維新、日中戦争、太平洋戦争、高度経済成長、オイルショック、バブル崩壊、911テロ、311大災害と原発事故、というふうにとらえます。しかし、実際の私たちの生活の変化は、これらの大きなできごととは関係なく起こっているのです。完全に無関係というわけではありませんけどね。
 日本人の生活は江戸時代から明治、大正、昭和と、あまり大きくは変わっていません。かまどに火をくべ、薪でお湯をわかし、畳の上で生活し、布団で寝る、といった生活をずっとつづけてきたのです。私が子どものころもそうでした。幼いころは風呂はまだ薪でしたし、家に「洋間」はありましたが、基本的は畳の部屋でした。もちろん洗濯機も冷蔵庫もテレビも電話もありません。
 それが劇的に変化したのは、昭和35年くらいからです。東京オリンピックの39年を境に、変化は加速していきます。それが便利で文明的な幸福な生活だと信じていたからです。
 いま私は立ちどまって問いたいと思います。それで本当に幸福になったのか、と。本当の幸福とはどういうものなのでしょうね。