2013年4月12日金曜日

「どうせ」というマインド

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私も身におぼえのあることだが、人はときにとても卑屈になり「どうせ私なんて……」といじいじすることがある。
たとえば、私が主宰している現代朗読協会では、しばしば公演やライブを企画して開催することがある。
そんなとき、なにかいいアイディアを思いついて提案したときに、それが却下されると「どうせ私なんて……」といじけたり、あるいは提案する前から「どうせ採用されないし」と引っこみ思案になったり、といったことだ。
あるいは、公演に出たいのに、自分にはまだまだ力がなくみんなの足を引っ張ってしまうのではないかと臆して「出たい」といいだせなかったり。
いまの現代朗読協会にはそういう人はいないけどね。

こういう自分は悲しいし、自分自身をないがしろにしているし、またみんなとのつながりを持てないし、主宰側からしてもこういう人の扱いはとてもやっかいだ。
なにもいいことはない。
「どうせ」という気分に襲われたとき、どうすればいいだろうか。

「どうせ」と思いはじめたとき、自分のなかにどんな感情が浮かんでいるだろうか。
悲しい?
苦しい?
つらい?
寂しい?
すこし怒りをおぼえている?
その感情をきちんと見ることで、感情が自分のどんな価値を指ししめしているのか探してみる。

自分の能力が発揮できなくて悲しいのか。
自分を表現できなくて苦しいのか。
積極的になれなくてつらいのか。
みんなとのつながりが持てなくて寂しいのか。
ふがいない自分に怒りをおぼえているのか、それとも自分のそんな気持ちを理解してくれないみんなに対して怒りをおぼえているのか。

自分がなにを大切にしているのか、なにを必要としているのか、どういうことに価値を見いだしているのか、そういったことにきちんとつながってみる。
漠然とかんがえているだけでなく、感情と価値を手帳に書きだして自分のなかを整理してみるのはとても有効だ。

自分の価値につながれたら、ではその価値を大切にするためになにができるかかんがえてみる。
「どうせ」から「じゃあ」に気持ちが変わったとき、動きが生まれる。
引っこんでいた自分から、自分の価値を大切にするために動きはじめる自分に変わる。
「じゃあ、こういうふうにしてみよう」
こういうふうに動きはじめると、まわりの人との関係性も変わるだろうし、主宰側の私としてもそういう人を受け入れやすいし、なによりつながりが生まれることがうれしいのだ。