2013年4月5日金曜日

自分の音に55年かかってようやくめぐりあえた

今日一日かけて、音楽アルバム「quiet pictures 3」の製作作業がだいぶ進んだ。
数日以内にリリースできるかな。
自分の音を聴きながら、遠いとおい回り道をしてようやくここの、自分の音にたどりついたんだなあと思って、感無量。

音楽をやる人はなにをめざして音を作っているんだろう。
私の場合は、最初、まず、自分の好きな音、あこがれの演奏家がいた。
ラジオから流れる音を聴いて、かっこいいなあ、しびれるなあ、と思って、レコードを買い、何度も何度も聴いたりした。
自分もそういう演奏ができるようになりたいと思って、試行錯誤しながら練習したりした。
田舎住まいだったので先生はいなかったから、独学だった。

都会(といっても京都)に出て、たくさんのミュージシャンと接し、いろんなスタイルや考え方があり、自分はどうすればいいのかずいぶん迷った。
試行錯誤のなかで、模倣ばかりしていたような気がする。
自分の音がどういうものなのか、まるでわからなかった。

自分の音がどういうものなのかわからないというのは自分でも認めたくなかったけれど、正直いうとずっとそういう状態がつづいていたように思う。
どういうものが自分の音なのかわかるというのは、自分の音がどういうものなのかまったく気にせず演奏できるときだ。

朗読とセッションするというチャンスが増えたときに、自分というものを気にせずただ相手に反応する、コミュニケートするという演奏に集中するようになった。
自分がどうしたいとか、どういうものが自分らしいとかかんがえないように演奏するとき、初めて自分らしさが出てくる瞬間があった。
つまり、自分(の意図的な思考という自我)を手放したとき、初めて本来の自分がそこに立ち現れてくるのだ。
そういう経験をたくさんした。


フットセラピストの徳久珠央さんとやらせていただいている「玉響のとき」も、先日3回めとなった。
参加された方の足もみをされている珠央さんのかたわらで、私はその空気を感じながら即興演奏をするという企画だ。
3回めの前回、私は本当にびっくりするほど、「なにもかんがえずに」演奏することができた。
なにもかんがえない、というのは、投げやりに演奏するということではない。
かんがえないけれど、多くのことを感じとりながら自分のなかから出てくる反応を受けとめながら演奏するのだ。
かんがえはないけれど、次々と立ちあらわれてくるイメージに反応するために、とてもいそがしい。
時間が濃密にすぎていく。

そのときの演奏をレコーディングしてあった。
それをアルバムにできないかと、今日、編集していた。
たしかに自分が演奏した音だし、その記憶もあるのに、どこか距離感がある音。
昔、こういう音を遠方にながめていながら、なぜかそこに行く道筋を選ばずに、手近な音ばかり拾い集めていた自分がいた。

ああ、本当はずっとここに来たかったんだ、無理ばかりしてここからはるか遠くに向かおうとしてばかりいたんだ。
そのことを感じて、私は深い悲しみを悼むと同時に、自分の本当の音にもどってこれたことにしみじみと喜びを覚えた。