2013年4月21日日曜日

現代朗読公演「キッズ・イン・ザ・ダーク 〜 春の宴」が終わった

2013年4月19日、20日。
明大前キッド・アイラック・アート・ホールで現代朗読公演「キッズ・イン・ザ・ダーク ~ 春の宴」の2回公演が終了した。

「キッズ・イン・ザ・ダーク」と冠する公演は、昨年夏の「夏の陣」、昨年末の「冬の陣」ときて、これが3回めとなる。
なんとなくシリーズ化した観がある。
シリーズタイトルは、会場である〈キッド・アイラック・アート・ホール〉と、その暗闇のホール空間と、現代朗読のメンバーが内包する子どものような純粋な表現欲求を開放する場としての意味を重ねあわせている。

これまでもそうだったが、今回も「朗読はライブだ!」ワークショップ参加者、つまり現代朗読協会メンバーではない一般参加者と、現代朗読協会メンバーであるゼミ生とのミックスで出演者が構成されていた。
まったく現代朗読の経験がない人がたった6回のワークショップで、いわば公式公演に出演できるのか、ゼミ生との表現クオリティの歴然とした差はどうするのか、またゼミ生のなかでもさまざまな表現スキルの者がいるのに、それをおなじステージにあげて成立するのか。
そういった心配が過去もふくめ常にあがってきた。
が、とくに今回、私はそのつまらない心配について自分のなかで完全に処理し、演出として徹底することができたと思っている。
つまり、表現にうまいもへたもない、すべての人は表現者であり、徹底的に誠実な自分自身としてステージに立つとき、どのようなスキルであっても観客はそれを受け取り、共感する、ということだ。
もちろんそれは、観客側にそれを受け入れるための姿勢がある程度できている、という条件も必要だが。
その点についても、実は私の仕事なのだろうと思うし、今後引き受けていく覚悟も今回できた。


19日、金曜日。19時半、開場。
この日は定員を超える満席で、席を増設した。
ライブワークショップ参加の百絵ちゃん、珪子さん、梓さんの3人に前説をやってもらう。
20時、開演。
そしてあとは怒濤のパフォーマンス。
一瞬たりとも眼を離せないスリリングな内容で、朗読公演という型からは完全に逸脱しているが、どこにもない、だれもやったことのない表現の形が生まれたのではないかと思う。
今回、カメラを贅沢にも4台回して記録をとったので、この模様はあらためて映像作品にまとめたいと思っている。

21時半、終演。
お客さんたちも興奮ぎみで、撤収に22時すぎまでかかってしまった。
多くの方々がアンケート用紙に感想を残してくれた。
その抜粋をこちらに紹介した。


20日、土曜日。12時半、開場。
13時、開演。
この日はやや予約に余裕があったので、席を減らし、私のキーボードの位置も変えた。
メンバーが全部ではないが入れ替わり、おなじ脚本を使っているがまったく違ったパフォーマンスとなる。
両日とも出演したメンバーも、「いまここ」の自分の気持ちや雰囲気、コミュニケーションのなかで、まったく違った表現になっていく。
私もそれとコミュニケーションを取りながら音楽演奏をつけていった。

終わってからはいろいろな意見が耳にはいってくる。
いつものとおり、賛否両論といった感じだが、もとよりそれは望むところだ。
既成の枠におさまるつもりはまったくないし、自分たちの外側にある評価基準にあわせるつもりもなく、ただ自分たちの表現衝動から発する内側の創造的な欲求を形にしていきたいだけで、それが既成のものにあてはまるはずもない。
それを受け入れてくれる人もいれば、受け入れられなくて怒る人もいる。
そのことはとてもありがたくうれしいことだ。
方向性がまちがっていないことを確認できる。


全部終わってから、撤収。
その途中に、みぞれちゃんがしかけた、演出助手を今回つとめてくれたてんトコロの誕生日にたいするちょっとしたサプライズイベントがおこなわれて、大変スリリングでありつつ楽しかった。
そして羽根木の家にもどり、打ち上げ。
笑いあり、涙ありの、とても豊かな時間で、自宅に帰るときにひとりでかみしめていたのは、げろきょという集まりがこうやって実体化しているのは奇跡のようなことであり、それは私が始めたことではあるがまったく予想もしていなかった幸福な展開であり、私はこの場を持続し死守していくことが自分の生涯の仕事なのかもしれないな、ということだった。