2011年11月10日木曜日

退屈ではない楽しくスリリングな朗読をやりたい方へ

 出演者だけが自己満足の退屈な朗読会がそういつまでもつづくとは思っていませんでしたが、最近すこしずつ、いろいろな形の朗読会が開かれるようになってきたように見えます。音楽との共演をはじめ、ダンスや美術、その他さまざまなパフォーミングアートとの組み合わせを見かけます。また、会場もホールだけでなく、民家やギャラリー、カフェなど、おもしろい場所でやっているようです。
 とてもうれしいことです。もっとも、これらのバラエティが、現代朗読協会の活動によって広まったものだなんて傲慢なことは微塵もかんがえていません。むしろ、現代朗読はまだまだ、いやまったく知られていないので、もっと皆さんに知ってほしいのです。
 というのは、自由でバラエティ豊かな朗読会がひらかれるようになってのはとてもいいんですが、それらがまだたんなる「思いつき」の域を出ていないものが多いみたいだからです。また、音楽などと「共演」するといっても、「伴奏」や「添え物」的に使われることが多く、あくまで主導権は朗読の側にあるようです。
 現代朗読では、朗読が「主導権」を握るのではなく、「共演」することが目的です。どちらが主導ということはありません。ともに表現するのです。お互いにコミュニケーションを取り、触発されながら、表現を高めていくのです。
 また、いろいろ自由にやっているといっても、そこには「コンテンポラリー」という理念があり、表現を根底から支えているものがあります。けっして思いつきでやっているわけではありません。
 バラエティ豊かな表現も、たんなる思いつきだけだと、やはり深みを持つのは難しく、長続きもしません。退屈な朗読を打ち破りたくてやっている方は、ぜひ一度、現代朗読協会をのぞきに来てください。だれもが一様に「目からウロコが落ちました」といってくれます。
 私たちは従来「やってはいけない」といわれていたことを「やってもいい」といい、「やらなくてはいけない」といわれていたことを「やらなくてもいい」といいます。あまのじゃくでいっているのではなく、理念が根底から違うのです。
 現代朗読では、
「表現において〈~ねばならない〉ことはなにひとつない。やりたいことは全部それを自分に許してあげましょう」
 という考え方でやっています。自分を表現するんですからね。そこになんらかの制約があっては意味がないでしょう。私たちはただ一回きりの人生を生きているんですから。

 現代朗読を気軽に体験できる体験講座を毎月やっています。
 次回は次の土曜日、11月12日午後1時からです。くわしくはこちら