2011年11月11日金曜日

ダンス公演「ジゼル達の森」を観てきた

下北沢・北沢タウンホールでおこなわれたモダンダンス公演「ジゼル達の森」を観てきました。出演者のおひとり・高橋京子さんに明治大学での朗読の臨時講義でお世話になり、この公演の案内をいただきました。

「ジゼル」はクラシックバレエの有名な演目ですが、それに着想を得たモダンダンス作品でした。300席近くあるホールが満席で、びっくりしました。
出演者たちのダンスパフォーマンスや身体性のクオリティは非常に高くて、これにもびっくりしました。でも、これは失礼ですね。考えてみれば、高橋京子さんは大学で教えておられるような方で、そういうレベルの方たちが集まっておこなわれた公演なんですから。
しかし、正直いうと、物足りなさも感じました。
せっかくクオリティの高いダンサーたちがいながら、公演自体のコンセプトがかなり古臭い。クラシックバレエの公演に近い作りです。あるいは、ミュージカルのダンス部分だけ抜きだしたようなショー的な印象です。ダンサーたちの「個あるいは群としての表現」の本質的な核をまったく見せてもらっていないという気がしました。

表現の本質とはなんでしょう。
テクニックを誇示することではないはずです。ダンサーの存在そのものを観客に伝えること、ではないかと思うのです。その点に関して、十全な思考と準備と演出がおこなわれていたのかどうか、疑問です。
以下はいいすぎかもしれませんし、おしかりを受けるかもしれないことを覚悟で書くのですが、ダンスの世界はひょっとしてダンサーが指導したり演出することで限界を作ってしまっているのかもしれない、と思いました。
私の話で恐縮ですが、現代朗読では演出家(私ですが)は朗読をしません。演出は演出というプロセスに集中することで、朗読者のポテンシャルを可能なかぎり、あるいは可能性をさらに超えて引きだしていきます。自分が読んでしまうとそれができないのです。「ジゼル達の森」の演出はどうだったのでしょうか。

などと無責任に書きたい放題ですが、出演者のみなさんは本当にすばらしいダンサーでした。
たとえば高橋さんとは、朗読と共演してもらえないかな、なんてことを夢想しました。あるいは、大きな公演でなくてもささやかなライブでもいいので、音楽と演出を私にやらせてもらえないかな、なんてことも。
そのときには、「モダン」ではなく、より「コンテンポラリー」に行くとは思いますけどね。