2012年2月7日火曜日

人に嫌われたくない、迷惑をかけたくない、という不安や怖れ

photo credit: Meredith_Farmer via photopin cc

帰省中は雪かきの合間に、けっこう文章を書けた。うれしい。

私がこれほど大量に文章を書き、ブログに掲載するのは、第一にはもちろん自分を表現したいからだ(他にも多少の理由はあるが)。そして、自分の表現をだれかに受け取ってもらいたい。損得抜きで、私が書いたり行なったりすることを、人に差し出したい。投げ与えたい。受け取ってもらいたい。その思いで、私は毎日書く。

その結果、人が喜んでくれる。私もうれしい。

なかには喜ばず、批判的な、ときには罵倒とも取れる言葉を返してくる人もいる。それとて私はうれしい。なぜなら、その人も私を受け取ってくれたことには違いないからだ。

私が書いたり行なったりしたことを高く評価してくれる人もいる。低い評価しかくれない人もいる。

いずれにしても、それは私がみずから行なったことの結果にすぎない。


ときに喜んでもらったり、評価してもらう「結果」にすぎないことが、「目的」にすりかわってしまうことがある。というより、ほとんどの人がそれを目的に行動しているように見える。

なにをするにせよ、人から褒められたい、認められたい、評価されたい、ということを目的に行動している人が多い。

より消極的な態度としては、おなじマインドだと思うが、人から嫌われたくない、迷惑をかけたくない、という行動を取る人もいる。

どれも人からの「評価」を基準に自分の行動を決めてしまっている。

人からの評価を基準に行動するとき、人はそのポテンシャルの多くを発揮できない。外部評価に対する「萎縮」がパフォーマンスの質を劣化させるのだ。外部評価を基準にしたとき、人は自分の能力以上の力を発揮することは決してない。

人が自分の能力以上の力を発揮するのは、純粋に内的衝動によって行動するときだ。無邪気な好奇心の発露によって動くとき、人は潜在能力を伸張させる。


私たちは学校教育のなかで、社会システムのなかで、常に評価されることを自分の行動の規範として生きてきた。いまさらそれを見直すのは非常に大変なことだ。

が、評価システムから離脱できなければ、一生私の人生は他人の奴隷である。たぶんたった一度しかない私の人生は、私自身のものでありたい。