photo credit: Mena Rota via photopin cc
朗読表現のクォリティをあげるもっとも有効な方法は、自分の身体にたいする感受性とそのコントロールを緻密に、繊細にビルドアップしていくことだ。
朗読表現のクォリティをあげるもっとも有効な方法は、自分の身体にたいする感受性とそのコントロールを緻密に、繊細にビルドアップしていくことだ。
これは現代朗読の方法を検証しつづけてきた過程で得た結論だ。
現代朗読は、朗読を「放送技術」や「文芸伝達」の延長線上としてとらえることをやめ、身体表現としてとらえ研究・実践することをおこなってきた。つまり、朗読を音楽演奏やダンスと同等の身体技能を用いる表現ととらえている。
この考え方は、一見矛盾して聞こえるかもしれないが、現代朗読を日本の古典的で伝統的な「語り芸」の延長線上に置くこともできる。
日本は古来からさまざまな語り芸があり、それぞれに発声や呼吸、身体使いの工夫がされてきた。古くは琵琶語りから始まって、能、狂言、文楽、歌舞伎、落語、講談、その他多くの語り芸があり、それらにはいずれも独特の身体使いがある。
大正から昭和にかけて生まれたラジオ放送や戦後のテレビ放送、それに付随するマスメディアのなかで育ってきた語り芸、すなわち「放送技術」は、これら日本の伝統的な身体使いの方法を踏まえては(ほとんど)いない。現代朗読ではそこのところに注目している。
もちろんコンテンポラリー表現であるから、伝統的な「技術」を学ぶことはあっても、表現そのものはどんな「型」にもはまることはない。当然、身体使いの技術も、日本古来のものだけから学ぶのではなく、有効だと知れば世界中のあらゆる技術を学ぶだろうし、げんにそうしている。
いずれにしても、表現身体にたいする緻密な観察と自覚にもとづいた調整と、身体感受性の向上を日々たゆまないことは、現代朗読のパフォーマーにとって必須事項といえよう。
まあそのことによって世界の見え方が変わり、生活そのものも大変楽しくなるのだが。