2011年6月27日月曜日

トランジション世田谷 茶沢会による説明会のご案内

現代朗読協会のライブやゼミなどで羽根木の家に時々遊びに来てくれるhiloさんが、以前からこの会の話をしていました。
ちょっと興味があったので、お話をうかがいたいと思っていたところ、茶沢会の方が羽根木の家で説明会を開いてくださることになりました。
以下、その案内です。どなたでも参加できます。

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トランジション世田谷 茶沢会 説明会

2011年7月4日(月)19:00~21:00くらい

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日本のいくつかの地域で始まっているトランジション・タウン運動。
自然と共生する持続可能な暮らし・地域・社会へと、
自分たちの住んでいる街から自分たちの手で移行(トランジション)していこうというものです。
これを知った私たちは、自分たちの暮らす世田谷でも始めてみることにしました。

昨年の1月に立ち上げをし、早いもので一年半を迎えることが出来ました。
地域を知ること、地域での出会い、それぞれの顔の見えること、
お互いを知ることを大切に、ゆっくりとではありますが活動を重ねてきました。

311の東日本大震災と原発事故は、私たちの暮らしや社会を問い直す大きな機会となり、
新たに関心を持っていただく方や、仲間として参加してくださる方も多くなりました。
そうした方々へトランジション・タウン運動について、また茶沢会の活動について、
一緒にお話しする機会をもちたいと思い、説明会をひらくことにしました。

今回、地域のつながりの中で出会った現代朗読協会さんの
羽根木の古民家を会場としてお借できることになりました。
畳のゆったりしたスペースでお茶を飲みながら、
みなさまとのつながりを深める時間にできたらと思います。

ご興味のある方、ご都合のつきます方、どうぞお気軽にご参加下さい。


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日時 :2011年7月4日(月)19:00~21:00くらい
    はじめの30分ほどで「懐かしい未来」のダイジェスト版を鑑賞しようと思います。
    終了後は22:00くらいまで持ち寄りごはん会の時間とします。

場所 :現代朗読協会「羽根木の家」
    世田谷区羽根木1-20-17
    井の頭線新代田駅から徒歩2分

参加費:100円からのカンパ
    ※参加費は会場へのお礼と残りを茶沢会の活動資金といたします

持ち物: 靴をぬいで上がる会場ですので、靴下を履いていただくようお願いします。
      お茶を準備しますので、マイカップをご持参ください。
      終了後のごはん会に参加希望の方は、一品以上の食べ物&飲み物などと
      マイ皿&マイ箸をご持参ください。

予約 :予約なしでも参加できますが、人数把握のため、予約をいただけると助かります。
     お名前・人数・メールアドレスをお伝え下さい。

予約・連絡先:
    mail:ttsetagaya@gmail.com
    tel:09084505846(矢郷まで)
    当日の連絡先も現代朗読協会ではなくこちらにお願いいたします。


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主催:トランジション世田谷 茶沢会 一同

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日曜日は現代朗読とテキスト表現の日

昨日、日曜日は、朝から現代朗読の日。
午前中は朝ゼミ。なおさんが急遽、7月9日のお座敷ロードクライブパーティーに出演することになり、その演目を練習する。絽美さんにピアノを弾いてもらい、合わせる。なかなかいい感じ。
そのあと、またバランスボールを使ったエチュードをやる。このエチュードは相当有効だ。どんどん読みが変化していく。

昼はピピカレーに行き、昼食。
玄米カレーがおいしすぎて、食べすぎた。新メニューのなんちゃって沖縄タコライスも激うまらしい。

午後は現代朗読基礎講座の今期初回。参加者は見学を含めて8名。
エチュードをやりながら、現代朗読の考え方、やり方について、じっくりと解説・体験していってもらう。とにかく、身体表現としての朗読、身体表現者としての朗読者という考え方と日々のありかたを理解してもらうことからスタート。
現代朗読基礎講座の詳細はこちら

夜はテキスト表現ゼミ。
今回の宿題はテーマが「鼻毛」だった。それに沿った短文を書いてきてもらって、お互いに発表しあう。今回もおもしろい作品が集まった。
後半はライティング・エチュード。テーマは「リアルウラシマ」。あらすじと描写の違い、昔話の文章と現代小説のアプローチの違いを解説したあと、みんなにも現代小説のアプローチで浦島太郎の物語の冒頭部分を書いてもらった。
みんな、どんどん力をつけてきている。
テキスト表現ゼミの詳細はこちら

2011年6月26日日曜日

身体を動かすことで朗読がおもしろくなる

昨日の午後は「朗読はライブだ!」ワークショップの4回め。
最終日はライブを実際におこなうので、練習に使えるのは昨日と来週の2回のみ。そろそろ演目を実際のライブに即して組み立てていこうということで、群読の段取りなどを決めていく。
昨日までの3回でエチュードはおこなっているので、群読の段取りを決めてもなにか特別なことがあるわけではない。エチュードの延長線上でみなさん自然にやってもらえる。
今回はメンバーが4人だが、今回もとてもクオリティの高い群読パフォーマンスとなるだろう。演目は夏目漱石の『夢十夜』のなかから「第三夜」。
ほかに、4人全員にひとりずつ、単独で読んでもらう作品もある。
こちらも練習した。読み方をどうのこうの指導するのではなく、身体を使ってもらう、動かしてもらう、動きたいところは全部動かしてもらう、バランスボールに乗ってもらう、などなど、ひたすら身体の使い方の練習。
朗読は身体表現なのだということを、徹底的にやりこんでみる。みんなの読みが見る見る魅力的になり、表現が動きはじめる。

このメンバーとゼミ生による朗読ライブパーティーは7月9日15時から、羽根木の家でおこなわれる。
入場無料。
詳細はこちら

2011年6月24日金曜日

肉体派の朗読者たち

「朗読は身体表現である」という考え方のもと、現代朗読協会のゼミやワークショップではかなり身体作りや、自分の身体への意識を高めることをやってきた。
やればやるほど、滑舌だのイントネーションだの日本語発音規則だのといった口先の技術をやるより、身体の使い方を変えることで劇的に朗読が変わり、表現の質があがっていくことがわかってきた。
もちろん、口先の技術をまったくやらないわけではないけれど、それは朗読表現にとってまったく本質的なものではない、という立場をとっている。
呼吸、姿勢、そして身体使い、これらに意識を向け、身体表現としての朗読を深めていくことで、非常に質の高い表現者が次々と生まれてきている。

昨日のゼミは、とくに月に一回「部活編」と称して、フィジカル面を強化する日だった。
昨日はまず座学で胸郭と腹部の構造、筋肉と骨格の基礎知識を解説したあと、呼吸と姿勢筋のいわゆるインナーマッスルを鍛えるプラクティスを全員でやった。
そのあと、バランスボールを使ったエチュード。
バランスボールに座ってもらい、私がテキストを持って、それを読んでもらう。その間、私はすこしずつテキストを動かし、読み手の姿勢が変えてもらう。身体がねじれたり、仰向いたり、うつむいたり。その身体に意識を向けながら読んでもらう。
次に、テキストを自分で持ち、バランスボールの上で自由に動きながら読んでもらう。
最後に、バランスボールの上で動いていた自分の身体の感覚を保持したまま、普通に椅子にすわって読む。
全員、驚くほど朗読が変わるのだ。そしてその変化は、なにか作り上げられたくまれた変化ではなく、ごく自然な、本来その人が持っているのびのびとした読みへの変化となっていて、とても楽しい。読んでいるほうも楽しいという。
このエチュードでなにが起こっているかについては、もう少し検証してみようと思っている。

壁の隙間から生えた植物と子猫

生後3ヶ月くらいの子猫でしょうか。壁とドアの隙間から生えた植物に興味を示して、匂いをかいだりかじったりしようとしてます。なんにでも興味がある時期なんでしょうね。
今回は割合色使いがうまくいったように思います。だんだん猫スケッチの勘がもどってきたかな。
毎日描かなきゃならないですね。

◆絵を額装して販売しています◆
ご購入はこちらから。

2011年6月23日木曜日

二匹の子猫と乳を与える母猫

母猫と模様が違うんですが、間違いなく子猫でしょう。父猫似なのかな。
一心不乱に吸いついている子猫と、それをいとおしそうに抱える母猫の構図がほほえましいですね。
毛模様を描くのが難しかったです。

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2011年6月22日水曜日

ひさしぶりのオーディオブック収録(暑い!)

今日は午前中から岩崎さとこが来て、オーディオブックの収録。
作品は夢野久作の「霊感!」。ちょっとした息抜きに録りたいとさとこがいってきたものだ。
今日は夏至で、朝からかなり暑い。そして築76年の羽根木の家にはエアコンなどない。取り付けたとしても、古い木造家屋ではほとんど効き目はないだろう。
さらに、録音用のブースは密閉されるので、ほぼ蒸し風呂状態。
そんな中、さとこはがんばってくれた。
「霊感!」は通して聴くと70分を超える作品。収録にはそれの3倍くらいの時間がかかる。午前中に1回の休憩をはさんで2時間。昼食をはさんで、午後にやはり1回の休憩をはさんで2時間。
終わったときには、さとこも私もへろへろになっていた。
が、楽しくなかったかといえば、そうではない。オーディオブックの収録は大変な側面はもちろんたくさんあるが、基本的に楽しみなのだ。文芸作品とこれほどじっくり濃密にすごせる時間は、ほかにはちょっとない。
私は職業小説家になって25年以上たっているが、これほど濃密に文芸作品と向き合うようになったのは、オーディオブックを製作するようになったここ10年ばかりのことだ。若いころ、漫然と本を読み散らかしていた時間とは比較にならないほど、濃厚な文芸作品との時間をすごさせてもらっている。

アイ文庫ではオーディオブックの読み手の育成をおこなっている。
次世代オーディオブックリーダー育成講座においでいただきたい。次回開催についての詳細は、こちら

塀の上から外を見る三匹の兄弟猫

後ろに家があって、手前にコンクリートの塀があります。
って説明しなきゃわかんないな。
色が違うけど、たぶん兄弟(姉妹)猫。まだ子猫の面影がある若い猫。
猫の顔を描くのがむずかしい。黒猫は描きやすいんだけど。

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2011年6月21日火曜日

テキスト表現ゼミ秀作選「三つ編」

毎週日曜日の夜、羽根木の家でおこなっている「テキスト表現ゼミ」の習作から秀作を不定期に紹介していくシリーズ。
今回は船渡川広匡の作品。テーマは「三つ編み」に設定されていた。

テキスト表現ゼミでは商業作品や娯楽作品を排除しているわけではないが、活字マーケットを意識しない自由な創作に挑戦してもらっている。
テーマ設定にはなにか意味があるのかとよく聞かれるが、もちろん意味はある。あるテーマを与えられたとき、私たちの「顕在意識」は自分の記憶や理性を使ってなにか「整合性」のある読み物を作ろうとする。一方で「潜在意識」は私たちが思いもよらないイメージを水面下で沸き返らせている。
すぐれた書き手になればなるほど、潜在意識へのアクセスが巧みになる。文芸作品はほとんど潜在意識との格闘といってもいいくらいだ。
その練習のためにテーマがある。そしてテーマはときに突拍子もない。

船渡川広匡のこの作品は、潜在意識にうまくアクセスできたようだ。本人にもこのようなものが出てきた理由がわからないという。もちろん、そういうときの作品のほうがおもしろく、すぐれていることはいうまでもない。
私はこの作品を読んで、大震災・大津波のことを思った。船渡川の潜在意識にそのことがあったかどうかはわからないが、よい作品は人々のなかにさまざまなものを喚起する力がある。

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 三つ網

 灰色に淀んだ空は不吉な唸り声を上げ、白い波が船に当たっては砕ける。しぶきが
老人の顔にはね返る。腕で顔を拭い、櫓を巧みに動かす。小舟は波の合間を縫ってす
るりと抜けていく。
 ようやく納得する場所まで来ると、足元の網を両手で持ち上げ、宙へと飛ばす。網
は生き物のように広がり水面をつかむ。網が十分に沈むのを待ってから一呼吸置いて
ぐいと引っ張る。両腕の褐色の筋肉が盛り上がり、筋立つ。
 網を巻き戻し船上にどちゃりと落とすと、中には小魚が十数匹踊っている。
 老人は二つ目の網を海へと投げ、引っ張る。獲物がかかった網が巻き上げられる。
更に三つ目の網を投げる。

 彼にはかつて三人の息子がいた。
 長男が十五歳になった時、新しい網を与えた。最初の漁に出た時、ふいに来た大波
にさらわれた長男はもう戻っては来なかった。
 妻は嘆き悲しみ海を憎んだが、夫は「息子は海へ帰った」と言っただけだった。
 次男が十五歳になった。夫は彼に新しい網を与え漁に出ようとしたが、妻は網をど
こかに隠し、島の木の実をとる仕事を次男に指示した。次男は山へ分け入り木の実を
探したが、崖から転落して死んだ。
 妻は嘆き悲しみ山を憎んだが、夫は「息子は山へ帰った」と言っただけだった。
 三男が十五歳になった。夫は彼に新しい網を与え漁に出ようとしたが、妻はまた網
を隠し息子に家の仕事を指示した。三男が屋内で糸車を回していた所へ百年に一度の
大地震が起き、倒壊した家の下敷きになって死んだ。
 妻は嘆き悲しみ大地を憎んだが、夫は「息子は大地に帰った」と言っただけだっ
た。

 老人は足元に打ち投げた三つの網の中から手早く魚を仕分け、びくに入れていく。
 盛り上がった二本の腕が巧に縄を巻き上げ、帆を張る。帆は浜風を捕まえ、舟は波
を切って進む。浜にたどり着くと、最後の力で船を砂浜に押し上げて縄で杭にくくり
つける。
 小屋の入り口を開け、びくを土間に置く。老人は服を脱ぎ手拭いで体をふき取る
と、裸のまま寝台に静かに横になった。
 老人は目を閉じた。やがて彼の意識はまどろみに沈んでいった。
 老人は息子達の夢を見ていた。
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※テキスト表現ゼミは、随時、参加者を受け付けています。
 問い合わせ・お申し込みはこちらから。

6月19日におこなわれた「月あかりの森」公演のこと

私も演出とピアノで参加させていただいた。パフォーマーのNaomiさんと、ドールアートのToshieさんのユニットによる「月あかりの森」の公演。今回で5回めとなるそうだ。
その模様が、ご本人たちのブログにレポートされているので、紹介しておきます。
こちら

写真はリハーサル中の私。
丸さんが撮影してくれました。

2011年6月20日月曜日

テキスト表現ゼミ秀作選「さそり座」

毎週日曜日の夜、羽根木の家でおこなっている「テキスト表現ゼミ」の習作から秀作を不定期に紹介していくシリーズ。
ちょっと間があいてしまったが、今回は三木義一の作品。テーマは「さそり座」に設定されていた。

三木義一は現実感のない「観念的」な文章を書くことが特徴である。それを「欠点」といってしまうのはあまりに軽はずみにすぎる。彼の「観念」の世界は、どこか青臭い肉体に閉じ込められたような苦悩の匂いがある。その匂いには懐かしさすらある。
だれもが身に覚えのある匂いではないだろうか。
もっともっと観念を追求してもいいのではないか、とすら思える。観念を貫きとおした先に、身体性をともなった情念が垣間見えたとしたら、三木義一はあらたな地平を獲得するのではないか。

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シーツの端から白い足がはみ出している。
めりはりのないラインは、全く筋肉の存在を感じさせない。
小麦袋のように軽薄なたたずまいだ。

皮膚は薄く、その表面に水分は残されていないようだった。
膝の外側からくるぶしの内側にかけて、薄い体毛が流れている。
青い血管が薄く透けて見えるが、それらは表面に何の起伏も及ぼしていない。
皮膚直下を無軌道に潜行するか細いラインが、幾重ものまだらなレイヤーを形成している。


ただ、静かだ。


私はそれに触れてみる。
弛んだ皮膚はさざめき、かすかな擦過音をたて後ろへ去ってゆく。
が、後には何の痕跡も残されず、指先にプラスティックを触った後のような感触が残っただけだった。


これにはいったい、重さというものがあるのだろうか。


綿のわずかな起毛だけで、それは受け止められているように見える。
くるぶしを持って引き上げると、いとも簡単に宙へ浮かんだ。
何とも言えず嫌な感じがする。
関節の回転が感じられず、ただそれだけで虚空に浮かんだようだった。

風が吹いて来る。
静止していた体毛がさわさわと流れている。
毛細血管はジャンクションでつながれ、さそり座、射手座、蛇遣い座・・・様々な星座が点滅して見える。
点滅はさらに激しくなり、遍く光と闇の連続であることがはっきりと見て取れた。
それらは同じ重力で私を捉え、深さのない穴へと私を引き込んでゆく。

風が止んだ。
私には重さがなく、空間には上下がなかった。
表面のみが支配するこの場所で、私とはいったい誰なのだろう。
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ちなみに蛇足だが、三木義一は重度障害者介護のアルバイトをしている。

※テキスト表現ゼミは、随時、参加者を受け付けています。
 問い合わせ・お申し込みはこちらから。

コンクリートの台と木の枝にはさまれてこちらを見る猫の水彩スケッチ

ひさしぶりの猫スケッチです。
背景との遠近感がうまく出せずに、抽象画の中に入っている猫みたいになりました。ま、それはそれでいいか。

◆絵を額装して販売しています◆
ご購入はこちらから。

音読ケアは「質のいい呼吸と身体」を作ります

私がおこなっている「音読ケア」は、個人セッションもグループセッションも、ともに、呼吸からスタートする。
ご存知のとおり、精神が不安定になると、呼吸も浅く不安定になりがちだ。また、自律神経が乱れると、呼吸も不安定になる。
これは逆に利用することができる。つまり、呼吸を深く安定させることで、気持ちを落ち着かせたり、自律神経を整えたりできるのだ。
脳はつねに呼吸を監視し、調整している。気持ちが不安定になったり、生活リズムが乱れたり、ストレスを受けたりすると、呼吸の監視と調整がうまくいかなくなる。逆に、意識的に呼吸を安定させることで、脳に信号を送り、調整機能を取りもどすことができる。

まずは呼吸法からスタートし、声や音読を使って自分の身体の「いまここ(プレゼンス)」を意識するエチュードをおこなってもらう。
いわば、自分の声を使った「セルフ・ボディ・スキャニング」だ。
これはとても有効で、どの人もこれをやっている間は「マインドフルネス」を体感し、「いまここ」にいる自分の状態だけに意識を集中することができる。

呼吸法で深くリラックスできるが、しかしこれは決して身体に「楽をさせる」ことではない。
むしろ呼吸筋や姿勢筋にはしっかり働いてもらう必要がある。
深い呼吸はさまざまな呼吸に関係する筋肉を使うが、とくにインナーマッスルと呼ばれる体幹の筋肉を使う。
また、深い呼吸を柔らかく下支えするために、姿勢を保持する必要もある。つまり、姿勢筋にもしっかり働いてもらう。これもまた体幹の筋肉(コアマッスル)を使う。
これらを調整し、場合によっては鍛えていくことで、質のよい呼吸を作ることができる。呼吸の質があがると、身体の使い方の質も向上し、また気持ちも落ち着いてくる。

リラックスした呼吸と身体、そして心のためには、ある程度の筋肉の質と自分の身体への意識の向上が必要なのだ、というお話でした。
音読ケアに興味がある方はいつでもお問い合わせください。詳細はこちら

2011年6月18日土曜日

朗読ライブの稽古、オーディオブックのテスト収録、猫スケッチ、口琴ワークショップ

午前中からシマムラとかっしーがライブ朗読の稽古に来た。私は明日のライブ「月あかりの森」の準備があるので、放置。とはいえ、ついでだから昼食を作ってやることにした。
豊橋方式のお好み焼きを作る。写真を撮り忘れた。
シマムラが帰る前、朗読における身体使いの確認。彼女はよい身体性をしている。変に固まっていない。しっかりと読みこんでいけばよいパフォーマーになるはず。

14時から「朗読はライブだ!」ワークショップの3回め。
初参加の人はいろいろと迷いが出てくる時期らしく、ちょっと頭のほうが先行しているようだった。が、だれもがここを通過する。結局は声と身体に戻ってきて、ふたたび表現が楽しくなっていくのだ。がんばってね。
今日は最終ライブのための構成や動きを入れた練習をやってみた。
ライブは7月9日だ。どなたもおいでになれます。無料。来てね。
詳細はこちら

17時すぎから、オーディオブックリーダー養成講座の第10期の人たちの最終収録。たまたま、ゼミ生の久保りかの誕生会と重なってしまった。
座敷のほうで誕生会をやっているかたわら、ブースで収録。つつがなく終了。
そのあと、養成講座の人たちも現代朗読ゼミに興味があるということで、合流してもらった。

久保りかの誕生プレゼントにちっこい猫スケッチを描いて、ちっちゃな額縁に入れた。それをさらに箱に入れて、バランでトトロのおみやげ風に包んでみた。
喜んでくれた。

夜は徳久ウイリアムくんによる口琴ワークショップ。楽しそうだったが、私は明日のライブ「月あかりの森」の原稿整理やら音楽の準備。
終わってから、さらにいろいろと遊ぶ。口琴とカリンバを組み合わせたり。
徳久くんは10日ほどロシアに旅行するというので、Q3というビデオ付き記録機を貸し出した。

2011年6月17日金曜日

朗読者がひと皮むける瞬間はこの上ない快感

今日は夜ゼミだった。
最初は音読ケアがきっかけで羽根木の家に来たMさんが、今日はびっくりするような読みを聴かせてくれた。
Mさんは不安神経症や不眠の問題を抱えていて、最初は音読ケアを受けるために来た。個人セッションで呼吸と発声、音読エチュードをやり、そのあとも何度かゼミに出た。同時にオーディオブックリーダー養成講座にも参加して、オーディオブック収録のための練習もしている。
彼女にやってもらっているのは、一貫して呼吸と音読を使った「マインドフルネス」の練習。
今日は最初のチェックインで、マインドフルネスについてとても進歩した状況があったことを教えてくれた。
そのあとで、収録のための課題テキストを読んでもらった。
びっくりした。
声がまったく違う。彼女本来が持っている深くて柔らかい響きが出てきて、こちらの身体に染みこんでくるようだ。あまりにびっくりし、ゾクゾクしてしまったものだから、途中でいったん読むのを中断してもらったほどだ。
気持ちを落ち着かせて、つづきを読んでもらった。
声が変わったのは、呼吸と身体の使い方が変わったせいだ。おそらくマインドフルネスの練習が呼吸と身体を変え、それが声の変化となって現れたのだろう。これほど劇的な変化を目の当たりにしたのはそう何度もないことだったので、感動してしまった。

ほかにも、別の参加者のKさんは、朗読の際にガチガチに固まった身体性だったのが、かなり柔らかく身体を使えるようになってきていた。
肩こりがとてもひどいらしいのだが、なぜか身体を使えるようになって肩こりが楽になったのだという。もっともっと柔らかく身体を使えるようになるはずだ。そうすれば肩こりもさらに改善されるかもしれない。

今夜は、朗読の際に身体の表と裏ができてしまうことに意識して改善するエチュード、自分勝手な読み癖を改善するエチュード、こう読んでしまう/こう読まねばならないという思いこみを解消するエチュードなど、いろいろと充実したゼミだった。私にもとても学びの多い時間だった。
参加者の皆さん、ありがとう。

明日は午後2時からライブワークショップ。
夜7時半からは、徳久ウイリアム氏による口琴ワークショップ。

2011年6月16日木曜日

朗読は身体表現であることを繰り返し確認している

今日のゼミは参加者が10人を超えてにぎやかだった。
うち、ひとりはオーディオブックリーダー養成講座からの参加者。もうひとりは今日から参加することになった新ゼミ生。
午後も見学というか、臨時参加の俳優の男性が加わった。

朝ゼミは、群読でのオーディオブック収録をめざしている宮澤賢治の「なめとこ山の熊」を使ってのエチュード。
毎回、群読エチュードをやっていて、そのたびに身体性が向上し、朗読のクオリティもあがっていく。が、毎回、スタート時点では、そのクオリティは低い。やっているうちに徐々にあがっていく。
今日は参加者が多かったので、いろいろなパターンをやれたが、多い分、難しい面もあったようだ。たぶん、とてもたくさん、身体のいろいろな部分を使ってもらうことができたのではないか。
後半は、前回同様、ひとり読みを何人かやってもらっての「連想感想」。そして読みについては、繰り返し、現代朗読の身体使いについての方法を確認し、基本に立ちもどってもらう。

朗読は声と言葉を使う表現だが、それは身体を使うことでもある。
そのことを、何度も何度も繰り返し確認し、自分の身体に対する意識を高めてもらう。それが朗読表現のクオリティを飛躍的に向上させていく。この方法論が効果的であることは、毎回確信を深めている。

午後は昼ゼミ。
見学の役者さんが、ここでやっている独自の方法を見て、とても驚いた顔をした。私たちはごく普通にいつもやっていることが、世間一般から見たらとても驚くようなことであることは、見学者の反応などでしばしば思い出させられる。
しかし、私は特別なことをやっているつもりはない。だれにでもできることで、この私たちの方法でもっと多くの人が自分を表現することに自由に、楽しく、踏みこんできてくれるといいと思っている。

昼ゼミでは、伊藤さやかも来て、6月29日に埼玉県障害者交流センターでおこなうコンサートの打ち合わせとリハーサルをやる。ゼミ生が何人か、時間をすぎてもつきあってくれた。ありがとう。

朗読とダンス、または朗読というダンス

朗読という表現行為のクオリティをあげるには、身体のクオリティを高めることが一番の近道だ。
というより、唯一、その方法しかないと思う。
ちまたに多くある朗読講座や教室では、ほとんどが首から上周辺の「放送技術」を教えている。これを否定するものではないが、これらは「朗読という名の伝達技術」であって「朗読表現」とは似て非なるものだと、私はかんがえている。

「朗読」は言語(テキスト)をあつかうので、「伝達」の側面がある。どうしてもそちらにスポットが当てられてしまうのは当然のことだともいえる。が、朗読は言語伝達以前に、「表現行為」としてとらえる必要がある。
表現行為である以上、音楽や舞踏、美術、文学、演劇などと同様、表現者の存在/身体性を抜きにしてかんがえることはできない。そして身体性についての方法論は、20世紀以降のコンテンポラリー・アートの思考と試行を無視しては語れない。
しかし、日本においてこのアプローチをおこなっている朗読者は、私の知るかぎり、私たち以外にはいない(もしいたらアプローチ願います、歓迎)。

私はこれまで、現代朗読(コンテンポラリー・リーディングパフォーマンス)を提唱し、実践してきた。
その際、コンテンポラリー・アートの方法を取りいれ、しばしば他ジャンルの表現をメタファーとして用いて語ってきた。
もっとも多く引用したのが、音楽のメタファーであった。が、最近、舞踏(ダンス)を引用するほうがしっくりくるような気がしはじめている。

ヒトは言葉を使うようになって、身体に表と裏ができた。目の前の人に伝えようとするからだ。表現は前(表)に向かっておこなうもの、という意識が生まれる。そのとき、身体の背面(裏)はどうしてもおろそかになりがちだ。
一方、ある種のダンスは裏を取り戻すためにある。そのため、言葉は使わない。
ダンスをするように言葉を使えないものだろうか、と私はかんがえる。身体の表も裏も使って、身体全体で言葉を表現することはできないだろうか。

できる。

私はいま、朗読とダンスのことをかんがえている。あるいは、朗読というダンスのことを考えている。
朗読というダンスでは身体全部を丸ごと使う。身体に裏も表もない。声や言葉も、前、後ろ、横、上下、どの方向にも発せられる。そのとき、朗読者の身体はダンサーと同様、あらゆる筋肉、骨格、神経が繊細に自覚され、動く。つまり、朗読者が表現のクオリティをあげようとするとき、身体のクオリティをあげることを心がける。
これはなにも、アスリートのように筋肉を鍛えあげなければならない、という意味ではない。鍛えることとクオリティをあげることは違う。みずからの身体に自覚的になり、感受性を最大限働かせられるように調整しておく、ということだ。

もっとも、朗読とダンスには大きな違いがある。
朗読表現において、朗読者の手には「テキスト」がある。朗読者はそれを「読みあげる」という道すじにおいて表現をおこなう。
テキストはいわば、ピンと張られた一本の綱のようなもので、そこから逸脱することはない。その制約が朗読という表現行為にある種の緊張感を与えている。クラシック音楽の演奏者が楽譜から逸脱することがないことに似ている。

コンテンポラリー表現としての朗読はまだまだ未開拓であり、まったくの手つかずの分野だ。私にはやってみたいことが山のようにある。

今日のみずき:一番じゃなきゃ気にいらない

アイ文庫のウェブサイトに掲載している「今日のみずきさん」が、どうやら投稿システム(はりがみ屋)もしくはサーバーが不調のようで、書いたものが反映されないので、ブログに貼っておきます。一時的な処置です。
毎日、500字前後で書いているものです。

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はい、認めます。自分が一番じゃなきゃ気にいらないって。
いやいや、すべてにおいてそうだといってるんじゃないですよ。さすがにね、それはね。そうじゃなくて、自分の表現の仕事において、これだけは人に譲れないって部分があると思うんですよ。だれにでもね。こういう仕事をしている人にはね。で、それが自分よりすごい人に出会ったりしたら、激しく嫉妬するわけですよ。そして知り合いがそれを絶賛したりすると、それが事実であっても非常に悔しいわけです。
もう認めますよ、はい。子どもと同じだって。自分が一番じゃなきゃ気にいらないんだってね。
いいじゃないですか。人に嫉妬しても。嫉妬して、悔しがって、落ちこんで、それからまたがんばってはいあがってくるんですよ。いくらじじぃになってもね。
いいじゃないですか。どれだけ歳を取っても、人のなかにはいつまでも子どもの部分があるはずです。そこにはとても大事なものがはいっていて、ときにはそこからわくわくしたり、げらげら笑ったり、わあわあ泣いたり、といったものを取りだしてくることも必要なんじゃないでしょうか。
しかし、まあ、私が子どもっぽい言動をしても、笑ってそれを見すごしてくれる人がいなきゃ哀れといえばそのとおりなんですけどね。お願いしますよ。

2011年6月15日水曜日

夏うふ&読んで歌うコンサート@さいたま

現代朗読協会のゼミ生でもある「浦和区市民活動ネットワーク公認団体・アーツ&ケア・コミュニティ」の主宰者・日榮さんの依頼で、水城ゆうと伊藤さやかによる音楽ユニットOeufs(うふ)と現代朗読協会メンバーで歌と朗読のコンサートをおこなうことになりました。
以下、詳細を記します。

◎日時 2011年6月29日(水) 13:15開場/13:30開演
◎場所 埼玉県障害者交流センター ホール
さいたま市浦和区大原3-10-1(JRさいたま都心駅より送迎バス5分)
◎料金 障害者手帳をお持ちの方 無料/一般 1,000円

第一部は障碍をお持ちの方もいれて全員で軽い体操をしたり呼吸法をおこなったりしたあと、Oeufs(うふ)による童謡・唱歌のコンサートです。夏の曲を演奏します。
第二部は朗読です。演目は宮澤賢治の「双子の星一」。げろきょから日榮さんのほか、照井数男、野々宮卯妙が出演します(伊藤さやかも)。
挿入歌が4曲ありますが、内3曲をあらたに水城が作曲しました。
朗読のあと、全員で音読エチュードを楽しんでいただく予定です。

どなたもご参加いただけます。
皆さんのお越しをお待ちしております。

次世代オーディオブック・リーダー養成講座受講生募集(第11期) 

オーディオブック制作のアイ文庫では、長く聴き継がれるハイクオリティのオーディオブックの制作と、唯一無二の表現者としての読み手の育成をおこなっています。
六月も養成講座を開催します。これが第11期生となります。

主催:アイ文庫
協力:ことのは出版
現代朗読協会

★次世代オーディオブック・リーダー養成講座
声優/ナレーター/朗読者のためのステップアップ講座
申込みはこちら

【概要】

オーディオブックの読みや収録についてのノウハウとトレーニング法を一日で集中講義します。
その後1~2か月のトレーニング期間をおいて最終オーディション(収録)をおこないます。
合格者は、ことのは出版(株)のオーディオブックリーダーとして登録され、商業コンテンツの収録に備えていただきます。

【詳細】

(1)集中講座

以下の日程で開催される一日集中講義を受講していただきます。
とても居心地のいい世田谷の築76年の古民家で、一日じっくり学んでいただきます。

日時:2011年6月20日(月)10:00~17:00
場所:羽根木の家(世田谷区/京王井の頭線新代田駅からゆっくり歩いて4分)
受講料:33,000円

(2)トレーニング

収録用の作品を選び、(1)の内容の習得と(3)にむけての1~2か月間のトレーニング期間を設けます。
期間中は、メールによる指導と面談(またはスカイプ、希望者のみ)で習得状況をチェックします。質問等も自由です。
理解度や技術レベルによっては現代朗読協会のワークショップに参加していだくこともあります(参加費免除)。

(3)オーディション

アイ文庫のスタジオにて収録をおこないます。
収録後、数日以内に合否を決定します。
合格者は、ことのは出版(株)のオーディオブックリーダーとして登録され、商業コンテンツの収録に備えていただきます。
すでに一期生から四期生が実際の収録をおこなったり、収録の準備をはじめています。

【本講座の特徴】

オーディオブックリーダー(朗読者)は、ナレーターでもアナウンサーでもなく、声優でもない、新しい声のジャンルです。
オーディオブックの朗読にチャレンジしてみたいと思っている人が多いなか、その読みや収録についてのノウハウをしっかりとアドバイスしてくれる場所はそう多くありません。
そんななかで、アイ文庫は、今後も長くネットコンテンツとして流通していくに耐えるクオリティを持ったオーディオブックの制作とリーダーの育成にあたっています。
単なる音読コンテンツではなく、「朗読作品」としてのオーディオブックを読める人を育てることが目的です。

文芸朗読、詩曲集、教科書朗読、英語朗読などで業界随一のクオリティと実績を持つアイ文庫のオーディオブック・ディレクターが指導にあたります。
ただ読むだけではない、情報伝達のみにとどまらない、「表現」の域にまで踏みこんだクオリティの高いオーディオブック収録ができるハイレベルなリーダー(朗読者)の育成をめざします。数多くの実践的なノウハウを盛りこんだプログラムで予定しています。

アイ文庫のツイッターも参考にしてください。

2011年6月14日火曜日

大阪の朗読ライブ「労読組合」の映像が公開されています

この前の日曜日、くぼりょこと窪田涼子主催で、私もピアノ弾きとして参加した大阪でのイベント「労読組合」の全模様が、Ustreasmのサイトで公開されています。
よかったらご覧になってみてください。
いい歳の大人たちがまじめにふざけているという、実に大阪らしいノリのイベントでした。

昼の部前半
昼の部後半
夜の部前半
夜の部後半

木洩れ日の家で(ポーランド映画)

名古屋で榊原忠美氏と昼ご飯を食べたあと、夜のリハーサルまで時間があったので、榊原氏は私を名演小劇場に放りこんで自分の仕事に行った。
時々こういうパターンがあって、そのたびに自分ではまず観ない映画を観ることができるので、ありがたい。そして榊原氏の推薦する映画と食べ物屋でハズレは一度もない。

名演小劇場でやっていたのは、「木洩れ日の家で」というポーランド映画だった。
ワルシャワの森のなかの家が舞台。
モノクロ。
白黒映画なんて、どこか「アート」とか「文芸」を意識しているみたいであざとい、という印象があるが、まったくそんなことはなかった。

主演はダヌタ・シャフラルスカというポーランドの大女優とのこと。私はまったく知らなかったが。役の老女は91歳という設定だったが、ダヌタもまた撮影当時91歳だったらしい。
当然、女優とはいえ、「しわくちゃ婆さん」である。その「皺」が、モノクロ映像によってくっきりと強調されている。
しかし、それが美しいのだ。極端ないいかたをすれば、ダヌタは皺一本の動きで演技する。

犬が出てくる。
ボーダーコリーだと思うが、これがまた名演。100分くらいの長さの映画の画面の、かなりの分数が、老女と犬の顔のアップで占められている。
人生の最終ステージを迎えた老女。森のなかの木造邸宅に住んでいる。邸宅はすでに相当なボロだが、彼女はこの家を愛してやまない。たまに訪ねてくる息子夫婦や孫娘には、うとまれている。
気位が高いこともある。冒頭のシーンは、彼女が医者に診察を受けに行くところだが、女医のものいいが気にいらないと、診察を受けないままに帰ってきてしまう。

邸宅の隣には、ヤクザっぽい成金が出入りする豪邸があり、さらには低階級の子どもたちが出入りする若い夫婦がやっている音楽クラブがある。これらがからまりあいながら、ストーリーは静かに進んでいく。
静かに、しかし確実に老女の立場は追いこまれていく。しかし、最後は少し観客サービスっぽい展開があり、救いがあり、そして彼女の人生にも幕が(いささか都合よく)下ろされる。
音楽にも少しだけ不満。
最後はご都合主義っぽいが、とてもいい映画だった。老女がラストに近く、まるで子どものようにひとりでブランコに乗るシーンがあるのだが、不覚にも涙してしまった。
ブランコもそうだが、いろいろなものが注意深くシーンのあちこちに配置されていて、映画に奥行きを与えている。

モノクロなのに光と色彩にあふれている映画だ。
辛辣で、軽妙で、悲しくて、楽しくて、皮肉たっぷりで、かわいくて、そして深遠な映画。
ラストのクレーンアップ映像で、ワルシャワの森の俯瞰映像が出てくるが、たぶんアカシアと思われる木々の真っ白な花が、それはそれは美しい。

2011年6月12日日曜日

窪田涼子のこと

中崎町の〈天劇シネマトロン〉という、かつて小劇場だったところで、くぼりょが主催で「労読組合」という朗読イベントがおこなわれる。芸人さんやら朗読者やら声優さんやら、くぼりょの知り合いが大勢出演する。
私は座付きピアノ弾きとして駆けつける。そしてくぼりょが私の作品を何篇か朗読することになっている。

窪田涼子とはもう7、8年くらいの付き合いになると思う。
最初はたしか、まだ現代朗読協会ができる前の朗読ワークショップにやってきたんだと思う。以来、ラジオ番組の1コーナーとしてスタートした「水城ゆうサウンドスケッチ」に出てもらったり、オーディオブックをたくさん収録してもらった。
オーディオブックでは、

  彼岸過迄(漱石)
  問題外科(筒井康隆)
  緑魔の街(筒井康隆)
  お伽草子(太宰治)
  桃太郎(芥川龍之介)
  猿蟹合戦(芥川龍之介)
  半七捕物帳「湯屋の二階」

などを読んでもらった。いずれも、いつもわざわざ大阪から出てきては、収録に付き合ってもらったものだ。
また「YouBunko」というYouTubeで配信している朗読パフォーマンスとトークの番組にも何度か出演してもらった。
昨年は名古屋の芸術劇場でおこなった宮澤賢治の公演にも出てもらった。
そういう彼女の召還とあれば、私もただちに行かねばなるまい。

「労読組合」は2回めで、最初は一昨年にやっている。
また、その前には、前身となるイベントを東京で一度やっている。
今回はすでにチケットが完売だそうである。まことにめでたい。彼女の努力がむくわれたということだろう。私も微力ながらお手伝いできることがうれしい。

出張時の MacBook Air とその他の装備

今日は大阪出張。一泊。
仕事用機材、一覧。

 MacBook Air 11インチ本体
 ACアダプタ
 iPhone 4
 WiFiルーター
 ハイパージュース 60Wh

ほかに着替えや手帳、書類などがあるので、大きめのリュックにこれらを入れて持ってきている。以前使っていたようなカートはもう必要ない。
iPhoneもWifiルーターもMacから直接充電できるのだが、ハイパージュースは長い時間コンセントが使えない環境にいるときに備えての保険。コンセントのない新幹線とか。

WiFiルーターはBUFFALOのやつで、DoCoMoの回線を使う。
今回の機材のなかで私がもっとも不満を持っているのが、このルーター。ケータイ回線なので速度が遅いのはやむをえないとして、スイッチオンから使えるようになるまでの立ち上がりがものすごく遅い。いや、Airと比べるとものすごく遅く感じる。2分近くかかる。
Airが15秒ほどで立ちあがるので、ルーターが使えるようになるまで待つ時間があほらしい。
日本のメーカー、しっかりしようよ。
どなたか立ちあがりの速いルーターをご存知なら、教えてください。

ほかには、Airの画面と文字が小さいので、老眼鏡は必須。これを忘れたら、出先でわざわざ買わなければならないほど不便。
そうそう、iPhoneでテザリングができるようになれば、BUFFALOもDoCoMoも捨ててしまうのに。

2011年6月11日土曜日

今日の「朗読はライブだ!」ワークショップ

現代朗読協会の「羽根木の家」では、ゼミやワークショップをやっている間、門の外に「見学の方は右の呼び鈴を押してください」という縦看をいちおう出してある。
「いちおう」という感じだったのだが、このところ、けっこう見学の申し込みがある。
今日はライブワークショップだったのだが、今日も見学の方が来られたし、先週も見学の方があった。
見学の方のキーワードは「近所」ということと、「なんか普通の朗読講座と違う感じ」である。

ともあれ、今日も見学の方を迎えて、ライブワークショップをスタート。
といっても、今期は参加者が4名と少なく(ひさしぶりだ)、しかもそのうち2名が今日は欠席という状況。が、ゼミ生が2名、臨時に参加してくれたので、人数はおなじ。
今期のテキスト「夢十夜・第三夜」を使って、ひとり読み、お経読み、その他いくつかのエチュードをやりながら進めていく。
今日はとくに、外部からの刺激にたいする反射で生まれるオリジナル表現のエチュードということで、私がピアノを弾いて読んでもらう。
これらのエチュードで、それぞれがどんどん読みが変わり、自由度を増していくのが、私ですら快感を覚えるほど。感動的ですらある。

ワークショップの最後に、見学の方が、
「衝撃的な体験でした」
という感想を述べて帰っていかれたのが印象的だった。
私はとくに衝撃的なことをやっているつもりはないのだが、「朗読」という表現に特定のイメージを持って来られる方には「衝撃的」なのかもしれない。表現行為としてはごくあたりまえの原理を確認しているだけだと思うのだが。
今期のワークショップメンバーがどのようなライブを最後に見せてくれるのか、とても楽しみだ。

終わってからちょっとお茶会。
そのあと、久保りかが残って、いろいろな話をしてくれて楽しかった。
明日は早朝から大阪行き。

東日本大震災・大津波から今日で3ヶ月

3月11日からちょうど3ヶ月がたった。
全国あちこちで行進やら催し物やらがおこなわれ、また多くの人が発言したりものを書いたりしているだろう。私のようなものがいまさらわざわざ書くまでのことはない。
以下に書くことは、自分に向かっての言葉だ。興味のない方はスキップしてください。

3月11日以来、外側の世界は大きく変わり、いまも動きつづけているが、私の内側も大きく変わり、いまも動きつづけている。
文字通り揺さぶられ、ショックを与えられ、生存のこと、生きること、生きつづけること、生きながらえること、そしてもちろん死んでいくことを考えつづけている。
いろいろな人と話し、読み、聞き、格闘し、試行し、書いてきたが、そのなかでひとつだけ、これは確かな感触ではないか、という一点がいつも見えてくるような気がしていた。
それは、私がこの数年、ずっと実践しようとしてきた「マインドフルネス」という人のあり方だ。

英語だが、もともとは東洋思想から来たのだと思う。禅やヨガや古武道の多くが、現代語では「気づき」といわれているマインドフルネスの状態になるための方法や修行の型をたくさん持っている。
ティク・ナット・ハンはこの気づきを、次のように定義している。
「自分のすべてをもってそこにいる能力」

人はすでに起こってしまってどうしようもないことをくよくよと考えつづけたり、またまだ起こってもいないことをあれこれ心配したりしてしまう。そのような、いわば「心ここにあらず」の状態でいるとき、自分の能力を充分に発揮することができない。
「いまここ」にいる自分の精神と身体に気づき、「いまここ」に集中すること。あれこれ先のことを考えるのではなく、いまこの瞬間に自分ができることに充分にエネルギーを注ぐこと。この積み重ねが、ひょっとしてなにか大きな仕事につながっていくのかもしれない。

震災以来、私は何人かを相手に「音読ケア」の個人セッションをおこなってきた。
震災のショックや、日々流されるつらい情報に接するうち、「いまここ」の自分を見失い、悪いイメージのスパイラルにとらわれてしまって心身の不調に陥ってしまう人が多い。
そういう人にも、この「マインドフルネス」の練習はとても役に立った。
そういう私自身はどうなのか。まだ充分にマインドフルネスがいつでもできるようになっているとはいえない。

先日、自分が抱えている仕事、関わっていること、これからやりたいと思ってこと、やりかけて宙ぶらりんになっていることを、思いつくかぎりすべて紙に書きだしてみた。
あきれるほど多くの事柄が出てきた。馬鹿じゃないかと思った。いや、馬鹿なのだ。これほど多くのことをいっぺんに抱えこんでどうしようというのだろう。
一度にひとつのことしかできない。しかも、そのひとつのことにすら、完全に集中して力を注ぐことすらできていない。こんなに手を広げてしまっては、そのうちのひとつすらまともにできないかもしれない。
いま、自分にできること、だれかに役に立てるかもしれないこと、目の前にいる人と誠実に対峙し聴くこと、そういったことに自分のすべてをもってあたることはできないか。
それが、震災がもたらした私の大きな「気づき」のような気がしている。
それを日々、あらため、磨き、少しでもマインドフルな自分でおこなっていきたい。

私がここでこうやって存在していること。それに気づき、自分のすべてでありつづけること。
そのことをもって、震災の犠牲になったすべての方々への、私の個人的な祈りとしたい。

2011年6月10日金曜日

内蔵HDDをSSDに換装した MacBook Pro その後

ひとえに快適である。でかくて重いAirだが、スペックはAirよりはるかに上。
ちょっと計ってみた。
スイッチオンからデスクトップが表示され、スタートアップ・アプリケーションがメニューバーに表示し終わるまで、約17秒。
そのとき立ち上がっているアプリケーションの数や状態にもよるが、私の使い方(メール、サファリ、ツイッタークライアント、その他いくつかを平行使用)でシャットダウンさせると、約6秒で電源オフとなる。

意外に変わらないのが、ビデオファイルのレンダリングや、音声ファイルのコーディング。これは当然ながら、ディスクアクセスの問題ではなく、CPUパワーに左右されるところが大きい。CPUを交換したわけではないから、これが変わらないのは当然だ。しかし、ほかの動作があまりにキビキビしているので、ついこれらの速度も上がっていると錯覚/期待してしまい、変わらないことにちょっとつんのめってしまったりする。

一方、ディスクアクセスに左右されるものは驚くほど快適だ。
重いアプリケーションの立ちあがりが比較にならないほど速くなった。とくに、最初にいろいろなプラグインを読み込むタイプのアプリケーションは快適だ。
そして、私の場合、とくに快適なのが、日本語入力だ。とにかく大量に入力するので、これがストレスフルになることでどれだけの恩恵をこうむるかわからないほどだ。

ほかには、まだ試していないが、音声収録においてリアルタイムにディスクにデータを書きこんでいくようなプロセスでは、SSDは安定性を発揮してくれるのではないかと思われる。ラップトップの場合、内蔵HDDの回転数が5400rpmか7200rpmかで、安心感はずいぶん違うからだ。
これがSSDとなれば、安心してガンガン収録できるだろう。動画も同様。
ただし、容量の問題はある。
あれからいろいろインストールするものが増えて、現時点でSSDの空き容量は30GBを切っている。もっとも、光学ドライブに装着したHDDには550GBの空き容量が残っている。

朗読の呼吸と自律神経系の調節機能の関係

現代朗読協会の朗読ゼミに定期的に来るゼミ生や、ツイッターのタイムラインに表示される知人の話を聞いていると、この時期、なんとなく身体の不調を覚えている人が多いようだ。
テレビや新聞などにも、季節に変わり目に不調を訴える人が、とくに女性に多い、とある。そしてその原因は、自律神経の不調によるものだ、ということを聞く。
たしかにそうかもしれない。

昨日のゼミでは、この自律神経と呼吸のことについて、割合くわしく説明したりした。その内容を簡単に書いておく。

末梢神経系には植物性機能を担う自律神経系と、動物性機能を担う体性神経系がある。それぞれ不随意神経系と随意神経系である。
付随神経系の自律神経系には、よく知られているが、交感神経と副交感神経がペアになっている。また、随意神経系の体性神経系は、運動神経と感覚神経がある。

前者の自律神経について簡単に解説すると、交感神経は呼吸や脈拍を早めたり、気持ちが亢進したり活動的になるときに働く。ようするに、日中の活動時に働く神経で、ストレスを受けたときにも交感神経が優位になる。
逆に副交感神経は呼吸や脈拍がさがり、気持ちも落ち着くときに優位に働く。いわば休息の神経で、内蔵は逆に活発になったりする。ストレスの解消も副交感神経が優位になったときにおこなわれる。

ここからは私の考えだが、現代人の生活はとても活発で忙しく、そしてストレスフルだ。なので、放っておくと興奮状態が続き、休息が充分にとれなくなる。夜になっても副交感神経がうまく働かず、ストレスが解消されないまま翌日へと持ち越してしまう。
これが続くと、鬱や不安神経症などにおちいってしまうこともある。
最近、ヒーリングのためのコンテンツや場所が増えてきているのは、そういった現代人のニーズによるものだろう。
これらの自律神経の乱れが、人にさまざまな不調をもたらす。とくに季節の変わり目にはそれが起こりやすいのだろう。

自律神経は自分でケアすることができる。
まずいわれるのは、規則正しい生活だが、なかなかそのように生活できる人は少ない。そこで、自律神経、とくに副交感神経を優位にする方法があるので試してみることをおすすめする。
呼吸を使う方法である。
心身のメンテをする最良の方法が呼吸を用いることであることは、古来から先人がよく知っていたことだ。その証拠に、禅、ヨガ、古武道など、多くのものに呼吸法が用いられ、そしていまも大切に伝えられている。

メカニズムは単純だ。
交感神経が優位になると、速く浅い呼吸になる。副交感神経が優位になると、ゆっくりと深い呼吸になる。
これは逆のこともいえる。速く浅い呼吸をおこなうと交感神経が優位になり、ゆっくりと深い呼吸をおこなうことで副交感神経を優位にすることができる。
この副交感神経を優位にするゆっくりと深い呼吸、とくにみぞおちより下部にある呼吸筋(インナーマッスル)を使った呼吸が、副交感神経を優位にするとても有効な方法であることがわかっている。

これはおまけだが、速く浅い呼吸で交感神経が優位になっていると、食欲が刺激され、摂食中枢がよく働く。ストレスも摂食中枢の暴走をもたらすことがある。つまり太りやすくなる。
逆にゆっくり浅い呼吸で副交感神経が優位になっていると、食欲は抑えられ、摂食中枢も落ち着いている。つまり、過食にはなりにくい。

私がおこなっている「音読ケア」は、この呼吸法に「音読」という声帯の振動をともなった自分の声を使う、より具体的で効果がわかりやすい方法だ。しかも、いつでもどこでも、自分ひとりで、道具を使わずにおこなうことができる。
もちろん、季節の変わり目などに多い「なんとなく不調」にも、一定の効果があるだろうと思う。
音読ケアに興味がある方は、こちらをご覧ください。

2011年6月9日木曜日

井の頭沿線を早朝に歩いて楽しむ

体重をなんとか2.5kg、落とした。
おもに食事と記録。これに運動を加えて、あと2kgくらいは落としたい。

今日は朝からウォーキング。というより散歩程度のものだが。
明大前まで歩く。距離にしてたぶん700mか800mくらい。時間にして10分くらいだから、そのくらいの距離のはず。
MacBook Air を入れたリュックをかついで歩く。軽いが、すぐ背中に汗をかく。全身もうっすらと汗をかくくらいの運動量で、朝のウォーミングアップとしてはちょうどいい。
明大前のスタバに入って、コーヒーを飲みながらAirで書きもの。無線LANが使えるので快適。コーヒー一杯を飲む間に、ほぼ毎日アイ文庫のウェブサイトに掲載している「今日のみずきさん」500字を書き、夜の間に届いたメールに返信し、ツイッターのタイムラインを流し読みする。30分くらい。
それからまた取って返して、羽根木にもどる。

コースは京王井の頭線に沿った細い道なので、車もほとんど通らない。線路には建物がないので、空が広くて気持ちいい。時々、人をいっぱい乗せた電車が通る。

このへんはいままであまり歩いたことがなかったので、景色が珍しい。三叉路の風景がちょっと外国風だったり、写真を撮りながら歩く。

世田谷のこのあたりの家は、それぞれが家まわりの手入れをちゃんとしている方が多く、緑もたくさんあって、眼を楽しませてくれる。
井の頭線に向かって段差のように下がっていて、段差のある石垣にびっしりとシダが生えていたりする。

これはなんという種類のシダだろう。緑が美しい。

門のところのプランターにかわいらしい園芸種の花が咲いている家も多い。
この朝のコースはなかなか楽しい。これからちょくちょく、歩いてみることにしよう。

2011年6月8日水曜日

SSDに換装した MacBook Pro 恐ろしく速い、恐ろしく快適

ようやくSSDの換装が終わり、内蔵光学ドライブも追い出してしまった MacBook Pro 15インチだが、クリーンインストールしたため、現在、もろもろのアプリケーションをインストール作業中である。
内蔵は以下のような構成になった。

内蔵SSD 128GB 起動ディスク
内蔵HDD 750GB

ファイルサイズがでかい iTunes や iPhoto のライブラリデータなどはHDDのほうに移した。
ほかに大きなアプリケーションというと、FinalCut、Logic Studio、CS5などがある。これらの立ちあがりがどの程度快適になるか、これから検証する。
その前に、普通のシャットダウン、スタートアップの速度が恐ろしく速くなった。笑ってしまうくらい速い。
これはもともと、SSD内蔵の MacBook Air で速いことはわかっていたのだが、マシンスペックがAirよりはるかに上のProはさらに速い。
そして、日本語入力・変換の快適さといったらない。まったくタイムラグを感じない。筆が進むぞ。

MacBook Pro の内蔵HDDをSSDに換装(どえりゃー苦労した)(3)

SSDにシステムをインストールするには、外付けになってしまった光学ドライブに OS-X Snow Leopard のディスクを挿入し、そのドライブから起動をかける。そしてSSDをフォーマットしながら、システムをインストールする。
という手順のはずだった。
光学ドライブは無事に認識されたのだが、OSディスクを入れてそこから起動しようとしても、どうしても途中で停まってしまうのだ。

SSDも無事に内蔵ドライブとして認識されている。フォーマットもできる。しかし、システムディスクから起動できない。
やむなく、普通にデスクトップからインストールボタンを押し、インストール先をSSDに指定してやってみた。
すると、途中で一度再起動がかかるのだが、その時点でふたたび停まってしまうのだ。
外付けの光学ドライブからはシステムのインストールができないのかと思い、別の手持ちの外付け光学ドライブを試したりしてみたが、やはり同じように停まってしまう。

ギブアップする前に、ほかにもいろいろ試してみた。「CCC」というディスク間でシステムのコピーができるソフトを使って、SSDにHDDからシステムをコピーさせてみたが、エラー表示が出て起動できない。
いったんSSDをはずし、外付けにしてから、そこにインストールを試みたが、これもダメ。
最後は光学ドライブが内蔵になっていないとシステムインストールができないのかと思い、光学ドライブをまた元にもどし、HDDをはずしてそこへSSDをセットして試みてみる。これも途中で停まってしまってダメ。
完全にお手上げ状態だ。
ネットでいろいろ調べてみるのだが、私のようなトラブルに見舞われている人はいない。みんなけっこう簡単にSSDからのシステム起動に成功しているようなのだ。

今朝になって、ふと思いついた。
OSディスクは私が Apple Store で買った Snow Leopard を使っていたのだが、ふと、MacBook Pro 付属のインストールディスクのほうを使ってみたらどうなるか。
やってみた。
あっさりとうまくいった。
この時のセットは、内蔵HDDの位置にSSDを、光学ドライブは元の位置に戻してあった。つまり、元の内蔵HDDは使っていない状態だ。この状態で、光学ドライブから起動し、SSDをフォーマットしシステムをインストールすることができた。
なぜこのようなことが起こるのか、わからない。もちろん Snow Leopard のディスクは純正品だ。付属のディスクでなければインストールできない理由がわからない。
あるいはディスクが壊れていたのだろうか。

いずれにしても、苦労してなんとかSSDの換装に成功した。
あとは、光学ドライブをふたたび抜いて、そこに外してあるHDDをセットする。アプリケーションやデータをインストールしなおす。
MacBook Pro がどのくらい快適になったかについては、あらためてレポートするが、これからじっくり使いこんでみるのが楽しみだ。

MacBook Pro の内蔵HDDをSSDに換装(どえりゃー苦労した)(2)

ばらしの最初は、本体をひっくり返して、裏蓋を外すこと。
これはすでに何度か内蔵HDDの交換やRAMメモリの増設などをやっているので、慣れている。全部で10本あるネジをはずせば、裏蓋はパカッと開く。
何度見てもMacの内部は感動的だ。
さて、次に、光学ドライブを取り外す。
実はこれがけっこうやっかいだった。

どこがどう固定されているのか見極めるのが難しく、まず外すためのネジを見つけなければならない。丸さんがいてくれてよかった。私ひとりだったらできなかったかもしれない。ネットを丹念に探せばこのあたりの情報も出ているのかもしれないが。
とにかく、固定ネジ3本を見つけてなんとかはずし、コネクタも外して、光学ドライブの取り外しが無事に成功。

さて、MacBayの出番。
アルミダイキャスト製だと思うが、金属の黒い枠に、SSDを取りつける。コネクタがあらかじめて取りつけてあるので、そこにはめこんでネジ止めするだけなのだが、コネクタの位置が微妙にずれていて差しこめない。
やむなく、丸さんに手伝ってもらって、コネクタを枠から取りはずし(これもネジ)、直接SSDを差しこんでから、あらためて枠に取りつける。

これを今度は、さきほど光学ドライブを取りはずした手順と逆の手順で、取りつける。
これは割合うまくいったが、小さなネジがたくさん出るので、間違えたり、なくしたり、あるいは筐体内に置き忘れたりしないように気をつけなければならない。
MacBayはちょっと厚みがあって、もともとついていたネジでは固定できない場所もある。そのための替えのネジがちゃんと付属している。けっこう至れり尽くせり。

実は最初は、もともとの内蔵HDDの位置にSSDを入れ、光学ドライブにHDDを入れようと思っていたのだが、光学ドライブにSSDを入れ、そこを起動ドライブにすればいいのではないかと思い、またネットでもそのようにやっている人の記事があったので、そうすることにした。
というわけで、換装は簡単に終わり、裏蓋を閉じて、終了。
あとはMacBay付属のケースに内蔵光学ドライブをセットして、外付けにすればいいだけ。
この作業も、プラモデルの組み立てと同じで、丁寧にやればさして支障はない。もっとも、手先があまり器用でない人は苦労するかもしれない。

さて、最後はSSDにシステムをインストールするだけ。
しかし、ここからが長かった。どえりゃー苦労はここからだった。
つづく。

MacBook Pro の内蔵HDDをSSDに換装(どえりゃー苦労した)(1)

ネットでちょっと調べたら、案外簡単にやれそうなのと、SSDの価格がだいぶ安くなっていたので、思い切って挑戦してみることにした。
とはいえ、ちょっと心配だったので、コンピューターのことにめっぽう詳しい丸さんを平日の夜にもかかわらず呼びつけた(丸さんごめんね〜大変お世話になりました今度なにかごちそうするね)。

SSDはいろいろなメーカーのものが出回っているし、値段もまちまち。転送速度もかなり違うようだが、遅いとはいってもSSDなのでHDDに比べれば劇速のはず。なので、安いやつにしておく。
容量も512GBなどというものまであるが、128GBでがまん。
というのも、私の計画はこうだったから。

内蔵HDDを内蔵SSDに換装
取り外した内蔵HDDを内蔵光学ドライブにセット
内蔵光学ドライブは外付け光学ドライブとして使う

つまり、128GBの内蔵SSDと、750GBの内蔵HDDの、ふたつのドライブを内蔵した強力な MacBook Pro にしてしまおうということだ。
SSDは128GBしかなくても、HDD側に容量は充分ある。

とこの時点では思っていたのだが、いまになってみると、SSDにはシステムやアプリケーションをインストールしておきたいし、よく読み書きするデータも置いておきたい。とくに私は巨大なオーディオブータやムービーデータを編集することが多いので、これらもSSDに置いておけば作業は快適だろう。
予算が許せば、より大容量のSSDを入れることをおすすめする。

あらかじめ用意したのは、SSDのほかに、光学ドライブに内蔵HDDをセットするためのアタッチメントと、取り外した光学ドライブを外付けにするためのケース。これらはセットになって売られている。MacBayという商品。
いずれも通販ですぐに届いた。
ほかに必要なのは、「+」の精密ドライバーと六角の「☆」形の精密ドライバーだが、これは親切なことに、MacBayに付属していた。

さて、いよいよばらしに入る。
長くなったので、次エントリーにつづく。

2011年6月7日火曜日

WWDC2011基調講演:iCloud

今回の発表のもうひとつの目玉は「iCloud」である。
いわゆるクラウドサービスだが、アップルが発表したiCloudはひと味違っていた。
私のようにMacを2台使ったり、場合によってはWindowsマシンを使ったり、そしてiPhoneともデータを同期したい、というような使い方をしている者は、通常、メインマシンを一台決めて、そこにすべての元データを集中しておく。ほかの端末へはそのつど、必要なデータをコピーしたり、同期させて使う、という方法だ。
ところが、iCloudでは、クラウドをメインマシンのようにする考え方だ。
すべての端末は、いつもクラウドから必要なデータを取りだすことができる。MacもWindowsもiPhoneも関係なく、それぞれの端末でおなじデータをいつでもどこでも使うことができる。
しかもiPhoneにあるコンテンツは自動でiCloudへプッシュ同期される。
これまでのように、新しいマシンを使いはじめるときに、連絡先やらメールやらスケジュールやらのデータを同期する必要がない。もっとも、これはGmailを使っている人はすでに体験ずみかもしれないが。
Gmailと同様、iCloudも無料。

データにまったく制限がないわけではない。
保存される写真は1000枚まで、30日まで。データの保存容量は5GBまで。ただし、写真やiTunes Storeで購入した音楽は除く。

iTunes Match という機能がおもしろい。
iTunes Store にはすでに1800万曲もクラウド化されているといわれているが、自分が買った曲やCDから取りこんだ曲は自動的に iTunes Store とマッチングされる。つまり、クラウドにアップロードする必要はない。そして、iTunes Store で買った曲は自動で256Kbpsにアップグレードされる。
ただし、こちらは有料サービス。年間約25ドル。日本ではどうなるか未定。
iCloudのために、アップルは巨大なデータセンターを建設したのだ。

WWDC2011基調講演:iOS 5

iOSが動いているデバイスといえば、iPhone、iPad、iPod touch などだ。いまや全世界で億単位のユーザーがいるモンスターOSといっていい。
現在は iOS 4 だが、これが秋に5となる。
実はすでに、デベロッパー向けに iOS 5 のベータ版と開発キット(SDK)がダウンロードできるようになっている。しかし、本当の狙いは、未発表の iPhone 5 または iPad 3 だろう。

いろいろとうれしい機能が発表されている。
まず、ノーティフィケーション・センターというプッシュ通知機能。
現在はプッシュ通知は、メールを書いていようがゲームをしていようが、かまわず画面の中央にポーンと表示されてしまっているが、これが画面上部から引っ張り出すように表示され、ここから直接各アプリを起動できるようになるという。
これはうれしい。

ニューススタンドという機能では、新聞や雑誌をダウンロード購入できるとある。
現在は iBook Store や アプリ内から購入するようになっているが、これが独立するということだろうか。

そして、これは目玉っぽい機能だが、Twitter 機能がOSに標準装備されるという。
ようするに、アップルとTwitterが手を組んだわけだ。
このところ、とかくFacebookに話題が奪われがちだったが、これでTwitterは強力なアドバンテージを獲得したのではないだろうか。
写真や現在地やつぶやきをツイートしやすくなるのはもちろんだが、連絡先と連動して、連絡先に Twitter ID がある人のつぶやきを簡単に見ることができるらしい。

ネットブラウザのSafariも機能強化される。
リーダー機能が強化され、ブログなどを登録しておけば、複数間端末で「後で読む」登録ができる。私は現在はこれを「Reader」というアプリで実現しているが、これが標準装備になるわけだ。
また、タブ操作もできるようになる。

カメラ機能も大幅に強化される。
起動が高速化されるほか、ロック解除画面にカメラアイコンが設置され、直接起動が可能になる。
フォーカスと露出を別々にコントロールもできるようになるらしい。

ほかに、キーボードの表示位置が変えられたり、メッセージング機能が標準搭載になったりと、盛りだくさん。

働く人のためのセルフメンタルケア&コミュニケーション能力向上セミナー

アイ文庫では「働く人のためのセルフメンタルケア&コミュニケーション能力向上セミナー」の受付が始まった。
詳細はこちら。講師は私・水城が勤める。

私のこれまでの25年以上にわたる「声と身体」に関わる経験を生かしきるセミナーだ。
ラジオ局やテレビ局などの放送現場で、多くのナレーター、アナウンサー、声優、役者などと直接関わりあい、いっしょに番組を作ったり、研究会をおこなったりしてきた。
近年は現代朗読協会のワークショップやゼミで徹底的な検証と研究、理論の確率をはかってきた。
これらの過程で、私がおこなってきた朗読演出や現代朗読協会の身体ワークショップは、実は心身の調子を整えることに非常に役に立つことがわかってきた。また、コミュニケーションについても音読ワークはその能力を大きく向上させることがわかっている。今回、一般の方にも利用でき、効果的なプログラムを行なうことになった。
朗読に興味がある人だけでなく、普通のサラリーマンや主婦、学生などにも応用できるように、内容を考えてある。

アイ文庫のセミナーの特徴は、自分の声と呼吸を使う、ということだ。
朗読や音読のワークショップでは、自分の声と身体の関係を明確にしていくことで、さまざまな不調がおさまっていき、また自分の外に対する意識も明るく変わっていく。
職場や家庭、その他人間関係で、コミュニケーションの問題に悩んでいる人は実に多いと思うが、そういう人にお役に立てるのではないかと思っている。
興味のある方は気軽にアイ文庫までお問い合わせください。私がお待ちしてます。

WWDC2011基調講演:Mac OS X Lion

日本では今日の未明、WWDC2011でスティーブ・ジョブスの基調講演がおこなわれた。
そのなかから、いくつか気になった部分をピックアップ。

Macの次期OSは「Lion」という名前になるらしい。
ちなみに、現在は「Snow Leopard」。

Lionではマルチタッチ操作をさらに活用するらしい。
現在も2本指でのタップで右クリック動作になったり、スクロールやスワイプといった動作がタッチパッドでなめらかにできるが、さらにできることが多くなるのだろう。覚えるのが大変だが。いまも全部の操作を使いこなしているとはいえない。

Expose と Spaces が統合されるらしい。
私はどちらも便利に使っているが、統合されるというのはどういうイメージだろう。さらに便利になるのか。

Mac App Store がOSに内蔵されるらしい。
これはいまでもアップルメニューのなかに入っているので、内蔵されることがどの程度の意味を持っているのかわからないが、MacBook Air のように光学ドライブを持っていないマシンでも、App Store から直接ダウンロードしてインストールするようになっていく、その流れの一端だろうと思う。
いずれ、アップルのすべてのラップトップからは光学ドライブがなくなるだろう。
ついでにいえば、HDDもなくなるだろう。これはげんにSSDに取ってかわられつつある。

ほかに、使用中のアプリを一覧できる Lauchpad とか、全アプリの前回使用状態を復元する Resume とか、作業中の書類が全て自動で保存される Autosave(これはありがたい人が多いのではないかと思う)とか、全ての書類で作業途中に戻れる Versions とか、Mailの大幅機能強化
など、期待できる新機能が満載となっている。
来月販売スタートとのこと。2,600円。

初夏うふ2011より「富士の山~かごめの水兵さん~シャボン玉」

をOeufs(うふ)ブログに掲載しました。
YouTube映像です。
こちら

2011年6月4日土曜日

ライブワークショップ初日、くせものレッツノート

今日は午後から「朗読はライブだ!」ワークショップ7期の初日。
今期は参加者が4名と少なく、プログラムをゆったりめに取ることにした。全員参加での群読プログラムに、漱石の『夢十夜』の第三夜をテキストに使うほか、できれば全員にひとりずつ、ひとり読みをやってもらいたい。
初日はいつものように、朗読という表現行為でおこなわれている本質的な原理の確認。それから現代朗読の考え方と、それに必要な「Voice Trinity」の解説。
あとはそれぞれに沿った実際のエチュードやら、呼吸と発声のエチュードなど。

初めて参加する人もいれば、途中で飛びこみで見学に来られた方などもいた。いずれもおもしろがってくれたようで、とくに現代朗読の考え方については「衝撃的でした」と感想をもらったりした。
私としてはなにも特別なことをやっているつもりはないのだが、逆にいえば一般的な朗読がいかに特殊な「箱庭」のような世界に入りこんでしまっているか、ということかもしれない。なんとか朗読の世界を風通しよく、だれでも楽しめ、そして奥行きのある芸術表現にまで高められるものにしたいと思う。

ライブワークショップは始まったばかりなので、興味がある方はいまなら途中参加も可能です。
詳細はこちら

それとは別に、今日は朝から丸さんが来て、パソコンのHDDの換装作業をやってくれた。
私が使っているものではないが、パナのレッツノートで、単純にHDDを入れ替えるだけではうまくいかず、いろいろなトラップが次々と現れた。
いろいろやって、なんとか換装したHDDで起動できるようになったのが、もう夜になってから。作業は明日に持ちこし。
丸さん、ご苦労さまでした。明日もよろしく、です。

MacBook Air の速さを実感したこと

MacBook Pro 15インチとMacBook Air 11インチを行ったり来たりしながら毎日使っているが、どうもAirが速く感じる。
CPUパワーでいえばProのほうが圧倒的にアドバンテージがあるのだが、パワーオンやらシャットダウンやら、日常の文章書きにおいても、なんとなくAirが速く感じる。

先日、開発用プログラムのXcodeの最新バージョンをインストールするとき、試しにヨーイドンでProとAirの両方に同時スタートでやってみた。
Xcode 4.0.2 はdmgファイルで4.61GBある。これを展開しながらインストールするのだから、かなりのCPUパワーを必要とするはずだ。
インストールにはだいたい10分くらいかかるのだが、終わってみたらAirのほうが2分くらい早く完了した。つまり、Airのほうが速い。
理由はおそらく、HDDとSSDの読み書き速度の違いだろう。

Proの内蔵HDDより、AirのSSDのほうが圧倒的に読み書き速度が速いことはわかっている。その違いが、インストール時間の違いとなって現れたのだろう。
ドライブの読み書き速度の違いは、日本語入力時の漢字変換速度などにも影響されるはずだ。
こうなると悔しいのは、せっかくのProのCPUパワーが生かされていないことだ。
となると、ProにもSSDを載せたくなる。
いまあるHDDをSSDに換装し、HDDを光学ドライブ(オプトベイ)に突っ込む。そのためのMacBayというアダプタが売られている。で、光学ドライブは外付けのSuperDriveにする。
どうだろう。
今度余裕があるときに挑戦してみよう。

オーディオブックリーダー養成の個人セッション

音読ケアのほかに、朗読などの個別演出や、Skypeを使った遠隔指導など、私がお手伝いできることには個人セッションもおこなっているが、オーディオブックリーダー養成講座も個人対応している。
先日もあるフリーアナウンサーや、オーディオブックリーダーになりたいという個人の方が受講された。個人セッションを受けていただいたあとは、その後約一ヶ月の間フォローして、最終的には実際の収録をして進捗を確認する。

グループでの講座の場合は、ある程度のカリキュラムを準備してやるのだが、個人セッションのときはそれは参考程度にしか使わない。最終的にはオーディオブックを収録するという目標があるが、それに至る道筋やニーズは人によってまちまちだからだ。
講座スタート時点でのスキルや経験値もさまざまだ。それらに対応して、指導内容も直感的に、ダイナミックに変わる。
これは、私が25年にわたって培ってきた経験と、現在も進行中のさまざまな勉強のおかげだとしかいえない。

私は指導者を育成したくて、これまで何度か試みてきたが、あまりうまくいっていない。私の育成方法がうまくないのかもしれないが、相手の状況やニーズによって臨機応変に対応できるセッションができるように指導者を育成するというのは、とても難しい。原理原則のようなものはないことはないが、個別の対応パターンは無限にある。マニュアル化することが非常に難しい。
実際に私について、見てやってみて学んでほしい、としかいいようがない。それだけの熱意と時間的余裕を持った人はなかなかいない。

そうはいっても、私も歳を取るし、いずれはいなくなってしまう。なんとかだれかに伝えておきたいとは思う。
現代朗読の方法についてきちんとドキュメント化し、また個別指導にももっと力を入れていきたいと思っている。
個人セッションについては気軽にお問い合わせいただければ幸い。
一部のセッションの紹介はこちらに掲載してあります。

「初夏うふ2011」ライブより映像公開

2011年5月21日、下北沢〈Com.Cafe 音倉〉でおこなわれた音楽ユニットOeufs(うふ)のライブ「初夏うふ2011」より、いろいろと映像をYouTubeで公開してます。
これまでupされているものは、以下のとおりです。
お楽しみいただければ幸いです。

「祝祭の歌~スカポロフェア」
「鳥の歌」
「青い空、白い雲」
「いつも」
「底知れぬブルー」
「黄金虫」
「鯉のぼり」

阿佐ヶ谷にしくう和尚の「尺八説法」ライブを聴きに行く

しくう和尚の「尺八説法」ライブに行ってきた。
矢野司空さんは愛知県の谷性寺の住職であり、尺八奏者でもある。2009年と2010年の名古屋ウェルバ・アクトゥス公演に両方とも出演していただき、共演した。
阿佐ヶ谷の〈Yellow Vision〉というライブハウスで「尺八説法」をされるというので、行ってみたのだ。

阿佐ヶ谷はほとんど行ったことがない街だが、羽根木からだと30分くらいで行けてしまった。案外近い。
行くと、すでに司空さんはおられて、ご挨拶。少し話をさせていただく。
そのあと、ライブスタート。虚無僧尺八の曲をまず2曲。そのあと、箏のゲストの丸田美紀さんが参加されて2曲。
休憩をはさんで、後半は虚無僧尺八を1曲、箏の丸田さんと1曲、箏のソロが1曲。
そのあと、ジャムセッションをやろうということになり、私と店のオーナーの女性とギターの方が加わって、5人でなんの打ち合わせもないフリーセッションをやる。ピアノのモニターが壊れていて、私は自分が弾いている音がほとんど聴こえない状態だったが、あとで聞けば「とてもおもしろかった」ということだった。

尺八もそうだが、箏という楽器も、とても制約が大きい。ピアノのように自在に誰が弾いてもそこそこ音楽になる、というものではない。
こういう制約のあるなかから出てくる音にはエネルギーがある、といつも感じる。

音読ケアは医療行為や診断はしない

個人セッションによる音読ケアをおこなっているが、あくまで心身のケアワークであり、療法ではないし、ヒーリングでもない。
ただ、ある一定の改善効果があることは、経験的に私も受講者も確認している。軽度の鬱、不安神経症、適応障害などをお持ちの方が来られているし、もちろんとくにそういう症例ではなくてもこの災害時に心身の不調を感じている方は多い。そういう方にも有効であることが多い。
どんなことをしているのか、簡単ではあるが書いておきたい。

心身の不調に陥っている人は、ある悪いイメージのスパイラルに陥っていることが多い。
「いまここ」にある自分の身体から離れて、過去に起こったなにかショッキングなことやつらいこと、悲しいことなどにとらわれ、いつまでもグルグルとそのことを反芻してしまう人。あるいは逆に、まだ起こってもいないことを、起こるのではない、起こったらどうしようと、悪いことばかり考えて不安を増長してしまう人。
こういったスパイラルを断ち切る方法としてとても有効なことのひとつに、声を使ったマインドフルネスのエチュードだ。
マインドフルネスとは、自分がまさに「いまここ」にあり、自分自身と自分を取り巻く環境に意識を向けることだ。一種の瞑想といってもいい。
ただし、座禅などの瞑想は、経験のない人がいきなりやってもなかなか効果を得ることは難しいが、声を使ったエチュードはだれでもすぐに実行できる。なにしろ、声は毎日出しているし、言葉も使いなれたものだからだ。

エチュードを実行すると、過去に起こったことは「いまここ」では起きていないことだし、まだ起こってもいないことも「いまここ」にはないことを実感できる。悪いイメージはたんなるイメージであり、実体でないこと、そして実体は「いまここ」にある自分自身の声であり、身体であることを実感してもらうことで、悪いイメージのスパイラルを断ち切ってもらう。
方法としては、呼吸から始まって、発声、音読をしてもらうことで、呼吸や声が自分の身体の「運動」から出てくるものであり、それらは密接につながっていることをしっかりと確認してもらう。
このエチュードのあいだは、どんな人も、過去のことも未来のことも考えることはない。ただひたすら「いまここ」の自分の身体に焦点をあててもらう。

家に帰ればまた悪いイメージにとらわれ、ふたたび不調に陥るかもしれないが、そのときはまたエチュードのことを思い出して、実行してもらえばいい。
そうやって、悪いイメージのスパイラルをことあるごとにみずから断ち切っていくことで、やがて自分で不調から脱することができるようになる。
エチュードは単純明快なもので、だれでも自分でやることができる。初回だけ私といっしょにやり、コツを覚えていただく必要があるが、そのあとは自分でできるし、もしひとりでやることに不安が出てきたら、またおいでいただければいい。

興味のある方は気楽にお問い合わせください。
詳細はこちら

2011年6月2日木曜日

朗読身体を変えることで表現が劇的に変わる

今日は現代朗読協会の朝ゼミと昼ゼミがあった。
朝ゼミはめずらしくレギュラーメンバーがフルに参加したほか、見学の方一名。朝は「なめとこ山の熊」の読み合わせ。そしてエチュード。
いくつかのあたらしい朗読エチュードをやる。なかでも、歩き回りながらバトンタッチして読んでいく「バトンタッチのエチュード」はなかなかおもしろかった。朗読することだけでなく、身体性、回りの環境や動く人への配慮など、一気にやることが増えて、処理能力が鍛えられると同時に、全身を使って読むということにつながるエチュード。

午後は昼ゼミ。シマムラのほか、かおるさん、養成講座のアオキさん、まりもちゃん、照井数男の参加。なんとなく「肉体派」が多かったので、身体のことをいろいろやる。
とくにシマムラには、バランスボールを使ったエチュードをやってもらって、おもしろかった。
朗読は口先だけの技術をいくらやっても、たかが知れている。身体に意識を向ける、身体の使い方を変えることで、表現が劇的に変化する。その事例がますます蓄積されてきていて、おもしろい。

現代朗読ゼミはいつでも見学できます。事前に連絡しておいでください。
詳細はこちら

2011年6月1日水曜日

YouTubeで15分を超える長時間動画を投稿できるようになった

今朝、Oeufs(うふ)のライブ動画をYouTubeに投稿していて、ふとシステム側からのメッセージに気づいた。
「これで 15 分を超える動画をアップロードできるようになりました。下の [アップロード] ボタンをクリックして動画を選択してください」
というものだ。
いままでこんなの見たことなかったぞ。
調べてみたら、去年の暮れくらいに、YouTubeは一部のユーザーに対してアップロードする動画の制限時間を撤廃する、と発表していた。
知らなかった……
どういうユーザーが対象になるかというと、これまで著作権違反などに引っかかったことがない「優良ユーザー」らしい。「らしい」というのは、YouTubeが基準をきちんと発表していないからだ。
ともあれ、私は優良ユーザーに認定されたらしい。

先日、「水城ゆうチャンネル」というUstreamでの生番組配信をスタートさせたところだが、YouTubeに時間制限がないとなると、再考してみたくなる。
Ustreamの最大のメリットは時間制限がないことだったが、YouTubeもそうなったとなるとUstreamのアドバンテージは少なくなる。
そして、Ustreamは高品位配信には向いていない。かなりしっかりした送出システムと回線を確保できればある程度の高品位も可能だが、無線LANとラップトップを使ってリアルタイムに配信する場合、ある程度画質と音質のレートを落とさないと不安だ。
リアルタイムではないYouTubeのアップロード方式だと、かなりの高品位の画像配信が可能になる。「720p HD」という高品位の画像が配信できる。

せっかく始めた「水城ゆうチャンネル」だが、今後どうしようかなあ。
ちょっと考えてみる。