2013年9月30日月曜日

朗読とはなにか

大上段な問いをあえて立ててみたい。
朗読とはなにか。
朗読という行為の目的はなにか。
朗読することによってなにが起こるのか。

このごろ現代朗読協会での講座やワークショップで私がよく話しているのは、朗読には大きくいってふたつの側面がある、ということだ。

ひとつは「伝達」の側面。
人が声を出してテキストを読みあげるとき、そのテキストに書かれている内容が伝わる。
物語であったり情報であったり、言葉であったり、イメージであったり。

もうひとつは「表現」の側面。
大きくいえばこれも伝達の一部なのかもしれないが、伝わるものはテキストの中身ではなく、朗読者そのものについての情報だ。
声音、息使い、緊張やリラックス、リズム、身体の使い方、雰囲気、におい、目配せ、その他さまざまな膨大な情報が聴き手に伝わっている。
これはまさに、朗読者が自分自身を聴き手に伝えている、つまり表現しているということになるだろう。

朗読という行為によってなにを伝えるのか。
テキストの内容なのか、作者の思いなのか、テーマなのか、自分がそのテキストから受け取った(と思いこんでいる)感動なのか。
それとも、いまこの瞬間の自分自身の存在そのものなのか。

現代朗読では、自分の外側にあるものを伝えることではなく、自分の内側と自分そのものを伝えることを大切にしている。
自分の外側にあるものを表現行為に利用はするが、それは取り替え可能である。
後生大事に「作者の思い」だの「テーマ」だのをかんがえすぎないようにする。
結局、朗読すればテキストは伝わるのだし、その解釈は聴き手が勝手にやるだろうし、また聴き手の解釈をこちらが操作することもむずかしい。
ならば、もっとも確かであること、つまり自分自身のいまここにある存在そのものを伝えることに注目し、集中したい、というのが現代朗読のかんがえかたである。

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