2013年9月23日月曜日

読むとき噛んでしまうことについて(2)

以下、「噛まない名人」の野々宮卯妙(たまには噛むけど)に確認しながら、噛まないための訓練についてまとめてみた。

「噛む」あるいは「読み間違える」ということが起こるとき、たいてい読み手は文章や言葉の「意味」にとらわれ、思いこみをしている。
「走ってる」と書かれているのに「走っている」と書いてあると思いこんでいて、その読もうとして、読む瞬間に読みまちがいに気づくのだが、訂正が間に合わず、噛んでしまう、というようなことが起こる。
あるいは間違っていることにすら気づかず、思いこみのまま読みすすめてしまう、ということもある。

人は「意味の動物」なので、文字面だけを正確に読みとろうとしても、意味にとらわれてまちがえてしまう。
読み間違えない訓練方法としては、意味にとらわれず文字面を正確に読みとる練習をすればいい。

野々宮がやっているのは、文章を逆から読む、というものだ。
「我が輩は猫である」を逆から読むと「るあで猫は輩が我」となる。
まったく意味をなさなくなる。
意味をなさない文章を、それでも正確に読みあげる練習をする。
意味ではなく、文字記号としての注意深さを養うのだ。

噛んだり読み間違えたりするのは、結局のところ集中力に欠如や不注意から起こる。
意味にとらわれてこう書かれているはずだ、と注意をおこたって読んでしまうのは、ようするに自分が読むという行為に効率を持ちこみ、楽をしようとしているからだ。
私たちは資本主義社会・効率主義社会で教育を受け、育ち、生活しているために、骨の髄までものごとを効率よく処理して自分は楽をしよう、という態度がしみついている。
そのことを朗読という表現行為に持ちこまないようにしたい。
表現が効率で支配されることほど貧しいことはない。
自分がなにをしようとしてしまっているのかに気づき、襟をただし、高度な集中と注意を向けて目の前のテキストに対峙する。
その姿勢を持つだけで、噛んだり読み間違えたりすることは格段に少なくなるだろう。