新刊『音読・群読エチュード』から抜粋して紹介します。
「朗読はコミュニケーションです」
というと、「え?」という顔をされることがよくあります。
朗読という行為は、朗読者から聴き手に向かうベクトルで表現されるものだというふうにかんがえられているようです。
たしかにそのベクトルはあります。が、同時に、聴き手から朗読者に向かうベクトルもたしかにあるのです。
それは聞こえたり、目に見えたりするものではないかもしれません。しかし、朗読者がなにかを読み、聴き手に伝えるとき、聴き手のなかでもなにかが確実に起こり、そのリアクションは確実に朗読者に向かって返っています。
朗読者から見れば、それは微細な反応であり、サインです。が、まったく感じとることのできないものではありません。
すぐれた朗読者は、聴き手とのコミュニケーションのなかで表現を進めていきます。そのとき、聴き手も表現行為の当事者であり、退屈をおぼえたり眠っている暇はありません。
この朗読/音読という表現行為が、人のコミュニケーション能力をいちじるしく向上させることに気づいたのは、そう古くはありません。
(中略)
朗読/音読の場合、使われるのは自分の言葉ではなく、人が書いた文章です。人が書いた文章を声に出して読むとき、その文章の内容と同時に、読み手の気持ちも伝わります。
読み手が聴き手に「好き」という純粋な気持ちをもってなにかを読むとき、聴き手にはそれが飾りなく、いつわりなく伝わります。
「この人はわたしに好意をもって読んでくれているんだ」
ということが伝わるのです。そこには作為はほとんど介入しません。もちろん読み手にわざとらしさがなく、ただ純粋に相手に聴いてもらおうという気持ちを持っていれば、ですが。
また聴き手も相手の読むのをただひたすら先入観なく聴くとき、気持ちが自分に伝わってくるのを感じるでしょう。
「聴く」という行為は朗読/音読にかぎらず、忍耐を必要とします。日常会話ではついつい相手の話を途中でさえぎったり、反論したり、忠告したり、命令したりしてしまいます。それでは良質のコミュニケーションは生まれません。まず「聴く」能力をやしなうこと。これがコミュニケーション能力の向上の第一歩です。
きちんと最後まで聴くことの練習に、朗読/音読は最適です。このときの「聴く」のなかには、言葉や文章の「意味」を聴くことのほかに、相手がそれをどのように読んでいるのか(メタテキスト情報)を聴くこともふくまれています。
聴くことができるようになると、今度は読み手の側から聴き手のこともイメージできるようになります。つまり、聴き手のリアクションを感じながら読みすすめる/表現していくこともできるようになります。
このようなコミュニケーションの練習に朗読/音読は最適なのです。
(第二章より)
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