2011年4月22日金曜日

毎日新聞を筆頭に原発についての新聞の論調が変わりはじめた

衆知のとおり、テレビや新聞などマスコミの原発報道は、偏向し、ゆがめられ、無知で正確さを欠いており、まったく信用するに足りない。
その理由もあちこちで指摘されているが、電力業界から巨額のスポンサードを受け、また財界・政界にたいしてみずから「萎縮」しきった体質を長年培ってきたゆえの「自粛」矯正報道がある。
よく、政界・財界からマスコミ報道に「圧力」がかかることなどがいわれているが、そんなことは(めったに)ない。たいていはマスコミみずからが勝手に「これはまずいんじゃないか」と首をすくめているにすぎない。
NHKは少しはましだろうと思うが、過去の原発の闇を鋭くえぐった社会派のドキュメンタリーなどに比べて、最近はまったくぬるい体質になっているように感じるのは私だけではないだろう。

しかし、マスコミもなんらかの収益をあげて食っている。
大スポンサーであるはずの電力業界がありえない事故を起こし、あたふたと不適切な対応で傷口を広げ、情報を隠蔽しようとしているのを見て、さすがにマスコミも「沈みかけた船」と見なしたのかもしれない。
まず、毎日新聞がいちはやく論調を変えた。社説ではっきりと現行の原発行政批判、脱原発の推進をうたったのだ。
それにつづいたのは、朝日新聞、東京新聞(中日新聞)の各社。
おそらく(読売とサンケイを除く)多くの新聞各社が、この動きに追従するだろう。テレビ局もおなじく。
彼らは信念があって脱原発に舵取りするのではない。そちらの流れのほうが有利そうだからだし、いま原発推進をやっていると食えなくなりそうだからにすぎない。

なにをいいたいかというと、新聞もテレビも、その情報や論調を私たちはすべて疑ってかかったほうがいい、ということだ。
「めんどくせーよ、いちいち」
と思う人もあるかもしれない。
が、私たちはもう一度、生存するための懸命さを、ひとりひとりが獲得しなおしたほうがいいと思う。
まだ狩猟生活を送っていた時代の人間には、だれひとり愚か者はいなかった。なにが食べられて、なにが食べられないか、どうやれば獲物を得ることができるか。ひとりひとりが生存の方法を身につけていたのだ。