2014年7月4日金曜日

表現・朗読が生き方に影響を与える

写真は私がいつもゼミや講座で使っている羽根木の家のホワイトボードだが(きたないね)、「表現(げろ)」とある「げろ」というのは「〈げ〉んだい〈ろ〉うどく」の略ですからね念のため。
べつに朗読にかぎらなくていいのだが、表現行為のなかでとくに朗読は敷居が低く、だれでもとっつきやすい側面があるので、人生を豊かにするには大変手軽で有効な方法なのではないか、という私のかんがえをすこし披露しておきたい。

ただだらだら表現するのではなく、すこしでも表現のクオリティを高めていきたいと望むとき、頭でかんがえることではなく、自分の身体性に深くアクセスしていく必要がある。
そのためには身体の内外を出入りする情報の感受性を高め、膨大な情報量の処理や、かすかにしか聞こえない身体最深部からの信号をキャッチする能力をみがく必要がある。
また、情報をキャッチしたり発信したりする、つまりはコミュニケーションの手法も、自分独自のものとしてみがく必要がある。

これらをみがくためのエチュードやトレーニングを、ある程度は現代朗読でも用意しているが、ゼミや講座に来てそのときだけ稽古しても身につけることはできない。
結局のところ、日常生活のなかで心がけ、たえず練習していくしかないのだ。
つまり、表現者であるという自覚を持った生活をする、ということだ。
これを、面倒くさい、大変、苦しいと感じるか、あるいはわくわくする、楽しいと思えるかどうか。

もしくは、最初は面倒くさそう、苦しい、と思っていたことが、やっていくうちにおもしろくなり、その深みにはまっていく、気がついたらものごとを見る視線や、聴く耳、いろいろな感覚が変化していくことにわくわくしていた、ということもある。
みなさんにぜひこのスリリングを味わってもらいたいと思って、私はいろいろな講座やワークショップをやっている。
もちろん自分自身も毎日それを楽しんでいる。

表現すること、そしてそのクオリティを高めることを目指しはじめたときから、人生が変わる。
自分が変われば世界も変わる。
自分自身と世界を変えることに積極的になり、生きることが楽しくなり、また自分自身のなかにある生命力・活力におどろいたりする。
私たちは死ぬまで生きているのです。
私たちの身体のなかには、生命が激しくうずまいているのです。

そんなことを、表現、とりわけ現代朗読という敷居のとても低い表現活動をつうじて、多くの人につたえたいと思っている。

※現代朗読体験講座は明日7月5日(土)18:00-20:00の開催です。詳細と申し込みはこちら
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