2013年8月29日木曜日

韓氏意拳の稽古

はっきりいって、はまってる。
今夜(昨夜?)も韓氏意拳の稽古に中野まで行ってきた。
私より先輩の方が数名、そして初めての方がひとり。
その方はダンスをやってらっしゃるということで、韓氏意拳の方法を大変おもしろがっておられた。

私が韓氏意拳の稽古をはじめてから3か月がたつ。
稽古に行っても、先生(内田秀樹準教練)がいっていることがだいたいわかるようになってきた。
最初のころはなにをいっているのかすらわからなかった。
大変な進歩と思いたいが、そうは簡単にいかないのが韓氏意拳のおもしろさでもある。

このところ、韓氏意拳の「形体訓練」「站椿」そして「試力」というものを、自分なりに暇を見つけては練習していた。
それなりに実感があって、こんな感じかな、という進歩を感じていた。
が、それは韓氏意拳に関しては罠といっていい。
練習経験を積むと、それ自体が進歩をはばむことがある。
うまくいった感じをなぞろうとする自分がいる。
今夜も自分なりに「こうすればいいのでは」と実感していたことが、ことごとく「いまここ」の自分の状態につながっていないことを思い知らされた。

いつもここにはあたらしい自分がいる。
その自分がどのように動けばいいのか、教えてくれる。
その自分の身体の声に耳をすます技術が、韓氏意拳の中枢にある。
この点に関して、私はまったく未熟だ。
半世紀以上生きてきて、生まれたての赤ん坊のように未熟だと感じる。
そのことがおもしろい。
もっともっと学びたい。