2013年8月20日火曜日

いきいき音読ケアとエル・フラメンコ

酷暑のなか、昨日は西武池袋線の富士見台まで「いきいき音読ケア」に行ってきた。
いわゆる老人ホームだが、ここは毎月1回くらいのペースで行っている。
私が行けないときはKATや野々宮を中心にボイスセラピストが行って、音読ケアワークをおこなう。
昨日はたまたま私も行けた。

ここにはグランドピアノがあるので、私が行けるときには季節の唱歌のメドレーを演奏して、みなさんにも歌ってもらうようにしている。
昨日も音読ケアのあと、唱歌メドレーを演奏した。
いつもかならず昔をなつかしんで涙を流す方がおられる。

昨日はKATと野々宮卯妙が音読ケアワークをおこなった。
私たちの毎月の訪問を楽しみにされている方もおられて、みなさんの反応がだんだんしっかりとしてきて、表情もいきいきとしていくのがわかる。
そのたびに、音読ケアは高齢者の心身の健康にとってとても有効な手段であり、必要性の高いものであることを確信する。
高齢者でなくても、こころと身体の健康のために簡単ながら大変効果の高い手法であることはまちがいない。
もっと多くの人に知ってもらいたいものだ、といつもやるたびに思う。


夜は新宿の〈エル・フラメンコ〉までフラメンコを見に行く。
野々宮が世話人となってお得なクーポンチケットを取ってくれたので、ゼミ生たち何人かと行くことになったのだ。
飲み食いしながらライブを楽しむスタイルの店だが、ここのフラメンコはとても本格的でいつも見応えがある。
本場スペインから相当腕のたつダンサーやカンテ、演奏家が送りこまれてくるシステムのようだ。

昨夜はダニエル・トーレスという主演ダンサーを中心に、非常にクオリティの高い現代フラメンコを見せてもらった。
あらためてフラメンコの世界の進化しつづけているのだと思った。
とはいえ、これはやはり「ショー」の世界。
通常人にはできない超絶技巧の世界を「売る」ことによって成り立っている世界。
すばらしいものだが、我々現代朗読がめざす方向とはもちろん違っている。
現代朗読で「クオリティをあげるよ」というと、ついこのフラメンコや完成度の高い演劇的世界をイメージしてしまいがちだが、それはちがうということにいつも気づきつづけていたい。