「嘘つき問題」のつづき。
だれかが嘘をついていて、それが明らかに嘘だとわかっていても、その嘘自体に共感することはできない、という問題。
嘘をついた人は、そこに共感を向けられても、自分が嘘をついたということを認めないかぎり共感を受け取ることはできない。
嘘をついたことを認めさせようとすることは、共感ではなく「非難」が含まれる。
ではどうすればいいか。
共感的コミュニケーションにおいては、プロセスとしてまず相手の嘘を「そのまま受け入れる」。
前回の例では、「ここにいてね」というこちら側のお願いにたいして相手は約束したのに、その場を離れていた。
そのことを指摘すると「ううん、ずっといたよ」と嘘をつき、自分が嘘をついていることを認めようとしなかった。
その相手の「ずっといたよ」という嘘の言葉をまず受け入れること。
あきらかに嘘だとわかっている言葉を受け入れるのはちょっとむずかしい。
しかし、こうかんがえる。
相手はどのようなニーズがあって「ずっといたよ」といったのか。
それが嘘であるかどうかはいったん棚上げにしておく。
というか、かんがえなくてもよい。
「ずっといたよ」という相手の言葉と態度に共感を向けていく。
「ずっといてくれたの? 私との約束を守ることを大切にしてくれたんだね?」
と、ただ純粋に好奇心をもって訊いてみればよい。
皮肉や非難を含めないで、ただ純粋に訊いてみる。
それだけでよい。
相手は自分がなにを大切にしているのか、あらためて自分のなかを見てくれるかもしれない。
また同時に、たとえ嘘をついていることについて罪悪感を覚えていたとしても、自分が否定も非難もされず受け入れられたことで、つながりを感じるかもしれない。
それ以上のことはなにもしなくてよい。
たったこれだけのことで、あなたと相手の関係性は、以後すこしだけ(あるいは大きく)変化するかもしれない。
三軒茶屋〈カフェ・オハナ〉での共感的コミュニケーションのワークショップ・ミニライブ付きは、8月20日の夜、開催します。
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