2013年8月15日木曜日

この五年間で私の中身がすっかり入れ替わった件


いまやちょっとした古参になったゼミ生に、照井数男くんという男がいる。
本業は数学者なのだが、なんとなく朗読ゼミにずっと通いつづけている。
そしてときにはライブに出たりもする。
とくにフリージャズの人たちとライブをするとき、彼の朗読はなぜか、大変おもしろがってもらうことが多い。
たしかにおもしろい。
独特のリズムと、切れのいい反射反応と、オリジナリティがある。
しかし、彼も最初からおもしろかったわけではない。

四、五年前だったと思うが、最初にげろきょにやってきたとき、彼は一種の不審者じみて見えた。
姿勢がおかしかったし、話をしてもなにをいってるのかほとんど聴き取れなかった。
表情も曖昧で暗く、しかし大学で数学を研究しているというので、バカではないだろうとは思っていたが(失礼)。
その彼が、いまとなっては別人のようにはつらつとし、インパクトのある朗読者になったのは、もちろんげろきょのおかげだけではないと思うが、げろきょが彼の成長にすこしは役にたったのではないかと思っている。
というのも、私自身、この五年くらい、まさに照井くんと成長をともにしたという実感があるからだ。

その実感のなかには、この五年間に私の中身がそっくり入れ替わってしまった感じもある。
ものの考え方、感じ方、表現の方法、自分自身のありよう、これらが五年前とまったく入れ替わってしまった実感があるのだ。

自分の変化がいつから始まったのか、はっきりと時期を特定できる。
私は2000年に福井の田舎から東京に仕事場を移した。
そしてラジオやオーディオブック製作の仕事をするかたわら、声優やナレーターたちと関わり、そして仕事の必要上から朗読研究会を立ちあげた。
あまりに声優やナレーターの朗読がつまらなかったからだ。
つまり、表現として貧相すぎた。

研究会を立ちあげるとき、「朗読とはなにか」「表現とはなにか」「人が人になにかを伝えるとはどういうことなのか」ということを、かなり原理的にかんがえてみようとした。
そのときの手助けになったのが現代思想であり、とくに構造主義のかんがえかただった。
構造主義についてくわしいことは書かないが、これを学んだことでこれまで見えていた世の中の見え方がかなり変わった。
また、「主観」というもののとらえかたも変化した。
そのかんがえかたを用いて、朗読や表現の原理について自分なりに深くとらえ、かんがえるようになった。
その結果、現在の日本でおこなわれている「いわゆる朗読という行為」は表現ではない、という結論にいたった。
では、表現としての朗読とはなんだろう。

朗読は伝達ではない、声や言葉を伝えるだけではない、朗読表現とは朗読者の身体性や存在そのものが伝わるリッチな表現手段なのだ、というかんがえにいたる。
その過程で、表現者にとってもっとも重要な身体の扱いかたについて、アレクサンダー・テクニークという有用な方法に出会う(安納献くん、ありがとう)。
自分自身も頸椎に圧迫の問題をかかえていたのだが、自分でなおすことができた。
そのころに最初に書いた照井数男も来るようになったのだが、彼もまた姿勢の問題をアレクサンダー・テクニークで解決していった。

また共感的コミュニケーションのベースになっているNVCとも出会うこととなった(安納献くん、ふたたびありがとう)。

ここ10年あまりで、私のなかの「社会のとらえかた」「自分自身のとらえかた」「自分のありよう」「他者との関係性」「コミュニケーション」といったものが、以前のものとまったく変わってしまった。
おそらく私は10年前とはまったくちがう人間になってしまったといっていいのではないだろうか。
もちろん、私を私たらしめているこの「身体」は、まぎれもなく私のものではあるが、これもまた刻々と変化し、流動しつづけている。

これらの変化にとどめをさすようにやってきたのが、韓氏意拳という中国武術だ。
これは自分の身体のありようをおどろくほど精緻・精密にとらえ、本来の自分のありよう(自然)を追求する武術だ。
この精密さときたら、アレクサンダー・テクニークですら雑に思えるほどだ。
いくらか他の武術もかじってきたが、そのどれとも違う自然なものであり、本来的であり、本質的であり、またもちろん武術として最強でもある。

ここにいたって、身体、こころ、他者とのコミュニケーション、私を取り巻く世界とどのように関係性を結ぶか、明確な指針を手中にしたと確信できる。
あとはただまっすぐ、日々マインドフルに自分のことを力をつくしてなすのみ。