ちょっと難解な作品になりましたね。しかし、悪くはないと思います。
現代の商業流通ルートに乗っている小説は、ほとんどが「難解=わかりにくさ」を排除されています。書き手が編集者から要求されるのは、わかりやすさ、明快さ、はっきりとした結末、といったものです。
書かれるひとつひとつのシーンが曖昧でなく明快で、だれが読んでもはっきりくっきりと目に浮かべることができるようにします。登場人物の造形も明快で、ときに記号的であるか、せいぜい記号を組み合わせたものであることが多い。
この倉橋彩子の作品は、この短さにも関わらず、視点が入りくんでいます。時間軸も交差しています。説明が極端にはぶかれ、読者はなにがどんなふうに、だれの目を通して起こったのか、注意力と想像力を駆使しなければ読みとくことができません。
このような書き方は商業作品とは逆行していますが、なに、それでかまわないのです。倉橋彩子はなんの遠慮もなく、読者にこびることなく、自分の表現をおこなえばいいのです。
そういう意味で、倉橋彩子はどんどんオリジナリティを磨きあげつつある書き手です。
もっともっと個性の中心に向かっていったらどうなるか。だれにも書けない、ひょっとしてだれにも理解できない作品ができてくるかもしれません。それはすごいことですね。
草間彌生という世界的造形作家をご存知でしょうか。水玉アートで有名ですね。
彼女は小説もたくさん書いていて、それはそれはオリジナリティに満ちた文章です。ストーリーも意味もご自分のなかで完結してはいるんでしょうが、それを決して「他人にわからせようというサービス」はしていません。そこが逆に魅力的なのです。
意味がわからないストーリー、言葉、セリフ、描写、まるで前衛絵画そのもののようなイメージが文章で展開されています。そして読者は草間彌生の言葉の世界をただ受け入れ、楽しむのです。純粋なテキストの快楽といっていいでしょう。
倉橋彩子に草間彌生になれ、というつもりはありませんが、より自分の言葉の世界を、読者にこびることなく追求していってもらいたいと思います。
もっとも、この作品にまだまだ未完成感があることは否定できません。もっともっと注意深く構成や言葉を詰むことはできるでしょう。
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