説明をするな、削ぎ落せ。描写に徹せよ。
というのは、しばしば、口がすっぱくなるくらいいうことです。
なぜ説明してはいけないのか、なぜ描写に徹するのか、についてはあらためてきちんと説明する機会を持つことにします。ここでは簡単に、どういうことなのか、かいつまんで、前野佐知子のこの作品で例示しておきます。
以下の文章。
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聡子にすり寄るように薄闇が迫る。手元の日付が見えにくい。聡子は立ち上がって電気をつけた。ゴミ袋は3つになっていた。
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ここで「手元の日付が見えにくい」という部分は、主人公聡子の主観です。心のなかの言葉であって、それは外側から見えないものです。こういう種類の文章を徹底的に削ぎ落してみるのです。
次のようになります。
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聡子にすり寄るように薄闇が迫る。聡子は立ち上がって電気をつけた。ゴミ袋は3つになっていた。
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どうですか? なにが変わりましたか? どんなふうに変わりましたか?
前野佐知子のこの作品は、たぶん、悲しみや悔しさを内にこめたまま、しかし無表情に淡々とモノを捨てていく彼女の「描写」がすべてだと思うのです。それゆえ、余計に描写に厳しく目を配らなければなりません。
あと、彼から別れを宣告されるそのセリフも、ひと工夫あるといいでしょう。
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