すべての表現行為にはふたつのステージがある
厳密にいえば、ステージにあがる前の段階もあるのだが、それはちょっと置いといて。
最初のステージは内在する衝動にしたがって行為を具体的な形にしていく段階。テキスト表現においては、実際に最初になにを書こうかかんがえ、自分の内側に釣糸を垂らし、自分を取り巻く世界にもマインドフルに目を向け、そこから生まれてくる言葉をつかまえ、そして文字に書きつけていく段階がファーストステージだ。
セカンドステージは、そこに現出した「ブツ=テキスト」を他者との共有化のために整えていく段階である。
音楽やダンスのようなパフォーミングでは、楽譜を読みこんだり、振り付けを考えたり、といった準備段階があり(ファーストステージ)、次にオーディエンスと時空間を共有するライブ段階(セカンドステージ)がある。
テキスト表現とも共通した面が多い美術や映画(非パフォーミングアート)などでは、スケッチをしたり、ラフコンテを描いたり、ストーリーボードや絵コンテを描いたり撮影したり、といったファーストステージがあり、つづいて絵を仕上げたり、編集や音入れといったポストプロダクションのセカンドステージがある。
つまり、すべての表現行為は、内的・個人的作業と、外的・共有作業があるということだ。
第一ステージ 第二ステージ
内的 ⇒ 外的
個人的 共有
書きなれてくると、このふたつの作業を同時進行でやれるようになる場合もある。一気に書いたものがそのまま人に読ませることができるほどのクオリティを持つような場合も、まれにある。
しかし、たいていの書き手は、どのように熟練の作家でも(たとえ私のような者でも)、最初に書きあげたものをそのまま人に読ませることはまずない。
最初に書きあげたものをどうするか。
まずは自分が読み手となって、可能な限り客観的に、しかし制作者の視点を失わないで、徹底的に読み直し、書きなおしていく作業をする。
皆さんの場合は、幸いなことに、この塾があり、的確なアドバイスがあり、自分の作品の欠点に気づくチャンスが大きくある。ならば、積極的に書き直しをしよう。
書く力が弱いうちは、ひとたび書きあげると、それだけで息切れしてしまうことが多い。しかし、本当はそこからがスタートなのだ。ファーストテキストを書きあげた瞬間は、まさにスタートラインでセットポジションを取ったところと思えばいい。
書き直すというのは、全力で走りはじめるようなものだ。ここでも力が弱いうちはすぐに息切れしてしまう。
書く力をつけるためには、最初は息切れしても、何度も何度も食らいついて走りなおすしかない。そのうち、楽々と百メートルを走れるようになる。二百メートルだって走れるようになる。短距離(短編)が走れるようになると、長距離(長編)を走ることも楽ちんだ。
ただし、その逆はない。
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