「肥満」テーマでの野々宮卯妙の作品を取りあげます。
小説(物語)は太古より、ストーリーを人々に伝えるための手段でした。『源氏物語』はもちろんのこと、『古事記』『日本書紀』もストーリーとして書かれていますし、聖書もそうです。
それ以前に書かれたものとして、たとえばインドの『ヨーガ・スートラ』などがありますが、これはストーリーではなく「標語」の集合体のような形のものです。
つまり、原初は言葉の集合体だったものが、次第にストーリーを語るスタイルに発展していった、というのが人類共通の流れのように見えます。
ストーリーを語るスタイルは17世紀、18世紀ごろになって、ヨーロッパで急に発展します。アレクサンドル・デュマ(フランス)の『三銃士』『モンテクリスト伯』などや、セルバンテス(スペイン)の『ドンキホーテ』など、ストーリーはしだいに複雑に、そして波瀾万丈になり、登場人物も込み入ってきます。
19世紀になると、フランス、スペインはもちろん、ドイツ、イギリス、アメリカ、ロシアでもストーリーテリングが発展していき、急速に多くの人々が小説を読むようになります。これは活字印刷技術の発達にもよります。物語のコピーが大量に生産され、人々は安価な娯楽としてこれをこぞって買いもとめ、楽しむようになります。
文学が大衆化し、マス化していくと同時に、書き手側の技術も複雑化していきます。ストーリーを語るものから、しだいに人間の内面を語るものが出てきます。バルザック(フランス)、スタンダール(フランス)、ドストエフスキー(ロシア)、ブロンテ姉妹(イギリス)、夏目漱石(日本)。まだまだいますが、きりがないのでこのへんにしておきます。イメージはつかんでいただけるでしょう。
この時代、人間の内面は「独白」や「説明」によって描かれようとしました。
これに疑念を呈したのが、20世紀にはいってからの作家たちです。たとえばヘミングウェイ。
彼は「人間の内面は直接語ることはできない。言葉で説明するには抽象的すぎる」というかんがえのもと、「外面描写」から人間の内面を表現しようとしました。
たとえば、それまでの小説だと、
「彼女は身を切るような悲しみに襲われて泣いた」
と書くところを、ヘミングウェイは、
「彼女は両手で顔を覆った。指の間からこぼれた涙がテーブルを濡らした」
と書くわけです。
「身を切るような悲しみ」という表現は主観的なものですが、ヘミングウェイはそれを徹底的に排除し、客観描写だけで内面を表現しようとしたのです。それがこんにちの小説に革命をもたらしました。
前置きが長くなりましたが、野々宮卯妙のこの「帆立貝」は、たぶん意識的に客観描写の実験をしているのだと思います。客観描写だけでどれだけのことを伝えることができるか。こういう練習は、書くことの大きな練習になります。
それにちょっとエロティックでぞくぞくしますね。ぎりぎり下品に落ちていないところがいいし、また説明を意図的に限定していることで、これが男女なのか、女同士なのか、含みを持たせているところも、読者の想像をうまくかき立てています。
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