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なんて書くと変質者のように思われてしまうかもしれないが、けっしてそうではない。
現代朗読協会のゼミや講座では、参加者のちょっとした生活における問題や不安、悩み事を聞く機会が多い。
表現のことだけでなく、家庭の問題や仕事のトラブルといった話も出てくる。
私はそういった話をいつも喜んで聞かせてもらっている。
そういった話を私にしたあと、
「こんな話を聞かせてしまってごめんなさい」
と多くの人がいう。
愚痴を聞いてもらうことに負い目を感じているらしいのだ。
しかし、それは違うと思っている。
愚痴や悩み事のなかに含まれている当人の感情を私はひたすら観ている。
話されている内容や情報は二の次で、大事なのは感情だ。
どんな人の話にも、つらい、悲しい、苦しい、あるいはうれしい、楽しい、わくわくする、そういった感情が示されている。
感情は、その人がなにを大切にしているのかを指し示している。
その人が大切にしているものが損なわれたとき、感情が生まれ、泣いたり怒ったりする。
その人が大切にしているものが満たされたとき、喜んだり、落ち着いた気持ちになったりする。
話を聞きながらその人の感情を観るのは、その人がなにを大切にしているのかを知ることにつながる。
それを私は想像して、時々相手に確認してみる。
相手が自分の大切にしていることに気づき、私もそれを知ることができたとき、私と相手のあいだにとても質のいいつながりが生まれる。
私はこれを求めているのだ。
愚痴や悩み事を聞かせてくれる人は、私とつながりを持とうとしてくれている人でもある。